2012/06/30 - 2012/06/30
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神奈川県横須賀市東浦賀2にある顕正寺は日蓮宗のお寺で東耀山顕正寺という。創建は天正元年(1572年)で、開山は顕正坊日実大徳である。本尊は三宝本尊像である。
寛永年間(1624年〜1644年)に、信徒が寄進してお寺を建立したが、安政3年(1866年)の火事で消失してしまった。
本堂右上手には、江戸時代中期の陽明学者であった中根東里の墓がある。もとは伊豆下田の人で、晩年になって浦賀に移り住み、明和7年(1766年)、73才で亡くなった。
近くには、浦賀の代表的な歌人の西野前知(さきとも)の墓がある。本堂裏手には直木賞作家の山口瞳、咸臨丸の副艦長の春山弁蔵、浦賀奉行所の与力で後に横須賀造船所の技師として活躍した岡田井蔵(せいぞう)の墓などがある。
境内に庚申塚があるが、明治の建立のものでも表面が相当に傷んでいた。また、参道脇から本堂横、本堂裏に墓地が広がるが、墓石のおおくは赤くなっていた。やはり海風が当たるためであろうか。
(表紙写真は顕正寺本堂)
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顕正寺門前。
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「中根東里先生墓所」碑。
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「南無妙法蓮華経」。
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「顕正寺」説明看板。
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「南無日蓮大菩薩」塔。
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手水鉢。
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十三重石塔。
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「無縁諸霊位供養塔」。
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庚申塚。
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庚申供養塔。
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猿田彦大神(明治41年(1908年)銘)。
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庚申塚。「庚申塚」と彫られているのは珍しい。
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庚申塔か。表面が磨耗して下の3猿も消えている。
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庚申塔(天宝12年(1841年)銘)。石が赤くなっているのは汐風のせい。
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庚申塔(明治4年(1872年)銘)か?表面が磨耗してしまっている。
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「‥英日観」(明治15年(1882年)銘)。
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石碑。
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顕正寺本堂。鉄筋コンクリート製だ。
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顕正寺本堂。
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顕正寺本堂に掛かる「顕正寺」の扁額。
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庫裡。
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顕正寺地蔵堂。
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お地蔵さま3体。
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