2012/06/08 - 2012/06/08
10位(同エリア46件中)
ベームさん
16日目、6/8。
ハン・ミュンデンを発ちカッセル、マールブルクを巡り一泊します。マールブルクでは聖女エリーザベトに会えるのを楽しみにしています。昨日から天気は回復しました。
カッセル:人口20万人、ヘッセン州第3の都市。フルダ川が流れる。913年に文献に現われ1189年都市が成立。
第2次世界大戦の空爆で町の多くが破壊されたが、復興は他の多くのドイツの町と違って元の町に戻すのではなくて新しい街づくりを行いました。グリム兄弟は1806年から約30年間この町に住みグリム童話集を完成させています。5年ごとのドクメンタが有名、今年が開催年で明日9日から始まります。
マールブルク:人口8万人弱。ラーン川沿いの町。1139年に文献に現われる。1222年都市成立。ヘッセン方伯の領地。1228年チューリンゲン方伯未亡人エリーザベトがこの町に移り住み、善政を施す。1527年マールブルク大学設立、以後大学の町として発展。戦災をほとんど受けていない。
写真はマールブルク、エリーザベト教会にある聖女エリーザベトの像。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ハン・ミュンデンからカッセル、マールブルクへ。
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カッセルHbf。
ハン・ミュンデン8:53発CAN、カッセル着9:13。 -
カッセル駅。
荷物はコインロッカーに入れ街なかへ。駅前のクアフュルステン通りをゆきます。
駅前から大きな通りが放射状に数本延びていてどれがクアフュルステン通りかわからない。見当を付けた通りの角で紙コップのコーヒーを飲みながら煙草を吸っているフロイラインに尋ねると”ここだ”というふうに地面を指さす。なーんだ。 -
なんかの幼虫の顔のようなカッセルのトラム。
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シュテファンプラッツに入ると市立美術館があります。
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ヒュンフフェンスター通りのカッセル市庁舎。
インフォメーションがあります。
カッセルは大きな町だけあって道路が広いです。戦後の復興の再開発の結果でしょう。 -
市庁舎の隣のシネスター。
複合映画館施設と思います。 -
グリム兄弟広場。
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グリム兄弟像。
市庁舎あたりで右に曲がると小さなグリム兄弟広場があり小さな兄弟の像が建っています。
右兄ヤーコプ、左弟ヴィルヘルム。仲の良かった兄弟、寄り添って立っています。 -
広場のそばのグリム兄弟が住んでいた家です。
1814~1822年まで住んでいました。現ヘッセン州立裁判所。
随分厳めしい所に住んでいたのですね。 -
”ここにヤーコプとヴィルヘルムグリム兄弟が住んでいた。1814~1822年”。
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ヘッセン州立博物館。
グリム兄弟広場の先に建っています。1913年。 -
ヒュンフフェンスター通りに戻り右に曲がると突き当りフランクフルター通りにグリム兄弟博物館があります。
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グリム兄弟博物館。
元ベレヴュ宮殿、1714年築。入館料3ユーロ。 -
前庭のメルヒェンプリンツェシン/おとぎの王女様。
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こんな日本のポスターが貼ってありました。
新国立劇場バレエ団公演。
しらゆき姫。
原作:グリム童話。音楽:ヨハン・シュトラウスより抜粋。
2010年7月23,24,25日。 -
壁の二つの絵は、
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中世の吟遊詩人ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ。
グリム兄弟はドイツ中の伝承を集めました。 -
同じくヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ。
おそらく兄弟の調査蒐集は中世のマイスタージンガーにも及んでいたのでは。 -
シューマッハー作「ゲッティンゲンの7教授、その生涯と仕事」という本。
ゲッティンゲンの7教授とは1837年時のハノーファー王エルンスト・アウグストが憲法改悪を行い、それに反対したゲッティンゲン大学の7人の教授が国外あるいは大学追放になった事件。グリム兄弟もその中に入っていた。
挿絵の下の2人がグリム兄弟。 -
グリム兄弟。
左:弟ヴィルヘルム。右:兄ヤーコプ。 -
兄弟の末弟ルートヴィヒ・エミール・グリムの絵、彼は画家でした
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ルートヴィヒの絵。
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赤ずきんちゃん。
売店でお土産にグリム童話「ラプンツェル」を買いました。 -
カールス教会。
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シェーネ・アオスジヒト/美しい見晴らし通り、からの美しい眺め。
