2012/07/02 - 2012/07/04
203位(同エリア932件中)
クッキーさん
ヴァイキング船博物館、コンチキ号博物館、フラム号博物館と、一日の締めくくりは、ノルウェーらしく船のオンパレードとなりました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- スカンジナビア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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足早に民族博物館を辞した後は、急いでヴァイキング船博物館へと向かいます。
それぞれの博物館の間を結ぶバスがあるはずだし、オスロパスで乗れるのですが、バス停が定かでないし、博物館で訊いたら、歩いてもすぐです、なんて言われて、渋々足を引きずるようにして歩いていきます。正味10分程なのですが、これがたまらなくきつい。ツアー旅行がいいなあと思った瞬間でした。
やっとの思いで着いたヴァイキング船博物館。 -
お出迎えは
3隻の船が展示されている博物館で、いずれの船も埋葬に使用されたと考えられていて、
博物館には船体とともに埋葬品も陳列されています。
展示された船には、発掘されたフィヨルドの地名が付けられているのだそうです。 -
オスロパスで入場。
入ってすぐにヴァイキング船が目の前に現れます。
歩くのはもう嫌、と思う気持ちはどこかに消えています。
オーセバルク船は、1904年に発掘された埋葬船であり、船体の中央には2人の女性の遺体が安置されていました。
副葬品としては、荷車、靴、台所用品、箱、寝台、織物器具などが発見されています。
通常では完全に腐敗で消滅する木材類、皮類、織物類も信じられないほど良く保存されていました。
が、
オーセバルグ船は破損がひどく、単に破片の塊といってよいくらい悲惨な状態で墳墓から掘り出されました。
船は2千個あまりの破片に壊れていましたが、使用されていた樫材そのものは硬くて丈夫でした。
それぞれの破片に番号をつけてジグソーパズルのように組み合わせて復元作業を行いました。
そして、90%は発掘された船の材料を使って復元されたのだとか。
展示された船からは思いもつかないことです。考古学者の人達に感謝です。 -
オーセバルク船の舳先
すごいフォルム。
船首の先端部分はもろすぎて、再使用は不可能だったので、発掘品から模造して復元されたんだそうです。
船体は全長約22m、船体中央部で幅5m。
航海に適しているとはいえ、オーセバルク船は比較的脆弱であり、沿岸の航海にしか用いられなかったと考えられているそうです。 -
船首のレプリカ。
気が付かないでいたら、スタッフの方が教えてくれました。 -
オールがまとめて置けるようになっています。
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小さな船
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こちらは船底だけのテューネ船。
損傷がひどかったのであえて復元せずそのまま展示しているのだそうです。 -
こちらは900年代に使用されたと言われているゴークスタット船。
発掘されたのは1880年です。 -
この博物館ではこのように上からも見ることが出来るようになっています
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船首と船尾は優雅な曲線を描いて反り返り、先端部分はいずれも渦巻状になっていました。また、船首部分の竜骨及び船縁には、両側に美しい彫刻が施されています。
ずっと眺めていても飽きることなく・・・ -
このような船は遠征のためのものではなく、実際に乗ったとして近海だけであり、埋葬とか王公貴族たちの巡回など、特別な目的に使われたと考えられているのだとか。
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発掘された竜頭柱。
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副葬品。
ソリ? -
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さすがに足の悲鳴を無視することもできず、博物館の人にバス停の場所を訊き、しばらく待ってバスに乗ります。
バスに乗ってみると、コンチキ号博物館へはすぐでした。でも、この距離が歩けないのですね。
コンチキ号博物館はノルウェーの民族学者・探検家であるトール・ヘイエルダールの功績を展示している博物館です。 -
彼はペルーの神話や巨石の類似から,古代のアメリカとポリネシアのあいだに交流があったとするコン=チキ学説をたてその証明のため、1947年4月、バルサ材の筏「コンチキ号」でペルーを出航。101日後7,000km余りを漂流、太平洋ポリネシアのツアモツ諸島のラロイア環礁に達したのです。
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パルサ材の筏船、コンチキ号
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4カ国にわたっての博物館巡りも、終盤にかけて集中力が途切れ、コンチキ号とラー号がまぜこぜになってしまい、写真の説明とずれている物、多々。
旅行記を書き始めてやっと、コンチキ号の旅路とラー号の旅路が区別できたような次第。不勉強でした。
そのせいか見て廻りながらの感動が薄かったような記憶あり。 -
彼らの航海を描いた長編ドキュメンタリー映画『Kon-Tiki』は、1951年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞しました。
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1969年には古代エジプトとペルーの交流を証明すべく,パピルスで作った葦舟ラー号で大西洋横断を試み失敗したが、翌年ラー2世号で成功。
1977〜78年、シュメール型の葦舟チグリス号でアジアからアフリカへ古代の航海の可能性を探り、
チグリス号の探検の後、インド洋モルジブ諸島、カナリア諸島のテネリフェ島 などでに発掘を行いました。 -
モロッコから大西洋を渡った葦船ラー号。
帆に描かれているのは日本の国旗ではなく、太陽(ラー)なのだそうです。
でも日の丸に似ているせいか親近感を覚えますね。 -
ゴシップ記事・・・
ヘイエルダールはバツ2で3度目の結婚は77才の時。
写真で見るヘイエルダールは、快活でとても魅力的な人でした。
人生をフィールドワークに捧げると、落ち着いた結婚生活って難しいのかも・・・ -
モアイ像のコピー。
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こうやって、モアイ像の修復にも尽力したのかな?
