2012/07/29 - 2012/07/29
6711位(同エリア12013件中)
熱帯魚さん
こちらも中国人同僚のおススメで行ってみました。
場所はあの東方明珠の地下にあります。
普通は東方明珠の展望台とセットで行くのだと思いますが
展望台は数年前に行ったことがあるのでパス。
陳列館だけを見に行ってきました。入場料35元。
どうせつまらない子供だましの陳列館だろうなぁと
思ったのですが、驚くことに内容がものすごく充実。
上海の近代の交通手段(トラム、リキシャ、車)の
展示から始まり、上海の都市の発展の様子がものすごく
わかりやすく紹介されています。
特に、上海の伝統工業と町並みが再現されているエリアは必見。
35元で2時間以上も楽しめちゃいました。
*写真の説明コメントは、展示の説明書きより。
(写真が多いため、前半後半にわけました)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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○ 土山湾画館
土山湾画館は上海初の美術講習所でした。1852年徐家匯土山湾孤児院で土山湾工芸局が創設され、その絵画教室は洋画家が講師を担当し、墨絵、油絵、水彩画などの洋画と彫刻技法を教え、中国第一代の洋画美術人材を養成しました。 -
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○ 霞飛路(Avenue Joffre)
霞飛路は現在の淮海中路です。以前はフランス租界に属し、第一次世界大戦時のフランス軍総司令官ジョッフルの名をとって、アヴェニュージョッフルと名付けられました。上海でかなりの高級店と住宅が集中しているエリアでした。 -
○ カフェ
上海で初めてカフェが出現したのは清末。コーヒーブームが一種の生活習慣として上海で起こりました。 -
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○ 徐家匯天文台
上海カトリック教会は1872年に徐家匯天文台を建造し、天文・気象・地磁気・時報の研究に従事しました。1884年バンドに気象信号台が設置され、1901年に佘山天文台が創設され、1908年には江蘇昆山に地磁気ステーションが設けられました。当時、徐家匯天文台は世界最大の私設気象研究機構でした。 -
イチオシ
○ 20世紀初頭のバンド
半世紀の開発を経て、バンドは昔の田園風景を一変させました。西欧古典主義の風格を備えた銀行建築群が建てられ、バンドは金融街の風貌を呈し始めました。 -
○ 20世紀初頭の南京路
50数年の開発を経て、南京路の商業は大きな発展を遂げました。ガス灯、電灯、電話、水道の使用が前後して始まり、街道の外観は新しく様変わりしました。 -
◎ 第三館 外国人が集まる大都市
欧米の風習が伝わり、西洋の学問が流れ込み、近代上海は欧米の近代文化・教育を伝える窓口となりました。中外物品の集散と市民消費の増長は、上海の商業貿易を迅速に発展させ、金融業界もそれに伴ってますます盛んになりました。1920、30年代、上海はすでに近代中国の最大商業・金融・文化の中心である極東の重要都市となりました。上海租界での建築及び生活様式は多く欧米西洋国家の特徴を帯びていたことから、上海は「外国人が集まる大都市」と呼ばれ、都市の奇形的である繁栄の一面をも顕著に表しています。 -
○ 旧税関
清政府は上海に税関を創設しましたが、それはかえって税関と税関の行政管理権を失うことになりました。1893年再建された税関ビルは税関のもともとの衙門式の建築形式を一変させました。これは中国税関の主権の喪失を意味しました。 -
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イチオシ
○ 望平街
清末に創刊された「申報」、「新聞報」、「時報」及び民国初に創刊された「時事新報」、「民国時報」など10数の有名新聞社はいずれも望平街(現・山東中路)に集中していたため、望平路は新聞社街と呼ばれました。1920年以降、上海はすでに全国の新聞雑誌及び情報通信の中心となっていました。 -
