2012/06/07 - 2012/06/07
4位(同エリア21件中)
ベームさん
15日目、6/7。
ゴスラーからゲッティンゲンを経てハン・ミュンデンに1泊します。
北ドイツの海岸地方からかなり南下しもう中部ドイツですがハンザ同盟都市、ニーダーザクセン都市同盟の都市はまだ続きます。
ゲッティンゲン:人口12万人。10世紀中頃文献に現われハインリヒ獅子公により12世紀後半に都市が造られた。1426年ハンザ同盟。ゲッティンゲン大学の学生が市の人口の20%を占めるという。グリム兄弟も一時この大学の教授を務めていました。
ハン・ミュンデン:人口2万6千人。12世紀後半に記録に現われ1247年都市特権。ヴェーザー川の水運で栄えた。600ほどの昔のままの古い木組みの家が軒を連ねる美しい町。鉄ひげ博士で有名。
写真はマルクト広場のがちょう姫リーゼル。ゲッティンゲン。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ゴスラーからゲッティンゲン、ハン・ミュンデンへ。
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ゲッティンゲン駅。
ゴスラー7:57発RB、ゲッティンゲン9:09着。
今日も曇りです。 -
駅前の広場を横切りゲーテ・アレーに入ります。
グリム兄弟が住んでいた家です。茶色の窓枠の建物。
ゲーテ・アレーというからにはどこかにゲーテの痕跡があるのでしょうが分かりませんでした。 -
こう書かれています。
「ヤコプ、ヴィルヘルム・グリム。ゲッティンゲンの7人のうちの2人。1829~1837年」。
ゲッティンゲンの7人とは1837年におこったゲッティンゲンの7教授事件のことです。ハノーファー王国国王ヴィルヘルム4世が1833年作った自由主義的憲法を1837年、後継者エルンスト・アウグストが破棄した。これに抗議したゲッティンゲン大学の7人の教授が国外追放ないしは免職になった事件。
ヤコプは首謀者の一人で国外追放、ヴィルヘルムは免職となったが2人ともカッセルに去った。
ハノーファーには7人の教授の銅像があります。私のハノーファーの旅行記に写真を載せています。 -
ライネカナル。
ここを渡ると町の中心です。 -
カナルの袂の大学図書館。
グリム兄弟はゲッティンゲン大学の教授であるとともにこの図書館の司書も務めていました。 -
プリンツェン通り。
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ヴェーンダー通りに出てすぐ左に聖ヤコビ教会があります。
今回の旅行では修復中の教会が多かったです。これも仕方がないことですね。修復を重ねることで歴史的建造物はその命を保つのですから。今回そうでない建物もほかの時には修復中であったはずです。 -
聖ヤコビ教会。
1361~1433年。 -
聖ヤコビ教会。
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聖ヤコビ教会。
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聖ヤコビ教会。
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教会の横に面白い像を見つけました。ホタテ貝だけが光っています。多くの人たちに撫でられ続けているのでしょう。ホタテ貝と杖から多分巡礼姿の聖ヤコブでしょう。
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市立博物館。
ブラームス、ヨアヒムが1853年夏ここを訪れた、と掲示されています。
ヨーゼフ・ヨアヒム:名ヴァイオリニスト、指揮者。ブラームスと親交があった。1831~1907年。 -
ヨハネス・ブラームス、ヨーゼフ・ヨアヒム
音楽家 1853年夏 -
バーフューサー通りのアウラ、大学講堂。
1837年。
ゲッティンゲン大学、正式にはゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン、は1737年ハノーファー選帝侯ゲオルクアウグスト2世兼イギリス王ジョージ2世により設立された。45名のノーベル賞受賞者を出しているドイツ屈指の大学。
過去教授陣としてグリム兄弟、フッサール、カール・バルト、ガウスなど、学生としてハイネ、ショーペンハウアー、フンボルト、ビスマルクなど。 -
アウラの前のヴィルヘルム広場。
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ヴィルヘルム広場に建つヴィルヘルム4世像。
碑文を読むと
「ヴィルヘルム4世。ハノーファー王およびグレートブリテン、アイルランド連合国王。在位1830~1837年」とあります。
あのゲッティンゲン7教授事件の元となった自由主義的憲法を制定した王様です。 -
バーフューサー通りとヴェーンダー通りの角にあるユンカースシェンケ、田舎紳士の酒場とでも訳すのでしょうか。昔は学生酒場だったそうです。1451年。
写真を拡大してみてください。2階の右端にアダムとイヴが描かれています。 -
アダムとイヴ。
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軒の彫り物が面白い。
王侯貴族あり、聖職者あり、盗賊まがいの人物あり、はたまた裸の男女あり、アダムとイヴもいますよ。 -
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これはなんでしょう。
婦人が鋏を持っています。騎士が何か悪いことをして髪を切られるのでしょうか,
それとも美女の膝枕で散髪をしてもらっているのでしょうか。
旧約聖書のサムソンとデリラにも見えます。クラーナハ描く「サムソンとデリラ」に構図が似ています。アダムとイヴがいるからにはそうでしょう。デリラは怖そうな女ですね。 -
古代オリンピックの聖火ランナー?
