2012/05/09 - 2012/05/09
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frau.himmelさん
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今年最後の旅行記は、マルティン・ルターの宗教改革の街として有名な街、
その名も「ルターシュタット・ヴィッテンベルク」(ルターの街ヴィッテンベルク)を訪れます。
このヴィッテンベルクとルターが生まれたアイスレーベンの二つの街は、ルター記念建造物群として1996年に世界遺産に指定されました。
さて、私の旅行記もこの号で200冊目になりました。
一口に200号といっても私には大変なことでした。
齢のせいで言葉がすっと出てこない、写真がヘタなのはまだしも、その写真を思い切って捨てられない。
で、いつもいつもダラダラとまとまりのない旅行記のオンパレード。
読み返してみても余りにもつたなくて、自分自身恥ずかしくなります。
でも、ボケ防止・老化防止、それに自分自身の記録帳、
およそ自己満足だけの旅行記ですが、これからも300冊、500冊・・・と続けたいと思っています。
よろしくお願いいたします。
新年からいよいよ大好きなベルリン編に入ります。
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ドレスデンからベルリン駅に到着。
これからすぐにヴィッテンベルクに向かうので、コインロッカーを探します。
カバンマークの矢印は、あっちだ、こっちだと付いていますが見当たらず、大きな荷物を引っ張って右往左往しました。
何とか見つけたと思ったら空いてない。
急いで別な階に移動して、やっと奥に一つ見つけました。
ところがコインが5ユーロ必要なのにあと50セント足りない。
誰か両替してくださ〜い!
ICEの時刻は迫っているし、焦る焦る。
そんなときに限って人が来ないのよね(泣)。
なんとかホームに着いたのは出発5分前でした。ふうー。 -
13時52分のミュンヘン行きのICEは大変混雑していました。
みんな大きな荷物を持って空いている席を探してウロウロしています。
私も今回始めての座席指定券なしのICEの旅です。
まあ45分だけだから我慢しよう。
途中で席が空いて何とか座れました。
ヴィテンベルクには14時23分着、帰りは17時32分を予定していますので、3時間足らずの滞在です。 -
ヴィッテンベルク駅に到着しました。
出てきたところはテントのような簡易な駅舎です。
ここが歴史ある世界遺産の街?
宗教改革者マルチン・ルターの街ヴィッテンベルク? -
街の案内板。
矢印は全て同じ方向を向いています。 -
ともかく私は「地球の歩き方」の小さな地図が頼りです。
それにしたがって進みます。
まず、駅を出たら、線路沿いにまっすぐ行くのね。
何にもないところです。 -
「歩き方」にはホテルのマークもあるので、ここも通り過ぎて更にまっすぐね。
-
公園みたいなところに出てきました。
ここが「ルターアイヒェ」なのかしら?
中央にモニュメントみたいなものもあるし…。 -
「ルター・アイヒェ」とは、ルターの樫の木、っていう意味。
この立派な樫の木がそうみたいです。 -
この石碑に「マルティン・ルター」って字が見えますね。
別な説明板には、1520年12月10日、マルチン・ルターがカトリック教会からの破門状を民衆の目前で焼き捨てたらしいことや、この樫の木は1830年ルターの功績を記念して植樹されたらしいことが書いてあります。(あくまで私のあやふや訳) -
ルター・アイヒェの前の立派な建物に目が行きました。
きっとこっちに行けばいいのね。
しばらく歩きます。 -
これも素晴らしい建物。これがルターの家なのかしら?でも、ちょっと違うみたい。ちょうどお庭をお掃除していたおじ様に「地球の歩き方」の小さな地図を見せて聞きました。
おじ様は小さな日本語の地図に戸惑っていましたが、しばらく凝視して詳しく教えてくれました。 -
ルターアイヒェまで引き返して、右に曲がるとルターの家が見える、こっちに行けば聖マリエン市教会、宮廷はこっちだとか。
とっても親切なおじ様でした。
「ダンケシェーン」の後に、「ここはきれいな街ですね」って付け加えました。
最近の私、道を聞いた後はその街のことを誉めるようにしています。
自分の住んでいる街を誉められてイヤな気分になる人はいないですからね。
旅も方便! -
これが「ルターの家」ですね。
-
だって、道路には大きな観光バスが停車していて、その家から出てきた大勢のシニアたちがバスの中に吸い込まれていきます。
私と同じ年代の方たちかしらね?
