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この日も朝から天気が悪く雨となってしまいました(T_T)<br />ということでまずは西本願寺へ参拝してから三十三間堂へ向かうことにしました。<br /><br />西本願寺は浄土真宗本願寺派の総本山となります。<br />文永九年(1272)、親鸞聖人の末の娘である覚信尼が東山・吉水の北方に廟堂を建てて木像と遺骨を安置したのを始まりとします。<br /><br />室町期には山科の地や大阪などを移ることとなりますが、天正十九年(1591)に豊臣秀吉によって現在の地を寄進されました。<br /><br />その後の後継者問題によって、徳川家康が東本願寺を六条烏丸の地へ分立させます。<br />東西にわかれたこの地の本願寺は、西本願寺と呼ばれることとなりました。<br /><br /><br />「善人なおもて往生をとぐ いわんや悪人をや」<br /><br />善人も悪人もみな救われる。<br />親鸞聖人は誰にでもわかるように説きました。

よっしゃ、京都へ行くどす(ぇ)!2012。 西本願寺~三十三間堂へ。

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2012/10/18 - 2012/10/18

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フロッガー

フロッガーさん

この日も朝から天気が悪く雨となってしまいました(T_T)
ということでまずは西本願寺へ参拝してから三十三間堂へ向かうことにしました。

西本願寺は浄土真宗本願寺派の総本山となります。
文永九年(1272)、親鸞聖人の末の娘である覚信尼が東山・吉水の北方に廟堂を建てて木像と遺骨を安置したのを始まりとします。

室町期には山科の地や大阪などを移ることとなりますが、天正十九年(1591)に豊臣秀吉によって現在の地を寄進されました。

その後の後継者問題によって、徳川家康が東本願寺を六条烏丸の地へ分立させます。
東西にわかれたこの地の本願寺は、西本願寺と呼ばれることとなりました。


「善人なおもて往生をとぐ いわんや悪人をや」

善人も悪人もみな救われる。
親鸞聖人は誰にでもわかるように説きました。

同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス 徒歩

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  • 今回は阿弥陀堂門から境内へ。

    今回は阿弥陀堂門から境内へ。

  • お茶所(総合案内所)に置かれている獅子瓦。<br /><br />この留蓋瓦は東側の屋根に設置されている獅子型の瓦です。<br />大きさは高さが80cmほど、重量は一体で70kgあります。<br />御影堂の修復で外され、新しいものと交換されています。

    お茶所(総合案内所)に置かれている獅子瓦。

    この留蓋瓦は東側の屋根に設置されている獅子型の瓦です。
    大きさは高さが80cmほど、重量は一体で70kgあります。
    御影堂の修復で外され、新しいものと交換されています。

  • 御影堂。隣の銀杏が樹齢400年以上の逆さ銀杏です。<br /><br />大師堂とも呼ばれ、逗子内に親鸞聖人坐像が祀られます。<br />この像は親鸞聖人の荼毘された灰を漆に混ぜたものを塗ってあるそうです。<br /><br />現在の御影堂は寛永十三年(1636)に再建されました。<br />また「平成大修復」として平成11年1月16日〜平成21年3月31日に10年をかけて修復されています。

    御影堂。隣の銀杏が樹齢400年以上の逆さ銀杏です。

    大師堂とも呼ばれ、逗子内に親鸞聖人坐像が祀られます。
    この像は親鸞聖人の荼毘された灰を漆に混ぜたものを塗ってあるそうです。

    現在の御影堂は寛永十三年(1636)に再建されました。
    また「平成大修復」として平成11年1月16日〜平成21年3月31日に10年をかけて修復されています。

  • 安穏殿。<br />ブックセンターとかいてありますが、本願寺の出版物や記念グッズが販売されています。<br />この建物の左手が総合庁舎になります。<br />喫茶店もある建物です。

    安穏殿。
    ブックセンターとかいてありますが、本願寺の出版物や記念グッズが販売されています。
    この建物の左手が総合庁舎になります。
    喫茶店もある建物です。

  • 阿弥陀堂から御影堂への長廊下。

    阿弥陀堂から御影堂への長廊下。

  • それではご挨拶も終わりまして、三十三間堂へ向かいます。<br />島原口のバス停からだと1本で博物館三十三間堂前まで行けます。

    それではご挨拶も終わりまして、三十三間堂へ向かいます。
    島原口のバス停からだと1本で博物館三十三間堂前まで行けます。

  • それでは三十三間堂。<br />回廊塀のこちらが拝観受付所になります。<br /><br />奥に見えているのは京都タワー!<br />受付の坊さんは感じが良くないヽ(`Д´)ノ

    それでは三十三間堂。
    回廊塀のこちらが拝観受付所になります。

    奥に見えているのは京都タワー!
    受付の坊さんは感じが良くないヽ(`Д´)ノ

  • 回廊。

    回廊。

  • こちらで靴を脱いで、内部拝観へ。<br />さすがに学生ばっかりね(´・ω・`)<br /><br />

    こちらで靴を脱いで、内部拝観へ。
    さすがに学生ばっかりね(´・ω・`)

