2012/06/08 - 2012/06/09
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SUR SHANGHAIさん
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1997年の夏に列車一人旅で訪れて以来、ずっとご無沙汰だった中国東北部の街々。
哈爾濱(ハルビン)もその一つで、当時は公開された資料や遺構は少なかったにもかかわらず、侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館が強烈な印象として残った街だった。
今回は旦那とも一緒の二人旅。
これまでたまに仕事の用事でハルビンを訪れていた旦那なのに、侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館にはまだ行っていないらしい。
数日のハルピン滞在の内、二人一緒に昼間に出かけられるのは1日だけ。
SUR SHANGHAIも初めてのつもりで再訪してみます。
表紙の画像は、侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館敷地内にある動力班ボイラーの残骸。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 航空会社
- 中国東方航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
上海から哈爾濱(ハルビン)へは飛行機だと3時間ほど。
前回SUR SHANGHAIが1人ハルピンを訪れた時には列車旅だったから、ハルビン空港を見るのはこれが初めて。
中国のほかの都市と同じように、ここの空港も近年になって新しく造り替えられたんだろうな、という雰囲気。
到着ホールから外に出ると、すぐにタクシー乗り場が見えますよ。 -
哈爾濱(ハルビン)空港から市内までは、高速道路が出来ていた。
今では中国どこに行っても道路が立派に整備されていてびっくり。
ハルビンでも事情は同じでした。 -
哈爾濱(ハルビン)空港から市内までは、高速道路をタクシーで40分ほど。
夕暮れから夜に変わる時刻になって、街の灯りが増えていく。
わ?!! (◎◇◎)
1997年に来た時には、モダンだと思えるビルは全然無かったと思うのに、いつの間にかハルビンの街は大変貌。
この画像だけ見ると、上海と引けを取らないくらいの夜景!
運転手さんも「どうだ!ハルビンも変わっただろう!」とご満悦。
この後、その運転手さんとちょっとしたトラブル。
最初に行き先のホテルの名を告げ、運転手さんも復唱して間違いなかったのに、別のホテルに到着。
??? (・・?
運転手さん、あれこれ話をしているうちに途中で行き先を勘違いしちゃったのかな? それとも故意? その辺が不透明。
SUR SHANGHAIは今日泊まるホテルは初めてだから仕方ないけど、旦那はいつもとルートが違うと気付いていても、これまでと違った道があるのかと思って黙っていたらしい。
お陰で、空港から市内中心部までは高速料金や燃油費を含めても125元程度なのに、正しいホテルに着いた時には150元以上になってしまった…。 -
これが、今回予約して行った哈爾濱万達假日酒店(ホリデイ・イン・シティ・センター)。
ここは観光名所の中央大街の南端にあって便利な立地。
予約したのは、高層階角部屋のダブル(1300元)。
思っていたより広く、内装は新しく清潔。
ただ、窓が二重になっているため、せっかく中央大街が見下ろせる位置だったのにきれいな写真は撮れませんでした。
コーヒー・テーブル用の椅子が一つしかなかったのはちょっと残念。
浴室はモダンで清潔な造り。アメニティ類もよく揃っていました。
浴槽の外でも体が洗える広い造りだったのはよし。
お湯もよく出ましたが、もうちょっと水圧が高ければ言うことなし。
がっかりだったのは、朝食ブッフェ。
品数は一通り揃っていても、おいしいと思える品が少なかったです。
朝食は10:30までなのに、一度9:30に行ってみたところ、めぼしい物はほとんど無くなっていました。
スタッフに言って欲しいものは出してもらいましたが、ちょっと侘しい気分。
ホテル周辺にはコンビニはありません。雑貨屋さんが数軒あって、飲み物位は買えます。
ホテル前の経緯街を渡ってすぐの場所のKFCは24時間営業で便利。
中央大街には、銀行、マクドナルド、スターバックス、薬局、ドラッグ・ストアのワトソンズなども揃っています。
気を付けたいのは、ホテル前の経緯街は数車線もある広い道なのに信号が無いこと。
歩行者にお構い無しの車がビュンビュン走ってきます。慣れない方は、地元の人のタイミングに合わせて一緒に渡るといいですよ。 -
さて、哈爾濱(ハルビン)入りした翌日に、旦那と二人行ってみたのは侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館。
731部隊(満州第七三一部隊)の正式名称は関東軍防疫給水部本部。
防疫や水の供給の研究を行っていたほか、細菌戦に必要な生物兵器の研究・開発のため、現地での捕虜などに対して人体実験をも行っていた機関とされています。
