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藤橋城(ふじはしじょう、東京都青梅市藤橋)はJR八高線金子駅から青梅方面に向かうと途中今井城跡を過ぎて更に約2Kmほど行った住宅地に隣接する「藤橋城公園」の内部にあります。<br /><br />案内板によると戦国時代滝山城後に八王子城を拠点として武蔵国から上野国に広がる関東平野を勢力下に治めた小田原北条氏康三男氏照(うじてる)の家臣平山越前守虎吉の館とのことで名前から推測すると武蔵七党の西党に属する平山氏の流れをくむ武将と思われます。<br /><br />現在は公園となって中に入るとあじさいの花を左右に臨んだ散歩道となって、中央部は石垣で囲まれた高地に某神社址の石柱が建てられているだけです。<br /><br />然しながらこの平地の西端から北端にかけては土塁で囲まれており、それぞれの土塁の外側は帯曲輪となって見応えがあります。<br /><br />上記の他には北端の外側は水田が広がっており、かつては水沼もしくは湿地であったのではないかと思われ、敵の攻撃を防御する役目を果たしていたのかも知れません。<br /><br /><br />2023年9月28日追記<br /><br />現場に設置の説明板には下記のごとく記述されています。<br /><br />「 藤 橋 城 跡<br /><br />現存する遺構は、東西70メートルX南北60メートルの曲輪と付随する腰曲輪、土塁、空堀等であり、旧態をとどめている。<br /><br />『武蔵名勝図会』(文政3年・1820)に、次のように記されている。「平山越前守虎吉という人の居住の地なり。この平山氏は北条氏照に仕えた人なり。平山右衛門大夫・同伊賀守などは檜原村に城跡あり。又、平井村・大久野村あたりは平山氏が旧跡なれば、この越前守もその一族なるべし。<br />ここは土居を廻らし、城跡もありて、その内の広さ東西20間余、南北凡そ50間程、入り口の城戸門跡と覚しきところは南向きにて、すべて平地なり。西より北へ廻らして今井村の水田に臨み、霞川の流れを帯びたり。この辺は崖にして高さ2丈あまりなり。』<br />                  青梅市教育委員会 」<br /><br />

武蔵青梅 武蔵国守護代大石氏より領有権継承した氏康三男北条氏照に仕えた武蔵七党の西党を祖とする平山氏が支配する『藤橋城』訪問

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2012/07/22 - 2012/07/22

492位(同エリア722件中)

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滝山氏照

滝山氏照さん

藤橋城(ふじはしじょう、東京都青梅市藤橋)はJR八高線金子駅から青梅方面に向かうと途中今井城跡を過ぎて更に約2Kmほど行った住宅地に隣接する「藤橋城公園」の内部にあります。

案内板によると戦国時代滝山城後に八王子城を拠点として武蔵国から上野国に広がる関東平野を勢力下に治めた小田原北条氏康三男氏照(うじてる)の家臣平山越前守虎吉の館とのことで名前から推測すると武蔵七党の西党に属する平山氏の流れをくむ武将と思われます。

現在は公園となって中に入るとあじさいの花を左右に臨んだ散歩道となって、中央部は石垣で囲まれた高地に某神社址の石柱が建てられているだけです。

然しながらこの平地の西端から北端にかけては土塁で囲まれており、それぞれの土塁の外側は帯曲輪となって見応えがあります。

上記の他には北端の外側は水田が広がっており、かつては水沼もしくは湿地であったのではないかと思われ、敵の攻撃を防御する役目を果たしていたのかも知れません。


2023年9月28日追記

現場に設置の説明板には下記のごとく記述されています。

「 藤 橋 城 跡

現存する遺構は、東西70メートルX南北60メートルの曲輪と付随する腰曲輪、土塁、空堀等であり、旧態をとどめている。

『武蔵名勝図会』(文政3年・1820)に、次のように記されている。「平山越前守虎吉という人の居住の地なり。この平山氏は北条氏照に仕えた人なり。平山右衛門大夫・同伊賀守などは檜原村に城跡あり。又、平井村・大久野村あたりは平山氏が旧跡なれば、この越前守もその一族なるべし。
ここは土居を廻らし、城跡もありて、その内の広さ東西20間余、南北凡そ50間程、入り口の城戸門跡と覚しきところは南向きにて、すべて平地なり。西より北へ廻らして今井村の水田に臨み、霞川の流れを帯びたり。この辺は崖にして高さ2丈あまりなり。』
                  青梅市教育委員会 」

交通手段
JRローカル 徒歩
  • 藤橋城跡入口<br /><br />説明板には「入口の城戸門跡と覚しきところは南向きに」とありますが、道路と共に住宅が迫っており往時の面影は見られません。南端は一様に土塁が造られており空堀は既に道路となっています。

    藤橋城跡入口

    説明板には「入口の城戸門跡と覚しきところは南向きに」とありますが、道路と共に住宅が迫っており往時の面影は見られません。南端は一様に土塁が造られており空堀は既に道路となっています。

  • 公園散歩道<br /><br />公園化された散歩道の左右にはあじさいの花が咲いています。

    公園散歩道

    公園化された散歩道の左右にはあじさいの花が咲いています。

  • 西端土塁<br /><br />西端には見事な土塁が在ります。

    西端土塁

    西端には見事な土塁が在ります。

  • 帯曲輪<br /><br />土塁の外側には帯曲輪が確認できます。

    帯曲輪

    土塁の外側には帯曲輪が確認できます。

  • 公園中央部<br /><br />手入れが行届いていますが、その分きれいすぎて館跡にしては面白くありません。<br /><br />

    公園中央部

    手入れが行届いていますが、その分きれいすぎて館跡にしては面白くありません。

  • 西端通路<br /><br />急涯を上下に導く路があります。<br /><br />

    西端通路

    急涯を上下に導く路があります。

  • 北端土塁<br /><br />土塁に沿って植え込みが在ります。<br /><br />

    北端土塁

    土塁に沿って植え込みが在ります。

  • 北端展望<br /><br />5~6m下には水田が一望されます。往時は水沼または沼地だったのではないかと想像します。

    北端展望

    5~6m下には水田が一望されます。往時は水沼または沼地だったのではないかと想像します。

  • 再び公園中央部<br /><br />公園化されて散歩道と植栽がうまく造られています。

    再び公園中央部

    公園化されて散歩道と植栽がうまく造られています。

  • 神社址石碑<br /><br />公園中央部に神社址石碑が建っています。

    神社址石碑

    公園中央部に神社址石碑が建っています。

  • 土塁<br /><br />整備された植栽に残された土塁が見られます。

    土塁

    整備された植栽に残された土塁が見られます。

  • 土塁<br /><br />公園の端には手が付けられていない所に土塁が残っています。

    土塁

    公園の端には手が付けられていない所に土塁が残っています。

  • 東端<br /><br />道路が隣接しており館跡との境界は土塁となっています。空堀部分は年月の経過と共に既に道路と化しています。

    東端

    道路が隣接しており館跡との境界は土塁となっています。空堀部分は年月の経過と共に既に道路と化しています。

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