2006/04/30 - 2006/04/30
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yamada423さん
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2022.7.18(月)「海の日」は1995年に制定して27年になります。
関東地方は6月27日に記録的に早い梅雨明けを迎え、東京では6月25日から連続9日間の猛暑日を記録しました。6月6日の入梅からわずか3週間の梅雨でしたが、降水量も平年より少なかったようです。
海の日の記念に数年前に編集したこの旅行記を毎年この時期に開いて思い出を新たにしてきました。
後期高齢者の仲間入りをして、海水浴の機会はなくなりましたが、海へのあこがれは消えることはありません。
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表紙写真 北茨城市 五浦海岸 2006.4.30/磯原の朝の浜1987.8.12
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2012.4.17のニュースで六角堂の再建完成を知り、心より喜んでいます。
<天心ゆかりの六角堂再建、28日から一般公開 茨城・北茨城市>
2012.4.17 19:16(産経ニュース)
茨城県北茨城市で、東日本大震災で流失した岡倉天心ゆかりの「六角堂」が竣工し、関係者にお披露目された=17日午後、茨城県北茨城市(松本健吾撮影)
東日本大震災による津波で流失し、再建が進められていた岡倉天心ゆかりの「五浦六角堂」(茨城県北茨城市)の完成式が17日、現地で行われ、明治38(1905)年の創建当時の姿が蘇った。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120417/dst12041719160006-n1.htm
*東日本大震災により流失しましたが、このたび創建当時の姿に再建し、平成24年4月28日から一般公開が再開。
http://www.ibarakiguide.jp/db-kanko/rokkakudo.html
2021年10月に再建後の六角堂を見に行ってきました。
旅行記および写真
2021秋の東北旅行
https://4travel.jp/travelogue/11726041
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/71/63/86/src_71638669.jpg?1638666348
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/71/63/87/src_71638716.jpg?1638665570
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/71/63/88/src_71638802.jpg?1638665570
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■<東日本大震災一周年に際して>2012年3月
千年に一度と言われる大震災から一年を迎えようとしていますが、未曾有の地震・津波で被害に遭われた被災者の皆様の前が見通せない困難な状況が続いていることに心を痛めております。
震災直後に詠んだ歌に、思いを新たにいたします。
<震災直後に>
この場を借りて東北関東大震災の犠牲者の霊に心より哀悼の意をささげます。<献歌>
みぞうなる じしんつなみが たみおそう やまとのくにの かみはいずこに
(未曾有なる地震津波が民襲う 大和の国の神は何処に)
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■東日本大震災(東北関東大震災を改称)で地震や津波による被害を受けた国宝や名勝、史跡などの文化財は、3月22日までの文化庁の調べによると、19都道県で約300件にのぼる。津波の直撃を受けた東北・北関東地方沿岸部の文化財が甚大な被害を受けたほか、地震の影響も広範囲に及んでいる。
文化庁伝統文化課によると、思想家・美術評論家の岡倉天心(1863~1913年)が明治38(1905)年に茨城県北茨城市の断崖に建てた「茨城大学五浦美術文化研究所六角堂」(国登録有形文化財)が津波の直撃を受け、土台だけを残し消失した。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110326/dst11032607320011-n1.htm