今ではその731部隊の施設が、侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館として一般に公開されています。
所在地: 哈爾濱(ハルビン)市 平房区 新疆大街25号
現在の平房区はハルビンの開発区になっていて、一帯には工場が多数並んでいます。
路線バスも出ていますが、今回はタクシーで行ってみました。
中央大街南端あたりからだと、30分ほどで50元程度。
帰りは、閉館時間に合わせて客待ちしているタクシーもいました。
●注: 見学時間帯に要注意。
2012年6月中旬現在は、午前は9:00?11:00、お昼を挟んで午後は13:30~15:30になっていました。月曜は休館。
見学は無料。敷地内や展示の撮影可。
●注: 見学にはパスポート(身分証)が必要です。忘れないようにご注意を。
●注: 中国の見学者に「日本人?」と聞かれることもありえます。見学態度、対応態度には配慮しましょう。
上段の画像が、侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館の敷地入口。
新疆大街の車道に面しているので、すぐに分かります。
その横手には、かつては関東軍防疫給水部本部への南門があったという場所に、その礎が残されています。
この旅行記の中では、侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館の紹介に重点を置いて、731部隊の沿革や活動の詳細は出さないことにしますので、詳しくは次のウィキペディアのページを参照してみるといいと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/731%E9%83%A8%E9%9A%8A -
これは、侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館敷地入口脇にあるかつての南門衛兵所。
見学者はまずここでパスポートを提示するようになっています。
中にはロッカー、飲み物だけの売店、オーディオ・ガイドの貸し出し窓口あり。
オーディオ・ガイドは中国語、英語、日本語、韓国語、ロシア語の5ヶ国語で15元。
普通のバッグ程度なら、そのまま持って入場出来ました。 -
現在のゲート外から、侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館敷地内を見る。
向こうに見える建物が731部隊の本部だった建物。
1997年にSUR SHANGHAIが初めて見学に訪れた時には、この本部建物は公開されていなくて、この入口あたりの小さい普通のビル内に展示があったような気がする…。
タクシーの運転手さんも同じように言っていたので、間違いないんじゃないかと思います。
…という事は、再訪のSUR SHANGHAIも、敷地内の見学は初めて。
奥に見えるレンガ造りの本部建物が目に入ったとたん、アウシュヴィッツ強制収容所2号であるビルケナウ強制収容所跡の≪死の門≫を思い出した。
雰囲気がやけに似ている…。 -
侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館敷地内に入る。
これは敷地内にあった石碑。
この碑に出ていた説明は中国語のみでしたが、陳列館になっている本部建物内の展示には、中国語のほかに英語や日本語の説明付き。
陳列館1階には、日本語説明だけの展示室も二つありました。 -
これが、今では侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館になっている731部隊の本部大楼の正面。
正面から見ると分かりませんが、裏手には通路で結ばれた平屋の棟もあって、横に長い≪土≫の字型の建物になっています。
1938年に竣工したこの本部建物には本来必要な設備のほか、細菌戦用の武器の研究・製造施設、細菌戦を指揮する大本営も置かれていたのだそうです。
1945年8月に731部隊が敗退する際に破壊された屋根部分は近年復元され、今見る形になったのだそう。 -
侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館では、2階の展示を先に見るようにルート作りがしてありました。
階段の踊り場を振り向くと、スクリーン的なオブジェにこの陳列館の名が。
階段を上りきった所に陳列館のスタッフがいたので、館内の写真を撮っていいかを再確認。 -
侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館になっている731部隊の本部大楼は横に長い≪土≫の字型をしていると上の方で言いましたが、その長さは170mあるそうです。
明るさを抑えた照明のその通路がトンネルのよう。
この通路の両脇に展示室が並んでいます。 -
侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館の展示の一つ。
画像に出ている島は、瀬戸内海の大久野島(おおくのしま)。
毒ガス製造所があったことから軍の機密とされ、≪地図から消された島≫や≪毒ガス島≫の異名があったのだそう。
ここで製造された毒ガスは、第二次世界大戦中は主に中国で使用されたとの事で、詳しい説明付きの展示になっていました。 -
侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館の展示の一部。
