2006/07/23 - 2006/07/28
373位(同エリア780件中)
yambonさん
- yambonさんTOP
- 旅行記121冊
- クチコミ0件
- Q&A回答21件
- 153,457アクセス
- フォロワー11人
大トリアノン
7/25(火)ベルサイユ宮殿に引き続き、2つの離宮小トリアノンと大トリアノンおよび王家の人達が牧歌的な生活を楽しんだ村里をプチトランを利用して回った。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- エールフランス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
北花壇(多分)
宮殿の裏側右側直ぐにある。 -
同上
-
同上
-
小トリアノン門
ルイ15世の愛人ポンパドール夫人の願いで造られた。
今は、マリー・アントワネットの思い出の品が多く残されている。 -
小トリアノン門から後ろを振り返る
プチトラン
トリアノンと宮殿の距離は1.2km、歩くことは断念し、長い行列に並んでプチトランに乗った。
これはベルサイユパスの適用外で、5.5ユーロ。途中下車は自由。 -
小トリアノン
庭園側から見る -
愛の殿堂
マリー・アントワネットが、ここで恋人と会っていたと言われる。 -
愛の殿堂
ブーシャルドン作「ヘラクレスの棍棒を切り自らの弓を作るアムール神」
(複製、オリジナルはリーブル美術館) -
先に王妃の家が見える
-
王妃の家
-
王妃の家
-
池とマルボローの塔
-
マルボローの塔
-
水車小屋の裏面
-
王妃の家
回廊で連結された2棟の建物で構成されいる。 -
王妃の家?
-
王妃の家と衛兵の家
-
衛兵の家
-
ベルベデール(見晴らし亭)
-
ベルベデーレ内部
-
ベルベデーレ(見晴らし亭)を振り返って
-
ベルベデーレより愛の殿堂を遠望する
-
フランス館
1750年に完成した。ルイ15世が近くの植物園や動物舎を訪れるときの休息の場として設けられた。 -
大トリアノン
1670年ルイ14世は、トリアノン村の跡地に建物を建てさせたが、これを1687年に取り壊し、翌年現存の「大理石のトリアノン」に建て替えた。
コンサートや祝典、軽食の場として利用された大トリアノンは、王の休息地であり、自由になる私的空間であった。 -
-
正面から左に順に部屋を巡る
諸侯の間
ルイ14世の時代に「諸侯の控えの間」と呼ばれたが、その後いろいろな目的で使われた。 -
皇后の寝室
皇后マリー・ルイーズ(ナポレオン1世妃)、次いで王妃マリー・アメリー(フランス王ルイ・フィリップ妃)が使用した。
寝台は、マリー・アメリーの為にチュイルリー宮殿から運ばれた。 -
鏡の間
鏡の装飾は、ルイ14世時代の1706年のもの。
家具調度品の一部は皇后マリー・ルイーズが使用していたもの。 -
中央部に戻る
庭園
この庭園では、花々に重点が置かれ色や香りをもとに多種多様な花が植えられている。 -
庭園
-
庭園
-
柱廊
ルイ14世の認可のもとに作られ、軽食や夜食を取る場として使われた。 -
正面の庭
-
正面より右側の部屋を順に巡る
円形の間
玄関ホール。「王の居殿」への通路になっていた。 -
ルイ・フィリップの家族の間
フランス王ルイ・フィリップは2つの部屋を合体し、家族が毎晩ここに集った。 -
孔雀石の間
ロシア皇帝アレクサンドル1世が、ナポレオンに送った堅石にちなんだもの。
「皇帝の大広間」であった。 -
コテルの回廊
南向きの窓が多く、室内は明るい。
壁にかかる24枚の絵は1687年末に描かれたもので、当時のベルサイユとトリアノンの姿を今の伝える貴重な資料となっている。
1920年6月4日この回廊でハンガリーとの休戦協定が調印され、第1次世界大戦に終止符がうたれた。 -
運河とベルサイユ宮殿
運河は1668年〜1679年まで掛って造られた。
水上で数多くの祝祭の舞台となり、常に多くの舟が行き来していた。 -
運河とベルサイユ宮殿
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
yambonさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
39