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メインストリートヴェーンダー通り。
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ここにも古いラーツアポテーケ/薬局がありました。
創業1332年、今の建物は1553年。 -
ラーツアポテーケ。
壁のプレートに「クレメンス・ブレンターノ。1801年夏」とあります。
後の文学者ブレンターノがその時ここに住んでいたのでしょうか、胃薬でも買いに来たのでしょうか。当時ブレンターノはゲッティンゲン大学に学んでいました。 -
ヴェーンダー通りを南に行くとマルクト広場に出ます。
市庁舎です。奥に聖ヨハニス教会の塔。 -
ドイツ中どこへ行っても広場があれば市場があります。
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日本みたいなスーパーが少ないドイツではこういった市場が市民の台所となっています。
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広場に建つがちょう娘リーゼル。
がちょう姫とか、がちょう番リーゼル、がちょう飼いのリーゼルとも呼ばれます。グリム童話の一つです。 -
1901年に完成しましたがこれはレプリカで、オリジナルは市立博物館にあるそうです。
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がちょう娘リーゼル。
可愛いですね。ゲッティンゲン大学で学位を取得した学生が泉によじ登りリーゼルの頬にキスをするという伝統があるらしく、かって夜な夜な学生が泉のまわりで騒ぐので市当局がこれを禁止したそうです。しかし従う学生はいなく禁止令は有名無実、ついには廃止になったとのことです。
世界で一番キスを受ける娘と言われています。 -
後姿。
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移動式のメリーゴーランド。
ドイツの町ではよく見かけます。 -
旧市庁舎、15世紀。
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旧市庁舎。
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中に入ってみます。
ホールにはツーリストインフォメーションが入っています。 -
周りの壁にはハンザ時代の様子を描いた壁画とハンザ同盟都市の紋章が描かれています。
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ダンツィヒ、ブレーメン、リューネブルク、ヒルデスハイム、ゴスラー、シュトラールズントなど。
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トーマス・ビュルゲンタール・ハウス。
市図書館。 -
聖ヨハニス教会。
ゲッティンゲンのシンボル。14世紀。戦後再建。 -
聖ヨハニス教会。
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聖ヨハニス教会。
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南に歩きます。
グロナー通りとクルツェ通りの角に黒い熊の飾りのある建物がありました。有名なレストランシュヴァルツェン・ベーレン/黒熊亭かと思ったら違いました。 -
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その少し先にありました。
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ツム・シュヴァルツェン・ベーレン。
レストラン黒熊亭。1600年。
ところが扉に張り紙がしてあり、営業してないとのこと。潰れたのでしょうか移転したのでしょうか。
ここがそうかどうかは分かりませんが、老舗がその名前の上にあぐらをかきお客をないがしろにして見放され潰れるということはよくあることです。 -
軒先にあるプレート。
「ヨハン・アンドレアス・アイゼンバルト。
シュヴァルツェン・ベーレンで1727年9月1日彼の遺言状を書いた。」
アイゼンバルト(鉄髭)博士とはハン・ミュンデンに住んでいた医者でやぶ医者の代名詞になっているが、実際は有能な外科医だったそうです。この旅行記のハン・ミュンデン編に少し紹介しています。 -
黒熊亭の先に聖ミヒャエル教会があります。
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聖ミヒャエル教会。
1787年。 -
幕が張られています。
「祝ゲオルク・アウグスト大学275周年」。
1737年設立ですから丁度今年ですね。市民の20%がゲッティンゲン大学の学生といいますから町も歓迎するわけです。 -
聖ニコライ教会。
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ビスマルク小屋。1447年。
1832~1833年、ゲッティンゲン大学の学生だったビスマルクが住んでいた家。学生相手の下宿屋みたいなもの。法学を学ぶ血気盛んな彼は在学中25回も決闘したという。
ビスマルク:後のプロイセン王国、ドイツ帝国宰相。ヴィルヘルム1世のもと1871年対フランス戦争に勝利し、ヴェルサイユ宮殿でヴィルヘルム1世を新ドイツ帝国皇帝の座につけた。ドイツ統一の立役者。
軍事力を重視し、国家を守るのは鉄と血であると演説して鉄血宰相といわれた。 -
町の南を流れる水路、ライネカナル。
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木組みの家を修理している家がありました。木組みの枠だけが残っています。
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カナル沿いに聖マリエン教会があります。1290年頃。
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かってドイツ騎士団の教会でした。
