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京王線下高井戸で東急世田谷線に乗換え約6分、宮の坂下車の世田谷城(東京都世田谷区豪徳寺)を訪問しました。<br /><br />足利氏と祖を同じくする由緒ある吉良氏が治家(はるいえ)時代の貞治5年(1366)、鎌倉公方の足利基氏(あしかが・もとうじ)より拝領しここに築城したのが始まりと言われています。<br /><br />15世紀後半には関東管領上杉氏の家宰である太田道灌と行動を共にし、長尾景春の乱(長尾氏内紛)に対しても道灌の要請を受け戦い、江戸城を守り抜き道灌からは「吉良の殿様」と一目おかれます。<br /><br />更に時が過ぎ、吉良頼康(よりやす)の時代になりますと北条氏の武蔵国進出に合わせ本領安堵の為二代当主北条氏綱(ほうじょう・うじつな)の娘を妻とし北条氏の庇護のもと延命を図ります。<br /><br />その後天正18年(1590)小田原合戦では豊臣秀吉軍の攻撃を受け北条氏は滅亡、それに伴い吉良氏は上総国に逃亡、これを機に世田谷城は廃城となります。<br /><br />尚、東急世田谷線は南北に縦断する5Kmの短距離路線ですが、訪問見学の場所には事欠きません。この世田谷城跡や隣の豪徳寺のほか様々な歴史的遺産が発見でき今後も度々訪れたい所です。<br /><br /><br /><br />2022年4月24日追記<br /><br />現場に設置の説明板には下記の通り記述されています。<br /><br /><br />「 世田谷城跡          都指定旧跡<br /><br />世田谷城は武蔵野台地の一角、南東に張り出した舌状台地の先端部に立地し、西・南・東の三面に烏山川が蛇行し、北には小支谷が入る。14世紀後半に吉良治家が居住したのに始まると伝える。<br /><br />吉良氏は清和源氏・足利氏の支族で、世田谷吉良氏はその庶流にあたる。はじめ鎌倉公方に仕え、15世紀後半に関東が乱れると関東管領・上杉氏やその家宰・太田道灌に与力し、16世紀には北条氏と結んだ。北条氏と上杉氏との勢力争いで、享禄3年(1530)に世田谷城は攻略されたと伝えるが、のち吉良氏の手に復した。<br />この間、吉良氏は北条氏と婚姻関係を結びその庇護下にあったが、天正18年(1590)豊臣氏の小田原攻略により、世田谷城も廃城となった。<br /><br />世田谷城の濠・土塁の構造は天文6年(1537)の再築とされる深大寺城のそれと類似しており、16世紀前半に防御の為、大改築がなされたことが窺える。<br /><br />    平成14年11月<br />                世田谷区教育委員会 」

武蔵世田谷 足利将軍家一門ながら頼みの鎌倉公方の凋落で立場を失い新興の小田原北条氏との姻戚関係を軸に生き延びた吉良氏居城『世田谷城』訪問

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2011/10/23 - 2011/10/23

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滝山氏照

滝山氏照さん

京王線下高井戸で東急世田谷線に乗換え約6分、宮の坂下車の世田谷城(東京都世田谷区豪徳寺)を訪問しました。

足利氏と祖を同じくする由緒ある吉良氏が治家(はるいえ)時代の貞治5年(1366)、鎌倉公方の足利基氏(あしかが・もとうじ)より拝領しここに築城したのが始まりと言われています。

15世紀後半には関東管領上杉氏の家宰である太田道灌と行動を共にし、長尾景春の乱(長尾氏内紛)に対しても道灌の要請を受け戦い、江戸城を守り抜き道灌からは「吉良の殿様」と一目おかれます。

更に時が過ぎ、吉良頼康(よりやす)の時代になりますと北条氏の武蔵国進出に合わせ本領安堵の為二代当主北条氏綱(ほうじょう・うじつな)の娘を妻とし北条氏の庇護のもと延命を図ります。