親近感を覚えました。 -
ルタ-・ハウス入口。
ところで、マルティン・ルターってどんな人物?
先ごろ、BSでとっても詳しく説明していました。
それの受け売りをいたしますね。 -
マルチン・ルターハウス
◇◆
マルチン・ルターは1483年ヴィッテンベルクの近郊、アイスレーベンに生まれました。
法律家を目指してエアフルト大学に通っていた頃、彼は人生を変える大きな出来事にであいます。 -
草原で激しい雷雨にあい、落雷のため死の恐怖を覚えたルターは、修道士になる決心をします。
親の大反対を押し切って、厳格な規律で有名なエアフルトの聖アウグスチノ修道会で学ぶことにしました。 -
1512年ヴィッテンベルクに移り住んだルターは、修道院で暮らしながら「神」についての研究に打ち込みます。
厳しい修行の末、やがて彼は一つの理念にたどり着きます。 -
『人は誰しも罪から逃れることはできない
善い行いで救いがもたされることもない
救いとは神が与えてくれる”恵み”
ゆえに必要なのは神への信仰 唯ひとつ
◆
修道院の天井にはルターの言葉が掘られています。 -
人はみな罪人であると同時に
信仰によって救われる存在なのだ』
教会の豪華な装飾や聖職者の権威を重んじる姿勢に疑問を抱いたのです。
◆
ルターの名前が見えますね。赤で印をしています。 -
-
また、カトリック教会では聖職者は伝統的に独身でなければなりませんでしたが、その禁を破ったのもルターでした。
修道女であったカタリーナ・フォン・ボラと結婚をして、6人の子を設けました。
そして、このルターハウスで円満に過ごしました。
中庭には、カタリナ・フォン・ボラの銅像が立っています。 -
ルター・ガルテンを通り過ぎてしばらく行くと、ヴィッテンベルク大学の中庭に出ます。
-
ヴィッテンベルク大学は1502年、ザクセン選帝侯フリードリヒ3世が設立しました。
ルターは修道士の傍ら、この大学で聖書の講義を行っていました。 -
それからもう一人忘れてならないのが、フィリップ・メランヒトン。
ルターの思想に強い影響を受けた彼は、協力者となり共に宗教改革の基礎を築きました。
彼は、ヴィッテンベルク大学のギリシャ語教授でした。
◆
ヴィッテンベルク大学の入口 -
フィリップ・メランヒトンの家もこの近くにあったはずなのですが、見過ごしてしまいました。
◆
メランヒトンの名前のある駐輪所(?) -
メランヒトンは、1518年、ルターに共鳴して宗教改革に参加します。
直感的なルターに対し、メランヒトンは知性的で、ルターの思想を体系化していく役割を担いました。
◆
メランヒトンという名の本屋さん -
街中には古い井戸がアチコチにあります。
コレーギン通りにある古い泉。 -
ホルツマルクトの古い泉。
これは17世紀に造られたものらしい。
井戸にはそれぞれ由緒書きがついていました。 -
聖マリエン市教会に着きました。
残念ながら修復中ですが、この教会は13世紀に建設が始まった、ヴィッテンベルクで最古の建物です。
ゴシック様式の二つの塔が印象的です。 -
中には入れるようです。
-
マルティン・ルターが、その昔説教を行った礼拝堂。
なんかドキドキします。
そしてあそこに見える祭壇画は? -
ルターの盟友、ルーカス・クラナッハによる「宗教改革の祭壇画」(1547年)。
4枚の絵が組み合わさって出来ています。
中心には「最後の晩餐」が配してあり、右側は自らの理念を唱えているマルティン・ルターの像。
下のキリストの磔刑図の中にも、説教壇で説教しているルターの姿が見えます。
まさにルターのための祭壇画です。 -
ルターが説教をした説教壇
-
マルティン・ルターの言葉
-
マルクト広場にやってきました。
ちょうど市が開かれていました。
衣類や雑貨、日用品などいろんなものが売られています。 -
ルネッサンス様式のヴィッテンベルクの市庁舎。
-
市庁舎の正面入口。
◆◇
ところで、ルターと盟友クラナッハの出会いは1520年。
クラーナッハ48歳、ルター37歳のときです。 -
市庁舎前のルターの像。
◇◆
ルターの姿勢に共鳴したクラナッハは、彼の生涯の友となります。
そして次々とルターの肖像を描きました。 -
