2012/07/02 - 2012/07/02
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井上@打浦橋@上海さん
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「世界ふれあい街あるき・上海編」は南京路編に続き四川北路編が放送されました。
なぜ、四川北路だったのか・・・南京路に比べれば、ぐっと下町的な雰囲気を求めて、ということもあるんだと思いますが、やはり、昔、日本人が多く住んでいたところだったので、その辺をさぐる街歩きにしたかったということなんでしょう。
一番、多いときで、上海には日本人は10万人住んでたそうですね。その殆どがホンキュと呼ばれていた虹口に住んでたようですね。その虹口でも主に四川北路沿いと呉淞路沿いに日本人は集中していたそうです。
では、昔、日本人がいたという痕跡を残す四川北路の街歩きをどうぞ。
例によって、番組に出できた各スポット巡りの順番や経路には、どうもおかしな点が、多々見られましたが、まあ、それは、しゃあないもんだと思っています。でも、チェック魔の私としては、その辺は、突っ込みたくなるのです。
なお、今回の語り手は矢崎滋さん。矢崎さんの語り、最高でしたね。上海の街にピッタシでした。
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これは番組の公式サイト
http://www.nhk.or.jp/sekaimachi/detail/arukikata/120619.html
にあった四川北路編の各スポット案内図です。
四川北路は蘇州河を南端、魯迅公園を北端とする南北を走る道です。
昔の呼び名は北四川路です。
四川北路編の各スポットは勿論、四川北路周辺にあるわけですが、どうも実際に訪れたところと、各スポット案内図に表示されてるところとは、一致しないというのがいくつかありました。
特に「露店のサトウキビジュース」と「廃品回収のベル」は大きく違っていましたね。 -
さて、コレが、私が作った、各スポット案内図です。
どうやって割り出したか・・・いや、私、あの辺り、結構歩き回っていますので、テレビ画像見て、スグ分かったところもあますし、今まで、この辺りを取り上げた散歩ブログをいくつか作っていますので、それを振り返って、分かったということです。
また公式サイトの案内図にはない「蘭州拉面のある小区」と「66年ぶりの来客劇」もプロットしておきました。
ただし、「活きた鶏とスッポン」が売っていた道は、分からなかったですね。あれは、どこだったのか・・・ -
「世界ふれあい街あるき」は、おなじみのあのテーマ曲から始まります。
では、そのテーマ曲は・・・
http://www.nhk.or.jp/sekaimachi/theme.html
・・・からどうぞ。
霞の向うまで果てしなく広がる大都会上海
北側に広がるチョッと路地に入ると懐かしい街並みが・・・
めざす四川北路は橋を渡って左手に
8時半
ウッドデッキがお洒落
蘇州河の北の北蘇州路を・・・
時計台のある建物が見えてきました。
郵政博物館ですね。
左には橋があり、右側にGANSO。
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出だしの画像はおでんタワーからのものなんでしょう。
蘇州河に掛かる橋は、有名なガーデンブリッジ。
1907年に出来た物です。
上海万博の2年前だったかに一度撤去され、船で運ばれ、工場で整備し、また船で運ばれ、元の位置に設置し直されたのです。外見上は殆ど昔のままだったですが、歩道部分は幾分以前より広くなりました。
時計塔のある郵政博物館は、郵便局として、今でも現役です。
また、屋上に上がれまして、そこからの眺めが楽しめます。 -
四川北路を北上・・・いきなり北端へ
魯迅公園となっています
魯迅がこの辺に住んでいた
縁の公園
音楽がいきなり聞こえてくる、
中国武術、太極拳 中国はコレがないと
建物の脇では 楽器を 強烈な歌、京劇の歌なのか
その先に、人だかり・・・なんだろうコレは
メモとってる人
なんだ、コレは・・・・「男83年生まれ」って書かれてる
なになさってるんですか
お父さんが答える
お見合い情報を持ち合ってる
私は62歳、早く息子に結婚して欲しい
別の女性に、あなたもそうですか
娘は大学出たんだけど、時間がなくて彼氏が出来ない
