2012/01/15 - 2012/01/15
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ドクターキムルさん
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東京都港区芝公園4にある増上寺の経蔵が公開になるので輪蔵が六角か八角かを確認しに出かけた。前回に引き続き今回も一番乗りであった。入口脇にテントを建て、経蔵の扉が開けてあった。中の輪蔵を覗くと八角に見える。中に入って輪蔵を一周して面を数えた。帰り掛けにも一周して輪蔵の面を数えた。やはり八面である。増上寺の輪蔵は八角輪蔵であるのだ。
Webのブログに増上寺の経蔵は六角とあるものが見受けられるのは、東京都指定文化財目録に「六角形輪蔵」とあったこと(東京都指定文化財情報データベース (http://www.taims.metro.tokyo.jp/kyoiku/bunkazai.nsf/5a6c601a6e646a21492576a90026f365/cd0d21cd00582842492578a40008066f?OpenDocument)では、「構造/形式」には「内部に木造六角形輪蔵がある。」と記載され、「解説」には「経蔵内部には、中央に軸を立て八面の経巻棚を設け、これに経巻を納め、自由に回転できる八角形の木造輪蔵を安置しています。」と記載されている。私からの指摘で最近になって「八角形輪蔵」に書き換えられた。しかし、メールのResはない。)と浄土宗新聞の記事(昭和45年(1970年)11月10日の「増上寺経蔵復元工事が完成」)には「木造六角の輪蔵」と記載されていることも原因の一つであろう。私でさえも惑わされた。Webなどは当てにはならないものなのだ。
増上寺経蔵は、A4の都の配布資料には、家康存命中の慶長18年(1613年)に創建されたとある。また、三縁山増上寺廣度院縁起には享和 2年(1802年)に家斉公が改造し、家康公寄付の3大蔵経を納めたとある。それを裏付けるように、経蔵外部は土蔵造りに見えるが、経蔵内部には漆喰はなく、普通の木造建築である。
前回の経蔵公開で、私の次に訪れた2番目と3番目の訪問者であったおばさんたちが輪蔵を「六角」と言った時に、それを確認したのだが、後で写真を見ると六角に見えたばかりにおかしなことになってしまったと悔いている。魔が差したとしか言いようがない出来事であった。
(表紙写真は増上寺の経蔵に安置されている八角輪蔵)
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経蔵。
「増上寺 経蔵 都指定 有形文化財(建造物)」のA4の配布資料には、「増上寺経蔵は慶長十八年(一六十三)木造で建立され、享和二年(一八○ニ)、収蔵の「大蔵経」保守のため、現在の土蔵造りに大改造されたものである。」と記載されている。「三縁山増上寺廣度院縁起」にもそのように記載されている。 -
「東京都指定有形文化財(建造物) 増上寺経蔵
増上寺は明徳4年(1393)酉誉聖聡により武蔵野国豊島郡貝塚(現千代田区)に浄土宗の正統念仏伝法道場として創建され、慶長3年(1598)現在地に移転しました。慶長10年(1605)から増上寺は幕府により浄土宗教義に基づく本堂・三門・経蔵・表門。方丈・学寮・諸堂などを配置した大伽藍が造営され、やがて徳川将軍家の菩提寺、浄土宗の関東十八壇林の筆頭に就き、浄土宗宗教を総括する総録所となりました。
経蔵は慶長10年(1605)に創建され、天和元年(1681)12月に改造移築し、さらに享和2年(1802)6月現地に移しました。構造は土蔵造、白壁仕上げ、一重、屋根宝形瓦葺き、四方に銅板裳階付き、建坪42.24坪(139.66?)、軒下高さ21尺(6.36m)。経蔵内部には、中央に軸を立て八面の経巻棚を設け、これに経巻を納め、事由に回転できる八角形の木造輪蔵を安置しています。これには徳川家康が寄進した宋版、元版、高麗版の大蔵経(重要文化財)が格納されています(現在は別に保管されています)。
平成22年(2010)3月建設 東京都教育委員会」。 -
経蔵の扉。
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傅翕大士(ふきゅうだいし)と二笑童子像。天和元年(1681年)作。傅大士をその輪蔵の守護神としてその像を安置することが行われた。
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傅翕大士(ふきゅうだいし)と二笑童子像。傅翕大士(497年から569年)と向かって左に長男の普建(ふけん)、右に次男の普成(ふじょう)のニ笑童子。
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傅翕大士(ふきゅうだいし)(497年から569年)。
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二笑童子像。向かって左に長男の普建(ふけん)。
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二笑童子像。向かって右に次男の普成(ふじょう)。
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経蔵の四隅(南東)に四天王像(持国天像)。持国天は東方の守護。
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経蔵の四隅(南西)に四天王像(増長天像)。増長天は南方の守護。
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経蔵の四隅(北西)に四天王像(廣目天像)。廣目天は西方の守護。
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経蔵の四隅(北東)に四天王像(多聞天(毘沙門天)像)。多聞天(毘沙門天)は北方の守護。
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輪蔵。「南宋版大蔵経」が収蔵されていた。
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輪蔵。
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時計周りに1面。
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時計周りに2面。
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時計周りに3面。
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時計周りに4面。
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時計周りに5面。
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時計周りに6面。
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時計周りに7面。
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時計周りに8面。確かに八面ある。
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輪蔵。
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輪蔵。
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輪蔵。
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輪蔵。
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輪蔵回転軸。8本の手押し柱が付いている。
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輪蔵回転軸。
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輪蔵回転軸。
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南側の書架。「高麗版大蔵経」が収蔵されていた。
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北側の書架。「元版大蔵経」が収蔵されていた。
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経蔵内部。欅の丸柱で普通の建物だ。
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新しく印刷された解説文。
「増上寺「経蔵」について
経蔵とは、印度その他の言語から中国語(漢文)に翻訳された聖典を中心とする仏教の叢書である大蔵経(だいぞうきょう)を収蔵する蔵(くら)のことである。
増上寺の経蔵は慶長十八年(一六十三)に建立され、その後享和二年(一八○ニ)現在の堂に大改築された。木造八間四面、一重白壁造り、屋根四方に鉄板造りの裳階(もこし)を配し、大屋根は宝形造り瓦葺きである。
経蔵の中央に大輪蔵がある。八角の書架が中心にある軸で回転するようになっているので輪蔵という。
この輪蔵には中国南宋版大蔵経が、左右の書架のうち向かって右の棚には元版大蔵経、左の棚には高麗版大蔵経がそれぞれ函に収めて収蔵されていた。現在はすべて経蔵の後にある収蔵庫で保存、管理している。
輪蔵の中央には中国南北朝時代の傅翕(ふきゅう 四九七〜五六九)大士の木像、大士に向かって左に長男の普建、右に次男の普成の像を安置している。傅翕大士は、明るい社会の請来には、大蔵経に親しむにありとして、当時、文字を知やぬ人、また修学する環境にない人々にも、広く縁を結ばせるために輪蔵を考案したと伝えられる。
三大蔵経とは、南宋版大蔵経・元版大蔵経、及び韓国の高麗版大蔵経であり、ともに木版印刷であるが、いずれも若干他の版木を含んでいる。すべて国の重要文化財に指定されている。
経蔵は、一般には一種類の大蔵経を収蔵しているが、増上寺の経蔵は三種類の大蔵経を収蔵した他に前例のないものであり、東京都の文化財に指定されている。
大本山増上寺」。
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