2011/11/04 - 2011/11/04
57位(同エリア1026件中)
エンリケさん
ミャンマー旅行3日目(バガン2日目)。
早朝の熱気球ツアー、そしてポッパ山ガイドツアーの後は、再びバガンに戻ってきて前日まわれなかったパゴダ群を巡ります。
バガンの残りの旅では、いにしえのパゴダや大自然の中の景色もなかなかほかでは見られないもので素晴らしかったですが、それ以上に、この国の実情を表すガイドの言葉の方が印象に残りました。
やはり旅行会社の宣伝広告やガイドブックの情報だけではその国の表面しか見えてこず、現地でそこに実際に暮らす人と話してみないと本当のことは分からないものですね・・・。
<旅程表>
2011年
11月2日(水) 成田→ハノイ→ヤンゴン
11月3日(木) ヤンゴン→バガン
○11月4日(金) バガン→ポッパ山→バガン
11月5日(土) バガン→マンダレー
11月6日(日) マンダレー(アマラプラ→サガイン)→ヤンゴン
11月7日(月) ヤンゴン→ハノイ
11月8日(火) ハノイ→成田
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- ホテル
- 2.0
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 航空会社
- ベトナム航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
11月4日(金)
13時30分、ポッパ山の絶景ホテル、ポッパ・マウンテン・リゾートでタウン・カラッを眺めながら昼食をとった後は、バガンへ戻って前日見られなかったパゴダ群を巡ります。
もと来た道をガイド、ドライバーとともにドライブです。
ポッパ・マウンテン・リゾートの駐車場では“ECHIGO KOTSU”と書かれたバスが外国人観光客をお出迎えです(笑)。 -
道中、後ろの荷台に男女混合のたくさんの乗客や荷物を載せたこんな日本の中古トラックによく遭遇しました。
ガイドによるとヤンゴンなどからバガンやポッパ山にやってくる巡礼者だそうで、大人数でわずかなお金を持ち寄り1台のトラックをチャーターしてくるのだそうです。
貧しくとも仏教や精霊神(ナッ神)に対する信仰心が篤いのでしょう。
しかし、逆に言えば貧しいからこそ娯楽につぎこめるお金がなく、信仰にすがるしかないということなのかもしれません・・・。 -
道中の山の上には金に輝くパゴダが。
国民の大部分を占める貧しい人々とそこら中にある黄金のパゴダ・・・やはりギャップを感じずにはいられません。
ガイドとミャンマー人の娯楽について話をしていると、ミャンマーの人々はよくテレビでイングランドのプレミアリーグを見ているとか。
そういえば前日夜のレストランでもプレミアリーグの試合が放映されていました。
ガイド自身はマンUは人気がありすぎるから嫌いらしくアーセナルのファンだそうで、日本人の宮市亮はロナウジーニョになぞらえ“リオジーニョ”と呼ばれているとか控えの日本人選手情報にも詳しく、本当に好きな様子が伝わってきてこちらもうれしくなりました。
わたしも昔ハイバリーに観戦に行ったことを話すと、とても興味をもってくれ、なんだかガイドとの距離が近くなったように感じました。
ミャンマーのこんな田舎の地でも“サッカーは世界の共通語”ぶりを発揮です(笑)。 -
ミャンマーに経済制裁を与えている英国のフットボールがミャンマー国民に娯楽を与え、非民主的とされる政治への不満のそらし先になっているなんて、世界の国々の付き合い方は多様になったものです。
最終的には世界各国と娯楽だけでなく経済や文化面も含めた交流をより推し進め、国際社会の中で一定の地位を得るため、真に民主的な国家へ移行し、経済制裁を解除してもらうことがやはり国民も望んでいることなんでしょうね。
・・・そんなことを考えているうちに、ポッパ山を出て1時間半ほど経った15時、ガイドに予め見たいと伝えてあったバガンのダマヤッズィカ・パヤーに到着です。 -
ダマヤッズィカ・パヤー(Dhammayazika Paya)はオールドバガンやミィンカバー村からは遠く、ほかの有名なパゴダ群からはぽつんと離れたところにあります。
車を降りてガイドとともにお土産屋がならぶ参道を通り、その巨大な仏塔へ。