その後天正18年(1590)小田原合戦では豊臣秀吉軍の攻撃を受け北条氏は滅亡、それに伴い吉良氏は上総国に逃亡、これを機に世田谷城は廃城となります。

尚、東急世田谷線は南北に縦断する5Kmの短距離路線ですが、訪問見学の場所には事欠きません。この世田谷城跡や隣の豪徳寺のほか様々な歴史的遺産が発見でき今後も度々訪れたい所です。



2022年4月24日追記

現場に設置の説明板には下記の通り記述されています。


「 世田谷城跡          都指定旧跡

世田谷城は武蔵野台地の一角、南東に張り出した舌状台地の先端部に立地し、西・南・東の三面に烏山川が蛇行し、北には小支谷が入る。14世紀後半に吉良治家が居住したのに始まると伝える。

吉良氏は清和源氏・足利氏の支族で、世田谷吉良氏はその庶流にあたる。はじめ鎌倉公方に仕え、15世紀後半に関東が乱れると関東管領・上杉氏やその家宰・太田道灌に与力し、16世紀には北条氏と結んだ。北条氏と上杉氏との勢力争いで、享禄3年(1530)に世田谷城は攻略されたと伝えるが、のち吉良氏の手に復した。
この間、吉良氏は北条氏と婚姻関係を結びその庇護下にあったが、天正18年(1590)豊臣氏の小田原攻略により、世田谷城も廃城となった。

世田谷城の濠・土塁の構造は天文6年(1537)の再築とされる深大寺城のそれと類似しており、16世紀前半に防御の為、大改築がなされたことが窺える。

    平成14年11月
                世田谷区教育委員会 」

交通手段
私鉄 徒歩
  • 東急世田谷線下高井戸駅ホ-ム<br /><br />三軒茶屋までの閑静な住宅地帯にチンチン電車がかわいく走っています。低床車両導入により段差解消、乗降が楽になりました。<br /><br />

    東急世田谷線下高井戸駅ホ-ム

    三軒茶屋までの閑静な住宅地帯にチンチン電車がかわいく走っています。低床車両導入により段差解消、乗降が楽になりました。

  • 沿線案内図<br /><br />沿線の見所がコンパクトに判りやすく掲載されています。この案内では世田谷城跡訪問は宮の坂駅下車が一番いいようです。

    沿線案内図

    沿線の見所がコンパクトに判りやすく掲載されています。この案内では世田谷城跡訪問は宮の坂駅下車が一番いいようです。

  • 宮の坂駅<br /><br />昼間でも1時間に6本もダイヤが組まれており頻繁に電車が走っています。<br />

    宮の坂駅

    昼間でも1時間に6本もダイヤが組まれており頻繁に電車が走っています。

  • 宮の坂駅周辺案内地図<br /><br />歩いてすぐに世田谷城跡が見えます。同時に隣には広大な豪徳寺が見えます。豪徳寺は安政期に大老を輩出した彦根藩主井伊家の菩提寺です。

    宮の坂駅周辺案内地図

    歩いてすぐに世田谷城跡が見えます。同時に隣には広大な豪徳寺が見えます。豪徳寺は安政期に大老を輩出した彦根藩主井伊家の菩提寺です。

  • 宮の坂駅全景<br /><br />一部を除き全線が専用軌道となっています。駅区間はすべて1Km未満で場所によっては隣の駅が目視可能です。尚ゲージは1372mmで車両の規模に対し広めの印象があります。料金は全区間均一の大人140円(子供70円)で勿論PASMO及びSUICAのICカード支払OKです。

    宮の坂駅全景

    一部を除き全線が専用軌道となっています。駅区間はすべて1Km未満で場所によっては隣の駅が目視可能です。尚ゲージは1372mmで車両の規模に対し広めの印象があります。料金は全区間均一の大人140円(子供70円)で勿論PASMO及びSUICAのICカード支払OKです。

  • 保存車両<br /><br />宮の坂駅脇にかつて活躍した電車が静止保存されています。車内は開放されていますの誰でも自由に出入り可能です。

    保存車両

    宮の坂駅脇にかつて活躍した電車が静止保存されています。車内は開放されていますの誰でも自由に出入り可能です。

  • 江ノ電601号全景<br /><br />昭和44年まで主力車両として玉川線で活躍、その後江ノ島電鉄に譲渡されますが新車両2000型デビューに伴い現役を退き当地で保存されることになります。<br />この日も若いカップルや子供達が内部で木造車両の雰囲気を楽しんでいました。<br /><br /><br />

