2011/11/06 - 2011/11/06
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みにくまさん
アンヴァリッドにある軍事博物館の様子、その④です。
前旅行記は↓
【欧州旅行23日目】 フランスの戦争の歴史を、膨大なコレクションとともに振り返る 「アンヴァリッド・軍事博物館①」
http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10678088/
【欧州旅行23日目】 フランスの戦争の歴史を、膨大なコレクションとともに振り返る 「アンヴァリッド・軍事博物館②」
http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10679073/
【欧州旅行23日目】 フランスの戦争の歴史を、膨大なコレクションとともに振り返る 「アンヴァリッド・軍事博物館③」
http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10679442/
■■□□■■ ヨーロッパ旅行 2011 ~ダイジェスト版~ ■■□□■■
http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10611562/
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アンヴァリッド・軍事博物館
◎ Char Renault FT-17
ルノーFT17(初めフランス語でChar Canon=砲車と呼ばれた。その後はChar leger軽戦車)は近代的戦車の源流を作った。それは旋回型の単一砲塔を上部に装備したという意味であり、爾後の成功した戦車は現在に至るもその原型を維持している。
フランスの戦車開発はイギリスには遅れたが1916年初頭には開始された。当時フランスの軍需産業は著しく寡占化しており、シュナイダー(ホッチキス)・シトロエン・ルノーの3社で小火器・砲弾・重砲まで賄われていた。フランス陸軍省は戦車の開発にあたりルノー1社に委託した。
この戦車をデザインしたのはルイ・ルノーで、到る所にルノーのそれまでに蓄積した設計技術(トラクター・自動車・飛行機)が生かされている。すなわちイギリスの重戦車マーク?と異なり徹底したコスト管理と軽量化を図り更に乗員を2名とするなどの無駄を省くことまでした。これはイギリスの戦車が軍人によって仕様の大半が決定されたのに反し、フランスでは民間部門がそれを担ったことの結果でもあった。 -
アンヴァリッド・軍事博物館
◎ Char Renault FT-17
火力は機関銃または37ミリ砲で、道路上で時速7.5キロが最高速度とされる。
終戦までにおよそ4000台が生産された。ペタンは最終攻勢でこの戦車を一挙大量使用することで戦線の突破を図ろうとした。この時尖兵となったのは予備軍(ファオーユ)で攻勢幅16キロとして常時400台を投入した。フランス軍は這う射撃を併用しており、直協の歩兵、工兵、砲兵が一体となり前進するのが常だった。
ただ欠陥は故障しやすいことで、場合によれば半数程が故障で立ち往生した。
この戦車は戦争終了時に3000台ほど残存していたため、フランスは戦後輸出に踏みきり世界のあらゆる国で使用された。このプロトタイプが最も残ったのはチェコの38t戦車といわれる。これの製造元のスコダ社はフランスのシュナイダー社の関連会社である。
ルノーFT17戦車を最後まで使ったのはドイツ軍のパリ駐在部隊で1944年の連合軍のパリ開放直前まで市街を徘徊していたという。 -
アンヴァリッド・軍事博物館
第一次世界大戦〜第二次世界大戦
1871〜1945
これまでの旅行記では中世の武具を中心に見てきましたが、ここからガラッと展示品が変わります。
冒頭に見たルノーFT17だけは展示品の説明文を撮影していたので分かるのですが、ここから先は展示品だけを撮るのが精いっぱいで、名前とか型番とかが分からないものばかりです。 -
アンヴァリッド・軍事博物館
ちなみに、中世の武具に関しては私が特に興味がある分野なので、いろいろな本を持っていて、わりと細かく説明を書くことができました。参考にした資料は下記の通り。
参考文献:武器と防具 西洋編 新紀元社
参考資料:ウィキペディア -
アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
ここから先の回廊には大砲がたくさん並んでいます。
以前は砲兵博物館というのがあり、今は軍事博物館に併合されたようなのですが、こちらがその砲兵博物館の一部だと思われます。 -
アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
展示フロア -
アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
軍服コレクション -
アンヴァリッド・軍事博物館
軍服コレクション -
アンヴァリッド・軍事博物館
軍服コレクション -
アンヴァリッド・軍事博物館
◎ 小銃
小銃(しょうじゅう)とは、主に歩兵向けに作られた軍用銃のこと。ライフル(英:Rifle)とも称されるが、日本語における「小銃」と「ライフル」は厳密には意味が異なる。
近代から現代にかけて、主に歩兵一個人が携行する最も基本的な武器・兵器(歩兵銃)として使用されている銃。小銃弾と呼ばれる弾薬を使用し、近距離から遠距離まで射撃をこなせる万能性を持つ。小銃をベースとしていても、主に遠距離射撃に用いる照準眼鏡(狙撃眼鏡、眼鏡、スコープ)を取り付けた狙撃銃は小銃として運用されない(小銃に用いられる光学照準器はダットサイトや低倍率スコープなど)。逆に近接戦闘用の短機関銃は遠距離射撃をこなせないので小銃とみなされない。 -
アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
◎ 重機関銃
重機関銃(じゅうきかんじゅう)は一人で携行できないような大型の機関銃のことで、英語ではヘビーマシンガン(Heavy machine gun)。小銃弾を使用する第一世代の機関銃がこれにあたるほか、大口径、多銃身のものもある。小型軽量で一人での携行が可能な軽機関銃が登場したため、区別上この名で呼ばれる様になった。現代では汎用機関銃が登場・普及した事からその数を減らしている。
ガトリング砲やマキシム機関銃など初期の機関銃は非常に重く、兵一人では携行することができない。第一次世界大戦の前後に一人でも携行・運用ができる軽機関銃が登場したため、それまでの機関銃を重機関銃と呼ぶようになった。 -
アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
◎ 軍服コレクション -
アンヴァリッド・軍事博物館
◎ フランス騎兵の帽子(ヘルメット) -
アンヴァリッド・軍事博物館
◎ フランス騎兵の帽子(ヘルメット)
1871 -
アンヴァリッド・軍事博物館
◎ フランス騎兵の帽子(ヘルメット)
1879−1880 -
アンヴァリッド・軍事博物館
◎ フランス騎兵の帽子(ヘルメット)
1880 -
アンヴァリッド・軍事博物館
◎ フランス騎兵の帽子(ヘルメット)
1881 -
アンヴァリッド・軍事博物館
◎ フランス騎兵の帽子(ヘルメット)
1881 -
アンヴァリッド・軍事博物館
◎ フランス騎兵の帽子(ヘルメット)
1902 -
アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
◎ 中東の軍服 -
アンヴァリッド・軍事博物館
◎ 中東の軍服 -
アンヴァリッド・軍事博物館
◎ 中東の軍服 -
アンヴァリッド・軍事博物館
◎ 軍服
★ トップ写真 ★ -
アンヴァリッド・軍事博物館
勲章 -
アンヴァリッド・軍事博物館
◎ 軍服 -
アンヴァリッド・軍事博物館
◎ 軍服 -
アンヴァリッド・軍事博物館
◎ 軍服 -
アンヴァリッド・軍事博物館
◎ 軍服 -
アンヴァリッド・軍事博物館
◎ 軍服 -
アンヴァリッド・軍事博物館
◎ 軍服 -
アンヴァリッド・軍事博物館
◎ イギリス陸軍の軍服 -
アンヴァリッド・軍事博物館
勲章 -
アンヴァリッド・軍事博物館
勲章 -
アンヴァリッド・軍事博物館
勲章 -
アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
◎ Taxi Renault G7 dit "Taxi de la Marne" -
アンヴァリッド・軍事博物館
◎ Taxi Renault G7 dit "Taxi de la Marne" -
アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
◎ 陸軍帽子(ヘルメット) -
アンヴァリッド・軍事博物館
◎ 軍服 -
アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
◎ 手榴弾
手榴弾(しゅりゅうだん、てりゅうだん)は、武器の一つで、主に手で投げて用いる小型の爆弾。手投げ弾(てなげだん)、擲弾(投擲弾)あるいは英語風にハンドグレネードとも呼ばれる。人員など非装甲目標に有効で発射装置を必要としないため歩兵の基本的装備となっている。
手榴弾をより遠くに飛ばす装置として擲弾筒、いわゆるグレネードランチャーが存在する。 -
アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
◎ 軍服 -
アンヴァリッド・軍事博物館
◎ 軍服 -
アンヴァリッド・軍事博物館
◎ 軍服 -
アンヴァリッド・軍事博物館
軍人募集のポスターか -
アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
こういうポスターには興味があったので、なるべく多く撮影してきました。 -
アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
◎ 軍刀
軍刀(ぐんとう)とは、軍用に供された刀剣類の総称。儀礼(儀仗)や指揮、正装や礼装時の装飾用として使用される、刃のつけられていない模擬刀身仕込みの儀礼刀・指揮刀・短剣類も軍刀に含められるが、銃剣や軍用ナイフ類は範囲には含まない。 -
アンヴァリッド・軍事博物館
◎ 軍刀 -
アンヴァリッド・軍事博物館
◎ 軍刀 -
アンヴァリッド・軍事博物館
◎ 軍刀 -
アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
◎ 軍服 -
アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
◎ 兵士の装備品
細かく見たら面白そうなものがたくさん並んでいたのですが、ここまででかなり時間がかかっていたので、じっくり見るのは諦めました。 -
アンヴァリッド・軍事博物館
フロアの様子
いったいどれだけの部屋があるのでしょうか。
あまりにも展示品が多すぎて、かなり疲れてきました。
時間もあまり残っていないため、この先はおおまかにしか撮影できていません。 -
アンヴァリッド・軍事博物館
◎ フランス陸軍の装備 -
アンヴァリッド・軍事博物館
◎ アドルフ・ヒトラー
