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第6日目:待望のパリ自由行動日です.<br />本日の予定は、①ノートルダム大聖堂 ②サント・シャペル ③Bonbon Watch ④オペラ・ガルニエ ⑤ギャラリー・ラファイエット ⑥プランタン(ランチ) ⑦オランジュリー美術館 ⑧ルーヴル美術館 ⑨エトワール凱旋門(外観鑑賞)⑩マドレーヌ寺院 ⑪レオン(ディナー)⑫オペラ・ガルニエ(夜景鑑賞)と超タイトなスケジュールです。<br /><br />旅行前の計画では、ルーブルの代わりにサクレ・クール寺院、ディナー後は凱旋門に登って夜景を鑑賞する予定でした。また、その後夜景鑑賞のためコンコルド広場からパリ市庁舎までセーヌ川沿いを歩く予定でしたが、この計画は健脚者ならともかく、当方には無謀でした。セーヌ川沿いの夜景は、前夜のセーヌ川クルーズでじっくり堪能したので未練はありません。<br /><br />今回は、後編として⑧ルーヴル美術館 ~ ⑫オペラ・ガルニエ(夜景観賞)をレポートいたします。写真はチュイルリー公園の西側高台遊歩道からの眺望です。光を透かした鉄で編まれたエッフェル塔の骨組みがとても綺麗です。 <br />

ときめきの北フランス周遊⑥ ★★★パリ 自由行動(後編)★★★

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2011/10/19 - 2011/10/26

2位(同エリア15795件中)

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

第6日目:待望のパリ自由行動日です.
本日の予定は、①ノートルダム大聖堂 ②サント・シャペル ③Bonbon Watch ④オペラ・ガルニエ ⑤ギャラリー・ラファイエット ⑥プランタン(ランチ) ⑦オランジュリー美術館 ⑧ルーヴル美術館 ⑨エトワール凱旋門(外観鑑賞)⑩マドレーヌ寺院 ⑪レオン(ディナー)⑫オペラ・ガルニエ(夜景鑑賞)と超タイトなスケジュールです。

旅行前の計画では、ルーブルの代わりにサクレ・クール寺院、ディナー後は凱旋門に登って夜景を鑑賞する予定でした。また、その後夜景鑑賞のためコンコルド広場からパリ市庁舎までセーヌ川沿いを歩く予定でしたが、この計画は健脚者ならともかく、当方には無謀でした。セーヌ川沿いの夜景は、前夜のセーヌ川クルーズでじっくり堪能したので未練はありません。

今回は、後編として⑧ルーヴル美術館 ~ ⑫オペラ・ガルニエ(夜景観賞)をレポートいたします。写真はチュイルリー公園の西側高台遊歩道からの眺望です。光を透かした鉄で編まれたエッフェル塔の骨組みがとても綺麗です。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
4.0
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
20万円 - 25万円
交通手段
徒歩
航空会社
エールフランス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
JTB

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  • カルーゼル凱旋門。<br />カミさんの疲労を察してサクレ・クール寺院を訪れる予定を急遽変更。晩秋のチュイルリー公園を徒歩で縦断してルーヴル美術館へ向かいました。昨日のツアーでは2時間しか鑑賞時間がなく(これでもツアーでは多目とのこと)、消化不良を起こしていたことも理由の一つです。途中、金色のツタンカーメンの衣装を被った道化師に遭遇。この界隈では有名人です。疲れきった様子でベンチに座っていました。お金を払えば一緒に記念撮影をしてくれます。<br />「カルーゼル」の名は、往時、ここが騎馬試合(carrousel)の場所だったからだそうです。<br /><br />カルーゼル凱旋門の頂上には、4頭立ての凱旋車に乗る兵士と女神の像があります。オリジナルは金色の「4頭の馬」で、アウステルリッツの戦でナポレオンが戦利品としてヴェネツィアから略奪したものでしたが、ナポレオン没落後、サン・マルコ寺院に戻されたそうです。フランス革命後、イマイチぱっとしない共和制政府への不満があった人心を利用し、一兵卒から皇帝にまでのし上がったナポレオン。勝利の歴史を刻む門の頂上に飾られた戦利品は、本来頂点に立てる生まれではなかった自分が皇帝に登り詰めた事の不安を正当化し、存在意義を確認するのが目的だったのでは?と勘ぐれないこともありません。自己顕示欲の高い人ほど小心者と言いますから・・・。もちろん、最大の目的は「フランス国に勝利を導く皇帝を讃えよ」という民衆への力の誇示です。 <br /><br />

