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NHKの「世界ふれあい街歩き 上海四川北路界わい」編は、上海に既に14年住んでいて、あの四川北路周辺も何度かうろついてる私には大いに楽しめました。<br />特に、あの編のハイライトと言っても良い「66年ぶりに来客劇」は興味深かったですね。その訪問した家(マグノリアテラス)やら、そこに至るまでの背景などを探るうちに、とうとう、その66年ぶりにあそこを訪れた方のブログにたどり着いてしまったのです。そして、その方と、メールのやり取りをさせて頂くところまで行き、その方から、マグノリアに関して、ハッキリしないところがある、もし宜しかったら、それを確認していただければ、と要請を受けたのです。じゃあ、ということで、マグノリアに行くついでに、「四川北路界わい」編の各スポットも訪れてみるかとなったのです。<br />今年の上海の夏は例年より過ごしやすい。例年ですと、37度、38度は当たり前の天気になるんですが、今年はどういうわけだか35度を越えることはない。<br />それでも日本の夏よりはズット暑い。そんな暑い中、四川北路を2時間強歩き回ってきました。<br />「四川北路界わい」編では、四川北路南端から始まり、急に北端まで行き、また、南端付近に戻り、そしてまた北端付近に移動と言う、考えられない経路を辿っていたわけなんですが、私のこの日の散策は北端から南に進路をとり、あの番組に出てきた各スポットを順番に辿っていったのです。<br />では、その様子をどうぞ・・・テレビ画面の画像も一緒にアップします。<br />なお、マグノリアでは、そこの住人に会いました。テレビに出てきた人です。<br />テレビ画面を写した写真を見せ、イロイロ説明しましたら大喜び。<br />隣近所の人も集まってきて、例の階段前で記念写真となったのです。<br />それも出てきますので、どうぞご覧ください。<br />

クソ暑い中「四川北路界わい」を辿る

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2012/07/30 - 2012/07/30

3110位(同エリア11698件中)

12

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井上@打浦橋@上海

井上@打浦橋@上海さん

NHKの「世界ふれあい街歩き 上海四川北路界わい」編は、上海に既に14年住んでいて、あの四川北路周辺も何度かうろついてる私には大いに楽しめました。
特に、あの編のハイライトと言っても良い「66年ぶりに来客劇」は興味深かったですね。その訪問した家(マグノリアテラス)やら、そこに至るまでの背景などを探るうちに、とうとう、その66年ぶりにあそこを訪れた方のブログにたどり着いてしまったのです。そして、その方と、メールのやり取りをさせて頂くところまで行き、その方から、マグノリアに関して、ハッキリしないところがある、もし宜しかったら、それを確認していただければ、と要請を受けたのです。じゃあ、ということで、マグノリアに行くついでに、「四川北路界わい」編の各スポットも訪れてみるかとなったのです。
今年の上海の夏は例年より過ごしやすい。例年ですと、37度、38度は当たり前の天気になるんですが、今年はどういうわけだか35度を越えることはない。
それでも日本の夏よりはズット暑い。そんな暑い中、四川北路を2時間強歩き回ってきました。
「四川北路界わい」編では、四川北路南端から始まり、急に北端まで行き、また、南端付近に戻り、そしてまた北端付近に移動と言う、考えられない経路を辿っていたわけなんですが、私のこの日の散策は北端から南に進路をとり、あの番組に出てきた各スポットを順番に辿っていったのです。
では、その様子をどうぞ・・・テレビ画面の画像も一緒にアップします。
なお、マグノリアでは、そこの住人に会いました。テレビに出てきた人です。
テレビ画面を写した写真を見せ、イロイロ説明しましたら大喜び。
隣近所の人も集まってきて、例の階段前で記念写真となったのです。
それも出てきますので、どうぞご覧ください。

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  • コレがその日巡った各スポットの案内図です。<br />我が家から四川北路の北端にある魯迅公園へ行くには、地下鉄3号線と8号線利用で虹口足球場駅で降りるのが便利。<br />駅に着いたのが8時50分。そこから歩き回ったということです。最終スポットに行き着いたのが、11時前・・・と言うことで、歩き回ったのは2時間強。<br />汗ビッショリどころか、汗ドロドロ状態で、最後はグロッギー気味。ですから、帰りはタクシーにしました。タクシーでも我が家までは25元・・・日本円で300円チョイ。安いもんです。<br /><br />各スポットを周った順に番号を振りました。この周り方が自然なんです。<br />あのテレビ番組通りの順で周るのは超不自然。<br />なんせ、あの番組では蘇州河から始まり、一気に四川北路北端の魯迅公園へ・・・<br />そして、次は、昔の日本のお寺、次は蘭州拉麺の小区、そして砂糖きびジュースの道・・・<br />北へ行ったり、南へ行ったり・・・これは不自然というもの・・・。<br />私の周り方は、四川北路北端から南に順に巡り歩いたということです。<br /><br />皆さんの中で、もし、あの番組の各スポットを周りたいという物好きな人いれば、どうぞ、私が歩いた順で周ってみてください。

    コレがその日巡った各スポットの案内図です。
    我が家から四川北路の北端にある魯迅公園へ行くには、地下鉄3号線と8号線利用で虹口足球場駅で降りるのが便利。
    駅に着いたのが8時50分。そこから歩き回ったということです。最終スポットに行き着いたのが、11時前・・・と言うことで、歩き回ったのは2時間強。
    汗ビッショリどころか、汗ドロドロ状態で、最後はグロッギー気味。ですから、帰りはタクシーにしました。タクシーでも我が家までは25元・・・日本円で300円チョイ。安いもんです。

    各スポットを周った順に番号を振りました。この周り方が自然なんです。
    あのテレビ番組通りの順で周るのは超不自然。
    なんせ、あの番組では蘇州河から始まり、一気に四川北路北端の魯迅公園へ・・・
    そして、次は、昔の日本のお寺、次は蘭州拉麺の小区、そして砂糖きびジュースの道・・・
    北へ行ったり、南へ行ったり・・・これは不自然というもの・・・。
    私の周り方は、四川北路北端から南に順に巡り歩いたということです。

    皆さんの中で、もし、あの番組の各スポットを周りたいという物好きな人いれば、どうぞ、私が歩いた順で周ってみてください。

  • 虹口足球場駅を降り、魯迅公園の正門に向かいます。<br />その正門の手前が空港からのリムジンバス・机場4線の終点のようです。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />正門の脇には食堂もあります。<br />柏村寿司と言う店もあります。<br /><br />こちらにはうどんとたこ焼きがあるようです。<br />寿司、うどん、たこ焼きを提供する店の上には九牛一品という看板が掛かっています。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />正門まで来ました。<br />正門は南門ですね。<br />北門が裏門なんでしょう。<br />東側にも門は2つあったような・・・。<br />