マルクト広場には、ルターの像と並んで、メランヒトンの像も立っています。
彼もルターの思想に共鳴して、彼の協力者として宗教改革を共に成し遂げた人です。
先日訪れたチュービンゲン大学にも彼の名前が残っていました。
(2012 チュービンゲン編) -
マルクト・ブルンネン。
-
マルクト広場全景。(資料よりコピーしたもの)
市が開かれていないマルクト広場はこんな感じです。 -
さて、マルクト広場と聖マリエン市教会を後にして、シュロス通りに入ります。
とうとう雨が降り出しました。
傘を指している人もいます。 -
シュロス通り前方には宮廷教会の塔が見えます。
-
その通りの途中で何の気なく入った古い家、
実はクラーナッハがクロナッハから移り住んだ家でした。
彼は33歳から40年間をここで過ごし、多くの作品を世に送り出した家でした。 -
中庭の片隅でスケッチをしているクラナッハの像が見えます。
クラナッハの工房には、最盛期には40人以上の画工がいたそうです。
その中には画家となったクラナッハの2人の息子もいました。 -
クラナッハの家の木戸。歴史を感じさせます。
◇◆
さて、クラナッハのこと。
今回の旅で度々彼の姿が見え隠れしました。
クラナッハは、同時代のドイツ・ルネッサンスの巨匠といわれる画家アルブレヒト・デューラーの作風に惹かれます。
そして、ウィーンで研鑽を積み、宮廷画家として実績を積んだ彼の評判はヨーロッパ中に響き渡りました。 -
◆◇
それに目をつけたのはザクセン選帝侯フリードリヒ3世(1463−1525)。
クラナッハを宮廷画家に雇い入れヴィッテンベルクに呼び寄せました。
フリードリヒ3世は、いち早くルターの宗教改革を支持し、ヴィッテンベルク大学を設立しました。
選帝侯というのは、神聖ローマ皇帝を選ぶことが出来る、強い政治力と権力を持ったドイツにたった7名の諸侯です。
(資料よりコピー。ルーカスクラナッハの作)。 -
庭の片隅にあった荷馬車
◆◇
その頃、マルティン・ルターは、修道士としてこの街で神についての研究を続けていました。
二人はこの街で知り合い、生涯強い関わりを持つようになるのです。 -
クラナッハが使った井戸。
◇◆
ルターが修道女ボラと結婚した際には、立会人もつとめ、両者の信頼関係は生涯変わりませんでした。 -
クラナッハはまた、商才にも長けており実業家としても成功しました。
この建物は同じシュロス通りにあるクラナッハ薬局。
今も営業しているこのお店は、当時クラナッハが買い取って経営していたものです。 -
ルター薬局の入口の説明書き。
◆◇
他にも、活版印刷に目を向け、印刷所や書店も経営していました。
ルターの著作に挿絵を書いて、自分の印刷所から次々出版して、彼の理念を世に広めました。 -
そして、クラナッハは60代には、ヴィッテンベルクの市長にも就任しました。
◆◇
ルターハウスに展示してあった1990年ごろの写真。
戦後・ドイツ分断の時代は、この歴史の家も荒れ果てたまま放置されていたのですね。 -
クラナッハの家をでて、シュロス通りにでたら、こんな看板が何枚も通りにありました。
第二次大戦終戦から東西ドイツ再統一の直後まで、ヴィッテンベルクとロシアの関係の特別展示があるようです。 -
そしてこんなお面白そうな映画も上演しているようですね。
題名も「マルティン・ルター」。DDR制作でしょうか? -
それはこの家、「Haus der Geschichte」。
歴史の家、歴史博物館。
ヴィッテンベルクは第2次世界大戦後、1949年にソ連に占領され、
1990年に東西ドイツが再統一されるまで東ドイツ側に組み込まれていました。 -
更に歩を進めます。
この建物も歴史的な家らしい。
中を覗きこんでいる人もいますし、正面には歴史的事柄を記したプレートが見えます。 -
ドイツの物理学者、エドゥアルト・ヴェーバー(1804-1891)の生まれた家との事。
調べていたら、面白いことがわかりました。
ゲッティンゲン大学であのグリム兄弟らと共に、大学の民主化を求めてアウグスト王に抗議した『ゲッティンゲンの7人』の一人だったのです。
これだから歴史って面白いのよね! -
宮廷教会が見えてきました。
ところで宗教改革とはどんなものだったのでしょう?