    カルーゼル凱旋門。
    カミさんの疲労を察してサクレ・クール寺院を訪れる予定を急遽変更。晩秋のチュイルリー公園を徒歩で縦断してルーヴル美術館へ向かいました。昨日のツアーでは2時間しか鑑賞時間がなく(これでもツアーでは多目とのこと)、消化不良を起こしていたことも理由の一つです。途中、金色のツタンカーメンの衣装を被った道化師に遭遇。この界隈では有名人です。疲れきった様子でベンチに座っていました。お金を払えば一緒に記念撮影をしてくれます。
    「カルーゼル」の名は、往時、ここが騎馬試合(carrousel)の場所だったからだそうです。

    カルーゼル凱旋門の頂上には、4頭立ての凱旋車に乗る兵士と女神の像があります。オリジナルは金色の「4頭の馬」で、アウステルリッツの戦でナポレオンが戦利品としてヴェネツィアから略奪したものでしたが、ナポレオン没落後、サン・マルコ寺院に戻されたそうです。フランス革命後、イマイチぱっとしない共和制政府への不満があった人心を利用し、一兵卒から皇帝にまでのし上がったナポレオン。勝利の歴史を刻む門の頂上に飾られた戦利品は、本来頂点に立てる生まれではなかった自分が皇帝に登り詰めた事の不安を正当化し、存在意義を確認するのが目的だったのでは?と勘ぐれないこともありません。自己顕示欲の高い人ほど小心者と言いますから・・・。もちろん、最大の目的は「フランス国に勝利を導く皇帝を讃えよ」という民衆への力の誇示です。

  • ルーヴル美術館全景。<br />雄大過ぎてカメラに収まり切りません。ということでパノラマ写真でどうぞ。<br />手前のドーナツ状の植え込みの中心には強化ガラスが張られ、その下に逆ピラミッドがあります。天井から自然光が差し込む構造です。尚、天井部への立ち入りは禁じられています。<br /><br />ルーヴルは今では美術館としてその名を馳せていますが、元は城塞で次に王宮となりました。王家の収集品を一般市民に観賞してもらうために建物の一部を公開したのは、大改革最中の1793年です。<br />ルーヴルの地下を歩いていくと何の変哲もない所に突如、武骨かつ壮大な城塞の遺跡が表れて驚きます。時代はローマ時代末期に遡ります。ゲルマン人侵攻に備えてパリ中心のシテ島に城塞が構築されましたが、それが破壊されて以降、パリには城塞がありませんでした。12世紀、フィリップ2世は防衛用に城塞を築くことを決意し、同時にセーヌ川沿いに攻め上る敵に備えて城壁の西外側のセーヌ川河畔に堅牢な城塞を築いて守りを固めました。それが今のルーヴルの地下に遺跡として残っている城塞です。ルーヴルとは砦を意味します。

    イチオシ

    ルーヴル美術館全景。
    雄大過ぎてカメラに収まり切りません。ということでパノラマ写真でどうぞ。
    手前のドーナツ状の植え込みの中心には強化ガラスが張られ、その下に逆ピラミッドがあります。天井から自然光が差し込む構造です。尚、天井部への立ち入りは禁じられています。

    ルーヴルは今では美術館としてその名を馳せていますが、元は城塞で次に王宮となりました。王家の収集品を一般市民に観賞してもらうために建物の一部を公開したのは、大改革最中の1793年です。
    ルーヴルの地下を歩いていくと何の変哲もない所に突如、武骨かつ壮大な城塞の遺跡が表れて驚きます。時代はローマ時代末期に遡ります。ゲルマン人侵攻に備えてパリ中心のシテ島に城塞が構築されましたが、それが破壊されて以降、パリには城塞がありませんでした。12世紀、フィリップ2世は防衛用に城塞を築くことを決意し、同時にセーヌ川沿いに攻め上る敵に備えて城壁の西外側のセーヌ川河畔に堅牢な城塞を築いて守りを固めました。それが今のルーヴルの地下に遺跡として残っている城塞です。ルーヴルとは砦を意味します。