    江ノ電601号全景

    昭和44年まで主力車両として玉川線で活躍、その後江ノ島電鉄に譲渡されますが新車両2000型デビューに伴い現役を退き当地で保存されることになります。
    この日も若いカップルや子供達が内部で木造車両の雰囲気を楽しんでいました。


  • 車両説明板。

    車両説明板。

  • 世田谷城跡公園入口<br /><br />かつての城郭から見ると規模が縮小化されてますが、それでも住宅化され周辺とうまくかみ合って気品のある公園となっています。<br />

    イチオシ

    世田谷城跡公園入口

    かつての城郭から見ると規模が縮小化されてますが、それでも住宅化され周辺とうまくかみ合って気品のある公園となっています。

  • 世田谷城跡公園案内<br /><br />彦根藩主の井伊家墓所(国史跡)、吉良氏墓所(区史跡)、世田谷八幡宮等の紹介がなされています。かつては世田谷城の城域に含まれていたようです。

    世田谷城跡公園案内

    彦根藩主の井伊家墓所(国史跡)、吉良氏墓所(区史跡)、世田谷八幡宮等の紹介がなされています。かつては世田谷城の城域に含まれていたようです。

  • 土塁と空堀<br /><br />崩落防止用の石垣で囲まれており、いささか不自然ですが土塁と空堀の一部と思われます。

    土塁と空堀

    崩落防止用の石垣で囲まれており、いささか不自然ですが土塁と空堀の一部と思われます。

  • 土塁の一部<br /><br />僅かですが土塁が一部残されています。

    土塁の一部

    僅かですが土塁が一部残されています。

  • 土塁の一部<br /><br />偽木に囲まれた土塁の一部です。<br /><br />

    土塁の一部

    偽木に囲まれた土塁の一部です。

  • 土塁と空堀<br /><br />

    土塁と空堀

  • 土塁<br /><br />崩落防止の石垣ですが本来の姿は土塁となっています。

    土塁

    崩落防止の石垣ですが本来の姿は土塁となっています。

  • 世田谷城跡案内板<br /><br />都の指定旧跡となっています。

    世田谷城跡案内板

    都の指定旧跡となっています。

  • 城郭の一部<br /><br />一段高い見晴らしのいい憩いの場所となっています。<br /><br />

    城郭の一部

    一段高い見晴らしのいい憩いの場所となっています。

  • 大きな盛り土<br /><br />一部ですが大きく盛った土塁が見られます。

    大きな盛り土

    一部ですが大きく盛った土塁が見られます。

  • 空堀の一部<br /><br />すぐ民家が迫っていますが空堀の一部が確認されます。<br /><br />

    空堀の一部

    すぐ民家が迫っていますが空堀の一部が確認されます。

  • 世田谷城跡説明石碑<br /><br />吉良氏は忠臣蔵で有名な吉良上野介と祖を同一にする名門の家系で本家筋の三河吉良氏は「足利氏に世継ぎなければ吉良氏より」と言われるほどの家柄で世田谷の吉良氏も関東公方に仕え関東管領上杉氏に続く名門であります。<br /><br />

    イチオシ

    世田谷城跡説明石碑

    吉良氏は忠臣蔵で有名な吉良上野介と祖を同一にする名門の家系で本家筋の三河吉良氏は「足利氏に世継ぎなければ吉良氏より」と言われるほどの家柄で世田谷の吉良氏も関東公方に仕え関東管領上杉氏に続く名門であります。

  • 世田谷城城郭構図<br /><br />往時の吉良氏世田谷城は現在の豪徳寺一帯を含む壮大なる敷地であった事が示されています。中央部に吉良氏の館が建てられていたと思われます。

    世田谷城城郭構図

    往時の吉良氏世田谷城は現在の豪徳寺一帯を含む壮大なる敷地であった事が示されています。中央部に吉良氏の館が建てられていたと思われます。

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