2012/06/10 - 2012/06/10
78位(同エリア418件中)
- #街歩き
- #中央大街のマンホール蓋
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SUR SHANGHAIさん
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哈爾濱(ハルピン)の街の観光名所の一つは、1900年代初めの西洋建築が並ぶ中央大街。
市内にはまだまだ古びたままの西洋建築が軒を並べる地区もありますが、この中央大街沿いの建物はどれもきれいに補修されておしゃれな繁華街になっています。
歩行者専用道になった石畳の中央大街は、昼の散策も夜の散策も楽しめる観光地。
地元の人たちにとっての中央大街は、お買い物やイベントを楽しみにやって来る場所。
そんな中央大街の昼と夜をご紹介します。
表紙の画像は、レトロな街灯が点る中央大街の夜の始まり。
●注: ハルピン滞在中に撮った中央大街や防洪紀念塔周辺の画像は、この日の旅行記としてまとめてアップします。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
哈爾濱(ハルピン)の観光の目玉になっている中央大街は、1900年代初期に建てられた西洋建築がきれいに修復されて並んでいる繁華街。
その北端は松花江の岸に立つ防洪紀念塔、南端は哈爾濱万達假日酒店(ホリデイ・イン・シティ・センター)がある経緯街で、全長は1.5kmほど。
ホリデイ・イン・シティ・センターからは、お部屋の位置によってはその中央大街がよく見えますよ。
この画像だと、街路樹がまっすぐに並んでいる道が中央大街。
2重になった窓ガラスが汚れていたりしてきれいに撮れなかったのが残念。
ホテルを出てすぐ目の前の経緯街を渡った所が中央大街の入り口。
中央大街や松花江、聖ソフィア教堂あたりを見て回りたい方にお勧めの立地です。
所在地:経緯街90号 列車駅のハルピン駅へはタクシーで5分ほど。燃油費2元込みで10元程度。
ハルピン空港へはタクシーで40分ほど。高速道路料金、燃油費込みで125元程度。 -
哈爾濱万達假日酒店(ホリデイ・イン・シティ・センター)から経緯街を渡って中央大街への行き帰りで気を付けたいのは、経緯街には横断歩道はあっても信号が無いこと。
数車線もある広い道なのにどうして? (・・?
歩行者にお構い無しの車がビュンビュン走ってきます。
慣れない方は、地元の人のタイミングに合わせて一緒に渡るといいですよ。 -
これが、哈爾濱万達假日酒店(ホリデイ・イン・シティ・センター)から経緯街を渡ってすぐの中央大街の南端。
ゲートのほかに記念碑が立っていて、中央大街の簡単な説明も出ています。
中央大街は歩行者専用の繁華街になっているので、タクシーで来た方もここで下車して後は徒歩でどうぞ。
1900年代初めに建てられた西洋建築がきれいに補修されたショッピング街になっていて、メイド・イン・ロシア製品のお店、日本でもお馴染みのファスト・フード店も多数。
中国にいながら中国ではないような雰囲気を楽しみながら散策してみるといいですよ。(*^。^*) -
中央大街南端にあった記念碑によると、中央大街が形成され始めたのは1900年。
●注: 1898年と出ている標識もありました。
この画像は、1901〜1902年の中央大街の様子。
現在は建築芸術館になっている聖・索菲亜教堂(聖ソフィア教堂)内に展示されてあった哈爾濱(ハルピン)の歴史+建築を紹介する写真の一枚です。
下記の旅行記にその他の展示写真をいくつかアップしておきましたので、参照してみたい方はご覧ください。
★楊柳の綿毛舞う頃 −聖ソフィア教堂の昼と夜
http://4travel.jp/traveler/casa/album/10683710/ -
中央大街沿いには、1900年代初めに建てられた西洋建築がきれいに補修されて並んでいたり、現代的デパートなども合間に出来ていたり。