  • ルーヴル美術館(パッサージュ・リシュリューよりピラミッド)。<br />昨日はドノン翼を制覇したので、今日はリシュリュー翼とシュリー翼を制覇します。ミュージアム・パスはルーヴル美術館でも大活躍です。リシュリュー翼のパッサージュ・リシュリュー入口(メトロ入口近く)は、ミュージアム・パス専用入口ですのでほとんど待ち時間なく入館できました。ピラミッド側入口がチケットを求めて長蛇の列を作っていたのとは対照的です。入口の場所は下記サイトで確認できます。<br />http://www.louvre.fr/sites/default/files/medias/medias_fichiers/fichiers/pdf/louvre-plan-guide-japonais.pdf<br />お目当ての作品の展示ルームNo.は次のサイトで調べられます。<br />http://www.louvre.fr/en/selections<br />写真の中からジャンルを選びクリック。所望の絵画をクリックすると絵の解説と共にTechnical descriptionという表示が右側に現れます。この欄の下部にROOM番号が記されています。絵画だけを調べるなら同じ欄にあるPaintingsをクリックすれば絵画専用ジャンルに入ります。当方が調査していた頃には日本語サイトがありましたが、最近ルーヴル公式サイトが更新されたばかりで追いついていないようです。暫くしたら立ち上がると思います。(2011年12月4日現在)<br />ルーヴルの展示ルームマップは、④ベルサイユ~パリ~セーヌ川ディナークルーズを参照ください.<br />http://4travel.jp/traveler/montsaintmichel/album/10624340/<br /><br />絵画の説明は以下の文献、他を参考にしました。<br />①「ルーヴルの名画はなぜこんなに面白いのか」井出洋一郎 著 中経の文庫<br />②「怖い絵 泣く女篇」中野京子 著 角川文庫

    ルーヴル美術館(パッサージュ・リシュリューよりピラミッド)。
    昨日はドノン翼を制覇したので、今日はリシュリュー翼とシュリー翼を制覇します。ミュージアム・パスはルーヴル美術館でも大活躍です。リシュリュー翼のパッサージュ・リシュリュー入口(メトロ入口近く)は、ミュージアム・パス専用入口ですのでほとんど待ち時間なく入館できました。ピラミッド側入口がチケットを求めて長蛇の列を作っていたのとは対照的です。入口の場所は下記サイトで確認できます。
    http://www.louvre.fr/sites/default/files/medias/medias_fichiers/fichiers/pdf/louvre-plan-guide-japonais.pdf
    お目当ての作品の展示ルームNo.は次のサイトで調べられます。
    http://www.louvre.fr/en/selections
    写真の中からジャンルを選びクリック。所望の絵画をクリックすると絵の解説と共にTechnical descriptionという表示が右側に現れます。この欄の下部にROOM番号が記されています。絵画だけを調べるなら同じ欄にあるPaintingsをクリックすれば絵画専用ジャンルに入ります。当方が調査していた頃には日本語サイトがありましたが、最近ルーヴル公式サイトが更新されたばかりで追いついていないようです。暫くしたら立ち上がると思います。(2011年12月4日現在)
    ルーヴルの展示ルームマップは、④ベルサイユ~パリ~セーヌ川ディナークルーズを参照ください.
    http://4travel.jp/traveler/montsaintmichel/album/10624340/

    絵画の説明は以下の文献、他を参考にしました。
    ①「ルーヴルの名画はなぜこんなに面白いのか」井出洋一郎 著 中経の文庫
    ②「怖い絵 泣く女篇」中野京子 著 角川文庫

  • ヤン・ファン・エイク 「宰相ロランの聖母」<br />(1435年頃)フランドル絵画<br />ロランはブルゴニュー出身の弁護士で、ジャン公に見いだされて宰相の座を掴みます。フィリップ公の時代には、ロランの働きもあって仏・伊を凌ぐ経済・文化の繁栄を見せました。ロランは、ファン・エイクに聖母とキリストに祝福してもらう絵を描かせ、故郷の教会礼拝堂に奉納しました。故郷に錦を飾るための名画と言えます。<br /><br />66x62cmというサイズで想像していたより小さな絵画ですが、緻密な風景や衣服・装飾が散りばめられています。回廊の外の花壇には聖母のアレゴリーである白百合をはじめとして30種類以上もの草花が見分けられるようです。ロマネスク様式の柱の彫刻には、ロランが罪に陥らないように人間の原罪を表す図像が選ばれています。

    ヤン・ファン・エイク 「宰相ロランの聖母」
    (1435年頃)フランドル絵画
    ロランはブルゴニュー出身の弁護士で、ジャン公に見いだされて宰相の座を掴みます。フィリップ公の時代には、ロランの働きもあって仏・伊を凌ぐ経済・文化の繁栄を見せました。ロランは、ファン・エイクに聖母とキリストに祝福してもらう絵を描かせ、故郷の教会礼拝堂に奉納しました。故郷に錦を飾るための名画と言えます。