グリム兄弟博物館の裏の通りで文字通り眺めの良い散歩道です。 -
カッセルは小高い所にあるのですね。
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市立劇場。
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聖エリーザベト教会。
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フランクフルター通りを行くと大きな広場に出てきました。
フリートリヒ広場。 -
フレデリチアヌム博物館。
当初から博物館として建てられたものとしてはヨーロッパ最古。グリム兄弟が館員として勤務していた時もあったそうです。
ドクメンタのメイン会場になります。 -
9日からカッセルで5年に1度のドクメンタ(国際美術展)が開かれます。
この仮設の小屋でドクメンタ関係の本が売られていました。 -
広場に建つヘッセン・カッセル方伯フリードリヒ2世像。
フレデリチアヌム博物館の創設者。1720~1785年。 -
広場を横切ってメイン通りのオーベレ・ケーニヒ通りに出ました。
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オーベレ・ケーニヒ通り。
この通りのカオフハウス/百貨店の食堂で昼にしました。 -
西アフリカガンビアの子供たちを援けます。
5ユーロ寄付して写真を撮らしてもらいました。手風琴を回しているところを撮りたかったのですが、ポーズを取られてしまいました。 -
「私は西アフリカ、ガンビアの子供たちを援け、里親を世話しています。」
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ケーニヒ広場。
大きな円形の広場です。 -
オーベレ・ケーニヒ通りがクルト・シューマッハー通りにぶつかるところに背の高い聖マルティン教会が建っています。塔の高さ69M。
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聖マルティン教会。
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聖マルティン教会。
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聖マルティン教会。
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聖マルティン教会。
オルガンの練習中。 -
駅の方に戻ります。
ルター広場のルター教会。高さ75M。 -
ルター教会。
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ルター教会の墓地。
カッセルにはほかに有名なヴィルヘルムスヘーエ公園とか城もありますが、カッセルにはマールブルクに行く途中ちょっと立ち寄るだけの積りでしたのでパスです。3時間の滞在でしたが結構見るところがあり期待以上でした。 -
マールブルク駅。
カッセル12:23発RE、マールブルク13:33着。
いよいよマールブルクにやって来ました。今回の旅行で最も楽しみにしている町の一つです。 -
マールブルク駅。
内側、ホーム側です。正面は改装中で白い幕にすっぽり覆われていたので写真は無し。 -
ホテルヴァルデッカーホーフ。
1泊朝食付80ユーロ。
料金が高いばかりでダメホテル。
フロントの応対悪い。つっけんどんで温かみなし。駅前の好立地にあぐらをかいている感じ。
シャワー、水回り悪し。洋服箪笥にハンガーたったの2本。
後記:2014年に再びマールブルクを訪れたときこのホテルが無くなっていました。潰れたのなら結構なことです。 -
ホテルの部屋。
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ラーン川の中州を横切ります。
ラーン川の名は懐かしいです。2009年にヴェツラーに行ったときラーン川が流れていました。明日行くリンブルクもラーン川の町です。 -
バーンホフ通りを突き当たって左に曲がると見えました。
マールブルク訪問の最大の目的エリーザベト教会。 -
エリーザベト教会。
聖女エリーザベトを祀るため1235~1283年にかけてドイツ騎士団によりそのお墓の上に建てられました。
エリーザベト:1207~1231年。ハンガリー王女。14歳でチューリンゲン方伯ルートヴィヒ4世に嫁ぎアイゼナハのヴァルトブルク城に住む。
20歳で未亡人になった時それまでの弱い者、貧しい者への善行があだとなって城を追われマールブルクに移る。ここでも善行を施したが24歳で亡くなる。死後その徳により聖人に列せられた。 -
聖エリーザベト詣での巡礼者が今でも絶えないそうです。
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以下エリーザベト教会です。
写真が多いですがそれだけ見どころのある教会です。 -
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中央扉とタンパン。
天国への入り口と呼ばれ、聖母マリアに抱かれた幼子イエスの像がある。 -
身廊。
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聖十字架祭壇。
中央にバーラッハ作の磔刑像があります。 -
エルンスト・バーラッハ作の十字架のキリスト像です。1931年。