これもBSテレビの受け売りで。
◇◆
マルティン・ルターが修道士の傍ら、ヴィッテンベルク大学で神学を教えていた頃、
ドイツ国内では、ローマ教皇庁の認可のもと、免罪符の販売が盛んに行われていました。 -
◆◇
免罪符とは、お金を払えば罪も償われ、亡くなった家族の魂まで救われるというお札のこと。
免罪符乱売の影には、カトリック教会の総本山・バチカンのサンピエトロ教会の莫大な再建費用を稼ぐ狙いがありました。 -
◇◆
それに異を唱えたのがマルティン・ルター。
1517年カトリック教会の腐敗を糾弾する意見書を作り、免罪符販売を積極的に推し進めていたマインツ大司教に送りつけます。
これがドイツ宗教改革の発端となる『95か条の論題』と名づけられた文書でした。
ルターはそれを宮廷教会の扉に貼り付けたといわれています。
宮廷教会の扉。 -
その扉は火災により焼失しましたが、後に付け替えられたブロンズ製の扉に、びっしりと95か条の論題の文面が書き込まれています。
写真では模様のようにしか見えませんが、文字があるのです(すみません)。 -
宮廷教会に隣接する宮殿の方に回ります。
ここはマルティン・ルターを保護し、いち早くプロテスタントを承認したザクセン選帝侯フリードリヒ3世の居城でした。 -
庭園。
◇◆
強大な権力に向けて、無名の修道士が投じた一石は、瞬く間に波紋を広げ、教会の堕落に不満を抱いていた民衆の心を捉えました。 -
地面には小さな白い粒々が無数に落ちています。
ドイツのこの季節の風物詩。
◆◇
やがてヨーロッパ中を巻き込むことになる「宗教改革」はまさにこの地から始まったのです。 -
この白い粒はどこから?