    66x62cmというサイズで想像していたより小さな絵画ですが、緻密な風景や衣服・装飾が散りばめられています。回廊の外の花壇には聖母のアレゴリーである白百合をはじめとして30種類以上もの草花が見分けられるようです。ロマネスク様式の柱の彫刻には、ロランが罪に陥らないように人間の原罪を表す図像が選ばれています。

  • クエンティン・マセイス 「金貸しとその妻」<br />(1514年)フランドル絵画<br />マセイスは、15世紀末までに常套化したフランドル絵画を新しい視点で16世紀のルネサンス絵画に橋渡しした中興の祖として名高い画家です。<br /><br />絵の中の2人は夫婦で金貸しと両替商を営んでいます。金貨を天秤で量り、金の含有量を調べて値踏みしています。机には真珠や指輪などが所狭しと並べられ、聖書を読んでいた奥さんもマリア像の頁の所で手を休めて忘我の境地で見とれています。<br />この絵には、聖と俗の道徳的寓意が込められているそうです。つまり、重さをごまかさないという商業道徳の遵守を求める絵なのです。手前の凸面鏡には人影が映っており、不正を監視されています。また、聖書のマリア像も監視しています。人はどこかで誰かに見通されているということを暗示する絵画です。<br />

    クエンティン・マセイス 「金貸しとその妻」
    (1514年)フランドル絵画
    マセイスは、15世紀末までに常套化したフランドル絵画を新しい視点で16世紀のルネサンス絵画に橋渡しした中興の祖として名高い画家です。

    絵の中の2人は夫婦で金貸しと両替商を営んでいます。金貨を天秤で量り、金の含有量を調べて値踏みしています。机には真珠や指輪などが所狭しと並べられ、聖書を読んでいた奥さんもマリア像の頁の所で手を休めて忘我の境地で見とれています。
    この絵には、聖と俗の道徳的寓意が込められているそうです。つまり、重さをごまかさないという商業道徳の遵守を求める絵なのです。手前の凸面鏡には人影が映っており、不正を監視されています。また、聖書のマリア像も監視しています。人はどこかで誰かに見通されているということを暗示する絵画です。

  • ヨアヒム・ウテウァール 「アンドロメダを救うペルセウス」<br />(1611年)フランドル絵画<br />ウテウァールはオランダ人ですが、16世紀のフランドル絵画の様式で描いています。17世紀にはレンブラントやフェルメールなどのオランダ絵画が台頭し、身近な自然と向かい合う新世代へ突入します。残念ながら、この作品はフランドル絵画史200年の最後を飾る記念作となったものです。<br /><br />主題は、女神が王女アンドロメダのあまりの美貌に嫉妬し、竜に襲わせるという場面です。それを知ったペルセウスが天馬に跨って竜を退治するというギリシア神話に由来します。神話をモチーフに描いたのでもちろん竜なのでしょうが、どう見ても竜には見えません。元々架空の生物ですので、往時の竜のイメージはこのようなものだったのでしょう。日本橋にある「翼のある麒麟の像」に近いと言うか、某ビールメーカーのラベルの竜と言った方が分かり易いかもしれません。<br /><br />アンドロメダを小顔に描き、真珠のように肌を輝かせ、マニエリスム画家への対抗心を露わにしています。また、足元には骸骨や貝殻を緻密に描いてフランドル画の伝統を見せつけています。背景はオランダ風景画に繋がる新しい技法です。こうした多彩な画法を駆使し、新たな時代への脱皮にもがき苦しんでいるウテウァールの姿が目に浮かぶようです。<br /><br />

    ヨアヒム・ウテウァール 「アンドロメダを救うペルセウス」
    (1611年)フランドル絵画
    ウテウァールはオランダ人ですが、16世紀のフランドル絵画の様式で描いています。17世紀にはレンブラントやフェルメールなどのオランダ絵画が台頭し、身近な自然と向かい合う新世代へ突入します。残念ながら、この作品はフランドル絵画史200年の最後を飾る記念作となったものです。

    主題は、女神が王女アンドロメダのあまりの美貌に嫉妬し、竜に襲わせるという場面です。それを知ったペルセウスが天馬に跨って竜を退治するというギリシア神話に由来します。神話をモチーフに描いたのでもちろん竜なのでしょうが、どう見ても竜には見えません。元々架空の生物ですので、往時の竜のイメージはこのようなものだったのでしょう。日本橋にある「翼のある麒麟の像」に近いと言うか、某ビールメーカーのラベルの竜と言った方が分かり易いかもしれません。