私は70歳、つえがいる
良さそうな人いましたか
いない、娘の条件が高いんですよ
身長170cm以上、高収入、高学歴、どうしたらいいんでしょう。
脇のおじさんから・・・三高だね、と
それにしても嫁探し、婿探し大変なんですね -
商店街、珍しいパトカー
レストランはまだ開店前
右側から人が出てきた
立派な石段
日本のお寺みたいなつくり
何ですかコレは
おじさん・・・コレは昔、日本のお寺だったんだよ
日本のですか・・
そうだよ、このあたりは、日本人の租界だったから
ああ、そうか日本人の居留地区だったんだぁ
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この道は乍浦路。
乍浦路は四川北路の脇をクネクネ曲がりながら北へ伸びる道。
このお寺は当時は本圀寺という日蓮宗のお寺だったそうですが、今は数家族が住む家となっています。
このお寺の隣に昔の西本願寺だという立派な建物が残ってるんですが、それが出てこなかったのが不思議でもあり、残念でもあります。 -
ここでインフォメーション・・・
虹口の日本人居留区に関して。
案内は上海社会科学院の副院長の熊月之先生。
日清戦争以後、日本人は上海に住み始めた。
1942年頃にはおよそ10万人も日本人がすんでいた。
彼らは建物、食料など、日本の文化を持ち込んだ。
日本式住宅が48棟残っている。
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熊先生の後ろに写ってる3階建ての長屋スタイル建物は、長春路にある集合住宅です。
名前はわかりませんが、レンガ造りで、なかなか風格がある建物です。
下の2つの画像は、2005年10月に私が撮ったものです。
一番下の地図に、その建物の位置を示しました。 -
コレは1932年当時の上海の地図ですが、この地図は私も持っています。
「租界だった地区」となっていますが、実際は日本租界というのはありません。
あくまでも英米共同租界の中の日本人居住区が、日本租界と呼ばれていた地区です。
今でも日本人が建てた日本式の住宅が48棟のこってるそうです。
それは、甜愛路と山陰路(昔のスコット路)にはさまれたブロックにある千愛里の住宅だと思います。
当時日本人が作った学校や病院は今でも残っていまして、今でも、学校や病院として使われています。
学校ですと第三国民学校や第一高等女学校などなど・・・
病院ですと福民病院ですが、現在は上海市第一人民医院になっています。
また、虹口市場と言うのがあり、そこでは日本人向けの野菜や魚も売っていたそうです。
魚は長崎から運ばれたそうです。
虹口市場は、その形状から三角市場と呼ばれていたそうです。
この市場は1990年代半ばまでは、残っていたそうです。
今はそこには、三角形の高層ビルが建っています。
福民病院の隣には日本尋常高等小学校があり、今は実験中学となっています。
また、当時一家で上海の虹口に住んでいました林冬子が通っていました中部日本小学校も残っています。林冬子は、その当時の生活風景などを「ミッシェルの口紅」という本の中で書いていまして、この学校が出てきまして、通学途中であったことや、感じたことなどを書いています。
この学校の脇を、水路と言いますか、運河がありまして、その水が時々、赤く染まることがあったそうです。それは、この水路沿いにある牛の堵殺場殻のものであることを後で知ったそうです。
その堵殺場は、今でも残っていまして、その複雑怪奇な造りが気に入られ、1933老場坊と名を変え、お洒落なスポットに成っています。
では、その元堵殺場の現在の姿をどうぞ。
「虹口の不思議な建物・西本願寺&1933老場坊(殺牛公司)」http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10419477/ -
午前10時。
蘭州拉面の看板があるところに小区に入り口が
その小区に入ってみると、蘭州拉麺屋があります。
路地裏の食堂、こういうところ、おいしかったりするんですよね
ウィグル人っぽい人がやってる店のようです。
一歩路地に入ると静かな空間が・・・。
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さて、ココは、どこだったのか・・・
小区の入り口手前の画面には、その場所の案内図が表示されましたが、後で調べたところ、本当の場所とは違うところが表示されていました。