    虹口足球場駅を降り、魯迅公園の正門に向かいます。
    その正門の手前が空港からのリムジンバス・机場4線の終点のようです。













    正門の脇には食堂もあります。
    柏村寿司と言う店もあります。

    こちらにはうどんとたこ焼きがあるようです。
    寿司、うどん、たこ焼きを提供する店の上には九牛一品という看板が掛かっています。















    正門まで来ました。
    正門は南門ですね。
    北門が裏門なんでしょう。
    東側にも門は2つあったような・・・。

  • さて、魯迅公園の中に入り込みました。<br />上海の公園、7・8年前までは入場料取られたんですが、今は無料です。<br />いやぁ、凄い!!・・・このクソ暑いのに、もう、人だらけですよ。<br />そして大音響・・・ますます、暑くなります。<br />皆さん、朝からエンジン全開で、元気良すぎ・・・<br />こういうの見ちゃいますと、ああ、中国人にはかなわないな・・・・と、私などは思っちゃうのです。<br />朝からここで、エンジン全開の人達の平均年齢は、まず、50代後半、60代前半でしょうね。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />社交ダンスを集団でやる人達、ヒップポップっぽいダンスに興じる人達、太極拳をやる人達・・・<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />テレビ画像でも、イロイロ出てきました。<br />コレは、そのうちの、太極拳の様子です。<br />

    さて、魯迅公園の中に入り込みました。
    上海の公園、7・8年前までは入場料取られたんですが、今は無料です。
    いやぁ、凄い!!・・・このクソ暑いのに、もう、人だらけですよ。
    そして大音響・・・ますます、暑くなります。
    皆さん、朝からエンジン全開で、元気良すぎ・・・
    こういうの見ちゃいますと、ああ、中国人にはかなわないな・・・・と、私などは思っちゃうのです。
    朝からここで、エンジン全開の人達の平均年齢は、まず、50代後半、60代前半でしょうね。







    社交ダンスを集団でやる人達、ヒップポップっぽいダンスに興じる人達、太極拳をやる人達・・・



















    テレビ画像でも、イロイロ出てきました。
    コレは、そのうちの、太極拳の様子です。

  • テレビで出てきました、京劇の音楽を楽しむ集団が集まるところです。<br />この日も、いつものメンバーと思われる人たちが集まって、楽器を演奏していました。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />結婚情報交換場所です。<br />土曜、日曜ですと、もっと多くの人が集まるんでしょう。<br />テレビにも出てきました赤い看板が、この日もぶら下がっていました。<br /><br /><br /><br /><br /><br />魯迅公園には、どの位いたのか・・・<br />30分くらいなもんだと思いますが、その間に、日本人観光グループ2つに出会いましたね。<br />いやぁ、このクソ暑い時期の上海に観光に来るってのは、ハッキリ言いましてキ●ガイ沙汰です。<br />

    テレビで出てきました、京劇の音楽を楽しむ集団が集まるところです。
    この日も、いつものメンバーと思われる人たちが集まって、楽器を演奏していました。
















    結婚情報交換場所です。
    土曜、日曜ですと、もっと多くの人が集まるんでしょう。
    テレビにも出てきました赤い看板が、この日もぶら下がっていました。





    魯迅公園には、どの位いたのか・・・
    30分くらいなもんだと思いますが、その間に、日本人観光グループ2つに出会いましたね。
    いやぁ、このクソ暑い時期の上海に観光に来るってのは、ハッキリ言いましてキ●ガイ沙汰です。

  • 魯迅公園を出て、東に向かいました。<br />まだ魯迅公園の敷地沿いの道ですが、そこには雑貨を売る露店が並びます。<br />露店と言っても、道端に品物を並べてるだけですが・・・<br /><br />その露店にも、大勢の客が群がっています。<br />このクソ暑いのに・・・。<br />

    魯迅公園を出て、東に向かいました。
    まだ魯迅公園の敷地沿いの道ですが、そこには雑貨を売る露店が並びます。
    露店と言っても、道端に品物を並べてるだけですが・・・

    その露店にも、大勢の客が群がっています。
    このクソ暑いのに・・・。

  • ここが、テレビに出てきました砂糖きびジュースを売る店が出ていた道です。<br />この日は、その店は出ていませんでした。<br />いや、もう9時を結構過ぎていましたので、もう引き揚げてしまったのか、あるいは、別の場所に移動したのか・・・<br />テレビに出てきました、そのほかの店・・・本屋と麦芽飴の店なんかもなかったですね。<br />夏場は店を、ここには出さないのかもしれません。<br /><br />

    ここが、テレビに出てきました砂糖きびジュースを売る店が出ていた道です。
    この日は、その店は出ていませんでした。
    いや、もう9時を結構過ぎていましたので、もう引き揚げてしまったのか、あるいは、別の場所に移動したのか・・・
    テレビに出てきました、そのほかの店・・・本屋と麦芽飴の店なんかもなかったですね。
    夏場は店を、ここには出さないのかもしれません。

  • 小道の西端を南北に走る道が甜愛路です。<br />それを南に行きます。<br />この甜愛路は、この辺りにしては静かな道で、街路樹がある趣きのある道です。<br />左側には洋館のお邸が住居が建ち並んでいまして、それは千愛里といいます。<br />昔、日本の業者が建てた物らしいです。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />そして、その道沿いの塀には、「愛」に関する世界各国の詩を書き込んだ額のようなものがいくつも並んでいます。<br />プーシキン、シェリー、ゲーテ、シェークスピア、勿論、中国の詩人のものも・・・<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />右側にはイギリス風の建物も並びます。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />甜愛路のバス停です。<br />59路バスがもうスグここに止まります。<br />

    小道の西端を南北に走る道が甜愛路です。
    それを南に行きます。
    この甜愛路は、この辺りにしては静かな道で、街路樹がある趣きのある道です。
    左側には洋館のお邸が住居が建ち並んでいまして、それは千愛里といいます。
    昔、日本の業者が建てた物らしいです。








    そして、その道沿いの塀には、「愛」に関する世界各国の詩を書き込んだ額のようなものがいくつも並んでいます。
    プーシキン、シェリー、ゲーテ、シェークスピア、勿論、中国の詩人のものも・・・







    右側にはイギリス風の建物も並びます。















    甜愛路のバス停です。
    59路バスがもうスグここに止まります。

  • 甜愛路の南端が見えてきました。<br />甜愛路は四川北路にぶつかって終わりです。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />南端近くにあるのが、この緑のポスト。<br />いや、中国のポストはどれもこれも緑色なので、それが特別と言うことではなく、このポストは別の意味で特別なのです。<br />テレビで「世界ふれあい街歩き」をご覧になった人は分かってますのね、そうですコレは恋愛ポストなんです。<br /><br />愛のストリート・甜愛路にあるポストなので、いつの間にか、そういう役割を持つポストになっていったんでしょう。そうなってしまったので、ポストの下の路盤にはハートが2つ描かれ、そこには、そういった謂れのようなことが書き込まれてるようです。<br /><br /><br /><br /><br />郵便ポストは「郵政信筒」というようです。<br />このポストの回収時間は1日2回で、1回目が9時58分、2回目が16時42分のようです。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />これがテレビに出てきた恋愛ポストと、広東から来た女性2人です。

    甜愛路の南端が見えてきました。
    甜愛路は四川北路にぶつかって終わりです。












    南端近くにあるのが、この緑のポスト。
    いや、中国のポストはどれもこれも緑色なので、それが特別と言うことではなく、このポストは別の意味で特別なのです。
    テレビで「世界ふれあい街歩き」をご覧になった人は分かってますのね、そうですコレは恋愛ポストなんです。