    アンドロメダを小顔に描き、真珠のように肌を輝かせ、マニエリスム画家への対抗心を露わにしています。また、足元には骸骨や貝殻を緻密に描いてフランドル画の伝統を見せつけています。背景はオランダ風景画に繋がる新しい技法です。こうした多彩な画法を駆使し、新たな時代への脱皮にもがき苦しんでいるウテウァールの姿が目に浮かぶようです。

  • ピーテル・パウル・ルーベンス 「マリーのマルセイユ上陸」<br />(1621−25年)バロック美術<br />マリー・ド・メディシスの生涯を描いた巨大な連作24枚が展示されている部屋があります。フィレンツェのメディチ家からアンリ4世のもとへ嫁いだマリー王妃の苦難の半生を描いた力作群です。莫大な持参金と共に嫁いだものの、アンリ4世は王妃を妾の1人程度にしか扱わず、貴族からは「太った銀行家の娘」と貶められます。この絵のある部屋は禁断の間と呼ばれ、入ったが最後、30分は抜けられません。時間の関係でどれか1点を観賞するとすれば、この絵に限ります。<br /><br />マリーがマルセイユに上陸する様を描いたこの絵は、丁度彼女の権力闘争が始まった頃に当たり、歓迎の出迎えに会釈もせず視線を遠くに向け、威厳を保つ凛とした態度が心を打ちます。海を象徴する神々や妖精は、ドラクロワやルノワールが絶賛したほどの輝かしい肉体美を誇っています。当時は小太りが美人の基準だったようですが、少し度を越したマリーをホッソリ見せる視覚的効果を狙ったルーベンスの気配りが見て取れます。<br /><br />

    ピーテル・パウル・ルーベンス 「マリーのマルセイユ上陸」
    (1621−25年)バロック美術
    マリー・ド・メディシスの生涯を描いた巨大な連作24枚が展示されている部屋があります。フィレンツェのメディチ家からアンリ4世のもとへ嫁いだマリー王妃の苦難の半生を描いた力作群です。莫大な持参金と共に嫁いだものの、アンリ4世は王妃を妾の1人程度にしか扱わず、貴族からは「太った銀行家の娘」と貶められます。この絵のある部屋は禁断の間と呼ばれ、入ったが最後、30分は抜けられません。時間の関係でどれか1点を観賞するとすれば、この絵に限ります。

    マリーがマルセイユに上陸する様を描いたこの絵は、丁度彼女の権力闘争が始まった頃に当たり、歓迎の出迎えに会釈もせず視線を遠くに向け、威厳を保つ凛とした態度が心を打ちます。海を象徴する神々や妖精は、ドラクロワやルノワールが絶賛したほどの輝かしい肉体美を誇っています。当時は小太りが美人の基準だったようですが、少し度を越したマリーをホッソリ見せる視覚的効果を狙ったルーベンスの気配りが見て取れます。

  • ヨハネス・フェルメール 「天文学者」(1668年)<br />バロック美術 フランドル絵画<br />フェルメールは17世紀のオランダの画家です。作品はどれも静かな空間に満ち、それでいて全ての素材が精巧な描写により不思議な存在感を持ち、強く惹き付ける力を持っています。大変人気のある画家で、各所で「フェルメール展」が催されるとその混雑ぶりが話題になります。当方も今夏は京都市美術館へフェルメール詣でに行ってきました。現存する作品は、疑問作も含めて30数点です。生前、フェルメールは画家として評価を得ましたが、その後美術史から突如姿を消します。そして没後約200年経ってから再び脚光を浴びるのです。ある種ミステリアスなこの背景が、「作品を見たい」という気持ちに拍車をかけているようにも思います。残念なことに「レースを編む女」は出張中でした。<br /><br />絵のモデルは、フェルメールと同年生まれで同じデルフトの住人であった科学者アントニ・ファン・レーウェンフック説が有力です。レーウェンフックはアマチュア科学者として活躍し、微生物学の父と称されています。天文学者は天球儀に向き合い、手前にはアストロラープという天体の角度を測る器械が置かれています。机上の本はアドリアーン・メティウス著『星の研究と観察』であることが判明し、どのページが開かれているかまで解明されています。壁の絵は『モーセの発見』で、ユダヤの民を導いたモーセは天文学にも縁のある人物だと解釈されています。<br /><br />世の中は絶えず移ろいでいるのに、人はそれをずっと捉え続けることは困難です。物体の運動を一時留め、そこに至った時間とそこから始まる時間を表現する方法はないのか?ニュートンは運動方程式を駆使して動く物を一時そこに留め、その物体が次にどの方向へどんな速度で動き出すかを予測する方法を編み出しました。それが微分法であり、力学と運動を方程式で読み解けるようにしたのです。同じことを絵画の分野で目指したのがフェルメールだと思います。移ろい行く光の一瞬を留めたい。そこに至る時間と、そこから始まる時間を瞬間に絵の中に封じ込めたい。フェルメールは画家として微分法を発見したのではないでしょうか?<br />

