2002/09/29 - 2002/09/30
424位(同エリア9843件中)
あの街からさん
- あの街からさんTOP
- 旅行記259冊
- クチコミ162件
- Q&A回答1件
- 1,099,523アクセス
- フォロワー237人
世界一周航空券には、航空会社のグループにより
「ワンワールド」と「スターアライアンス」の
二つのグループがあります。
その中から私は
「イースター島」へ唯一就航している
(Lan航空☆当時Lan Chle航空)と
「ケニア&ケープタウン」へ就航している
(British Airways航空)が加入している
ワンワールドの航空券を迷わずに選びました。
世界一周堂「ワンワールド5大陸航空券」には
数多くの規定がありました。
主な事項をあげると
◯有効期限は出発日から一年間。
正規割引搭乗券なので途中変更が可能。
◯出発地から地球(緯度)を東又は西回りで飛ぶ。
到着地から逆行は出来ない。
◯途中で旅を中断する事も可能。
ただし、その場合には中断地点から
自前で 帰宅地(成田等何処でもOK)までの
交通手段を自己負担で確保する。
旅の再開は、中断地点に自己負担で戻る。
◯旅の中断期間も有効期間に含まれる。
◯加入航空会社の就航していない所へ行く場合にも
別途自己負担で確保する。
(私の場合には、イグアスの滝等が別途確保となりました。)
この他にも、旅のコースを決め航空券を予約する段になってから
(この時点にならないと、規約により具体的な
コース指示が出せない。というものでした。)
重要なポイントがある事を旅行代理店を通じて
航空会社から知らされました。
◯私がコースとした、南米リオデジャネイロからアフリカ大陸へは
直行で入 ることは出来ず、目指す「ケニア」に行く為にはまず
ヨーロッパ大陸へ飛び、更にはロンドン(ヒースロー空港)発の
ナイロビ行きに搭乗しなければなりませんでした。
しかも、
リオからロンドンへ直行便がなく(British Airways航空)
マドリードがヨーロッパ大陸の入り口となっていました。
更なる厳しい規定がのしかかってきました。
それは、
一度出たヨーロッパ大陸にアフリカから再入国は出来ない。
という事でした。
然るに私はこの時既に、アフリカの後に
ロンドンの観光会社催行の大英博物館前発
「14日間バスツアー(ドイツ・ウイーン・ザイツブルック・チェコ
ハンガリーの等を周る)の申し込みを済ませていたのです。
さて、そんなこんながあり、
ヨーロッパを起点とするコースの部分では
ヒースロー空港がいわばハブ空港となりました。
そのため『ロンドン』へは、
マドリードからナイロビへ行く際、東欧14日間バスツアー前後
アイルランド往復の前後、パリの往復前後、
そしていよいよヨーロッパ大陸を離れ
イスタンブールへ向かう時まで
この間(ロンドンを出たり入ったり)
結局トータルして10日間程滞在しました。
☆(現在は、世界一周航空券は、
この他に「ラウンドザワールド」等
数種類の航空券が有るようです。)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 タクシー 徒歩
- 航空会社
- ブリティッシュエアウェイズ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
お待たせしました。本編の始まりです。(冷や汗)
ロンドンの街歩きには地下鉄が便利です。
料金システムがゾーン(Zone)制になっているのを注意すればあと
分かりやすくGoodです。 -
私がロンドンに着いてまず最初にやってきたのは
ここ「タワーブリッジ」ではなく。
☆テムズ河を往来する船舶の大型化にともなって
8年の歳月をかけ完成をみたのは
1894年のことという。 -
大英博物館でもありません。
-
それでは、「ロンドン アイ」かって?