731部隊の生い立ちから敗退まで、歴史を追いながら、部隊内で行われていた各種実験などについての展示がされています。
以前は、写真や物品がただ殺風景に並べてあるだけの展示方法だったと思いますが、今では展示方法、照明方法も一新されて、迫力を感じさせる内容になっていました。 -
SUR SHANGHAIが初めて731部隊という名を知ったのは、中学校の図書館にあった一冊の本。
マルタ(丸太)と呼ばれた捕虜などを使って細菌戦に必要な人体実験がなされたと言う内容に、言い表せないほどのショックを受けたのを思い出す。
その本にも出ていた実験方法の一つが、侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館では模型になって展示されていた。
逃げ出せない被験者の至近距離で病原菌を詰めた弾を炸裂させて感染させ、その経過を見ると言う実験。
その様子に、上記の本を初めて読んだ時と同じように戦慄が走った。 -
1945年8月に731部隊が敗退する際に、証拠隠滅のための破壊行為が行われた本部大楼周辺。
現在、侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館になっている本部大楼を除いて、跡地だけになっている場所がほとんど。
それでも館内には多数の遺留品や写真、再現模型などが説明付きで展示されてあります。
ここにまとめてあるのはほんの一部。
各種実験に使われた、ガスマスクや実験器具、病原菌を注射している様子を再現した人体実験の模型、症状の経過を克明に綴ったカルテなどなど…。
ここには載せませんが、牢獄の鍵や拷問器具なども展示の一部にありました。
アウシュヴィッツでも、キリング・フィールドでも、ホーチミン市…などでも感じたことだけど、なぜ人間は同じ生命体である人類に対してこういうことが出来るんだろう。
…SUR SHANGHAIは単純に素朴にそう思う。 -
これは、敗戦後の731部隊の引揚げルート。
地図で示されたのは初めて見た。
朝鮮半島を南下して釜山から門司港へ。
その後は引揚げ特別列車で日本海沿いに直江津まで。
そこで特別列車は解体されたと出ています。 -
日本でこれまでに出版された731部隊関連の書籍の紹介コーナー。
1階にあったと思います。
これはその一部で、このほかにも展示されていました。
まだ手に入るものがあるかも。
●注: これらは展示品で、商品ではありません。
同じく1階ではビデオも見られるようになっていました。
放映時間は、10:00〜11:00、14:00〜15:00。 -
重々しい照明と展示内容が続く侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館。
最後に通るのは≪土≫の字型になった本部大楼の縦線部分の通路。
ここを通り抜けると、本部大楼裏手の敷地に出ます。
その通路には、これまでに見てきた実験などで命を落とした犠牲者たちの氏名が延々と壁に出ています。 -
上記の通路の終わり近くになると、花束や千羽鶴がまとめて飾られている場所もあった。
出口近くの壁には、千羽鶴が盛り上がるほどの数。
日本からの見学者たちが、犠牲者の慰霊のために捧げて行ったに違いない。 -
見学ルート最後の出口から、侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館裏手の敷地に出たSUR SHANGHAIとその旦那。
731部隊の≪土≫の字型本部大楼は、裏手の棟は画像のように平屋になっていて、かつては機材置き場や兵器庫として使われていたそうです。 -
これは、侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館に入館する際に渡された、敷地内の簡単な案内図。画像をクリックして元画像にすると大きく表示されます。
新疆大街に面して≪土≫の字型をした731部隊本部大楼があるほか、広大な敷地内にはかつての建物や設備の遺構が残っています。
赤い四角は、現在見学可能な遺構、
紫色の四角は、これからの発掘を待っている遺構。 -
侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館の裏手に広がる、731部隊の敷地だった場所。
地上にあった建物や設備は、731部隊敗退の際にほとんどが破壊されてしまっています。
ところどころの地面が画像のように大きく落ち窪んでいるのは、敷地内各所へと通じる地下通路や監獄、地下実験室などだった場所。
上に出した、敷地内案内図をご参照下さい。
この画像は、敷地北側へと延びる地下通路だった場所。
このすぐ右手には、監獄や細菌実験室だったという窪みもありました。
画像奥に見えている白と赤に塗り分けられた建物は敷地外側にあって、現代の哈爾濱(ハルビン)市民が住むアパートになっていました。 -
侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館の裏手に広がる敷地は、今では犠牲者追悼記念公園風に草木が手入れされていました。
楊柳の木も近くにあるようで、時々風に乗って綿毛がフワフワ。
兵器庫や機材置き場だったという731部隊本部大楼裏手の木陰では、現代のカップルが見学後の一休み。
大学生かな?
