ナクル湖国立公園周辺旅行記(ブログ) 一覧に戻る
遂に!アフリカの大地にやって来ました。<br />マドリード発14:55→ロンドン15:40着<br />(2時間のフライト  時差1時間で時計を1時間戻す。)<br />ヒスロー空港第一ターミナルから<br />第四ターミナルへバスで移動。<br />空港隣接のヒルトンホテルで目覚しをセットし<br />更にウエイクアップコールを依頼し爆睡。<br />同日22:20分発→   BA65便<br />ナイロビの国際空港には翌朝6:55着<br />時差2時間で時計を2時間進める。<br /><br />朝もやのナイロビの国際空港に満席のジャンボ機が<br />滑走路に滑り込んだ時機内に大勢乗り合わせていた<br />大学生のグループから拍手が沸き起こりました。<br />自分も心の中で拍手をしました。<br />この大地を踏むために夏の暑い日に<br />東京のケニア大使館へ日参したのだと感無量でした。<br /><br />バッケージクレームでベルトコンベアーから<br />流れてくる鞄に混じって大きな登山用のザックが<br />幾つも流れてきました。見ればガイドブックを<br />手にしたヨーロッパの若者が大勢いました。<br />キリマンジャロ登山?  いつか登ってみたいなぁ~。<br /><br />ナイロビの空港は、滑走路こそ草原の中に近い感じ<br />でしたが、ターミナルは想像していたよりずーっと<br />大きなものでした。考えてみれば、ナイロビは<br />ケニアの首都 ダウンタウンには高層ビルも建つ<br />大都会でした。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

アカデミー作品賞メリル・ストリープ&ロバート・レッドフォード主演「愛と哀しみの果て」ロケ地(ナクル湖国立公園へやって来た!)~ 世界一周堂航空券を手に

86いいね!

2002/09/13 - 2002/09/25

1位(同エリア78件中)

8

54

あの街から

あの街からさん

遂に!アフリカの大地にやって来ました。
マドリード発14:55→ロンドン15:40着
(2時間のフライト 時差1時間で時計を1時間戻す。)
ヒスロー空港第一ターミナルから
第四ターミナルへバスで移動。
空港隣接のヒルトンホテルで目覚しをセットし
更にウエイクアップコールを依頼し爆睡。
同日22:20分発→ BA65便
ナイロビの国際空港には翌朝6:55着
時差2時間で時計を2時間進める。

朝もやのナイロビの国際空港に満席のジャンボ機が
滑走路に滑り込んだ時機内に大勢乗り合わせていた
大学生のグループから拍手が沸き起こりました。
自分も心の中で拍手をしました。
この大地を踏むために夏の暑い日に
東京のケニア大使館へ日参したのだと感無量でした。

バッケージクレームでベルトコンベアーから
流れてくる鞄に混じって大きな登山用のザックが
幾つも流れてきました。見ればガイドブックを
手にしたヨーロッパの若者が大勢いました。
キリマンジャロ登山? いつか登ってみたいなぁ~。

ナイロビの空港は、滑走路こそ草原の中に近い感じ
でしたが、ターミナルは想像していたよりずーっと
大きなものでした。考えてみれば、ナイロビは
ケニアの首都 ダウンタウンには高層ビルも建つ
大都会でした。







旅行の満足度
4.0
観光
5.0
ホテル
5.0
同行者
一人旅
交通手段
徒歩 飛行機

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  • ワンワールドの航空券は、<br />「世界一周堂」のHPで知ったものですが<br />メールを送ったところ実際の売買は<br />大手旅行会社の窓口でということでした。<br />そこで、わたしはHISのとある支店で買うことにしました。ところが<br />当時その支店では「世界一周堂」の航空券を<br />初めて取扱うということもあって<br />ルートを決める際<br />H.I.Sとアメリカン航空と私との三者連絡で<br />種々の壁に出会い何度となくやり取りを持ちました。<br />(☆ワンワールド加盟の数社の航空会社を<br />使いましたがアメリカン航空が実質の<br />発行所となりました。)

    ワンワールドの航空券は、
    「世界一周堂」のHPで知ったものですが
    メールを送ったところ実際の売買は
    大手旅行会社の窓口でということでした。
    そこで、わたしはHISのとある支店で買うことにしました。ところが
    当時その支店では「世界一周堂」の航空券を
    初めて取扱うということもあって
    ルートを決める際
    H.I.Sとアメリカン航空と私との三者連絡で
    種々の壁に出会い何度となくやり取りを持ちました。
    (☆ワンワールド加盟の数社の航空会社を
    使いましたがアメリカン航空が実質の
    発行所となりました。)

  • それというのは<br />「世界一周堂」の航空券にはいろいろの規制があり<br />しかもコースによってケースバイケースとなる為<br />コースを提出してから<br />規定に合っているか回答が来るという<br />ものでした。<br />わたしが希望するコース計画書を<br />提出したところ<br />当初は受け入れてもらえた<br />コースが日本出発が迫った頃<br />(カナダ行きの前にネット状況調査を兼ねて別途単独<br />格安航空券で7月7日にアメリカに向け出発)<br />そのルートは使えないのでどうしても<br />(ケニア、ジンバブエ等)<br />その場所に行くのであれば別途手配とするか<br />もしくは、コースを変えて行くというものでした。<br /><br />当初、アフリカへはブリティッシュ航空で<br />ロンドンからナイロビへ飛ぶコースが<br />すんなり通っていたのですが、ある日<br />届いたFAXに<br />「ナイロビーロンドン間を調べてみた<br />ところ大変重大なことが分かりました。<br />ヨーロッパに入る時にはガーナか<br />ナイジェリアに必ず入るフライトしか<br />使えない」」旨でした。<br />ガーナやナイジェリア経由ではこの後<br />の帰国時迄決まっていたルートに<br />乗せることは不可能に近いことでした。<br /><br />☆地球を東回りでコースを取るルートを選択し<br />順次ルートを決めイグアスの滝へのコースを<br />別途手配でやっと乗り切った後のFaxでした。<br />《世界一周堂のコース規定の重要な1点として、出発地点から地球を東か西どちらか一方回りで進み逆走はできない。とういのがありました。》<br /><br />☆何度かの3者の話し合いで<br /> ロンドンからナイロビは使えることに<br /> ただし、ナイロビからヨハネスブルグ<br />(ビクトリアの滝へ向かう途中の経由地)<br /> 間は別途手配とすることで折り合いがつきました。<br /><br /> <br />

    それというのは
    「世界一周堂」の航空券にはいろいろの規制があり
    しかもコースによってケースバイケースとなる為
    コースを提出してから
    規定に合っているか回答が来るという
    ものでした。
    わたしが希望するコース計画書を
    提出したところ
    当初は受け入れてもらえた
    コースが日本出発が迫った頃
    (カナダ行きの前にネット状況調査を兼ねて別途単独
    格安航空券で7月7日にアメリカに向け出発)
    そのルートは使えないのでどうしても
    (ケニア、ジンバブエ等)
    その場所に行くのであれば別途手配とするか
    もしくは、コースを変えて行くというものでした。

    当初、アフリカへはブリティッシュ航空で
    ロンドンからナイロビへ飛ぶコースが
    すんなり通っていたのですが、ある日
    届いたFAXに
    「ナイロビーロンドン間を調べてみた
    ところ大変重大なことが分かりました。
    ヨーロッパに入る時にはガーナか
    ナイジェリアに必ず入るフライトしか
    使えない」」旨でした。
    ガーナやナイジェリア経由ではこの後
    の帰国時迄決まっていたルートに
    乗せることは不可能に近いことでした。

    ☆地球を東回りでコースを取るルートを選択し
    順次ルートを決めイグアスの滝へのコースを
    別途手配でやっと乗り切った後のFaxでした。
    《世界一周堂のコース規定の重要な1点として、出発地点から地球を東か西どちらか一方回りで進み逆走はできない。とういのがありました。》

    ☆何度かの3者の話し合いで
     ロンドンからナイロビは使えることに
     ただし、ナイロビからヨハネスブルグ
    (ビクトリアの滝へ向かう途中の経由地)
     間は別途手配とすることで折り合いがつきました。

     

