2012/11/25 - 2012/11/25
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montsaintmichelさん
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JR東海「そうだ 京都、行こう。・・・紅葉は、旅の入口にすぎませんでした」のキャッチコピーに感化され、晩秋の風物詩 紅葉狩りに勤しんでまいりました。今回のテーマは、少々ベタではありますが、『JR東海 京都観光キャンペーン』を辿る旅です。まず、2012年キャンペーンポスターの秋景色を彩る二尊院。そして1994年秋と2010年初夏を幻想的に魅了した祇王寺。次に、2007年秋と2011年初夏に胸躍らせた常寂光寺を訪ねてみました。いずれも嵯峨野に佇む古刹ですので、のんびりと過ぎ行く秋を愛でたいところです。しかし現実は、帰途の混雑が脳裏に浮かび、ツアー旅行のように時間に追われる始末。それでも晩秋の一日を満喫することができました。何と言っても、四季に一番うるさい京都の秋の代名詞を冠するスポットですので、午後2時頃には、長辻通(渡月橋〜野宮)の歩行者天国は紙上で拝見した大阪マラソン並みの人で埋め尽くされていました。
<散策コース>
嵐山 渡月橋---野宮神社---二尊院---祇王寺---常寂光寺---野宮神社---嵯峨野 竹林の道---渡月橋
<後編>は、常寂光寺と野宮神社を紹介します。
嵯峨野の紅葉スポット全般に言えることですが、午後3時を回ると小倉山の影に入り薄暗くなります。11時〜14時頃が最適かと思います。
また、帰途の混雑を考慮すると少し早目の参拝が無難です。お子様連れの場合は、あまり欲張らない方がいいですよ。
今回の旅路のマップは次のサイトを参照ください。Googleマップは使い難いという方にはうってつけです。和菓子屋 甘春堂さんのマップですが、優れものです。
http://www.kanshundo.co.jp/aboutus/shop/sagano/illustmap.htm
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 私鉄
-
常寂光寺 山門
珍しい黒塗りの山門です。太い角材を格子に組んで造られた山門は、江戸後期に
作り変えられたもので、江戸中期出版の「都名所図会」には袖に土塀をめぐらした薬医門が図示されています。また、閉門しても墨色に塗られた角柱の格子の間から参道が見える開放的な山門となっています。
山門はありますが、これほどの規模の寺にしてはしっかりした塀が全くありません。あるのは生垣ばかりです。長尾憲彰 著「塀のない寺」には、次のような明瞭簡潔な答えが書かれていました。「隠棲所にはじまるこの寺の生い立ちと、この辺りの小倉山の風光そのものが、こういう塀のない形をつくったものと思われます」。 -
常寂光寺 山門付近
山門を潜るといきなり眼前に紅葉が押し迫ってきます。
小倉山を背に竹林や鬱蒼とした樹木に抱かれた古刹。嵯峨野の「もみじ寺」と形容されるほどで、紅葉の見事さは名所揃いの京都でも屈指の美観を誇ります。ここの紅葉は、嵯峨野の紅葉狩りでは絶対外せないスポットです。
開基は日蓮宗の高僧 究竟院日韶で、1595年の建立。日韶が秀吉の宗門統制に逆らい、六条の日蓮宗大本山本国寺16世の座を降りて隠栖し、常寂光寺建立に至ります。日韶は歌人でもあり、藤原定家の山荘があったとされるこの場所を隠居の地と定めました。小倉百人一首の小倉の名は、この小倉山から引用したそうです。お寺の名の由来は、ここには仏教の理想郷である常寂光土の感があるところから常寂光寺と名付けられたそうです。 -
常寂光寺 仁王門
山門を潜るとまず目に飛び込んでくるのが茅葺屋根の仁王門。南北朝時代(1336〜1341)に建立され、元は山科の本圀寺客殿南門であったものを日禎が元和2年(1616)に移築したもの。境内建築物の中で最も古い建物だそうです。こぢんまりとしていますが風格のある門構えです。仁王像は若狭小浜の長源寺から移されたもので、運慶の作と伝えられ、身の丈七尺。目と足腰の病にご利益があるとされ、近在の檀信徒がわらじを奉納して病気平癒を祈願されています。 -