お土産売りのおねえさんはガイドが一緒だとそれほどしつこくないです(笑)。
このダマヤッズィカ・パヤーは12世紀、パガン朝のナラパティスィードゥー王(前日見たティーローミンロー寺院を建立したナンダウンミャー王の父王)によって建てられたパゴダで、“地球の歩き方'11〜'12”を見ると塔の部分がきらびやかな黄金色に輝いていますが、現在はこのとおり金箔がはげてなんだかみすぼらしい姿に・・・。
これは、軍事政権時代の2003〜2004年に首相を務めたキン・ニュンがこのダマヤッズィカ・パヤーの修復に力を入れていたところ、2004年の10月に政争のため失脚、逮捕されてしまい、それ以降、このパゴダの修復がほったらかしにされているからだそうです。
政治的な理由でこんな世界遺産級の遺跡が放置されているとは・・・やはりこの国の政治には失望を覚えざるをえませんね・・・。
*その後、キン・ニュン元首相は欧米諸国との関係正常化のため民主的改革を進めるテイン・セイン大統領の下、2012年1月に釈放。
【ミャンマー、反体制派や記者650人に恩赦 民主化指導者も(2012年1月13日AFPBBNews)】
http://www.afpbb.com/article/politics/2850525/8292319
【米政府、ミャンマーとの国交正常化へ 政治犯釈放で(2012年1月14日AFPBBNews)】
http://www.afpbb.com/article/politics/2850587/8290478 -
そんな政治的事情で金箔がはげ、管理が行き届いていないとはいえ、そのシルエットからはどっしりとした威風堂々たるパゴダの様子が伝わってきます。
-
パゴダの正面の堂の中には金箔で彩られた仏像が安置されていました。
お供えもきちんとされているようですし、外聞を恐れて管理されていないのは外観だけで、内部の仏像は信仰の篤い地元の人などによって管理されているのでしょう。 -
巨大な仏塔の周囲四方のレンガ造りの壁にはいくつもの正方形のくぼみがあり、よく見るとそこには・・・。
-
粘土で造ったものらしきこんなレリーフがはめ込まれていました。
当時のままのものなのか、それとも復元したものなのか分かりませんが、仏教の物語“ジャータカ物語”をあらわしているのでしょう。 -
レリーフのひとつをズームアップ。
象と人間の姿が描かれています。
サンスクリット語かパーリ語らしき文字も刻まれているところを見ると、復元ではなく当時のままのものなのかも。
何が書かれているかガイドに聞いてみると、この文字は現代のミャンマー人は読めないとのことでした。 -
塔を見上げてみると、表面の金箔がはげ落ちそうになっていたり草が生えていたりと何の手入れもなく荒れるにまかせている状況・・・こんな由緒ある威風堂々としたパゴダなのに。
政治的な理由で管理がなされないようでは、バガンの仏塔遺跡群が世界遺産に登録されるのも、残念ながらまだまだずっと先のことになるでしょう。 -
このダマヤッズィカ・パヤーは塔の上にも登れます。
登ってみると、周囲に広がるサバンナの中、いくつもの赤レンガのパゴダや寺院が見渡せる見事な景色・・・。
そして今、この場でこの景色を見ているのはわたしとガイドの二人だけ。
・・・この雰囲気の中、彼はわたしを誘い、塔の端に腰かけてこの国の実情を話し始めました。
軍事政権下で起こった1990年のオールドバガンからニューバガンへの強制移住で、環境の変化から何人もの老人が亡くなったこと、この年の7月にアウンサンスーチーとその息子がバガンを訪れた際、間近で見ることができ感激したこと・・・。
【スー・チーさんが国内旅行、軟禁解除後初(2011年7月4日AFPBBNews)】
http://www.afpbb.com/article/politics/2810458/7458564
【スー・チーさん地方訪問、行く先々で民衆の輪 政権の反応は(2011年7月8日AFPBBNews)】
http://www.afpbb.com/article/politics/2811534/7470233 -
この欧米のバックパッカーの最後の聖地のようなバガンが、地元の人々のそんな犠牲の上に成り立っていたとは・・・ガイドとしては、そんな実情を外国人観光客にぜひとも知っておいてもらいたかったのでしょう。