ここからはミニチュアの町並みが広がります。
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○ 大世界
黄楚九が1917年に建てた有名な娯楽場。1930年、黄金栄がかわって経営に携わるようになりました。娯楽の内容は、映画、サーカスから音楽、演劇および飲食と多岐にわたり、常に新しい展覧を催し、競売も行いました。 -
○ カラクリ眼鏡・凸凹鏡
カラクリ眼鏡は「拉洋片」ともいわれ、19世紀末西欧から上海に伝わってきた一種の街道道楽で、映画が普及されるまでは上海の一般市民の娯楽のひとつでした。 -
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○ 茶楼
一楽天は上海の有名な古い茶屋。上海開港後、茶屋はますます多くなっていきました。茶屋は行楽の場であるとともに、商人が取引を行う場でもありました。 -
イチオシ
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イチオシ
○ 煙草業
外国製煙草の輸入と販売競争は、国産煙草生産業にとって大きな挑戦でした。中外煙草製品の競争により、煙草産業は近代上海の最大軽工業のひとつとなりました。 -
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○ 女性用靴屋
「小花園」は今の広西中路、浙江中路一帯の俗称で、その隣にある福州路、汕頭路一帯とともに上海の娯楽場の集中エリアにありました。そのため、流行最先端の靴を売る女性用靴屋が100軒近くこのエリアに開業しました。 -
○ 理髪店
辛亥革命後、人々は辮髪を切り落とすようになりました。そのため、理髪店が次第に盛んになり、1930年代、市全体の理髪店は1000あまりにも達しました。 -
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○ 四馬路
19世紀後期、四馬路(現在の福州路)の文化産業と商業は大きな発展を遂げました。1930年代になると、ここは数多くの書店と文化洋品店、欧米・広東風雑貨店、茶屋、中華レストラン、西洋レストランなどが立ち並ぶ町となりました。 -
○ 天蟾舞台
旧上海最大の戯曲劇場である天蟾舞台は1925年に建てられ、3000余りの座席があり、主に京劇を上演していました。当時、多くの俳優がこのステージに立ち、「京劇俳優は天蟾の舞台に立たなければ、名を上げることはできない」といわれていたほどです。 -
○ 雷允上
雷允上は上海の有名な漢方薬薬局のひとつ。1724年(清雍正二年)雷允上は蘇州で創設され、1860年後上海に分店が置かれました。ここで製造される秘伝の「六神丸」は全国で販売され、医者からも患者からも評判がよかったそうです。 -
○ 港粤滬電気工事公司
この会社はかつて1920年代に南京路の街灯の取り付け工事を請け負ったことがありました。 -
○ カルテックス石油会社
1906年、カルテックス社が中国に進出し、経営を開始しました。1922年、その中国駐在機構が業務拡大し、カルテックス中国石油会社が成立し、その「赤星マーク」の石油販売店は中国各地に広がり、アジア、スタンダード石油会社とともに、3大石油会社でした。 -
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○ シビリア毛皮類店
シビリア毛皮類店はユダヤ系ロシア人カバレノフが開設した、上等毛皮のオーバーや品質のよい毛皮服を主に売る店でした。 -
○ 静安寺の門前に井戸があり、その井戸水は昼夜湧き出ていることから「湧泉」「沸井」と呼ばれ、また「天下第六泉」と称されていました。この井戸は南京西路道幅拡張工事で廃されましたが、1999年の地下鉄2号線建設のとき、もとの井戸ガード・レールが出土しました。
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上の写真にある獅子がどうやらこれ???
