2012/05/20 - 2012/05/21
298位(同エリア449件中)
ひま人さん
世紀の天体ショー「金環日食」を観察するべく和歌山県串本町へ向かう。日食は21日早朝のため前日から宿泊で出向いた。20日は広川町の「稲むらの日の館(津波防災センター)」へ、ここは安政地震津波の襲来時、村人を全員救った濱口梧陵の偉業を記念して建てられた記念館です。広川町から南へ下り御坊で昼食(花ご坊グルメオ)後、本州最南端の潮岬へ、散策後、くしもと大橋を渡り紀伊大島へ到着。島内を見て歩き、再びくしもと大橋を渡り本州側の串本町へ向かい、今夜の宿「串本温泉・浦島ハーバーホテル」にチェックインしました。
金環日食が朝6:15から始まるので、早起きし観測準備しホテル屋上へ、しかし風が強く急きょホテル1階の海側へ出てつぶさに観測出来ました。起床した時の小雨や雲も日食の際は、雨も止み雲も切れラッキーでした。欠け始めから元へは8:50分頃に終了。遅い朝食後、ホテルから近い「橋杭岩」へ、さらに東へ那智山観光(飛龍神社、那智の滝、那智大社、青岸渡寺)をして帰路に着きました。
写真は国名勝・天然記念物「橋杭岩」。この右側の岩後方から太陽が昇るので、ここでも日食観測が多く見られました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 観光バス JRローカル 私鉄 徒歩
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稲むらの火の館(津波防災センター)。安政地震津波襲来時、濱口梧陵(はまぐちごりょう)[文久3年(1820年)〜明治18年(1885年)]、は稲むら(稲束を円錐形に積み重ねたもの)に火を放ち、この火を目印に村人を誘導して多くの命を救いました。この実話をもとにしたのが「稲むらの火」です。
館内はは津波防災体験室、3D津波映像シアター、津波防災教育センター等の構成になっている。 -
濱口梧陵記念館、稲むらの火の館に隣接し、梧陵66年の生涯をひもとき、ゆかりの空間の中で、偉大な功績や教訓、梧陵の人柄を感じさせる展示物です。
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広村堤防。濱口梧陵は被災民救済と復旧に尽力したばかりか、百年後の津波に備えるため巨額の私財を投じ、高さ5m、幅20m、長さ600mの大堤防を築きました。この大工事に村人を雇用することによって、津波で荒廃した広村は奇跡の復興を成し遂げました。この広村堤防は昭和13年(1938年)国史跡に指定され、毎年11月3日には100年余りの歴史がある「津波祭」が開催され、梧陵の偉業を称えています。
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国史跡広村堤防の記念碑。
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潮岬全体図、右上(南西部)に潮岬灯台があります。
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潮岬の「本州最南端」の碑。
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潮岬海岸、岩石は黒っぽい「はんれい岩」でマグネシュウム、鉄分が多い。この右、南西端に潮岬灯台が立つ。日本でも有数の台風銀座であり、台風進路予想の位置を表す指標にされることが多いです。
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潮岬観光タワー。この前面周辺が「望楼の芝」として知られる芝生があります。
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紀伊大島全体図、地図右に紀伊大島と潮岬を結ぶくしもと大橋があります。
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本州側から見た「紀伊大島」。串本町の沖合約1.8kmの海上にう浮かぶ面積9.93k平方、周囲26kmの和歌山県下最大の島です。元来より大島と呼ばれてきたが、全国的に大島の名をもつ土地が多く、それらと区別のため「紀伊」を冠し「紀伊大島」と呼ばれる。人口約2000人です。
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潮岬と紀伊大島を結ぶ「くしもと大橋」。ループ橋(386m)とアーチ橋からなっている。本州とこの大島を橋で結ぶのは昔からの大願であったが、1999年9月8日に県道樫野串本線と共に開通しました。
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くしもと大橋アーチ橋(290m)。このくしもと大橋の開通により巡航船に頼っていた島内の交通が圧倒的に便利になり本州側との格差が少なくなった。現在、巡航船は観光船として運航されています。
巡航船に頼っていたころの歌われていたのが・・・
”ここは串本 向かいは大島 仲をとりもつ 巡航船
アラヨイショ ヨイショ” -
紀伊大島「「海金剛」、南側の海岸に断崖絶壁が海際に連なり荒波にもまれている様子が美しい。鷹巣展望台からの眺めです。