  • 出発が迫ったころAA航空から直接入ったFax。<br />いろいろ有ってやっと航空券が出来てくる日<br />「発券課へ依頼したところ旅程が20箇所以上<br />あるため自動発券が出来ないとのことでお届けが<br />遅れます。」旨(汗)でした。<br /><br />後日、航空券は日比谷のAA航空東京支社に<br />直接出向いて手渡しを受けました。<br />種々の注意事項や特典?活用方法等説明を受けた後<br />AAの方が手書きの航空券を手渡しながら<br />「有効期間が1年あるとはいえ、こんなに沢山の乗降をした方は初めてです。<br />どうぞ楽しんで来てください。」と言って渡してくれました。<br />厚さ1Cm以上にもなった航空券の綴りを<br />受取つた時には 遂にと感激しました。<br /><br />☆Eチケットが出来る前でしたので<br /> パスポート同様貴重品として持ち運び<br /> も大変でした。<br /><br />《「この旅」連絡は、ほとんどのものは<br />    自宅のFaxとしていました。<br />     画像は、やり取りしたFaxのごく一部》<br /> <br />☆「イグアス編」にも資料画像を添付しました。(後日、加えました。)

    出発が迫ったころAA航空から直接入ったFax。
    いろいろ有ってやっと航空券が出来てくる日
    「発券課へ依頼したところ旅程が20箇所以上
    あるため自動発券が出来ないとのことでお届けが
    遅れます。」旨(汗)でした。

    後日、航空券は日比谷のAA航空東京支社に
    直接出向いて手渡しを受けました。
    種々の注意事項や特典?活用方法等説明を受けた後
    AAの方が手書きの航空券を手渡しながら
    「有効期間が1年あるとはいえ、こんなに沢山の乗降をした方は初めてです。
    どうぞ楽しんで来てください。」と言って渡してくれました。
    厚さ1Cm以上にもなった航空券の綴りを
    受取つた時には 遂にと感激しました。

    ☆Eチケットが出来る前でしたので
     パスポート同様貴重品として持ち運び
     も大変でした。

    《「この旅」連絡は、ほとんどのものは
    自宅のFaxとしていました。
    画像は、やり取りしたFaxのごく一部》
     
    ☆「イグアス編」にも資料画像を添付しました。(後日、加えました。)

  • 「ナクル湖」と「マサイ」に行く為には<br />どうしてもナイロビを起点としなければなりませんでした。<br />ところが、地球の歩き方「東アフリカ」編によれば<br />〈本来ならいろいろ紹介して歩いてもらいたいのだが<br />ナイロビの治安は著しく悪化している為決してふらふら歩かないでほしい。<br />特にダウンタウンは危険が伴い<br />いつ どこで強盗や殺人事件が起こってもまったく<br />不思議ではない。〉と記載されている。<br /><br />旅先を決める際どぅーしょうか?と迷った所だった。<br />しかし、ガイドブックが発売されている以上何とか<br />行く手はあるはずだ。と、思いついたのが、ガイト<br />を付けて案内してもらう方法だった。<br /><br />結果、ナイロビエリアは今回の旅で一番出費のかかる所となった。<br /><br />

    「ナクル湖」と「マサイ」に行く為には
    どうしてもナイロビを起点としなければなりませんでした。
    ところが、地球の歩き方「東アフリカ」編によれば
    〈本来ならいろいろ紹介して歩いてもらいたいのだが
    ナイロビの治安は著しく悪化している為決してふらふら歩かないでほしい。
    特にダウンタウンは危険が伴い
    いつ どこで強盗や殺人事件が起こってもまったく
    不思議ではない。〉と記載されている。

    旅先を決める際どぅーしょうか?と迷った所だった。
    しかし、ガイドブックが発売されている以上何とか
    行く手はあるはずだ。と、思いついたのが、ガイト
    を付けて案内してもらう方法だった。

    結果、ナイロビエリアは今回の旅で一番出費のかかる所となった。

  • ☆資料画像<br />自作の全日程表をはじめとして<br />ホテルのバウチャー、現地ツアー<br />各種 連絡Fax&amp;メール綴り等<br />世界一周の旅での関係書類は<br />ファイル3冊にもなりました。<br /><br />当時の最新のノートパソコンを持参したのですが<br />万が一のダメージの予防策として各種書類は<br />コピーを持参しましたが、各国の「地球の歩き方」<br />と合わせ結構な重さになってしまいました。<br />I padやウェイブ保存が可能となった今では<br />汗と笑の産物となりました。

    ☆資料画像
    自作の全日程表をはじめとして
    ホテルのバウチャー、現地ツアー
    各種 連絡Fax&メール綴り等
    世界一周の旅での関係書類は
    ファイル3冊にもなりました。

    当時の最新のノートパソコンを持参したのですが
    万が一のダメージの予防策として各種書類は
    コピーを持参しましたが、各国の「地球の歩き方」
    と合わせ結構な重さになってしまいました。
    I padやウェイブ保存が可能となった今では
    汗と笑の産物となりました。

  • ☆資料画像<br />「ケニア」ビザ申請書<br />東京の大使館で直接提出。<br />申請料は、ケニア 6,000円で<br />ブラジルが4,250円でした。<br />旅行代理店を通すと倍以上の金額提示がありました。(汗)<br /><br />

    ☆資料画像
    「ケニア」ビザ申請書
    東京の大使館で直接提出。
    申請料は、ケニア 6,000円で
    ブラジルが4,250円でした。
    旅行代理店を通すと倍以上の金額提示がありました。(汗)

  • ☆資料画像<br />「予防接種関係」<br />検疫所で黄熱病等数種類を接種しました。<br /><br />予め電話をして聞いておいた検疫所に行って<br />「中南米とアフリカをぐるり回ってきます。」<br />と言ったら <br />「こちらへ」と個室に案内され(汗)ました。<br />通された部屋に4〜50代位?の白衣を着た女性が<br />机の前の椅子に座っていました。<br />挨拶を済ませ渡された名刺から副所長と分かりました。<br />副所長は、沢山の未開の地へ仕事で行き多種の<br />病気と立ち会ってきたと話し<br />義務化されている予防接種は最低限のこと。<br />テング熱のように予防薬は発見されていないものもありますが<br />破傷風、狂犬病等の接種がいかに必要かを懇々と説明してくれました。<br />また、テング熱についてやマラリアの症状と<br />予防薬等の対処法等も<br />わたしにも理解できる様に丁寧に教えてくれました。<br />

    ☆資料画像
    「予防接種関係」
    検疫所で黄熱病等数種類を接種しました。

    予め電話をして聞いておいた検疫所に行って
    「中南米とアフリカをぐるり回ってきます。」
    と言ったら
    「こちらへ」と個室に案内され(汗)ました。
    通された部屋に4〜50代位?の白衣を着た女性が
    机の前の椅子に座っていました。
    挨拶を済ませ渡された名刺から副所長と分かりました。
    副所長は、沢山の未開の地へ仕事で行き多種の
    病気と立ち会ってきたと話し
    義務化されている予防接種は最低限のこと。
    テング熱のように予防薬は発見されていないものもありますが
    破傷風、狂犬病等の接種がいかに必要かを懇々と説明してくれました。
    また、テング熱についてやマラリアの症状と
    予防薬等の対処法等も
    わたしにも理解できる様に丁寧に教えてくれました。

  • 接種料金を参考の為に書いておきます。<br /><br />黄熱病4,260円・破傷風4,330円<br />A型肝炎は1回8,000円で2回接種<br />この他に、狂犬病等<br />接種には、日にちの間隔を空けて<br />種別によって検疫所と国立病院へ<br />行って接種する等 時間とお金もかかりましたが<br />安心の為の保険料ですし 必須要件でした。<br /><br />

    接種料金を参考の為に書いておきます。

    黄熱病4,260円・破傷風4,330円
    A型肝炎は1回8,000円で2回接種
    この他に、狂犬病等
    接種には、日にちの間隔を空けて
    種別によって検疫所と国立病院へ
    行って接種する等 時間とお金もかかりましたが
    安心の為の保険料ですし 必須要件でした。

  • ナクル湖国立公園をアレンジを依頼したのは<br />日系の現地観光会社「Afro Space」。<br />日本からメールのやり取りで打合せの通り<br />ナイロビ国際空港の到着ロビー口に<br />〈あの街からさま/アフロスペース〉と<br />書いた紙を持ったガイト兼ドライバーの<br />スティーブが待っていてくれた。<br /><br />空港内の駐車場でスティーブの車を見て<br />びっくり、何とイースター島でレンタルした<br />日本車Suzuki の四輪駆動のサムライだった。<br />スティーブから早速 注意事項を言い渡された。<br />「ナイロビ  ベアリーデンジャラス。<br />ノービデオ、ノーカメラ 車の扉と窓はロックして<br />閉めてください。<br />ここで、ビデオ撮したら皆んな寄ってきて<br />マネー  マネー  ペイ  ペイと<br />とり囲まれてしまいます。」<br />