ここも、四川北路沿いあるんですが、画面の案内図で表示された場所は、四川北路から離れた位置に印が付いていました。
一番下の画像は、2005年の10月に、私がここを訪れた時に撮った画像です。
住所は、当時の画像をチェックしても増したら、四川北路1604号となっていましたね。
そして、入り口入って左の店は、当時は蘭州拉面でなくて、秦師傅手[才幹]面と言う店でした。 -
賑やかな路地へ
道の片側に露店がビッシリ並んでる
なんだ・・・コレは・・・コレなんですか
麦芽飴だよ・・・ビールの味がするの、そんなこたぁ、ないですよね
ああ、ココは、本屋さん、店員いないけど、大丈夫かな・・
何だコレは、
何か絞ってる
サトウキビジュースだよ
熱さましに効くよ
大カップで3元
2杯買うおばさん
2杯も買うんですか
だって、熱冷ましや肺にいいからね。
私たち、太極拳の後コレを飲むのとても気持ちいいのよ
私は毎日飲んでる、
ちなみに、コレは、どちらから・・
おばさん、知らないようで人に聞く
広東省のサトウキビですって・・・
健康にいいこと2つやってる、ってことですね
太極拳とサトウキビジュース
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この道は、見て、どこだか分かりました。
3・4度ココを通ってますから。
2010年に、ココを通った時の画像を一緒に並べました。
この時は、山陰路(昔のスコット路)にある昔の建物探しをしていました。
母親が子供の頃に住んでいた家を探しに上海に来た香港在住の女性とうろついたのでした。
その家はシッカリ残っていましたね。
その時の家探しの模様をどうぞ・・・
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/pict/19426852/
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/pict/19437479/src.html
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/pict/19426853/ -
また別の道へ
鳥がいる、ペット屋かな・・・なになに500gで10元だって
ああ、そうか食用なんだな
こっちには亀が、ああスッポンか・・
やっぱりペットやさんじゃないですね
食は中国にあり
スッポンは上海にあり・・・なんてね・・・・
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この道は、どこだか分かりませんでしたね。
スッポンと一緒に、果物なんかも売ってるようです。
4個10元。不甜不要銭って書かれてますから。
甘くなかったら、お金はいらないよ、ってことですね。 -
また別の道へ、ここも四川北路
左へ・・・こっちの方が歩くのに良さそうですね
大きな門が・・・
おおお洒落な通りだ
古い建物が続いていて
道は石畳
テーマパークですね
文化名人街というらしい
1930年代、魯迅や内山肝臓など、文化人が住んでいた
上海万博に合わせて整備されたようです
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左に曲がる前に正面に見えた建物は、昔の日本海軍特別陸戦隊本部です。
今は、軍関係の機関のほか、通り沿いは商店や銀行が使用。
今は5階建てになっていますが、当時は4階建てでした。
多倫路の大きな入場門の向うに見える建物は昔の知恩院です。 -
石畳の道を行きますと、道を挟んで撮影
左側の男女、手を上げてポーズとっています
ああ、新婚さんかな、チャイナドレスが良く似合っています
ああ、こっちでも・・・
甘い写真の撮影には、ここは絶好のロケーションなんですね -
おお。右手の白い門構え・・・なかなか洒落た・・・大上海ですって・・
お店なんでしょうね・・ああ、骨董品屋だな
古い扇風機、イロイロな看板
店の主人が言うには・・・
全部上海の昔の物、全部、解放以前の物
こちらは、日本人が中国にいた当時に売られていたサクラビールの広告
サクラは中国東北部で人気でした
その美人画ポスター
描かれているのは李香蘭
彼女は当時、東北部で最もモダンな女性でした
誰が上海にもって来たのか、上海では一枚しかない
李香蘭は今では90歳くらいになってるとか・・・
大きな温度計 大槻ゴムと書かれている
日の本タビの広告看板も
店の外へ