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身廊。
高さ20m。 -
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側廊。
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中央祭壇。
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後陣のステンドグラス。
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真ん中がエリーザベトです。
内陣にあります。 -
聖エリーザベト。
1511年。 -
聖エリーザベト。
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リッペ伯の墓石。
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方伯内陣。
歴代のヘッセン方伯の墓所。 -
聖エリーザベトの聖遺物箱。
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後世、時のヘッセン方伯が宗派をカトリックからプロテスタントに替えたとき、聖遺物崇拝を止めるため中の遺物は他へ移されたそうです。
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聖十字架祭壇の左手の壁面にに祀られている像があります、近寄ります。
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近づいてきました。これがあの・・・。
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これが私が逢いたかった聖女エリーザベト像です。
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この神々しい姿を見るためにマールブルクに来ました。
1470年頃フランス人による作だそうです。 -
なんと美しい、頬の紅色はまるで生きているようではありませんか。
これに比肩しうる像はヴュルツブルクのマイン・フランケン博物館にあるリーメンシュナイダーの「悲しみのマリア」像、それに後日アシャッフェンブルクの聖アガタ教会で見た聖アガタ像だけだ、と私は思っています。 -
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聖女エリーザベトの祭壇。
1300年頃。 -
その下部には分かりにくいですがエリーザベトの奇跡の一場面が描かれています。
一番左の絵です。ベッドの上に十字架のキリストが横たわっています。
あるときエリーザベトが病んだ貧しい人を自分のベッドで休ませていると、それを見た家来が方伯ルートヴィヒに”お妃が男をベッドに連れ込んでいる”と告げ口をした。方伯がベッドの覆いを剥いで見るとそこに横たわっていたのは十字架のキリスト像だった、というのです。
右の絵は、1236年ホーエンシュタオフェン家の神聖ローマ帝国皇帝フリートリヒ2世立会いの下エリーザベトの棺が開けられるところ。いかに彼女が崇められていたかが分かります。 -
左の絵拡大。
ベッドに横たわるキリスト像。 -
右の絵拡大。
エリーザベトの棺を見下ろす皇帝フリートリヒ2世。 -
聖女カタリーナの祭壇。
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エリーザベトの霊廟。
右の天蓋のある所がエリーザベトの墓棺があった所。
左が聖マリアの祭壇。 -
エリーザベトの墓。
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祭壇の下部、エリーザベトの墓の浮彫。
エリーザベトが横たわっています。棺の側面にはエリーザベトに施しを求める貧者たち、あるいはエリーザベトの死を悲しんでいるのかも知れません。14世紀中頃。 -
聖母の祭壇。
マールブルクの夕べの祈り、と呼ばれている。1400年頃。 -
聖母の祭壇。
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マールブルクの夕べの祈り拡大。下部にはピエタ像。
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ピエタ拡大。
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死の床のエリーザベト。
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死の床のエリーザベト。
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ジッペン・アルター、一族の祭壇。
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ジッペン・アルター。
聖家族を表している。 -
柱の聖母。
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バラの奇跡伝説。
大飢饉のとき、エリーザベトは城内でパンを造り密かに人民に与えていた。それはご法度だった。ある時彼女が衣に隠してパンを城外に持ち出そうとしたところを夫が見とがめた。
すると中から出てきたのはバラの花だった。彼女のアトリビュート(持物)はバラの花です。 -