この画像奥に見えているEURO PLAZAもその一つ。これは2006年に出来たんだそう。
ちょっと行ってみたら、おしゃれなお店がぎっしり。スタバや吉野家も入ってましたよ。
実はSUR SHANGHAIは今回が初めての哈爾濱(ハルピン)訪問と言うわけではなく、1997年にもこの中央大街を歩いた事があったんですが、その時から比べても、ずいぶんきれいになったと思います。
これはうれしい驚き。 -
かつては中国大街と呼ばれた中央大街。
中央大街と改名されたのは1925年の事。
ちなみにロシア語名はキタイスカヤと言うんだそう。
そんな中央大街沿いには、ロシアン・グッズのお店も大小多数。
≪ロシア≫は中国語では≪俄羅斯≫。
●注: 画像に出ているのは簡体字。
売られているのはキャビアやチョコレートなどの食品、ミリタリー・グッズやマトリョーシカなどの手工芸品。
突っ込みどころ満載の品もあれこれ個性豊かに並んでいます。
覗いてみます? (^◇^) -
中央大街界隈で買ってみたロシア由来の食品。
左側はクワス。
元々はロシアや東欧の家庭でも作られていたライ麦と酵母、またはパンと酵母を原料として作られる甘酸っぱい微炭酸飲料。
哈爾濱(ハルピン)ではペットボトル入りクワスが製造されていて、あちこちの売店で売られています。350ml入りだと、お店の場所によって3〜5元位。
中国語では格瓦斯(グワス)と漢字が当ててあります。
見たり飲んだりした感じは、微炭酸入りリンゴ・ジュースのよう。
地元の人たちにも人気です。1度、お試ししてみては?
夏場はきっちり冷えているものを選びましょう。
本来のクワスは1〜2.5%程度のアルコール分も含まれているんだそうですが、このペットボトル入りはノン・アルコール飲料になっています。
右側は、ロシア産のチョコレート。
大きく描かれた子どもの顔がなんだか気になってお買い上げ。20元位だったかな。ほかにも色々ありました。
お味は? う〜ん、子どもの頃に駄菓子屋さんで買ったチョコのようで、懐かしいと言えば懐かしい。
それにしても、この子の顔、もう少し明るい表情にしたら?
ちょっと怖い…。(;^ω^) -
現代の中央大街周辺には、100年の時差で造られた建物が混在。
なんだかとってもシュールな散歩道。 -
中央大街の一本西側にある通江街にもちょっと寄り道。
この通り沿いにも、1900年代初めに建てられた歴史的建築物がきれいに修復されてさりげなく立っているんです。
その中のいくつかをご紹介。
これは、通江街108号にある韃靼(だったん)清真寺。
●注: 清真寺というのは、中国語ではイスラム教のモスクの事。
出ていた説明によると、創建は1906年、1922年に再建、そして今見る姿になったのは1937年の事だそうです。
設計者はY.P.RIDANOVという人物。
あれ? 果戈里(ゴガリー)大街の旧・在哈爾濱日本国総領事官邸にもY.P.RIDANOV設計っていう説明があったっけ。
同じ人物がモスクも設計したの? (◎o◎) これは大発見。
このモスクは、塔部分に草が生えていた。(;^ω^)
これって、取り除いた方がいいんじゃないの? -
上記の韃靼(だったん)清真寺からすぐそこの通江街86号には、旧・ユダヤ人中学校もあってびっくり。
1900年代初めの哈爾濱(ハルピン)がずいぶん国際的な街だったのがこのことからもうかがえると思います。
設計はJOSEPH Y.L.YEVIKI LIEVEIKINのこの建物は、1910年にはユダヤ人小学校としてオープン。
その後、1918年にはユダヤ人中学校になったり、1925年にはグラズノフ音楽学校が入っていた事もあったのだそう。
現在の標識には、哈爾濱市朝鮮族第二中学校と出ていたり、韓国語学校にもなっているようでした。
建物の一角には小さいスーパーも入っていて、この建物も100年の間に大きな変遷を辿っているんだなあ、としみじみ。 -