2000年に開業の大観覧車は、
当時、まだ開業2年目で大変人気があり、
ネット予約も始まっていましたが、
連日長蛇の列を見て
「この後行くウイーンの観覧車に乗って第3の男?を
気取ってみるサ」と思っていて
結局乗りそびれてしまいました。
☆旅先での「次」はないのですよね。
(たとえば、ちょっとしたお土産を
また通るからとか、
帰りに買えばいいか。とか
ついに買う機会を逃してしまった事が
あなたも、身に覚えがあることでしょう。(冷や汗)
さて、ロンドン アイですが、
高さ135mでデビュー当時は世界一。
2012年3月でも世界第3位の高さを誇っています。 -
それは
東京で言えば、さしずめ銀座4丁目の交差点のような
ここ「ピカデリーサーカス」この一角です。
☆この周辺がロンドンで最も活気がある所
でしょうか。
ミュージカルの劇場街,チャイナタウン,映画館,
レストラン等が立ち並ぶいわゆる繁華街と
なっています。
この辺りがWest Endと呼ばれています。
かって、
ロンドンが城壁で囲まれていた時代には
西の端だったことから、その様に呼ばれていた
という事です。
-
☆ここで、当時友人宛に送信したメールを
記しておきます。
『9月29日 ロンドン到着
ロンドンには3つの空港があるが
一番大きなヒースロー空港の
第3ターミナルに8:00に着きました。
(ナイロビへ向かう時には、第4ターミナルでした)
ヨーロッパに入ったと思ったら
何だかほっとしました。』
☆当時、私が訪れたアフリカの各地の
街やホテルからネットをつなぐことが
できませんでしたし、やはり
1人旅は緊張する場面が何度か
ありました。
またメールに戻ります。
『空港からバスでホテルに向かいました。
やってきたバスは あのダブルデッカー
(赤い色をした2階建てのバス)
2階の最前列に座りビデオを回しながら
ホテルまでの1時間を楽しみました。
メキシコやサンパウロで
「道路が蜘蛛の巣状でごちゃごちゃしている』
と散々書きましたが、
ここロンドンも蜘蛛の巣 状態。
訂正します。
歴史ある街は馬車が通った時代からの道であり
日本の多くの街のように戦災で焼け出された
その後から作られた街とは違うということが
やっと気がつきました。』
☆マドリードもそうでしたし、この後行った
ダブリン,ザイツブルック,ウィーン等
もやはり蜘蛛の巣状に道は伸びていました。 -
☆友人宛のメールは続きます。
『明日から 大英博物館の前から出発のロンドンの
旅行会社催行の東欧,ドイツ,バスツアーに
参加します。
その為、大英博物館の近くのクラッシックな佇まい
のするホテルに投宿しました。
大都市のホテルは高いねぇ〜。
同じ料金でも 地方都市ならもっと良い部屋に
泊まれるものを。
1泊だけ眠るだけと予約したホテルですが
部屋に入ってみたら
シングルベットがやっと収まる感じ。
鞄を開くことも出来ないほどなのです。
しかもアウトバス。部屋を少し離れた所に
共同シャワールームがあり
部屋に金庫もないので貴重品は
ビニールの袋に入れ持ち込みました。
☆今のようにEチケットもなく
航空券だけで厚さ1.5センチ余は有りました。
それと国際運転免許証等を入れたパスポートケース
がTシャツを着ている時には首に下げた黒いひもが
見え見えでまるでお腹が出ているかのように
パンパンになっていました。
☆画像は、バスツアーの行き帰りに
バスごとドーバー海峡を渡り
ロンドン往復した際の帰路の
ボーディングパス(乗船券)です。 -
☆友人宛のメールは続きます。
『早速 集合場所を確認しに出かけました。
旅行会社から送られてきた略図を頼りに
探しました。その時まで表通りの大きなビルの
中に在ると勝手に思い込んでいました。
2時間程ここぞと思うところを歩き続け
やっと見っけました。
そこは、
大きなホテルの中のツアーディスクでした。
大英博物館を基点として 沢山の角を何度も曲がり
なんとか たどり着いたのですが、
帰り道 なんと自分の今夜のホテルから
弧を描いて一本道でした。
皆に、「らしい」と言われそうです。』
☆今なら
I PadのGps機能でこんなことも無いのだろうと
思いますが、ドジでした。
この画像は、東欧バスツアーUPまでの期間限定で ここに置きます。
-
☆友人宛のメールは続きます。
『一旦ホテルに戻りましたが
集合場所も分かったし(冷や汗)安心して
繁華街に繰り出しました。』
☆ピカデリーサーカスつながりで
ボンドストリート,リージェントストリート
オックスフォードストリートがあり
英国王室御用達の洋服屋,靴屋,帽子屋
や紅茶屋のほか
最先端の店 可愛い土産屋さん等
ウインドウショッピングには
いくら時間があっても足りないぐらい
楽しい街です。 -
メールは続きます。
『そんなオックスフォードストリートの一角で
Beatlesのマリオネットに出会いました。』
☆映画「サウンドオブミュージック」で
トラップ家にお客さまを招いて
子供たちがマリオネットをあやつりながら
「ひとりぽっちの羊飼い」を歌うシーンを
覚えていますか?
