2011/09/11 - 2011/09/21
75位(同エリア339件中)
明石DSさん
部屋の窓から北西方向を写す
今回の旅は毎日5時頃起床だった
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4日目:9月14日(火):曇り時々雨
琿春〜馬滴達〜張鼓峰〜防川〜琿春
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2011/平成23年9月14日(水)
■琿春の朝
今日もほぼ午前5時頃起床。昨日の運転手の陳○○さんと8時に待ち合わせだったので、まず朝の散歩に出て、明日図們に向う客運站(バス乗り場)の確認をしに行った。逆方向から大回りしても30分掛らない。場所も分かったし、明日は近道で行けば良い。琿春国際客運站は外見ロシアのお城風の建物。
今朝も外は雲が多いが雨は降っていない。又ホテルに戻って朝食を食べた。このホテルもロシア語の看板を掲げているようにロシア人がチラホラ。約束の8時ピッタリに陳○○さんが迎えに来て出発。一路、馬滴達へと向う。(マディダ)
- 旅行の満足度
- 5.0
-
新安路(南北)と琿春街(東西)の交差点から東に百メートル
ホテルロビーより交差点方向を写す -
琿春賓館1階ロビー
朝早い?ので誰もいません
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1934/昭和9年/琿春の回想
http://www.youtube.com/watch?v=RXlDPNbwg_I&feature=player_embedded -
ロシア語看板が多い
こんな極東にまでロシア人がいつ来たんや?
面積
ロシア:約1,707万平方キロメートル(日本の45倍、米国の2倍近く)
中国:約960万平方キロメートル(日本の約25倍)
人口
ロシア:1億4,291万人(2011年4月)
中国:約13億人
ロシアは広い国土を持ち
人口はたったこれだけなのに
ロシアも中国も、ホンマ厄介だ -
琿春の客運站
ロシア風ってやつか・・・
好きにしたらええけど
この客運站の北側に琿春駅があります
今は客車はなく、貨物輸送だけの鉄道のようですが -
客運站の東側が文化路(南北)
客運站の前の站前路(東西)でこの案内標識を写す
東西なのに何でか?「路」、「街」ではない
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琿春:昭和21年「日本人が日本人を告発」人民裁判
http://www.youtube.com/watch?v=fUs3LaAadxU&feature=player_embedded
-
客運站から文化路を南に歩いて
琿春街を右折、西に歩けば
琿春賓館があります
客運站から徒歩10分足らず
昨日はこの距離をタクシーに乗って来ました -
健康管理を趣味して以来、朝食は不可
だから朝食バイキングも気合入らず
最近はどこにも何故か?豆乳がないし -
とりあえず宿泊代に含まれているし
食わなければ何か損というセコイ気分で食う -
約束どおり8時前に陳○○さんはホテルに迎えに来てくれた
琿春から琿春河沿いに東北東方向に向う
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■馬滴達へ向う
『馬滴達南側の545高地に日本軍陣地があり、コンクリート地下豪もあった。』
「日本軍陣地跡を知らないか?」と、聞いた時に陳○○さんが「知っている。日本の作った物が残っている」と言うことだったので、琿春から50〜60キロほど東に離れた琿春河沿いの馬滴達村に向った。
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馬滴達(?滴达 Mǎ dī dá マディダ)
http://local.google.co.jp/?ie=UTF8&ll=42.931228,130.804939&spn=0.044744,0.10952&t=m&z=14&vpsrc=6&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,1&source=embed
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琿春周辺での戦闘
「ソ連軍侵攻と日本軍」中山隆志(著)
琿春周辺での戦闘
春化ー大馬鞍山正面(第112師団)
安嶺西方12キロの馬滴達南側の545高地附近には歩兵第247連隊第9中隊の兼田一郎少尉以下混成の約59名があった。
9日午前3時50分頃、高地麓にあった歩哨がソ連軍の接近を報告したが、この時既にソ連軍は高地頂上、西山亥之一見習士官以下9名が守備するコンクリート地下壕兵舎に殺到、手榴弾、ガス弾を投入して出口を閉鎖、一名脱出のほか西山見習士官ほか8名は全滅した。