あの芥川龍之介も谷崎潤一郎のこの界わいに足を運んだ
もしかしたら、この通りを歩いていたかもしれません
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サクラビールのポスターの女性は、本当に李香蘭なのか・・・
私には、そうは思えませんでしたね。
全然似てないですから・・・。
当時の李香蘭を使ったポスター2つを貼り付けました。
一つは資生堂、もう一つはカルピス。
どうですか、サクラビールの女性とは全然違うでしょう。
ついでに味の素の広告ポスターも・・
コレは、勿論、李香蘭ではありません。 -
ここで、またインフォメーション。
買い食い大好き女子高生3人の下校時に食べる小吃ベスト3
第3位は・・・
胡麻火焼 胡麻の風味がとってもイイの パリパリ、後2つください
第2位は青団・・・よもぎ餅よ・・・見てこの行列
あんこタップリでしょ
第1位
手抓餅 私たち放課後必ず食べるのがコレ
卵、ベーコン、レタスやチーズなど洋風な物を入れるの
仕上げにケチャップで出来上がり
私たちお勧めの食べ歩きグルメ、みんなも食べてみてね
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出てきた女子高生は上海東輝高校の陸さんと仇さんと呉さん・・・
この場面を一緒に見ていた我が家の娘が、「東輝高校」の名を見て、ああ、この高校、悪い高校だ、なんて言っていました。
胡麻火焼は、日本にはないですね。
青団は、日本のよもぎ団子です。
上海では清明節の頃に、特に食べられるものです。
手抓餅は、私は、まだ見たことない。
最近はやり出した食いものなんでしょう。
ベーコン、チーズ、ケチャップとなると、なんかイタリアンですね。 -
午後1時
チリンチリンの音が方々から聞こえてくる
ああ、こちらにも、収廃品と書かれている
ああ、廃品回収業の人たちなんですね・・・
スミマセン・・・なんですか・・・・?
この音は俺たちの音なんだ
上海の習慣なんだ、このチリンチリンは・・・
誰でもコレを聞けば廃品回収がきたって分かるのさ
そのベルは・・・?
ベルは自分で作ったのさ
廃品を利用してね
街灯のかさを加工して作ったんだ
皆さん、音は違うんですか?
そうだね、この辺りの連中はみんな違う音色だね
上海に来てからだから、もう6年使ってる
なるほど、チリンチリンは懐かしい響きです
また、向うのほうでも鳴っていますね、イイ音だな・・・
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ココがどこなのか・・・そばに見える建物を見て、ああ、あそこだなと、ピンと来ました。乍浦路にある浦西公寓です昔の名はピアスアパート。当時の高級アパートです。
1931年に建てられたもので、当時は外国人のみ住んでいました。
1932年に聯合通信上海支局長となった松本重治はココに住んでいまして、南京虫に悩まされたそうです。
また、阿片王と言われた里見甫もここに住んでいたのです。西木正明さんの「其の逝く処を知らず」というノンフィクション小説があります。阿片王・里見甫の物語です。そこに、ピアスアパートのことが書かれています。
・・・ピアス・アパートは虹口のほぼ中心部に当たる文路と乍浦路の交差点に面して建っている七階建てのアパートである。全体が黒ずんだ鉄筋コンクリートのビルで、虹口サイドでは屈指の高級アパートだ。里見が借りたのは、四階の四十七号室。全部で五部屋あり、二十畳ほどの応接間兼居間を中心に、寝室が三部屋、ダイニングキッチンが一部屋と言う間取りだった・・・
ピアス・アパート西側の小道は蟠龍街といいます。 昔の名はArbury Laneです。 -
素敵な並木道ですね
アレ、左側の歩道に人が集まってるような
緑色のポストがあります
彼女達ポストの周りでナニを・・・
何してるんですか?
はがきを書いて、ここに投函するんです。
ココで投函するのは、何か意味でも?
本やインターネットによると、ここが上海で一番ロマンチックな場所なんです
このポストに投函すると、ハートの消印を押してもらえるんですって
だから家族や知り合いに、ココから手紙を出すんです
上海の方ですか?
いや、広東から旅行できました
このために?
はい、そうです。
じゃあ、誰に手紙を?
それは秘密です
でも、今度上海に来る時は、絶対に好きな人と来てたくさん写真を撮りたいです
そうなるとイイですね
今、書き終えたところです
え、なんて書いたんですか?
