2012/07/29 - 2012/07/29
3952位(同エリア12014件中)
熱帯魚さん
こちらも中国人同僚のおススメで行ってみました。
場所はあの東方明珠の地下にあります。
普通は東方明珠の展望台とセットで行くのだと思いますが
展望台は数年前に行ったことがあるのでパス。
陳列館だけを見に行ってきました。入場料35元。
どうせつまらない子供だましの陳列館だろうなぁと
思ったのですが、驚くことに内容がものすごく充実。
上海の近代の交通手段(トラム、リキシャ、車)の
展示から始まり、上海の都市の発展の様子がものすごく
わかりやすく紹介されています。
特に、上海の伝統工業と町並みが再現されているエリアは必見。
35元で2時間以上も楽しめちゃいました。
*写真の説明コメントは、展示の説明書きより。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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打浦橋から地下鉄9号線に乗って、浦東の商城路にやってきました。ここからバスに乗って陸家嘴へ。
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イチオシ
今回の目的地は正大広場でも濱江大道でもなく、こちら!!
○ 東方明珠 -
陳列館の切符は30元。切符を買って敷地の中に入ると、子供たちが雑技を披露していました。
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階段登って、東方明珠の建物の中へ。
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中に入る前に、背後に広がるビル群を1枚。
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地下に降りて、陳列館へ。
陳列館のみを見に来ているのは私くらいしかいませんでした。普通は展望台に行ってから、ちょこって陳列館をのぞく、と言うパターンみたいです。 -
昔の上海。南京東路。
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イチオシ
ここから交通の紹介。
○ 早期路面電車
1908年3月5日、上海で初めての路面電車が正式に開通されました。中国人経営の初めての路面電車は1913年8月11日に開通され、営業を開始しました。 -
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20世紀初頭、上海の町を走っていた乗用車。
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○ 1930年代に南京路を走っていた公共バス
1922年8月13日、上海で初めての公共バス路線が中国人経営で開通しました。 -
○ 1920、30年代のトロリーバス
1914年11月15日、上海で初めてのトロリーバスが正式に開通しました。1920、30年代になると、トロリーバスは人々の重要な交通手段となりました。 -
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イチオシ
○ 人力車・黄包車
1930年代の上海の主な乗り物でした。1873年に日本から上海に導入されたことから、「東洋車」とも呼ばれたそうです。1913年より営業用の人力車は全て黄色に塗るように規定されたため、黄包車とも呼ばれました。 -
○ 馬車
ヨーロッパから伝わってきたもので、70年代初め個人用の乗物から、大都市の公共交通手段となっていきました。 -
○ 百子大型儀礼用のかご
旧上海最大の器物(結婚・葬式用品)を賃貸しする店「物華屋」が模様を彫りつけて作った花嫁を迎えるための儀礼用かごです。1927年、寧波人の店主がその息子の結婚のために準備したもので、10名の彫刻職人を招き、数多くの戯曲の物語とその登場人物を彫刻し、10年という時間を費やして完成させました。 -
上の階にあがるといきなり農村風景。
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さて、ここからがメインの展示のスタートです。前置き長くなりましたが…
◎ 第一館 城邑風貌
元朝至元28年(1291年)上海に県庁が正式に設置され、明代から城壁が構築されました。清代康熙年間の中頃から「鎖国令」が次第に緩まり、上海の河流を牛耳し海域を制御しえる地理的優勢を発揮するようになりました。綿紡績手工業と沿海運砂船運輸業が上海の主な産業となりました。「一城の炊煙東南の半分を占める」と言われるように、上海の旧市街の大通りの商業は繁盛し、文化は発達し、一時「小蘇州」とも「東洋のベニス」とも形容されました。 -
○ 鳳楼遠景
鳳楼すなわち丹鳳楼は、元代に新築され、明代の万歴年間に改築されたもので、天后(すなわち[女馬]祖、中国東南沿海地区の伝説に現れる海上女神)宮の楼閣です。東は黄浦江に面しており、上海県城壁の北東角に位置します。その城壁の高さは24尺、周囲は9里、城門は6か所ありました。旧城壁は1912年に取り除かれました。
現在市内に唯一現存する城壁については、以前旅行記にしましたので、こちらをご覧ください★
上海に唯一現存する城壁「大境閣」を見に
http://4travel.jp/traveler/blue_tropical_fish/album/10453531/ -
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○ 商船会館
清代康熙54年(1715年)、地元の運砂船商人によって創設された上海で初めてのギルド会館です。清代道光年間、運砂業が発達し、商船ギルド会館は、上海各会館のうち最も実力のある会館となりました。 -
○ 咸貨(塩漬け食品)行
城壁の東門外にある咸貨街は海産物貿易市場で、塩漬けの海産品が咸貨行の主要産品でした。 -
○ 竹器店
旧市街の篾竹街(竹細工街)はかつての上海竹貿易及び竹具政策産業のもっとも集中した地域でした。
ちなみに、今の篾竹街はこんな感じで、立ち退きが迫られているエリアです。
http://4travel.jp/traveler/blue_tropical_fish/pict/26108500/ -
○ 豆腐屋
清代の上海の豆腐屋は普通前の方が店で、奥が加工場でした。 -