また、アウンサンスーチーのことを話す際、そのガイドの顔が少年のようにほころんでいるのも(もともと若い顔立ちでしたが)とても印象的でした。
一方で、話がガイドの家族のことに及び、子どもが一人と聞いたので、もう一人産まないのかと聞いたところ、“いやもう苦しくて無理”と、本当につらそうな顔をして答えられてしまいました。
発展途上国というと“子沢山”というイメージがありますが、前日の馬車の御者もそうだったように、ここミャンマーでは事情が違うようです。
(世界保健機関の統計によると、ミャンマーの2009年の合計特殊出生率は2.3で、ラオス3.4、フィリピン3.0、カンボジア2.9、ネパール2.8よりも低くなっています。)
http://memorva.jp/ranking/unfpa/who_2011_total_fertility_rate.php
やはりこの国の政治に端を発する“貧困”や“未来への希望のなさ”が子どもをつくろうとする気持ちも萎えさせてしまうのでしょうか。
(人の国のことばかり言えませんが・・・。)
それだからこそ、アウンサンスーチーに対する希望も大きく、彼女のことを話すときの彼の少年のような顔の輝きが一層際立って見えてしまうのかもしれません。 -
・・・ガイドは、言いたかったことを言えたというすっきりした顔になって、塔を降りて行きました。
話したのは実際に起こった出来事だけで、さすがにそれ以上の政治的な話にはなりませんでしたが、ミャンマーでは普段そういった話でさえはばかられ、思いがたまっていたのだと思います。
我々も旅先の知らない人にはつい気を許してしまうことがあるように、現地の方も、外国人旅行者だと気を許しやすくなっているのでしょう。
・・・政治犯の釈放や亡命メディアの閲覧規制解除、Facebookの解禁など、徐々に民主的な改革が進んでいるとはいえ、現地ではまだまだ公に話せないことが多いですが、これからミャンマーを訪れる方々にもこんな話を知ってもらいたくてあえて掲載することにしました。
ミャンマーを訪れる旅行者は、わたしも最初そうだったように、現地の人々の優しい笑顔や仏教への篤い信仰心に憧れて行く方が多いのだろうと思いますが、旅行会社の広告やガイドブックには決して載せられないこういったことも踏まえて現地の方々と交流しなければならないと思います。 -
さて、16時になり次のパゴダを目指します。
次はガイドが1990年の強制移住の記憶とともに語っていた、ニューバガンにあるバガン最古のパゴダ、2つから成るペッレイ・パヤー。
ニューバガンの大通りではシャン・バッグを肩に下げた下校途中の子どもたちに遭遇。
平和でのどかな風景です。
過去の強制移住や未来の見えない政治のことを言っても何も知らない子どもたちにとっては関係なく、幸せだと感じているのでしょうか・・・。 -
二つのペッレイ・パヤーがある敷地には扉がかけられています。
ガイドに扉を開けてもらい、通りから敷地に入ると、右側にいかにも古い感じの草むしたパゴダが見えてきました。
アシャ・ペッレイ・パヤー(Ashae Petleik Paya)です。
パガン朝の事実上の初代国王で、ビルマ族に上座部仏教を取り入れたアノーヤター王(在位1044〜77年)が建立したもので、バガンで最古のパゴダと言われています。 -
そして左側には同じくバガン最古と言われるアナー・ペッレイ・パヤー(Anauk Petleik Paya)。
いずれも塔の形がこれまでに見てきた円錐状のパゴダのように洗練されておらず、素朴で原始的な印象。
このアナー・ペッレイ・パヤーの中には仏教の物語を描いたレリーフがあると言いますが、これまた扉で閉ざされているので、敷地内に住んでいる夫婦から鍵を借りて中に入ります。
(夫婦には管理料として鍵を返す際に200チャット(20円)を渡しました。) -
扉を開けると、修復の行き届いていない今にも崩れそうな壁にダンジョンのような薄暗い雰囲気の回廊が待ち受けていました。
正面の壁にはレリーフのようなものも見えます。
ちょっと怪しい雰囲気ですが、入ってみます。 -
薄暗い回廊をところどころライトを照らしながら進んで行くと、1000年近く前に作られたとは思えないほどくっきりとしたレリーフが残っていてびっくり!