ダメ、秘密ですよ、不好意子スミマセン
ここから入れるんです
じゃあ、頑張ってください
さしずめ、恋愛ポストというところでしょう
お、下にも、こんなにハートのマークが・・・
若い女の子の人気のスポットなんですね
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この道は甜愛路。
日本人が多く住んでいた山陰路(当時の名はスコット路)の西隣の道。
この道沿いの千愛里の建物は日本人が造った物だそうです。
一番下の画像は2010年6月に撮った甜愛路です。
山陰路にある昔、日本人が住んでいた家を探しをした時に撮ったものです。
この恋愛ポストは、こちらでは愛心郵戳というそうです。 -
ここでまたインフォメーション
雑技のことです
紹介するのは上海雲峰雑技団団長の邱建さん
動物などを使った欧米のサーカスと違い上海の雑技は
人の技が見所
2000年前からあった
現在の上海の雑技は1950年ごろ、首相だった周恩来が中心となって今までの大道芸を中国の伝統文化として一つにまとめた
雑技の名も周恩来が命名
静、穏、巧妙、正確4つの伝統的理念のもとに
帽子、かさ、お皿など日常生活で使う物を道具にするのも上海雑技の特徴
取って置きの演目は糸周吊と環球飛車 -
さて、番組も終わりに近づいてきました。
でも、ここからがハイライトなのかもしれません。
では「66年ぶりの来客劇」をどうぞ・・・
午後4時です。
ここも四川北路。
小区への入り口があります。
柳林小区となっています。
お邪魔します
わあ、イイなあ・・この建物は年代モノですよね
窓はアーチ状になっています洗濯物がタクサン干してあります
集合住宅ですね
別の棟へ 同じような建物が何棟か建っています
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この柳林小区には、私も2005年10月に入り込んでいます。
その時の画像が、下のものです。
住所は四川北路1811弄となっていましたね。 -
あ、布団を干しています
こんにちは
イイお天気ですね
ところで、このあたりの建物って、かなり歴史がありそうですね?
ええ、ここはイギリス人が建てて、日本人が住んでた住宅です
1933年つまり昭和8年から日本人はここに住んでいました
終戦後彼らが帰国した後は
私の夫の両親がここに住むようになったんです
中も見てみますか、どうぞ、どうぞ・・・
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布団を干してるおばさんがいる小区は麦豊里です。
昔の名は麦拿里、英語名はマグノリア・テラス。
柳林里の南にあります。
柳林里の昔の名は赫林里。
英語名はヘレン・テラス。
布団を干してるおばさんは、なんか上品な感じでしたね。 -
中へ入り2階へ
この階段は昔のままなんですよ いい感じでしょう
うちは2階です
2階の部屋へ
わあ、懐かしい感じでイイですね
天井のライトは昔のまま
押入れも窓も床も全部昔のままなんですよ
この床は質がいいってみんな言います
こちらはベランダでした
昔ここは外でしたが改築して部屋にしたんです
また部屋に戻り
昔の写真を見せましょう、と机の引き出しからアルバムを出す
実は、昔、ココに住んでいた日本人が
この場所を見つけて訪ねて来たことがあるんです
昔とまったく変ってないと驚いていました
これはその人が日本へ帰国してから届けてくれた写真集です
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マグノリア・テラスの隣にあるのがヘレン・テラスなんですが、戸板康二と言う演劇評論家であり推理小説家である方は昔、ヘレンテラスに住んでいたそうです。ですから、そこを舞台の「ヘレンテラスの家」という推理小説を書いています。その内容は・・
大昔、ココであった殺人事件の手がかりをつかむために、数十年後、事件の関係者である母の代わりに、母が住んでた家を訪ねた娘が、2階へ上がる階段に事件解決の手がかりを見つける、という話なんです。
その2階に上がる階段に関して戸板さんは、こう書いています。
●26段の階段があり、その手すりは英国式で、
●柱にブールボン家の百合のしるしが付いている・・・
マグノリアもヘレンも造りは似てるのかと思っています。もしかしますと設計者が同じだったのかもしれません。となると、2階への階段も似た感じだったのではと、想像しますが、どうだったのか・・・
