2006/08/01 - 2008/08/10
407位(同エリア2515件中)
kinomukumamaさん
- kinomukumamaさんTOP
- 旅行記529冊
- クチコミ900件
- Q&A回答0件
- 833,592アクセス
- フォロワー38人
ベルリンの壁崩壊1989年
17年後に訪れたことになります。
壁のある時代に訪れた友人から物々しい検門の話など聞いていましたので複雑な心境だったのを憶えています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 観光バス
-
ベルリンの壁
テレビでよく見た光景
ハンマーで壊していたのとは全く別で、市民の生活が分断されていたんだとわかる。 -
-
-
棺の形をしたオブジェがすぐ近くの広場に
-
次いで
ブランデンブルグ門 -
ウィキペディアから。
-
列柱の下の像
-
手前が旧東ドイツ
-
旧東ドイツ側広場
-
旧東ドイツ時代のテレビ塔
-
旧西ドイツ側広場
-
ベルリンで一番美しい広場と言われるジャンダルメンマルクト Gendarmenmarkt
コの字型に三つの建物が広場を囲んでいる。
これは教会・フランスドームFranz?・sischer Dom
内部はユグノー博物館Hugenottenmusとして公開されている。 -
中央はコンチェルトハウス
-
右手に教会・ドイツドームDeutscher Dom
-
続いて博物館島へ
1830年、王室のコレクションを収めるため、川の中州に博物館が建てられました。時のプロイセン国王ヴィルヘルム4世は、ここを芸術の聖域としました。 -
以後、100年の歳月をかけて、5つもの博物館が建てられていったのです。博物館島には、古代バビロニアのイシュタル門や、現在のトルコで栄えたペルガモン王国の大祭壇など、巨大な遺跡がそのまま展示されています。
-
大きな島で線路まで通っているんですね。
-
今回はペルガモン博物館を見学しました。
-
ペルガモン博物館の名前の由来となったトルコのペルガモン遺跡・ゼウスの神殿
-
トルコ旅行記を参考にしてください
http://4travel.jp/traveler/tetsumatsu/album/10708671/ -
一番圧倒されたのがこれ
-
古代バビロニアのイシュタル門
-
よくぞここまで運んできたものです。
もとこれがあった場所(現イラク)は戦禍で往時を偲ぶものは何一つありません。 -
ポツダムにやってきました。
-
歴史的なポツダム会議が行われたもと離宮。
-
今はホテルになっています。
-
-
ポツダム会議の行われた部屋や
-
首脳たちの宿泊した部屋などが公開されていました。
-
-
サンスーシ宮殿。
ドイツ・ロココ様式の最高傑作といわれます。 -
この宮殿は10部屋しかない平屋建て。
王の執務室は寝室兼用の極めて簡素なものですがその隣には豪華な装飾の音楽室があります。 -
東屋の金の装飾は
-
音楽がテーマ
-
フリードリヒ2世が名付けたサンスーシとは、「憂いなし」という意味です。
-
葡萄の丘と呼ばれる庭園
宮殿の建っている場所からなだらかな下り坂になっています。 -
-
サンスーシ宮殿を出て駐車場に向かう道に風車。
(ウィキペディアから)宮殿完成後、あまりに景観に入る位置だったため、フリードリヒ2世が取り壊しを命じた。しかし所有していた農夫から生活を奪わないでほしいと訴えられ、王はこの風車小屋をそのまま残したという。現在もこの逸話のためか、堂々とその風車小屋は建っている。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
kinomukumamaさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
38