    ナクル湖国立公園をアレンジを依頼したのは
    日系の現地観光会社「Afro Space」。
    日本からメールのやり取りで打合せの通り
    ナイロビ国際空港の到着ロビー口に
    〈あの街からさま/アフロスペース〉と
    書いた紙を持ったガイト兼ドライバーの
    スティーブが待っていてくれた。

    空港内の駐車場でスティーブの車を見て
    びっくり、何とイースター島でレンタルした
    日本車Suzuki の四輪駆動のサムライだった。
    スティーブから早速 注意事項を言い渡された。
    「ナイロビ ベアリーデンジャラス。
    ノービデオ、ノーカメラ 車の扉と窓はロックして
    閉めてください。
    ここで、ビデオ撮したら皆んな寄ってきて
    マネー マネー ペイ ペイと
    とり囲まれてしまいます。」

  • ナイロビから車で西へ3時間程走った所が<br />「ナクル湖国立公園」(世界遺産)だ。<br /><br />いざ、ナイロビを出発。街道沿いには<br />英語の看板が立ち並んでいる。<br />ここはかって英国の植民地英語圏なのだ<br />と実感した。<br />街の中心部と思われる所でも<br />あちらこちらにゴミがちらかっている。<br />これは、この旅で経験からしても治安の良くないエリアらしい。<br />人口密度がかなり高そうだ。 <br />往来には人がいっぱ〜い   いっぱ〜い  いるのだ。<br /><br />やがて車は舗装された街道に入った。<br />「もう窓を開けてもダイジョーブ」とスティーブ。<br />視界には、アフリカの広大な大地がひろがっている。<br />やがてスティーブは<br />見晴らしの良い丘に車を停めた。<br />そこがグレート・リフトバレー(大地溝帯)だった。<br />☆大地溝帯とは地球の大地が右と左に裂けてゆく所。<br />    およそ1000万年〜500万年前から裂け始まった<br />    とされており、現在も裂け続けていて  <br />    このまま進めばアフリカ大陸は<br />     数十万年〜数百万年後には分裂すると<br />     考えられています。<br /><br />      遂にアフリカにやって来たのだとここでも実感させられた。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

    ナイロビから車で西へ3時間程走った所が
    「ナクル湖国立公園」(世界遺産)だ。

    いざ、ナイロビを出発。街道沿いには
    英語の看板が立ち並んでいる。
    ここはかって英国の植民地英語圏なのだ
    と実感した。
    街の中心部と思われる所でも
    あちらこちらにゴミがちらかっている。
    これは、この旅で経験からしても治安の良くないエリアらしい。
    人口密度がかなり高そうだ。
    往来には人がいっぱ〜い いっぱ〜い いるのだ。

    やがて車は舗装された街道に入った。
    「もう窓を開けてもダイジョーブ」とスティーブ。
    視界には、アフリカの広大な大地がひろがっている。
    やがてスティーブは
    見晴らしの良い丘に車を停めた。
    そこがグレート・リフトバレー(大地溝帯)だった。
    ☆大地溝帯とは地球の大地が右と左に裂けてゆく所。
    およそ1000万年〜500万年前から裂け始まった
    とされており、現在も裂け続けていて
    このまま進めばアフリカ大陸は
    数十万年〜数百万年後には分裂すると
    考えられています。

    遂にアフリカにやって来たのだとここでも実感させられた。






  • 車はA104(街道)をナクル湖国立公園を<br />目指してひた走る。<br />いつの間にか見るからに年季の入った<br />大型トラックが 次々と 黒い煙をモクモクと<br />撒き散らしながら通り過ぎて行く。<br />エアコンなんて装備していないサムライは<br />窓をフルオープン。排気ガスの容赦ない応酬には<br />ほとほど参った。<br />   ところが、街道沿いには  所在なげに座り込んでいる<br />沢山の人が居る。  どの人を見ても大型トラックから<br />噴出される排気ガスを頭から浴びても苦ともしていないようだ。<br />「おぉーい  病気になるぜ」と叫びたかった。<br /><br />途中、数ヶ所の市場を通った。<br />果物・衣料品・雑貨   そこには、ありとあらゆる物が並んでいた。<br />圧倒される程の人の群れ。市場の立つその直ぐ後ろには<br />これまで見たこともない粗末なバラックの住宅が<br />折り重なる様に密集してならんでいる。<br />一目見て、衛生状態は日本では考えられない状況だ。<br />声高らかに売込みをしている人。ぼーっと座り込んでいる人。<br />頭に物を載せて運んでいる人。様々な人たちでにぎわっていた。<br /><br />市場とは別に街道筋では白い羊?の毛皮や日本では<br />デパ地下の高級果実売り場は置いてあるくだものが<br />無造作に積み重ねて売る店が何ヶ所もあった。

    車はA104(街道)をナクル湖国立公園を
    目指してひた走る。
    いつの間にか見るからに年季の入った
    大型トラックが 次々と 黒い煙をモクモクと
    撒き散らしながら通り過ぎて行く。
    エアコンなんて装備していないサムライは
    窓をフルオープン。排気ガスの容赦ない応酬には
    ほとほど参った。
    ところが、街道沿いには 所在なげに座り込んでいる
    沢山の人が居る。 どの人を見ても大型トラックから
    噴出される排気ガスを頭から浴びても苦ともしていないようだ。
    「おぉーい 病気になるぜ」と叫びたかった。

    途中、数ヶ所の市場を通った。
    果物・衣料品・雑貨 そこには、ありとあらゆる物が並んでいた。
    圧倒される程の人の群れ。市場の立つその直ぐ後ろには
    これまで見たこともない粗末なバラックの住宅が
    折り重なる様に密集してならんでいる。
    一目見て、衛生状態は日本では考えられない状況だ。
    声高らかに売込みをしている人。ぼーっと座り込んでいる人。
    頭に物を載せて運んでいる人。様々な人たちでにぎわっていた。

    市場とは別に街道筋では白い羊?の毛皮や日本では
    デパ地下の高級果実売り場は置いてあるくだものが
    無造作に積み重ねて売る店が何ヶ所もあった。

  • スティーブは陽気で、スワヒリ語と英語を使い分けながら<br />いろいろ話しかけてくる。<br />「日本の車ベスト。××の車ダメね。」「ホワイ?」<br />「日本車  故障しても  パーツ全部そろっている。<br />いつでも直してくれる。いつまーでも乗れる。」<br />そう言えば、空港近くにTOYOTAの大きな店舗があった。<br /><br />そうこうしている間に車は「ナクル湖国立公園」に着いた。<br />ゲートからいよいよ入園した。<br />

    スティーブは陽気で、スワヒリ語と英語を使い分けながら
    いろいろ話しかけてくる。
    「日本の車ベスト。××の車ダメね。」「ホワイ?」
    「日本車 故障しても パーツ全部そろっている。
    いつでも直してくれる。いつまーでも乗れる。」
    そう言えば、空港近くにTOYOTAの大きな店舗があった。

    そうこうしている間に車は「ナクル湖国立公園」に着いた。
    ゲートからいよいよ入園した。

  • スティーブは草原の彼方を指さし<br />「ゼブラ  ゼブラ」と叫んだ。<br /><br />一瞬  わたしは、ボールペン??<br />あっ  そうか!  縞馬かぁ  とガッテン。

    スティーブは草原の彼方を指さし
    「ゼブラ ゼブラ」と叫んだ。

    一瞬 わたしは、ボールペン??
    あっ そうか! 縞馬かぁ とガッテン。

  • 白と黒の縦じまが綺麗だった。

    白と黒の縦じまが綺麗だった。

  • アフリカ大陸で最初の宿は<br />ナクル湖国立公園内にある<br />『サロバ ライオン ヒルロッジ<br />      (Sarova Lion Hill Lodge)』<br />ナクル湖を見下ろす丘に建つロッジだった。<br /><br />☆このロッジのネーミング<br />   「ライオンヒル・ロッジ」は<br />    映画『愛と哀しみの果て』にライオンの夫婦?が<br />     やって来るサバンナを見渡す丘が重要なシーンに<br />     登場するのですが、恐らく(勝手な推測です。笑)<br />     そこから  付けた名前のように思われます。<br />     このロッジも丁度草原を見渡す丘のうえに在ります。<br /><br />レセプションやレストランのある棟を囲む様に<br />コテージがある。もちろんTVや電話等文明の力は<br />いっさいなく真っ白なシーツのベットが心地良く<br />原色の花々と緑のコントラストが美しい庭に囲まれている<br />まさに映画に出て来そうな素敵なロッジだった。<br /><br />