あんな感じで
ラジカセで曲を流しビートルズのマリオネットは
歌に合わせながら コーラスを付け
ギターをかき鳴らす
1曲ごと違った そのしぐさが そっくりで
ロンドンの地でと思うと、
うるうるしてきたのでした。
メールに戻ります。
『おぃおぃ 俺を待っていてくれた?のかい。
なけなしのポンドを差し出し(冷や汗)
3〜4曲ビデオを回し続けました。』
☆ロンドンの前後は、3日〜4日単位で貨幣が変わる
旅でしたから、なるべく残らないよう最小額を£に
変えていました。 -
話は当時に戻ります。
ピカデリーサーカスの一角にある映画館で
マットディモン主演「ボーン・アイデンティティ」を観たのですが
その映画館前に
『007 Day Another day』封切まで
あと何日とでかい看板が掲げられていて、
ロンドンではこんなに
ジェイムス ボンドが愛されているンだ。と
妙なところで感激したりしました。
最新作23作目「スカイ フォール」が
今年(2012年12月)公開予定ですが
今ごろロンドンの映画館の前はどんな看板が?
☆主題歌はマドンナが歌っていました。
レディガガもなんのその
マドンナももう長いこと第一線で
がんばっていますねぇ。
きっと、ストイックに暮らしているンだろうなぁ〜。
それにしても、ボンド いやいや ポンドは高かった。
そうだろう ジェイムス君。
ここに£と他国の為替ルートで証明してみよう。
2002年10月5日 ー 2012年10月5日(毎日新聞)
英国ポンド 196.31 ー 130.39
アメリカドル 123.60 ー 79.53
香港ドル 16.15 ー 10.56
韓国ウオン(100ウオ ) 10.20 ー 7.27
ユーロ 122.47 ー 102.93
南アフリカ ランド 13.37 ー 10.82
旅人にはエロスの像も斜めに見えますよ。
この£高。
今も昔も ポンドは高い
この旅でロンドンにたどり着くまでに
数カ国を通り過ぎてきたのですが
ロンドンは物価が高いなぁ〜と感じた街でした。
かって、陽の沈む所なし と、言われた大英帝国
その威厳をポンドで保っているのかい。
もっと旅人にやさしい£になっておくれよ。 -
この「旅行記」を作成中の
ある日(2012年10月5日)
二紙の朝刊〈コラム〉に
奇しくもこんな記事が掲載されていたので
そのごく一部を紹介します。
『天声人語』(朝日新聞)
映画「007」の第一作が地元英国での公開から、
今日で50年になる。
主人公ジェイムスボンド役は、
初代のショーンコネリーから6人
(中略)仕事は違えど、洋画界の寅さんである。
ボンドガールにボンドカー、秘密兵器の数々。
第17作目からは上司が女性になった。
手をかえ品をかえ、ただし酒の好みなど細部に
わたるファンへのお約束は守りつつ、
娯楽作品の王道をゆく。
第一作の公開日は
ビートルズがデビューした日でもある。(後略)
☆注〜最新作は23作目「スカイ フォール」は
ロンドンオリンピックイヤーを締めくくる
年末12月1日封切とチラシの
キャッチコピーが目に止まりました。 -
ロンドンにやって来た時点で
日本を離れて数ヶ月が過ぎようとして
いたので醤油味に飢えていました。
それでも、
外国の日本食のレストランは高いその割には
まずい(NOBUのように美味い店は、やはり高い)
とのイメージもあり、和食レストランには
近づきませんでした。
(ロンドンにオリンピックを見に行ってきた
友人は美味い店があったと言っていました。) -
この日はオックスフォードの韓国料理屋さんで
夕食にしました。当時、日本では今程韓国料理は
一般的になっておらず冷麺以外食する機会が無かった
のですが、この旅でカナダのバンフの街で味噌味が
恋しくなって初めて韓国料理店に入ってみて
う・ま・かった ので以来 海外で韓国料理店を
見かけると入っています。
外国仕様なのか
スーパードライの小瓶がありました。
当時国内ではあまり見かけないサイズでした。
ビールはこの位が自分には丁度よいサイズかな?
今思うとチヂミと味噌チゲかな?
