2012/06/30 - 2012/06/30
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ドクターキムルさん
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京急浦賀駅から東浦賀を散策し、東叶神社まで足を伸ばし、浦賀の渡しで西浦賀に渡り、西叶神社を参拝して京急浦賀駅に戻った。浦賀は奉行所が下田から移された享保5年(1720年)以降に繁栄し、嘉永6年(1853年)に、ペリーが率いる黒船が来航して歴史の表舞台に踊り出た。
東浦賀には神社仏閣が多く、幾つかの神社の屋根にも飾り瓦が上がっていたが、鎌倉郡や横浜界隈に多い浪の飾り瓦は皆無であった。
また、通りの脇には少し大きめの井戸が幾つもあった。海が迫るこのあたりでも真水が得られるのである。
一方、西浦賀には神社仏閣は少なくなり、浦賀奉行所にゆかりがある叶神社や東福寺があるだけで、浦賀通を越えた港の入口あたりでないと神社仏閣はないようだ。
西浦賀の商店街には昭和レトロな感じの商店もまだ残っている。また、土蔵も幾つか残っている。
浦賀港を挟んで、随分と景観の異なる町並みが見られた。40年前に訪れていて良い浦賀の町であったが、ようやく訪れることができたが、時間がなく、浦賀奉行所跡あたりまでは到底行けなかった。それでも5年前に観音崎からバスで浦賀駅に向かい、電車で帰ったことがあった。浦賀駅自体は懐かしい感じがした。40年前であれば京急線の駅は順に皆覚えていたのだが、今では「県立大学前」が昔は何という駅だったのかさえも思い出せなかった。40年の月日の長さを思い知った旅であった。
(表紙写真は京急浦賀駅)
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船守稲荷の鳥居。
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船守稲荷の覆い屋。
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津守稲荷の石段。
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津守稲荷の鳥居。
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青面金剛塔(寛政3年(1791年)銘)。
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津守稲荷の社殿。
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八雲神社の石段。
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八雲神社社殿。お寺のお堂のままだ。
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八雲神社社殿の龍の鏝絵(こてえ)。
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八雲神社社殿の内部。
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「八雲神社」。
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石仏(不動明王)。お寺の時のものが残っているのだろう。
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屋根の宝珠。
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「当町守護八雲神社」立て札。
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浄土真宗 東教山 乗誓寺。
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乗誓寺本堂。昭和50年(1975年)に鉄筋コンクリート製で再建。
両側には、曽我兄弟「十郎桜」と「五郎桜」。 -
「東教山乗誓寺由緒」碑。
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「横須賀市指定重要文化財 絹本著色阿弥陀如来像」看板。
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日蓮宗 東耀山 顕正寺。
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「顕正寺」説明看板。
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顕正寺参道脇の庚申塚。
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顕正寺本堂。鉄筋コンクリート製だ。
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赤い鳥居に掛かる「東耀稲荷大明神」の扁額。
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「横須賀市指定市民文化資産 東耀稲荷」看板。
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東耀稲荷(須賀神社)本殿。
本殿屋根には大黒天と恵比寿天の飾り瓦が上がっている。大黒天と恵比寿天はいずれも七福神の一柱であるが、大黒天は五穀豊穣の農業の神であり、恵比寿天は大漁追福の漁業の神である。この一組で信仰され、商売繁盛の神とされる。当麻寺の門前町には多く見られるが、神社の飾り瓦としては珍しい。
港町浦賀なので恵比寿天が信仰され、稲荷社は商売繁盛の神とされることから、この組み合わせになったのであろう。 -
蘇鉄。
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狸の置物。
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浄土宗 永昌山 或寿院 専福寺。
石段下には一葉観音、石段上には左右に江戸時代の石仏が6体並んでいる。 -
地蔵堂のお地蔵さま。
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子育地蔵堂。
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専福寺本堂。銅瓦葺きの屋根に鴟尾(しび)が上がっている。鴟尾(しび)が上がっている伽藍は奈良(唐招提寺、東大寺)や今津(滋賀県)、砺波(富山県)などで見たが、いずれも瓦屋根であった。
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「専福寺」説明看板。
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三浦稲荷社前。
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「深本、雷電、三浦稲荷社」説明看板。
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三浦稲荷社鳥居。
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三浦稲荷社社殿。
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浄土宗 浦賀山 立像院 東林寺。
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東林寺本堂。屋根は銅葺きながら唐獅子の飾り瓦が上がっている。
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六地蔵。
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「洲崎(地名の由来)」。
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「浦賀古道散歩」。
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「浦賀地区周辺案内」。
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叶神社の鳥居。
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叶神社の鳥居の先は浦賀港。
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叶神社の鳥居と浦賀港。
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「叶神社」説明板。
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「昭和52年市制施行70周年記念
横須賀風物百選
東叶神社
祭神は、京都の石清水八幡宮と同じ応神天皇(第十五代の天皇)です。