旧・ユダヤ人中学校のそばには、旧・シナゴーグもあった通江街。
1907年着工、1909年に落成した建物で、設計はH.A.KAZY-KIREIという人物。
シナゴーグ内には、シオニスト組織が入っていたり、『猶太(ユダヤ)生活』の編集室もあったんだそう。
1931年の火災後に再建されたものの、1963年にはシナゴーグとしての歴史は閉じられたようです。 -
窓に残るダビデの星が印象的な通江街の旧・シナゴーグ。
今ではユース・ホステルやカフェ、ピザ屋さんも入っていて、時の移ろいを感じさせる建物になっていました。 -
さて、戻って来た中央大街。
中央大街は、南は経緯路から北は防洪紀念塔までの全長1.5kmほど(正確には1.45km)のまっすぐな道。
ところどころに標識も立っていて、ホテルや見所となる建物のほか、お食事処、銀行や郵便局などの位置も出ています。
標識には出ていなくても、道沿いには薬局、トイレタリー・グッズやコスメも置いてあるドラッグ・ストア、日本でもお馴染みのファスト・フード店があって、旅行者にとっても便利な場所。 -
中央大街89号にある馬迭爾賓館(モダン・ホテル)は、ピンク色のクラシックな外観が目を引きます。
その正面に向かって左手には、このホテル特製のアイス・キャンディー屋さんやパン屋さんがあって、昼も夜もいつも賑わっていました。
SUR SHANGHAIも気になって、ちょっとお試ししてみることに。
●注: アイス・キャンディー屋さんは夏季のみの営業かも?
画像右上がアイス・キャンディー部門。
緑色の屋根が出ているお店では一本2元のバニラ味のみ。
ちょっと暗く写っている軒下のお店で売っているのはクリーム味とコーヒー味の2種で、こちらは一本5元。
どれも日本のアイス・キャンディーと同じ位の大きさ。
袋はかけていなくて、棒を上にして冷凍ボックスの中にずらりと並べて売っているのもレトロな感じ。
画像では見えにくいんですが、表面に簡体字でホテルの名を入れているのがご愛嬌。
硬さはほどほどで、軽く噛むとホロホロ崩れます。
どこか懐かしい甘さで、また食べてみたくなる味。
画像右中央のパン部門にもいつも人が並んでいます。黄色い看板が目印。
パンの種類は、トースト用の大小のローフ、レーズン入りローフ、肉デンブ入りローフ位。
地元の人は、1人で大きいローフを10個などとまとめ買いしていく人も多数。
SUR SHANGHAIはレーズン入りローフの小(2元)をお持ち帰り。
このお値段のローフは、掌いっぱいに乗るくらいの大きさ。
ほんのり甘くふわふわと柔らかいので、ちぎって食べているうちに1人で1個は楽勝。
食べている間は気になりませんでしたが、油分を結構使用しているようで、下に敷いた紙に油が染みていました。
美味しかったですが、食べすぎにはご用心。 -
街角に、かつての人々の生活の様子を再現した銅像を置くのって、世界のあちこちで見かけるようになった。
一種の流行なのかな。
哈爾濱(ハルピン)の中央大街で見かけたのは、かつて≪東洋の小パリ≫と呼ばれた頃の様子かな。
着飾った婦人たちと、街角でキャンバスを広げる画家さんの取り合わせ。 -
中央大街は、いつ通りかかっても何かしらイベントがあった。
気候・天候がよくなって、地元の人たちも外に繰り出す時期になったからかな。
新しいお店の開店記念イベントには楽団が賑やかにやって来たり、ここには画像は無いんですが、女性の下着専門店では、店先できれいなモデルさんが新作発表(?)をしていたり。
通りかかった人々(主に男性ですが。(~_~;))の人垣が出来てました。
中国も、この方面ではずいぶんオープンになったなあと思う。
一度は、日本の山形県からやって来た花笠踊りチームも見かけてびっくり。(◎o◎)
中央大街で踊りを披露した後は、これもたまたま通りかかった人たちからアンコールの声が挙がってました。
お疲れさま〜!
山形県には哈爾濱(ハルピン)と友好都市になっている街があったっけ?