いい味だったと友人へのメールにも記していました。 -
『ロンドン』へは、
南米のリオデジャネイロからマドリードに飛んで
マドリードで数日過ごした後やって来ました。
15:40ヒースロー空港着。
この時には、連日のやや強行スケジュールで
ヒースロー空港に隣接するHiltonで宿泊
(フロントにウェイクアップコールを頼み爆睡)
仮眠を取ってその夜遅くの22:20のBA便で
アフリカのナイロビへ向かい出発しましたから
ロンドン市内には入りませんでしたが
その後
東欧14日間バスツアー前後と
アイルランド往復の前後に数日間滞在しました。
その後、パリを往復の際のうち
パリから一旦ロンドンへ戻った日も同じように
20:35(BA便)で到着しヒースロー
空港続きの Hiltonに宿泊。
市内に入らず 友人たちにメールを送信した後
爆睡し 翌日10:15発(BA便)で
いよいよ ヨーロッパ大陸を離れ
イスタンブールへ向け出発しました。
この間 (9月12日から10月26日)
ロンドンを出たり入ったり
結局トータルして10日間程滞在しました。
ロンドンの街は、訪れる度
晩秋へと向かっていました。 -
「ピカデリーサーカス」エロスの像前
昼は各国からの旅人が写真を取り合い
夜は若者たちの待ち合わせ場所に。
又々当時友人宛てのメールです。
『この近くに去年オープンしたという
日本のコミュニティーの様な店に行ってみました。
一階には、日本の本や雑誌が並んでいて
二階に行ってみたら パソコンが数台有り
日本語や韓国語,中国語可と張り紙がありました。
30分2ポンドで使ってみました。
地下では カップ麺やおーいお茶,ポッキー等
日本の食品を販売していました。
お茶は、5.8ポンドでした。
☆小さなペットボトルのお茶が
1,138円もしていた事になります。
それでも買い求め「美味い、美味い」と
思いながら飲みました。
ピカデリーサーカスの周辺で
NYの「tkts」の様なミュージカルの
格安チケットを売る店が
数件並んでありました。
そこで、昼間の内に「マンマ ミーヤ」のチケットを買い求めておきました。 -
ミュージカルの本場といえば、日本では
ニューヨークのブロードウェイを思い浮かべる人が
ほとんどだろうと思いますが
ウエストエンドの劇場街もNYのブロードウェイと
双璧をなすと言っても決して過言ではありません。
今は世界中で上演されている「マンマ ミーヤ」も
初演はここロンドンのウエストエンドでした。
☆ウエストエンドで1999年初演の好評をうけ
ブロードウェイではじまったのが2000年の
ことです。
私は、この旅のはじめNYで観たのですが、
ABBAのヒット曲がそのままミュージカルの
セリフに当てはめ全く別個の物語を進めて行く
手法(アイデア)に舌を巻き
(今では、この手法のミュージカルも多々ありますが)
舞台セットが大きな満月というシンプルですが
とても美しい場面の連続で
しかも楽しいABBAのヒット曲のオンパレードの
この舞台をもう一度観たい。と
足を運んだのでした。
-
ピカデリーサーカスの徒歩圏内には
ミュージカルのメッカ「ウエストエンド」も
チャイナタウンも在り旅人には便利で楽しいエリアでした。 -
チャイナタウンでは、「ニ胡」等を演奏する
街頭ミュージシャンの演奏に
しばし立ち止まって聞き惚れていました。
この旅では
ほんと音楽に元気づけられたり、慰められたりし
音楽が好きで本当に良かった。と何度も感じました。
-
当時でも結構な賑わいをみせていた
チャイナタウンでした。
現在のようにパワーがある中国となればなおのこと
本土からの観光客もいっぱい訪れてさぞや賑わいを
みせていることでしょう。 -
チャイナタウンのとある店で
またまた醤油味を舌鼓。
やっぱり、うまい。 -
調子にのって蟹まで食することに。
それでも、日本の中華料理の店とは
比較にならない程安いのです。
ぎこちない手さばきの私を見た(冷や汗)
近くにいた店員さんが
「あぁ まてまて、こういう風にするんだよ
うまいから食べてみー(身)」
こんな感じで言われたと思うのですが
親切にかに肉をほどいてくれました。 -
このような街並が
ロンドンの住宅街。 -
携帯からスマホに
やがてこのかっこいい電話ボックスも
消え行く運命なのだろうか。 -
☆ここでまた友人宛のメールを。
『随分昔 ちょっとだけ来たロンドンですが
だいぶ様子が変わっていました。
まず、地下鉄が車両,構内共に
驚く程きれいになっていました。
前に来た時に、「ロンドンの地下鉄は
世界で一番はじめて出来た」と聞いた
ような気がします。木製の長〜いエスカレーター
でかなり地下深く潜った覚えがあります。』
