2012/04/06 - 2012/04/09
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ANZdrifterさん
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八百比丘尼伝説の中心地とされている福井県小浜市を、三連泊して漂った写真物語です。
15・6才の美しさを保ちながら800年も生きたという八百比丘尼伝説は「村人が共同体の外の異人に招待され、村人は贈り物を食べずに捨てて外部との交流を拒むが、一人の女性が贈り物(おもに人魚の肉)を食べて永生長寿を得た」という伝承譚で、これによって女は共同体の身内から出た異人という境界の人となった。
この伝説は、若狭の小浜を中心に南は九州の熊本から北は新潟・福島・栃木まで知られている。伝説では、長寿を得た女は比丘尼となって各地を巡って善行をほどこしたが、親の名、生没地、善行の内容などについてはいくつかの変種がある。
とくに、日本海側の福井、石川、富山の3県を中心とする八百比丘尼伝説では、椿の枝を挿して去った比丘尼が、椿が大木になったころ再び訪れて、数百年まえの話をして聞かせたという。
これらの地方には樹高5・6メートルにおよぶヤブツバキの森が名所になっている土地がいくつもあり、ツバキと比丘尼が結びつきやすかったものと思われる。
今回訪ねた伝説の中心地、若狭の小浜市は、海がある奈良といわれるくらい寺が多い街です。小浜湾は二つの半島にはさまれて、両腕で抱え込まれたように静かな碧い海で、ちょうど満月の頃だったので夜はゆったりと波打ち、半島の先端に原子力発電所があるなどとは、信じられないほど「むかし」が生きている静かな自然のなかの街でした。
地元の伝説では八百比丘尼は小浜の隣り、勢(せい)で高橋長者の娘として生まれ、長寿を得たのち諸国遊行のあと若狭にもどり、青井の白玉椿山(明神山)に庵をむすび、空印寺の洞窟で入定、一説には白玉椿の草庵で亡くなっている。
古代から中世にかけて数百年を遍歴、遊行した比丘尼も、自然の両腕に抱かれたこの海に安らぎを感じ、疲れた心を抱いて帰郷し、胎内にも擬せられるふるさとの山の洞窟で入定したのかもしれない。
駅から遠くない空印寺には八百比丘尼の木像があり、豊頬の尼僧で右手に宝珠、左手に椿の小枝をもつ坐像というが、入定の地とされる洞窟の前に置かれた石像は右手に園芸品種の八重椿、左手に数珠をもっていた。
この洞窟は丹後の山中まで続いていたという。
また、奈良・二月堂の「お水取り」の水を送り出す遠敷川「鵜の瀬」も小浜にあり、そのすこし上流にも八百比丘尼の墓がある。
このような地下で外部につながっているという思いは、外部につながることができない現世の共同体から、夢のある外部の世界へ行きたいという希いを示しているのかもしれない。
なお、江戸期の古地図には「比丘尼所」が記されているので、小浜の寺に多くの比丘尼がいたことは間違いなさそうである。
この八百比丘尼伝説の北限は佐渡市羽茂町、越後の寺泊町(旧野積村)、会津の喜多方市(旧駒形村)であり、私見であるが四道将軍の遠征路の内側にだけ伝説が分布しているとみえる。
ヤマト王権の支配がおよばなかった東北地方の北半部には「北限の椿」はあるが八百比丘尼伝説はない。このことから「八百比丘尼は律令国家の中だけを巡り歩いていた」と言えそうである。
平安時代後期にヤマト王権の勢力圏だけを巡って善行を積んだ八百比丘尼とは何か? 夢のある仮説を考えてみたいですね。
なお、この伝説の発生は、江戸期の文書にある柏崎の大石仏の由緒書や、大月市岩殿山の三重塔創建説話などから、平安時代の初期にはすでに八百比丘尼と称する遍歴の巫女がいたらしい。
また、ツバキを植えた八百比丘尼の伝説は、椿が花木とされるようになった鎌倉期に派生した伝説の変種だろうと考えています。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- タクシー JALグループ 新幹線 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
小浜駅から近い「空印寺」。観光バスが駐車できる広い駐車場があった。
寺には八百比丘尼の木像があり、ふくよかな頬で椿の小枝と宝珠を手に持っているというが、雨の中で拝観を申し込むのを遠慮した。 -
小浜と会津では「はっぴゃくびくに」というが他の地区では「やおびくに」と呼ぶらしい。
空印寺門前にはこのようなのぼりが並んでいて、八百比丘尼が「菩薩」になっている。 -