続いて麓の主力兼田少尉以下33名がいる兵舎が攻撃を受けて激戦、十数名の戦死不明を出し、四組に分かれて脱出、その後連隊主力に復帰した。
同高地南西の中松田山の白浜義治伍長以下10名も同時刻頃攻撃を受け、地下壕兵舎は手榴弾、ガス弾を投入、出口を閉鎖されて大部が全滅、脱出した白浜伍長以下も戦死し、攻撃時兵舎外にあった二名の内の一名だけが後にソ連軍に収容された。
■日本軍遺跡は東満洲鉄道の擁壁だった
なるほど東に向って道の左側にコンクリート擁壁があり、その上は鉄道のレールが敷かれていてもおかしくない土手のような感じが続いていた。その時は、ここにも満鉄が走っていたのか・・・。と思うくらいで何も分からなかった。
帰国後調べてみれば、この鉄道は1932年・昭和7年3月満洲建国の五ヵ月後に「琿春鉄路」として開業し、938年/昭和13年、張鼓峰事件勃発の年に東満洲鉄道となり、1942年/昭和17年、老龍口まで延伸されている。
磐石支線
駱駝河子(??河子)駅 - 哈達門(哈达?)駅 - 乾溝子(干沟子)駅 - 老龍口(老?口)駅
その鉄道擁壁遺跡だった。老龍口よりもまだ東に10キロ以上東北東に行ったところに馬滴達村がある。 -
15分くらい走ったところで「これが日本の作った物だ」と
陳○○さんが道路左沿いのコンクリートを指差す
それは日本軍の遺跡ではなく、鉄道の擁壁だった -
ここまで鉄道を作っているということは
当然のように日本人が暮らし
軍事基地もそうだが開拓団の入植もあったのだろう
この201号線北に向かうと春化鎮を経て東寧へと通じる -
東満洲鉄道の擁壁が国道201号線に並行して続く
列車がここを走っていたのか・・・
その姿を想像するだけでワクワクする -
水庫(水?) ダム
真っ直ぐ→老龍口ダム(老?口水? Lǎo lóngkǒu shuǐkù)
左にカーブして行けば馬滴達 -
この辺りは鉄道擁壁もなく
雄大な景色が広がり、快適なドライブ
この馬滴達附近には白虎山と言う名前の山があり
野生の東北虎も生息しているようだ。
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野生の東北虎
野生白頭山(ペクトゥサン)虎
絶滅危機に瀕した野生白頭山(ペクトゥサン)虎が初めてカメラに捉えられた新聞によれば去る12日夜中国延辺朝鮮族自治州琿春時哈達門香り馬滴達陣のある山の谷間で車両に搭乗、巡回査察をした軍人らが野生白頭山(ペクトゥサン)虎とあった。
この虎は簡単に席をはずさないで10余秒ほど軍人らを受験(凝視)したし軍人の中で1人が携帯したカメラでこの虎を撮影するのに成功した。中国東北地域で野生白頭山(ペクトゥサン)虎のハンティング場面が遠赤外線カメラに捉えられたことはあるが形体が比較的完全に近接撮影されたことは今回が初めてだ。
巡察兵らは来隊するところにまた再び野生虎と遭遇したのにこの時は初めてと違い二匹が一緒にいた。野生動物専門家たちは“虎は個別的に活動する習性が強くて二匹が共に動く場合はきわめて珍しい”として“発情期に入り込んだ雌と雄が蜜月を送ること”と推定した。
原始林がよく保存されて‘野生白頭山(ペクトゥサン)虎自然保護区’と指定された琿春一帯は中国の代表的な野生虎生息地で、今でも5匹ほどが棲息すると推定されている。
2009年この一帯で野生虎が家畜を取って食べた事例が19件報告されたしこの中5件はハンティング場面が遠赤外線カメラに捕えられた。
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■馬滴達村
この馬滴達村は琿春河のすぐ傍にある小さな村で南に10キロほど行けばロシアとの国境だ。故国日本から見れば辺境の地で、関東軍兵士は侵攻して来たソ連軍と果敢に戦い多くの兵士が戦死している。そして、この地でその骨を埋めたまま忘れ去られようとしている。
例え魂は靖國神社に戻っても、今尚日本国首相さえその靖國神社に参拝しない。一体今の日本人に人としての心があるのか?靖國神社に参拝しない政治家を選び、市民の生活第一と個人主義の塊となって人生を送るのか。不幸なり。
この村は大方が朝鮮族だそうだ。この時、村の前を流れる河の名前が分からず何人かに聞いたが、誰も「不知道。知らない」だった。琿春河だった。河原で二人の女性が棒で洗濯物を叩きながら洗濯していた。小型犬のペットもおり、鶏が歩き、レンガ造りの新築工事現場もあった。
のどか一色の村だったけど・・・ここで生まれて育って、みんなどんな人生を送るのかなあ。敗戦までは多くの日本人開拓団もいたのだろう。東満洲鉄道も走っていたし。
まあ、そんなことは余計なお世話で、そこで生まれ育つ人にとっては自分の故郷こそが世界の中心だ。 -
馬滴達南側の545高地附近には
歩兵第247連隊第9中隊の
兼田一郎少尉以下混成の約59名があった
ソ連侵攻後の激戦で多くが戦死、今もこの地に眠る -
馬滴達鎮・・・か
日本語ではどう読むの?ばてきたつ?