おばさんが「うちは2階です」と言ってるのは、一階は別の人が住んでると言うことです。
日本人が住んでる頃は、両隣を含めて1階、2階を使っていたとか。今は、そこに上海人は8家族住んでるようです。 -
「上海生家訪問の記録 2011年7月10日」
というアルバムを見せてくれる
コレが昔の家の写真
その日本人達と一緒に撮った写真です
66年ぶりにここを尋ねて来て、昔のままだと、とても喜んでいました
そりゃあ、感慨深かったでしょうね
入居した当時3歳だった男性は、80歳くらいになっていました
昔、彼らが撮った家族写真と同じ、この階段で、また写真を撮ったんですよ
はるばる尋ねて来た彼らを見て、私はできるだけのことをしてあげたいと思いました
いやあ、そのお気持ち、相手の方もさぞ嬉しかったでしょうね
屋上も見ますか・・・
ということで、建物の裏側にある外階段を上がって屋上へ・・
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この66年ぶりにここを訪れた方のブログを、たまたま見つけました。
いやぁ、驚きましたね、バッタリそのブログに行き当たったんですから。
そして、その方のブログにコメントを入れ、
もしかして、あなたは、あの66年ぶりの方では・・・と問い合わせましたら、
ピッタシカンカン・・・
そのやり取りは下記でどうぞ。
http://blog.goo.ne.jp/miracle-titan/e/4bc8a91ad5e4dba7f49d656d9fe341a7 -
屋上に上がり、おばさんが周りを見渡して・・・
このあたりの建物全部に屋根窓が付いています
全部昔のままの建物ですよ
かつて、日本人の家族が、この屋根窓の数だけ住んでいた、ってことですよねぇ・・
イロイロ見せていただいて、ホントに有難うございました
いいんですよ、再見、再見、没事、没事
階段を降りる
日本人家族が写真を撮った階段
租界時代、イギリス人が建てて、日本人の住居となり戦後は中国の人たちが住み続けてきたこの集合住宅 上海の一つの歴史を物語ってるようです
さっきのお母さん、おっしゃってました、
突然訪れた日本人にできるだけのことをしてあげたいと思った
う〜〜ん・・・うなってしまう・・・・
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おばさんが言う屋根窓は、上海語では老虎窗(ラオフーチュアン)です。
これはイギリスの住宅に多いルーフ・ウィンドーのことらしいですね。
「老虎」は「ルーフ」の音を当てたもので、「窗」はウィンドーのこと。
屋上から見た、向うの棟はヘレン・テラスだと思います。
66年ぶりに訪れた方のブログには、このマグノリア・テラスが近いうちに撤去されるとの情報を得て、去年訪れた、と書かれています。
昔は3棟あったんですが、今は2棟はなくなって、残っていたのは1棟のみ。
昔住んでいた部屋は、その残っていた1棟の中にあった、ということで幸運だったということなんでしょう。そして、その残った1棟は、今後も壊されることなく、保存されるとか・・・。 -
ココで、例のテーマ音楽が、もうそろそろ終わりなんでしょう
音楽村井秀清、語り矢崎滋・・・・
大都会上海・・・
国際都市上海・・・・・
そして、ココも上海・・・・・・・
矢崎滋さんの語りが良かったですね。
上海・四川北路界わいに、ピッタシでした。 -
これは当時のマグノリア・テラス(麥拿里)の住宅図です。
元図は右上の物でして、そこには、当時住んでいた家族の名前も入っています。
私が作った住宅図には番号が振ってありますが、これが住居番号なんでしょう。
3階建てですので、一つの番号の住居に3家族住んでる場合もありますし、1家族の場合もあったようです。中には二つの連続した番号に2家族ということもあったようです。
「66年ぶりの来客劇」のご家族はどうやら1家族で3階まで使っていたようです。
http://blog.goo.ne.jp/miracle-titan/e/d560d0f0eb716e7d7d42adc03e93acde
を見ますと、3階までの間取り図があります。
今はそこに、上海人が8家族住んでいるとか・・・。
麥拿里の門を出ますと、そこは北四川路。
門の対面には尋常高等小学校。
その南隣は歌舞伎座、樋口工務店、三平食堂となっています。
