2012/04/18 - 2012/08/27
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2012年初春から続けて来た「東京の洋館」巡りも、いつのまにか盛夏を通り越し、そろそろ秋という季節になってしまいました。
普段は自動車移動が殆どですが、この洋館巡りは基本的に電車やバス、それに自分の足を使って訪問したため、東京の広さというか、スケールというか、そんな物を改めて実感する事ができました。
まだまだ、大学関係の建物から、各国の大使公邸、非公開の秘密倶楽部(?)まで、訪問したい洋館や近代建築は多いのですが、取り敢えず東京編は今回の訪問で一区切りします。
2012/11/29 追補:府中の森博物館
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
静嘉堂文庫
【世田谷区/大正13年/桜井小太郎/都選定歴史的建造物】
三菱財閥第2代総帥の岩崎弥之助が1892年頃、自邸内に創設した文庫「静嘉堂」が起源。弥之助死後、その子、岩崎小弥太がコレクションを拡充し、弥之助の墓の隣接地に建設したのが、静嘉堂文庫です。そのコレクションは20万冊以上の古典籍、5000点に及ぶ東洋美術品。うち国宝が7件、重要文化財が82件という充実ぶり。
スクラッチタイル貼りの建物は、英国公認建築士でもある桜井小太郎の設計らしい、英国郊外住宅風の堂々とした雰囲気です。 -
岩崎家玉川廟
【世田谷区/明治43年/J.コンドル/都選定歴史的建造物】
静嘉堂文庫はこの岩崎弥之助の霊廟の隣に建設されました。設計はコンドル。三菱と言えばコンドルです。
同じくコンドルが設計した、駿河台のニコライ堂に良く似た霊廟は、西洋教会風のドーム屋根を持つ建物の前に、日本の狛犬、そして中国風の鼎。何とも不思議なコラボレーションを見せてくれる建物でした。ニコライ堂 寺・神社・教会
-
旧島津公爵邸(清泉女子大学本館)
【品川区/大正6年/J.コンドル/東京都指定有形文化財】
ジョサイア・コンドルの設計によるイタリアルネサンス風の西洋館は、島津忠重公爵の邸宅であった建物です。土地は伊達藩の下屋敷があった場所で、明治元年に島津家が購入。伊達藩邸時代からの大名屋敷の老朽化が進んでいたため、洋館が新たに建設されました。 -
内装は洋画家 黒田清輝の指揮により、設備や調度が整えられました。
・・・が、残念ながら殆ど残っていないようです。 -
第二次大戦の激化に伴い、大邸宅の維持が困難となった島津家は日本銀行に建物を売却。
戦後は進駐軍の接収により将校宿舎として1954年まで使用されていました。
接収解除後に清泉女子大学が日本銀行より土地と建物を購入し、建物は現在も教室や事務室、会議室として使用されています。
キャンパスとして使用されているため普段は見学することができませんが、月に数回のペースで見学会が開かれており、学生さんの案内で建物を見学する事が出来ます。 -
佐伯祐三アトリエ記念館
【新宿区/大正10年/不詳/新宿区指定史跡】
大阪に生まれ、30歳という若さでフランスで客死した、画家 佐伯祐三の記念館が新宿区にあります。
佐伯祐三の6年足らずの創作活動の殆どはパリにおけるものですが、渡仏するまでの2年間(1921〜23年)と、再渡仏するまでの2年間(1926〜27年)を、東京美術学校在学中に結婚した米子夫人と共に、このアトリエ付き住宅で過ごしました。 -
住宅の建物は取り壊されてしまっていますが、建物の北側に大きな採光窓を取り付けたアトリエが、当時の姿で再現されています。
佐伯の死後、帰国した米子夫人が亡くなるまで住んでいましたが、後に新宿区が建物と土地を買い取り、佐伯の日本における唯一の芸術活動の拠点として、建物を整備改築後、記念館として2010年に開館しました。
「卑しくも美術を語る者なら、佐伯の如く生きよ」
by地味先生(ギャラリーフェイク 第28話 「顔のない自画像」より) -
旧細川侯爵邸
【東京都文京区/昭和11年/大森茂、臼井弥枝/都指定有形文化財】
幕末の頃から肥後熊本藩・細川家の下屋敷があった場所に、第16代当主、細川護立侯爵によって西洋館が建設されました。