…と調べてみてもそういう訳では無いらしい。
文化や物産の交流会があって、そのイベントの一つだったのも。
ちなみに、ハルピンと友好都市になっているのは、日本では新潟市と旭川市のようです。 -
西洋建築が立ち並ぶ中央大街の中でも、そのデザインとパッと明るい黄色で印象に残る建物はこれ。
1922年頃には中国大街商場と呼ばれたショッピング・センターで、今はロシアン・グッズなどのお店が入っています。
●注: 上の方にも書きましたが、かつては中国大街と呼ばれたこの道が中央大街と改名されたのは1925年の事だったそうです。 -
中央大街に並んでいる1900年代初めの西洋建築群の一つ。
特筆すべき建物には外壁にプレートが出ていて、建築年代、建築様式、元は何の建物だったのかなどが書いてあります。
気になる建物に出会ったら、ちょっと見てみては?
外壁の色は、これまで見て来たとおりまちまち。
オリジナルの色のままで塗り替えているんですよね、きっと。
建築芸術館になっている聖・索菲亜教堂(聖ソフィア教堂)の1900年代の街並み写真はモノクロだったから比較できない…。 -
中央大街沿いで見つけたマンホールの蓋。
上段の画像の物は、中央大街北端にある防洪紀念塔とその周りの列柱がモチーフ。蓋の中央にも名前が出ています。
その記念塔については後述する事にして、蓋の外側には≪排水≫≪哈爾濱市中央大街≫の簡体字表記と、その発音のアルファベット表記。
≪排水≫まで、わざわざアルファベットで≪PAI SHUI≫と書かなくてもいい気がするけど。
でも、日本でも、≪汚水≫と並んで≪OSUI≫と書いてある蓋を見たことがあるのよね…。(~_~;)
中段の画像は、かつて≪東方の小パリ≫と呼ばれた哈爾濱(ハルピン)を髣髴とさせるようなピアノ(?)を弾く優美な女性がモチーフ。
その横に≪MUSIC CITY 音楽之都哈爾濱 ≫と出ているように、ハルピンは音楽の都でもあるんです。
かつてはロシア人演奏家を主体にした交響楽団もあって、次のウィキペディアのページにも紹介されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%B3%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%A5%BD%E5%9B%A3
一番下の画像のものは給水用。
一頭立ての馬車がモチーフ。パイプをくわえた御者さんが馬を操ってます。
これと同じ絵柄の排水用マンホールの蓋もありましたよ。
上の方には、哈爾濱市中央大街の中国語発音をアルファベットに置き換えて書いてあるんですが、そのうち一つの≪ N ≫がロシア語風に反転しているのは間違い? それとも故意?
馬車の下に見えている字は、≪老街余韻≫とそのアルファベット表記。
はいはい、歴史の余韻を感じさせる絵模様の蓋ですね。 -
中央大街の北端に近づいて、行く手に細く小さく防洪紀念塔が見えて来た。
ここでは幅の広い友誼路が横断しているため、この部分の中央大街は地下道になっていました。
その名も、≪中央大街人行通道≫。
どれどれ、と幅広の階段を下りて行くと…、 -
…以前行ったモスクワの地下鉄駅構内のような≪中央大街人行通道≫。
この地下道には、通路としての機能以外に、迷路のようになった地下ショッピング街に入っていく入口もありました。
ここだけではなく、哈爾濱(ハルピン)の大きな交差点の地下通路にはびっくりするほどの規模の地下街が入っていたりします。
SUR SHANGHAIが見た限りで一番大きかったのは、黒龍江省博物館が面してる広場兼交差点の地下街。
ここは何本もの広い道が交差している場所だったので、地下街の規模も広大且つ巨大迷路のよう。
お時間がある方は、こういう地下街を探索するもよし。 -
