2012/05/08 - 2012/05/08
961位(同エリア1741件中)
滝山氏照さん
天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原城包囲に対し、籠城に堪えきれず北条氏は開城、100年に亘る北条5代は滅亡、5代目城主氏直は高野山追放、4代目氏政(うじまさ、1538~1590)・実弟氏照(うじてる、1540~1590)は切腹、その氏政・氏照墓所(小田原市指定・神奈川県小田原市栄恵町)が小田原駅近くにひっそりと佇んでいます。
北条氏政は4代目城主で当時は家督を嫡男氏直に譲って隠居身分とはいえ城内での影響力は衰えていません。他方氏照は氏政の実弟で八王子城主の他関東の支城の統括者としながらも、政治的な感覚鋭く本城の立場をとる中で上杉景勝、伊達政宗や武田勝頼ら有力戦国大名との交渉の中心的役割を果たしていました。
自害後両名の首は京都に送られ、胴体は伝心庵に埋葬されたもののその後墓所は放置された状態だったようです。
江戸時代には小田原城主の稲葉正勝(いなば・まさかつ、1597~1634)が北条氏追善のため整備しますが、関東大震災により被害を受け、その後地元有志により復元現在に至ります。
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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北条氏政・氏照墓所
小田原駅東口広場の商店街左折して暫く歩きますと右手に所狭しとばかりに氏政・氏照の墓所があります。 -
北条氏政・氏照墓所標
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北条氏政・氏照墓所全景
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北条氏政・氏照墓所近景
五輪塔は3基あり、右は氏政夫人、中央は氏政、そして左は氏照の墓であると伝えられています。 -
生害石
五輪塔の前の大きく平たい石が生害石で氏政・氏照がここで切腹したと伝えられています。 -
墓碑
墓碑には「慈雲院殿勝岩傑号大居士 天正十八庚寅年七月十一日 北條相模守氏政」、「青霄院殿透岳關公大居士 天正十八庚寅年七月十一日 北條陸奥守氏照」と刻されています。 -
墓碑
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墓所の説明板
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墓碑
墓碑の手前には「幸せの鈴」が結び付けられています。 -
「幸せの鈴」説明
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