    アフリカ大陸で最初の宿は
    ナクル湖国立公園内にある
    『サロバ ライオン ヒルロッジ
    (Sarova Lion Hill Lodge)』
    ナクル湖を見下ろす丘に建つロッジだった。

    ☆このロッジのネーミング
    「ライオンヒル・ロッジ」は
    映画『愛と哀しみの果て』にライオンの夫婦?が
    やって来るサバンナを見渡す丘が重要なシーンに
    登場するのですが、恐らく(勝手な推測です。笑)
    そこから 付けた名前のように思われます。
    このロッジも丁度草原を見渡す丘のうえに在ります。

    レセプションやレストランのある棟を囲む様に
    コテージがある。もちろんTVや電話等文明の力は
    いっさいなく真っ白なシーツのベットが心地良く
    原色の花々と緑のコントラストが美しい庭に囲まれている
    まさに映画に出て来そうな素敵なロッジだった。

  • ダイニングルームでランチをし<br />その後、<br />日没近くまで午後のゲームドライブに出た。<br />(☆サバンナを車で駆け巡るドライブだ。)<br /><br /><br /><br /><br />

    ダイニングルームでランチをし
    その後、
    日没近くまで午後のゲームドライブに出た。
    (☆サバンナを車で駆け巡るドライブだ。)




  • インパラの群れ。<br />鹿によく似ている。

    インパラの群れ。
    鹿によく似ている。

  • 白サイ。<br />ケニアにおいては、密猟で一度<br />絶滅したが南アから移植し保護した<br />結果 増加しつつあるということだった。<br /><br /><br /><br /><br />

    白サイ。
    ケニアにおいては、密猟で一度
    絶滅したが南アから移植し保護した
    結果 増加しつつあるということだった。




  • まだまだ、ケニアでも珍しく<br />この白サイは愛称がついた人気もの<br />という事をこの後向かう<br />「ムパタ・サファリ・クラブ」のガイトさん<br />から「見ることが出来てラッキーでしたね。<br />なにしろ、広い公園をノソノソと彷徨ながら<br />住んでいますから」と教えてもらった。<br />

    まだまだ、ケニアでも珍しく
    この白サイは愛称がついた人気もの
    という事をこの後向かう
    「ムパタ・サファリ・クラブ」のガイトさん
    から「見ることが出来てラッキーでしたね。
    なにしろ、広い公園をノソノソと彷徨ながら
    住んでいますから」と教えてもらった。

  • アフリカには数多くの<br />野生動物の保護区があるが<br />タンザニアのマウンテンゴリラの様に<br />動物の生態によって生息地がことなり<br />隣り合わせの保護区でも居たり<br />居なかったりする。

    アフリカには数多くの
    野生動物の保護区があるが
    タンザニアのマウンテンゴリラの様に
    動物の生態によって生息地がことなり
    隣り合わせの保護区でも居たり
    居なかったりする。

  • 中には、ヌーの様に大きな群れを作り<br />食料となる草を求めて<br />大移動をする動物もいる。<br />

    中には、ヌーの様に大きな群れを作り
    食料となる草を求めて
    大移動をする動物もいる。

  • 丘の上に建つとはいえ周りは<br />野生動物の楽園。<br />陽が沈むころからはコテージの中まで<br />動物の遠吠えが聞こえてくる。<br />あぁ〜ここはアフリカだぁ。<br /><br />コテージの周りには有刺鉄線が張り巡らされている。 <br />闇の中に野生動物の目があちらこちらで光っていた。<br />有刺鉄線に守られているとはいえ(冷や汗)。<br />

    丘の上に建つとはいえ周りは
    野生動物の楽園。
    陽が沈むころからはコテージの中まで
    動物の遠吠えが聞こえてくる。
    あぁ〜ここはアフリカだぁ。

    コテージの周りには有刺鉄線が張り巡らされている。 
    闇の中に野生動物の目があちらこちらで光っていた。
    有刺鉄線に守られているとはいえ(冷や汗)。

  • 朝になるとダイニングルームでは<br />スタッフが「ジャンボ」と笑顔で迎えてくれる。<br />その場で、希望のタマゴ料理を作ってくれたり<br />都会の朝食と変わらぬメニューだった。<br />

    朝になるとダイニングルームでは
    スタッフが「ジャンボ」と笑顔で迎えてくれる。
    その場で、希望のタマゴ料理を作ってくれたり
    都会の朝食と変わらぬメニューだった。

  • 朝食が終ったころナイロビから<br />スティーブが迎えに来てくれ<br />午前のゲームドライブに出発した。

    朝食が終ったころナイロビから
    スティーブが迎えに来てくれ
    午前のゲームドライブに出発した。

  • ここ(ナクル湖国立公園)に行ってみたい<br />と思ったのは、ズバリ映画の影響だった。<br />その映画とは<br />メルリ・ストリープ&amp;ロバート・レッドフォード主演<br />名匠シドニー・ポラック製作,監督作品<br />『愛と哀しみの果て』という邦題がついた<br />アイザック・ディネーセン原作の<br />「Out  Of  Africa」を映画化した作品だ。<br /><br />監督のシドニー・ポラックは、この他に<br />バーバラ・ストレイザンド主演「追憶」や<br />トム・クルーズ主演「ザ・ファーム 法律事務所」<br />を監督した。<br /><br />☆画像は映画「愛と哀しみの果て」のパンフレット<br />と原作翻訳本「アフリカの日々」(晶文社刊・横山貞子訳)

    ここ(ナクル湖国立公園)に行ってみたい
    と思ったのは、ズバリ映画の影響だった。
    その映画とは
    メルリ・ストリープ&ロバート・レッドフォード主演
    名匠シドニー・ポラック製作,監督作品
    『愛と哀しみの果て』という邦題がついた
    アイザック・ディネーセン原作の
    「Out Of Africa」を映画化した作品だ。

    監督のシドニー・ポラックは、この他に
    バーバラ・ストレイザンド主演「追憶」や
    トム・クルーズ主演「ザ・ファーム 法律事務所」
    を監督した。

    ☆画像は映画「愛と哀しみの果て」のパンフレット
    と原作翻訳本「アフリカの日々」(晶文社刊・横山貞子訳)

  • 原作者のアイザック・ディネーセンは<br />デンマークの名家ディネーセン家に生まれ<br />スエーデンの貴族と結婚。男爵夫人となり<br />1914年夫婦でアフリカに渡り<br />ケニアで珈琲農園を経営。紆余曲折があって<br />アフリカを去りゆく日まで18年間<br />農園の女主人として生きた。<br />アフリカを去ってから男の名で<br />この「アフリカの日々」を発表し<br />自伝小説の最高傑作と謳われることとなった。<br /><br />☆ 原作本の著者について参照とした。<br />

    原作者のアイザック・ディネーセンは
    デンマークの名家ディネーセン家に生まれ
    スエーデンの貴族と結婚。男爵夫人となり
    1914年夫婦でアフリカに渡り
    ケニアで珈琲農園を経営。紆余曲折があって
    アフリカを去りゆく日まで18年間
    農園の女主人として生きた。
    アフリカを去ってから男の名で
    この「アフリカの日々」を発表し
    自伝小説の最高傑作と謳われることとなった。

    ☆ 原作本の著者について参照とした。

  • 映画のパンフレットには映画評論家の<br />小藤田千栄子氏が女性映画を正攻法で<br />描いた作品である。と紹介文を載せた。<br />今では、ことさら女性映画という言い方は<br />使わなくなったが、当時 フェミズムが<br />盛り上がりをみせていた頃にタイミング良く公開された作品であった。

    映画のパンフレットには映画評論家の
    小藤田千栄子氏が女性映画を正攻法で
    描いた作品である。と紹介文を載せた。
    今では、ことさら女性映画という言い方は
    使わなくなったが、当時 フェミズムが
    盛り上がりをみせていた頃にタイミング良く公開された作品であった。