上を見上げたら、あの花が落ちていたのですね。
踏みつけるとプッチンプッチンして面白い。 -
宮廷教会内部に入ります。
宮廷教会とは、宮廷に付属する教会です。 -
パイプオルガン
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マルティン・ルターの肖像画
-
ルターのお墓もここにあります。
ルターは生誕地アイスレーベンで没しました。 -
フィリップ・メランヒトンの肖像画
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メランヒトンの墓。1560年4月63歳で没しました。
-
ルターとメランヒトン、二人の偉大な宗教改革者は隣り合ったお墓で眠っているのですね。
次に、祭壇の方に進みます。 -
ここにも二つのお墓場並んでいます。
ザクセン選帝侯フリードリヒ3世と、その弟ヨハン王(1532年没)のお墓。
ここには宗教改革運動を保護しただけでなく、むしろ推進者として貢献した二人の王が眠っています。 -
祭壇の近く
-
ここにもマルティン・ルターの銅版の浮彫りが。
-
私が内部を見ていたら、係りの方が日本人か?って聞いて、日本語の説明書を持ってきて貸してくれました。
とても判り易かったです。
ありがとうございました。 -
教会から出てきました。
雨も上がり、大勢の観光客の姿も見えます。
観光ミニ列車も走っています。
ところで、観光案内所は私の背後の建物に入っています。
私はその後、観光案内所でタクシーを呼んでもらって駅に向かいました。 -
先ほど駅がテントのような簡素な駅舎に驚きました。
所が地下道をくぐって行った先には、立派な駅舎が建っていました。
「ルターシュタット・ヴィッテンベルク駅」、駅名がとても誇らしげです。
ヴィッテンベルク駅の情報が少ないので、記しておきます。 -
中もこのように陶板で掘られた歴史的事柄が記された大きな柱や…。
-
街の見所を紹介する張り紙があったり…。
-
一応ここにはインフォもあります。
でも、旅行者はみんなテントの駅の方にでますので、こちら側は人影は少ないです。 -
コインロッカーも数は少ないけどありました。
荷物を持ってヴィッテンベルクを訪れる方の参考になれば幸いです。 -
予定通りの時刻に、このホームからベルリンに向かいます。
ふうー、やっと200冊目が完了しました。199冊で終わるのはキリが悪いので頑張りました。
新年は201号から始めます。
1年間私のつたない旅行記を読んでくださってありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (9)
-
- ペコリーノさん 2013/01/08 16:18:11
- 200冊目、おめでとうございます。
- frau.himmelさん こんにちは
200冊目の旅行記、おめでとうございます。
思えば、2012年の1月1日に私が100冊目の旅行記をアップした時に、私自身が気がついていないところにメッセージをいただいたのですよね。
2012年もいろいろありましたが、なんとか無事に乗り切る事が出来ました。
200冊、すごいですね〜。
私も140冊ぐらいでうろうろしていますが、まだ制作途中で未公開のものが2-3件・・・。なかなか前に進みません。
さて、マルチン・ルターと言えば、宗教改革ですけれど、実際のところ高校の歴史でさらっと習った程度で、私にはまったくなんのことやらでした。丁寧に説明していただいてありがとうございました。まだまだ私には難しいですけれど。
そして、いよいよ旅はベルリンにやってくるのですね。楽しみです!
と言いつつ、私も旅行記がんばります。
ペコリーノ
- frau.himmelさん からの返信 2013/01/09 19:38:23
- RE: 200冊目、おめでとうございます。
- ペコリーノさん こんばんは。
返信が遅くなって申し訳ありません。
> 思えば、2012年の1月1日に私が100冊目の旅行記をアップした時に、
そうでしたね。それを思い出して、キリのいい数字まで頑張ろうと、
大晦日返上で200冊目を仕上げてしまいました。
その後がいけません。すっかり気が抜けてベルリンはちっとも進みません。
データが多すぎて、歴史の項目別にするのか、日付順にするかなどいろいろ悩んでいます。
6日間でこれですから、ペコリーノさんは10日間。お察しいたします。
さて、私は今年もベルリンを訪れる予定にしています。
ところで、いろいろ教えていただきたいことがあります。
ベルリンフィルのコンサートにいらっしゃったんですよね。
こちらから予約していらっしゃったんですか?
ドレスコードなどはどうでした?
その他、疑問がでてきたら教えてくださいね。
himmel
- ペコリーノさん からの返信 2013/01/10 10:06:50
- RE: RE: 200冊目、おめでとうございます。
- frau.himmelさん、こんにちは
> さて、私は今年もベルリンを訪れる予定にしています。
今年もいらっしゃるなんて、いいですね。春ごろでしょうか。
> ベルリンフィルのコンサートにいらっしゃったんですよね。
> こちらから予約していらっしゃったんですか?
> ドレスコードなどはどうでした?