○ 鍛治屋
主に農具、刃物などを生産していました。 -
○ 醤油屋
醤油屋は古代の醸造手工業工場で、大豆、小麦粉、食塩などを原料とし、醤油、酒、味噌、酢などを醸造して販売していました。醤油屋は小型の露天醸造場を持っているのが普通でした。 -
○ 酒屋
清代の上海商業経済の発展にともない、各流派の料亭が上海のあちこちに散在し始めました。清代の乾隆年間には、紹興商人が紹興酒の販売のため上海に酒屋を開きました。 -
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○ 反物屋
明清時代、上海地区は中国の主な手工紡績業の基地でした。「松郡之布、衣被天下(松江=上海の布が、全国を覆う)」と称賛されたそうです。 -
○ 綿花業
現代の黄道婆が紡績用の機を革新したことは、綿花栽培の商品化を促しました。清代、上海から毎年内地に送られる綿花は約50万担(1担は50?)だったそうです。一部は織物に加工され販売されました。 -
○ 漢方薬店
清代康熙年間、上海姜衍沢堂漢方薬店はもっぱら打撲傷治療のための各種の膏薬を営んでいましたが、特に宝珠膏が有名で、遠く東北まで販売されていたそうです。 -
○ 城隍廟
城隍廟はもと金山神廟といい、漢朝の大将軍霍光をまつっていました。明永楽年間に上海城の城隍(鎮守)の泰裕伯をあわせてまつるようになりました。清末以降、城隍廟は上海旧市街の商業と社会活動の中心となりました。 -
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ここから少し水郷的な町並みが再現されています。
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イチオシ
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◎ 第二館 開港見て歩き
1842年、外国列強の武力による侵入によって中国は門戸開放を余儀なくされました。1845年、列強は上海に租界をつくり、次第に欧米の市政施設と管理パターンを推進し、租界は列強が設けた中国国土の中での「国中の国」となり、ここから上海も半植民地化の道を歩むことになりました。中国人と欧米人が共に居住し、また中国各地の人が集まり雑居し、上海は中国最大の移民都市となりました。中国と西洋を包容し、新旧を兼ねる市民習俗が次第に形成されるに至りました。
○ 呉淞の戦い
1840年英国が中国を侵略するアヘン戦争を起こしました。1842年、英軍は20余艘の軍艦で長江口を侵犯し、呉淞砲台の守備を担った江南水軍提督陳化成は軍隊をひきいて抵抗しましたが、戦死を遂げています。そして1843年、上海は開港されたのでした。 -
イチオシ
○ 開港当時のバンド
開港後、欧米商人たちはこぞって砂地バンドに商社・拠点をつくりました。これにより、上海は鎖国化にピリオドを打つことになります。 -
○ 洋涇浜
今日すでに大通りとして切り開かれている延安東路はかつて東に向かって黄浦江に流れ込む小さな川で、フランス租界とイギリス租界を区切る境界河でした。1915年川が埋め立てられ、道路がつくられると、英国王の名前をとってAvenue King Edward 3(エドワード3路)と名付けられました。 -
イチオシ
○ 共同租界石
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○ 共同租界のマンホールの蓋
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○ 20世紀初めの上海の町並み
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○ 映画撮影
上海で初期の映画は西洋影戯と呼ばれ、手品・花火あげ・曲芸などの遊芸のなかで交差して放映されました。1908年、上海で最初の映画館が登場、1913年には上海で初の国産ドラマが作製されました。1926年トーキー映画が上海で放映されるようになりました。 -
○ 会審公廨
上海開港後、列強は租界の行政と司法管理権の一部を奪いました。会審公廨とは中国政府が租界に設置した中外判事からなる司法機構です。租界司法権の損失は上海における都市の半植民地化を示す重要な印でした。 -
○ 質屋
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○ 一品香欧風レストラン
中国人が一番はじめにオープンさせた西洋料理レストラン。上海の人々は西洋料理を、蕃菜、欧菜、大菜と呼びましたが、のちに西菜と呼ぶようになりました。 -
○ 工部局
工部局は上海の共同租界における最高市政管理機構です。はじめは英米二国によって制御されました。1943年の租界回収によって、工部局はその終結を宣言しました。工部局が租界の行政主権を奪ったことは、上海における都市の半植民地化を意味しました。 -
○ 1893年の英米租界の境界碑
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○ 1914年のフランス租界の境界碑
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○ 煙紙店
日常生活の中で一番よく使われるタバコ・ちり紙を販売したことから、こう呼ばれるようになりました。多くは横丁の入口におかれ、夫婦二人だけで営まれている店でした。 -
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イチオシ
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○ 闘コウロギ
白露ごろになると、人々はコウロギを飼いならし、賭け事を楽しみました。 -
○ 花煙間
アヘン戦争後、上海の巷には千にもおよぶアヘン館が存在し、また女性でアヘンの客引きするところも少なくありませんでした。このため、アヘン館は「花煙館」と呼ばれていました。数多くのアヘン館は旧上海の暗い一面でもあります。 -
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○ 老虎竃
「老虎竈」は上海で給水店を指す言葉です。お湯を沸かす竈が虎のような形をしていることからこの名前がつけられました。
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