  • 好きなシーンが沢山詰まった作品だった。<br />草原の上を2人乗りのセスナ機で飛ぶ<br />群れをなして駆けて行く野生動物。<br />やがてセスナ機はピンクのフラミンゴが遊ぶ<br />湖の上に。<br />あぁ  こんな所があるんだ  行ってみたいなぁ〜 と。<br /><br />もう一ヶ所忘れられないシーンがあった。<br />赤々と燃えさかる暖炉の前で、男爵夫妻と<br />レッド・フォード扮する客人がスコッチを<br />飲みながら話しをする。<br />話題としたのが<br />〜最初に話す人が思いつきで創造した物語を数行話す。<br />それを受けて次の人が<br />思いつきで話をつないで行く。<br />夜が更けるまで延々と。<br /><br />このシーンを観て当時、男女半々5〜6人の<br />飲み会の時やってみた。<br />次の人はどんな展開に話しを持って行くのか?  <br />お互いの持つイマジネーションの豊かさ質量<br />がキラリと出てくる<br />スリリングで楽しい飲み会となった。<br /><br />

    好きなシーンが沢山詰まった作品だった。
    草原の上を2人乗りのセスナ機で飛ぶ
    群れをなして駆けて行く野生動物。
    やがてセスナ機はピンクのフラミンゴが遊ぶ
    湖の上に。
    あぁ こんな所があるんだ 行ってみたいなぁ〜 と。

    もう一ヶ所忘れられないシーンがあった。
    赤々と燃えさかる暖炉の前で、男爵夫妻と
    レッド・フォード扮する客人がスコッチを
    飲みながら話しをする。
    話題としたのが
    〜最初に話す人が思いつきで創造した物語を数行話す。
    それを受けて次の人が
    思いつきで話をつないで行く。
    夜が更けるまで延々と。

    このシーンを観て当時、男女半々5〜6人の
    飲み会の時やってみた。
    次の人はどんな展開に話しを持って行くのか?
    お互いの持つイマジネーションの豊かさ質量
    がキラリと出てくる
    スリリングで楽しい飲み会となった。

  • ☆画像は映画「愛と哀しみの果て」<br />サウンド・トラックCD<br /><br />   アフリカの広大な草原(サバンナ)を<br />渡る乾いた風や野生動物とそこで暮らす <br />主人公をシーンごとに♪化。<br /><br />   この♪メロディー ♪が、<br />    あのジェムス・ボンドシリーズの作曲家<br />   全編ジョン・バリーのオリジナルスコアー<br />   だというのだから<br />   彼のイメージの世界は変幻自在  <br />    素晴らしい。<br />     ☆   珈琲タイムの癒しの♪にもいいですよ。

    ☆画像は映画「愛と哀しみの果て」
    サウンド・トラックCD

    アフリカの広大な草原(サバンナ)を
    渡る乾いた風や野生動物とそこで暮らす
    主人公をシーンごとに♪化。

    この♪メロディー ♪が、
    あのジェムス・ボンドシリーズの作曲家
    全編ジョン・バリーのオリジナルスコアー
    だというのだから
    彼のイメージの世界は変幻自在
    素晴らしい。
    ☆ 珈琲タイムの癒しの♪にもいいですよ。

  • これが あのピンクのフラミンゴかと<br />ただ ただ感激した。

    これが あのピンクのフラミンゴかと
    ただ ただ感激した。

  • フラミンゴばかりかと思ったら<br />白い翼のペリカンも優雅に飛んでいた。<br /><br />ここでも、カメラよりビデオを回し<br />続けていた。<br />やはり、動画も機会をみて始めようかなぁと<br />アフリカ編に入ってから思うようになってきた。

    フラミンゴばかりかと思ったら
    白い翼のペリカンも優雅に飛んでいた。

    ここでも、カメラよりビデオを回し
    続けていた。
    やはり、動画も機会をみて始めようかなぁと
    アフリカ編に入ってから思うようになってきた。

  • ナクル湖には、数十万から100万羽を<br />超えるフラミンゴが集まってくるという。

    ナクル湖には、数十万から100万羽を
    超えるフラミンゴが集まってくるという。

  • 今思い返してもみても 映画のあのシーン<br />当時はCGも今とは比べものにならず<br />実写で撮るのだから凄いの一言だった。

    今思い返してもみても 映画のあのシーン
    当時はCGも今とは比べものにならず
    実写で撮るのだから凄いの一言だった。

  • 湖面から離れた所で<br />鳥獣の死肉を狙っていた。

    湖面から離れた所で
    鳥獣の死肉を狙っていた。

  • ナクル湖には到着したその日の夕方と<br />翌日は朝からからナイロビへ戻るまで<br />滞在中できる限り訪れた。<br />

    ナクル湖には到着したその日の夕方と
    翌日は朝からからナイロビへ戻るまで
    滞在中できる限り訪れた。

  • 映画の様に一斉に翔び立つ姿は<br />見られなかったが本当に数え切れない程の<br />フラミンゴに圧倒された。

    映画の様に一斉に翔び立つ姿は
    見られなかったが本当に数え切れない程の
    フラミンゴに圧倒された。

  • スティーブは、ナクル湖を去る前に<br />もう一度とせがんだ私の気持ちを汲んで<br />ゲームドライブを早々に切り上げて湖畔に<br />連れていってくれた。<br />わたしを湖水のそばで降ろすと<br />車を遠く離れた所へ移動し<br />わたしを一人にしてくれた。<br /><br />しばし、立ち止まって動かない私に<br />「メニイ  メニイ  フラミンゴ<br />ベアリービューティフル  サヨナラね。」<br />と優しく促してくれた。

    スティーブは、ナクル湖を去る前に
    もう一度とせがんだ私の気持ちを汲んで
    ゲームドライブを早々に切り上げて湖畔に
    連れていってくれた。
    わたしを湖水のそばで降ろすと
    車を遠く離れた所へ移動し
    わたしを一人にしてくれた。

    しばし、立ち止まって動かない私に
    「メニイ メニイ フラミンゴ
    ベアリービューティフル サヨナラね。」
    と優しく促してくれた。

  • ナクル湖で一泊をしただけでナイロビにとんぼ返り<br />15:00にはヒルトンホテルにチェックインした。<br />せっかくナイロビまでやって来たのに<br />ホテルの部屋だけの籠の鳥ではつまらないので<br />歩き廻るのはホテルの周りだけ<br />陽の沈む前迄には戻ってくると<br />自分に言い聞かせ小銭とホテルカードだけ<br />ポケットに押し込んで街に飛び出した。<br /><br />ホテルの裏側の広場はバスターミナルになっていた。<br />大勢の人が待っていた。やがてバスが来た。すると<br />ドアの無い前後の入口に人が殺到した。<br />老人や幼子優先なんてここには存在しない。<br />あっと言う間のことだった。<br /><br />歩き続けた。何処も 沢山の人・人・人!  <br /> 殆ど99、9%がアフリカの地元の人。<br />その中にあって 頬に赤い紅らしきものを付けた人た<br />インド人を一人だけ見かけた。<br />(後日、ムパタのKさんから聞いた話では、<br />ナイロビには、インドからの移住者が大勢住んでいて<br />今は二世三世の時代になっているらしい。<br />そして、これらの人々は事業で<br />成功した裕福な人たちということだった。)<br /><br />ポリスカーもあちこちに止まっているし<br />やや緊張しつつもなをも歩き続けた。<br />回りの人々から痛い程の視線を感じた。<br /><br />レゲエのようなリズムで大きな音が聞こえてきた。<br />ストリートミュージシャンが演奏していた。<br />回りには何重もの人垣。<br />背伸びをして しばし聴いていた。<br />路上では、くだもの、新聞、みやげ物 等<br />所狭しと並んでいて別段他の都市と違っている<br />ようには見うけられなかった。<br /><br />商店街に入った。立ち止まらずに歩きながら<br />よく見て見るとなるほど、ほとんどの商店は<br />鉄格子を下ろしながら営業している。<br />高価な商品を扱う店先には<br />セキュリティーが立っていた。<br />木製のキリンがショーウインドに飾られている<br />お土産屋に入ろうとした。<br />入口には鎖の鍵がかかっていて<br />「ジャンボ」と言うとセキュリティーが<br />鍵を開けてくれた。店内に入って驚いた。<br />街中では見かけなかった欧米人の<br />お客が大勢  品定めをしていた。<br />(彼等は車でやって来て地下の駐車場から店内へ入ってきたのだった。)<br /><br />幼い子供連れの路上者が  子供に目配せをした。<br />子供が私に寄ってくる。 <br />ホテルの周り2ブロック四方<br />歩いて何人の幼い子供が寄ってきただろう。<br />「お金を稼ぐってそんなことをすることでは<br />ないんだよ」と心の中で叫んだ。<br />生きるため  幼い子供の立位置では・・<br />それもよくわかるので、<br />なんとも し難い    <br />せ・つ・な・い<br />思いに襲われた。  <br />かわいそうだが無視続けた。<br />旅先で ストリートミュージシャン以外には<br />お金を出さないこととしている。<br />音楽が好きなせいかストリートミュージシャンは<br />労働行為と思っているのだ。<br /><br />結局ナイロビでは、ヒルトンホテルの玄関先で<br />カメラを一枚写しただけになってしまった。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

