2012/09/18 - 2012/09/27
29位(同エリア36件中)
明石DSさん
北京「首都大酒店」の朝
2年前から食前の果物が日課なので
毎日りんご一個、バナナ二本、その他を食べる
その為に果物ナイフが必要なので到着後購入
別れの儀式はないが帰国時に置いて帰る
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10日目:9月27日(木):晴れ
北京から帰国へ
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2012/平成24年9月27日(木)
■帰国の朝
5時半モーニングコールの前に目を覚まし、帰国への準備を始めた。18日の夜、北京首都国際空港から“東交民巷飯店”に向かう時、途中の便利店で買った果物ナイフともお別れだ。
海外旅行のたびに現地購入そして捨てて帰る。それは果物ナイフ、刃渡り15センチはある。これなら立派に凶器としても使える。「首都大酒店」五星A楼ではなく四星B楼での二泊を終えて退房した。
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首都大酒店の玄関にて撮影
2002年に初めて北京に来て
10年後の2012年、再訪
次はあるのか?神のみぞ知る -
義和団事件「籠城の地」より帰国する
112年前の1900年
八ヶ国連合軍の中で日本軍と日本人は
柴五郎中佐の指揮の下目覚しい活躍をした
今の日本人は日本人にあらず
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■一路空港へ
ホテルに入って来たタクシーに「空港まで」と乗ろうとしたら、運転手に「2号か3号か?」と聞かれた。一体何のことか分らず、横にいた男性服務員に尋ねたら、やはり分らないようでフロントに聞きに言ってくれた。
空港には「1、2,3号航站楼」とターミナルが別れているようで1号は国内線なので、運転手が「2号か?3号か?」と聞いてきた。2号,3号は航空会社によって違い、中国東北航空は2号ターミナル。
午前6時半には車上の人となり、朝靄のなかを一路空港へ。中国発展の象徴でもある高層ビル群を眺めていたら渋滞もなく7時10分、40分ほどで2号ターミナルに到着した。 -
北京の朝靄の中をひた走る
気分は最高 -
大都会の中に自転車が通る
北京の風景はこれでなくては・・・。 -
なんか変わった建物だと写真を撮った
SOHO中国が開発した
北京市の高級オフィスビル
「銀河SOHO」という建物だった -
空港への料金所
中国にもETCがあった -
北京首都国際空港到着は午前7時10分
ほぼ出発3時間前に着いた
帰国時の待ち時間は苦にならずフフフ -
これが北京首都国際空港2号ターミナルか
フムフム
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■北京から煙台へ
まだ9:55分の出発まで3時間近くあったが、帰国前の待ち時間は何ら気にならず、無事に旅を終えたことの余韻に浸っていた。北京から関空直行ではなく煙台経由なので出国手続きはない。No.50の搭乗口の前で時間までボーと待っていた。その間何をしていたのか記憶にも無い。
10時に搭乗口から出てバスで飛行機へ、窓側の席に座り煙台に向かう。さすがに関空行きなので日本人客が多い。煙台空港到着は、12時頃、この飛行場は中国空軍が併用しているようで戦闘機がズラーと並んでいた。
張りぼてなのか?優秀なのか?中国軍兵士に国の為に命を賭して戦う気概あるやなしや?機会の平等なく、賄賂とコネで人生が決まる。そんな国を守るために命を懸けるなんて誰が出来ようか?
一部の特権階級とあとは奴隷の国で、そんな国を守りたいのは今の特権を維持したい一部の利益享受者だけだ。そんな奴らは誰しも外国に逃げ場を用意し、国と運命を共にしようなんて輩はゼロとは言わないまでも希少だろう。
いざとなれば日本は絶対勝てる。大東亜戦争の先人たちの戦いを見れば一目瞭然だ。ただ核兵器には勝てない。故に日本は中国と戦争をしないための抑止力には核兵器を持つことしかない。 -
50番ゲートより午前9時59分搭乗始まる
9時55分(発)だから、すでに30分は遅れている -
バスで飛行機へ
タラップを上って飛行機に入るのも良いものだ -
煙台経由関空
やはり乗客の多くは日本人 -
煙台到着は12時
北京からちょうど1時間で到着 -
煙台の飛行場には中国空軍機が整列
その実力や如何に?稼働率は・・・。 -
とりあえず飛行機を降りて出国手続きをしてのち待つ
最近は出入国カードを機内で配布してくれない
なんでやねん
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■煙台から関空へ
煙台で一旦飛行機から降りて出国カードを書いて、30分後に同じ飛行機に乗り直し、わが祖国に日本へと向かった。煙台からも乗客は多くほぼ満席となる。中国人の来日は不要だが、残念ながら半数はそうだろう。
確かに市場としては魅力に溢れるのだろうが、日本の軍事力が優位ならばまだしも、そうでないなら交流を深くすればするほど日本にとってマイナスは大きくなる。我支那朝鮮との国交断絶を望む。それが無理なら最小限の範囲が良いハハハ。こんな私が何度も中国へ行き、又行くことになるのか?
