アジャンター旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2006年12月5日朝、アウランガバードを出発し、デカン高原を北西に走り、アジャンターにつきました。<br />アジャンターはデカン高原の北西、オーランガバードから北東へ約104kmの所に流れるワーグラー渓谷の断崖中腹に刻まれた仏教寺院群です。<br /><br />シルロードの旅で調べた三蔵法師玄奘さまも、インドに滞在中にここを訪れておられます。<br />また、高校の日本史や世界史で学んだ、法隆寺金堂の壁画とここの壁画のつながりなど・・・・・<br />アジャンターは今回のインド旅行で最も見たかった所の一つです。<br /><br />アジャンターの石窟寺院が開かれたのは、二つの時代に分けられます。紀元前1世紀頃の前期窟(上座部仏教期)と紀元5世紀の後期窟(大乗仏教期)です。<br /><br />前期窟は真ん中あたりの5つの簡素な石窟群で、内部にはさしたる装飾もなく、ストーパ(仏塔)を礼拝対象として刻み出しています。<br />僧侶たちはこれらの窟院で修業を重ね、一般参拝者も礼拝供養に訪れていたと思われます。<br /><br />開窟が再開されたのは、インド文明が黄金期に輝く5世紀中葉で、当時中央インドを支配していたヴァーカータ帝国の信仰に篤い家臣団が、財と威信をかけて造営を試み、より荘厳に、より豪華に石窟寺院群を築きました。<br /><br />しかし、ヴァーカータ帝国の崩壊にともなう戦乱のため、アジャンターは放棄され、ジャングルに呑込まれてしまいました。<br />1819年、マドラス(現チェンナイ)駐屯のイギリス騎兵隊士官ジョン・スミスによって密林の中から発見されるまで、1000年以上もの間忘れ去られていました。<br /><br />猶、現在30の石窟が発見されています。<br />

インド悠久文明の旅13日間(9)アジャンタ―? 第1窟、第2窟・法隆寺とのつながり

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2006/12/02 - 2006/12/14

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魅々

魅々さん

2006年12月5日朝、アウランガバードを出発し、デカン高原を北西に走り、アジャンターにつきました。
アジャンターはデカン高原の北西、オーランガバードから北東へ約104kmの所に流れるワーグラー渓谷の断崖中腹に刻まれた仏教寺院群です。

シルロードの旅で調べた三蔵法師玄奘さまも、インドに滞在中にここを訪れておられます。
また、高校の日本史や世界史で学んだ、法隆寺金堂の壁画とここの壁画のつながりなど・・・・・
アジャンターは今回のインド旅行で最も見たかった所の一つです。

アジャンターの石窟寺院が開かれたのは、二つの時代に分けられます。紀元前1世紀頃の前期窟(上座部仏教期)と紀元5世紀の後期窟(大乗仏教期)です。

前期窟は真ん中あたりの5つの簡素な石窟群で、内部にはさしたる装飾もなく、ストーパ(仏塔)を礼拝対象として刻み出しています。
僧侶たちはこれらの窟院で修業を重ね、一般参拝者も礼拝供養に訪れていたと思われます。

開窟が再開されたのは、インド文明が黄金期に輝く5世紀中葉で、当時中央インドを支配していたヴァーカータ帝国の信仰に篤い家臣団が、財と威信をかけて造営を試み、より荘厳に、より豪華に石窟寺院群を築きました。

しかし、ヴァーカータ帝国の崩壊にともなう戦乱のため、アジャンターは放棄され、ジャングルに呑込まれてしまいました。
1819年、マドラス(現チェンナイ)駐屯のイギリス騎兵隊士官ジョン・スミスによって密林の中から発見されるまで、1000年以上もの間忘れ去られていました。

猶、現在30の石窟が発見されています。

同行者
一人旅
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
ユーラシア旅行社

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  • アジャンターの石窟の配置図です。

    アジャンターの石窟の配置図です。

  • アジャンターのワーグラー川に沿った道を歩んで石窟に行きました。

    アジャンターのワーグラー川に沿った道を歩んで石窟に行きました。

  • ます、第1窟を訪れました。<br /><br />第1窟は、ヴァーカータ帝国の皇帝ハリシェーナが開窟しました。<br />宮殿のような豪華な石窟に完成度の高い壁画が天井や回廊の壁にぎっしりと残されています。<br /><br />図はその内部の構造です。

    ます、第1窟を訪れました。

    第1窟は、ヴァーカータ帝国の皇帝ハリシェーナが開窟しました。
    宮殿のような豪華な石窟に完成度の高い壁画が天井や回廊の壁にぎっしりと残されています。

    図はその内部の構造です。

  • 石窟内は、壁画保存尾ために薄暗く、しかもストロボ撮影、三脚の使用が禁止されていました。<br /><br />なかなかうまく撮れません。<br /><br />写真は、ネットから得た、内部の写真です。

    石窟内は、壁画保存尾ために薄暗く、しかもストロボ撮影、三脚の使用が禁止されていました。

    なかなかうまく撮れません。

    写真は、ネットから得た、内部の写真です。

  • アジャンターで、最も見たかったのは我が国法隆寺内陣の壁画の菩薩像のオリジナルとして知られる、蓮華手菩薩や金剛手菩薩でした。<br /><br />その壁画の位置は、上の内部の図の示しています。<br /><br />写真は、金剛手菩薩ですが、これは撮れなかったので、ネットで得た写真を掲載します。

    アジャンターで、最も見たかったのは我が国法隆寺内陣の壁画の菩薩像のオリジナルとして知られる、蓮華手菩薩や金剛手菩薩でした。

    その壁画の位置は、上の内部の図の示しています。

    写真は、金剛手菩薩ですが、これは撮れなかったので、ネットで得た写真を掲載します。

  • 写真は蓮華手菩薩です。<br /><br />かろうじて撮れた私の写真です。

    写真は蓮華手菩薩です。

    かろうじて撮れた私の写真です。

  • 参考に、法隆寺金堂の菩薩像を掲載します。<br /><br />もとの壁画は修復中に消失し、現在あるのは復元図です。<br /><br />それにしても、あの時代に、どのような経路をたどり、どのような方法で、日本まで伝わってきたでしょうか・・・・<br /><br />ロマンですね。

    参考に、法隆寺金堂の菩薩像を掲載します。

    もとの壁画は修復中に消失し、現在あるのは復元図です。

    それにしても、あの時代に、どのような経路をたどり、どのような方法で、日本まで伝わってきたでしょうか・・・・

    ロマンですね。

  • そのほかに、仏陀にまつわる物語やペルシャ使節との饗宴等など・・・<br /><br />たくさんの壁画がありましたが、暗くてうまく撮れませんでした。

    そのほかに、仏陀にまつわる物語やペルシャ使節との饗宴等など・・・

    たくさんの壁画がありましたが、暗くてうまく撮れませんでした。

  • 次に第2窟に移りました。<br /><br />

    次に第2窟に移りました。

  • 第2窟は、後期窟で、大きくはありませんが、保存状態は良いのでよく知られています。<br /><br />壁や天井に、綺麗な壁画がたくさん描かれていました。<br /><br />ストロボ、三脚は使用できませんので、小さなデジカメですが、必死に撮りました。

    第2窟は、後期窟で、大きくはありませんが、保存状態は良いのでよく知られています。

    壁や天井に、綺麗な壁画がたくさん描かれていました。

    ストロボ、三脚は使用できませんので、小さなデジカメですが、必死に撮りました。

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