一体この地に在留邦人はどのくらい住んでいたのだろう?
今の住人の多くは朝鮮族のようだ -
一体この村での生活は
農業での生計なのだろうけど・・・
静かな村だった -
河で洗濯
二、三人の村人に河の名前を聞いたが
みんな知らなかった
帰国後グーグルアースで見たら
琿春河だった。
どこかで柳樹河(柳?河 Liǔshù hé)との看板も見たけど -
この鶏は食われるのか?
それとも毎日玉子を産むのか
どっちにしても食われるのか
それまで精一杯生きてくれ
今度生まれてくる時は、何に生まれ変わりたい? -
国境に近いから当然なのだろうけど
部隊駐屯地や軍用車が走るのを良く見かけた
金正日を倒せない民族の悲哀
李王朝が五百年も続くのだから
こんな北朝鮮でも続くのだろう -
馬滴達
旅たち前はここに来るとは思わなかった
その予定もなかったけど、これも縁ということだ
なんの縁あってか?我、馬滴達に来る
面白いものだ -
山のあなたの空遠く、幸い住むと人のいう
噫(ああ)、われひとと尋(と)めゆきて、涙さしぐみ、かえりきぬ
山のあなたになお遠く、幸い住むと人のいう
(カール・ブッセ、上田敏訳) -
東満洲鉄道が走る
走る列車が目に浮かぶ
私にとって満洲は今も満洲だ
雄々しき日本人の夢があった、逞しい日本があった
侵略か・・・そう言いたい奴は勝手に言え
私はそんなこと露も思わず、それが当時の世界だった
逆に日本が侵略されなかったことを先人に感謝しかない
そんな先人たちに心からの感謝と万感の敬意を表す
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琿春〜馬滴達「日本軍の戦い」
http://www.youtube.com/watch?v=AXyYvwZtToI&feature=player_embedded
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琿春市「馬滴達」
http://www.youtube.com/watch?v=VdIJ7vAFeRA&feature=player_embedded
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琿春大橋
トラックで通れば橋が落ちそうなボロい橋だ。
まあ橋桁の数が多そうなのでちょっとホッとするが
見た目には、すぐにも補修を要する大橋だ
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■琿春大橋
琿春に戻り琿春市の東側に架かる琿春大橋を写真で写した。この橋は1965年11月竣工とある。中共政府が作った橋なので、満洲時代に日本が作った橋より見るからに無残で危ない橋に見える。
満洲時代の日本が作った建造物は、要塞もそうだが、何でもハッと驚くほど綺麗で見た目も違う物が多い。それだけで「あァ〜これは日本が作った物だ」と納得する。 -
1965年11月竣工
1964年10月10日:東京オリンピック開催
その時、私は中学2年、日本人金メダル第1号
三宅義信が重量挙げバンタム級で金メダル
学校も休み、家でテレビを見ていた
新幹線も直前の10月1日に開通した。
その翌年にこの橋が出来たのか・・・ -
川幅は広いが水量は少なく
当時の琿春在住日本人も
この河とともに生活をしていたのだろう -
東砲台遺跡
五家子の戦跡巡りのはずが・・・ここは何処?
東砲台って何?
『1900年の義和団事件時、ロシア軍の最初の標的となった』
西砲台跡もある
ここは五家子ではなく五一村だった
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■五家子に行くつもりが、行ったのは東砲台遺跡へ
「五家子の日本軍の要塞遺跡を探しに行きたい」と行っていたのが、陳○○さんは何を勘違いしてか、「五家子は以前の名前で今はもうない。五家子は今は琿春市馬川郷五一村で、ここに遺跡がある」と言って琿春大橋の次に連れて来てくれたのが「東砲台」と書かれている遺跡だった。
琿春河を越えた東南東にある。砲台跡なのだろうけど訳が分からず、一枚の写真だけ撮る。帰国後調べたら1616年〜1912年:愛新覚羅溥儀まで続いた清の末期:1890年に竣工された砲台跡だった。
1900年の義和団事件の時に進入したロシア軍に対して東西砲台の兵士の善戦空しく延吉方面に撤退したそうだ。今もそれに関連しているのか?西砲台とか砲台村と言った地名が残っている。 -
東に東砲台
西に西砲台
昔の五家子が五一村ではなく
もとより違う場所
しかし今は五家子は軍の管轄地域で入れず
その地域を「五家山」と言っているようだ
真偽は不明 -
琿春市馬川郷五一村
この時点では五家子が五一村か?
