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JR京浜東北線・王子駅北口から徒歩5分、王子神社(おうじじんじや、東京都北区王子本町)の創建は不詳ですが、源義家が奥州征伐(後三年の役)の折戦勝祈願を行い、甲冑を納めたとの言伝えがあります。<br /><br />元亨2年(1322)石神井川に沿う一帯を本拠とする豪族豊島氏が和歌山紀州熊野三社より王子大神を勧請し、改めて「若一王子宮」と奉斉して熊野にならって景観を造ったといわれています。以降当地を「王子」というようになります。<br /><br />また武蔵国に進出した小田原北条氏も当社に対し朱印状を発行し社領の安堵をして厚遇しています。<br /><br />続いて新天地の江戸に入府した徳川家康は住民たちの不安をいち早く取り除くため、各地の社寺仏閣に社領安堵の措置をとります。<br /><br />当寺については家康は天正19年(1591)、特に朱印地200石を寄進、以降将軍家祈願所とし歴代の将軍の崇敬は厚く「王子権現」といわれます。<br /><br />とりわけ第3代家光は寛永11年(1634)、新たに社殿を造り、林羅山(はやしらざん、1583~1657)に命じて縁起絵巻「若一(にゃくいち)王子縁起」3巻を作らせて当社に寄進するほどの厚遇ぶりが示されます。<br /><br />その後第5代綱吉、第10代家治、第11代家斉の代にそれぞれ造営修繕され、社殿は秀麗な権現造りで、境内には神門、舞殿などが備えられていました。<br /><br /><br />2022年7月26日追記<br /><br />当該神社ホームページには下記のごとく由緒が紹介されています。<br /><br />『 御 由 緒<br /><br />御祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、速玉之男命(はやたまのおのみこと)、事解之男命(ことさかのおのみこと)の五社で、総称して「王子大神」とお呼び申し上げます。紀州(和歌山県)熊野三社権現(本宮・那智・新宮)の御子神様の呼称で、世界遺産にも登録された熊野古道には多くの王子神が祀られていたといわれます。<br /><br />創建は詳らかではありませんが、源義家の奥州征伐の折、当社の社頭にて慰霊祈願を行い、甲冑を納めた故事も伝えられ、古くから聖地として崇められていたと思われます。その後、元亨2年(1322)、領主豊島氏が紀州熊野三社より王子大神をお迎えして、改めて「若一王子宮」と奉斉し、熊野にならって景観を整えたといわれます。それよりこの地は王子という地名となり、神社下を流れる石神井川もこの付近では特に音無川と呼ばれています。<br /><br />戦国時代、当地の領主となった小田原北条氏も当社を篤く崇敬し、朱印状を寄せて社領を安堵しています。<br /><br />徳川時代に入ると初代家康公は天正19年(1591年)、朱印地200石を寄進し、将軍家祈願所と定めました。200石は当時としては広大な社領で、それより代々将軍の崇敬篤く「王子権現」の名称で江戸名所の一つとなります。<br /><br />三代家光公は寛永11年(1634年)、新たに社殿を造営、林羅山に命じて縁起絵巻「若一王子縁起」三巻を作らせて当社に寄進しました。その後も五代綱吉公が元禄16年(1703年)、十代家治公が天明2年(1782年)、十一代家斉公が文政3年(1820年)と造営修繕された社殿は秀麗な権現造りで、境内には神門、舞殿などをそなえ、摂末社も17社を数えていました。<br /><br />特に八代吉宗公は紀州徳川家の出自で、この地に紀州ゆかりの当社が<br />あることを大いに喜び、元文2年(1737年)に飛鳥山を寄進、桜を多く植えて江戸庶民遊楽の地としました。これが今に残る花の飛鳥山(現 飛鳥山公園)の基となったもので、現在も桜の季節には多くの花見客で賑わっています。<br /><br />明治元年、明治天皇は新たに首都となった東京を守護し、万民の安寧を祈るため、準勅祭社を定めました。当社もこの東京十社に選ばれ、以来、東京の北方守護として鎮座しております。<br /><br />戦前は「太田道灌雨宿りの推」と伝えられる巨木を始め、多くの樹木が茂り、勝海舟の修行話も伝えられております。戦災でほとんどを焼失致しましたが、1本だけ奇跡的にイチョウの木が生き残りました。樹齢600年とも伝えられるこの大イチョウは、東京都の天然記念物にも指定されております。<br /><br />戦後は氏子一同、復興に努め、昭和39年の第一期、昭和57年の第二期造営を経て、黒塗りと金箔をほどこした壮大な権現造りとして社殿を再建、境内を整えて現在の景観となっております。』

武蔵王子 戦国期領主豊島氏が熊野三社権現を勧請、古くは源義家が奥州征伐で戦勝祈願を徳川期に家康・家光・吉宗が寄進した『王子神社』散歩

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2012/05/09 - 2012/05/09

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滝山氏照

滝山氏照さん

JR京浜東北線・王子駅北口から徒歩5分、王子神社(おうじじんじや、東京都北区王子本町)の創建は不詳ですが、源義家が奥州征伐(後三年の役)の折戦勝祈願を行い、甲冑を納めたとの言伝えがあります。