    愛のストリート・甜愛路にあるポストなので、いつの間にか、そういう役割を持つポストになっていったんでしょう。そうなってしまったので、ポストの下の路盤にはハートが2つ描かれ、そこには、そういった謂れのようなことが書き込まれてるようです。




    郵便ポストは「郵政信筒」というようです。
    このポストの回収時間は1日2回で、1回目が9時58分、2回目が16時42分のようです。








    これがテレビに出てきた恋愛ポストと、広東から来た女性2人です。

  • 甜愛路から四川北路に出て振り返ります。<br />この辺りの四川北路は東西に走っていまして、そのあと南のほうに曲がるのです。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />四川北路を南に行きます。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />南にチョイ行き、そこから長春路に入ります。<br />その道沿いには何やら格調高そうなレンガ造りの集合住宅が見えてきます。<br />

    甜愛路から四川北路に出て振り返ります。
    この辺りの四川北路は東西に走っていまして、そのあと南のほうに曲がるのです。













    四川北路を南に行きます。















    南にチョイ行き、そこから長春路に入ります。
    その道沿いには何やら格調高そうなレンガ造りの集合住宅が見えてきます。

  • この長春路にある3階建ての集合住宅はテレビにも出てきました。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />上海社会科学院の副院長の熊さんが、四川北路周辺の日本人居住区に関して説明していた時に後ろに写っていた集合住宅です。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />その対面にあるのが長春公寓です。<br />こちらもなかなか立派な建物です。<br />こちらは1929年に建てられた物のようです。<br /><br />

    この長春路にある3階建ての集合住宅はテレビにも出てきました。
















    上海社会科学院の副院長の熊さんが、四川北路周辺の日本人居住区に関して説明していた時に後ろに写っていた集合住宅です。















    その対面にあるのが長春公寓です。
    こちらもなかなか立派な建物です。
    こちらは1929年に建てられた物のようです。

  • 四川北路に戻り、また南に行き、そこから多倫路に入ります。<br />多倫路は、昔は上海の作家が多く住んでいたり、うろついていたりしてたところらしいです。<br />ということで、6・7年前に「文化名人街」と言う呼び名を付け、それらしい街並みにしていった道です。<br /><br />テーブルを囲んで何やら、話し込んでる3人も、当時、この辺りにいた文化人なんでしょう。<br />もしかすると、こちらを向いてる髭の人は魯迅なのかもしれません。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />こちらは鴻徳堂と言いますが教会だったようです。<br />いや、今でも教会と言うことなのかもしれません。<br />1928年に完成したものらしいですが、建物は中華風ですね。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />鴻徳堂の隣には鴻徳書房と言う書店がありますが、その前には内山完造の銅像があります。<br />

    四川北路に戻り、また南に行き、そこから多倫路に入ります。
    多倫路は、昔は上海の作家が多く住んでいたり、うろついていたりしてたところらしいです。
    ということで、6・7年前に「文化名人街」と言う呼び名を付け、それらしい街並みにしていった道です。

    テーブルを囲んで何やら、話し込んでる3人も、当時、この辺りにいた文化人なんでしょう。
    もしかすると、こちらを向いてる髭の人は魯迅なのかもしれません。






    こちらは鴻徳堂と言いますが教会だったようです。
    いや、今でも教会と言うことなのかもしれません。
    1928年に完成したものらしいですが、建物は中華風ですね。













    鴻徳堂の隣には鴻徳書房と言う書店がありますが、その前には内山完造の銅像があります。

  • 多倫路は鍵の手に曲がっていまして、そこから今度は北方向に行きます。<br />この先に、テレビに出てきました骨董屋があるはずです。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />そのテレビに出てきた骨董屋「大上海」は、まだ開店していませんでした。<br />10時に開店なんでしょう。まだ9時47分ですから、少し待てば店に入れるんでしょうが、それまで待てません。<br /><br />

    多倫路は鍵の手に曲がっていまして、そこから今度は北方向に行きます。
    この先に、テレビに出てきました骨董屋があるはずです。




























    そのテレビに出てきた骨董屋「大上海」は、まだ開店していませんでした。
    10時に開店なんでしょう。まだ9時47分ですから、少し待てば店に入れるんでしょうが、それまで待てません。

  • このクソ暑い中、ここまで歩いてきて、もう結構ヘトヘト。<br />汗もグッショリで、喉も渇き、ここらで一休み。<br />丁度、骨董屋の「大上海」の対面には、売店がありましたので、そこで、何か冷たい物を、と中を覗きましたら、ありました、私の大好きなアイスキャンデーが・・・<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />それが、この緑豆のアイスキャンデーです。<br />これは光明牌の緑豆棒冰で1元です。<br />緑豆アイスキャンデーは蒙牛牌のものもありますが、そちらは1.5元です。<br />光明牌のは、緑豆のツブツブがシッカリ残っていまして、野生的な感じ、蒙牛牌のはチョイと上品な感じです。どちらも、好きなんですが、どちらかと言うと、前者ですね。<br /><br />チョイと遠くに目を移しましたら、洗濯物を高いところに干してるおじさんが・・・<br />そこに、日本人旅行者グループが後ろから来て、その風景を物珍しく眺めながら通り過ぎていきました。<br />このおじさんの持ってる洗濯物を高い位置に上げる道具ですが、これは「ウツド」と言うらしいです。<br />「ウツド」は漢字では「Y叉頭」と書くそうですが、形状をそのまま漢字にしたというものですね。<br />ところで、私もこんなに長い「ウツド」に出会うのは初めてです。<br />

    このクソ暑い中、ここまで歩いてきて、もう結構ヘトヘト。
    汗もグッショリで、喉も渇き、ここらで一休み。
    丁度、骨董屋の「大上海」の対面には、売店がありましたので、そこで、何か冷たい物を、と中を覗きましたら、ありました、私の大好きなアイスキャンデーが・・・











    それが、この緑豆のアイスキャンデーです。
    これは光明牌の緑豆棒冰で1元です。
    緑豆アイスキャンデーは蒙牛牌のものもありますが、そちらは1.5元です。
    光明牌のは、緑豆のツブツブがシッカリ残っていまして、野生的な感じ、蒙牛牌のはチョイと上品な感じです。どちらも、好きなんですが、どちらかと言うと、前者ですね。

    チョイと遠くに目を移しましたら、洗濯物を高いところに干してるおじさんが・・・
    そこに、日本人旅行者グループが後ろから来て、その風景を物珍しく眺めながら通り過ぎていきました。
    このおじさんの持ってる洗濯物を高い位置に上げる道具ですが、これは「ウツド」と言うらしいです。
    「ウツド」は漢字では「Y叉頭」と書くそうですが、形状をそのまま漢字にしたというものですね。
    ところで、私もこんなに長い「ウツド」に出会うのは初めてです。

  • 多倫路からまた四川北路に戻り、更に南へ・・・・<br />左には上海市第一人民医院があります。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />この病院の前身は日本人が開業した福民病院らしいです。<br />福民病院は1924年に日本人医師・頓宮(とんぐう)寛が開いた総合病院です。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />四川北路を更に南へ・・・<br />