と、おかしいとは思いつつ、場所が不明で
「そうか、ここが五家子なのか」と思っていた
この後、「張鼓峰事件戦地展覧館」へ行き
老板の刘○○さんに話し聞いて全く違う場所だと分かった
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琿春周辺での戦闘
http://www.youtube.com/watch?v=yX7hD2-ox20&feature=player_embedded -
琿春市辺境経済合作区
もうすぐ合作区
こんな風景も満洲ならでは・・・
広い道路に車もなく
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■琿春市辺境経済合作区の日本企業
この一画は整然と縦横に伸びる幅広い道路で区画された工業団地?だった。しかし通りには車なく人なく、それぞれの工場内は分からないが、街に入り一見すれば活気のないただただ広大な場所だった。
この旅をするに辺り琿春のことをネットで調べていたら、2006年に琿春で創業を始めた小島衣料(琿春)服装有限公司の代表K氏が、思想信条・中国情報をネットで公開していた。
http://www.kojima-iryo.com/hckojima.html
そのブログを読み憤りを覚えた。それに対しての私の思いを以下に記す。
琿春に進出している日本企業の代表の意見に思う
「琿春と岐阜県開拓団」
http://www.kojima-iryo.com/doc/gifumanshu.doc
K氏ブログより引用開始↓
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【満州開拓団のことが詳しく書いてあった。それらを読んでわかったことは、多くの日本の開拓団が満州の地に勝手にきて、中国人を追い払い、そこを自分のものにしたという事実である。日本人自身の口からそれが語られているし、中国人側からの詳細な記述もある。
それらを読めば、開拓というのは名ばかりで、実態はまさに侵略であったことがよくわかる。そこに地元の中国人を虐殺したという記録がないことだけが幸いだった。もちろんこれらの開拓団が満州に進出したのは国策に沿ったもので、彼らもまた被害者だったことも事実である。】
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以上引用終わり
「国策に沿って満洲に来た農民は被害者である」とK氏は、嘯いているが、開拓団も子供ではあるまいしそんな言い訳こそ見苦しい。一体当時は、どのような世界だったのか?K氏にはそんな想像力もないのか?いやそうではあるまい。
「強い国が弱い国を武力を楯に支配し、そこで自国の益を計り、独立自尊はもとより富国強兵を増進して更なる列強国としての立場を目指す」・・・そのことに世界の列強は邁進する時代だったと私は思っている。それに即して、日本も満洲を自国権益下に組み込み、日本人開拓者に土地を与えた。
ただそれだけのことだ。今の価値観・常識で過去の行動を安易に評価するのは間違っている。日本が逆の立場にならなかった幸いをまず先人たちに感謝すべきだと思う。中国での企業活動が成功した結果に自信を持っての発言だろうが、祖国を冒涜し、先人・今・将来の日本人を冒涜しているのだ。
K氏は別のブログ「読後雑感:2011年第3回」では・・・
5.「中国の恫喝に屈しない国」 西村眞悟著への評論で次のようなことを述べている。
http://ktomo.sakura.ne.jp/CCP152.html
K氏ブログより引用開始↓
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【西村眞悟前衆議院議員は、1997年に尖閣諸島の魚釣島に上陸し視察している。その先見力と行動力には驚く。
しかし西村氏はこの本で、「祖国日本と同胞を守ることは、国民の神聖な義務である。その義務を実現する為に、具体的な我々の目標を確認しよう。まず、我が国は陸海空軍を保持する。さらに、中国の核弾頭ミサイルを抑止する為に、我が国は核弾頭ミサイルを保持する」と明言している。
私はいかなる理由があっても戦争をしてはならないし、そのために武器を保持してはならないと考えている。あくまでも私の老人決死隊は、丸腰を原則とする。したがって西村氏と私の間には、かなりの距離がある。】
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以上引用終わり
この文言こそK氏の本質なのだろう。「如何なる理由があっても戦争をしてはならない」「そのために武器を保持してならない」・・・憲法9条護持の理想主義者?こんなK氏が企業経営者としてはどうか知らないが、人間としては軽蔑する。「家族を守る」は「国を守る」と同義であり、国を守らねば家族も守れない。