常寂光寺 仁王門
仁王門を潜るとまた違った景観が広がります。
仁王門を彩る赤、黄、橙の華やかな紅葉は、思わず息を呑むほど見事。石段や参道脇にも紅葉が盛りだくさんで、境内は目移りしてしまうほど見所が凝縮されています。
常寂光寺のJR東海 京都観光キャンペーンのポスターは、次のサイトを参照ください。
http://recommend.jr-central.co.jp/others/museum/kyoto/autumn_2007_01.html
http://recommend.jr-central.co.jp/others/museum/kyoto/summer_2011_01.html -
常寂光寺 参道(石段)
仁王門を過ぎると急峻な石段が待ち受けています。しかし、心配は無用です。見上げれば、このような景観が石段を登る我々を優しく見守ってくれています。紅葉を愛でながらゆっくり登りましょう。
仁王門から高台へと、まさに天空に羽を広げるように覆う紅葉のトンネルは圧巻です。舞い落ちた紅葉は苔の上にびっしりと敷き詰められ、時折流れる秋風に打ち震える姿に心動かされます。 -
常寂光寺 参道(石段)
石段を息を切らせて登ると桃山城の客殿を移築した本堂が聳えます。山門からこの高台まで一直線の参道となっており、振り返ると色とりどりの紅葉の下に茅葺屋根の仁王門がひっそりと静かに佇んでいます。
常寂光寺の紅葉で一番美しいのが仁王門付近。まるで紅葉のトンネルの中を歩いているような感じで、散り紅葉が加われば至高の景観となります。ここには約200本の楓の老木が立ち並んでいるそうです。また、茅葺屋根にしなだれかかる紅葉の色合い、風情は、見ごたえ充分。紅葉の発色も素晴らしく、珠玉の景観だと思います。 -
常寂光寺 本堂
本堂脇にある、今を盛りと紅色に染め上げた紅葉の老木。存在感を誇示していました。
本堂は、第2世 通明院日韶上人代に小早川秀秋の助力を得て、桃山城客殿を移築したもの。江戸期の文献、資料に図示された本堂の屋根は、本瓦葺きの二層屋根となっています。現在の平瓦葺きの屋根は、昭和7年(1932)の大修理の時に改修されました。ご本尊は、十界大曼荼羅です。
本堂左側には、能勢妙見を分祀する妙見堂があり、説明によると慶長年間に起こった保津川洪水の折、角倉町の一人の舟夫が流れ着いた妙見菩薩神体を拾い上げ祀っていたもの。その後、鎮護の神としてこの社で祀ることになったそうです。妙見堂横の石段を登ると多宝塔に行き着きます。 -
常寂光寺 竹林
妙見堂の先には見事な竹林があり、幻想的な風景に惹きつけられます。苔と竹、紅葉、晩秋の斜陽とその陰影の究極キャストによるコラボレーションです。ここも「常寂光土」の一環なのでしょう。 -
常寂光寺 多宝塔への坂道
法身仏がお住まいの浄土のような美しい理想郷を指す「常寂光土」に遊ぶような風情があるところから「常寂光寺」と命名されたと言われるように、山の急斜面を上り下りしながら、上から俯瞰する景色、下から仰ぎ見る景色などを風雅に楽しむことができる趣向となっており、見所満載です。
常寂光土とは「天台宗で言われる四土で一番最高の世界。真理そのものが具現化されている世界」という意味だそうです。もう少し噛み砕くと「仏様の住む世界は四つあって、その中でも一番の理想郷」という感じです。 さて、何故「常寂光土」と思わせたのかと言えば、四季折々の風情です。その中で、秋の紅葉は別格です。そして嵯峨野や京都市内が俯瞰できる小倉山からの眺望、静寂感に包まれた境内。それらは、まるで常寂光土に遊ぶような風景だとされたのです。 -
常寂光寺 多宝塔(重要文化財)