アドルフ・ヒトラー(独: Adolf Hitler, 1889年4月20日 - 1945年4月30日)は、ドイツの政治家。オーストリア出身で1925年まではオーストリア国籍であった。
国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)党首としてアーリア民族を中心に据えた民族主義と反ユダヤ主義を掲げたドイツの独裁者。1923年にミュンヘン一揆で一度投獄されるが出獄後合法的な選挙により勢力を拡大、1933年に首相となり、1934年にヒンデンブルク大統領死去に伴い、国家元首となる。
首相就任後に他政党や党内外の政敵を弾圧し、指導者原理に基づく党と指導者による独裁指導体制を築いたため独裁者の典型とされる。また人種主義的思想(ナチズム)に基づき、血統的に優秀なドイツ民族が世界を支配する運命を持つと主張し、強制的同一化や血統を汚すとされたユダヤ人や障害者迫害などの政策を行った。さらに民族を養うための『生存圏』が必要であるとして、領土回復とさらなる拡張を主張した。それは軍事力による領土拡張政策につながり、1939年のポーランド侵攻によって第二次世界大戦を引き起こした。しかし連合軍の反撃を受け、包囲されたベルリン市の総統地下壕内で自殺したとされる。 -
アンヴァリッド・軍事博物館
この部屋はナチスドイツに関連する資料が展示されています。 -
アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
ガスマスクか。
右の方には赤ちゃんに使っている様子が映っています。 -
アンヴァリッド・軍事博物館
タイプライター?
◎ エニグマ (暗号機)のプラグボード(風太さんからのコメントで判明しました) -
アンヴァリッド・軍事博物館
◎ PAK37
中国陸軍の兵器か? -
アンヴァリッド・軍事博物館
◎ 小銃 -
アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
◎ 1941(昭和16)年12月8日
1941(昭和16)年12月8日午前3時19分(現地時間7日午前7時49分)、日本軍がハワイ・オアフ島・真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃し、3年6箇月に及ぶ大東亜戦争対米英戦(太平洋戦争)が勃発した。
「12月8日午前零時を期して戦闘行動を開始せよ」という意味の暗号電報「ニイタカヤマノボレ1208」が船橋海軍無線電信所から送信され、戦艦アリゾナ等戦艦11隻を撃沈、400機近くの航空機を破壊して、攻撃の成功を告げる「トラトラトラ」という暗号文が打電された。
元々は、ワシントンで交渉していた野村・来栖両大使がアメリカ側に最後通牒を手渡してから攻撃を開始することになっていたが、最後通牒の文書の作成に時間がかかったため、事実上奇襲攻撃となってしまった。 -
アンヴァリッド・軍事博物館
◎ 1942〜1944年の部屋 -
アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
◎ 陸軍兵士の装備 -
アンヴァリッド・軍事博物館
◎ 陸軍兵士の装備 -
アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
◎ イタリア軍の装備
なんだかお洒落だと思っていたら、真ん中の兵士は半ズボンだった。。 -
アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
◎ 重機関銃 -
アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
この辺りにヒロシマ型原爆の模型があったはず。
もしかしたらこれかも。
ちなみにアメリカでのコードネームはリトルボーイです。
◎ リトルボーイ (Little Boy)
リトルボーイ (Little Boy) は、第二次世界大戦においてアメリカ軍が広島市に投下した原子爆弾のコードネームである。いわゆる「広島原爆」「広島型原爆」である。
これは、人類史上初めて実戦で使用された核兵器である。現在でも、原子力災害(核実験、原発事故など)の規模を測る際に、このリトルボーイを基準に「広島原爆n個分」で呼ばれることもある。
全長3.12m、最大直径0.75m、総重量約5t。番号はMk.1。ウラン235を用いており、二分されたパイプの両端に置かれたウラン235の塊の一方を火薬の爆発力でもう一方のウラン塊にぶつけ、臨界量を超過させて起爆するガンバレル型である。
積載されたウラン50kgのうち、1kgが核分裂反応を起こしたと推定されている。核出力はTNT換算で約15kt(5.5 × 1013ジュール)である。 -
アンヴァリッド・軍事博物館
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アンヴァリッド・軍事博物館
とてつもなく広い軍事博物館の見学はこれで終わり。
ここは私たちが見た3時間程度の見学時間では、到底見きれないほどの展示品がありますので、本当に興味のある方だったら1日かそれ以上でもかけて勉強したいところ。
もっと勉強したい方にはイヤホンガイド(iPod端末)の貸し出しも行っており、日本語で膨大な情報を聞き、また見ることができます。
そしてアンヴァリッドの中には、この軍事博物館の他にもマニアックな博物館があり、興味のある方にとっては何日でも楽しめる、非常に充実した施設です。
私たちはここからドーム教会へ行き、ナポレオンの墓を見てくるのですが、それは別の旅行記で。
◎ おしまい
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