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■今回の地震・津波があまりにも広範囲に及んだため、神・仏も手が回らなかったのだと思います。千手観音でも。
しかし文化財は人の手になる物。人々の心のなかに生き続ければ、いつの日か必ず復元されるものと期待し祈っています。
4月20日の茨城新聞に、六角堂を管理する茨城大学(池田幸雄学長)が再建に乗り出すことになった、との報道がありほっとしました。
http://www.ibaraki-np.co.jp/news/news.php?f_jun=13032225683763
2011年11月22日(火)五浦六角堂再建へ起工式「復興の象徴に」
東日本大震災の津波で流失した六角堂(北茨城市大津町五浦)の再建に向け、管理者の茨城大は21日、関係者を招いて起工式を行った。新しい六角堂は、1905(明治38)年に岡倉天心が創建した当時に近い形で再建する方針で、来年3月末までの完成を目指す。
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(海の日にちなんで)2010.7.19
九州および中国地方を始め、各地で記録的な大災害をもたらした2010年の梅雨も、海の日を前にして全国一斉に開けたようです。
夏は、やはり海の風景が好きです。今回は夏より少し前の時期に撮影したものですが、碧い海が印象深かった茨城の海を紹介します。
自宅のある埼玉県所沢市から車でのアクセスは千葉や湘南、伊豆方面よりも、茨城の海が優れています。関越道ー外環道(1992~)ー常盤自動車道を使うと、2時間あまりで行くことができます。
北茨城には岡倉天心ゆかりの六角堂がある五浦海岸の海が、雄大でとても素晴らしい風景を見せてくれます。いつか泊まって海から昇る朝日を見たいと思って何年経つことでしょう。
〔五浦六角堂〕明治の日本美術院の主催者であり、思想家である岡倉天心の住居敷地(茨城大学五浦美術文化研究所)の一角、太平洋に張り出した岩盤の上に天心自身の設計により建てられ「観瀾亭」と名づけられた赤い六角形の堂が建っています。
朱色の建物と青い海、白い波の色合いがとてもよくマッチングして、まるで一枚の絵画のようです。(北茨城市HPより)
編集・公開 2010.7.19海の日(The Day of Sea)
撮影 NIKON COOLPIX5400、CANON AE-1P(後半11枚)
横長の写真をクリックすると2倍に拡大し、右→ボタンでライドショーのように連続して見られます。
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<追加写真>
1987年の夏休み、3人の子供が小さいころ磯原の旅館に泊まり、朝食前にすぐ前の海岸の朝日に照る波打ち際に佇む子供たちの後姿が今でも思い出されます。
2011.4.23ネガ・アルバムから写真を探し出しましたので12枚追加します。
約50年前からのネガは整理されていて健在です。昨年は1968年の九州一周卒業旅行3編を公開しました。
昔の家族の写真を追加して以来アクセスが急増し、5月は2位でした。(1位はモン・サン・ミッシェル)
6月は3位(1位 卒業50年目の街歩き 2位ロンドン・パリ旅行2010⑤パリ)
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6月23日
朝のNHKラジオで流失した六角堂の再建決定のことを知りました。
6月になって六角堂が沈んだのを目撃された沿岸海域をダイバーが捜索し屋根瓦、鬼瓦、ギボシ、赤い木材(板)など多数を引き揚げたそうです。部材の産地を調査・特定し、できるだけ元の姿を目指して今年度中に再建(復元)するそうです。よかったですね。(拍手)
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2011年7月20日
昨年の海の日に公開してからの1年間のこの海で起きたことを思うと胸に迫るものがあります。生きていてよかったという思い、六角堂のこと、茨城の海がいつもとの活気を取り戻すのだろうか、など。
この旅行記はいつまでもフォローしていきたいと思います。
震災で被災された方もどうぞお元気で。
2012年3月6日
震災一周年に先立ち、六角堂のことを調べたら再建の起工式が昨年11月に行われたことを知り一安心しました。
*東日本大震災により流失しましたが、このたび創建当時の姿に再建し、平成24年4月28日から一般公開が再開。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 自家用車