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聖マリエン教会。
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祭壇。
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聖マリエン教会。
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聖マリエン教会。
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聖マリエン教会。
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教会に続く建物にはドイツ騎士団の十字のマークが残っています。
入り口の右上、窓と窓の間です。 -
ドイツ騎士団の標識。
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昼、お腹が空いたので中国酒店という中華料理店に入りました。
豆腐と野菜炒め、お酒、緑茶で8.9ユーロ。
コンロにご飯と炒めものが乗っていて冷めないようにしてあります。日本風のチンゲンサイやホーレンソウ、もやしを炒めたのを想像していましたが違いました。ご飯はご存知のようにパサパサ。
久しぶりのお酒、これは間違いなく日本酒でした。
中国人風のマダムが近寄ってきて”日本人か?”と訊く。ヤーと答える。ふーん、と感心した様子。町の中心から少し外れたところで、東洋人の客は珍しいのでしょう。
ゲッティンゲンの一応見るべき所は見たし、昼は食べたしで駅に向かいます。ハン・ミュンデンに行きます。 -
ハン・ミュンデン駅。
ゲッティンゲン発13:32CAN、ハン・ミュンデン着14:08。 -
駅のホームからハン・ミュンデンの町を見下ろす展望台ティリー・シャンツェが見えます。
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ハン・ミュンデン駅。
ようやく晴れてきました。 -
駅の右前方の石段を下りバーンホフ通りを進みます。
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バーンホフ通り。
シュタットミッテ、市の中心部まで結構ありました。15分程度。荷物をゴロゴロ。 -
ハン・ミュンデンの宿ディー・レプラウス。1階はレストランになっておりガストホーフです。
1泊朝食付48ユーロ。
正面/角から入るとレストランで、地元の人らしい数人が一杯やっています。いなかの宿屋でよく見かける風景です。
朝食はビュッフェではなく客の希望を予め聴いておいて、それをテーブルに用意するというものでした。
例えば、パンはゼンメルがいいかクロワッサンがいいか、飲み物はオレンジジュース、リンゴジュース、ミルク?、コーヒーあるいは紅茶?、茹で卵は半熟か固ゆでか、など。客の少ない小さな旅籠屋では無駄がなく合理的でしょう。パンはクロワッサンを注文したら籠に大きなのが3つも出てきました。美味しかったです。 -
ホテルは繁華街の真ん中にあります。すぐ隣が聖ブラジウス教会。
久しぶりの青空が嬉しい。 -
聖ブラジウス教会。
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聖ブラジウス教会。
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聖ブラジウス教会。
立派な祭壇。 -
聖ブラジウス教会。
オルガンも大きい。 -
聖ブラジウス教会。
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聖ブラジウス教会。
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聖ブラジウス教会。
子供のための催しがあったようです。 -
聖ブラジウス教会。
木の枠になにやら願い事を書いたカードを詰めて綺麗な十字架が出来ていました。 -
外にはこんな自動車の遊具もありました。メリーゴーランドのようにぐるぐる回るのです。
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ハン・ミュンデン市庁舎。
ここにも市場が出ています。そういえば街なかでスーパーとか生鮮食料品の店は見かけませんでした。みんなここで買い物するんですね。 -
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市庁舎のファサード。
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市庁舎。
あとで仕掛け時計を見に戻ってきます。 -
右の建物には”Das Alte Wirtshsus"(古い旅籠兼居酒屋)という看板が架かっています。
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”焼きソーセージのヨーロッパ名人”、なんて看板が出ています。
結構客が並んでいます。本当なのか看板に惹かれた観光客なのか。
レーゲンスブルクに歴史的焼きソーセージ屋というのがありました。それは本当らしいです。 -
中州に渡るミューレン橋。
町の西をフルダ川、北をヴェラ川が流れ中洲の先で合流しています。 -
橋の袂。
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ミューレン橋はフルダ川に架かっています。
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橋から。
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橋から。
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橋から。
アルター・パックホーフ。昔の倉庫を改造したホテルです。 -
合流点になにやら碑が建っています。
