2012/03/01 - 2012/03/01
4427位(同エリア6077件中)
TMBSさん
ピーチの第1便を利用しての福岡旅行。
午前中太宰府を観光した後、西鉄電車で福岡市内へ。
高度経済成長期に名を馳せたプロ野球チーム、西鉄ライオンズゆかりの地と、その下に眠る古代の遺跡を見学。
最後は一人用もつ鍋で締めてANAで帰途に就きました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス ANAグループ 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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西鉄太宰府駅は、太宰府天満宮の本殿をモチーフにした建築です。
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途中の二日市までは、天神大牟田線に直通する福岡(天神)行き普通電車に乗車します。車両は5000系。
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二日市で福岡(天神)行き急行に乗り換え。車両は往路に続き新鋭3000系。
ゆったり転換クロスシートに腰掛けて福岡市内に戻ります。 -
終点福岡(天神)の1駅手前、薬院で下車します。
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薬院駅高架下のミスタードーナツで休憩した後、福岡市営地下鉄七隈線に乗り換えます。
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地下鉄七隈線の電車内にて。運転室と客室の間の仕切りが低いので、前面展望を楽しむことができます。
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3駅目の六本松駅で下車。斬新なデザインの七隈線電車。
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六本松駅の地上出口を出ると、フェンスで囲われた更地が広がっていました。
数年前までここには九州大学の教養部がありましたが、郊外に移転したとのこと。 -
六本松駅から国道202号線を東に進み、福岡城跡の裏側まで来たところにあるとあるマンションの1階に目指す店がありました。
「ライオンズベースボールショップ」一見普通の野球用品店ですが、プロ野球ファンには特別な意味を持つお店です。 -
入り口のマットは、2012年現在福岡に本拠を置くソフトバンクホークスのロゴ入りでした。
しかし、一歩お店の中に入ると。 -
イチオシ
昭和31〜33年に日本シリーズ三連覇を果たし、29年と38年にもパ・リーグを制覇した「伝説の野武士軍団」西鉄ライオンズ関係のお宝が待っていました。
まずは昭和30年代の黄金期を支えた中西太内野手のユニフォーム。 -
西鉄ライオンズのウインドブレーカー。
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昭和33年、西鉄ライオンズが読売ジャイアンツ相手に3連敗のあと4連勝という劇的な日本一を成し遂げた時にいただいたペナント。
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上に挙げたユニフォームやペナントはもちろん展示品ですが、このお店では今も西鉄ライオンズの帽子や旗を復刻して販売しています。
さらに運のいいことに、オーナーの平岡さんとしばらくお話しすることができました。平岡さんは西鉄ライオンズグッズを売り続けてきた功績により、数年前に埼玉西武ライオンズから感謝状をいただき、西鉄復刻試合で始球式をされたとのことです。
他球団ファンですが、懐かしの西鉄ライオンズへの郷愁からNLマークの野球帽を買い求めて、お店を後にしました。 -
「鴻臚館への小路」ライオンズベースボールショップの裏手から、ジョギングや散歩にちょうどよい感じの小径が続いていました。
鴻臚館とは、奈良〜平安時代にアジアとの貿易や、アジアからの外交使節の接待に使われていた建物です。 -
小径を進むと、福岡城跡と平和台鴻臚館跡に関する案内板が。
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平成9年まで、現在鴻臚館跡の史跡公園となっている場所に建っていた平和台球場に関する説明もありました。
西鉄ライオンズの他、西鉄クリッパーズ、西日本パイレーツ、太平洋クラブライオンズ、クラウンライターライオンズ、ダイエーホークスの本拠地として使われた、古き良き時代のプロ野球ファンには懐かしい球場でした。 -
公園内の道標には今も「平和台野球場」の文字が残っていました。
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石垣越しに広い空間が見えてきました。まさにここが、平和台球場のあった場所です。
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イチオシ
平和台球場跡。すでに建物はすべて解体され、昔の面影はバックのビル群に残ります。
この地で稲尾や中西、豊田、仰木から東尾、真弓、倉持、はては若田部、下柳に至るまで、幾多の名選手たちが活躍したのだなと思うと胸が熱くなりました。 -