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イチオシ
六角堂は太平洋を目の前に望む海岸の岩場の上に建っています。
六畳ほどの広さの六角形の部屋の畳も六角形と三角形の組み合わせから出来ています。
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■この歴史的文化財の六角堂が巨大津波にさらわれてしまったとのニュースに接し、残念・無念の思いでいっぱいです。
震災復興の暁には復元されることを期待しています。
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2011年11月22日(火)
五浦六角堂再建へ起工式「復興の象徴に」
東日本大震災の津波で流失した六角堂(北茨城市大津町五浦)の再建に向け、管理者の茨城大は21日、関係者を招いて起工式を行った。新しい六角堂は、1905(明治38)年に岡倉天心が創建した当時に近い形で再建する方針で、来年3月末までの完成を目指す。
*東日本大震災により流失しましたが、このたび創建当時の姿に再建し、平成24年4月28日から一般公開が再開。 -
幼子をおんぶしたお父さんは何を思いながら見ているのでしょうか。
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■この父子がご無事であったのかが気になります。 -
再建された六角堂(下記サイトの掲載写真)
五浦六角堂
明治の日本美術院の主催者であり、思想家である岡倉天心の住居敷地(茨城大学五浦美術文化研究所)の一角、太平洋に張り出した岩盤の上に天心自身の設計により建てられ「観瀾亭」と名づけられた赤い六角形の堂が建っています。朱色の建物と青い海、白い波の色合いがとてもよくマッチングして、まるで一枚の絵画のようです。
東日本大震災の津波の影響により流失した六角堂が再建され、平成24年4月28日より一般公開されております。夜6時30分からはライトアップもされます。
http://www.city-kitaibaraki.jp/modules/sight/index.php?content_id=24
五浦六角堂(観光マップ)
詳しくは 茨城大学美術文化研究所 http://rokkakudo.izura.ibaraki.ac.jp/ -
この青い海に説明は要りませんね。
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■この青く穏やかな海を巨大津波が襲う様子を想像すると胸が痛みます。
私の記憶の中には、この青い海こそ茨城の海として一生残ることでしょう。
大げさな表現をすると海洋国家日本(ニッポン)の原風景です。
白い砂浜と黒い岩と水平線まで続く青い海。
英語のタイトル(表題)をBlue seaではなくBlue oceanにしたのはそれなりに考えてしたことです。 -
うーみーはーひろいな おおきーなー♪
文部省唱歌、林柳波:詩、井上武士:曲
http://www.youtube.com/watch?v=BMhAg0DiGno
海は広いな大きいな 月が昇るし陽が沈む
海は大波青い波 揺れてどこまで続くやら
海にお船を浮かばして 行ってみたいなよその国
私は自動車会社の研究開発技術者ですが、海外の人々との交流を厭わず続けてきたおかげで海外出張、個人旅行の機会に恵まれました。旅行記が生まれた源です。子供たちに小さい頃から「行ってみたいなよその国」と思わせることは親として大切なことかもしれません。
ローバー社との共同開発で度々訪れたイギリスで土産をよく買ったロンドンの玩具店Hamleysは子供たちにとってはあこがれの店です。
http://www.hamleys.com/ -
子供の頃このような広い、青い海を見ることにより遠くの国に思いを馳せる大きな人物が育つのだと思います。
お稽古事などとは違った情操教育ともいえるでしょう。
皇居 波の間の壁画は山口県の青海島の岩をモデルにしたといわれる東山魁夷作の「朝明けの潮」で、黒い岩と青い海と白波がダイナミックに表現されています。縦約3.8メートル,横約14.3メートルの大壁画です。
http://www.kunaicho.go.jp/about/shisetsu/kokyo/kyuden-ph.html -
気持よさそうに投げ釣りを楽しんでいます。
ずーっと昔、入社してしばらくの頃、同僚と投げ釣りに何回か行きました。