チベット・新疆ウィグル・内蒙古・そして満洲はどうなのだ・・・。漢族・中共政府にこれらの地域を統治する正当性はあるのか?戦争を全否定しては国も家族も守れない。戦争は悪ではなく義務であり権利だ。
武器を持たない老人決死隊は、勝手にすれば良いが、寝言ならやめてくれ。ふざけるな!と言いたい。
更にK氏は4.「超大国 中国の本質」 中嶋嶺雄編著 の評論でも以下のように述べている。
K氏ブログより引用開始↓
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【私は中国人が被害者意識を払拭していない限り、たとえそれが自虐意識といわれようが、日本人は贖罪感を持ち続けるべきであると思う。
常に贖罪感を持ち、頭を低くして中国人に接することで、余計なトラブルを避けることができるからである。
中国は「強国大国」ではなく、「空威張り大国」である。
また日本は衰亡しつつある国家ではなく、やがて思想的な大変革を遂げ、再興する国家である。その日本が中国と付き合うには、「金持ち喧嘩せず」の態度がふさわしいと考える。】
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以上引用終わり
自らの先人をかばうこともせず、先人の成した行為を悪と規定し、それに対して相手に盲目的に謝罪する自分を善とする。この歪んだ精神こそ「金」と「安全」こそが全ての「醜い商人根性の証」であり、ユニクロの社長同様中国で商いをしている連中の多くに共通している精神だ。
愛国心なく、商人道すら持ち得ない見下げた人間たちである。相手を「空威張り大国」と馬鹿にしながら金持ち喧嘩せずの上から目線のつもりだろうが、こういった慇懃無礼の似非善人こそが日中双方のみんなを不幸にする。
そしてこのような「事なかれ主義」こそが、徐々に互いのストレスを高め戦争への道を歩むことになる。そのことが分からないのか?情けない限りだ。 -
戦後の日本は商人国家となり、国も国民も醜くなった
士農工商・・・まことに絶妙なり
商人は実を目指す卑しさがある
その商人が今は権力を握り、軍人はいない
武人国家こそ国家足り得る
この右手側に小島衣料(琿春)服装有限公司がある
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琿春市辺境経済合作区
http://www.youtube.com/watch?v=k90IGcUYWek&feature=player_embedded -
ここ(中露)はゲート内に入れるが、写真は駄目
圏河口岸(中朝)はゲート内にも入れない
図們口岸(中朝)は20元の有料だが
橋の国境線まで自由に行けるし
写真撮影OK
随行監視人が写真も撮ってくれる
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■琿春・長嶺子口岸へ
ゲートの前で車を降りて写真を撮った。ゲート内では写真撮影は不可。この国境警備も場所によって対応が全然違うので面白い。今まで中国でいろんな口岸に行ったが、ゲート内でも写真が自由なところもある。図們では橋の真ん中の国境ラインまで歩いて行けるし写真も自由だ。
琿春の口岸もいつもはどんな様子なのか知らないが、この時はロシアからのバスが一台停まってロシア人が何人かいたが、口岸の土産物店はロシア製品だから活気は全くない。ロシア人はみんな琿春市内で買い物するのだろう。市内は買い物のロシア人が沢山いた。
土産物屋も閑散としたものだ。たまには中国人や韓国人観光客がバスに乗って大勢くるのだろうか?でないとこれじゃあ土産物店も商売にならないだろうに・・・。
この口岸の西側に線路があった。なるほど帰国後グーグルアースで見れば琿春からロシアに通じる鉄路があり、琿春鉄路口岸なるものもあった。琿春口岸から防川に向かう時にこの線路を横切り写真を撮っている。 -
ロシアに続く鉄路はあれど
客車は走らず -
圏河口岸
車も人影もなく、ひっそりとしていた
今年度の中朝貿易
2倍増...「北の鉱物資源への投資増加」
2011年3月 7日 14:27:アジアプレス(記)
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■圏河口岸へ
昨日は展望台から圏河橋を見たが口岸には行かなかったので、今日行った。こっちは北朝鮮と中国との国境ゲート。琿春と北朝鮮の羅先市との交易を発展させるために2010年に整備されたそうだが、現状は如何に?今日見た限りでは人も車も往来なく、ゲートで警備に立つ兵士も時間が経つのはさぞかし遅いだろう。
ここはゲート内での撮影はおろか、ゲート内に歩いて入っても行けなかった。 -
暇そうに立つ警備兵
『軍の一部である中国の国境警備隊は鉄の規律を誇り
起床時の、寝具整理の手順も事細かに決められている』
↑・・のようだけど・・・ -
グーグルアースより
①丸池、②沙草峰、③将軍峰、④張鼓峰、⑤防川項、⑥豆満江(図們江)、⑦長池(ハーサン湖)
ここでの写真は黄色の★マークが撮影地点