元和6年(1620)に辻藤兵衛尉直信が建立したもの。塔は擬宝珠高欄を付した縁をめぐらし、和様の中に禅宗様の形式が組み込まれ、随所に優れた装飾が施されています。屋根の上には、長い相輪がおもいきり背伸びをしています。屋根の形といい、全体の立ち姿といい、本当に優美という表現がそのまま当てはまります。特に、重層の屋根のラインがわずかに跳ね上がっているのが、優雅さを醸成しています。
上重、四手先組物、亀腹と下重の桧皮葺屋根、高さ12.27m。
内部に釈迦、多宝二仏を安置するため、並尊閣とも呼ばれます。ただし、内部は常時非公開だそうです。正面の勅額に霊元天皇の宸筆で「並尊閣」と書かれています。多宝塔からは秋色に染まった京都の町並みが眺望できました。
多宝塔の初重と二重の間にある白い部分は、亀腹といい、補強のため白漆喰で饅頭形に塗り固めたもので、円筒形の塔身の名残りを見せているのだそうです。白い亀腹が、良いアクセントになっています。 -
常寂光寺 多宝塔
多宝塔にかかる紅葉の鮮やかな紅色が、見事なコントラストを描き出します。一斉に紅葉した時は、格別です。
超満員の電車に乗ってでも訪れた甲斐があると思える、風流で優美な紅葉の見られるスポットです。燃え上がるような紅葉と多宝塔、そして眼下の嵯峨野のひなびた風景がマッチしています。随所に「わびさび」の情緒が垣間見られます。情緒纏綿、日本の心ここにあり。 -
常寂光寺 庭園
伏見城の客殿を移した本堂裏手には庭園があり、本堂の縁側に腰を下ろしてしばし瞑想に耽ることができます。ここにある小ぶりの塔は、とっても味わいがあります。 -
常寂光寺 庭園
細長い小池には、小さな石橋が架かっています。石橋の上や小池に舞い落ちる散り紅葉にも風情があります。 -
常寂光寺 庭園
小池の水面に舞い落ちた散り紅葉。 -
常寂光寺 庭園
苔生した燈籠に降り積もる散り紅葉。 -
常寂光寺 庭園
カエデだけでなく、他の樹木も負けじと紅葉しています。 -
常寂光寺 本堂前
境内にイチョウの木がありました。足元に目を向けるとイチョウの絨毯が鮮やかでした。イチョウの黄葉とカエデの紅葉の対比も美しいです。欲を言えば、カエデがもう少し赤ければ…。ここは、皆さんに想像していただくほかありません。 -
常寂光寺 鐘楼と老爺柿(ロウヤガキ)
常寂光寺の本堂の前で実っていた老爺柿です。
紅葉にも負けず劣らず風情があり、名前とは裏腹に艶やかな柿です。プチトマトみたいで、直径2cmくらいの可憐な柿でした。カキノキ科カキノキ属、中国原産の渋柿の一種だそうです。 -
常寂光寺 鐘楼
寛永18年(1642)、第四世 光照院日選上人の建立。
梵鐘は第二次世界大戦中徴資に遭い、現在の梵鐘は昭和48年(1973)に青木一郎博士の音響設計により、古律黄鐘調の新鐘として鋳造されたものだそうです。毎日、正午と夕方5時に撞かれるそうです。 -
常寂光寺 鐘楼付近
柿とイチョウ、紅葉、松、青空の揃い踏みです。偶然の賜物とはいえ、役者が勢揃いしました。 -
常寂光寺 鐘楼付近
カエデの「楓」と言う漢字は、実は誤訳なんだそうです。
中国に日本のカエデと良く似たマンサク科の「フウ」と言う樹木があります。それを中国では「楓」と書きます。日本人の誰かが「カエデ」と中国の「フウ」とを同一視し、「カエデ」に「楓」という漢字を宛てたのが間違いの元。中国ではカエデ科のカエデは、「槭」と言う漢字を書くそうです。
日本語と中国語の同形異義語としては、「老婆」が挙げられます。日本語では「年をとった女性。老女」の意味ですが、中国語では「妻」を指します。日本で言う「女房」や「かみさん」といった感覚で、くだけた場で使われます。ただ年齢層を限定することはないため、20代でも80代でも等しく老婆=妻だそうです。
もう一つ、「愛人」。中国では、愛人は「妻」や「夫」といった正式な配偶者を意味するそうです。日本で用いられる、後ろ暗い関係を匂わせるニュアンスはなく、文字通り「愛する人」と胸を張って言える言葉だそうです。日本側で変化した例の典型です。日本でも少し前までは、中国と同じように愛する人というそのままの意味で使っていたそうです。1952年に発刊された国語辞典の辞海(三省堂)では、愛人を「愛する人、恋人」と規定していたそうです。