釣果は期待したほどでなくても、日長一日海を眺め、潮の香りを嗅いで竿を振っていると、日頃の心身の疲れが全身の肉体的疲労に置き換わるような気がしました。
非日常の体験です。
私の旅の目的と共通しています。 -
こちらは竿まかせです。竿の先端に鈴を付けてアタリを待つ人もいます。
私が釣りをしているのではありません。
私にとって、投げ釣りは釣果よりも海を楽しむことが大半の目的です。 -
木々の緑の合間から眺める太平洋の真っ青な海
The blue Pacific Ocean beyond the greenwood -
この白い波を眺めていると心が洗われます。
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この近くに五浦観光ホテルがあり、海上展望露天風呂では、1年を通じて、日の出を見られるそうです。(ホテルのHPによる)
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ニースの海 2013.5.14 11:23
2013年の海の日を前にブログに写真を追加します。
私にとっての日本の海のイメージの中心にある茨城の海と比べるために、今年5月に訪れた南フランスの地中海コート・ダジュールの青い海を紹介します。
今年のフランスの5月は記録的な低温で3月頃の陽気でしたが、この日14日は晴れてまずまずの気温20℃ぐらいになりました。
この写真はニースの城の前の海岸遊歩道から西の方向を撮ったものです。 -
五浦岬の先端は公園になっていました。
■2011.4.27の報道によると、茨城大学の調査で、半島の先端に近い場所では津波の高さが10mに達し、岡倉天心の家の縁側の高さまで水が来たようです。
半島西側の大津漁港では5m程度であったようです。
地形や方角でかなりの差があるようで、きめ細かい対応が必要と報じていました。 -
大津町五浦から眺める太平洋は昔も今も変わりません。
変わっているのは人間社会と自分自身です。
雄大な海の魅力を教えてくれた茨城の海に感謝です。
震災復旧の妨げにならない時期がきたら、ぜひ訪れたいと思います。
大洗の海にも何度も行きましたが、あの長くて白い砂浜の魅力は堪りません。反面、潮の流れが急で乗ったエア・マットが知らぬ間に1Kmも岸に沿って流されていることもありました。浜に上がって元の場所に戻るのに周囲の景色が唯一の手がかりでした。
離岸流でなくて助かりました。 -
イチオシ
1987年8月 盛夏
「Two Sisters on the beach 浜辺の姉妹」
(ルノアールの「テラスにて」の英語原題はTwo Sisters on the terrace)
http://artmeigakan.blog90.fc2.com/blog-entry-328.html
茨城県北茨城市磯原の朝の浜辺です。
この姉妹(8歳と14歳)は海の尽きない魅力にとりつかれて朝食前であることなど全く気にしていないようです。50年以上写真を撮ってきましたが、記憶に残る家族写真の一枚です。
私のブログを時々見ている次女は、この写真の二人は最初は他所(ヨソ)の子と思ったらしいです。「朝食前であることなど・・・」を読んでハッと気づいたそうです。朝食前がまさにkey wordでした。
真夏なので真昼間にはほとんど影ができませんが、これは早朝です。
次女の肩先・腕のシルエットが朝日でシャツに透けて見えます。
ぬれた砂浜に映る鏡像と朝日による影が少しずれて重なり、私が写真に求める「光と感動の記録」を見事に表現してくれていますが、撮った瞬間はそこまでは考えていません。今後これ以上の写真は撮れないでしょう。
「感性は経験の積み重ねで磨かれるものではない」私の信念です。
引き波の複雑な流れが作り出す砂浜の綾目模様が見えますので、画像をクリックし元画像に拡大してご覧下さい。自己評価では生涯の五指に入る傑作です。
2011.4.23
ネガ・アルバム(HAKUBA NEGA PRO)から探し出し、近所のラボでプリント(Lサイズ37円)してスキャナー(デジタル複合機PIXUS MP600)でデータを作りました。
市販の普及品フィルム・スキャナよりプリントをデジタル複合機でスキャンしたほうが色調の再現性などはるかに優れたデータが作れるとヨドバシ・アキバ゙で教えてくれました。
私の1990年以降のCONTAX RX(ツァイス・レンズ)で撮ったネガならヨドバシで販売しているスキャナーは買わないほうがよいといわれました。
この写真はCANON AE-1Pで撮ったものです。
写真をクリックすると大きな写真が見られます。 -
朝の浜辺で遊ぶ姉妹 8歳と14歳
海なし県 埼玉で生まれ育った家族には白く泡立つ波打ち際がなんと新鮮で生き生きと映ったことでしょう。