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■蓮花湖(丸池)へ
湖の向こうに張鼓峰事件の主戦場でもある沙草峰(無名高地 无名高地 Wúmíng gāodì)がある。昨日初めてここに来た時は何も分からずにこの景色を撮影したが、今日は違う。
この沙草峰は「われら張鼓峰を死守す」を書いた冨永亀太郎大尉の初陣の場所だ。 -
「われら張鼓峰を死守す」冨永亀太郎(著)
136頁
『沙草峰の稜線は、山というより丘陵である。処々草むらが繁っている。
前に突き出ている二つの稜線の間に池が見える。丸池(蓮花湖)と呼んでいたが、
池辺に水源があり良質の水が湧いているので、われわれの水の補給に役立った。』 -
137頁
『後ろをふりかえると、西の方遙か下手に悠々と流れる豆満江が帯状にくねって、ところにより靄(もや)がかかっている。その向こうは朝鮮領だがさだかでない。
突然あたりのしじまを破って、馬鞍山とおぼしき方向に砲声がとどろき、
後方豆満江のあたりに土煙りがあがった。つんざくような炸裂音が山野に響き渡った。
夢は破られた。
戦闘がはじまった。
太陽は将軍峰に上りかけた。』
NHK戦争証言
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「われら張鼓峰を死守す」著者:冨永大尉(34歳)の戦い
8月6日、戦闘開始!沙草峰陣地にて
心臓はどぎまぎする。膝はがくがくする。武者震いとはこういうものだろうか。私は慎重にかまえた。高ぶる気持ちを押さえて、なおも敵戦車の動きをジッと見つめる。軽戦車のように見えるが、動きはあまり活発ではない。このぶんなら、わが75ミリ山砲でも十分に対抗できる。
戦う前から自信が湧いた。起伏の多い沙草峰の地形が、我に幸いしたのだろう。稜線いっぱいに展開した敵戦車群は、所々白煙に包まれながら、まっしぐらに進んでくるさまは、まさに壮観の一語につきるが、攻撃を受けるわれわれの悲壮感は言語につくせない。
緊張感が、中隊全員に漲(みなぎ)る。四番砲手は砲側眼鏡を、観測班長は砲隊鏡にしがみついている。共に私の号令を今や遅しと待っているのだ。
距離も手頃だ、頃やよし!と、私は射撃開始を命じた。75ミリ砲、一斉に火蓋を切った。進む戦車の前後に白煙があがる。弾着は概して遠いようだ。敵は速度を早めたようだが、稜線の起伏が激しいせいか、敵戦車群は見え隠れして、なんとも照準がつけにくい。三番、四番砲手よ、落ち着いてしっかり頼むぞ。
弾丸は矢継ぎ早に発射される。その都度白煙が上がる。先頭に近い戦車が、擱座した。続いて大型のやつが大火災をおこした。白煙を吹いている。わが砲弾が命中したのだ。「命中!」と私は大声で叫んだ。一瞬のことだが、なんとも痛快の一語につきる。二年越しの骨身を砕いた訓練が、ここに実を結んだのだ。
続いて、五発、六発と発射するたびに、白煙が敵戦車の近くにあがる。精度はだんだんよくなる。将兵の気持ちが落ち着く従って照準は正確になるし、動作も基本を取り戻すからであろう。
時々異様な音をたてて頭上をかすめるのは、敵戦車砲からの射撃のようだ。この数刻は恐ろしい重砲弾のうなりも、とんと私の意識から消えた。それほど全神経が敵戦車との戦闘に集中されたのだ。
どの位射ったろうか。気がついてみると、前方二つの稜線上に二十輌余りの敵戦車が擱座している。五、六輌は火を吹いて炎上している。射距離にして千メートルから二千メートル位のところである。いままで活発だった敵戦車群は、ほとんど姿を隠してしまった。わが射撃に辟易したか、それとも体勢立て直しのため退避したか。
私は直ちに、射撃の中止を命じた。戦闘は、一時間余り続いたようだ。全く夢中であった。この間、馬鞍山の重砲からは、きわどい砲撃をうけたこともあったようだが、二、三の軽傷を除いてわれに損害はなかった。
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張鼓峰事件「飢えと渇きの戦い」
http://www.youtube.com/watch?v=ihAtMV_mXtE&feature=player_embedded
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張鼓峰事件「事件終了後の日ソの動き」
http://www.youtube.com/watch?v=jugLA4Xw_K0&feature=player_embedded
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閑散な村の入り口にあるレストランだけど
客の出入りは結構あった
この辺では数少ない食堂なのだろう
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■昼食を食べに防川村へ