麥拿里側の並びには、南から、三笠洋行(洋品店)、春日洋行(ゴム製品)、藤原洋行(看板屋)、国吉理髪店、南高洋行(自転車屋)、城本光華堂(武具、文具)、明地商店(魚・野菜)、松下洋行(家具)となっています。
コレ見ますと、全く、日本のどこかの都市、そのままという感じだったんですね。
さて、3つ並んだ長屋(長屋と言うには立派過ぎますが)が今でも3つとも残ってるのかどうか・・・
私は、7月30日に、その辺を探ってきました。
そうしましたら・・・右(北側)の列の長屋は当時のまま残っていました。
真ん中の列と左(南側)の列は、道側の部分がなくなっていました。
真ん中の列は26号から21号が、左(南側)の列では1号から4号がなくなっていました。
66年ぶりに訪れた方の家は18号でしたので、かろうじて残っていたということです。幸運だったと言うことなんでしょう。 -
コレは現在の柳林里(昔の赫林里・・・ヘレン・テラス)と麦豊里(昔の麥拿里・・・マグノリア・テラス)の周辺図です。
ヘレン・テラスは2連の長屋タイプ集合住宅で、A棟は、昔のままレンガ造りの建物として残っていました。しかし、B棟はコンクリート製と言いますか、モルタル作りと言いますか、明らかに建て直されたのかなと思われる様相の建物だったですね。戦争で、爆撃受けたということを聞いていますので、まず、そうなったということなんでしょう。
マグノリア・テラスは上でも書きましたように、道側部分がなくなっていました。
これは中国電信上海分公司のビルを建てる時に撤去されたと聞いています。
現在、柳林小区のへの入り口は2つあるんですが、北のものが、昔のヘレン・テラスの入り口で、南のものが、昔のマグノリア・テラスの入り口だったんでしょう。
あの魯迅と郁達夫が長い間、そこで話し込んでいたという横浜橋はスグ近くですね。
この辺り、昔のまま残っているのは、ヘレンとマグノリアと昔の北部小学校と福民病院と今は鴻徳堂と呼ばれているキリスト教会などですね。その他、永楽坊や余慶坊の長屋タイプ集合住宅も残っています。 -
これは2005年の10月に柳林里と麦豊里を訪れた時の画像です。
四川北路からの入り口は2つありまして、どちらも入り口部分には「柳林小区」と表示されていました。
でも、北にある入り口を入りますと、そこは柳林里であり、南の入り口を入りますと、そこは麦豊里でした。
つまり昔は、北が赫林里(ヘレン・テラス)の入り口であり、南が麥拿里(マグノリア・テラス)の入り口だったということなんでしょう。 -
これは、北四川路(今の四川北路)の周辺図です。
いつ頃のものかと言うと、1930年代末から1940年代初頭にかけての、つまり、上海に日本人が一番多く住んでた(10万人住んでいた)頃のものだと思いますね。
商店などの配置図、案内図という意味合いの地図なんでしょう。
理髪店も多いし、歯医者もいくつかあります。写真館もあるし、タクシー会社も、ガソリンスタンドも、クリーニング屋も、ダイハツ自動車も栄太郎もあります。
内山書店は2つありますね。
大上海と言う骨董屋に置いてあった、大きな気温計の大槻ゴム店もあります。
面白いのは三勇士まんじゅう屋です。
これは爆弾三勇士のことなんでしょうね。第一次上海事変で活躍した日本兵3人のことです、詳しくは下記を・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%88%86%E5%BC%BE%E4%B8%89%E5%8B%87%E5%A3%AB
現在の多倫路は、当時は寶楽安路(英語名ダロッチ・ロード)、山陰路は施高塔路(スコット・ロード)、四川北路は北四川路ということです。 -
コレは上の図の南方向のものです。
ここに示した南端に麥拿里(マグノリア・テラス)があります。
北四川路(今の四川北路)は、ココまでで、全体の三分の一と言ったところでしょう。
残りの三分の二は蘇州河まで続きます。
この一画は医院、病院が目立ちますね。また高橋さんばとか万屋さんばとか産婆さんもあったんですね。タタミ屋もあります。またキリスト教会もあります。 -
「世界ふれあい街歩き」が放送されたあと、暫くたってから「四川北路界わい」を辿ったんですが、その時に、「66年ぶりの来客劇」の家を訪れたのです。その様子がコレです。
番組が放送されたのが7月中旬。その後、「66年ぶりの来客劇」の主役である昔のここの住人の方と連絡取り合うようになったのです。その方から、マグノリアに関して、ハッキリしないところがある、もし宜しかったら、それを確認していただければ、と要請がありましたので、じゃあ、ということで、マグノリアに行くついでに、「四川北路界わい」の各スポットも訪れたんです。