    ヨハネス・フェルメール 「天文学者」(1668年)
    バロック美術 フランドル絵画
    フェルメールは17世紀のオランダの画家です。作品はどれも静かな空間に満ち、それでいて全ての素材が精巧な描写により不思議な存在感を持ち、強く惹き付ける力を持っています。大変人気のある画家で、各所で「フェルメール展」が催されるとその混雑ぶりが話題になります。当方も今夏は京都市美術館へフェルメール詣でに行ってきました。現存する作品は、疑問作も含めて30数点です。生前、フェルメールは画家として評価を得ましたが、その後美術史から突如姿を消します。そして没後約200年経ってから再び脚光を浴びるのです。ある種ミステリアスなこの背景が、「作品を見たい」という気持ちに拍車をかけているようにも思います。残念なことに「レースを編む女」は出張中でした。

    絵のモデルは、フェルメールと同年生まれで同じデルフトの住人であった科学者アントニ・ファン・レーウェンフック説が有力です。レーウェンフックはアマチュア科学者として活躍し、微生物学の父と称されています。天文学者は天球儀に向き合い、手前にはアストロラープという天体の角度を測る器械が置かれています。机上の本はアドリアーン・メティウス著『星の研究と観察』であることが判明し、どのページが開かれているかまで解明されています。壁の絵は『モーセの発見』で、ユダヤの民を導いたモーセは天文学にも縁のある人物だと解釈されています。

    世の中は絶えず移ろいでいるのに、人はそれをずっと捉え続けることは困難です。物体の運動を一時留め、そこに至った時間とそこから始まる時間を表現する方法はないのか?ニュートンは運動方程式を駆使して動く物を一時そこに留め、その物体が次にどの方向へどんな速度で動き出すかを予測する方法を編み出しました。それが微分法であり、力学と運動を方程式で読み解けるようにしたのです。同じことを絵画の分野で目指したのがフェルメールだと思います。移ろい行く光の一瞬を留めたい。そこに至る時間と、そこから始まる時間を瞬間に絵の中に封じ込めたい。フェルメールは画家として微分法を発見したのではないでしょうか?

  • レンブラント・ファン・レイン <br />「ダビデ王の手紙を手にしたバテシバの水浴」<br />(1654年)バロック美術 フランドル絵画<br />レンブラント後期48歳の傑作であり、ルーヴルの至宝と言っても過言ではありません。主題は、旧約聖書のダビデ王と人妻バテシバのお話です。ダビデ王はバテシバに横恋慕して懐妊させた上、夫ウリヤを戦地に赴かせて死なせてしまいます。王から恋文をもらい、召し出される前に身を装うバテシバの思いのすべてを黄金色の色調の中に浮かび上がらせています。<br /><br />恋文をもらったバテシバの表情は重苦しく、悩ましげです。夫を裏切り王妃の座を選ぶべきか、彼女の心は大きく揺れ動きます。その表情の機微を巧みに捕えたのがこの作品です。モデルは、前妻サスキアを亡くして自暴自棄に陥っていたレンブラントを支え、今日の名声を陰で支えた家政婦ヘンドリッキエ。2人の間には娘コメリアが生まれますが、溺愛した前妻との間にできた息子への遺産相続権が放棄されることを理由にヘンドリッキエの入籍を拒みます。こうして彼女は36歳の若さで画家に先立ちます。「ビロードのベレー帽を被ったヘンドリッキエ・ストッフルス」という彼女の絵画がこの絵の隣に展示されています。この2作品は、セットで鑑賞してください。

    レンブラント・ファン・レイン
    「ダビデ王の手紙を手にしたバテシバの水浴」
    (1654年)バロック美術 フランドル絵画
    レンブラント後期48歳の傑作であり、ルーヴルの至宝と言っても過言ではありません。主題は、旧約聖書のダビデ王と人妻バテシバのお話です。ダビデ王はバテシバに横恋慕して懐妊させた上、夫ウリヤを戦地に赴かせて死なせてしまいます。王から恋文をもらい、召し出される前に身を装うバテシバの思いのすべてを黄金色の色調の中に浮かび上がらせています。