元亨2年(1322)石神井川に沿う一帯を本拠とする豪族豊島氏が和歌山紀州熊野三社より王子大神を勧請し、改めて「若一王子宮」と奉斉して熊野にならって景観を造ったといわれています。以降当地を「王子」というようになります。

また武蔵国に進出した小田原北条氏も当社に対し朱印状を発行し社領の安堵をして厚遇しています。

続いて新天地の江戸に入府した徳川家康は住民たちの不安をいち早く取り除くため、各地の社寺仏閣に社領安堵の措置をとります。

当寺については家康は天正19年(1591)、特に朱印地200石を寄進、以降将軍家祈願所とし歴代の将軍の崇敬は厚く「王子権現」といわれます。

とりわけ第3代家光は寛永11年(1634)、新たに社殿を造り、林羅山(はやしらざん、1583~1657)に命じて縁起絵巻「若一(にゃくいち)王子縁起」3巻を作らせて当社に寄進するほどの厚遇ぶりが示されます。

その後第5代綱吉、第10代家治、第11代家斉の代にそれぞれ造営修繕され、社殿は秀麗な権現造りで、境内には神門、舞殿などが備えられていました。


2022年7月26日追記

当該神社ホームページには下記のごとく由緒が紹介されています。

『 御 由 緒

御祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、速玉之男命(はやたまのおのみこと)、事解之男命(ことさかのおのみこと)の五社で、総称して「王子大神」とお呼び申し上げます。紀州(和歌山県)熊野三社権現(本宮・那智・新宮)の御子神様の呼称で、世界遺産にも登録された熊野古道には多くの王子神が祀られていたといわれます。

創建は詳らかではありませんが、源義家の奥州征伐の折、当社の社頭にて慰霊祈願を行い、甲冑を納めた故事も伝えられ、古くから聖地として崇められていたと思われます。その後、元亨2年(1322)、領主豊島氏が紀州熊野三社より王子大神をお迎えして、改めて「若一王子宮」と奉斉し、熊野にならって景観を整えたといわれます。それよりこの地は王子という地名となり、神社下を流れる石神井川もこの付近では特に音無川と呼ばれています。

戦国時代、当地の領主となった小田原北条氏も当社を篤く崇敬し、朱印状を寄せて社領を安堵しています。

徳川時代に入ると初代家康公は天正19年(1591年)、朱印地200石を寄進し、将軍家祈願所と定めました。200石は当時としては広大な社領で、それより代々将軍の崇敬篤く「王子権現」の名称で江戸名所の一つとなります。

三代家光公は寛永11年(1634年)、新たに社殿を造営、林羅山に命じて縁起絵巻「若一王子縁起」三巻を作らせて当社に寄進しました。その後も五代綱吉公が元禄16年(1703年)、十代家治公が天明2年(1782年)、十一代家斉公が文政3年(1820年)と造営修繕された社殿は秀麗な権現造りで、境内には神門、舞殿などをそなえ、摂末社も17社を数えていました。

特に八代吉宗公は紀州徳川家の出自で、この地に紀州ゆかりの当社が
あることを大いに喜び、元文2年(1737年)に飛鳥山を寄進、桜を多く植えて江戸庶民遊楽の地としました。これが今に残る花の飛鳥山(現 飛鳥山公園)の基となったもので、現在も桜の季節には多くの花見客で賑わっています。

明治元年、明治天皇は新たに首都となった東京を守護し、万民の安寧を祈るため、準勅祭社を定めました。当社もこの東京十社に選ばれ、以来、東京の北方守護として鎮座しております。

戦前は「太田道灌雨宿りの推」と伝えられる巨木を始め、多くの樹木が茂り、勝海舟の修行話も伝えられております。戦災でほとんどを焼失致しましたが、1本だけ奇跡的にイチョウの木が生き残りました。樹齢600年とも伝えられるこの大イチョウは、東京都の天然記念物にも指定されております。

戦後は氏子一同、復興に努め、昭和39年の第一期、昭和57年の第二期造営を経て、黒塗りと金箔をほどこした壮大な権現造りとして社殿を再建、境内を整えて現在の景観となっております。』

交通手段
JRローカル 徒歩
  • 大鳥居<br /><br />JR王子駅から西に向かうとすぐ高台に静寂な神社があります。

    大鳥居

    JR王子駅から西に向かうとすぐ高台に静寂な神社があります。

  • 「若一(にゃくいち)王子縁起」絵巻<br /><br />王子神社の由来を絵巻物に描いたもので3代将軍家光が社殿を造営する時に三巻奉納されています。

    「若一(にゃくいち)王子縁起」絵巻

    王子神社の由来を絵巻物に描いたもので3代将軍家光が社殿を造営する時に三巻奉納されています。

  • 「若一王子縁起」絵巻(拡大)

    「若一王子縁起」絵巻(拡大)

  • 王子田楽説明<br /><br />神前に奉納する伝統芸能です。北区指定無形民俗文化財となっています。

    王子田楽説明

    神前に奉納する伝統芸能です。北区指定無形民俗文化財となっています。

  • 拝殿

    イチオシ

    拝殿

  • 大銀杏<br /><br />王子神社は当地域を支配していた豊島氏が勧請した経緯があり、豊島氏によって植えられたものといわれています。<br /><br />

    大銀杏

    王子神社は当地域を支配していた豊島氏が勧請した経緯があり、豊島氏によって植えられたものといわれています。

  • 説明板

    説明板

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