今の平和なひと時が永く続いて行きますように。 -
侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館の裏手に広がる敷地を一回りしてみることに。
上の方に出した敷地内案内図のほか、こんな標識も立っていて分かりやすかったです。
この標識左手には、結核実験を行っていたと言う二木班の建物が残っているらしいので行ってみます。 -
上の方に出した侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館敷地案内図だと左下に出ている二木班の建物が見えて来た。
電柱の後ろにあるコンクリート製の建物がそう。
その後に見えている白と赤に塗り分けられた建物は敷地外にあって、現代の哈爾濱(ハルビン)市民が住むアパートになっています。 -
これが、731部隊の病理試験室だった二木班の建物の一部。
1939年に建てられたこの建物内部では結核の実験が行われていたそうです。
1945年8月に部隊が敗退する際に、他の施設と同じく爆破されたそうですが、1985年に一部復元されたのだそう。
この寒々しいコンクリートむき出しの建物の中で、人体をも実験材料にした研究が進められていたのかと想像すると、とてつもなく怖い。 -
同じく731部隊の病理試験室だった二木班の建物をぐるりと回ってみる。
元々は地下室も備えていたようですが、そこまで復元はされていませんでした。 -
侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館敷地の東側にある動力班の遺構へも行ってみます。
この画像だと、右奥にその二本の煙突とコンクリートの壁が見えています。
動力班は、731部隊に電気と熱を供給していたボイラー設備。
今では、敷地外に現代の哈爾濱(ハルビン)市民が住むアパートが連なっているのが、SUR SHANGHAIには異様に思える…。 -
二木班の病理実験室から動力班のボイラー跡への道筋周辺は、一見緑に覆われた平らな地面に見えますが、近づいて行くにつれて地下施設だった部分がいくつも大きく窪んでいるのが目に入ります。
この画像の右奥には731部隊の本部大楼の一部が見えているので、この地下施設の規模も想像できると思います。 -
これも同じく、侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館敷地内に残された731部隊の地下施設だった部分。
上の方に出した敷地内案内図にも、全ての地下施設が紹介されている訳ではないので、この部分が何だったのかは不明。 -
侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館敷地内には、731部隊敗退の際に破壊されたらしい建物の部分が積まれてあった。
犠牲者追悼記念碑のような佇まい。 -
地下設備があった部分が大きく窪んでいる侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館敷地内。
そしてその敷地外には、現代を生きる人々が住むアパートがいくつも並ぶ。
住んでいる人たちは毎日自分の窓からこの敷地が見えるはずよね…。
うんと若い人たちだとあまり気にならないかも?