ベルリンフィルはネットでチケットを購入しました。
http://www.berliner-philharmoniker.de/en/
こちらで、クレジット決済、チケットは現地で引き換えということにしました。すべての手続きを終えた後にきたメールorder confirmation をプリントアウトしてフィルハーモニーのボックスオフィスへ持っていくとチケットに引き換えてくれます。
ドレスコードはそんなに気にする程ではありません。女性は。セーターにスラックス、ジャケット等の人がほとんどですし、ワンピースを着ている方もいらっしゃいましたが、目を見張るようなドレス、と言う人は見かけませんでした。
ただし、ご夫婦でいらっしゃる場合、男性はかなり日本人の感覚から言うと、おしゃれをしています。ほとんど皆さんジャケットかスーツ、それもビジネススーツではなく、首元はアスコットタイやスカーフで、ポケットにはポケットチーフをつけていらっしゃいました。そしてもちろん革靴。(これは女性もですけど)ジーンズは10代、20代前半の若者しかいません。それも一人の場合のみ。
レストランなどでもそうですが、重要視されるのは男性の格好で、きちんとした服装でしっかりと女性をエスコートするという姿勢が、お店での待遇で差が出ます。あえて言わせていただくと、日本人から見たら「気恥ずかしいぐらい」おしゃれをした男性。ぐらいがちょうどいいぐらいです。年配の男性のおしゃれというものを、今回のコンサートではたくさん見させていただきました。
これは日本人の、それも年配の男性にとってはかなり難しい問題でもあるのですけどね。
ペコリーノ
-
- ベームさん 2013/01/05 22:08:19
- 200冊達成、おめでとうございます。
- himmelさん、
200冊達成ならびに明けましておめでとうございます。登録日は私とあまり違わないのに大きく水をあけられました。私も頑張ります。と言っても旅行をしなければ書けません。
ヴィッテンベルクの旅行記はとても参考になります。駅の様子や(コインロッカーがあるとは、DBの時刻表ではロッカーなしとなっています)、駅から市街地までの道筋など。実は私も今年ヴィッテンベルクに行くことにしているのです。
ルターやメランヒトン、クラナハ、ルターが宗教改革運動を起こした経緯などの説明も簡にして要を得ていて私の旅行記にもそのまま使わせていただきたいくらいです。
次回からはベルリンですか。今年も楽しませていただきます。
ベーム
- frau.himmelさん からの返信 2013/01/06 16:07:23
- RE: 200冊達成、おめでとうございます。
- ベームさん
今年もよろしくお願いいたします。
どんなお正月を過ごされましたか。
私は、今まで撮りためたヨーロッパの録画や、皆さんの旅日記を拝見して次回の計画を立てていました。
> 200冊達成ならびに明けましておめでとうございます。登録日は私とあまり違わないのに大きく水をあけられました。私も頑張ります。と言っても旅行をしなければ書けません。
いえいえ私の旅行記がいたずらに長いだけです。
1回の旅行で50編くらい書かなければならないので、もう途中で息切れして…。
皆さんのように要領よくわかりやすく纏められないから始末におえません。
今年はそういう点を少し勉強しなければと思っています。
と、言いながらベルリン編はどう纏めればいいのか、今悩み中。
さて、ヴィッテンベルク、誉めていただいてありがとうございます。
実はあれも虎の巻が…、BSの録画です(笑)。
テレビでヨーロッパの風景を写していると、ものすごく行ってみたくなります。
今回も北ドイツに行きたいと思ったのは、フリードリヒの故郷、
シュトラールズントのすぐ下にあるグライフスヴァルトをBSで見たから。
それで旅行記を見ていたらベームさんもまさにそこにいらっしてる…。
それを見て、これはどうしても2,3泊しなければと。
ヒントをくださいましてどうもありがとうございます。
ベームさんは、計画のほう、随分進んでいらっしゃいますでしょう?
行きたいところは本当にいろいろありますね。
でもお互いに齢ですから、余り無理のない旅程にしませんとね。
himmel
-
- 迷子さん 2013/01/01 19:02:15
- また1つ、ドイツについてお勉強させて頂きました〜m(__)m
- 新年おめでとう御座います、今年もヨロシクです。
ウヮ!祝旅行記200冊目でもありましたね!(^^)!
frau.様の旅行記は
街歩きの御様子を追体験しちゃえるのと共に
ドイツの歴史も解説されていて
読んでいて愉しいですだ〜♪
宗教改革者を生んだ、ドイツの地と
当時の雰囲気も
クラナッハも同時代の人だったんすね。
美術には全く疎い迷子には、普通に画かれた絵を
縦に引き伸ばした様に見える?