村の入り口にある朝鮮族の食堂へ昼食を食べに入った。陳○○さんは何度も来た事があるようだ。こんな所に誰が客として入ってくるのか?分からないが、私がいる間にも何人かの出入りがあった。
頼んだ料理は二品とスープだったが値段は120元(1560円)ほどで高いのに驚いた。昨日の魚料理もそうだが、郊外での食事は高くつくのか? -
この中央のスープも写真で見るより
実際は洗面器の大きさで、とても二人では無理
やっぱり食い物は日本食に限る
旅に向かない?ムムム、私です -
グーグルアースより
①丸池、②沙草峰、③将軍峰、④張鼓峰、⑤防川項、⑥豆満江(図們江)、⑦長池(ハーサン湖)
赤★撮影地点
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■張鼓峰事件戦跡
そして又この先の湖のほとりから「張鼓峰」「将軍峰」の張鼓峰事件の主戦場を眺めてしばしたたずんでいた。ここからの眺めが一番良かったが、砲声轟きソ連戦車砲が炸裂する阿鼻叫喚の戦場を想像するのは今となっては難しい。
何故?ここで殺戮が?それはここに国境が存在しているからだ。幾ら辺鄙なところでも取るに足らない数センチであっても、それが国境だから戦争は起きる。
ソ連が不法に越境し、日本軍がそれを取り返し守った。それでこそ国家は国家として存在し、国民は国民としての誇りと名誉を守り安寧を保てる。それはいつの時代でも相手が有る以上、相手の出方次第によっては最後の外交手段として戦いを挑まねばならない。
それを忌避し、或いは相手に屈服するなら奴隷の立場を受け入れるしかない。二者択一だ。我等の先祖は戦いを挑み国境を死守した。そんな先人に私は心からの感謝と尊崇の念を持つ。 -
左:将軍峰 右:張鼓峰
昭和13年7月31日
夜襲部隊攻撃開始。午前2時頂上占領す。ソ連軍多数の遺体を残して敗退す。
歩兵76連隊第一大隊、沙草峰の敵を払暁攻撃、ソ連軍を撃退し同地占領す。
多田参謀次長戦況奏上。大本営は、尾高中将に対し、
現在線を確保し、現状以上に戦闘を拡大させないよう命ず。
尾高中将感涙にむせぶ。 -
張鼓峰
8月1日
羅南部隊(歩兵73、歩兵76連隊)に応急派兵下令、
国境に向かい出発す。敵の反撃始まる。
第一線、大空襲(百数十機)を受く。 -
将軍峰
8月9日
増加、長距離砲試射開始。
歩兵74連隊主力、将軍峰に集結す。
この日、各戦線ともに苦戦が続いたが、よく陣地を固守す。 -
防川項高地麓の朝鮮族の集落
ニュータウンのように綺麗に整備された村
????何で? -
无名高地(沙草峰)・張鼓峰・将軍峰
丸池(蓮花湖)
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■張鼓峰事件戦地展覧館へと少し道を戻った。
昨日聞いていた通り、ここのオーナーが来てくれていた。年の頃は私と同世代くらいだろうか?がっちりとした偉丈夫だった。まず一番聞きたかった「沙草峰はどの山なのか?」を聞いたら、やはり蓮花湖の向かいの小高い丘陵のような山が沙草峰だった。
私の中国語レベルでは、聞きたいことの百分の一も聞けなかったが、52高地・野口高地などは今もコンクリートの残骸となった要塞のような戦跡があちこちに残っているようだが何分ここは中露国境地帯なので、軍の管理区域のようでどことも「去不了 Qù bùliǎo 行けない」の連発だった。
そして五家子のこともこの老板は知っていた。そこに日本軍の要塞があったことも、しかしここもやはり今は軍の管理区域で行けない場所とのこと。そして今は五家子ではなく五家山と言っているようだ。
昨日と今日の二回ここに来て張鼓峰事件の戦跡として分かったのは、「張鼓峰」「将軍峰」「沙草峰」「防川項」「丸池(蓮花湖)」そして北朝鮮の「仏岩峰」。張鼓湖は、展示写真とグーグルアースで見れば蓮花湖の南側の湖のようだし、防川村の湖も誰かが張鼓湖と言っていたような気がする。
ここで話しを伺ったお礼と言うわけでもないが土産物の「張鼓峰事件」の本を一冊80元で購入し、記念に老板に日付入りでサインをしてもらった。 -
この写真によれば
左:張鼓峰、右:将軍峰
この池の名前がこの写真では「張鼓湖」と書かれている
ならば「張鼓湖」は将軍峰の北側の池ということか? -
張鼓峰事件の勇士
張鼓峰事件勇士への恩賞
張鼓峰の夜襲部隊長中野藤七歩兵中佐、
張鼓峰東南五二高地の守備隊長平原静夫歩兵中佐、
ソ連軍の戦車に対して鬼神も哭く肉弾戦を演じた
小林善兵衛工兵准尉以下十勇士ら
張鼓峰事件の将兵十二名 -
今日は小雨の降る中
昨日は幸い好天気だったので
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■「一眼望三国」へ
陳○○さんはこれが最終で琿春に帰るのだろうと思っていたらしいが、私は国境の展望台に行くつもりだった。さっきから雨が降り始めており視界も悪くなっているが、そんなことは関係ない。はるばる日本からこの地に来て、二日間の日程で再度訪れた場所なのに、このまま琿春に戻ることなんか考えてもいない。天気が悪ければ昨日との違いを感じることが出来るし、それも旅の楽しみだ。