ザザザー シュワー プチプチー
(ビールのCMではありませんよ。泡がつぶれるプチプチ音は共通ですが)
白い泡に覆われた砂浜が高級霜降り肉に見えてしまいます(笑い)
ずいぶんしばらく美味しい牛肉を食べていませんので・・・。
LDLコレステロールが基準値を少し超えているので仕方ありません。
「直ちに健康に害を及ぼす値ではございませんので・・・食肉摂取全面禁止の措置をとる予定は当面ございません」(女房長官)
私は魚が大好きで、魚料理も和洋いろいろ作りますので、動物性タンパク質の不足の心配はありません。尤も割合は野菜がずっと多いです。
二人が成人してから個別に父子旅行でロンドンへ行きました。もちろん玩具店Hamleysにも。しかし店のトレードマークと言うべき赤い服の人形の絵が描かれたオリジナル・グッズはありませんでした。
2005年に結婚する直前に次女を連れていった時の旅行記(4連作で②-④はリンクが貼ってあります)です。
イギリスの旅2005①ロンドン バッキンガム宮殿・マダムタッソー蝋人形・キングスクロス駅
http://4travel.jp/traveler/810766/album/10471326/
小学生時代を単身赴任で実質的に母子家庭で過ごさせてしまった罪滅しです。長女は1997年秋にロンドンとダイアナ妃が事故死した1ヶ月後のパリを訪れ、ケンジントン宮殿前の献花の山(2006映画クイーンに登場する場面)と、パリの事故現場のアルマ橋の炎のモニュメントの花束を見ました。 -
宿泊した磯原の海辺の旅館の前の海で朝食前の水遊びです。
次女8歳です。
小さい頃から水に対する恐怖心はあまり持ち合わせておらず、親をハラハラさせたことは何度かありました。大人になってからは安房勝浦にきまった宿があるようです。
本人はこのブログを見て懐かしがっていました。
このような写真は家族だから撮れるのであって、どんなに技術が優れた写真家でも撮れないでしょう。視線までは読み取れませんがごく自然の姿です。ポーズを作るという知識はこの時代の子供にはあまりなかったような気がします。
「写真を撮りますよ」と言うといい歳の大人まで条件反射のようにVサインするのはなんなのでしょう。幼さの表現としか思えません。 -
1987年夏休み、単身赴任先の宇都宮に来た家族と茨城の海へ遊びに行きました。これは勿来(なこそ)の「源義家の歌」の歌碑です。
いかにも昔の子供スタイルです。右端の長男は10歳です。
子供たちにとって海の体験の多くは茨城の海です。私が他県の海といろいろな面で比較して選んで連れて行ったからです。
大人に人気のブランド・ビーチが子供にとって好ましいとは思いません。
父親が写っていないので母子家庭のように見えます。実際には父親が単身赴任のため、平日は実質的にそうでした。土日は必ず帰っていたので宇都宮での生活実感はあまりありません。
最後の11枚はアルバムの写真をはがして複合機でスキャンしたものです。 -
ここから先は磯原の旅館へ行く前の茨城の海水浴場です。
どこかは覚えていません。
東日本大震災直後の昨年2011年は海水浴どころではなかったですが、今年は回復してくれることを祈っています。
私にとって青い海の原風景 茨城の海 -
砂遊びに興じる母子
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一人砂遊び
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遠浅なので心配ありません
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浮き輪遊び
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エアーマット
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長男のことはあまり書きませんでしたが、スキーや旅行には何回も行きました。
上海駐在中ですが2009年に春節で一時帰国の時、真冬の能登・金沢旅行をしました。(2012年夏に帰任しました。)
氷見・金沢の旅①岩井戸温泉(氷見鰤づくし)と金沢街歩き
http://4travel.jp/traveler/810766/album/10528541/
氷見・金沢の旅②武家屋敷跡・金沢城と兼六園
http://4travel.jp/traveler/810766/album/10528578/
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