不謹慎ながら、『ひょっとして、家賃が格安だから入居してる?』などと思ったり。
そもそも、ここにアパートを建てるという発想が理解できない…。 -
上の方に出した侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館敷地案内図だとちょっと右手にある動力班のボイラー残骸。
離れた場所から見た時には手前のフェンスが閉まっていて、「あれ? 入れないのかな。」と話しつつ近寄って行ったSUR SHANGHAIとその旦那。
と、こちらの意図を察してくれた庭師さんが、無言のままフェンスの扉を引いてくれた。
「あ、鍵はかかっていなかったのね。ありがとう!」 -
イチオシ
フェンスの向こうにコンクリートむき出しのままの姿を見せる731部隊動力班ボイラーの残骸。
1945年8月に731部隊が敗退する際にはやはり爆破が試みられたようで、基部がボロボロ。
それでもこの部分が残ったのは、煙突の基礎の部分が頑丈だったからかな。
フェンス向こうも侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館敷地で入って行けるので、もう少し間近で見てみようと思います。 -
動力班ボイラーの手前に見えている線路は、かつては731部隊専用の引込み線だったらしい。
その線路をよく見てみると…、 -
…あれ? レールがピカピカ。
という事は、こっち側はもう少し先で行き止まりみたいだけど、今も使ってるって事よね。
と、旦那が、「まだ二木班近くを歩いていた時、短い貨車が通るのが見えた。お前は別の方を見てて気付かなかったらしいけど。」
え? そうだったの? -
かつての731部隊専用引込み線だった線路の南方向。
あとでこの侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館がある平房区の地図を見てみると、この画像奥方向に平房の列車駅があって、この引込み線もその駅近くから延びていた。
今は、貨車の入れ替えとかでこの線路を使ってるのかな、と思ったSUR SHANGHAI。 -
目の前に立ちはだかるように全体像を現した731部隊動力班のボイラー残骸。
周囲は1945年8月に敗退する際爆破されて残った瓦礫や建物基礎部分。
このアングルから見たボイラー廃墟には煙突が二つのように見えますが、1936年に建てられた当時は三本あったのだそう。
裏手に回ると、中央の三本目が下半分と基礎を残して崩れていました。 -
1945年8月の731部隊敗退の際、証拠隠滅のために爆破された諸施設。
上の方で見て来たように、その破壊行動は徹底したものがあったようですが、動力班のボイラー設備は壁面の一つがほぼ残っていました。
周囲をぐるりと一回りできるようになっています。
ただし、基部の柱などがボロボロになっているので、3m以内には近寄らないようにという標識が出ています。 -
731部隊動力班のボイラー設備周辺の地面は、タイルが敷かれてあった。
これは、ボイラーが建てられて作動していた時からのオリジナルの床面なんだろうか…。 -
731部隊動力班のボイラー設備。
壁面の端の方はいつ崩落してもおかしくないほどボロボロ。
歴史上の負の遺産モニュメントとして残しておくなら、早急の対策が必要かも。 -
731部隊動力班のボイラー設備を裏手から見る。
この角度から見ると、元々は煙突が3本あったのが分かると思います。
この煙突の基礎部分が頑丈だったため、敗退の際にも爆破し切れなかったのでは。 -
更地のような土地が広がっていたボイラー跡の裏手。
上の方に出した侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館敷地案内図によると、ここにもかつては731部隊の施設が並んでいたようで、その規模に愕然とします。
現在発掘中の施設として、ガス貯蔵室、ガス発生室、貯水庫、航空隊、山口班、昆虫養殖室などが記載されていました。
この画像で見えている建物の残骸もその中の一つだったのかと思う。 -
一回りして戻って来たボイラーの表側。
壁面の支えになっている柱がやはり今にも崩れそう。
侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館の出口には、敷地内のこれらの遺構の保護を目的とした寄付金箱が置かれていました。
お気持ちのある方は、寄付してくるのもいいんじゃないでしょうか。 -
イチオシ
これは、かつて満州国で流通していた満州国圓。
その説明は下記のウィキペディアのページに詳しく出ています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E5%9B%BD%E5%9C%93
なぜ、SUR SHANGHAIがこの紙幣を持っているのかと申しますと、1997年にこの侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館を初めて訪れた時のこと。
哈爾濱(ハルビン)駅前から一人ミニバスで向かった途中でも、陳列館の中でも、「日本人が来た。」と険しい目で見られたSUR SHANGHAI。
陳列館出口に当時あったカウンターのおばさんにも呼び止められてビクビク。
と、「これは昔、日本が満州国で流通させていたお金。これを持って帰って、この陳列館のことも日本人に知らせて欲しい。」の言葉が。
いくらかで買い取って、ずっと机の片隅に眠らせておいたこの紙幣。
1997年にハルビン周辺を訪れた時の写真や記録はバラバラになっている状態なので、その紙幣の画像だけこの旅行記に載せて締めくくろうと思います。
あの時のカウンターにいたおばさん、やっとあなたの言葉を実行することが出来ました。
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