絵画とともに刻まれたサンスクリット語かパーリ語らしき文字もはっきり見えます。
このアナー・ペッレイ・パヤー、回廊部分が1905年に掘り出されるまで土中に埋もれていたため保存状態がよいのだそうです。 -
レリーフはこのように上下二段にわたってはめこまれ、消失したものもあまりなく、ほとんどが何を描いたか分かるくらいはっきりと残っています。
こんな貴重な文化遺産なのにたいした保存措置もとられず、鍵も近くに住む管理人にまかされているとは・・・。 -
レリーフに描かれているのは“ジャータカ物語”という仏教の教えを説いた仏陀の前世の物語。
仏教を学んだ人であれば、これらのレリーフを見てピンと来るものもあるのでしょうが、残念ながらわたしには分かりませんでした・・・。
まだまだ修行が足りませんね。 -
こちらにも船上に立つ仏陀など、なんとなく場面の読めそうなレリーフがあるのですが・・・残念ながら分かりません。
もっと仏教を勉強してからくればよかった・・・。 -
と、このレリーフの前に来たとき、ガイドがここに描かれている物語“鹿王の話”をしてくれました。
それは仏陀が前世において鹿の王だった頃の話で、鹿の群れの中から鹿が順番もなくバラバラに人間に狩られていたところ、その群れの王である仏陀が人間の王と交渉して、いつ殺されるか分からない鹿たちの恐怖を軽減するため、順番を決めて人間に差し出すようにしたのだそうです。
するとある日、妊娠した雌鹿に順番がまわってきて、彼女が鹿王に“子どもを産んでから人間に差し出してほしい”と言うと、鹿王である仏陀が彼女の順番を引き受け、自ら人間の前に行くことになりました。
それを聞いた人間の王が、人間以上に徳を備えた鹿王の行為に打たれ、鹿王以下、群れの命を保障したという・・・。
【ジャータカ物語〜鹿王の話】
http://www.j-theravada.net/jataka/jataka-0007.html -
ガイドが鹿王の話を熱く語っているのを聴いているうちに、わたしもなんだか心が熱くなってきて、ガイドが本当の僧侶のように見えてきました。
ありがたい話を聴いた気分です。
この話、ミャンマー人は学校で習ってみんな知っているとのこと・・・やはり仏教に対する信仰が篤い国なんですね。
さて、管理人に鍵を返して、パゴダ巡りの最後、ニューバガンの北にあるセィンニェ・アマ寺院(Seinnyet Ama Temple)へ。
時刻は16時30分になり、日がだいぶ傾いて寺院もほんのりオレンジに染まってきました。 -
寺院の中には、これまで見た寺院と同様、東西南北に4つの仏像が祀られていました。
ただ、この寺院の仏像は金ピカではなく肌色にえんじの僧服をまとった質素なもので、日本人的には非常に見やすく親しみを覚えます。 -
セィンニェ・アマ寺院は“姉妹の仏塔”ともいわれ、すぐ隣にセィンニェ・ニィーマ・パヤー(Seinnyet Nyima Paya)があります。
いずれも11世紀のパガン朝の王妃、セィンニェが建立したもので、アマが姉、ニィーマが妹という意味だそうです。
ガイドに案内され、セィンニェ・アマ寺院の狭く薄暗い階段を昇ると・・・そこにはセィンニェ・ニィーマ・パヤーの形のよい美しい塔が青空にくっきりとそびえていました。 -
セィンニェ・ニィーマ・パヤーの向こうには、透き通るような青い空の下、遥か遠くまで続くサバンナの中にたくさんのパゴダが。
-
塔の上に登ってサバンナの中のパゴダ群の景色を眺めるのもこれが最後です。
・・・16時45分、パゴダの東側に伸びる影が長くなってきました。
この日も夕暮れの時間が近づいてきたようです。