この神社は、養和元年(一一八一)八月十五日、高雄山神護寺の僧文覚が、源氏の再興を願って石清水八幡宮の霊を迎えたことに始まるといわれ、その後、源頼朝によって、その願いが叶ったことから叶大明神の名で呼ばれるようになったと伝えています。また、このほか新編相模国風土記稿や皇国地誌残稿などには、この神社に関する記事が載っています。
神社の裏山を明神山と呼び、標高は約五十メートルです。
後北条氏の頃、しばしば房総半島の里見水軍が、三浦半島に攻撃をかけてきましたので、それを防ぐために、この明神山に水軍を配置しました。山頂には、この神社の奥宮があり、その左手に「勝海舟断食の場」の標柱が立っています。
明神山の素晴らしさは、よく保全された自然林で、木々の種類も豊富なことです。特にウバメガシの自生は、県内でもこの明神山と城ヶ島だけで、ここが分布の北限とされています。この学術的に貴重な明神山一帯は、「県指定天然記念物・叶神社の社叢林」となっています。」 -
手水舎。
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「かながわの美林50選 叶神社の森」。
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叶神社拝殿。
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「叶神社境内略図」。
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厳島神社(身代り弁天)の手水水は「勝海舟断食の折使用の井戸」から引いている。
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「勝海舟断食の折使用の井戸」。
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「この蘇鉄は源頼朝公が源家再興の折、伊豆より移植奉納されたものです」。
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樹齢700年という蘇鉄。樹齢700年なら頼朝の時代まで届かない。
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叶神社拝殿。
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叶神社の社叢林(神奈川県指定天然記念物)。
山頂に本殿(奥の院)がある。 -
浦賀の渡し(東渡船場)。
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「就航中」の看板。市道扱いなので、横須賀市土木部が民間に委託しているようだ。
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「渡船場」歴史看板。この航路は「浦賀海道」と名付けられ、市道2073号となっている。
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乗船待合所。まなこ壁風の建物(小屋)になっている。
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東渡船場の桟橋。
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渡し船が近づいてくる。
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渡し船が着岸する。
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東渡船場横のヨットハーバー。
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東渡船場横のヨットハーバー。
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西浦賀方面。
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西浦賀方面。
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東浦賀方面。
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渡し船が向かってくる。
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繋留されているクルーザ。
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東渡船場が離れていく。
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海から見た東渡船場。
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西浦賀に接岸している船舶。
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西浦賀に接岸している船舶。
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西浦賀に接岸している船舶。
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東浦賀のベイサイドのマンション。かつての海の中に建っている。
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西渡船場。
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西渡船場から出港する渡し船。ピストン輸送だ。ただし、乗員は1人づつだが。
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「注!この橋は定員3名です」。乗員が1人づつなのも納得。
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「横須賀風物百選 浦賀港と渡船」看板。
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西渡船場の待合所。これもまなこ壁風だ。
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「関東大震災慰霊塔」。
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「関東大震災の慰霊塔」。
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叶神社鳥居。
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叶神社参道脇の土蔵。
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叶神社横の土蔵風建物。
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叶神社。
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叶神社手水舎。
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「市制施行70周年記念
横須賀風物百選
西叶神社
「アリャアリャ、ありがたや叶明神の威徳をもって、虎もやすやす従えたり、皆々いさんでカッピキュー」
これは、享保五年(一七二○)から当地に伝えられているといわれ、毎年九月の祭礼に奉納される県指定無形民俗文化財「虎踊り」に登場する和藤内のせりふの一節です。
叶明神は、平家の横暴ぶりを憤った文覚上人が、上総国(現在の千葉県)鹿野山にこもり、はるかに山城国(現在の京都府)岩清水八幡宮に源氏の再興を願って叶えられたことから、養和元年(一一八一)にそのみ霊をこの地に迎えて祭ったことに始まると伝えられています。したがって、この神社の祭神は、石清水八幡宮と同じ応神天皇(第十五代の天皇)です。現在の社殿は、天保八年(一八三七)に焼失した社殿を天保十三年に再建したものです。再建に要した費用は、約三千両と記録されています。とくに注目に値するのは、内部を飾る精巧な彫刻です。作者は、のちに名工とうたわれた安房国千倉(現在の千葉県)の彫刻師後藤利兵衛橘義光です。当時、二十代の若さであったといわれています。彫刻に要した費用は、総建築費の約七分の一にものぼる四百十一両余でした。奉行所が置かれ、廻船問屋が軒を連ねていた隆盛期の浦賀であったからこそできたことと思われます。社殿の裏山には、文覚畑と呼ばれている所があり、文覚上人の庵室の跡と伝えられています。また、社殿の右手下に「明治天皇駐輦跡」があります。これは、明治十四年五月十八日に明治天皇が観音崎砲台建設の様子を御覧になられた際、当時この場所にあった浦賀西岸学校の二階の一室に御休息されたのを記念して建てられた碑です。 」
(注)「岩清水八幡宮」と「石清水八幡宮」を混用しているが、「石清水八幡宮」が正しい。 -
銅燈籠。
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銅燈籠。
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叶神社拝殿。社殿は天保13年(1842年)に再建。