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紀伊大島「日米修交記念館」。島の東端の樫野崎に寛政3年(1791年)に米国の商船「レディ・ワシントン号」が来航したことにちなみ設置された。
島内にはこのほかに、明治23年(1890年)トルコ軍艦「エルトゥールル号」が樫野崎灯台東方沖で遭難しおおよそ550名の犠牲を出した「トルコ軍艦遭難者慰霊碑」と「トルコ記念館」や明治3年(1870年)に点灯した日本最古の石造灯台もあるが、時間の関係上見学が叶わなかった。 -
金環日食、右上から欠け始めている(AM6:49現在の状況)。串本では6:15分から欠け始め、金環(リング状)には7:27分、8:52分に日食が終了しました。日本で次に見られるのは、金環食が2030年6月1日北海道で、皆既日食が2035年9月2日関東地方北部です。
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金環日食(AM7:05分)
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金環日食(AM7:06分)
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金環日食。
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金環日食、
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金環日食(リング状、AM7:28分頃)。皆既日食では太陽が完全に月の影にかくれてしまうため、夜になったように周囲が暗くなります。太陽がリング状に輝く金環食では、さほど暗くなりません。一部だけでも太陽が出ていれば、地表は十分に明るいのです。気温は少々下がります。
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金環日食、金環から欠け終わりへの状態。
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橋杭岩中央部分、国名勝・天然記念物、弘法大師伝説を生んだ大小40余りの奇岩群。海岸から紀伊大島」に向かって一直線に850mに渡って奇岩が林立しています。砂や泥が海底に堆積してできた堆積岩中にマグマが貫入して冷え固まったものです。その後、隆起し、柔らかい堆積岩は波に浸食され、硬い火成岩の部分が断続的に取り残されて、橋脚が並んだような地形になりました。特に満潮時がきれいだそうです。写真は干潮から満潮への変わり目です。
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橋杭岩左側部分。表紙が右側部分で、中央部分とこの左側部分とで一体合成すると全景になる。
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那智大社別宮飛龍権現那智大滝の碑。
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熊野権現「飛龍神社鳥居」、ここを通り突き当たりが那智の大滝で、大滝には「熊野那智大社別宮飛龍神社」が鎮座されています。神社といっても本殿も拝殿もなく、滝を直接拝む形になります。この大滝が御神体であることを分からせてくれます。
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那智の滝、日本一を誇る落差133mの直瀑。日本三名瀑の一つです。滝壺の深さは10mです。
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那智の滝、昨年秋の台風で被害を受け、地肌や大きな岩石が見えていたが、現在修復工事をしていました。
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世界遺産 熊野三山 熊野那智大社碑。
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熊野那智大社鳥居。
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熊野那智大社本殿、熊野那智大社は滝を神とする自然崇拝からおこった社です。社伝によれば、神武天皇が熊野灘から那智の海岸に「にしきうら」に上陸された時、那智の山に光が輝くのを見て、この大滝を探り当てられ、神としてお祀りになったとあるそうです。
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那智山青岸渡寺、西国三十三所霊場の第一番札所。青岸渡寺(如意輪堂)の創建は、仏教伝来以前の仁徳天皇の御代(313〜399年)にインドから熊野に漂着した裸形上人が那智大滝にて滝修業中、滝壺から八寸(約24cm)の観音像を感得し、草堂をむすんでこれを安置したのが始まりと伝えられています。
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青岸渡寺境内から見た、青岸渡寺五重塔と那智の滝。
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