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JR八高線金子駅から西方へ徒歩約30分、青梅市七日市場交差点に位置する今井山・正福寺(しょうふくじ、東京都青梅市今井))は青梅市東部今井城を本拠とする在地領主である今井氏が天正年間(1573~1592)に栄えていましたが、その今井氏の菩提寺と伝えられています。<br /><br />墓所には応永14年(1407)の銘がある宝篋印塔や五輪塔が現存しているそうです。(訪問時自分は墓の確認を忘れていました)<br /><br />江戸時代後期に正福寺で祀られていた本尊の足の裏には「応永二年今井四郎為菩薩」と書かれていたそうです。現在は本尊は無くなっていますが、事実であるとするならば室町時代初期に今井四郎と称する豪族が今井城を居城とし周辺一帯を支配下に置いて治めていたと思われます。<br /><br /><br />2022年7月25日追記<br /><br />境内に建てられた今井氏の墓について下記のように紹介されています。<br /><br />『 史跡 今井氏の墓<br /><br />市内今井一丁目に今井城(市史跡)があり、天正年間(1573~1593)まで今井氏が栄えていたという。その今井氏の墓と伝えられ、中世における墳墓としてきわめて貴重である。墓所には応永10年(1403)および応永14年(1407)の銘がある宝篋印塔や五輪塔が現存する。<br /><br />「新編武蔵風土記稿」には、「往昔今井四郎座衛門尉経家の子孫、同宗家といふ人この地を数代伝領して子孫済住せし故、村内正福寺をも開基し、墳墓もその寺中にあり」と書かれ、また同書正福寺の条に「本尊阿弥陀、脇士両尊、この仏の足の裏に銘文あり。応永2年(1395)今井氏為菩提と記せり」とあるが、この仏像は今はない。』<br /><br /><br /><br />さらに青梅市史には当該寺院に関する紹介が下記のごとく記述されています。<br /><br />『 正福寺 (今井山金平院)<br />今井・七日市場(現・今井二丁目)にあり、本尊は阿弥陀如来である。前記(乗顧寺)と同じく神奈川県相模原市の無量光寺末である。開創は正応年間(1288~92)と伝える。時宗開祖の一遍上人は正応2年(1289)8月に示寂している。<br /><br />「新編武蔵風土記稿」には「応永年間今井四郎兼平の末孫この地に来り、一丈三尺の阿弥陀仏を造立して足の裏に応永2年今井四郎為菩提と記していた」と記載があるが、この仏像は火災により焼失して今はない。<br /><br />「平家物語」(巻九)木曽殿最後の条で、主君義仲を最後まで守り、ついに壮烈な自刃を遂げた今井四郎兼平の菩提として寺号も金平院と名付けられたのかもしれない。兼平の打死は元磨元年(1184)である。二百四余年の後、兼平の後裔がこの地に来任して今井の地名も起こったと伝える。<br /><br />寛永8年(1631)鋳造の銅鐘銘の記録は残っているが、鐘は戦争中供出された。堂宇は文化年間に炎上、後再建された。境内墓地に今井兼平ほか家臣10名の墓と称する五輪塔や宝篋印塔があり、風土記稿は応永(1394~1427)の年号であったと伝えるが、風化が激しく現在では読み取れない。』<br /><br />

武蔵青梅 上杉禅秀の乱で滅亡するまで多摩北部に勢力を有した在地領主の今井氏が木曽義仲に従った先祖兼平の菩提を祀る『正福寺』散歩

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2012/07/22 - 2012/07/22

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滝山氏照

滝山氏照さん

JR八高線金子駅から西方へ徒歩約30分、青梅市七日市場交差点に位置する今井山・正福寺(しょうふくじ、東京都青梅市今井))は青梅市東部今井城を本拠とする在地領主である今井氏が天正年間(1573~1592)に栄えていましたが、その今井氏の菩提寺と伝えられています。

墓所には応永14年(1407)の銘がある宝篋印塔や五輪塔が現存しているそうです。(訪問時自分は墓の確認を忘れていました)

江戸時代後期に正福寺で祀られていた本尊の足の裏には「応永二年今井四郎為菩薩」と書かれていたそうです。現在は本尊は無くなっていますが、事実であるとするならば室町時代初期に今井四郎と称する豪族が今井城を居城とし周辺一帯を支配下に置いて治めていたと思われます。


2022年7月25日追記

境内に建てられた今井氏の墓について下記のように紹介されています。

『 史跡 今井氏の墓

市内今井一丁目に今井城(市史跡)があり、天正年間(1573~1593)まで今井氏が栄えていたという。その今井氏の墓と伝えられ、中世における墳墓としてきわめて貴重である。墓所には応永10年(1403)および応永14年(1407)の銘がある宝篋印塔や五輪塔が現存する。

「新編武蔵風土記稿」には、「往昔今井四郎座衛門尉経家の子孫、同宗家といふ人この地を数代伝領して子孫済住せし故、村内正福寺をも開基し、墳墓もその寺中にあり」と書かれ、また同書正福寺の条に「本尊阿弥陀、脇士両尊、この仏の足の裏に銘文あり。応永2年(1395)今井氏為菩提と記せり」とあるが、この仏像は今はない。』



さらに青梅市史には当該寺院に関する紹介が下記のごとく記述されています。

『 正福寺 (今井山金平院)
今井・七日市場(現・今井二丁目)にあり、本尊は阿弥陀如来である。前記(乗顧寺)と同じく神奈川県相模原市の無量光寺末である。開創は正応年間(1288~92)と伝える。時宗開祖の一遍上人は正応2年(1289)8月に示寂している。

「新編武蔵風土記稿」には「応永年間今井四郎兼平の末孫この地に来り、一丈三尺の阿弥陀仏を造立して足の裏に応永2年今井四郎為菩提と記していた」と記載があるが、この仏像は火災により焼失して今はない。

「平家物語」(巻九)木曽殿最後の条で、主君義仲を最後まで守り、ついに壮烈な自刃を遂げた今井四郎兼平の菩提として寺号も金平院と名付けられたのかもしれない。兼平の打死は元磨元年(1184)である。二百四余年の後、兼平の後裔がこの地に来任して今井の地名も起こったと伝える。

寛永8年(1631)鋳造の銅鐘銘の記録は残っているが、鐘は戦争中供出された。堂宇は文化年間に炎上、後再建された。境内墓地に今井兼平ほか家臣10名の墓と称する五輪塔や宝篋印塔があり、風土記稿は応永(1394~1427)の年号であったと伝えるが、風化が激しく現在では読み取れない。』

交通手段
JRローカル 徒歩

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  • 正福寺・参道<br /><br />「時宗今井山正福寺」の石標が建てられ、いかにも今井氏が開創した寺社であることが認識されます。

    正福寺・参道

    「時宗今井山正福寺」の石標が建てられ、いかにも今井氏が開創した寺社であることが認識されます。

  • 正福寺・山門<br /><br />質素な山門のかなたには本堂が控えています。

    正福寺・山門

    質素な山門のかなたには本堂が控えています。

  • 正福寺・本堂<br /><br />簡素で小規模の本堂には新たな塔婆が数多く立て置かれています。本堂裏手に今井氏に関係する宝篋印塔や五輪塔があるとの事です。

    イチオシ

    正福寺・本堂

    簡素で小規模の本堂には新たな塔婆が数多く立て置かれています。本堂裏手に今井氏に関係する宝篋印塔や五輪塔があるとの事です。

  • 今井氏墓所・説明板

    今井氏墓所・説明板

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