さてさて、友誼路下の地下道を渡って出た先が中央大街の北端。
そこで必ず目に留まるのは、この防洪紀念塔(=哈爾濱市人民防洪勝利紀念塔)。
●注: 中国語では、≪記念≫を≪紀念≫と書きます。
1957年の松花江大洪水の際、ハルピン市民が一丸となって街を守ったのを記念して、1958年に建てられたのだそう。
塔の周りには、ローマ風の列柱が半円形に並んでいるのも印象的な設計。
列柱の向こう側に行くと、松花江の流れが目の前です。
お天気がいい6月中旬には、遊歩道沿いに植えられた楊柳の綿毛がふわふわ飛んで来て、訳も無く心がうきうき。
夜にはこの塔前に設置された大ステージでコンサートがあったり、レーザー光線やライトアップも美しい場所。
その様子は、この旅行記後半でご紹介します。
防洪紀念塔はすでに松花江南岸沿いの斯大林(スターリン)公園の一部でもある場所。
松花江沿いの様子については、別の旅行記に仕立てようと思います。 -
松花江南岸に立つ防洪紀念塔。
その高さ22.5mあるという塔のてっぺんを飾っているのは、松花江大洪水の際に一致団結して哈爾濱(ハルピン)の街を守った市民を表した群像。
旗を掲げ、胸を張る人々の表現方法が、いかにも中国的な造りになってます。
その記念塔の足元に目をやると…、 -
…まず目に入るのが、塔の基部にある哈爾濱市民群像のレリーフと、≪哈爾濱市人民防洪勝利紀念塔≫の文字。
更にその塔の根元を取り巻く段々になった池があって、赤い線と文字が出ているのが目に入ります。
それぞれの池の高さが、1932年と1957年の松花江の洪水の高さだそうです。
画像をクリックして元画像にすると大きく表示されます。
下の池の高さが1932年8月12日の洪水の水位、その上の池の高さが1957年9月6日の洪水の水位、更にその上には、1998年8月22日の洪水の水位が、それぞれの最高流水量と共に出ています。
●注: 水位の数字に、それぞれ119.72m、120.30m、120.89mと出ていて、Σ(・ω・ノ)ノえっ、松花江の平均水位からの高さ!?とびっくりしましたが、これは海抜で表した洪水時の水位だそうです。
ちょいと分かりにくい表記じゃないでしょうか…。(;^ω^)
ともかく、松花江から溢れた水が、この赤い線の高さで哈爾濱(ハルピン)市内になだれ込んだと言うのは分かったので、相当な災害だったのは容易に想像が出来ました。
その洪水から、人々はどうやって街を守ったのかも説明が欲しかったなあ。 -
さて、後半では、同じ中央大街や防洪紀念塔周辺の夜をご紹介。
どちらもライトアップされて、昼よりもきれいな位。
できれば昼・夜とも歩いてみるといいですよ。
これは、この旅行記の出だしでもご紹介した、哈爾濱万達假日酒店(ホリデイ・イン・シティ・センター)お向かいにある中央街南端のゲート。
昼とは全然雰囲気が違って見えます。 -
中央大街南端のゲート脇には、こんなレトロな西洋建築に入ったKFCがあって24時間オープン。
哈爾濱万達假日酒店(ホリデイ・イン・シティ・センター)から経緯街を渡ってすぐの場所で便利ですよ。
夕暮れには、壁に出ているカーネルおじさんの看板も美しくライトアップ。
今ではKFCが入っているこの建物の正体は、と申しますと…、 -
…それは、建物外壁に出ているこんなプレートを見ると一目瞭然。
この建物だけではなく、1900年代初めに建てられた哈爾濱(ハルピン)の西洋建築にはよくこんな説明プレートが出ていますよ。
これによると、中央大街南端にある現在はKFCが入っている建物は1914年創建。当時は哈爾濱一等郵便局だったようです。
元々は2階建てだったのを、80年代には増築して3階建てに。
折衷主義の建築らしいけど、何と何の折衷なんだろ? (・・?