スリム系の絵画としか認識出来ず〜(涙)
(なので寸詰まりデブ体型の迷子にはチョッピリ抵抗がぁ?!)
いよいよ、大好きなベルリン編も
始まるのですね?
こちらも大いに楽しみにしてますだ。
(今年は迷子もベルリンへ行ってみようかなと目論み中でやんす)
- frau.himmelさん からの返信 2013/01/02 10:49:52
- RE: また1つ、ドイツについてお勉強させて頂きました〜m(__)m
- 迷子さん こんにちは。
今年もよろしくお願いいたします。
朝の主婦の仕事を済ませて、パソコンの前に座るこの至福のひと時、
ここは平和でいいですね。
なんだかんだと投稿しているうちに200冊目になりました。
迷子さんのようなアイン・シュタイン(笑)の旅や、ドクロの旅、誰も行かない旅のようなそんなツウの旅は、私めにはとっても出来ません。
でも、それなりにテーマを持った旅の方が楽しいかなーと、心がけています。
それに旅ってとってもお値打ち(?)な趣味だと思いません?
1回の旅で、行く前に調査の時点で、現地で楽しんで、帰ってから旅行記作成で楽しむ。
私の場合、齢のせいでこの旅行記作成が一番時間を取られるのです。
1回で1年間楽しめますから、お得でしょう?(笑)。
それに写真を見ながら、何気なく撮った場面に大きな歴史が隠されていた、なんて知ったら、もうそれだけで大興奮、旅冥利に尽きます。
迷子さんの旅行記を拝見してても、同じ事を感じることがあります。
迷子さんは大体年に2回、旅をしてらっしゃるでしょう?
旅行記も大変ですね。
でもいろいろとお忙しいでしょうけど、次の旅行記待っていますよ。
りんご酒酒場にたどり着くのはいつかなー。
ベルリン旅行をお考え中!?
ぜひぜひ、お薦めします。奥が深いですよー。
実は私めも今年もベルリンに行くつもりです。
いろいろ調査中ですが、どこかに名アドヴァイザーいらっしゃらないかしら?
ではでは、またね。
-
- norisaさん 2012/12/31 12:51:15
- おめでとうございます!
- frau.himmelさん
大晦日の日に200号達成おめでとうございます!
その記録に感心しつつ、大掃除は大丈夫?とか雑念もわきます(爆)
平均的な旅行記と違い、解説が細やかで感心しています。
とても真似できません!
さて、マルティンルター、やはり偉人ですね。
でも免罪符ってウマイ商売考えたものですね、宗教家は!
古今東西、人間は見えない恐怖とご利益には弱いという証ですね。
あっというまの大晦日。
今年も大変お世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。
良いお年をお迎えになられますように!!
norisa
- frau.himmelさん からの返信 2013/01/01 12:47:19
- RE: ありがとうございます。
- norisaさん、こんにちは(新年のご挨拶をご遠慮させていただいてます)
昨年はつたない旅行記におつきあいくださいまして、また度々コメントをいただきましてありがとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
大晦日に200冊目を、
そうなんです。199号ではキリが悪いと思いまして。
お掃除もしなければならない、買い物も…、
でもこれが一番重要!とばかりに頑張りました。
一番とばっちりを食らったのが夫殿。
ブチブチいいながら大掃除をしていました。
norisaさんは、奥様の御手伝いなさいますか?
やさしいから何でも手伝ってくださるような雰囲気ですね。
私も夫には感謝しています。
一人で海外に行けるのも、夫が食事の支度やお掃除を厭わないから…。
感謝していますよ。夫さま!
(面と向かってはいえないので、この場を借りて エヘヘ)
himmel
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