改めて言葉が生き物だということを思い知らされます。 -
常寂光寺 鐘楼
逆光に映える鐘楼付近の景観は圧巻。狂おしいほどに情熱的な紅葉の大海原が、鐘楼の周りを夕暮れ時かと見紛うような朱一色に染め上げていました。 ここ常寂光寺も他の寺院と同様に戦火に遭い、一時は廃墟寸前まで荒れたそうです。昭和になり、再建の声が高まった頃、ようやく観光寺院として歩み始めます。戦争中に徴資に遭い、失った梵鐘が復元できたのはそれから何年も後のことでした。「戦争で失われた鐘は再び作ることは出来ても、失われた命は再び蘇らせることは出来ない」と梵鐘に刻まれているそうです。鐘を撞く人、その鐘の音を聞く人、それぞれに平和への願いが詰まっているのでしょう。鐘楼を見上げながら、ふと重い歴史に感じ入ってしまいました。 -
常寂光寺 鐘楼付近
無視することを「シカト」といいますが、これにも「モミジ」が絡んでいるそうです。花札でシカとモミジの絵札があるのをご存じでしょうか?
この絵札は10月の絵札なのですが、シカがそっぽを向いていますよね。そこから「シカ + 10(とう)」⇒「シカト」になったそうです。 -
常寂光寺 女脇坂から見上げる鐘楼
この辺りの紅葉は、全て逆光で仰視する構図になります。
鬱蒼と生い茂る楓の老木に天空が覆われ、仰視する「透かし紅葉」(このような言葉あるかどうかは、不明です)は、まるで中世ヨーロッパの寺院にあるステンドグラスが陽射しを浴びて煌くように幻想的な宇宙空間を創生しています。そう言えば、寺院の内陣のモチーフは森だそうです。この光景は、例えて言うなら、藤城清治氏の影絵(光と影の詩人)の世界感そのものです。
晴天の昼下がりでも薄暗く、曇天や雨の日にはまた違った味わいがあるのでしょうが、「透かし紅葉」を仰視するなら是非晴れた日に訪れてみてください。 -
常寂光寺 仁王門付近
本堂からの参道から見下ろす仁王門です。仁王門の白壁、緑の苔、そして紅葉の色彩が織りなす独特の世界が広がります。 -
常寂光寺 仁王門付近
仁王門付近の「透かし紅葉」は、今を盛りと燃え立つ篝火のように天空へと立ち昇り、存在感を顕にしています。優美と言うよりも気迫や力強さを感じます。 -
常寂光寺 仁王門付近
京都の寺は苔の美しい寺が多く、常寂光寺もその一つです。鮮やかな緑の苔の上に落ちる紅葉の赤や黄の色彩が優美です。葉を落としてもなお息づいているかのように目を楽しませてくれる紅葉に心を奪われます。舞い落ちた枯葉にも美を見出し、「散り紅葉」という甘美な言葉を創り出した日本人。やはり美意識の高い民族なのだなぁと再認識します。それは、四季という季節感がはっきりしているからなのでしょう。そして日本に生まれて良かったとつくづく思わせてくれる場所、それが京都という街なのかもしれません。 -
小倉池付近の小道
左には竹林、右には紅葉が立ち並び、それぞれの趣きが味わえる一挙両得のお得な小道です。 -
南天の果実と竹林
南天は、メギ科ナンテン属 中国原産の常緑低木。和名の由来は、漢名の「南天燭」を略したもの。
鳥にでも食されてしまったのか、果実はまばらです。(鳥の大好物のようです)
実を乾燥させたものには、「せき」止めの効き目があります。鳥の美しい囀りは、南天のおかげなのでしょうか? -
沿道にあった珊瑚樹の果実
スイカズラ科ガマズミ属の耐寒性常緑小高木です。初夏、白花を咲かせ、花終の秋に真っ赤な光沢のある美しい果実をたわわに実らせます。みずみずしく赤く熟した実をたくさんつけ、紅珊瑚のように美しいことからサンゴジュの名が付けられました。有毒であるという明確な報告はないようですが、昔は地方によっては水中で葉などを叩き潰して魚を獲ったようなので、食用にするのは避けた方が無難です。 -
嵯峨野 小倉百人一首文芸苑(野宮神社)
JR山陰本線沿いにある竹林です。赤く色づいた紅葉と緑の竹林のコントラストが惹きつけます。内部は庭園になっており、「新勅撰集」に収められている4首の歌碑が建っています。文芸苑は、嵐山東公園、亀山公園、野宮神社、建石町広場、長神の杜の5箇所にあり、それぞれに歌碑が設置されています。ただし、全国各地から採集された自然石が石材として使用されているため、歌碑としては読み難いのもあります。 -