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中洲の先端にあるヴェーザーシュタイン。
合流点に建つ碑。フルダ川とヴェラ川がここでキスをしてヴェーザー川と名を変え海まで流れていく、というようなことが書かれています。
ヴェーザー川はここから下流、今回訪問したミンデン、ブレーメンを流れてブレーメンハーフェンで北海に注ぎます。今回の旅行でお目にかかるのは3回目になります。 -
フルダ川とヴェラ川の合流点。
左からフルダ、右からヴェラ川。これから先はヴェーザー川。 -
ヴェラ橋。
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ヴェラ橋から見たヴェルフェン城。
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ヴェラ橋から。
右端にアルター・パックホーフが見えます。 -
ヴェラ橋。
ヴェラ川に架かっています。 -
ヴェルフェン城が覗いています。
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ヴェルフェン城。
現在市立博物館。 -
ヴェルフェン城。
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城の前の公園に塔が建っています。
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ヴェラ橋から南に、目抜きのランゲ通りの賑わい。
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ランゲ通り。
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ランゲ通り。
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ランゲ通り。
鉄ひげ博士ドクター・ヨハン・アンドレアス・アイゼンバルトの家。昔のガストハウスツム・ヴィルデンマンで今は1階にドラッグストアロスマンが入っています。
この家で1727年博士は亡くなり聖エギディエン教会に眠っています。
遺書を書いたのがゲッティンゲンの黒熊亭で、亡くなったのはここなのですか。 -
この博士の像は死後200年の1927年に造られています。
鉄ひげはアイゼンバルトの直訳ですが本名です。後世やぶ医者の評判をとっていますが実際は進歩的な優れた外科医だったそうです。1663~1727年。 -
市庁舎では7時から鉄ひげ博士と患者の一幕が始まります。
前の広場には大勢の見物客が集まってきました。 -
博士と患者の登場です。
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患者はイヤダと暴れています。「助けてくれー!」。
おかしいことにやっとこには既に歯が付いています。 -
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「おとなしくせんんか、泣いてもわめいても駄目だ」
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有無を言わせずエイヤッと。
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「ギエー!」
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無事?治療は終わりました。
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滑稽な芝居を観た後南に少し歩きました。
聖エギディエン教会。 -
聖エギディエン教会。
ななんと、中はレストランです。 -
信者がひざまずく椅子がレストランの椅子とテーブルになっています。キリストの前で聖なる血赤ワインを飲んで騒ぐなんて神様がお許しになるでしょうか。お許しになっているようです。さすがに西洋の神様は御心が広くおわします。
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それでは教会の北に回ります。いろんな墓碑が並んでいます。
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鉄ひげ博士の墓標。
真ん中あたりにヨハン・アンドレアス・アイゼンバルトの名があります。 -
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この辺りも古い家が多いです。
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建物がゆがんでいるのではなく、木組みが不揃いなのですね。
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屋根の重みに押しつぶされています。
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街のほぼ南端ヴァルシュトラーセ/防壁通り。
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防壁の跡ロトンド、円形建築。1546年。
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この辺りには昔の塔や櫓の跡が残っていました。
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フルダ川の中州にはオートキャンプがいっぱい。
ハン・ミュンデンではお天気が回復して本当によかったです。明日以降もそうであるように。
ホテルに帰ります。明日はカッセルからマールブルクです。
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この旅行記へのコメント (8)
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- 万歩計さん 2021/08/03 12:05:28