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○ 銭庄
上海開港後、租界の商業は繁栄しました。寧波路、天津路、江西路一帯はかつ銭庄(私営の金融機関)の集中エリアでした。銀行の出現と発展にともない、銭庄は次第に消えていきました。 -
○ バンド
百年近くから、バンドには次々とそれぞれ風格の異なったビルが建てられ1930年代の国際都市としての顕著な気風を呈してきました。 -
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○ 匯豊銀行(上海香港バンク)の銅の獅子像
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○ 取引所
清末、上海の同業公所は欧米の取引所制度に倣って商品交易を始めました。中国の商人が最初に開いた取引所は1920年に開設された上海証券・商品取引所です。ここで展示されているのは1921年に開業した上海メリケン粉取引所です。 -
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○ 舞台用衣裳店
近代になると、京劇、昆劇、滬劇、越劇、錫劇、甬劇など各地の各種劇団が上海に集まると同時に、全国各地の舞台用衣裳や道具の製作・販売を営む店が上海には多くありました。 -
○ 三友実業社
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○ 先施化粧品発行所
上海開港後、西洋の新式の化粧品が中国市場に輸入されました。1919年以降、専門に化粧品を販売する会社が相次いで開設され、先施化粧品発行所はそのひとつでした。 -
○ 汪裕泰茶店
近代に入ると、上海は茶の輸出基地となりました。汪裕泰茶店は1845年に創設された上海の安徽省グループの主要茶店でした。 -
○ 競馬
競馬総会は様々な競馬賭博競争を催したが、そのなかで毎年春秋二季に行われる「チャンピオントーナメント」は盛大なものでした。 -
馬券!
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○ 南京路
1917年以降、中国人商人が南京路に相次いで4つのデパートを建てました。さらに多くの中国商人が専門性の高い特色ある商店を開き、南京路は中国でもっとも商業で栄えた通りとなりました。 -
◎ 第四館 中国の足跡
近代上海の形成は、中国と欧米の文化の衝突と融合をもたらし、それによって中華民族の伝統的文化精神と欧米の近代文明がたがいに交わり合い、上海を魅力にあふれた大都市にさせました。
○ 丹桂劇場
丹桂茶園は老丹桂と新丹桂とにわかれており、劉維忠がそれぞれ前後して1867年と1884年に創設した上海で最も影響力をもった最初の京劇劇場でした。 -
○ 丹鳳楼
丹鳳楼は上海城壁のもとの万軍台の上に建てられたもので、東は黄浦江に面しています。毎年端午の節句に黄浦江で行われるドラゴンボートレースの観戦に、人気の場所でした。 -
○ 江海北関
アヘン戦争後、清政府はもとの江海関の北の方角に新しい税関をもうけました。この税関は江海北関と呼ばれ、主に外国商船の輸入税の徴収を行いました。江海北関の建物は、旧式の衙門建築で、19世紀末に取り壊され、建てなおされました。 -
○ 紅色礼拝堂(Holy Trinity Cathedral)
紅色礼拝堂は聖三一堂ともよばれ、江西路X九江路に位置し、1847年に建てられ、1869年に修建され、1893年には鐘楼が増築されました。ゴシック式の建築で、上海初期のもっとも高さの高い宗教建築でした。 -
○ 大華飯店(Majestic Hotel)ホール
大華飯店は1922年英国商人によって建てられました。ホテルの1階は広い宴会用ホールで中心はダンスホールになっており、その周りには古典的アイオニア式柱で装飾され、かつては上海で大面積の芝生と庭を持つ豪華なホテルでした。 -
○ バラック地区
解放直前の統計数字によると、旧上海には200戸以上が住むバラック地区が322カ所あり、バラック小屋は13万、18万戸の貧民100万余人が住んでいたといいます。 -
○ 徳国総会(German Club)
ドイツクラブは上海のドイツ居留民社団が建てた会館で1907年に落成しました。第二次世界大戦後、一度は中国銀行の営業所になったこともあります。1936年に建物は取り壊され、現在跡地には中国銀行ビルが建てられています。 -
○ 哈同花園(Hardoon Park)
哈同花園は英国籍ユダヤ人ハードンの個人庭園で、愛儷園とも呼ばれました。庭園の敷地面積は約200アールであり、1904年に工事が始められ、1910年に竣工しました。この庭園は、西洋と中国の風格を兼ね備えたことでも有名でした。 -
ここからは著名人の故居などのミニチュアの展示がありました。
○ 孫中山故居(現:香山路7号) -
○ 1930年代の福州路の写真
見どころいっぱい…でやっと見終わりました。
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