    恋文をもらったバテシバの表情は重苦しく、悩ましげです。夫を裏切り王妃の座を選ぶべきか、彼女の心は大きく揺れ動きます。その表情の機微を巧みに捕えたのがこの作品です。モデルは、前妻サスキアを亡くして自暴自棄に陥っていたレンブラントを支え、今日の名声を陰で支えた家政婦ヘンドリッキエ。2人の間には娘コメリアが生まれますが、溺愛した前妻との間にできた息子への遺産相続権が放棄されることを理由にヘンドリッキエの入籍を拒みます。こうして彼女は36歳の若さで画家に先立ちます。「ビロードのベレー帽を被ったヘンドリッキエ・ストッフルス」という彼女の絵画がこの絵の隣に展示されています。この2作品は、セットで鑑賞してください。

  • フランス・ハルス 「リュートを弾く道化師」(1623年頃)<br />バロック美術 フランドル絵画<br />17世紀に活躍したハルスが1618年から1630年頃まで続けた、様々な人々の豊かな表情を描写した作品群の代表作。風俗画風の単身像作品ですが、カラヴァッジョ派の劇的なキアロスクーロ(明暗法)の使用の影響は感じさせず、道化師が見せる一瞬のユーモラスな表情の描写に強い関心を示しています。またリュートのバラ窓などに覗かせる軽やかで躍動的なハルス独特のタッチは、同時代では強烈すぎるほどの個性となって鑑賞者に強い印象を与えたそうです。

    フランス・ハルス 「リュートを弾く道化師」(1623年頃)
    バロック美術 フランドル絵画
    17世紀に活躍したハルスが1618年から1630年頃まで続けた、様々な人々の豊かな表情を描写した作品群の代表作。風俗画風の単身像作品ですが、カラヴァッジョ派の劇的なキアロスクーロ(明暗法)の使用の影響は感じさせず、道化師が見せる一瞬のユーモラスな表情の描写に強い関心を示しています。またリュートのバラ窓などに覗かせる軽やかで躍動的なハルス独特のタッチは、同時代では強烈すぎるほどの個性となって鑑賞者に強い印象を与えたそうです。

  • 作者不詳 「ガブリエル・デストレとその妹」 <br />フォンテーヌブロー派 (1594年頃)。<br />フランス絵画中、最も謎めいているとされる作品です。カーテンが開かれ、これから芝居を演じるかのように2人の美女が裸でバスタブの中に入っています。右のガブリエル・デストレはフランス国王アンリ4世の愛妾。彼女がつまむ指輪は王との愛の絆、左の妹とされるビヤール公爵夫人がつまむ乳首は王の子供の懐妊を意味するアットリビュートだと言われています。ガブリエルは愛人として王を公私共に支えましたが、結婚を目前に突然重病を患い子供を死産、自身もまもなく命を落とします。2人の仲をよく思わぬ者も多かったため、毒殺説も噂されました。 <br /><br />こうした背景を踏まえて、もう一度絵の中を覗いてみます。奥の部屋では、年配の女性が何かを繕っています。生まれてくる子の産着なのか、それともガブリエルの葬儀用の衣装なのか?傍らには、緑のベルベットで覆われた大きな箱があります。婚礼用の衣装箱なのか、それともガブリエルの棺の暗喩なのか?背後の暖炉は暖かく燃え盛る炎なのか、それとも燃え尽きる寸前の断末魔のなせる業なのか?何も写していない鏡は何を意味するのか?指から外された指輪・・・。死人は指輪を外して棺に入れるという往時の風習。これらを鑑みると、この絵が毒殺を暗示しているようにしか思えません。そうであれば、左の女性はいったい誰なのか?<br />

    作者不詳 「ガブリエル・デストレとその妹」 
    フォンテーヌブロー派 (1594年頃)。
    フランス絵画中、最も謎めいているとされる作品です。カーテンが開かれ、これから芝居を演じるかのように2人の美女が裸でバスタブの中に入っています。右のガブリエル・デストレはフランス国王アンリ4世の愛妾。彼女がつまむ指輪は王との愛の絆、左の妹とされるビヤール公爵夫人がつまむ乳首は王の子供の懐妊を意味するアットリビュートだと言われています。ガブリエルは愛人として王を公私共に支えましたが、結婚を目前に突然重病を患い子供を死産、自身もまもなく命を落とします。2人の仲をよく思わぬ者も多かったため、毒殺説も噂されました。

    こうした背景を踏まえて、もう一度絵の中を覗いてみます。奥の部屋では、年配の女性が何かを繕っています。生まれてくる子の産着なのか、それともガブリエルの葬儀用の衣装なのか?傍らには、緑のベルベットで覆われた大きな箱があります。婚礼用の衣装箱なのか、それともガブリエルの棺の暗喩なのか?背後の暖炉は暖かく燃え盛る炎なのか、それとも燃え尽きる寸前の断末魔のなせる業なのか?何も写していない鏡は何を意味するのか?指から外された指輪・・・。死人は指輪を外して棺に入れるという往時の風習。これらを鑑みると、この絵が毒殺を暗示しているようにしか思えません。そうであれば、左の女性はいったい誰なのか?

