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東急世田谷線、上町駅から徒歩5分の世田谷代官屋敷及び郷土資料館(併設)を訪問しました。<br />この代官屋敷は江戸時代中期以降、近江彦根藩世田谷領20ケ村の代官を世襲した大場家の役宅で、大名領の代官屋敷としては都内唯一だそうで都史跡に指定されています。<br />天正年間のはじめ、世田谷城主吉良氏の重臣である大場越後守信久とその息子が元町の旧居から現在地に転居します。1590年(天正18年)豊臣秀吉の小田原征伐で吉良氏と姻戚関係にあった北条氏の滅亡後は当地に留まり帰農しますが徳川家康の関東転封後は検地の代行を命じられます。<br />その後近江彦根藩主井伊直孝(イイナオタカ)が同藩江戸屋敷の賄料として世田谷20ヶ村を幕府より拝領した際大場信久の孫盛長は世田谷代官に任命され以降幕末に至るまでその職に専念することになります。<br />世田谷代官の職務は多くの職務が課せられていますが最重要項目は「年貢の収納」で代官の死命に関わる程の重責でありました。次は領内の「治安の確保」で村々の名主を指揮し犯罪の防止や取締りに当たる事でした。<br />更に世田谷領が井伊家の江戸屋敷賄料として与えられた関係で年中行事や生活必需品を調達し納入する事も代官の職務に含まれており、加えて菩提寺である豪徳寺で執り行われる法要・葬儀の際の人夫の調達もしなければならず細かで骨の折れる仕事が代官の双肩にかかっていました。<br />自分は日常世田谷線利用する事殆どなく、今回世田谷城跡及び豪徳寺訪問の際案内地図で発見しましたが、代官屋敷などは規模の大小に関係なく日常的な歴史のひとコマに触れる事ができて嬉しく思いました。<br /><br />

世田谷代官屋敷・郷土資料館訪問

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2011/10/23 - 2011/10/23

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滝山氏照

滝山氏照さん

東急世田谷線、上町駅から徒歩5分の世田谷代官屋敷及び郷土資料館(併設)を訪問しました。
この代官屋敷は江戸時代中期以降、近江彦根藩世田谷領20ケ村の代官を世襲した大場家の役宅で、大名領の代官屋敷としては都内唯一だそうで都史跡に指定されています。
天正年間のはじめ、世田谷城主吉良氏の重臣である大場越後守信久とその息子が元町の旧居から現在地に転居します。1590年(天正18年)豊臣秀吉の小田原征伐で吉良氏と姻戚関係にあった北条氏の滅亡後は当地に留まり帰農しますが徳川家康の関東転封後は検地の代行を命じられます。
その後近江彦根藩主井伊直孝(イイナオタカ)が同藩江戸屋敷の賄料として世田谷20ヶ村を幕府より拝領した際大場信久の孫盛長は世田谷代官に任命され以降幕末に至るまでその職に専念することになります。
世田谷代官の職務は多くの職務が課せられていますが最重要項目は「年貢の収納」で代官の死命に関わる程の重責でありました。次は領内の「治安の確保」で村々の名主を指揮し犯罪の防止や取締りに当たる事でした。
更に世田谷領が井伊家の江戸屋敷賄料として与えられた関係で年中行事や生活必需品を調達し納入する事も代官の職務に含まれており、加えて菩提寺である豪徳寺で執り行われる法要・葬儀の際の人夫の調達もしなければならず細かで骨の折れる仕事が代官の双肩にかかっていました。
自分は日常世田谷線利用する事殆どなく、今回世田谷城跡及び豪徳寺訪問の際案内地図で発見しましたが、代官屋敷などは規模の大小に関係なく日常的な歴史のひとコマに触れる事ができて嬉しく思いました。

交通手段
私鉄 徒歩

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  • 世田谷区立郷土資料館入口<br /><br />開館:9時〜17時、入場料:無料<br /><br />管理棟が左手に、右手に代官屋敷入口があります。

    世田谷区立郷土資料館入口

    開館:9時〜17時、入場料:無料

    管理棟が左手に、右手に代官屋敷入口があります。

  • 案内図<br /><br />代官屋敷と取り囲む通路及び郷土資料館が敷地内に建てられています。

    案内図

    代官屋敷と取り囲む通路及び郷土資料館が敷地内に建てられています。

  • 代官屋敷の表門<br /><br />国の重要文化財指定ですが茅葺の表門が古風ながら立派ですね。

    イチオシ

    代官屋敷の表門

    国の重要文化財指定ですが茅葺の表門が古風ながら立派ですね。

  • 大場家住宅(重要文化財)説明<br /><br />7代目盛政が1737年(元文2年)及び1753年(宝暦3年)の2度に亘って完成させた建物で、大場家は1739年から幕末まで近江彦根藩の代官職を世襲して勤め上げたそうです。<br />主屋と表門は国の重要文化財に指定されています。