嵯峨野 竹林の小道
深い緑と笹を鳴らす風の音が清らかな竹林の小道には、嵐山界隈の喧騒を離れた神聖な雰囲気が漂っています。よく旅行誌等で見かける景色そのままで出迎えてくれ、心癒されます。
野宮竹とは野宮神社の周辺の竹林のことで、真竹を言います。丈長く、節低く、弾力があり、枝は短かく、葉は細やかで、建築用材や竹細工に利用されています。
写真の人力車に乗られた老夫婦のように、10年、20年後にも夫婦一緒に寄り添って旅ができればいいなと思います。 -
野宮神社 黒木鳥居
参拝の若い女性の列が歩道にまで伸びていました。
黒木鳥居はクヌギの木の皮を剥かないまま使用する日本最古の鳥居の様式で、素朴な鳥居ですが歴史の重みを感じさせます。 現在、ここと元伊勢皇大神社(京都府加佐郡)でしか見ることのできず、大変珍しいものです。『源氏物語』には、「物はかなげなる小柴を大垣にて、板屋ども、あたりあたり、いと、かりそめなり。黒木の鳥居どもは、さすがに神々しう見渡されて・・・」と記されています。また、『徒然草』には野宮神社に関し、「斎宮の野宮におはしますありさまこそ、やさしく面白き事のかぎりとは覚えしか。」と記しています。鳥居横の小柴垣はクロモジの木を用いており、天皇の御即位式で建てられる「大嘗祭」も黒木鳥居と小柴垣で囲まれています。また、能「野宮」で六条御息所の怨霊が消えたのもこの黒木鳥居の陰になります。 -
野宮神社 弁財天と紅葉
嵯峨野 竹林の中に、源氏物語「賢木の巻」に美しく描写された魅力的な野宮神社があります。野宮という地は、天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王が伊勢へ行かれる前に身を清められた所で、673年天武天皇の娘 大来皇女から後醍醐天皇の時に南北朝の戦乱で廃絶まで、約660年に渡り斎王群行が続けられました。斎宮夢行列は往時の斎王群行を再現したもので、野宮神社の場所が使われたのは平安時代のはじめ嵯峨天皇皇女仁子内親王が最初とされています。和泉式部日記に語られ、謡曲「野宮」の題材や芭蕉や蕪村の俳句にも詠まれています。中央の本殿は、健康と知恵授けの神「野宮大神(天照大神)」、境内右手の奥は、子宝・安産・商売繁盛の神「白福稲荷大明神」、財運と芸能の神「白峰弁財天」が祀られています。境内左手の井戸に祀られた「龍神」は、病気で苦しむ人の救いの神。「野宮大黒天」は縁結びの神で、横の神石「お亀石」をさすると、願い事が叶うといわれています。御利益もバラエティーに富み、女性やカップルの参拝者も多い人気のスポットです。 -
野宮神社 お亀石
野宮大黒天横の神石「お亀石」をなでながらお祈すると一年以内に願い事が成就すると言われています。直径は1m近くあります。野宮神社の西側にある小倉山が、京都側から見ると亀に似ていることから「亀山」と称され、亀が信仰されるようになったと伝えられます。亀はめでたい生き物ですので、この石には不思議な力が宿っているのかもしれません。何度も擦られているせいか、石の表面はテカテカしています。
神社の境内は思ったよりも広くありません。良縁を願う絵馬が所狭しと奉納されており、多種多彩のお守りも人気だそうです。ハングル文字の絵馬もありました。 -
野宮神社 斎宮旧跡の石碑と野宮じゅうたん苔
初めに書いた通り、野神社だけが斎宮旧跡ではないのですが、旧跡の一つとして石碑が設けられたのでしょう。境内には苔の庭園として有名な「野宮じゅうたん苔」があり、苔の上に石組みや灯籠が置かれ、その優美さに眼を奪われます。「じゅうたん苔」は、地下水脈の豊かさが為せる業ということでしょう。 -
野宮神社 野宮じゅうたん苔
源氏物語 第十帖 「賢木の巻」(あらすじ)
源氏物語全編を通じ、最も印象深く、また女性の愛の業の深さが際立っているのは、六条御息所ではないでしょうか?