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こちらはすぐ隣にあるフラム号博物館。
この三角屋根がフラム号をすっぽりと覆っています。 -
フラム号は北極海流の研究のために造られた船。
ナンセンの指揮のもと1893年に北極点遠征。
流氷に密閉されて漂流しながら極点に達するという計画で、特別に設計されたフラム号(氷圧によって破壊されないように喫水線下が半円形に整形された船)に8年分の燃料と6年分の食糧を積み、12人の乗組員とともクリスチャニアを出港。 -
同年9月にフラム号は予定通り流氷群につかまり漂流を始めたが、ナンセンの考えたほど北極点に近づかなかったため、スキーで極点を目指すことに。
しかし旅は難航し、4月8日に北緯86度14分の地点に到達したところで残りの食糧が僅かとなり、極点到達を断念。
彼らはゼムリャフランツァヨシファで越冬することになり、セイウチやホッキョクグマの肉を食べながら1896年の夏までその場に滞在し、雪解けとともに南下を開始、運良くイギリスの探検隊に救助されます。
この模型はその頃の生活を表したものかも。 -
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1910年ナンセンが使ったフラム号を使用し、北極点到達を目標に探検準備中であったのがノルウェーのアムンゼン。
ピアリーによる北極点到達のしらせを知り南極点に目標を変更します。
イギリス海軍大佐のロバート・スコットと人類初の南極点到達を競いましたが1911年12月14日、人類初の南極到達を果たしました。スコットに先立つことわずか4日でした。
寒さに強い犬ぞリや、軽くて防寒性に優れた毛皮服を採用したためといわれています。
このあたりの話は、小学生の頃に子供向けの雑誌か何かで読んで知っていましたが、その頃、そのフラム号を目の当たりにするとは想像さえしませんでした。 -
ノルウェーがスウェーデンから独立を試みた1905年に、ナンセンはノルウェー政府よりノルウェー代表に選ばれます。対するスウェーデン側は、探検家スヴェン・ヘディンを担上げます。
当時の探検家に対する評価がうかがえます。
ナンセンは、この後、政治家としての道を歩んでいきます。
第一次世界大戦後は国際連盟の難民高等弁務官に就任し、45万人以上の捕虜の交換帰国プロジェクトを成功させ、戦争難民のために「ナンセン・パスポート」と後に呼ばれた証明書を発行します。(飢餓に苦しむウクライナ人をカナダに移住させる等)1922年に戦争難民の帰国および飢餓難民救済活動の功績が認められ、ノーベル平和賞を受賞しました。
彼の業績は国連難民高等弁務官事務所に継承され、彼は難民の父と呼ばれています。 -
博物館の外では隊員達が。
ノルウェーがこうした多くの探検家を輩出しているのは、山岳地域が国土の72%を占め、大自然の中での冒険がノルウェー人にとっては、日常生活の延長となっているからなのでしょうか。
それはまたヴァイキングの歴史につながるものなのかもしれません。 -
さて帰りは一直線にバスで中央駅まで。
ホテルに戻ってすぐにイヴニング・ビュッフェ。
わーい、カレーだ。御飯だ。
グリーンのスープはお代わりもしましたよ。
これだけのイヴニング・ビュッフェが付いているのは、本当にお得。 -
で、今日は終わり、ではないのです。
老骨に鞭打って、(明日は歩かないからね)と足に言い聞かせてホテルを後にして、トラムに乗って向かったのはヴィーゲラン公園。
閉館時間がない公園なので、同じような考えの人がけっこういました。
入り口の扉。早くも圧倒されます。 -
私の貧弱な想像力とボキャブラリーでは、コメントのしようがありません。
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橋には58個の青銅の群像。
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青銅の噴水 黒花崗岩にも彫刻
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公園のシンボル、モノリッテン。
高さ17m、総重量260トンの花崗岩の塔に刻まれた老若男女121体。 -
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女の子の方がいじわるっ子かな?
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ここまで近しくなくてもいいから、
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I wish こんな老夫婦になりたい・・・
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でも、見ている先が違うってなるかも・・・
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こんな風に、橋の欄干のように彫刻が置かれていたんですね。
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公園全景。
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こうして見ると、本当に普通の公園です。
トラムに乗って帰ります。
中央駅で降りた後、明日のバス停の位置を確認してきました。
今日の総歩数、34,700歩。
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