2012/01/15 - 2012/01/15
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ドクターキムルさん
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東京都港区芝公園4にある増上寺の三解脱門を潜ると人だかりが出来ている。猿回しをやっていた。本殿前の端ではボーイスカウトが餅つきをしていた。成人式が他の日になっても1月15日は小正月なのだろう。参拝客は数えるほどではあるが、正月風景はある。しかし、境内の木々には赤くなった葉が落ちずにまだ付いているのが昨年秋の暖かさを示していようか。紅葉がぼやけてしまい正月気分が盛り上がらずに今頃になっての初詣となってしまった。
それでも本堂前には十数人の参拝順を待つ列が出来ている。関西でなくても関東でも1列になって一人ずつ参拝するようになっているようだ。お賽銭箱の横の入り口から本堂に入ると看板がある。法要があるときは撮影禁止とあり、今は撮影ができる。今日は法要が予定されていて本堂内に椅子が並んでいる。前に並ぶ参拝者の列よりは少ない人が何人かがその椅子に腰掛けている。
増上寺本堂は、廃仏毀釈の嵐が治まらない明治10年(1877年)に皇女和宮の葬儀を明治政府が目論む神道であげるか、徳川家の武家流の仏式で行うかで一悶着あり、その際に放火されて焼け落ちたという。その後再建されたが、昭和20年の空襲で焼け落ちた。今の鉄筋コンクリート製の大殿(本堂)は昭和49年(1974年)に浄土宗開宗800年の記念事業として再建されたものである。
皇女和宮は第14代将軍徳川家茂死後には落飾し、静寛院宮(せいかんいんのみや)となり、神谷町にお屋敷を賜り、菩提を弔った。明治10年(1877年)に32歳で亡くなったが、生前から家茂公の横に墓を造ってもらいたいと漏らしており、一悶着あったときに勝海舟が仲介役に入り、明治天皇の侍従をしていた友人の山岡鉄舟に頼んで叔母の遺言を天皇に伝え、了承された。静寛院宮(和宮)は増上寺の昭徳院(家茂)の側に葬られ、戦後も幕末の徳川幕府の財政事情を反映している簡素な昭徳院(家茂)の宝塔と明治政府により建立された立派な青銅製の静寛院宮(和宮)の宝塔が芝増上寺の徳川将軍家墓所に並んで建っている。
(表紙写真は増上寺大殿(本殿)須弥壇の阿弥陀如来像)
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