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叶神社拝殿。
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鳥居。
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絵馬掛。
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叶神社拝殿の天井彫刻。
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叶神社拝殿の龍の彫刻。
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叶神社本殿。
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「昭洞香山君碑」。
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「昭洞香山君碑」解説板。
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「横須賀市指定市民文化資産
西叶神社社殿彫刻
現在の社殿が天保十三年(一八四二)に再建された時に施された彫刻で、虹梁、欄間、拝殿天井など総数碑百三十を超す。作者は安房国の彫工、後藤利兵衛である。」 -
門柱の唐獅子。
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門柱の唐獅子。
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碇。
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「奉納 碇」。
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「明治天皇駐輦之跡」碑。
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「明治天皇駐輦之跡の記念碑」。
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叶神社社務所。
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叶神社社務所。
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西叶神社社無所の鏝絵(こてえ)。
石川善吉の昭和5年(1930年)の作品で、名人「三浦の善吉」の装飾壁の傑作とされる。割れた水瓶より流れる水の中から童子が顔を覗かせ、助けられた一瞬の出来事を漆喰で表現している。 -
西叶神社社無所の鏝絵(こてえ)。
水瓶を割る子が描かれている。ふっくらした丸い顔、いきいきとした漆喰細工である。
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社務所前の商店。
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社務所前の商店。
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社務所裏の土蔵。
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曹洞宗 延命山 東福寺。
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東福寺山門。
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「東福寺」説明看板。
「東福寺
江戸幕府から御朱印地二石をたまわり、歴代の浦賀奉行も就任すると必ず参拝に訪れたという格式ある曹洞宗のお寺です。
本堂には江戸中期を代表する画家酒井抱一の描く大きな亀の絵馬があります。 境内の中段にある観音堂には「海難除けの観音様」が安置されています。
この観音様には江戸時代初めに西浦賀の淡路屋治兵衛の廻船が大しけに遭い難破しそうになった時、船頭らが観音様に無事を祈ると海は穏やかになり助かったという伝説があります。
本寺は三浦三十三観音の十三番札所になっています。
浦賀行政センター市民協働事業、浦賀探訪くらぶ」
「酒井抱一作の絵馬」の写真が描かれている。 -
お堂?
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観音堂(大悲閣)。昭和46年(1971年)にコンクリート製で建立。「海難除けの観音様」とされる聖観音が安置されている。
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観音堂(大悲閣)の相輪。
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地蔵堂内には2組の六地蔵が。
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「庚申塚」。
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東福寺本堂。外壁には鏝絵(こてえ)がある。
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東福寺本堂に掛かる「東福禅寺」の扁額。
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東福寺から見た浦賀港の眺め。
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西浦賀の商店。
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西浦賀の商店。
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西浦賀の商店。
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西浦賀の商店。
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「浦賀道」。
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百合。
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西浦賀の商店。飾り瓦が上がっている。
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西浦賀の民家。
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西浦賀の商店。
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西浦賀の商店。
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浦賀ドックの跡地。幕末に造られた浦賀造船所は、その後、浦賀船渠株式会社になり、浦賀重工業?を経て住友重機械工業?となったが、平成15年(2003)3月に閉鎖された。
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東浦賀のマンション。
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浦賀ドックの跡地。
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浦賀ドックの跡地。
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浦賀ドックの跡地。
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西浦賀の駅前通り。
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土蔵。
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浦賀ドックの跡地。
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「横須賀市指定市民文化資産 大衆帰本塚の碑」。
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「大衆帰本塚」碑。
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下には石仏などが並ぶ。
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浦賀ドックの跡地。
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京急浦賀駅。
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京急浦賀駅。
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浦賀ドックの跡地。
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