…無知なSUR SHANGHAIで申し訳ありません。<(_ _)> -
夕方からはライトアップされて雰囲気が一変する中央大街。
気候・天候がいい時期には、道沿いの商店を冷やかしながら、気持ちいい散策が楽しめますよ。(*^。^*) -
中央大街からいくつも出ている脇道は、イベント用広場的に使われている所もあって、この時には地元のビール会社主催(?)のビヤガーデン+屋台村と言うか、臨時のフードコート的なお食事場所が3ヶ所にありました。
屋台の料理は、中国各地の味がずらり。
串焼き屋台の隣にタンタン麺のお店があったり、無難なところではチャーハンや焼きそばのお店も。
串焼きのお店の商品には、肉・魚・野菜類に混じって、昆虫なども並んでました。
ご自分の嗜好に合わせて注文しては?
店先で注文したら、出来上がりを待って自分で取りに行くセルフ・サービス。
一品数元程度から。少しずつあれこれ試してみるといいですよ。 -
SUR SHANGHAIとその旦那が入ってみたのは、上に出した画像のビヤガーデン兼屋台村。
雪花と言う風雅な名前のビール。
SUR SHANGHAIはアルコールは受け付けない体質なので、これは旦那が頼んだもの。
瓶とは不釣合いに大きいジョッキは、要デポジット。
20元だったかな?
使い終わったらカウンターに返すとデポジットが戻ってきます。
最近の中国のビールって、どれもこれもずいぶん色が薄くなったなあ。
旦那によると、お味の方もずいぶん薄くなって水みたいだそうです。
この雪花ビールも、「う〜ん…。(−−〆)」で終わり。
羊肉の串焼き一本5元はよかったけど、牛肉のは固すぎて今ひとつだったね。
野菜チャーハンはピリ辛で合格! -
中央大街に出て、その南端方向を振り返る。
画像奥に見えているビルが、今回泊まってみた哈爾濱万達假日酒店(ホリデイ・イン・シティ・センター)。
ホリデイ・イン以外にも、中央大街周辺には大小のホテルが結構あります。
ハルピンのホテルはお値段と内容が釣り合わなかったりしますが、観光目的ならこのあたりに泊まってみては? -
青い夕闇が降りて来て、ライトアップが始まる時間帯の中央大街は、立ち並ぶ西洋建築のお陰で、ヨーロッパの古都に来たかと思うほど。
哈爾濱(ハルピン)がかつては≪東洋の小パリ≫と呼ばれたのが、なるほどなあと納得できます。
漢字の看板がなかったら、「ここは中国!」と当てられる人はいないんじゃないでしょうか。 -
イチオシ
中央大街の夜は、右を見ても左を見ても、そのライトアップされた西洋建築群がすばらしい。
キョロ(゚∀゚≡゚∀゚)キョロ
歩行者専用道になっているので、乱暴な運転の車には注意しなくて済むのがうれしい散歩道。 -
6月中旬の昼間は半袖でも暑い位だった哈爾濱(ハルピン)。
夕暮れからはちょっと涼しくなって、中央大街のそぞろ歩きが心地いい。
街行く人たちもゆったり気分。 -
中央大街の西洋建築も夕闇の中に紛れそうな時刻。
なんだか静かな夜の始まりだね。 -
イチオシ
レトロな街灯が点る中央大街。
この画像だけ見たら、とても中国にいるとは思えない。
ポツリと通りかかる人のシルエットも粋な道筋。 -
哈爾濱(ハルピン)には、ロシアン・グッズ店のほか、ロシアの名を冠したその他のお店も多く、ロシアからの人々もよく見かけます。
中央大街にあるこの露西亜珈琲西餐庁もその一つで、ロシア料理+カフェのお店になってます。
外観もお店の内部も雰囲気がよさそうだったので一度行ってみました。
所在地:西頭道街57号。 西頭道街は、中央大街の北端近くにある脇道。
内部は、小さいテーブルが10ほど入ってこぢんまり。
1900年代初めのインテリア+壁に掛けられたレトロな写真類がいい雰囲気でした。
でも、ホール係もキッチン係のスタッフも1人ずつだけのようで、お客の入りは多くはなかったのにサービス面・食事面ではとてもガッカリ。
この時だけだったのかなあ…。(−−〆)
注文をなかなか取りに来ない、から始まって、注文したい物は「あれは無い、これも無い。」
この時点でお店を出ればよかった…。
食事内容の詳細はここではパス。
お店内部の雰囲気を味わってみたい方は、中央大街散策ついでに飲み物だけの休憩で行く方がいいかもです。 -
中央大街の北端に近づいて、また友誼路を渡る地下道前までやって来た。
このあたりも夕方からだと一層≪東洋の小パリ≫的雰囲気が増して見える。
画像奥で光り輝いているのは、防洪紀念塔を取り巻く列柱から発射されるレーザー光線と、記念塔前に設置された大ステージの照明。
コンサートがあるんだね。 -
友誼路を渡る地下道を出た所にあるのは、新しく補修(?)されたばかりの西洋建築。
まだこの部分は外側が出来たばかりのようで、中はガラ〜ン。
シェラトン・ホテルっぽいSの字が出てるけど…。(・・?