    多倫路からまた四川北路に戻り、更に南へ・・・・
    左には上海市第一人民医院があります。
















    この病院の前身は日本人が開業した福民病院らしいです。
    福民病院は1924年に日本人医師・頓宮(とんぐう)寛が開いた総合病院です。

















    四川北路を更に南へ・・・

  • 右に柳林小区の入り口が見えてきました。<br />昔は赫林里・・・ヘレン・テラス・・・と言っていたそうです。<br />ヘレンテラスに関しては・・・・<br />戸板康二と言う演劇評論家であり推理小説家である方が、ここを舞台の推理小説「ヘレンテラスの家」というのを書いてるんです。彼は昔、ヘレンテラスに住んでいたそうです。<br />その内容は・・・・<br />大昔、ココであった殺人事件の手がかりをつかむために、数十年後、事件の関係者である母の代わりに、母が住んでた家を訪ねた娘が、2階へ上がる階段に事件解決の手がかりを見つける、という話なんです。<br /><br /><br /><br />中にチョイと入ってみました。<br />右側(北側)の建物は昔のままなんでしょう。<br />レンガの色合いが古さを感じさせます。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />左側(南側)の建物は、爆撃にあい消失したため建て直されたものらしいです。<br />

    右に柳林小区の入り口が見えてきました。
    昔は赫林里・・・ヘレン・テラス・・・と言っていたそうです。
    ヘレンテラスに関しては・・・・
    戸板康二と言う演劇評論家であり推理小説家である方が、ここを舞台の推理小説「ヘレンテラスの家」というのを書いてるんです。彼は昔、ヘレンテラスに住んでいたそうです。
    その内容は・・・・
    大昔、ココであった殺人事件の手がかりをつかむために、数十年後、事件の関係者である母の代わりに、母が住んでた家を訪ねた娘が、2階へ上がる階段に事件解決の手がかりを見つける、という話なんです。



    中にチョイと入ってみました。
    右側(北側)の建物は昔のままなんでしょう。
    レンガの色合いが古さを感じさせます。















    左側(南側)の建物は、爆撃にあい消失したため建て直されたものらしいです。

  • 四川北路にまた出ました。<br />対面にあるのが実験中学です。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />7年前の実験中学はこんな感じです。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />ここは昔の日本尋常高等学校です。<br />1917年に建てられた鉄筋コンクリート造りの4階建ての建物が未だに使われています。<br />

    四川北路にまた出ました。
    対面にあるのが実験中学です。
















    7年前の実験中学はこんな感じです。
















    ここは昔の日本尋常高等学校です。
    1917年に建てられた鉄筋コンクリート造りの4階建ての建物が未だに使われています。

  • ここが「世界ふれあい街歩き・上海四川北路界わい」のハイライトと言っても良い「66年ぶりに来客劇」の舞台であるマグノリア・テラスへの入り口です。<br />マグノリア・テラスの今の呼び名は麦豊里ですが、入り口には柳林小区と表示されています。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />現在の麦豊里です。<br />建物はマグノリア・テラス当時のままなんでしょう。<br />レンガ造り3階建て長屋タイプ集合住宅ということです。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />麦豊里の長屋は3列あるんですが、入り口から入ってすぐ右にある列のみが、当時のまま全部残っていますが、左側の2列は3分の1が取り壊されたのかなくなっています。

    ここが「世界ふれあい街歩き・上海四川北路界わい」のハイライトと言っても良い「66年ぶりに来客劇」の舞台であるマグノリア・テラスへの入り口です。
    マグノリア・テラスの今の呼び名は麦豊里ですが、入り口には柳林小区と表示されています。













    現在の麦豊里です。
    建物はマグノリア・テラス当時のままなんでしょう。
    レンガ造り3階建て長屋タイプ集合住宅ということです。













    麦豊里の長屋は3列あるんですが、入り口から入ってすぐ右にある列のみが、当時のまま全部残っていますが、左側の2列は3分の1が取り壊されたのかなくなっています。

  • これは当時のマグノリア・テラス(麥拿里)の住宅図です。<br />元図は右上の物でして、そこには、当時住んでいた家族の名前も入っています。<br />私が作った住宅図には番号が振ってありますが、これが住居番号なんでしょう。<br />3階建てですので、一つの番号の住居に3家族住んでる場合もありますし、1家族の場合もあったようです。中には二つの連続した番号に2家族ということもあったようです。<br />「66年ぶりの来客劇」のご家族はどうやら1家族で3階まで使っていたようです。<br />http://blog.goo.ne.jp/miracle-titan/e/d560d0f0eb716e7d7d42adc03e93acde<br />を見ますと、3階までの間取り図があります。<br />今はそこに、上海人が8家族住んでいるとか・・・。<br /><br />麥拿里の門を出ますと、そこは北四川路。<br />門の対面には尋常高等小学校。<br />その南隣は歌舞伎座、樋口工務店、三平食堂となっています。<br />麥拿里側の並びには、南から、三笠洋行(洋品店)、春日洋行(ゴム製品)、藤原洋行(看板屋)、国吉理髪店、南高洋行(自転車屋)、城本光華堂(武具、文具)、明地商店(魚・野菜)、松下洋行(家具)となっています。<br />コレ見ますと、全く、日本のどこかの都市、そのままという感じだったんですね。 <br /><br />さて、3つ並んだ長屋(長屋と言うには立派過ぎますが)が今でも3つとも残ってるのかどうか・・・<br />7月30日に、ここを訪れ確認しました。<br />そうしましたら・・・右(北側)の列の長屋は当時のまま残っていました。<br />真ん中の列と左(南側)の列は、道側の部分がなくなっていました。<br />真ん中の列は26号から21号が、左(南側)の列では1号から4号がなくなっていました。<br /><br />66年ぶりに訪れた方の家は18号でしたので、かろうじて残っていたということです。幸運だったと言うことなんでしょう。

    これは当時のマグノリア・テラス(麥拿里)の住宅図です。
    元図は右上の物でして、そこには、当時住んでいた家族の名前も入っています。
    私が作った住宅図には番号が振ってありますが、これが住居番号なんでしょう。
    3階建てですので、一つの番号の住居に3家族住んでる場合もありますし、1家族の場合もあったようです。中には二つの連続した番号に2家族ということもあったようです。
    「66年ぶりの来客劇」のご家族はどうやら1家族で3階まで使っていたようです。
    http://blog.goo.ne.jp/miracle-titan/e/d560d0f0eb716e7d7d42adc03e93acde
    を見ますと、3階までの間取り図があります。
    今はそこに、上海人が8家族住んでいるとか・・・。

    麥拿里の門を出ますと、そこは北四川路。
    門の対面には尋常高等小学校。
    その南隣は歌舞伎座、樋口工務店、三平食堂となっています。
    麥拿里側の並びには、南から、三笠洋行(洋品店)、春日洋行(ゴム製品)、藤原洋行(看板屋)、国吉理髪店、南高洋行(自転車屋)、城本光華堂(武具、文具)、明地商店(魚・野菜)、松下洋行(家具)となっています。
    コレ見ますと、全く、日本のどこかの都市、そのままという感じだったんですね。