    ナクル湖で一泊をしただけでナイロビにとんぼ返り
    15:00にはヒルトンホテルにチェックインした。
    せっかくナイロビまでやって来たのに
    ホテルの部屋だけの籠の鳥ではつまらないので
    歩き廻るのはホテルの周りだけ
    陽の沈む前迄には戻ってくると
    自分に言い聞かせ小銭とホテルカードだけ
    ポケットに押し込んで街に飛び出した。

    ホテルの裏側の広場はバスターミナルになっていた。
    大勢の人が待っていた。やがてバスが来た。すると
    ドアの無い前後の入口に人が殺到した。
    老人や幼子優先なんてここには存在しない。
    あっと言う間のことだった。

    歩き続けた。何処も 沢山の人・人・人!
    殆ど99、9%がアフリカの地元の人。
    その中にあって 頬に赤い紅らしきものを付けた人た
    インド人を一人だけ見かけた。
    (後日、ムパタのKさんから聞いた話では、
    ナイロビには、インドからの移住者が大勢住んでいて
    今は二世三世の時代になっているらしい。
    そして、これらの人々は事業で
    成功した裕福な人たちということだった。)

    ポリスカーもあちこちに止まっているし
    やや緊張しつつもなをも歩き続けた。
    回りの人々から痛い程の視線を感じた。

    レゲエのようなリズムで大きな音が聞こえてきた。
    ストリートミュージシャンが演奏していた。
    回りには何重もの人垣。
    背伸びをして しばし聴いていた。
    路上では、くだもの、新聞、みやげ物 等
    所狭しと並んでいて別段他の都市と違っている
    ようには見うけられなかった。

    商店街に入った。立ち止まらずに歩きながら
    よく見て見るとなるほど、ほとんどの商店は
    鉄格子を下ろしながら営業している。
    高価な商品を扱う店先には
    セキュリティーが立っていた。
    木製のキリンがショーウインドに飾られている
    お土産屋に入ろうとした。
    入口には鎖の鍵がかかっていて
    「ジャンボ」と言うとセキュリティーが
    鍵を開けてくれた。店内に入って驚いた。
    街中では見かけなかった欧米人の
    お客が大勢 品定めをしていた。
    (彼等は車でやって来て地下の駐車場から店内へ入ってきたのだった。)

    幼い子供連れの路上者が 子供に目配せをした。
    子供が私に寄ってくる。
    ホテルの周り2ブロック四方
    歩いて何人の幼い子供が寄ってきただろう。
    「お金を稼ぐってそんなことをすることでは
    ないんだよ」と心の中で叫んだ。
    生きるため 幼い子供の立位置では・・
    それもよくわかるので、
    なんとも し難い
    せ・つ・な・い
    思いに襲われた。
    かわいそうだが無視続けた。
    旅先で ストリートミュージシャン以外には
    お金を出さないこととしている。
    音楽が好きなせいかストリートミュージシャンは
    労働行為と思っているのだ。

    結局ナイロビでは、ヒルトンホテルの玄関先で
    カメラを一枚写しただけになってしまった。






  • ファストフードの店でフライドチキンと<br />ポテトとコカ・コーラのコンボをテイクアウトした。<br />200円くらいだった。<br />ほんの2時間程歩いただけだったが<br />好奇心が満たされた。<br /><br />入口にセキュリティーが立つホテルのロビーに入り<br />何やら緊張の糸が切れた。<br /><br />部屋のドアを開けると封筒が2通入っていた。<br />一通は、ナクル湖ツアーをアレンジしてくれた<br />ナイロビのKawakmiさんからだった。<br />Telephone  From  Miss Kawakami .<br />If  you  need anything  please  call  her <br /> on telephone  number ×××××。<br />もう一通は、<br />明日からのマサイ村のアレンジを頼んである<br />ムパタ・サファリ・クラブのN支店長からだった。<br />既に契約事項が完了した客への心使いと、<br />契約は明日からだというのに私が無事ナイロビに<br />到着したかどうかの確認。<br />Thank youを言わなければならないのは<br />私の方だった。<br />遠い異国の治安の悪いこの街に<br />一人やって来た旅人には<br />心に沁みることだった。<br />早速Nさんへ電話しようしたその時<br />Nさんから電話が入った。<br />「あの街からさんですか。ようこそナイロビへ。<br />メールでもお伝えしましたが<br />ホテルから出歩かないでください。<br />お泊まりになっているホテルは市の中心地です。<br />夜はとても危険です。私たちも移動は車です。<br />直接伝えたくてお電話しました。」<br />とても、とてもありがたかった。<br /><br />

    ファストフードの店でフライドチキンと
    ポテトとコカ・コーラのコンボをテイクアウトした。
    200円くらいだった。
    ほんの2時間程歩いただけだったが
    好奇心が満たされた。

    入口にセキュリティーが立つホテルのロビーに入り
    何やら緊張の糸が切れた。

    部屋のドアを開けると封筒が2通入っていた。
    一通は、ナクル湖ツアーをアレンジしてくれた
    ナイロビのKawakmiさんからだった。
    Telephone From Miss Kawakami .
    If you need anything please call her
    on telephone number ×××××。
    もう一通は、
    明日からのマサイ村のアレンジを頼んである
    ムパタ・サファリ・クラブのN支店長からだった。
    既に契約事項が完了した客への心使いと、
    契約は明日からだというのに私が無事ナイロビに
    到着したかどうかの確認。
    Thank youを言わなければならないのは
    私の方だった。
    遠い異国の治安の悪いこの街に
    一人やって来た旅人には
    心に沁みることだった。
    早速Nさんへ電話しようしたその時
    Nさんから電話が入った。
    「あの街からさんですか。ようこそナイロビへ。
    メールでもお伝えしましたが
    ホテルから出歩かないでください。
    お泊まりになっているホテルは市の中心地です。
    夜はとても危険です。私たちも移動は車です。
    直接伝えたくてお電話しました。」
    とても、とてもありがたかった。

  • 翌朝ホテルのレセプション前にダークスーツを着こなし<br />打ち合わせの為のファイルを手にした<br />Nさんは時間通り8:15分ぴったりに現れた。<br /><br />ナイロビは、かっての成田と羽田の様に国際線と<br />国内線の空港が離れている。<br />AIR KENYAは積載荷物制限15Kgが厳しく超過料金が<br />容赦なく加算される。とのことで<br />これから向かうムパタへは<br />必要最小限の物をデイパックに移し替え<br />残った荷物はナイロビのムパタのオフィスに<br />預かって行くこととなった。<br /><br />移動中の車の中でNさんは、色々と話してくれた。<br />ナイロビの中心地は2時間程で歩いて回れる小さな街です。<br />ここが市民の憩いのセントラルパークです。<br />きれいですよ〜。しかし、夜は危険地帯です。<br />もちろん市民も夜は歩きません。<br /><br />ケニアの輸出品って何だか分かりますか。<br />〈その時私は珈琲くらいしか思いつきませんでした〉<br />そうですね。<br />他にも、紅茶,麻,カーネーションそれに<br />蚊取り線香の元になる草<br />湖で採れた魚等があります。<br /><br />オフィスの前迄来てNさんは<br />「ここのビルは良いですよ〜」と改めて言った。<br />後で気がついたがそれは<br />防犯設備が整っていることらしかった。<br />地下にガレージがあり、入口には<br />セキュリティーが立っていた。<br />地下からエレベーターでオフィスのある<br />フロアーへ上がった。エレベーターの扉が開くと <br />机が在り二人のセキュリティーが座っていた。<br />部屋に入る為、廊下の鍵を開け<br />更に部屋の扉には上下に二つの鍵を開けなければ部屋に入ることが出来ない。<br />オフィスの窓枠には頑丈な鉄格子がはめ込まれていた。<br />ナイロビの治安を実感した。<br /><br />☆ケニアで飲んだ珈琲のうまかったこと。<br /> 2ヶ所のロッジやとりわけ草原の中に<br /> ポツンとたたずむケニアの国内線空港の<br /> レストランからサバンナを見渡しながら<br /> 飲んだ珈琲の味が忘れられません。<br /> 帰国後しばらくは喫茶店に入るといつも<br /> 「キリマンジェロ」を頼んでみましたが<br /> ついぞあの味に出会うことはありません。<br /> 乾季に入ったサバンナを渡るあの風<br /> あの空気感が成せる技なのでしようか。