チューダー様式の建物との事でしたが、旧前田侯爵邸などに見られる、特徴ある扁平アーチや鋭角な三角屋根などは確認できません。
館内はそれなりに改装されているようで、私としては、あまり興味が持てませんでしたが、丸い窓や卍崩の装飾など、施主であった侯爵の趣味を垣間見る事ができます。
現在は、男子学生向けの寮を運営する、公益財団法人 和敬塾の本館として管理・利用されており、月に1回程度、一般公開されています(要申込)。 -
当時の敷地は、邸宅南側にある、新江戸川公園の回遊式庭園辺りまで続いており、広大な土地だったことが分かります。
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近接する永春文庫は、細川家の事務所として立てられた建物を利用し、細川家伝来の家宝や、美術収集家としても有名だった護立侯のコレクションを展示した美術館。国宝の数々を見学する事ができます。
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松聲閣
新江戸川公園の中にある細川家の学問所。数年前まで集会所として使用されていたようですが、現在は老朽化に伴い閉鎖中。 -
旧細川邸のすぐ近くにある東京カテドラル聖マリア大聖堂は建築家 丹下健三の代表作です。
もともと建っていた木造のゴシック聖堂(1899年建立)が1945年の東京大空襲で焼失した事を考えると、旧細川邸がそのままの姿で残ったのは奇跡的だったのだと思われます。東京カテドラル聖マリア大聖堂 寺・神社・教会
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震災復興記念館
【墨田区/昭和6年/伊東忠太・佐野利器/都定歴史的建造物】
1923年に発生した関東大震災からの復興事業を記念するために、震災記念堂(現在は1945年3月の東京大空襲での殉難者も合わせて慰霊する東京都慰霊堂になっている)の付帯施設として建設されました。
もともと、この地には陸軍被服廠(軍服や軍靴を作る工場)がありましたが、工廠の赤羽への移転に伴い、大規模な公園予定地として更地になっていました。
震災発生直後、この広大な空き地は周辺地域の避難所になっていましたが、地震により発生した火災が近くまで迫り、その火の粉が、避難民の持ち込んだ家財道具(特に布団)に降りかかり発火。その結果、4万人以上の被害者を出してしまいます。
館内には関東大震災後に各地で開催された震災の復興展覧会で展示された復興大模型や復興資料などが展示されています。 -
旧豊多摩監獄表門
【中野区/大正4年/後藤慶二/】
大正時代の名建築と言われるこの建物は、豊多摩監獄の門として使用されていました。
豊多摩監獄には、1945年の治安維持法廃止まで、政治犯や思想犯が収監され、三木清や小林多喜二などの著名人が収監されていた場所としても有名です。
戦後は進駐軍に接収され米陸軍刑務所として、接収解除後は中野刑務所として、1983年の刑務所閉鎖まで、使用されていました。 -
刑務所跡地の大部分は平和の森公園となり、当時を知る由もありませんが、この門だけが遺されています。
門は法務省の矯正研修所(刑務官の教育施設)の敷地内にありますが、事務室(通用門を入り、渡り廊下のある左手の建物の2F)で受付を済ませれば、見学可能です。平和の森公園 公園・植物園
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旧府中町役場庁舎
【府中市/大正10年/―/東京都指定有形文化財】
下見張りの洋館は府中市の町役場として、府中駅近くに建てられました。建物の裏手には和館が接続されており、炊事場や宿直室等として使用されていたようです。
資料によると、建築費は10,476円88銭也。
市役所、図書館、教育関係施設などとして使用されてきましたが、1989年に老朽化のため解体され、現在は府中市の郷土の森博物館に復元移築されました。 -
旧府中町立府中尋常高等小学校校舎
【府中市/大正10年/―/―】
旧府中町役場庁舎と同様に、府中市郷土の森博物館に復元移築されている建物です。
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