    さて、3つ並んだ長屋(長屋と言うには立派過ぎますが)が今でも3つとも残ってるのかどうか・・・
    7月30日に、ここを訪れ確認しました。
    そうしましたら・・・右(北側)の列の長屋は当時のまま残っていました。
    真ん中の列と左(南側)の列は、道側の部分がなくなっていました。
    真ん中の列は26号から21号が、左(南側)の列では1号から4号がなくなっていました。

    66年ぶりに訪れた方の家は18号でしたので、かろうじて残っていたということです。幸運だったと言うことなんでしょう。

  • コレは、当日確認した現在の麦豊里の様子です。<br />中列は20号までで、そこから先はなくなっていました。<br />そして、南列は5号で終わっていました。<br />

    コレは、当日確認した現在の麦豊里の様子です。
    中列は20号までで、そこから先はなくなっていました。
    そして、南列は5号で終わっていました。

  • 「世界ふれあい街歩き・上海四川北路」編の最大のハイライトである「66年ぶりの来客劇」の主役である、あのおばさんが住んでた家は18号であることは、分かっていましたが、果たして、その方に会えるかどうか・・・<br />18号の玄関に行き、ドアを軽く叩いてみましたが、反応がありません。もう一度・・・やはりダメです。諦めて、ドアを背にしてそこを去ろうとした時に中から声が・・・ドアを開けて出てきた女性に、テレビ画面を撮った写真を見せ、この方いますか、と聞きましたら、おお、と驚き、階段の上に向かって「ヤンラオシー」と大きな声で呼びかけました。<br />そして、階段から降りてきた女性が、正にあのテレビに登場した方でした。テレビで見るより、更に上品な感じでしたね。<br />「ヤンラオシー」というんですから「楊先生」なのかと思ったわけですが、ここの66年前の住人で、去年ここを訪れた日本人女性に確認しましたら、やはり学校の先生だということでした。でも名前は「王」さんだということですので、本当は「ワンラオシー」ということのようです。<br />王さんの父親(大学教授だったとか)が、戦後ここを買い取り、当時は一家で3階まで使っていたようですが、その後、1階2階は人に貸したそうです。ドアから最初に出てきた人は1階の住人だったということなんでしょう。<br />私が持ってきた写真を、お二人が見ていましたら、もう一人やって来まして、賑やかになりました。<br />王さんは私に、是非、部屋に入ってユックリしていってください、と薦めてくれたんですが、なんせ、こちらはバケツで水をかぶった位に汗でグショグショでしたし、まだ訪れなくてはならないところがありましたので、丁重にお断りしました。<br />汗グッショリの様子を見て、王さんはビンビンに冷えた塩汽水(チョイと塩味のサイダー)を持ってきてくれまして、私は、それを一気飲み。そうしたら、更にもう1本。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />そしてお別れする前に、例の階段の前で記念写真。<br />この記念写真は、あとで3枚焼いて、郵送しました。<br /><br />さて、この階段なんですが、戸板康二さんは「ヘレンテラスの家」という推理小説の中で、ヘレンテラスの階段に関して、こう書いています。<br />●26段の階段があり、その手すりは英国式で、<br />●柱にブールボン家の百合のしるしが付いている・・・<br /><br />ヘレンテラスもマグノリアテラスも、造りは殆ど同じで設計者も同じだと思いますので、マグノリアの階段も同じだったんでしょう。<br />確かに、撮って来た写真を確認しますと26段ありましたし、手すりの様子もコレが英国式なのかもと思われるものでした。<br />

    「世界ふれあい街歩き・上海四川北路」編の最大のハイライトである「66年ぶりの来客劇」の主役である、あのおばさんが住んでた家は18号であることは、分かっていましたが、果たして、その方に会えるかどうか・・・
    18号の玄関に行き、ドアを軽く叩いてみましたが、反応がありません。もう一度・・・やはりダメです。諦めて、ドアを背にしてそこを去ろうとした時に中から声が・・・ドアを開けて出てきた女性に、テレビ画面を撮った写真を見せ、この方いますか、と聞きましたら、おお、と驚き、階段の上に向かって「ヤンラオシー」と大きな声で呼びかけました。
    そして、階段から降りてきた女性が、正にあのテレビに登場した方でした。テレビで見るより、更に上品な感じでしたね。
    「ヤンラオシー」というんですから「楊先生」なのかと思ったわけですが、ここの66年前の住人で、去年ここを訪れた日本人女性に確認しましたら、やはり学校の先生だということでした。でも名前は「王」さんだということですので、本当は「ワンラオシー」ということのようです。
    王さんの父親(大学教授だったとか)が、戦後ここを買い取り、当時は一家で3階まで使っていたようですが、その後、1階2階は人に貸したそうです。ドアから最初に出てきた人は1階の住人だったということなんでしょう。
    私が持ってきた写真を、お二人が見ていましたら、もう一人やって来まして、賑やかになりました。
    王さんは私に、是非、部屋に入ってユックリしていってください、と薦めてくれたんですが、なんせ、こちらはバケツで水をかぶった位に汗でグショグショでしたし、まだ訪れなくてはならないところがありましたので、丁重にお断りしました。
    汗グッショリの様子を見て、王さんはビンビンに冷えた塩汽水(チョイと塩味のサイダー)を持ってきてくれまして、私は、それを一気飲み。そうしたら、更にもう1本。







    そしてお別れする前に、例の階段の前で記念写真。
    この記念写真は、あとで3枚焼いて、郵送しました。

    さて、この階段なんですが、戸板康二さんは「ヘレンテラスの家」という推理小説の中で、ヘレンテラスの階段に関して、こう書いています。
    ●26段の階段があり、その手すりは英国式で、
    ●柱にブールボン家の百合のしるしが付いている・・・

    ヘレンテラスもマグノリアテラスも、造りは殆ど同じで設計者も同じだと思いますので、マグノリアの階段も同じだったんでしょう。
    確かに、撮って来た写真を確認しますと26段ありましたし、手すりの様子もコレが英国式なのかもと思われるものでした。

  • 麦豊里をあとにして、また四川北路に出ました。<br />暫く行きますと橋があります。<br />この橋が横浜橋です。<br />横浜と言っても日本の横浜とは無関係です。<br />日本の横浜の「浜」は旧字体だと「濱」となりますが、上海の横浜橋の「浜」は旧字体も「浜」なのです。<br />本来「濱」と「浜」は違う字なのです。中国語では前者は「ビン」と読み、後者は「バン」と読むのです。「浜(バン)」は水路のことらしいです。<br />つまり、この横浜橋の下の水路が「横浜」ということなんでしょう。<br /><br /><br /><br /><br /><br />水路・横浜の今の呼び名は「兪涇浦」です。<br />兪涇浦の先には地下鉄3号線の東宝興路駅が見えます。<br />