    翌朝ホテルのレセプション前にダークスーツを着こなし
    打ち合わせの為のファイルを手にした
    Nさんは時間通り8:15分ぴったりに現れた。

    ナイロビは、かっての成田と羽田の様に国際線と
    国内線の空港が離れている。
    AIR KENYAは積載荷物制限15Kgが厳しく超過料金が
    容赦なく加算される。とのことで
    これから向かうムパタへは
    必要最小限の物をデイパックに移し替え
    残った荷物はナイロビのムパタのオフィスに
    預かって行くこととなった。

    移動中の車の中でNさんは、色々と話してくれた。
    ナイロビの中心地は2時間程で歩いて回れる小さな街です。
    ここが市民の憩いのセントラルパークです。
    きれいですよ〜。しかし、夜は危険地帯です。
    もちろん市民も夜は歩きません。

    ケニアの輸出品って何だか分かりますか。
    〈その時私は珈琲くらいしか思いつきませんでした〉
    そうですね。
    他にも、紅茶,麻,カーネーションそれに
    蚊取り線香の元になる草
    湖で採れた魚等があります。

    オフィスの前迄来てNさんは
    「ここのビルは良いですよ〜」と改めて言った。
    後で気がついたがそれは
    防犯設備が整っていることらしかった。
    地下にガレージがあり、入口には
    セキュリティーが立っていた。
    地下からエレベーターでオフィスのある
    フロアーへ上がった。エレベーターの扉が開くと
    机が在り二人のセキュリティーが座っていた。
    部屋に入る為、廊下の鍵を開け
    更に部屋の扉には上下に二つの鍵を開けなければ部屋に入ることが出来ない。
    オフィスの窓枠には頑丈な鉄格子がはめ込まれていた。
    ナイロビの治安を実感した。

    ☆ケニアで飲んだ珈琲のうまかったこと。
     2ヶ所のロッジやとりわけ草原の中に
     ポツンとたたずむケニアの国内線空港の
     レストランからサバンナを見渡しながら
     飲んだ珈琲の味が忘れられません。
     帰国後しばらくは喫茶店に入るといつも
     「キリマンジェロ」を頼んでみましたが
     ついぞあの味に出会うことはありません。
     乾季に入ったサバンナを渡るあの風
     あの空気感が成せる技なのでしようか。

  • Nさんは話し続けた。<br />「ナイロビはとても住みやすい街です。<br />気候も一年を通して、日本の軽井沢のような<br />爽やかな所です。あの紫の花を付けている木は<br />ジャカランダです。日本の桜の様な木で<br />アフリカ中に花が咲きます。<br />ナイロビは10月のはじめ頃が見ごろです。<br />見ごろが  だんだん南下してケープタウンまで<br />数10日程かかります。」<br />ジャカランダの美しい紫の花と共に<br />あの話しが記憶の奥に残っています。<br /><br />当時、大都会ナイロビの真ん中に建つヒルトンホテルでさえアナログ回線でも客室からのインターネットは通じることはありませんでした。<br />この「旅行記」のコメントは<br />ロッジでノートパソコンに書きためて置いた<br />メール(後日アフリカを移動してから送信した。)を基にしました。<br /><br />こうしてわたしのアフリカの日々は始まりました。<br /><br />今回は、文字ばかりが多い「旅行記」になって<br />しまいました。記憶に留めて置きたくてついつい<br />端折らず書いてしまいました。<br />最後までお付き合いありがとうございました。<br /><br />次回は、マサイ・マラ国立保護区。<br />「Out  OF  AFRICA」に出てくるような<br />ライオンの住む丘や<br />ラッキーにもヌーの大移動に遭遇しました。<br /><br />心弾む楽しい旅を  またお会いましょう。<br /><br /><br />

    Nさんは話し続けた。
    「ナイロビはとても住みやすい街です。
    気候も一年を通して、日本の軽井沢のような
    爽やかな所です。あの紫の花を付けている木は
    ジャカランダです。日本の桜の様な木で
    アフリカ中に花が咲きます。
    ナイロビは10月のはじめ頃が見ごろです。
    見ごろが だんだん南下してケープタウンまで
    数10日程かかります。」
    ジャカランダの美しい紫の花と共に
    あの話しが記憶の奥に残っています。

    当時、大都会ナイロビの真ん中に建つヒルトンホテルでさえアナログ回線でも客室からのインターネットは通じることはありませんでした。
    この「旅行記」のコメントは
    ロッジでノートパソコンに書きためて置いた
    メール(後日アフリカを移動してから送信した。)を基にしました。

    こうしてわたしのアフリカの日々は始まりました。

    今回は、文字ばかりが多い「旅行記」になって
    しまいました。記憶に留めて置きたくてついつい
    端折らず書いてしまいました。
    最後までお付き合いありがとうございました。

    次回は、マサイ・マラ国立保護区。
    「Out OF AFRICA」に出てくるような
    ライオンの住む丘や
    ラッキーにもヌーの大移動に遭遇しました。

    心弾む楽しい旅を  またお会いましょう。


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  • M-koku1さん 2016/08/13 11:43:45
    素晴らしい旅行記ですね
    あの街からさん

    世界一周なんてなさっていたんですね
    凄いなあと思って
    読み始めたら
    大好きな動物が一杯

    シマウマが野生とは思えないほど
    太っていて
    ちょっとビックリ

    私も仕事柄 あちらこちらへ行く出張者のために
    (時には自分の出張のために)
    飛行機のアレンジなどをする方ですが
    アフリカは 全く未踏の地です

    デルタ(かつてのノースウェスト)系の便で
    あちらこちらアレンジしたことはあるのですが
    サイトもすっかり使いやすくなってきた昨今とは違い
    アレンジが大変だった様子が
    数々のFaxの数から 推し量られます

    写真も素晴らしいです
    動画に移行していく方も多いですが
    私はやはり写真でその一時を切り取るほうが好きです

    そしてこの旅行記にはそれがいっぱい詰まっていました

    夜中から錦織選手のミラクルを見て
    すっかりいい気分の今朝
    こんな素敵な旅行記に出会えて感激でした!

    最後になりますが
    この”Out of Africa" の映画自体にそんなに思い入れはありませんが
    あの街さんからの写真の中の一本の木を見た時
    途端にこの映画を思い出しましたよ!

    ではまた
    Mより

    あの街から

    あの街からさん からの返信 2016/08/13 21:18:18
    RE:総てのタイミングがうまい具合に合って
     M-koku1さん 今晩は 続けて大盛り2個分を
    ありがとうございます。(〃⌒ー⌒)/
     さて、何から書こうかな(笑)

    《あの街からさん、世界一周なんてなさっていたんですね》
    これから行ってみます。
    本当数年ぶりの話題で本人も忘却の彼方になりつつある
    世界1周の旅。あれは、大きなプロジェクトが終わり
    その3ヶ月後に転勤(自宅から通勤可能地に)も決まっていました。
    それまで何年間もほとんど使っていなかった
    休暇をこの際取ってみょうかと打診し(;´ェ`)交渉の結果
    “3ヶ月後の出勤日を厳守する”という条件付きでの
    職場の温情があり(今思えば良き時代でしたぁ。)
    約束の出勤日の3日前に帰国、翌日は後輩の結婚披露宴。
    出勤日の3日後には転勤先に挨拶。という凄いスケジュールでした。
    1人旅でしたが、ネットのメールを皆んなが始めたばかりの頃で
    道中、友人たちとのメールのやり取りは双方で楽しい思い出になりました。

    北米・中南米を回って一度スペインに入りそれからアフリカに渡りました。
    ナイロビ〜ケニア〜ヨハネスブルグ〜ビクトリアの滝〜ケープタウン〜
    ヨハネスブルグに戻りそこからキャセイパシフィック航空で
    香港経由で成田(東京)に1泊(夏服と秋冬服の交換をし)
    2日でロンドンへトンボ帰りし今度は、
    ロンドンのバス会社催行のバスツアーで
    世界各国からの観光客の中に日本人は自分だけ
    2週間東欧諸国とドイツを回る旅に出〜ロンドンへ戻り数日過ごした後、
    ベルファストとダブリンでコンサートを聴く
    旅をして三度ロンドンへ戻って今度は
    パリに飛んで友人と落ち合い、パリで数日過ごし(内1日はモンサンミッシェル)
    た後、シャルルドゴール空港で友人と別れ1人旅に戻って
    イスタンブールへ〜クアラルンプールそして香港経由で帰国(笑)でした。

