2011/09/10 - 2011/09/13
74位(同エリア160件中)
てつさん
古墓博物館の見学を終えた後、ホテルにチェックインするために一度市内に戻りました。その途中で立ち寄ったのが、市内中心部の王城広場内にある周王城天子駕六博物館です。天子駕六博物館は2002年に偶然発見された東周時代の車馬坑(陪葬坑)を、そのまま博物館として展示したものです。
ホテルにチェックイン後、今度は龍門石窟へと向かいます。
周王城天子駕六博物館
住所:王城広場内
入場料:30元
龍門石窟
住所:南郊外
入場料:120元
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天子駕六博物館がある王城広場自体が、東周王城跡です。この東北部で天子駕六の車馬坑が発見されました。写真は王城遺跡全体を復原した模型。
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青銅器の壺や編鐘なども発見されています。
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こちらが車馬坑。2頭立て馬車が17台、4頭立てが8台、6頭立てが1台発見されたとか。
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馬車の形もはっきりと残っています。
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そしてこれが天子駕六です。馬車の前に馬が6頭います。
そもそも「天子駕六」とは、『後漢書』巻39「輿服志」の注にある『逸礼』「王度記」に「天子駕六馬、諸侯駕四、大夫三、士二、庶人一」にあるように、天子の車馬は六頭立てと言われていたのですが、この車馬坑の発見によって、「王度記」の記述が裏付けられたわけです。 -
痛々しい写真ですみません。お馬さんの骨です。普段からあまり馬を間近で見る機会がないので、自信がないのですが、少し小さい印象を受けました。もともと東方の馬は小さかったようで、前漢の武帝がより大きくスタミナのある汗血馬を大宛(フェルガナ)に求めたといいます。戦争の時も騎馬ではなく馬車を用いていたのも、うなずけます。
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これが、馬車の復原図(天子六駕ではありませんが)。
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さて、ホテルにチェックイン後、次に向かったのは、今回の旅で唯一(?)の有名観光地、龍門石窟です。石窟の造営が開始されたのは、北魏孝文帝が平城(現大同)から洛陽に遷都した493年前後からだそうです。
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龍門石窟の案内看板。これを見てわかるように、石窟は伊河の両岸に展開しています。ただし、今回我々が見学したのは東岸のみ。120元のチケットの半分以上を無駄にしてしまいましたが、時間的にも体力的にも限界でした。じっくり石窟を見ようとすると、結構上り下りしなければならないので、体力に余裕がある時に見に行くべきでしょう。
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これが伊河。
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山に多数の洞が掘られています。思わず「吉見百穴みたい!」と言ってしまったのですが、同行者には通じませんでした。*吉見百穴は埼玉県比企郡吉見町にある古墳時代の横穴墓群。見た目本当によく似ています。
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上の写真のような洞以外にも、山肌に龕仏もたくさん彫られています。
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北魏宣武帝の計画を受けて開削された賓陽三洞のうちの1つ、賓陽中洞。この中洞のみが北魏時代に完成し、南・北洞の完成は唐初期だったそうです。
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こちらは万仏洞。彩色がまだ残っている!
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北魏孝昌年間(525〜527)に造られた蓮花洞。天井に大きな蓮花が彫られています。
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蓮花洞向かって右側の壁。ここにも多数の龕仏が彫られています。
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こちらも蓮花洞内部の彫刻。いやー、細かい!
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この写真のように洞の入口部分が門の形に彫られているものもありました。
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写真に写っている階段を上り、龍門石窟の中でも特に有名な奉先寺へと向かいます。
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こちらが奉先寺。唐高宗初年咸亨三年(672)に武則天が脂粉銭二万貫を寄進し、上元二年(675)に完成したと伝えられています。
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奉先寺盧遮那仏。武則天の顔をモデルにしたという言い伝えもありますが、真偽のほどは不明。
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奉先寺四天王像。
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四天王に踏みつけられている邪鬼。
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薬の調合法が記されているという薬方洞。
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残念ながら修理中で中を見ることができませんでした。
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私のお気に入り。ガッツポーズをする獅子。
約一時間半かかって東岸を一通り見て回りました。西岸も見る場合、三時間くらい時間をとっておいたほうが良いかもしれません。
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