- 想いで多いハン・ミュンデンとゲッティンゲン
- べームさん、こんにちわ。
ハン・ミュンデンとゲッティンゲン、詳しく見られましたね。懐かしい風景や建物が出てきます。
私も2018年のクリスマスの時期に行きましたが、欲張って1日で3つの街を回ったのでほぼ駆け足でした。ハン・ミュンデンのホテルは美しいと思って写真に撮ったのですが、お手頃価格で泊れたのですね。鉄ひげ博士のグロッケンシュピールもおかげで見ることが出来ました。ハン・ミュンデン駅でホームを間違え、ゲッティンゲン行きの列車に乗り損ねたのも思い出です。
私の旅行記です。
ハン・ミュンデン https://4travel.jp/travelogue/11455333
ゲッティンゲン https://4travel.jp/travelogue/11455579
万歩計
- ベームさん からの返信 2021/08/03 21:16:09
- Re: 想いで多いハン・ミュンデンとゲッティンゲン
- 万歩計さん、
書き込み有難うございます。
万歩計さんのゲッティンゲンとハン・ミュンデンの旅行記拝見しました。クリスマスマーケットの時期はまた雰囲気が違いますね。どちらもお天気がもう一つだったようでお気の毒です。でもハン・ミュンデンでは展望台まで登って素晴らしい町の俯瞰をされていて羨ましいです。私にはとても出来ないことです。私の泊まった宿も写真に撮っておられますが、田舎の町のああいったガストハウス、居酒屋兼宿屋は良いものでした。
時々お邪魔させていただきます。
ベーム
-
- blumentalさん 2021/04/20 20:28:47
- ゲッティンゲン、しっかり見ていらっしゃいますね。
- ベームさん、
今晩は。ずいぶん久しぶりとなりますが、コメントを送らせていただきます。
先日、私がゲッティンゲンの旅行記を投稿する際にこちらの旅行記を拝見し、自分の見落としの多いことに気づかされました。ベームさんはゲッティンゲンの街を東のヴィルヘルム広場から南のビスマルク小屋、西のマリエン教会まで広範囲に動いてしっかり見ていらっしゃるのに感服しました。このような訪問すべき場所があったなんて思いもよらず、ゲッティンゲンって結構あるなあと再認識させられました。
それから黒熊亭ですが、ベームさんの訪問時(私の訪問の2年前)には既に店を閉じていたこともこちらの旅行記で知りました。残念ですね、町の史跡になる店が。もしアイゼンバルトがこの宿で亡くなっていたら、マルクト広場にはガチョウ娘ではなく、鉄ひげ博士の像があったに違いないと思うのですが、さすがにそこまでは自分の旅行記に書けませんでした。
後半のハン・ミュンデンも、晴れの日の訪問をうらやましく思いつつ拝見しました。特に内部が見られなくて心残りだった聖ブラジウス教会が、こちらの旅行記では内部が紹介されており、なかなか見ごたえのある様子が分かりました。泊まられた宿はキルヒ広場のディ・レプラウスだったんですね。柱の婦人像が印象的だったんで、よく覚えている木組みの家です。木組みの出窓のある部分にも泊まれるんだろうかと女房と眺めたのを覚えています。
私のゲッティンゲンとハン・ミュンデンの旅行記を見て下さっているようでうれしく思います。コロナ禍で旅行の楽しみを奪われ、それなら今のうちに昔のネタを整理しておこうと書き始めた(ベームさんと同じ日にリューベックを訪れていた)今回の旅行記ですが、長期の中断をしたり、時に再開してみたりでだらだらと続いております。コロナもだらだらと続いている状況ですが、ベームさんもどうぞご自愛ください。
blumental
-
- merumoさん 2014/07/13 09:38:56
- 初めまして。
- ベームさん
このたびはご投票ありがとうございます。
私も次はドイツの北方面に行きたいなって思っています。
個人旅行のときはスーツケースの移動は大変ですよね。
特に今回感じたので…
色々なことに造詣が深そうでなので、とても勉強になります。
またお邪魔させていただきますね。
merumo
- ベームさん からの返信 2014/07/13 15:34:29
- RE: 初めまして。
- merumoさん、
こんにちは。
こちらこそ有難うございます。
私と違って幅広く旅行なさっていて敬服です。シャーロック・ホームズフアンの私にとってマイリンゲンは行ってみたい所ですが、なかなかスイスまでは足が回りません。
北ドイツはいいですよ。是非。この8月に2012年に続き行く予定にしています。では。
ベーム
-
- rinnmamaさん 2012/09/23 18:17:38
- 此のホテルチョイスです。
- こんなホテルに泊まってみたいです。
日常に無いホテルがいいです。
○○ホテルみたいな所よりいいですね。
どうしたら、こんな素敵なホテルが探せるんでしょう。
- ベームさん からの返信 2012/09/25 21:22:36
- RE: 此のホテルチョイスです。
- > こんなホテルに泊まってみたいです。
> 日常に無いホテルがいいです。
> ○○ホテルみたいな所よりいいですね。
> どうしたら、こんな素敵なホテルが探せるんでしょう。
rinnmamaさん、
今晩は。
これはドイツの特に田舎に多いガストホーフというレストラン兼用のホテルです。むしろホテル兼用のレストランと言った方が正しいかもしれません。
1階はレストランになっていて大抵地元の常連がたむろしています。ふつうのホテルみたいな受付なんてものは無く、厨房で料理を作っている主人が泊り客の応対をしています。
ホテル専門ではありませんので一般に部屋は狭く床はぎしぎしすることもありますが風情があり家族経営ですので応対もフレンドリーです。
ハン・ミュンデンのインフォメーションのホームページから見つけました。
ベーム
-
- rinnmamaさん 2012/09/23 18:07:29
- ここは今は何になっているんですか?
- 建物好きなので気になりました。
丁寧にブログを立ち上げて下さり、感謝しております。
行けるかわかりませんが、すごく参考になります。
すみません。
お忙しいと思いますので、返送は結構です。
これからも、自分の感想を書き込ませて頂きます。
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