パゴダの上からのサンセットは前日に見たので、この日はエーヤワディー川のサンセットスポットへガイドが連れて行ってくれました。 -
やってきたのは前日も訪れたオールドバガンのブーパヤー・パヤー。
時計を見ると17時、サンセットの時間に間に合いました。
エーヤワディー川沿いのパゴダから西の彼方に沈みゆく太陽を眺めます。 -
振り返ると背後には、夕日を浴びてオレンジ色に染まるブーパヤー・パヤーのユニークな形の塔身がありました。
-
太陽は速度を速めるように西の彼方に沈んでいきます。
エーヤワディー川に映る夕日の帯がとてもきれいです。 -
17時10分、太陽が山際近くなり、西の空がオレンジに染まっていきます。
“アーナンダよ、ごらん世界は美しい・・・”
と、先ほどのガイドの“ジャータカ物語”についてのありがたい話の続きから言えば、こんな手塚治虫の“ブッダ”の名場面の言葉でも思い浮かべたいところですが、正直なところ、この時はこれまで見てきたこの国の貧困と政治のひどさの方が印象に残り、とてもそんな気分に浸れませんでした・・・。 -
そうしているうちに厚い雲が出てきて、山よりも早く太陽を覆っていきます・・・。
-
17時15分、山の向こうに落ちるよりも早く、太陽は雲に隠れてしまいました。
あたりは紫色に染まっていき、だんだんと夜の帳が下りてきます。 -
薄暗くなった空の下の静かな雰囲気の中、ブーパヤー・パヤーもライトアップが始まりました。
-
かすかなオレンジの光を残して、西の空は紫色に染まっていきます。
-
17時30分、夕暮れを楽しむ巡礼者たちもだいぶ減ってきたので、我々もホテルに戻ります。
ガイドとドライバーには一日お世話になり、感謝の意をこめて、本当にわずかながらチップも渡しました。
(ガイドは自分よりもドライバーへどうぞと固辞するような仕草を見せたので、本当はよくなかったのかも・・・。)
特にガイドは、日本にいては表面しか伝わってこない現地の情報について率直に語ってくれ、やはりガイドツアーにしてよかったと思いました。
なんだか取材旅行のようになってしまいましたが、これまでの旅とはまた一味も二味も違う経験ができました。 -
さて、ニャウンウーのホテル(ヤーキンターホテル)へ戻った後は、例によってビーチサンダルのためほこりまみれになった足を洗い、靴に履き替えて夕食に繰り出します。
すっかり暗くなり、夕食を求めて通りを行き交う外国人観光客が増えた19時、ホテルの前の通りにある、隣にパゴダがそびえる遺跡レストランへ。
この年の7月に旅したペルー、リマでも“ワカ・プクヤーナ”という遺跡レストランに入りましたが、最近はなんだかこの手のレストランに縁があります(笑)。 -
レストランではSweet Chicken Curry(2,000チャット)とライス(300チャット)、マンダレービールの青(1,500チャット)を注文(合計3,800チャット=380円)、味の方はまあまあ美味しくいただけました。
リマのワカ・プクヤーナのように、“ンまぁーーいッ!”というほどではありませんでしたが(笑)。
ちなみにマンダレービールは緑のミャンマービールを飲んだ後では薄くて物足りなく感じてしまうかも。
値段も少し安いです。 -
この遺跡レストランには19時30分から始まる人形劇のショーもあります。
外国人の客寄せのため子どもたちが操っているようで、お金をとらないだけあってやっぱりへなへなな動き・・・。
川本喜八郎の人形劇三国志などを見てきた日本人からすればまったく見るべきものではありません(笑)。
【参考:飯田市川本喜八郎人形美術館】