午後3時45分頃、一時間の時差を増やして関空に到着。10時〜14時45分:実質北京→煙台→関空は、乗り換え待ち時間を含めて7時間弱の旅となった。遣唐使・遣隋使の時と比較すれば、空と海との違いもあるがとにかく早い。
では百年後、二百年後には当然もっと早くなる。瞬間移動ワープが実現するのか?それとも高度に発展した文明は滅亡するのか?見るに見れないけど。 -
この飛行機に乗って帰る
中学高校の頃、海外遠征のスポーツ選手が羨ましかった
「兼高かおる世界の旅」をテレビで見て、驚きばかりだった
自分が飛行機に乗って海外に行くことは夢のようなものだった
今それが実現しているのは日本の国力のお陰だ
戦後日本をいつもボロカスに言っているが
日本に生まれて日本人であることに感謝感激である
私以外の日本人の努力で私はこうやって
海外旅行を楽しむことが出来ている -
煙台より関空に向かう
煙台からも多くの乗客が乗り込み
ほぼ満席状態になった -
機内食は時間潰しにホンマありがたい
豪華でなくても良いから何なりとお願いします -
関空を眼下に見る
ここで墜落しても助かる可能性はあるだろう
空を飛ばずに世界を移動できる方法は? -
午後3時45分機内を出る
無事に関空に着いたホッとする -
空から見た関空連絡橋を渡る
飛行機を降りて関空を出るまで10分ちょっと
一目散とは私のこと
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■関空から我が家に
午後4時過ぎに三ノ宮行きリムジンバスに乗ったが、途中湾岸高速道路の尼崎付近で、道路近くの工場で火事があり通行止めとなって一般道に下りる。それゆえ時間がかかり三ノ宮到着は午後5時40分くらいになった。
木曜日の6時前、JR三ノ宮駅のプラットホームは帰宅する人たちで一杯だった。そんな皆の顔は日常の延長であり、いつもと何ら変わらない風景を見れば旅の終わりを実感する。日常というのは記憶に残らない。昨日のことすら定かでない。
でも私は北京帰りの今日であり、反日騒動の中国から生の現場を見て帰って来た今である。私にとっての今日は、旅行記を書き記し、将来旅行記を読み直せば思い出す非日常の一日である。何か得をしている気になる。
新快速で西明石着は5時13分、昔ながらの商店街を歩き、10分後の5時23分には自宅到着。ひとまず旅の終了となった。ほっと一息、現金なのもので仏壇に報告が遅れたが線香を上げ般若心経を二回詠み、ご先祖に無事帰宅を感謝した。 -
尼崎付近で湾岸高速傍の工場が出火
通行止めとなり一般道へ降りる
「あれくらいなら通れるやろ」と思うが
止めとけば無難ということだろう -
俺は今北京帰りやで
みんなはただの木曜日か -
西明石は新快速が止まる
新幹線の駅もある
海も近い、気候温暖、災害も少ない
住めば都というけれど、此処は都だ -
商店街を歩いて徒歩15分足らずで我が家に到着
西明石に住んで30年を越えた
もう引っ越すこともないだろう終の棲家なり
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旅を終わって思うこと
2012/平成24年11月26日(月)記
このところの私の旅は戦跡めぐりである。今回も張家口の丸一陣地を訪ねた。戦跡巡りをするようになり、いささかの目的を持って過去を学び戦争を調べるにつけ、私はますます大東亜戦争を賛美する気持ちが強くなって行く。
「戦争を賛美」などといえば、その言葉だけで極右だとか“きちがい”とか言われそうだが、私から見ればまったく反対で、そう思う日本人のことを、私は無知であり偽善者であり無責任な人間だと断じている。
戦争はどんな戦争でも悲惨で地獄の様相を呈する。思いの強弱はあれど誰だって戦争の当事者になりたくない。だからこそ、乾坤一擲の勇気を振り絞ってその当事者になった先人を賛美し誇りとする。無駄な戦いも数多くあっただろう。惰性で始まり終えることが出来ず泥沼化した戦いも数多くあるだろう。