    大場家住宅(重要文化財)説明

    7代目盛政が1737年(元文2年)及び1753年(宝暦3年)の2度に亘って完成させた建物で、大場家は1739年から幕末まで近江彦根藩の代官職を世襲して勤め上げたそうです。
    主屋と表門は国の重要文化財に指定されています。

  • 世田谷代官屋敷説明<br /><br />屋敷は江戸時代中期の建物で、母屋は約70坪茅葺の寄棟造りで茅葺の門、土蔵、白州跡の一部などが今でも現存しており往時の代官屋敷の面影を強く残しています。

    世田谷代官屋敷説明

    屋敷は江戸時代中期の建物で、母屋は約70坪茅葺の寄棟造りで茅葺の門、土蔵、白州跡の一部などが今でも現存しており往時の代官屋敷の面影を強く残しています。

  • 白州跡<br /><br />代官の重要な職務のひとつは犯罪の防止や取締りでありまして犯罪人捕縛の道具が常備されていました。ここでは上役奉行により開かれる裁判の下調が行われました。位置関係は定かではありませんが「白州跡」の玉砂利は当時のものだそうです。

    白州跡

    代官の重要な職務のひとつは犯罪の防止や取締りでありまして犯罪人捕縛の道具が常備されていました。ここでは上役奉行により開かれる裁判の下調が行われました。位置関係は定かではありませんが「白州跡」の玉砂利は当時のものだそうです。

  • 代官屋敷全景

    代官屋敷全景

  • 代官屋敷玄関

    代官屋敷玄関

  • 代官屋敷<br /><br />一部は2階に部屋があります。又建物の右側が台所(土間)となっています。

    代官屋敷

    一部は2階に部屋があります。又建物の右側が台所(土間)となっています。

  • 主家内部<br /><br />台所から見た板の間でその奥は役所の間となります。

    主家内部

    台所から見た板の間でその奥は役所の間となります。

  • 主家内部<br /><br />手前の板の間が名主詰所でその奥は代官居間となります。

    主家内部

    手前の板の間が名主詰所でその奥は代官居間となります。

  • 庭木<br /><br />ざくろの果実が見えます。

    庭木

    ざくろの果実が見えます。

  • (ここからは郷土資料館展示場です)                                                   <br />世田谷城主吉良氏紹介<br /><br />室町幕府の要職を歴任した足利氏と祖を同じとする吉良定家は幕府の要請により奥州探題に赴きますが、3代将軍義満時代に奥州探題廃止に伴い鎌倉公方の招きで上野に移住、その後世田谷に移り築城したと言われています。<br />足利将軍家のご一家という位置付けで姻戚関係を結んだ北条氏からも一目置かれていたほどの名門であったそうです。

    (ここからは郷土資料館展示場です)                                                   
    世田谷城主吉良氏紹介

    室町幕府の要職を歴任した足利氏と祖を同じとする吉良定家は幕府の要請により奥州探題に赴きますが、3代将軍義満時代に奥州探題廃止に伴い鎌倉公方の招きで上野に移住、その後世田谷に移り築城したと言われています。
    足利将軍家のご一家という位置付けで姻戚関係を結んだ北条氏からも一目置かれていたほどの名門であったそうです。

  • 吉良氏ゆかりの寺院

    吉良氏ゆかりの寺院

  • 江戸氏と喜多見氏の紹介<br /><br />喜多見氏は室町時代中頃までに江戸荘に居住していた江戸氏の直系と言われており、「平氏江戸譜」には三郎・右京亮の代に至って武蔵国木田見(喜多見)の牛丸郷を本拠とする江戸氏庶流木田見氏を継いだとする系図があるそうです。江戸時代にはその末裔喜多見重政が2万石の大名に遇せられることになります。

    江戸氏と喜多見氏の紹介

    喜多見氏は室町時代中頃までに江戸荘に居住していた江戸氏の直系と言われており、「平氏江戸譜」には三郎・右京亮の代に至って武蔵国木田見(喜多見)の牛丸郷を本拠とする江戸氏庶流木田見氏を継いだとする系図があるそうです。江戸時代にはその末裔喜多見重政が2万石の大名に遇せられることになります。

  • 近世の村落支配と知行図<br /><br />徳川家康の江戸入国により世田谷は徳川家直轄領となり旗本らの知行地にその所領が宛がわれます。<br />近江彦根藩は同藩江戸屋敷の賄料として世田谷郷20ヶ村を幕府より拝領されます。