http://www.city.iida.lg.jp/kawamoto/ -
へなへなな人形劇のショーは20時に終了。
一緒に見ていた欧米人の観光客もがっかりという雰囲気(笑)。
そして操っていた子どもが人形たちとともにステージに現れ、観光客に向かってにこりと笑いかけますが、拍手はパラパラ・・・。
まあ人形劇のことは忘れて、料理の味だけ思い出してホテルに戻りましょう(笑)。
さて、5回にわたって書き続けてきたバガン旅行記もこれで終了。
ようやく次の都市、マンダレーに進みますが、ミャンマーの旅の魅力はこのバガンに尽きるといっても過言ではなく、マンダレーやヤンゴンでおもしろいものが書けるのやらと迷います・・・。
なんとか楽しかったことを思い出していこうと思いますが、もしかしたら筆が進まなくなるかも・・・。
(マンダレー観光に続く?)
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この旅行記へのコメント (8)
-
- odekakekunさん 2012/04/14 10:20:53
- この寺院にいきました。
- 4月10日にミャンマーから帰りました。旅行記、大変参考になりました。
3月一杯でバルーンツアーは終わっていたことが残念ですが、バガンの仏教遺跡を堪能し、人々の暖かさに癒されました。
特にこのダマヤッズィカ・パヤー(名前をこの旅行記で知りました)からの全景はまさに感動物でした。
事前にこの場所がわかっていれば、毎日、日の出と夕陽を見に行ったとおもいます(訪れたの日中でした)。
人々は日本人と良く似ていますし、同じ仏教等として親近感を感じます。
また訪れたい国です。
では失礼します。
- エンリケさん からの返信 2012/04/15 15:30:53
- ミャンマー、楽しんでこられたようで何よりです。
- odekakekunさん
こんにちは。
ミャンマー、無事行って来られたんですね!
旅行記、拝見させていただきました。
バルーンツアーは残念でしたが、バガンのサンライズやサンセットなど、サバンナに広がる仏塔群の美しい景色を満喫されたご様子。
また、現地の人々や観光客たちもとても美しく魅力的に撮られていますね〜。
odekakekunさんの撮影の技量に感心しきりです。
・・・タビィニュ僧院の日本人が建てた鎮魂の碑、行かれたんですね。
ここはわたしも合掌して涙した思い出の場所です。
これからもずっと平和の碑として、世界平和を願うとともに日本とミャンマーを結び付ける役割を果たしてほしいですね!
-
- Yattokame!さん 2012/02/25 04:56:19
- 美しい風景
- エンリケさん
おはようございます。
バガンの風景、緑の中に浮かび上がるレンガ色のパゴダの姿がなんともいえず美しいです。夕陽に浮かぶパゴダの写真もしばし眺めてしまいます。レリーフやフレスコの絵も個性があって素晴らしい。こういうところには、何日か滞在して気に入った風景を見つけたら、しばらくぼーっと眺めていたいですね。
旅行記を拝見しているとミャンマーの御者の素朴な雰囲気が伝わってきて、こちらも素敵ですね。ミャンマーの人は穏やかな印象がありますが、一方で圧政を敷いてきた軍事政権も存在するというのがなんともミスマッチな感じで、ミャンマーって不思議な所だなと思います。
10年前にミャンマーを旅行しようと思って年末のハイシーズンのチケットを押さえたのですが、直前に事情があってキャンセルして以来、ミャンマーを訪れる機会は逸したままになっています。バガンにはいつか絶対に行って、この美しい風景を眺めてみたいものです。
Yattokame!