ちなみに、棟続きのように見える画像奥部分には、哈爾濱新凱莱花園大酒店(ハルピン・ニュー・グロリア・プラザ・ホテル)が入ってました。
見た目の雰囲気がいいし、松花江もすぐそこだから、立地はいいよね。
でも、目の前でロック・コンサートがある日は、ちょっと落ち着けないかも。 -
イチオシ
中央大街北端の防洪紀念塔前で開かれていたコンサート。
そのステージ前に集まって来る人たちの影が濃い。
哈爾濱(ハルピン)は冬が厳しいから、気候のいい季節になると、「わ〜〜〜〜っ!!」と冬の間蓄積されていたエネルギーを発散させるんだろうな。
この日の内容は、内外のロック系ミュージック。
ビートルズの『LET IT BE』なんかも混じってました。 -
大勢の人で賑わうステージ前から裏手に回ると、そこには松花江を見下ろす防洪紀念塔がライトアップされて静かに佇んでいた。
塔を取り囲む列柱群からレーザー光線が発射される仕組みになったのは最近になってからかな。 -
松花江を見下ろして立つ防洪紀念塔。
てっぺんの群像もレーザー光線に照らされる夜。 -
防洪紀念塔を取り囲む半円状の列柱群。
夜には色とりどりの光に包まれて、おおがかりな舞台セットのよう。
赤や黄色の光より、SUR SHANGHAIはこういう寒色系が好きだな。 -
これも防洪紀念塔を取り囲む列柱群。
画像奥に見えている建物は哈爾濱新凱莱花園大酒店(ハルピン・ニュー・グロリア・プラザ・ホテル)。
次々に変わる光の色を見ていると、哈爾濱(ハルピン)の歴史の流れまで連想させる。 -
イチオシ
防洪紀念塔が立っているのは、中央大街の北端であると同時に、松花江南岸沿いに造られた斯大林(スターリン)公園の中とも言える場所。
その遊歩道から、夜の松花江を眺めると、遊覧船や濱洲鉄路橋までネオンで飾られた夜景がきれい。
ため息が出ちゃうね…。
流れが穏やかな時にはずいぶん水位が低く見える松花江。
すぐそばの防洪紀念塔に示された、これまでの大洪水の水位が信じられない。 -
イチオシ
それぞれに、防洪紀念塔周りの夜の散歩を楽しむ人たち。
ライトアップもきれいだし、暑くもなく寒くもなく、いい晩ですね。(*^。^*) -
防洪紀念塔前のステージもだいぶ盛り上がってきたようだけど、賑やか過ぎるのはちょいと苦手なSUR SHANGHAIとその旦那は、お宿へと戻ることにします。
あ、その前にちょっと待って!
列柱群ライトアップをもうちょい撮りたい。
向こうに見える哈爾濱新凱莱花園大酒店(ハルピン・ニュー・グロリア・プラザ・ホテル)が、この角度からだときれいだよ! -
防洪紀念塔そばの哈爾濱新凱莱花園大酒店(ハルピン・ニュー・グロリア・プラザ・ホテル)。
あれ? 窓に明かりがあんまり見えないけど、お客さんたちはみんな中央大街の夜景を見るために繰り出して行ったのね、きっと。
すぐそばで開催されてるロック・コンサートが終わる頃に戻って来るのかも。
さて、SUR SHANGHAIたちもお宿に帰ってリタイヤします。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- belleduneさん 2012/07/03 18:58:21
- 美しい灯りですね...