八百比丘尼入定の洞窟。
ここに入って食を断ち、経をあげながら鉦を鳴らしていたが、いつしか音も途絶えたという。
あたりには何本かのヤブツバキが赤い花を咲かせていた。 -
八百比丘尼入定の洞窟。
入り口に八百比丘尼の石像があり、原種の「ヤブツバキ」の花が供えられていた。
しかし手に持った椿は鎌倉時代以後に作出された八重咲きの園芸品種だった。 -
八百比丘尼入定の地 と書いた石塔からどうくつを遠望。
ここに柵がめぐらしてあり、雨天には危険なので入らないこと となっていた。 -
八百比丘尼が庵を結んだといわれる青井地区の明神山にある神明社の入り口。
明神山は白玉椿山ともいわれ、明神社の横に八百姫神社がある。
社域は狭い平坦地が段々畑状にあり、すぐ横を水量が多い小川が流れていた。庵を結んでも生活できそうな地形である。
タクシー運転手が道を聞きに行ってる間にメーターは回りっぱなしだった。 -
神明社はこのように立派だが・・・・・・・・
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八百姫神社は1メートル四方くらいしかない小さい社だった
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掲額には「八百姫神社」とある。
八百比丘尼の名前では神社として具合が悪いので「八百姫」となっている。 -
「八百姫神社」の後ろには白玉椿が植えられていた。
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ヤブツバキ(カメリア ジャポニカ)(Camellia japonica) です。
その名のとおり日本原産で、鎌倉期に花木として栽培されるようになり、江戸期に盛んに栽培され園芸種が作られた。
日本からヨーロッパに持ち込まれた椿は同地で園芸種が作出され、日本にも逆輸入された。 -
ヤブツバキは普通 数メートルの高さですが、時には十数メートルにもなるそうです。
変種のユキツバキは高さが低い灌木で花の開き方や枝振りが違います。 -
奈良・東大寺の二月堂のお水取りに、水を送り出す鵜之瀬に行きました。
案内板には「椿の原生林」が白石神社の辺りにあると書いてありましたが、
タクシーを2時間だけ借り上げたので、見に行きませんでした。 -
鵜之瀬のすこし上流には八百比丘尼の墓がありますが、タクシー運転手が知らないと繰り返すので、鵜之瀬から引き返してしまいました。
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ショウジョウバカマ(猩猩袴)が咲いている季節でした。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 潮来メジロさん 2012/05/04 10:03:01
- 八百比丘尼伝説・・・。ヾ(^o^)
- ANZdrifterさん、こんにちは! ヾ(^o^)
御無沙汰していました。
> 15・6才の美しさを保ちながら800年も生きたという八百比丘尼伝説
八百比丘尼伝説って、私は恥ずかしながら今迄よく知りませんでした。
八百比丘尼は、手塚治虫の漫画「火の鳥」に登場したので、名前だけは頭の隅っこに残っていました。
どなたか伝説のモデルになったような美しい女性がいたんでしょうね。
ではまた・・・。(^o^)/~~~
(潮来メジロ)
- ANZdrifterさん からの返信 2012/05/04 11:13:24
- RE: お久しぶりですね
- 潮来メジロ さん
こちらこそ ご無沙汰しておりました。
世田谷の祖師谷公園を流れる 仙川で、いろいろな鳥をみて お知らせしようかなどと考えておりました。
さて、八百比丘尼伝説は意外に文献が少なくて 検索しても出てくるのは
手塚治虫が大部分という状態でした。
結局、主要文献は柳田國男など三冊しかなく、少し触れているのが4冊でした。それらを読み込んでメモを作ってから出かけました。
おそらく、何人かの遊行の尼の業績が一つの話になったものと思います。
ただ、浦島太郎や常陸坊海尊などのように、長寿伝説にはかなりの種類が
あるようです。
この次は北限の椿をたずねるつもりです。
老齢とガンのため、やや生き急いで居ります。
ご訪問に深謝します。そして どうぞ良い旅をお続けください。
ANZdrifter
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