2012/10/18 - 2012/10/18
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フロッガーさん
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東寺から北門を出て、観智院へ向かいました。
観智院は東寺の塔頭寺院ですが、別格本山扱いになります。
観智院は東寺の真言宗教の学びの場所です。
今で言えば大学の研究室、ゼミのようなもの。
僧の教育を行った場所でもあります。
通常非公開ですが、この日は東寺の特別公開期間である宝物殿と共に公開(2012年10月現在)されていました。
開山は東寺三宝筆頭、杲宝(ごうほう)大僧正。
延慶一年(1308)、東寺に帰依されていた後宇多法皇によって観智院以下21寺の建立が発願されたと伝わります。
延文四年(1359)に創建。
東寺の学僧だった杲宝は東寺の歴史や所有物を記した「東宝記」の編纂でも有名です。
草案だった東宝記は、弟子である賢宝によって完成されました。
慶長元年(1596)の慶長伏見地震によって観智院も被災し、すべての建造物は倒壊しました。
現在の観智院の客殿は慶長十年(1605)に北政所によって寄進され再建されたものです。
観智院は、春と秋に特別公開されます。
お庭のみが撮影OKです。
床の間に描かれる「鷲の図」と襖絵の「竹林の図」は三年にわたって観智院に滞在した宮本武蔵に描かれたものです。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
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北大門から出ると一直線の参道は櫛笥(くしげ)小路です。
左手は洛南高等学校・附属中学校の校舎です。 -
西門(山門)。
こちらを入り、右手が客殿。
拝観受付所になります。 -
左手は庫裡。
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つくばいね。
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客殿前の庭園、「五大の庭」です。
昭和五十二年(1977)の作庭。
弘法大師・空海が唐から密教の経典や法具等を持ち帰る帰国途中に海難にあいます。
海が荒れて転覆しそうな状態。
空海は持っていた神具を祈りとともに海に投げ入れます。
そうすると海神が現れ、海はしずまり無事に帰還したという話です。 -
枯山水様式ですが、木が植えられている部分を中国と日本にみなし浮いている石が遣唐使船、そしてそれを守る竜神(海神)・神亀・鯱などを表しています。
奥の築山は唐を表します。
左の築山が日本となります。
客殿は桃山時代に建造された書院造になります。
この床は鴬張りね。 -
客殿、「羅城の間」の前から。
左奥の建物が仏堂になります。
唐から持ち帰ったという五大虚空蔵菩薩を本尊として祀っています。
一緒に愛染明王も祀られます。
五大虚空蔵菩薩像は唐の長安にある青龍寺の本尊であったものを、承和十四年(847)に唐に渡った恵運上人が請来したものと伝わります。
こちらの菩薩様はそれぞれ、奥から順に獅子・象・馬・孔雀・金翅鳥(コンジチョウ・迦楼羅)の五種類の動物に乗っている仏様です。 -
四方正面の庭。
奥が書院になります。 -
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仏殿の北側のお庭。
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茶室である「楓泉観」(ふうせんかん)から。
この茶室は室町時代に造られたものを、江戸時代に観智院へ移築したとされます。 -
名の由来は楓(もみじ)がよく見えるお庭だからだとか。
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坪庭。
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左手が書院。
宮本武蔵の「鷲の図」は客殿、上座の間の床の間に描かれています。
横の襖絵に「竹林の図」。
宮本武蔵は吉岡一門との一連の戦いの最後、一乗寺下り松の決闘において吉岡一門を倒します。
そしてその後の報復から逃れるために、三年の間をこの観智院にて過ごしました。
その絵は長谷川等伯に師事していたと伝わります。 -
東寺の北門。
ちなみに、観智院の御朱印は東寺の食堂で頂けるそうです。
それでは東寺から次の場所へ。
京都駅まで歩いて戻りましたが、お昼を食べるのにちょうど見えたイオンモールへよりました。
それで、こちらで昼食。http://parsley-youshoku.com/index.html
よーし、一番高いの持ってこーい!と石垣牛のサーロインステーキを注文したけどビーフシチューも気になり、思い切って両方注文(爆)
嗚呼、食欲の日々よ・・・六千円(T_T)
お腹ポンポンですよ。
おいしゅうございました(*゚∀゚)
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