一旦戦争に踏み込めば、多くの戦死者・犠牲者を前にして敗北を認めることは至難となる。それでも大東亜戦争は終結した。戦争終結の決断が遅いとか早いとか、それぞれの思いは百人百様だろうが、私は国民総動員で戦った戦争の終結は、遅いも早いも適切もなく、終わるべくして終わったとしか思わない。
こんなことは歴史のうねりのなかの出来事であり、誰かの責任にしようとする者こそ愚なり。敗戦の責任を誰かに問うこと事態が、敗戦を負の歴史とする者の思考であり、私のように賛美する者は、戦略戦術的な反省は勝敗関係なく大いにすべきだが、敗戦責任を特定の者に押し付けることなど有り得ない。
我が子が、自らの正義を貫くために、強い相手に勝敗を度外して喧嘩を挑み、惨々に負けて傷だらけになって帰って来ても、私はその子を決して愚か者だと思わない、誇らしく思う。そして台湾朝鮮を併合し支那に進出したのは、第一に白人列強に負けじと覇権を拡大し国力を増し独立を保たんがためであり、混乱した東アジア地域を日本主導で安定させるために併合し進出した。
そして大義名分の大東亜共栄圏というのは後付の都合の良い美名であっても、当時の白人列強が世界を牛耳る状況の中、たった一つのアジアの雄であった日本がそれを旗印に成そうとしたことは非難に値するものでは決してない。
何百回でも書くが真の敗者とは「戦うべき時に戦わない者」である。戦いを放棄する憲法を盾に、太鼓もちの如く小金をばら撒いて周囲のご機嫌を伺いながら世渡りをする生き様も、それはそれで自らが選んだ道だ。しかしだからと言って、その対極の生き方をした先人の成したことを敵対国と同調して捏造・歪曲し非難することが許されるのか?恥を知れ!
南京事件しかり、慰安婦問題しかり、そのほかも全てと言って良い。支那朝鮮の言い分は、今の言動を見れば分るように己の都合が悪きことに真実はない。それは過去現在と一貫し未来もそうだろう。その態度は尊大であり、中味は如何様であれ自分たちが一番であるという中華思想という他はない。
推古15年(607年)当時の世界は、二つの帝国が有り、「西がローマ帝国」「東が隋帝国」。そんな時代に聖徳太子が隋の煬帝に対して「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや」と認めた国書を送り、煬帝は激怒したそうだが、翌年「東の天皇、敬みて西の皇帝に申す 」と堂々と対等の姿勢を貫く国書を再び送っている。
しかし今の日本のように、そして足利義満の時代には「日本国王」として明の冊封下にあったとか、他の時代においても朝貢していたとか様々言われいている。それがその時々の外交手段であり、実質的な上下関係はないと言われても方便詭弁に過ぎず、そんな関係は元より断固拒絶する。
聖徳太子の態度こそ、いつの時代であっても日本の成すべき姿勢であり、彼の国を知れば知るほど、紀元前はいざ知らず日本と比べて支那という国は大したことはない。日本のほうがいつの時代でも、国として民族としての総合力ではすぐれていると確信している。
そして現在尖閣問題を機に急速に日中関係は冷え込み、今後は紆余曲折あれど、より難しくなっていくのは間違いない。支那にとって日本殲滅は果てしない過去からの野望であり、それが可能と見極めれば容赦せず目的を達成しようとするだろう。「道徳の無さ」「見栄と面子」そして「何でもありでええ加減」・・・中国を旅していつもそう感じる。そんな国だからこそ突然何をするか分らない。
尖閣問題で反日暴動渦中に北京・張家口を旅しての感想は、「日本の独立と国土を守り、日本国民の生命財産を守るために、支那を上回る軍事力を整備し、一刻も早く核武装を果たし、敵対する隣国に対して戦争を未然に防ぐ抑止力を持たねば成らない」ということである。
冗談でもなく大げさでもなく、これが旅を終えての真摯な感想だ。
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