☆生まれ変わった地下鉄は
Tubeの愛称で親しまれています。
最新「地球の歩き方 2011年〜2012年版」
によりますと
〜構内の形が丸い 電車の顔も丸い。
タイヤの中のチューブのように
何処を切っても丸い。
そこでTubeと呼ばれるようになったという。〜
なぁるほど 合点。 -
☆メールは続きます。
『それに目に付いたのは
近代的なビルが増えたこと。
街中でも、世界中何処でもある「マック」は別格として
「HMV」「スタバ」「タワーレコード」等が
この街にまで有り 少しがっかりしましたが
しかし、「無印」が有り
「ユニクロ」も良い場所にでかい店舗を構え
街行く人がユニクロの袋をさげて歩いているのを
何人も見ましたが 何だかうれしくなりました。
俺って勝手だよなぁ。
ん でも 歩いてみて
石畳の街並みにはどこか風格があり
やっぱり ロンドンそのものでした。』 -
「Hard Rock Cafe」全世界に150店舗程を展開する
いわゆる「テーマカフェ」のハシリの店です。
その1号店がここロンドン店です。
NYへ初めて行った際 ホテルの近くにあったので
夕食に入ったのですが ハンバーガーのポーションの
大きさに圧倒され 以来 バーカウンターで
コロナビール専門客?になったのですが
この店に通う訳は
ピン(店名「地名」が入ったバッチ)の存在です。
あまり自分の土産は
買わない?買えない?方なのですが
ピンはガサばらないし、安いし、それぞれの店名が
入っているので記念に買い求めます。
自室のガラスケースに並べ悦にいってます。
☆ だだし、どこの店でもカード払いにすると
必ずパスポートの提示を求められます。
一度、ホテルの部屋のセーフティボックスに
パスポートを入れ慌てたことがあります。 -
「ロイヤルアルバートホール」
クラシックからロックのコンサートまで
殿堂ですね。
まだ、機会に恵まれていません。 -
地下鉄駅「St johns wood station」
この駅は、アビーロードスタジオに
一番近い駅です。
実はこの駅で少し苦い思いでがあります。
「○曜日の○時にこの駅前集合で
フリーのウォーキングツアーがあります。」
とのチラシを見 この日やって来たのですが
誰も来た人はいませんでした。
☆たぶん、曜日の見間違え?
(冷や汗) -
幸い地下鉄駅から歩いて直ぐですし
それに、ファンらしき人が何人かは
歩いていますから すぐ分かりました。 -
ご存知、アルバム「アビーロード」の
アルバムジャケット写真はアビーロードスタジオの
直ぐ前のこの横断歩道で撮影された。 -
朝刊〈コラム〉『春秋(日本経済新聞)』2012年10月5日より
文字通りの百万言が4人組に費やされてきた。
4人より40歳ほども年上の詩人にして
彼らのファンでもあった
草野新平の言だろうか。
「ビートルズはイギリスという地球のシニセに生まれた言わば不良息子だった」
愛すべき不良たちが
初めてレコードを出したのが
今日(10月5日)である。
(中略)老舗の家風に収まらぬワルは結局、
傾きかけた老舗を救う孝行息子になった。
外貨を稼いで女王陛下に勲章をもらい、
今年のロンドン五輪開会式には70歳になった
ポールマッカートニーの「ヘイ・ジュート」が
延々響いた。
日本には1966年の東京公演に出かけた体験を
勲章のように自慢する人が今だいる。
とか 何とか、このグループに
百万一言を加えたところで
あちらこちらから
「先刻承知」の声が(後略) -
このスタジオから
多くのミュージシャンの沢山の名曲が
生まれました。 -
「ユニオンジャック,石畳,テムズ河沿いのレストラン,
ビートルズ,シャーロックホームズ&
ジェムスボンド 数々の博物館があり
数多くの映画の舞台でもある LONDON
☆「フォーローミー」は、ロンドンを舞台とした
気に入りの映画の一本です。
ジョンバリーの
(「ジェイムスボンドのテーマ曲」で有名)
主題曲が市内散策中の間
度々頭の中を駆け巡っていました。
大好きな街ロンドン。
またいつの日にか 行きたい。行くぞ。
書きながら何度も思いました。 -
長いこと ご覧いただきまして
ありがとうございました。
あの日々を少しでも留めておこうと
思う気持ちと
皆さまにとっての情報源にはならないのでは。
との 狭間で 揺れながら 書き進めました。
あぁ こんな旅もあるのだ と
見ていただけたのなら幸いです。
ワンワールド五大陸航空券の旅シリーズ
の「イースター島」編は 私の旅の中でも
心の残る旅でした。ご覧いただければと思います。
心弾む楽しい旅を
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
35