また20元の門票を買って、陳○○さんのトランクの置き傘を借りて一人で見に行った。雨の中、今日も中国人か?韓国人か?観光客がそこそこ展望台に上って来ていた。日本が満洲を建国していなければ、そして張鼓峰で日本軍が国境を死守していなければ、この辺り一帯はとっくの昔にソ連領土となっていただろう。
そんなソ連に昭和20年8月15日以降解放されたと、アチコチにソ連軍を讃える慰霊碑を建てている中国。満洲のあらゆる物資をそんなソ連に強奪され、中国人は昔も今もこれからも心の中では誰もソ連に感謝することなどないだろう。ブラゴヴェシチェンスクの虐殺で分かるようにロシア人は容赦が無いからだ。
弱体化した日本に対しては、反日で喚き続けソ連に対しては大人しく・・・。中華も小中華も事大主義の見本とも言うべき民族だ。そんな隣国に経済至上主義の商人根性で、太鼓持ちを演じる日本の未来は暗い。
雨の中、日本海は霞の向こうだった。さあいよいよこの地ともお別れだ。午後2時40分、一路琿春への帰路に着いた。そして琿春賓館に戻ったのは午後3時48分。防川国境展望台から1時間ほどのドライブだった。
8時から8時間弱の包車。二日とも陳○○さんの要求金額に少し上乗せして渡した。偶然ホテル前で出会った一期一会の縁だったけど、旅先での人との出会いこそが旅を左右する。
「托你的福我的?春旅游非常愉快,非常感?! Tuō nǐ de fú wǒ de huīchūn lǚyóu fēicháng yúkuài, fēicháng gǎnxiè!」だった。 -
ロシア、ハサンの町
音も聞こえず霞がかかり
昨日とは趣の違った景色が眼下に広がっていた -
北朝鮮側を写す
この展望台が完成しても上る機会はないのだろうか?
2111年/100年後の世界はどんな世界なのだろうか?
そしてこの地は如何に?? -
「一眼望三国」を望む展望台
「←:ロシア」「↑:日本海」「→:北朝鮮」 -
15キロ先の日本海は霞の中
真っ直ぐ南東方向に佐渡島? -
サラバ張鼓峰!
「張鼓峰事件戦地展覧館」が
いつまでもこの地にあり続けることを祈念する -
昨日の夕食を食べたホテル向かいの朝鮮族の食堂
今日も行く
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■琿春に戻り賑やかな場所に・・・。
ホテルの部昨日の夕食を食べたホテル向かいの朝鮮族の食堂
今日も行く
屋で小休止をし、又散歩に出る。「琿春で一番賑やかな所はどこ?」とフロントの姑娘に地図に印をつけてもらった。そこは新安路と沿河街の交差するロータリーの周辺だった。そこを目指して歩いてボチボチと、近づけば雰囲気で分かる。
ロシア人の買い物姿が多く見受けられた。店の看板もロシア語併記だ。このあたりを歩けば琿春がロシアと国境を接し、交流が盛んなのが実感出来る。満洲里や綏芬河のように・・・。
私が行った中露国境の街を比較してロシア人が多い順番を独断と偏見で付ければ、
①綏芬河、②満洲里、③琿春、④黒河、⑤同江、⑥東寧
の順だけど・・・実際はどうなのだろう? -
琿春の賑やかな場所を目指して
琿春賓館西の新安路を南へ歩く -
ロータリーの西、沿河街だと思うけど
この辺りの繁華街をロシア人が闊歩していた -
ロシア語看板が溢れている
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ホテルへ戻る途中
新安路沿いの第一実験小学の校門
父兄の出迎え風景
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琿春の繁華街を歩く
http://www.youtube.com/watch?v=3SEw1QI0YZY&feature=player_embedded -
いつもの食前の果物を食う
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■夕食
1時間ほど散歩して帰りにいつもように果物を買って部屋に戻った。そして食前の果物を食べて一息ついて、昨日行ったホテル向かいの朝鮮族の食堂へ行き、昨日とメニューを変えてスープと茄子の焼き飯を食べる。やはり美味しかったが、焼き飯も脂っこいので、多くは食う気になれず。
琿春を拠点にしての今回の旅のメーンである張鼓峰事件の戦跡巡りは無事に終了した。雨が降る天気となり明日からも心配だが、天気だけはどうしようもない。明日はこのホテルの窓から見える小高い山の上にある展望台に是非行きたい。そこに行ってから図們へのバスに乗ろう。さあ、今日も終わった。 -
ここで食べました
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スープと茄子の焼き飯
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