    麦豊里をあとにして、また四川北路に出ました。
    暫く行きますと橋があります。
    この橋が横浜橋です。
    横浜と言っても日本の横浜とは無関係です。
    日本の横浜の「浜」は旧字体だと「濱」となりますが、上海の横浜橋の「浜」は旧字体も「浜」なのです。
    本来「濱」と「浜」は違う字なのです。中国語では前者は「ビン」と読み、後者は「バン」と読むのです。「浜(バン)」は水路のことらしいです。
    つまり、この横浜橋の下の水路が「横浜」ということなんでしょう。





    水路・横浜の今の呼び名は「兪涇浦」です。
    兪涇浦の先には地下鉄3号線の東宝興路駅が見えます。

  • 更に四川北路を南に行きますと、テレビに出てきた蘭州拉麺の店がある小区に来ます。<br />小区の名は四川里ですね。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />時間は10時半。昼飯時間がまもなくですので、テーブルと椅子のセットをし始めています。<br />その場所がトンネル状態になってる小区への入り口通路部分です。<br />屋根があり風通しも良くて最高の食堂スペースですね。<br />準備に動き回ってるのは、皆さん、回族と言う感じの風貌です。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />小区の奥は人影無しで、静かな空間となっています。<br />

    更に四川北路を南に行きますと、テレビに出てきた蘭州拉麺の店がある小区に来ます。
    小区の名は四川里ですね。











    時間は10時半。昼飯時間がまもなくですので、テーブルと椅子のセットをし始めています。
    その場所がトンネル状態になってる小区への入り口通路部分です。
    屋根があり風通しも良くて最高の食堂スペースですね。
    準備に動き回ってるのは、皆さん、回族と言う感じの風貌です。










    小区の奥は人影無しで、静かな空間となっています。

  • 四川北路を南に行き、地下鉄4号線の高架の手前まで来ました。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />高架を抜けて暫く行き、四川北路から武進路に入ります。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />武進路を行き、途中乍浦路に入り込むんですが、その手前に見つけたのが、この店です。いや、見つけたと言うより、私がこの店に呼び寄せられたと言うことでしょう。引き付けられるように、チラッと店を見ましたら、そこには・・・なななな・・・なんと奥火土面(奥竈麺)と言う表示が・・・・おおおお・・・幻の奥火土面だぁーっ!!<br />奥火土面は昔は上海にもあったそうですが、いつしか消えてしまい、私は6年前に上海を探し回ったことがあるのです。その時の様子は下記でどうぞ。<br />「奥竈麺を捜し求めて烏魯木斉南路と東安路を行く」<br />http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10073426/<br /><br />そして、その奥火土面に初めて出会って、それを食したのが錦渓というところです。本来、この奥火土面は昆山名物の麺でして、錦渓は、その昆山近くの水郷観光地なのです。では、その錦渓の様子と、そこで私が食べた奥火土面は下記でどうぞ。<br />「錦渓は奥竈麺と上海タイフーンなのだ」<br />http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10289366/<br /><br />店の名は劉錫安大師奥竈麺です。この店に関しては下記をどうぞ。<br />http://www.dianping.com/shop/5271471<br /><br />奥火土面の特徴はスープが真っ黒なことなんです。<br />麺は蘇州風の真っ直ぐな細麺ですね。

    四川北路を南に行き、地下鉄4号線の高架の手前まで来ました。













    高架を抜けて暫く行き、四川北路から武進路に入ります。















    武進路を行き、途中乍浦路に入り込むんですが、その手前に見つけたのが、この店です。いや、見つけたと言うより、私がこの店に呼び寄せられたと言うことでしょう。引き付けられるように、チラッと店を見ましたら、そこには・・・なななな・・・なんと奥火土面(奥竈麺)と言う表示が・・・・おおおお・・・幻の奥火土面だぁーっ!!
    奥火土面は昔は上海にもあったそうですが、いつしか消えてしまい、私は6年前に上海を探し回ったことがあるのです。その時の様子は下記でどうぞ。
    「奥竈麺を捜し求めて烏魯木斉南路と東安路を行く」
    http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10073426/

    そして、その奥火土面に初めて出会って、それを食したのが錦渓というところです。本来、この奥火土面は昆山名物の麺でして、錦渓は、その昆山近くの水郷観光地なのです。では、その錦渓の様子と、そこで私が食べた奥火土面は下記でどうぞ。
    「錦渓は奥竈麺と上海タイフーンなのだ」
    http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10289366/

    店の名は劉錫安大師奥竈麺です。この店に関しては下記をどうぞ。
    http://www.dianping.com/shop/5271471

    奥火土面の特徴はスープが真っ黒なことなんです。
    麺は蘇州風の真っ直ぐな細麺ですね。

  • 武進路から乍浦路に入りました。<br />この道に入って目に付くのは、なんと言っても、この奇抜な建物でしょう。<br />そうです、昔の西本願寺です。<br />「世界ふれあい街歩き・上海四川北路界わい」でも、この道の前を通ったはずなんです。<br />でも、その場面では、このヘンテコな建物は出てこなかったのです。<br />ブラブラ歩いていて、面白そうなものがあると取り上げると言うのが、あの番組のイイところであり面白いところなのに、何故・・・・・???<br />わざと、コレを避けたのかな・・・・いや、そう思えてしょうがないのです。<br /><br /><br /><br /><br />乍浦路は四川北路と並行して走る道なんですが、真っ直ぐな道ではなくて、とにかくジグザグに曲がりながら行く道なんです。<br />この辺りの乍浦路は、こんな感じ。<br />昔の西本願寺があり、昔の本圀寺や昔の教会の恩徳堂などがあったりします。そして大衆食堂も並んでいます。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />これはテレビ画像の乍浦路です。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />「世界ふれあい街歩き」の中で出てきました、乍浦路の建物がコレです。<br />昔の日本のお寺です。当時は本圀寺と言ったそうです。<br />今はこの建物に上海人が数家族住んでるとか・・。

    武進路から乍浦路に入りました。
    この道に入って目に付くのは、なんと言っても、この奇抜な建物でしょう。
    そうです、昔の西本願寺です。
    「世界ふれあい街歩き・上海四川北路界わい」でも、この道の前を通ったはずなんです。
    でも、その場面では、このヘンテコな建物は出てこなかったのです。
    ブラブラ歩いていて、面白そうなものがあると取り上げると言うのが、あの番組のイイところであり面白いところなのに、何故・・・・・???
    わざと、コレを避けたのかな・・・・いや、そう思えてしょうがないのです。




    乍浦路は四川北路と並行して走る道なんですが、真っ直ぐな道ではなくて、とにかくジグザグに曲がりながら行く道なんです。
    この辺りの乍浦路は、こんな感じ。
    昔の西本願寺があり、昔の本圀寺や昔の教会の恩徳堂などがあったりします。そして大衆食堂も並んでいます。








    これはテレビ画像の乍浦路です。











    「世界ふれあい街歩き」の中で出てきました、乍浦路の建物がコレです。
    昔の日本のお寺です。当時は本圀寺と言ったそうです。
    今はこの建物に上海人が数家族住んでるとか・・。