その時の様子は下記にアップしました・・・いや、アップ中です。
『クソ暑い中「四川北路界わい」を辿る』
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10693290/
マグノリアでは、テレビ画面を写した写真を持って行き、住人にそれを見せましたら大喜び。
隣近所の人も集まってきて、例の階段前で記念写真となったのです。 -
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (6)
-
- xiaohuiさん 2012/07/30 11:01:19
- 素晴らしいレポートですね☆
- こんにちは。虹口に住んでいたので番組を見ました。
私も番組を見ながら「地図が違ってる。。。」と思っていたのです。
修正してくださってやっとすっきりしました。
生きた鶏やすっぽんを売っていた道は山陰路と並行の宝安路だと思います。
番組ではその雰囲気が出ていなかったですが
小さい路ですが野菜や魚や肉を売る店が道にまで出て人も多いです。
カメラは山陰路⇒四達路から入ったのだと思います。
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2012/07/31 06:54:51
- もう少し早く投稿があったなら・・・
- xiaohuiさん、はじめまして。
あの辺りにお住まいとは珍しい。
いや、1930年代40年代だったら、逆に当たり前ですが・・・
そうですか、あのスッポンの道は宝安路と言う道でしたか。
今「上海歴史ガイドマップ」で確認しましたが、この道は、
私、歩いたことありませんね。
xiaohuiさんの投稿が、もう少し早かったら・・・
いや、実は、昨日の午前にあのクソ暑い中、四川北路を散策してきたんですよ。
「世界ふれあい街歩き」のスポットを巡り歩いたんです。
2時間強、いやぁ、汗びっしょりどころじゃない、汗にドロドロ状態でした。
途中の水分補強は光明牌の緑豆アイスキャンデーと塩汽水。
マグノリアでは、あの「66年ぶりの来客劇」のおばさんに会ってきました。
テレビ画面を撮った写真を渡しましたら、大喜びしていました。
部屋に上がってくれと言われましたが、遠慮しました。
いや、まだ、行かなくてはならないスポットが3つ、4つ残っていましたから・・。
帰りは17路バスで、とも思いましたが、さすがにグロッギー気味でしたので、
タクシーで、そのタクシーが私の住む小区に入った時に、
流れてきた曲がテレサ・テンの「里の秋」。
上海の秋は、まだまだ先の話でしょう。
-
- よーじーぼーりさん 2012/07/17 05:46:13
- 見逃した!(>_<)
- 師匠、こんにちは!
この番組、南京路は友人に教えてもらって見れたのですが
四川北路は放映を知らなかった(T_T)
ヘレン・テラスは提籃橋の様な雰囲気ですね。
四川北路編の方が見応えがあったのでは?
再放送してくれないかなー。
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2012/07/18 04:36:19
- RE: 見逃した!(>_<)
- よーじーぼーりさん、どうも。
昨日、横浜から上海に戻りました。
上海はポツポツ雨が降っていまして、
まだ梅雨の中という天気です。
四川北路編、まあ再放送あると思いますよ。
南京路編より、良かったですね。
南京路編に出てきた厩舎跡には、
近いうちに行ってみようと思っています。
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2012/07/20 12:25:21
- 23日に再放送
- よーじーぼーりさん、どうも。
「世界ふれあい街歩き・上海四川北路界わい」
の再放送。
7月23日(月) 17時45分〜18時29分 NHKBSプレミアム
だそうです。
- よーじーぼーりさん からの返信 2012/07/22 21:51:47
- RE: 23日に再放送
- 師匠〜!!!
先ほど旅行先から戻ったところです。
今夜メールチェックしておいて良かった!
情報を本当にありがとうございます。謝謝m(__)m
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