    その旅の中でもアフリカはスペシャルな旅でした。
    ケニアのムパタ・サファリクラブ(日本人経営のHotel)では
    毎日ゲームドライブで野生動物の群れを見ヌーの移動時季と重なり
    夢のような日々を過ごした後、ケニアの国際空港とヨハネスブルグで
    かなり危険な(;´ェ`)経験
    (まぁ結果的には、命や怪我には合わずに済みましたが)をしました。
    こんなところもやはり人生は帳尻が合っているのだなぁと思いました。
    ヨハネスブルグを飛び立つジェットの中で喉がカラカラになるのを感じながら
    私の様な未熟者はアフリカへはツアーが良いなぁ。と
    その時感じたことを思い出しました。
    こんな話をするつもりではありませんでしたが(;´ェ`)
    今、現役(お仕事で)で世界を回っているM-koku1さんとのやり取り
    だと思うと一気に書いてしまいました。(笑) 
    話は前後しますが、M-koku1さんのもう1方の書き込みにあった
    《ネットのいいところは 興味のある方は見るし
    無ければ見に来ないだけですから・・・》 にも通じますから
    ここはスルー有りです。(笑) 

    長くなり過ぎ(笑)たので今夜はこの辺で失礼します。
    オリンピック楽しんでください。
                  あの街から
  • ken-kenさん 2015/01/04 19:25:10
    素晴らしいです!
    あの街からさん、今晩は。

    「愛と悲しみの果て」・・・自分も大好きでした。
    冒頭、モーツァルトのクラリネット協奏曲が流れるシーンから映画にひきいられてしまいました。
    ロバート・レッドフォードが運転する軽飛行機の下を何千羽と言うフラミンゴが飛び立つシーンは本当に素晴らしかったですね。

    あのフラミンゴの群れを実際に目にすることが出来るとは!
    ただただ羨ましいです。
    もしその場にいたら、自分も時を忘れてずっとフラミンゴを見ているだろうなあ。

    ところで、「愛と悲しみの果て」だけでなく、あの街からさんがお上げになった映画は自分もほとんど見ています。
    「ミッション」「エヴィータ」「2001年宇宙の旅」・・・
    いずれも映画もさることながら、映画音楽が素晴らしく、全部CDを持っております。

    と旅行記とは全く関係のない話になりましたが、これからもよろしくお願いいたします。

                                 ken-ken

    あの街から

    あの街からさん からの返信 2015/01/04 22:36:43
    RE:映画と音楽も橋渡し(´ー`)なのですね
     ken-kenさん 今晩は
     びっくりしましたぁ。(´ー`)

     確か11月頃「ドロミテ」が橋渡しをしてくれ
     ken-kenさんと出会うことが出来たのは。
     正直言って
     ドロミテ編が完結したのでその時点で
     ken-kenさんとも切れてしまうのだろうなぁ。
     と思っていました。これまで、トレッキングの旅行記で
     出会った方とは、そのような傾向がほぼ98%(冷汗)くらいでした。
     でもken-kenさんとそれっきりになるのは
     残念なのでフォローさせていただきました。

     その時点では、主にスイスのトレッキングの旅行記しか拝見して
     いませんでしたが、その後、休日になると飛んで行っては
     1作・1作拝見しますと旅先を選ぶ視点とか
      旅先で出会ったことの感想とか
     色々な場面で自分と感性が似ている所が度々出て来て(´ー`) 
     ☆勝手に言ってごめんなさい。
     
     その様に思っていたken-kenさんから
     この様なカキコを送っていただき(´ー`)驚きましたぁ。
     
     私の旅先を選ぶ時は「映画で見た風景」がだいぶ占めて
     いました。☆4T以前は特に。
     ついつい旅行記に映画が登場してしまします。
     映画と音楽は一対になっているのだということを
     ken-kenさん書き込みで改めて感じました。
     旅行記に載せておいてよかったぁ。と思いました。
     「CDを全部持っている」ってすごいなぁ。

     今夜はありがとうございます。
                       あの街から
             
                              








  • 好きに生きるさん 2013/04/13 18:12:52
    懐かしい
    女房と結婚前に私が帰郷するので最後のデートの時に洋画があまり好きで無いですが、女房に最後に連れて行ってと頼まれて行きました。
    女房は、映画の最後で大泣きしていました。
    これでしばらく仕事の為に別れていましたが、転勤で田舎に行った時に
    同僚も年長者で既婚者で誰もアフター5でなくてアフター8か9だったけど
    相手もしてもらえずに一人で下宿でいる時にテレビでこの映画を見て
    急に寂しくなってしまって、女房に遠くまで来てもらって結局、結婚しました。
    あの時は仕事でも悩んでいましたから一番辛かった時気でした。
    この映画を見るとあの時を思い出します。
    でも子供たちが4人いましたがすでに3人が下宿で出ました。
    急に子供が減ってまた昔を思い出します。

    あの街から

    あの街からさん からの返信 2013/04/16 07:23:05
    RE: 家族の歴史の詰まったお話
    良いお話をありがとうございます。
    この「旅行記」で瞬間でも 好きに生きるさんの家族の歴史の中にタイムスリップする時を持てたことは、私にとってもとてもうれしいことです。
    今回、映画の話を旅の旅行記にページを割いて書いてよいのか?ためらったのですが、ここへ行く
    きっかけを載せておきたかったのです。それが 何だか承認をしたもらえたような気がしました。
    この様な家族との歴史があって「好きにいきる」さんの今がある。
    「好きに生きるさん」の旅行記にまた一つの重みを感じます。

    > この映画を見るとあの時を思い出します。
    > でも子供たちが4人いましたがすでに3人が下宿で出ました。
    > 急に子供が減ってまた昔を思い出します。
    >
      子供はいつかは親の元を巣立つもの。
      私たちも そうして親の元から巣立ってきたのですね。
      これからは、奥さまと濃い時間をお過ごしくださいね。
      お子様には、いつでも会いに行けるのですから 幸せですよ。
                     あの街から
  • aoitomoさん 2013/04/13 16:48:53
    世界一周には数多くのドラマがありますね〜
    あの街からさん

    お金さえあれば、なんとなく簡単に行けると思っていた世界一周。
    確かに全てお膳立てしてくれた世界一周なら、そう苦労もないのでしょうけれど。
    あの街からさんの自分でアレンジしていく世界一周つくづく感動しました。
    これ見てたら、自分だったら行くまでにへこたれます。

    11年前なのに、昨日行って帰ってきたような詳しいコメント。
    しっかりノートパソコンに書き留めておいたのですね。

    貴重な資料とともに展開する旅行記。
    これぞ旅行記という感じです。

    まとめるのは大変だと思いますが、これももう一つの楽しみですし、私も楽しませていただきたいです。

    わがままいいますと、できれば動画も貼り付けてほしいですね。

    すばらしい旅行記にいつも感動してます。

    aoitomo

    あの街から

    あの街からさん からの返信 2013/04/15 07:06:08
    RE: 世界一周には数多くのドラマがありますね〜
    aoitomoさん いつも ありがとうございます。

    > お金さえあれば、なんとなく簡単に行けると思っていた世界一周。

    旅好きが高じて、休暇が何とか取れそうな最初で最後のチャンスに賭け(汗)
    どうして捻出しようかと考え、新車購入の積立を充ててしまう やんちゃな奴です。笑

    > これ見てたら、自分だったら行くまでにへこたれます。

    いやいやaoinotomoさんの緻密な計画にはいつも 恐れいっています。
    これも旅好きの成せる技なのでしょうか?

    > 11年前なのに、昨日行って帰ってきたような詳しいコメント。
    > しっかりノートパソコンに書き留めておいたのですね。

    ほとんど当時のメールのやり取りとビデオのおかげです。(汗)

    > まとめるのは大変だと思いますが、これももう一つの楽しみですし、私も楽しませていただきたいです。

    私も当時の色々なことがよみがえってきて、思わず手が止まってしまうことも度々でなかなか前に進みません。(笑)。

    > > わがままいいますと、できれば動画も貼り付けてほしいですね。

    心動くものを感じています。動画も手に染めるとまたまた進まなくなり最後まで辿りつけなくなりそうで 躊躇っています。
    >
    > aoitomo

    aoinotomoさんは、 この次はどんな「旅」をするのか?と楽しみにしています。

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