光源氏は、少女のような紫上と結婚したものの充たされず、源氏の奔放な求愛は7つ年上の高貴な未亡人の御息所に向けられます。教養も身分も申し分なく、宮廷人の憧れの的の御息所は、源氏を愛するようになると自らの情の深さに苦しみ、生霊となって源氏の正妻である葵上を憑殺してしまいます。愛に執着する自身の浅ましさと決別するため、娘の斎宮と共に伊勢に下る御息所の決心を知り、源氏は野宮を尋ねますが会ってくれません。榊を手土産に強引に会うが、「神聖な榊を折って来られたの?」と責めて下向を思い止らなかった。源氏は、御息所の深い愛情を無視し、心奢ってないがしろにしたことを悔いた。
悲恋に苦しんだ御息所の想いがあってか、野宮神社の縁結びの神様には若い女性が引きも切らず訪れるのがせめてもの救いです。 -
野宮神社
境内には、嵯峨祭で使われる神輿とは違う、風変わりな神輿のようなものが祀られていました。祭事にでも使われるのでしょうか?
能「野宮」(あらすじ)
諸国一見の旅の僧が鳥居前で女に遭遇します。女は、今日、9月7日は昔を偲ぶ神事を行うから立ち去るよう伝えます。訊ねると、昔この野宮の地に世を避けていた六条御息所を光源氏が訪ねた日が9月7日だと言う。語る女は、寂しげに黒木鳥居の陰に消え去りました。 その女は六条御息所の亡霊でした。僧が六条御息所の霊を弔っていると亡霊が現れて葵上との車争いで辱められた恨みを晴らして欲しいと訴え、かつて光源氏が訪れてきた日々を偲んで舞を静かに舞いました。成仏できないのは神の意にもかなわぬことだと亡霊は消えていきました。 死してなお恨みの妄執から成仏できない地獄の苦しみを、静寂な嵯峨野の情景に重ねて舞うのは、風景の美しさを通り越した鬼気迫る凄みを内包しており、能ならではの内容の曲です。 -
おまけ
自然の奇観!? みごとなロール状&うね状層積雲
高度が低いロール状やうね状の層積雲をうね雲と呼ぶそうです。
ロール状の雲は水平の筒状雲で、ロール雲とも呼ばれます。通常は暴風雨の前に現れ、まれに暴風雨が去る直前に出現することもあるそうです。暴風雨が近づいた時に、下降した寒冷気流が広がるとロール雲を形成します。このような下降気流は非常に速い速度で陸地表面を直撃し、強い空気の流れを形成して非常に遠くまで伸びるそうです。
実は、写真に一番近い雲の写真がモーニング・グローリーです。モーニング・グローリー(Morning Glory Cloud)とは、気象現象の一種で、朝方を中心に現れる巨大なロール状の雲の帯のことを言うそうです。オーストラリアの海岸で見られるものは、長さが1000kmにもなることがあり、最大で時速60kmという速度で動き、飛行機の飛行に問題を生じさせることもあるそうです。オーストラリアには、ハンググライダーやトライで「Morning glory surfing」するパイロットがいるそうです。
http://dailynewsagency.com/2012/03/26/incredible-cloud-formations/
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。恥も外聞もなく、備忘録も兼ねて徒然に旅行記を認めてしまいました。当方の経験や情報が皆さんの旅行の参考になれば幸甚です。どこか見知らぬ旅先で、見知らぬ貴方とすれ違えることに心ときめかせております。
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