ヒンデンブルク夫妻の墓。
聖女エリーザベトと軍国主義者ヒンデンブルクが同じ教会に眠るなんて納得できません。なんでも第2次世界大戦の敗北でヒンデンブルクの墓がソビエト軍により荒らされそうになった時、アメリカ軍がそれをエリーザベト教会に移したそうです。
ヒンデンブルク:1847~1934年。第1次世界大戦の元帥で当時ドイツの国民的英雄。戦後のヴァイマール共和国第2代大統領。ヒトラーを首相に登用しナチ台頭の道を開いた。 -
木彫りのマリア像。
15世紀。
なんとも素晴らしい教会でした。いつまでも居たいですが最大の目的を達したので一旦ホテルに帰ります。 -
ホテルで一休みしてから町の中心部に出かけます。マルクト広場は小高い所にあるのでエレベーターに乗るためウエルカムホテルの前のエレベーター乗り場までタクシーで行きました。5ユーロ。
エレベーター。ドイツ語でアオフツークと言います。エレベーターは何語でしょう。朝7時から夜中の1時半まで動いています。 -
エレベーターを上がった所。
マルクト広場はすぐです。 -
マルクト広場。
こじんまりした広場です。 -
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マルクト広場の市庁舎。
1527年。 -
マルクト広場。
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方伯城の石段。
マルクト広場から城までは結構な坂道です。しかも石畳で歩きにくい。
石段になにやら書いてあります。 -
石段から後ろを振り返ると聖マリエン教会とマールブルクの町です。
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ヘッセン方伯城/マールブルク城、ヘッセン方伯の居城。
方伯って聞きなれない名前ですね。
辞書を引いてみますと方伯とはLandgrafの訳で、神聖ローマ帝国領域内の領主に与えられた称号で公爵の次、伯爵に相当する位のようです。Landは国とか地方、田舎、Grafは伯爵ですが方伯とは変な訳ですね。田舎伯と言った方が面白い。 -
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1529年、ここでルター、ツヴィングリ、メランヒトンらの宗教改革者がヘッセン方伯フィリップ1世の招集でキリスト教の教義の解釈についての宗教会議を行っています。キリスト教の儀式である聖餐におけるパンと葡萄酒にキリストの体と血が入っているか否かといった、いささか浮世離れしたことも口角泡を飛ばして議論されたそうです。
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現在城はマールブルク大学文化史博物館になっています。
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城からの眺め。
聖マリエン教会。 -
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城から降りていきます。
城の麓にある聖マリエン教会。 -
以下聖マリエン教会。
身廊。 -
祭壇。
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法学を学ぶグリム兄弟が教えを乞うたザヴィニー教授の家が見つかりました。
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ところがこの家の案内板にはベッティーナ・フォン・アルニム(旧姓ブレンターノ)の住んだ家、との見出しで、最後に”彼女は1805~1806年この家に姉のグンダと義兄フリートリヒ・カール・ザヴィニーと一緒に住んだ”と書かれている。
主役はアルニムでザヴィニーは付け足しに過ぎない。
ドイツではドイツロマン派の閨秀作家アルニムの方が一法学者ザヴィニーよりずっと有名なのですね。
ベッティーナ・フォン・アルニム:1785~1859年。有名なロマン派の作家ブレンターノの妹。ゲーテとの往復書簡集が有名。グリム兄弟とも親交があった。 -
聖ヨハニス教会。
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バーフュサー通り。
ガイドブックにはこの通りにグリム兄弟が下宿していた家があると書いてあったが、2往復しても見つけられませんでした。 -
バーフュサー通り。
マルクト広場に続く目抜き。 -
マールブルクは坂の多い街です。少々歩き疲れました。おまけに今日は天気に恵まれ暑いくらいです。一休みしましょう。
昼間飲むビールは美味しいが、あとで身体がだるくなるのがいけない。 -
マールブルク大学。
1527年、ヘッセン方伯フィリップ1世が創設。プロテスタント系としてはドイツ最古。グリム兄弟は1802~1805年ここで法学を学ぶ。
ほかにこの大学で教えまたは学んだ人に、哲学者ハイデッカー、カール・バルト、ロシアの詩人パステルナーク、日本の哲学者三木清がいます。 -
卒業式でもあったのでしょうか。学位を取った学生が嬉しそうに記念写真を撮ってもらっています。横は母親とその兄弟でしょうか。
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再び市庁舎前に戻ってきました。
数人の若者が棒を持って何やら始めるようです。 -
そのうち若者たちは棒を持って走ったり輪になって踊り始めました。真ん中の2人は大きな手押し車を押しています。意味不明。