  • 蓮華王院は山号を「南叡山」と号します。<br />三十三間堂は現在、正式名称を「蓮華王院・本堂」と呼ぶ仏堂です。<br />東山区の天台宗・妙法院の外仏堂となります。<br /><br />蓮華王院は長寛二年(1165)に創建、後白河上皇(当時)の勅命により平清盛が建立しました。<br />この場所は後白河上皇の離宮である法住寺殿があった敷地となります。<br /><br />三十三間堂の中央須弥壇に祀られる本尊(中尊)は仏師・湛慶82歳、建長六年(1254)に彫られた木造の千手観音坐像です。<br />そして1001体の木造千手観音立像、木造二十八部衆立像が並びます。<br />1000体の千手観音像は本尊を中心に左右に10段、500体ずつ並んでいます。<br /><br />左右の端に置かれる風神・雷神像は建仁寺に納められている俵屋宗達の風神雷神図屏風のモデルになったとされます。<br /><br />

    蓮華王院は山号を「南叡山」と号します。
    三十三間堂は現在、正式名称を「蓮華王院・本堂」と呼ぶ仏堂です。
    東山区の天台宗・妙法院の外仏堂となります。

    蓮華王院は長寛二年(1165)に創建、後白河上皇(当時)の勅命により平清盛が建立しました。
    この場所は後白河上皇の離宮である法住寺殿があった敷地となります。

    三十三間堂の中央須弥壇に祀られる本尊(中尊)は仏師・湛慶82歳、建長六年(1254)に彫られた木造の千手観音坐像です。
    そして1001体の木造千手観音立像、木造二十八部衆立像が並びます。
    1000体の千手観音像は本尊を中心に左右に10段、500体ずつ並んでいます。

    左右の端に置かれる風神・雷神像は建仁寺に納められている俵屋宗達の風神雷神図屏風のモデルになったとされます。

  • 三十三間堂、南側から。<br /><br />創建当初は五重塔などの伽藍が並ぶ寺院でしたが、建長元年(1249)の火災によって全て焼失、後嵯峨上皇が文永三年(1266)に本堂のみを再建しています。<br />このとき再建された本堂が現在の三十三間堂となります。<br /><br />この本堂は正面側の長さは約120mの長さ、奥行きは約22mとなり日本最大の長さとなる木造建築です。<br />三十三間堂の名の由来はこの柱と柱の間を1間とすると、内陣は33間あるからと言われます。<br />内部の柱は34本立っています。<br />この間が33。ここから三十三間堂と呼ばれるようになりました。<br />外から見ると35になるそうです。<br />33にしたのは、観音菩薩様が33の化身によって人々を救うという教えによります。<br /><br />三十三間堂、この1000体もの仏像が祀られる仏堂ができた時代は平安末期にあたります。<br />当時は末法思想の世の中です。<br />人々を救うという千手観音。<br />1000体もの千手観音を祀ろうとする後白河法皇の情念や、仏様にすがりつく人々の想いをまざまざと感じさせる場所です。<br /><br />修学旅行でも来たけど、やっぱり凄いわ( ´∀`)<br />行ったり来たりを繰り返したらあっという間に2時間経ちました。<br />雨も降っていたので外側は殆ど見ず。<br /><br />それでは三十三間堂をあとに、東寺へ向かいます。<br />

    三十三間堂、南側から。

    創建当初は五重塔などの伽藍が並ぶ寺院でしたが、建長元年(1249)の火災によって全て焼失、後嵯峨上皇が文永三年(1266)に本堂のみを再建しています。
    このとき再建された本堂が現在の三十三間堂となります。

    この本堂は正面側の長さは約120mの長さ、奥行きは約22mとなり日本最大の長さとなる木造建築です。
    三十三間堂の名の由来はこの柱と柱の間を1間とすると、内陣は33間あるからと言われます。
    内部の柱は34本立っています。
    この間が33。ここから三十三間堂と呼ばれるようになりました。
    外から見ると35になるそうです。
    33にしたのは、観音菩薩様が33の化身によって人々を救うという教えによります。

    三十三間堂、この1000体もの仏像が祀られる仏堂ができた時代は平安末期にあたります。
    当時は末法思想の世の中です。
    人々を救うという千手観音。
    1000体もの千手観音を祀ろうとする後白河法皇の情念や、仏様にすがりつく人々の想いをまざまざと感じさせる場所です。

    修学旅行でも来たけど、やっぱり凄いわ( ´∀`)
    行ったり来たりを繰り返したらあっという間に2時間経ちました。
    雨も降っていたので外側は殆ど見ず。

    それでは三十三間堂をあとに、東寺へ向かいます。

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