2006/11/18 - 2006/11/28
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cypresscanadaさん
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ベンガジから東に向かい、ビザンチン時代の小さな教会の床に描かれていたモザイクが残るガスル・リビアに立ち寄る。当時は自然界にある素材を組み合わせて作られたので、素朴な風合いながら生き生きとした描写が特徴。
ガスルとはオスマントルコ時代の城塞の意に由来しています。さらにドライブを続け、ギリシャ植民地都市キュレーネの外港として築かれたアポロニアへ。365年の大地震でギリシャ、ローマ時代の都市部分は地中海に沈み、姿を消してしまっており、現存するのは主に5~6世紀ごろのビザンチン時代の教会が中心。
海からローマ時代の大理石の石柱や石頭を引き上げ、巧みに街の復興を遂げたようである。しかしオスマントルコ支配下で徹底破壊され、瓦礫の山と化してしまったのです。
今でも新市街の地下にはギリシャ、ローマ時代の遺跡が眠っていることは間違いないのだとか。キュレーネのレストランに向かう途中、アポロニアと地中海を望む高台と死者の町と言う意味のネクロポリスを見学。昼食はネクロポリスを改装した洞窟式のレストランにて。
昼食後、ギリシャ時代からローマ時代にかけて築かれたキュレーネの都市遺跡観光。キュレーネとはニンフ(精霊)の名前で、素手でライオンを仕留めた姿に太陽神アポロンが一目ぼれし、彼女を拉致して連れて来たのがリビアだったことから、この地がキュレーネと呼ばれるようになった。
又この地にやってきた最初のギリシャ人はテイラ島(現在のサントリーニ島)の人々で、当時の人口の増加や飢饉に苦しんでおり、アポロンの神託を仰いだところ、キュレーネに行くようにお告げがあったことから、バットスに率いられた200人の島民がやってきたのが町の興りである。
まずは少し離れたところにあるゼウス神殿を見、続いてギリシャ時代は体育場でローマ時代はフォーラム(公共広場)だった場所からスタート、バットスが造り、アゴラやアクロポリスまで続く王の道沿いに進み、通りを挟んだ向かいにはローマ時代の劇場や、モザイクが敷かれた大富豪の邸宅跡が残っていた。
これらの建造物は後世になり破壊され、建築資材として持ち出された結果、かなりの規模が縮小されていましたが、当時の面影をよく残されているものでした。
市民の広場、市場が開かれたアゴラはかってギリシャの神々が祀られていましたが、今は勝利の女神ニキの彫像だけが残っていました。
デメテルとその娘ペルセポネを祀った神殿はギリシャ時代からローマ時代ンかけてのオリジナル。バットスの家が建っていたアクロポリスに残る当時の石材を使ってイタリア軍が築いた城壁を眺めながら、キュレーネ発祥の地、聖域に向かって山を降りた。
神託で告げられた“天空に穴のあいたところ=雨の恵み多き所”ではなく、イタリア軍は天ではなく地に穴のあいた場所、すなわちアポロンの泉を発見しました。今でも豊かな湧水が溢れ、神秘性に満ちているものであった。
続いてハドリアヌス帝の築いたローマ浴場跡を抜け、ギリシャ門、宝物庫、ローマ門を見学した。
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