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この家にも著名人が住んでいたようです。プレートが掲げられています(入り口の左の白い壁)。
大学の町だけあって昔から多くの文化人が住んでいたのでしょう。 -
作家ブレンターノと妻ゾフィーが一時住んだ家です。
”クレメンス・ブレンターノ。1778~1842年。ロマン派の詩人・作家。
卓越した叙情詩人、物語作家、劇作家。民謡の蒐集、編纂家。この家に妻ゾフィーと1803~1804年住んだ”。
ベッティーナ・フォン・アルニムの兄です。 -
古書取扱い。いかにも学生向けの本屋といったたたずまい。
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ヴェッターガッセ。
帰りは歩いて長い坂を下ります。 -
坂は途中からシュタインヴェーグと名前を変えます。
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坂を下りきったところにある古い水道栓。
飲み水ではないと書いてあります。坊や飲んではいけないよ。 -
アインホルンアポテーケ。
一角獣薬局ですか。日本では町を歩いても調剤薬局しか目につきませんがドイツの薬事制度はどうなっているのでしょうか。どの町に行っても由緒ある古い薬局が有るというのはいいですね。ラーツアポテーケ、マルクトアポテーケ、レーヴェンアポテーケ、あるいはルターアポテーケ、クラーナハアポテーケなど。どの薬屋にも古い棚や引き出しに薬の瓶がずらりと並んでいます。 -
エリーザベト教会が西日に輝いています。
マールブルクを終わります。ホテルを除きいい訪問でした。エリーザベト詣でも出来たし。明日はリンブルク、イトシュタインです。 -
-
教会の裏の聖エリーザベト病院。
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この旅行記へのコメント (5)
-
- 旅するうさぎさん 2014/10/16 20:44:10
- 聖エリーザベト
- ベームさん、こんにちは。
先日も拝見したのですが、
2012年のマールブルクの旅行記を今日も拝見しました。
私も旅をして聖エリーザベトという人物に興味を持ったからです。
エリーザベト教会は大変立派な教会なのですね。
内部の聖エリーザベト像もお写真で拝見して、
教会の模型を持っているエリーザベト像とは
こういうものなのかとよく分かりました。
(私の持っている聖人事典に、この方のアトリビュートは
教会の模型と書いてあったので、どんなものかなと
思っていました ^-^)
この像も素敵ですが、木彫りの柱の聖母の脇に
描かれている聖エリーザベトも素敵ですね。
左手には教会、右手にはパンを持って
恵まれない方にそのパンを差し上げているように見えます。
もう絵は消えかけていていますが、
私にはそのように見えました。
描かれた当時は、きっと色鮮やかだったのでしょうね。
そしてこの構図は、私がチロルの教会で見た
ステンドグラスの聖エリーザベト像と似ています。
本当に、徳の高い人だったから、
各地で今でも愛されている聖人なんですね。
ベームさんの旅行記を拝見し、
しみじみとした気持ちになりました。
ありがとうございました。
旅するうさぎ
- ベームさん からの返信 2014/10/18 22:56:16
- RE: 聖エリーザベト
- 旅するうさぎさん、
こんばんは。
マールブルクの旅行記に関心をお持ちいただき有難うございます。
そこの聖エリーザベト教会、特に聖エリーザベトの像は大好きなんです。死して数年後に聖人に列せられるということはいかにエリーザベトの徳が高かったかを示していると思います。
教会の模型が聖エリーザベトのアトリビュートだとは知りませんでした。そうですか、勉強になりました。柱の聖母の横の聖エリーザベトのフレスコ画、よく気が付かれましたね。私は旅するうさぎさんのご指摘で初めて気が付きました。
聖エリーザベト教会には今年のドイツ旅行でまた行ってきました。2012年の時よりじっくり見てきました。旅の後半なので旅行記のアップはまだ先になりますが是非見てください。
昨日今日とちょっとバタバタしていてお返事遅れました。申し訳ありません。
ベーム
-
- とめきちさん 2012/07/12 21:33:45
- おこしやす〜
- どうも、投票ありがとうございます。
遊びに来てくださったのですね。
いかがでしたか?
海外のネタを出そうと思ったら、すでに干支が一周していたので、思い出せないよな〜って、断念ですわ。
そろそろドイツに行ってみたい!
ドイツをネタにした、お話も書きたい!
と言うわけで、ドイツと聞くと見に行きたくなります。
ほかのページもおじゃましちゃいますよー。
-
- とめきちさん 2012/07/12 21:33:45
- おこしやす〜
- どうも、投票ありがとうございます。
遊びに来てくださったのですね。
いかがでしたか?
海外のネタを出そうと思ったら、すでに干支が一周していたので、思い出せないよな〜って、断念ですわ。
そろそろドイツに行ってみたい!
ドイツをネタにした、お話も書きたい!
と言うわけで、ドイツと聞くと見に行きたくなります。
ほかのページもおじゃましちゃいますよー。
- ベームさん からの返信 2012/07/13 18:28:53
- RE: おこしやす〜
- とめきちさん、
メッセージ有難うございました。
ユニークなブログ、面白いです。これからもどんどん出てきそうですね、期待しています。海外版も是非。
ベーム
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