2011/01/17 - 2011/01/20
2052位(同エリア2710件中)
魅々さん
2月19日は自由行動の日です。
そこでタクシーを一日チャーターして、沖縄本島の最北端の辺戸岬と世界遺産の今帰仁城跡を見に行くことにしました。
これらについて2回に分けて紹介します。
最初は世界遺産の今帰仁城跡について入場した時の資料をもとに説明します。
今帰仁城跡(別名北山城)
この城はいつだれによって築かれたかは不明なところが多く定かではありませんが、発掘調査の成果から13世紀頃に城造りを始めたことが分かっています。
三山時代
14世紀頃の沖縄本島は北部地域を北山、中部地域を中山、南部地域を南山がそれぞれ支配した「三山鼎立の時代」でした。三山の地域概念と主要なグスク(城)の所在は図のようになっています。
北山王は沖縄島の北部を中心に支配下とし、中国と貿易をしていました。しかし1416年に中山の尚巴志によって滅ぼされ、北山としての歴史の幕を閉じることになりました。
監守時代
北山の敗北後、中山は北部地域の管理とし監守を設置し、監守の居城としてグスク(城)を利用しました。しかし1609年に薩摩軍による琉球侵略にあい、城は炎上しました。
- 同行者
- その他
- 交通手段
- 観光バス JALグループ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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今帰仁城跡想像図
資料による今帰仁城の想像図は次のとおりです。 -
遺跡内の様子
まずチケットを買って、入場門に向かって歩いて行くと、左に堅固な城壁が見えました。
内地の城の石垣と違って綺麗な曲線を描いています。城壁は上の想像図の外郭です。 -
入場門は想像図①の平郎門です。
この門は昭和37年に修復されたものです。
門の両脇に狭間があって門番が見張りをしていました。 -
平郎門をくぐると長い石段の道があります。
想像図の旧道です。道の両側に日本で最も早くさく寒緋桜が植えられていて、ちらほら咲いていました。 -
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階段を登りきると想像図④の大庭(うーみや)です。
行事などに利用されていた重要な広場です。 -
広場の一角に歌碑があります。
これは北山王の側室で、絶世の美女として知られる志慶真乙樽(しげまうとうだる)の伝説を歌った琉歌が彫られています。 -
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御内原から見下ろすと、下に想像図②の大隅と城壁が見下ろせ、その先に海を一望できます。
大隅は戦時に備え馬を養い、兵馬を訓練した場所です。 -
御内原の背後には想像図⑥の主郭(俗称本丸)があります。
城内で最も中心的な建物があった場所です。 -
主郭からは一段低いところにある想像図⑧の志慶真門郭を見下ろすことが出来ました。
ここには城主に仕えた身近な人々が住んだと考えられています。
今帰仁村歴史文化センターには発掘品などが展示されていましたが、割愛してタクシーに戻りました。
この遺跡から沖縄の歴史を垣間見ることが出来ました。
そして、沖縄と内地の歴史的な違いを実感いました。
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