- エンリケさん からの返信 2012/02/26 14:45:03
- ご訪問ありがとうございます。
- Yattokame!さん
こんにちは。バガン旅行記にご訪問ありがとうございます。
バガン、たった2日間しか滞在できませんでしたが、おっしゃるとおり、もっとのんびりできればさらなる魅力を発見できたのではないかと思います。
日本のサラリーマン旅行者はつらいですね・・・。
ミャンマーはこういうのどかなところがある一方で、少数民族をはじめ国民の人権を抑圧しているという面もあり、旅行をしていてもミャンマーの本当の姿はどっちなんだろうと考えることもしばしばでした。
そんなミャンマーでも昨年から急速な勢いで民主化が進んでいるようです。
Yattokame!さんが訪れる頃にはミャンマーの姿もわたしが訪れたときとだいぶ変わっているのではと思います。
民主化が進んで人々が本当の笑顔で暮らしているミャンマーを、Yattokame!さんの素晴らしいお写真を通じて見てみたいものですね。
-
- liberty-libertyさん 2012/01/14 12:09:45
- 不思議・・・・・・(^o^)
- こんにちは!
今回は美しい風景や建物だけでなく
ミャンマーという国の実情を伝えるエンリケさんの言葉や
ガイドさんの言葉にジーンと来ました。
鹿王の話は読んで涙が・・・・・(T_T)
そしてその後、温かい気持ちになりました。
仏教徒ではないいんですが
やはり神話には不思議な癒しの力があるのかなぁ(^o^)
また次回の旅行記
楽しみにしています!
- エンリケさん からの返信 2012/01/15 17:33:22
- いつもご訪問ありがとうございます!
- liberty-libertyさん
こんにちは。いつもご訪問ありがとうございます!
ミャンマーは人々が優しい国と言われていますが、この鹿王の話に象徴されるように、人々が仏陀の教えを守っていることから来るものなんでしょうね。
一方で、人々を簡単に逮捕してしまう軍人による独裁的な政治もあるわけですが・・・。
物事は一面だけでは捉えられないということが、今回ミャンマーを旅してよく分かりました。
そういう意味で、ミャンマーの旅は人の世のカオスを経験できるおもしろいものだと思います。
わたしとしてはもう味わいたくないですが(笑)。
次はもっと純粋に楽しい旅がしたいですね!
-
- ガブリエラさん 2012/01/05 22:47:42
- ぜひ続きを〜ヽ(^o^)丿
- エンリケさん☆
そうそう!
前回のご旅行で、遺跡レストラン入ってらっしゃいましたよね♪
ちゃーんと覚えてますよ〜ヽ(^o^)丿
夜のパゴダ、ちょっと不気味で、迫ってくる感じですね!
子どもちゃんの人形劇、きっと彼は精一杯だったのでしょうね(^_^;)
次の街、ぜひぜひアップして下さいね(^_^)v
ガブ
- エンリケさん からの返信 2012/01/05 23:52:55
- 次回もがんばります!
- ガブリエラさん
こんばんは。アップ早々ご訪問ありがとうございます!
リマの遺跡レストラン、覚えていだたいていましたか。
ワカ・プクヤーナ、国内外問わず昨年入ったレストランの中でいちばんの味、そしてサービスでしたね。
場所が地球の裏側とかなり遠いですが(笑)、また行ってみたいものです。
次はようやくバガンを離れてマンダレーに向かいますが、旅行記を書くモチベーションが続くか心配・・・。
なんとかがんばって書いていきたいと思いますので、完成しましたらぜひまた遊びにきてください!
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