    近世の村落支配と知行図

    徳川家康の江戸入国により世田谷は徳川家直轄領となり旗本らの知行地にその所領が宛がわれます。
    近江彦根藩は同藩江戸屋敷の賄料として世田谷郷20ヶ村を幕府より拝領されます。

  • 知行図(近世中期以降)

    知行図(近世中期以降)

  • 井伊直弼と桜田門外の変<br /><br />直弼の生まれと彦根藩主就任の経緯の説明、やがて幕閣の最高地位である大老就任、揺れ動いていた日米修好通商条約締結や次期将軍継承の問題で決着を付ける併せて独断専行に反対する反対派を一掃した為、登城の途中桜田門外で水戸・薩摩浪士らの襲撃を受け殺害されます。

    井伊直弼と桜田門外の変

    直弼の生まれと彦根藩主就任の経緯の説明、やがて幕閣の最高地位である大老就任、揺れ動いていた日米修好通商条約締結や次期将軍継承の問題で決着を付ける併せて独断専行に反対する反対派を一掃した為、登城の途中桜田門外で水戸・薩摩浪士らの襲撃を受け殺害されます。

  • 吉田松陰と毛利藩の説明<br /><br />世田谷区若林地区は江戸時代には毛利藩江戸屋敷の被災に備え藩が同村百姓から購入したもので抱屋敷・抱地と呼ばれていました。<br />幕末には毛利藩から志士が輩出し、彼らに影響を与えた吉田松陰が安政の大獄に連座し処刑され、高杉晋作ら毛利藩志士によって藩抱地に改葬されますがその後明治15年「吉田神社」として東京府の認可を得て現在に至っています。

    吉田松陰と毛利藩の説明

    世田谷区若林地区は江戸時代には毛利藩江戸屋敷の被災に備え藩が同村百姓から購入したもので抱屋敷・抱地と呼ばれていました。
    幕末には毛利藩から志士が輩出し、彼らに影響を与えた吉田松陰が安政の大獄に連座し処刑され、高杉晋作ら毛利藩志士によって藩抱地に改葬されますがその後明治15年「吉田神社」として東京府の認可を得て現在に至っています。

  • 三軒茶屋と石橋楼図

    三軒茶屋と石橋楼図

  • 鉄道の敷設と人口の変遷<br /><br />明治・大正年間は国鉄、東急電鉄が敷設されていますが、昭和に入りますと新たに小田急線が敷設される事がわかります。その他東急線支線が新設さています。

    鉄道の敷設と人口の変遷

    明治・大正年間は国鉄、東急電鉄が敷設されていますが、昭和に入りますと新たに小田急線が敷設される事がわかります。その他東急線支線が新設さています。

  • 世田谷区行政区画の変遷

    世田谷区行政区画の変遷

  • 東京市域の拡張と世田谷区<br /><br />関東大震災(対象12年)を機に住民の郊外移転が顕在化し、ライフライン設備について見直す必要性が出てきてその結果、東京市の拡張が求められ昭和7年に世田谷区が形成され、昭和11年に北多摩郡(千歳村・砧村)が追加編入されたそうです。<br />(明治時代初期には多摩地域(北多摩・西多摩・南多摩郡)は神奈川県に属し、その後東京府に編入された経緯は承知していましたが世田谷区の変遷の歴史があった事はよく理解できます。)<br />

    東京市域の拡張と世田谷区

    関東大震災(対象12年)を機に住民の郊外移転が顕在化し、ライフライン設備について見直す必要性が出てきてその結果、東京市の拡張が求められ昭和7年に世田谷区が形成され、昭和11年に北多摩郡(千歳村・砧村)が追加編入されたそうです。
    (明治時代初期には多摩地域(北多摩・西多摩・南多摩郡)は神奈川県に属し、その後東京府に編入された経緯は承知していましたが世田谷区の変遷の歴史があった事はよく理解できます。)

  • 資料館内部<br /><br />2階常設展示室に挟まれたフロア−から代官屋敷の庭を臨みます。

    資料館内部

    2階常設展示室に挟まれたフロア−から代官屋敷の庭を臨みます。

  • 東急世田谷線上町駅<br /><br />上町駅から下高井戸方面を見渡します。

    東急世田谷線上町駅

    上町駅から下高井戸方面を見渡します。

  • 下高井戸行き電車到着<br /><br />2両編成の低床式ブル−系チンチン電車が到着します。

    下高井戸行き電車到着

    2両編成の低床式ブル−系チンチン電車が到着します。

  • 車内風景<br /><br />各車両とも座席は一人席が窓に沿って並びます。吊りポスタ−は地元イベントが掲載されています。

    車内風景

    各車両とも座席は一人席が窓に沿って並びます。吊りポスタ−は地元イベントが掲載されています。

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