  • 乍浦路を更に南に行きます。<br />東西を走る幹線道路である海寧路が見えてきました。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />その海寧路を渡り、また乍浦路を・・・<br />その角には虹口大戯院跡地の石碑があります。<br />ここには上海最初の常設映画館があったそうです。<br />乍浦路はこの辺りから蘇州河あたりまではレストラン街になります。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />これは昆山路と乍浦路の角にあるレンガ造りの集合住宅です。<br />

    乍浦路を更に南に行きます。
    東西を走る幹線道路である海寧路が見えてきました。














    その海寧路を渡り、また乍浦路を・・・
    その角には虹口大戯院跡地の石碑があります。
    ここには上海最初の常設映画館があったそうです。
    乍浦路はこの辺りから蘇州河あたりまではレストラン街になります。












    これは昆山路と乍浦路の角にあるレンガ造りの集合住宅です。

  • 乍浦路を更に南に行きます。<br />塘沽路との角には古そうな高層住宅が見えてきました。浦西公寓です。昔の名はピアスアパート。当時の高級アパートです。<br />1931年に建てられたもので、当時は外国人のみ住んでいました。<br />1932年に聯合通信上海支局長となった松本重治はココに住んでいまして、南京虫に悩まされたそうです。<br />また、阿片王と言われた里見甫もここに住んでいたのです。西木正明さんの「其の逝く処を知らず」というノンフィクション小説があります。阿片王・里見甫の物語です。そこに、ピアスアパートのことが書かれています。・・・ピアス・アパートは虹口のほぼ中心部に当たる文路と乍浦路の交差点に面して建っている七階建てのアパートである。全体が黒ずんだ鉄筋コンクリートのビルで、虹口サイドでは屈指の高級アパートだ。里見が借りたのは、四階の四十七号室。全部で五部屋あり、二十畳ほどの応接間兼居間を中心に、寝室が三部屋、ダイニングキッチンが一部屋と言う間取りだった・・・<br /><br /><br /><br /><br />これは「世界ふれあい街歩き・上海四川北路」編の出てきました場面です。<br />虹口周辺をリヤカー自転車で動き回る回収業者がたむろしてる風景です。<br />ここが、浦西公寓の南側の乍浦路上なのです。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />これが乍浦路から見た浦西公寓の南側です。浦西公寓の南側の小道は蟠龍街といいます。 <br />このまま乍浦路を行きますと蘇州河にぶつかり乍浦路は終わりとなります。<br />そして、蘇州路川沿いを外灘方面に行きますと、ガーデンブリッジのたもとに行き着きます。<br />ガーデンブリッジは、「世界ふれあい街歩き・上海四川北路」編の冒頭に出てきた橋です。<br /><br />これで『クソ暑い中「四川北路界わい」を辿る』は終わりです。<br />

    乍浦路を更に南に行きます。
    塘沽路との角には古そうな高層住宅が見えてきました。浦西公寓です。昔の名はピアスアパート。当時の高級アパートです。
    1931年に建てられたもので、当時は外国人のみ住んでいました。
    1932年に聯合通信上海支局長となった松本重治はココに住んでいまして、南京虫に悩まされたそうです。
    また、阿片王と言われた里見甫もここに住んでいたのです。西木正明さんの「其の逝く処を知らず」というノンフィクション小説があります。阿片王・里見甫の物語です。そこに、ピアスアパートのことが書かれています。・・・ピアス・アパートは虹口のほぼ中心部に当たる文路と乍浦路の交差点に面して建っている七階建てのアパートである。全体が黒ずんだ鉄筋コンクリートのビルで、虹口サイドでは屈指の高級アパートだ。里見が借りたのは、四階の四十七号室。全部で五部屋あり、二十畳ほどの応接間兼居間を中心に、寝室が三部屋、ダイニングキッチンが一部屋と言う間取りだった・・・




    これは「世界ふれあい街歩き・上海四川北路」編の出てきました場面です。
    虹口周辺をリヤカー自転車で動き回る回収業者がたむろしてる風景です。
    ここが、浦西公寓の南側の乍浦路上なのです。










    これが乍浦路から見た浦西公寓の南側です。浦西公寓の南側の小道は蟠龍街といいます。
    このまま乍浦路を行きますと蘇州河にぶつかり乍浦路は終わりとなります。
    そして、蘇州路川沿いを外灘方面に行きますと、ガーデンブリッジのたもとに行き着きます。
    ガーデンブリッジは、「世界ふれあい街歩き・上海四川北路」編の冒頭に出てきた橋です。

    これで『クソ暑い中「四川北路界わい」を辿る』は終わりです。

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この旅行記へのコメント (12)

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  • 唐津っ子さん 2018/02/25 15:01:16
    唐津っこ
    私は、母方の実家のことを調べています。祖父は昭和13年くらいから上海に渡り、酒造の仕事をしていました。長女である母は福民病院で昭和14年に生まれました。アルバムを見ていたところ、マグノリアテラスに住んでいたことがわかり、こちらのブログにたどり着きました。マグノリアテラスの住宅図に、当時の住人が記載されているようですが、それを見せて頂くことはできないでしょうか。祖父は、村田稔といいます。妹の一家、藤田玄一の名もあるかもしれません。こちらのブログのおかげで、テラスの間取りもわかりました。ありがとうございます。

    井上@打浦橋@上海

    井上@打浦橋@上海さん からの返信 2018/02/25 15:44:56
    Re: 唐津っこ
    唐津っ子さん、はじめまして。

    メールアドレス教えて頂ければ、
    画像を添付して送ること出来ます。
    ただし、今、私が確認したところ、
    「村田」「藤田」の名は有りませんねえ。
  • りっちゃんさん 2013/03/04 15:04:38
    やっぱりええわぁ
    打先生、こんにちは。

    東平は晴れの日は一気に気温が上がる季節になりました。
    日差しも強いです。

    打先生の案内記は何度見ても面白いです。
    地図も分かりやすくてパソコンにコピーさせてもらってます。

    このあたりはたっちゃんの以前住んでいた場所が近いので
    ちょっと懐かしいですよ。
    2005年、初めて上海に来た頃の確か7月、
    それこそくそ暑いのに魯迅公園から四川路を南に歩いたことを思い出しました。
    横浜橋近くのホテルにも何度か宿泊しました。

    東平にいるとどこにも出かけることが無くって
    上海に戻りたいなぁって思ってしまう。。。
    いやいや、まだまだ修行だと思って努力せねば!