- SUR SHANGHAIさん、写真が素晴らしいですね。こういう灯りが好きです。
最近の凄く明るいだけの街灯は、きれいではありません。
年を取ったのかもしれませんが、段々とノスタルジーを感じさせてくれる灯りに魅せられます。
15,6年前は、サハラ砂漠の大砂丘のことしか頭になくて、よく行きましたが、3年前位からはイスラム圏の治安が安定するまで、氷河付近を旅行していました。
どちらも僻地が多いので、ヨーロッパを経由する度に、都会の面白い建築を撮っているうちに、建築に興味が湧いてきました。
丁度、私が東京で参加しているボランティア・Heartful Japanの理事をなさっている方が建築家・伊東豊雄さんということもあり、海外、国内の建築を勉強しています。
主に20世紀末期から今世紀のものが主です。今、日本の数奇屋造りが日本の風土に適っていて、とても面白いので、当分これに懲りそうです。
今回、コミュニティに参加して頂き、喜んでいます。
色んなところへ行ってらっしゃるので、参考にさせていただいています。
これからも度々お邪魔します。
暑い夏はどこへお出掛けでしょうか?
旅行記を楽しみにしています。
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2012/07/05 17:23:23
- RE: 美しい灯りですね...
- サイトのリニューアル期間中は投稿が出来ないと言うお知らせがありましたが、旅行記などをアップしている方もいらっしゃるので、この掲示板への書き込みも出来るのかも?
ちょっとお試ししてみます。
中国には、おもしろい建築がたくさん。
地方独自の文化を反映したスタイルもいろいろありますし、このハルピンのように一昔前に外国からの影響を受けて造られた街並みもあります。
現代では、奇抜な高層建築群も見応えあり。
日本から近い中国でも、一度建築めぐりをしてみてはいかがでしょうか。(*^。^*)
色々と本格的に教えて下さる方がいらっしゃるのは、とても勉強になりますね。
私のような素人にも分かるような講座を開いて下さる方がいらっしゃるといいんですが…。
今年の夏〜冬の計画もほぼ立ちました。
カメラも新しいのを買いましたし、楽しみです。
ただ、最近は旅行記のほうまで手が回らないのも確か。
寛大なお心で、気長にお待ちいただければ幸いです。
belleduneさんも、今年後半を彩る旅をお楽しみ下さい。
*+☆+*――*+☆+*――*+☆+**+☆+*――*+☆+*――*+☆+**+☆+*――*+☆+*――*+☆+*
> SUR SHANGHAIさん、写真が素晴らしいですね。こういう灯りが好きです。
> 最近の凄く明るいだけの街灯は、きれいではありません。
> 年を取ったのかもしれませんが、段々とノスタルジーを感じさせてくれる灯りに魅せられます。
> 15,6年前は、サハラ砂漠の大砂丘のことしか頭になくて、よく行きましたが、3年前位からはイスラム圏の治安が安定するまで、氷河付近を旅行していました。
> どちらも僻地が多いので、ヨーロッパを経由する度に、都会の面白い建築を撮っているうちに、建築に興味が湧いてきました。
> 丁度、私が東京で参加しているボランティア・Heartful Japanの理事をなさっている方が建築家・伊東豊雄さんということもあり、海外、国内の建築を勉強しています。
> 主に20世紀末期から今世紀のものが主です。今、日本の数奇屋造りが日本の風土に適っていて、とても面白いので、当分これに懲りそうです。
> 今回、コミュニティに参加して頂き、喜んでいます。
> 色んなところへ行ってらっしゃるので、参考にさせていただいています。
> これからも度々お邪魔します。
> 暑い夏はどこへお出掛けでしょうか?
> 旅行記を楽しみにしています。
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