2012/02/26 - 2012/03/01
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ソフィさん
中国に返還された後のホンコンは、どのように変化しただろう。
昨年来マカオ、重慶、武漢、南京、上海と、新しい中国を見て来た私は、次の訪問先にホンコンを選んだ。
そもそも私が初めて踏んだ「外国」は、ホンコンだった。
ホンコンは、私の海外旅行の原点なのだ。
世界に関心を持ち始めたのは、小学生四五年ごろ(1942〜43年)だった。
外国を見たい、外国に行きたいと、子供心に憧れたものだ。
だが太平洋戦争が始まり、平和な旅はしばらくお預けになった。
その夢が、うっすらではあるが可能性を帯びてきたのは、終戦後しばらくしてからだった。
1955年、25歳で福島県会津の雪深い工事現場に滞在していたとき私は、「これからの一生どのように生きるか」と人生計画を考える。
そして「二十歳代のうちに欧米で暮らして見たい」と思うようになった。
行き先に欧米を選んだのは、彼らによる世界発展の原動力の原点は何なのかを、掴みたかったからである。
その中に、これからの日本を作り上げるヒントがあるだろうと、想像した。
その後盛岡に転勤したり、肺結核で一年休職したり、機会はなかなかやって来なかったが、1960年フランス政府招待社会人研修に合格して、1961年6月無事出発する。
その節私は、日本とフランスの間にある地理的、そして心理的な距離感を掴もうと、ホンコン、イスタンブール、アテネに一泊ずつ立ち寄ることにしたのだった。
ホテルを予約すべく、八重洲口の日本交通公社に行ったら、ホンコンでは予約可能なホテルが4軒あり、一番安い部屋を頼んだら、6ドル(当時のレートで2160円)だったと記憶する。
関連の写真を、「ソフィさんの旅行ブログ」http://4travel.jp/traveler/katase/に掲載しております。
文章だけならば、「片瀬貴文の記録」http://blog.alc.co.jp/d/2001114の活字が大きく、読み易いと思います。
どうぞお訪ね下さい。
(2012年3月15日 片瀬貴文)
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 飛行機
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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