球場の解体後、本格的な鴻臚館の発掘調査が始まり、現在も続けられています。
敷地の至る所に説明板がありました。 -
外野スタンドだった辺りの裏手に、鴻臚館遺跡の展示館がありました。
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館内の航空写真より、現役時代の平和台球場。
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鴻臚館は今朝行って来た大宰府と、幹線道路で結ばれていたそうです。
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鴻臚館遺跡からは、アジア諸国からもたらされた陶器の破片が数多く出土しました。
これは中国からの青磁。 -
こちらは何と、イランやイラクから来たとされる青緑色の壺の破片。
それにしても、なぜ中東の陶器が福岡で出土したのでしょうか? -
この謎を解く鍵は、ユーラシア大陸の東西を結んだ交易路「シルクロード」
美しい青緑の壺ははるか中東の地からラクダに牽かれ、船で荒れる海を渡り、福岡にやってきたわけです。 -
大宰府に左遷されて、不遇のうちに亡くなった菅原道真公。
その道真公が廃止にした遣唐使も、この博多に立ち寄っていたことがありました。 -
発掘された当時のまま保存されている鴻臚館遺跡の一部。
当時の建物の一部も復元されています。 -
奈良〜平安時代当時の建物の図解。
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九州帝国大学医学部の中山平次郎博士は、鴻臚館遺跡や金印出土地の場所を突き止めたほか、元寇の防塁跡を調査するなど、福岡の考古学や文化財保護に大きな影響をもたらした人です。
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中山博士が鴻臚館の場所を突き止めたいきさつに関する説明板。
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鴻臚館遺跡からは、奈良時代のトイレが出土したそうです。
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展示館を後にし、平和台球場跡地付近をぶらつきます。
すぐ隣接して福岡城跡があるため、そちらに関する説明板もありました。 -
平和台球場跡(鴻臚館遺跡)の外周フェンスには、福岡の歴史に関する説明板が何枚も貼られていました。
西鉄ライオンズの由緒を記した説明板。 -
「平和台」のネーミングを付けた人物は、スポーツの専門家だった岡部平太氏でした。
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公園の北東側出入り口にある、平和台球場を模った記念碑。
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鴨たちが憩う福岡城跡のお濠、さながら都会のオアシスです。
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今も一部の櫓や門が残る福岡城跡。
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大濠公園駅から福岡市営地下鉄空港線に乗ります。
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イチオシ
夕食は天神と中洲の間にある「元祖博多麺もつ屋」のもつ鍋をいただきます。
ここのお店は1人前もつ鍋で有名なお店で、私のような一人旅派の人間でも手軽に博多名物を味わうことができます。店主さんと博多の美味しいものに関するトークを楽しみながら、醤油ベースで具だくさんのもつ鍋を美味しくいただきました。 -
食後の運動を兼ねて、福岡市営地下鉄の祇園駅まで歩きます。
夕闇迫る中洲のネオン街。 -
地下鉄祇園駅の近くにある日本旅館「鹿島本館」
大正時代に建てられた木造旅館で、登録有形文化財に指定されています。
私も以前大学の友人と泊ったことがありますが、食事も美味しく静かな雰囲気の部屋でゆったりくつろぐことができたように記憶しており、またいつか泊りたい宿の一つです。
ちなみに昭和38年まではすぐ近くに国鉄博多駅があり、この旅館は文字どおり駅前旅館としての役目を有していました。 -
祇園駅から福岡市営地下鉄空港線で福岡空港へ。
楽しかった福岡滞在もそろそろお開きです。 -
復路のフライトはANA430便大阪国際(伊丹)空港行き。
疲れていたので座席に座るや否やぐったりへたりこんでしまいました。 -
午後8時30分すぎに大阪国際空港に到着。
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到着ロビーでは今朝就航したばかりの格安航空会社「ピーチ」に関するニュースを放映していました。
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イチオシ
今回購入したお土産。西鉄ライオンズのキャップ、永青文庫所蔵の菱田春草「黒き猫」をモチーフにしたクリアファイルと絵葉書、明太子プリッツ。
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旅行記グループ 2012年3月福岡日帰り
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