    上海でお会いする機会が減ってしまったけれど、
    次回時間が合えばこのあたり連れて行ってください。
    来週京都に帰ります。


    井上@打浦橋@上海

    井上@打浦橋@上海さん からの返信 2013/03/05 05:18:39
    RE: やっぱりええわぁ
    りっちゃん、どうも。

    曲阜の包子、おいしそうじゃないですか。
    北方謙三の「水滸伝」にも、その包子が何度も出てきました。
    水滸伝19巻やっと読み終わり、
    今は横山光輝の漫画「水滸伝」を読んでいます。
    そのあとも、漫画の水滸伝、数種類が控えています。
    しばらくは、水滸伝漬けですね。

    上海には夏に戻るようになりそうです。
    カアちゃんと娘は3月中旬に上海に戻ります。
    4月はカアちゃんと北京へ・・・

    > 上海でお会いする機会が減ってしまったけれど、
    > 次回時間が合えばこのあたり連れて行ってください。
    > 来週京都に帰ります。

    はい、了解。

    娘は4月から日本の高校です。
    第一志望が受かり、喜んでいます。
  • jswbj880さん 2012/10/09 17:36:57
    なかなか面白いですね。
    私も少しですが、NHKのテレビを見たことを
    思い出しました。
    ※特に、緑色のポストの前に立っている若い小姐が印象的ですね。

    今年の一月に、上海と杭州ならびに乌镇の水郷を訪れましたが、
    上海については今回はメインではなかったので虹口と外灘を少し
    歩いて、上海书城で立ち読みした程度でした。

    半分は趣味で中国語を少しかじってます(中検3級程度)が、
    もっとレベルアップしないとなかなか路地歩きの
    素晴らしさがわからず、モチベーションを上げることになりました。

    あと、野次馬で申し訳ありませんが、日中関係が緊張状態にあると思いますが、実情はどのようになっているのでしょうか。
    仕事上も中国と関わっているので死活問題になってきますが、
    個人的にも訪れたい場所が多い国なので
    早く落ち着いて欲しいものと思っています。

    井上@打浦橋@上海

    井上@打浦橋@上海さん からの返信 2012/10/10 06:26:19
    RE: なかなか面白いですね。
    jswbj880さん、初めまして・・・だったかな・・・?

    中検3級程度ってのが、どのくらいなのか・・・
    私には分かりませんが、14年上海に住んでいた私より、
    ひょっとして上手いのでは・・・。
    私はインチキ中国語でなんとか、上海で行動しています。

    今回の島問題、私は騒動がある前に、上海生活から横浜生活に
    切り替えてしまったので、現地での様子は体感、実感していません。
    だもんだから、どうなんでしょうかね・・・
    日本でテレビやなんかで報道されてる程ではなくぃのかなと思っています。
    いや、それは、今までもイロイロ騒動がありまして、
    それらは、私は体感していたわけで、いつも、日本の報道は大げさだなと
    感じていましたからね。
    今回の騒動、上海に関して言えば、過激なことしてる連中は、
    地元の上海人より、
    外地人・・つまり、外地から上海に乗り込んでる若者連中・・・の方が、
    圧倒的に多いのかと思っています。
    地元上海人はもっとクールなはずです。
  • waiwaiさん 2012/10/09 11:22:09
    たいへんご無沙汰です。
    向こうでお会いしてからもう、何年前になりますか?
    たいへんご無沙汰いたしました。
    懐かしくなって、ふと井上さんの旅行記開いてみたら何と!お戻りになっていたんですね。しかも、つい最近。
    私は病気したり、一方でボランティア活動したりで万博以来中国へは行けていないです。
    ところで、ご紹介の写真の番組、NHKで見ました。
    何だかすごく懐かしい想いで見ていました。

    何時とはお約束できませんが横浜行きましたらお会いしたいと思っています。
    どうぞよろしくお願いいたします。

    井上@打浦橋@上海

    井上@打浦橋@上海さん からの返信 2012/10/10 06:14:47
    RE: たいへんご無沙汰です。
    waiwaiさん、どうも。

    上海でwaiwaiさんにお会いしたのは、私がこのブログ始めた年ですから
    2005年のはず・・・
    どこでお会いしたのか・・・オスカーズだったのか・・?
    横浜に来られることあれば、連絡ください。
  • Weiwojingさん 2012/09/02 23:07:34
    お誕生日おめでとうございます。
    井上さん、本日はお誕生日おめでとうございます。

    私は今北京に来ています。でも明後日には日本に戻ります。
    少し前のNHKテレビ放送「世界ふれあい街歩きー上海四川北路界隈」
    は見ましたので、井上さんの旅行記を興味深く拝見しました。

    私が歩いてよく知っているところが出てきたり、また全然知らない
    ところもあったりして、街歩きに大いに参考に成りました。

    井上さんの上海散歩は楽しく且有益になり、いつも何度も見させていた
    だいています。あんなに詳しく、今と過去を組合わせて、一体どこから
    そのような知識が出てくるのが不思議です。現在、上海にお住まいと
    いうこととよく調べていらしゃるのだと思います。

    今後もあまり知られていないような上海の隅までご紹介頂けると、
    大変うれしいです。期待しています。

    では、これで。

    Tamegai

    井上@打浦橋@上海

    井上@打浦橋@上海さん からの返信 2012/09/03 06:39:28
    今は横浜です
    Tamegaiさん、どうも。

    いや、実は、今は上海に住んでいないんです。
    8月15日に一家で横浜に戻ってきてしまったんです。
    娘が高校と大学は日本で、と言い出したからです。
    上海は競争が激しく、宿題がワンサカ、テストばかり・・
    それが嫌になったということです。
    まあ、大学に行き始めたら、また、上海に行き、
    上海生活になるとは思います。

    ということで「上海モノ」は暫くは休止ですね。
  • ElliEさん 2012/08/07 13:55:01
    テレビが見れなくってほんとうに残念
    井上さん

    ネット状況が悪いのではなくて、4トラベルがおかしいらしいですよ。
    数日前から写真がアップできないという人が何人もいるようです。
    私自身はさっきアップできたので、そろそろ直っているかもしれませんが。

    さて、NHKのこの番組、見れなかったのがほんとうに残念です。
    井上さんの旅行記を楽しみに見せてもらってますが、面白そうなコメントを見ると余計見たくなっちゃいますね。

    上海も暑そうですね。
    暑いのに、私の好きな「踊る中国人」、皆さんがんばってますね〜。
    今までのイメージだと踊るのは中高年が多い気がしたんですけど、
    表紙の写真だと若い人も多いんですか?
    バンクーバーの中国人もやっているのかなあ?
    知りたい、混ぜて欲しい〜〜。

    全部にコメントが入るのをお待ちしていますね。

    井上@打浦橋@上海

    井上@打浦橋@上海さん からの返信 2012/08/08 15:34:44
    中国人、元気良すぎです
    ElliEさん、どうも。

    上海は台風で大荒れの天気です。
    海葵と言う名の台風らしいです。

    画像が貼り付けられないのは、もう、ここ3・4ヶ月のこと・・・
    ということで、4travelのシステム不良のためではないと思います。
    やはり上海のネット状況が悪いからだと思いますね。

    上海の人、いや中国の人は朝からエンジン全開で元気イイですよ。
    こんなクソ暑い時期でも、朝から大音響の中、踊りまくってるんですから。
    いやぁ、かなわんですよ・・・・
    朝9時と言う時間ですから、若い人は少ないんじゃないんでしょうか。
    やはり、もう仕事を退職した人とか、ご老人とかが多いですね。
    そのご老人が元気で元気で・・・凄いな、コレじゃ日本負けるなと思ったり、
    世界はいずれ中国に征服されるかも、と思ったり、
    困ったもんだ、と思ったり・・・、いや、そんなこと言っちゃ、まずいか・・・。
    とにかく、元気良すぎですよ・・・困ったもんだ・・・ああ、また言っちゃった!!

    バンクーバーの中国人も、どこかでやってるんじゃないでしょうか。

井上@打浦橋@上海さんのトラベラーページ

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