  • ニコラ・プッサン 「四季連作 夏」<br />(1660−64年)古典主義<br />17世紀フランス古典主義の最大の巨匠。古典主義とは、ルネサンス期までの古典的様式に見られる明晰な秩序に基づいた統一的で調和のある表現方法とその技術を指します。<br /><br />プッサン晩年の傑作が、四季連作です。四季折々の自然を聖書の主題に則り、また幼青壮老の人生と一日の移り変わりを神の目線で俯瞰して描写しました。「春」はアダムとイヴの楽園で朝を表現しています。「夏」は寡婦のルツに地主のボアズが落穂拾いの許可を与える出会いの場面。その後、2人は結婚してダビデの家系を作ります。時は真昼、人生も成年期です。「秋」はモーセが約束の地の葡萄を運ばせる収穫図。夕映えの空を描いています。「冬」は夜の大洪水が描かれています。これで幕が下りるのではなく、再び「春」がやってきます。

    ニコラ・プッサン 「四季連作 夏」
    (1660−64年)古典主義
    17世紀フランス古典主義の最大の巨匠。古典主義とは、ルネサンス期までの古典的様式に見られる明晰な秩序に基づいた統一的で調和のある表現方法とその技術を指します。

    プッサン晩年の傑作が、四季連作です。四季折々の自然を聖書の主題に則り、また幼青壮老の人生と一日の移り変わりを神の目線で俯瞰して描写しました。「春」はアダムとイヴの楽園で朝を表現しています。「夏」は寡婦のルツに地主のボアズが落穂拾いの許可を与える出会いの場面。その後、2人は結婚してダビデの家系を作ります。時は真昼、人生も成年期です。「秋」はモーセが約束の地の葡萄を運ばせる収穫図。夕映えの空を描いています。「冬」は夜の大洪水が描かれています。これで幕が下りるのではなく、再び「春」がやってきます。

  • リュバン・ボージャン 「チェス盤のある静物」<br />(1630−35年)古典主義<br />17世紀、静物画では現世を否定し来世のために身を律する「死を想え」の考え方が流行りました。一般的には「現世の虚しさ」と称されるジャンルで、その中でこの絵は最高傑作と言われています。<br /><br />この絵は「五感の寓意」とも称されます。リュートと楽譜は聴覚。パンとワインは味覚。カーネーションは嗅覚。鏡は視覚。チェス盤、財布やカードは触角を表現しています。何気ない配置に思えますが、手前では賭け事や音楽の遊興生活を否定し、奥の聖体を表すパンと受難のワイン、三位一体の3本のカーネーションの宗教生活へと導く構図が読めます。しかし、最後に行きつくのは壁に掛けられた鏡。そこには何も映っていません。つまり、あの世の象徴なのです。

    リュバン・ボージャン 「チェス盤のある静物」
    (1630−35年)古典主義
    17世紀、静物画では現世を否定し来世のために身を律する「死を想え」の考え方が流行りました。一般的には「現世の虚しさ」と称されるジャンルで、その中でこの絵は最高傑作と言われています。

    この絵は「五感の寓意」とも称されます。リュートと楽譜は聴覚。パンとワインは味覚。カーネーションは嗅覚。鏡は視覚。チェス盤、財布やカードは触角を表現しています。何気ない配置に思えますが、手前では賭け事や音楽の遊興生活を否定し、奥の聖体を表すパンと受難のワイン、三位一体の3本のカーネーションの宗教生活へと導く構図が読めます。しかし、最後に行きつくのは壁に掛けられた鏡。そこには何も映っていません。つまり、あの世の象徴なのです。

  • ジョルジュ・ド・ラ・トゥール <br />「ダイヤのエースを持ついかさま師」<br />(1635年)古典主義<br />17世紀前半、ラ・トゥールは画家として成功を収め人気を博しますが、その後の災害や戦乱により作品の多くが失われ、本人の軌跡も途絶えました。こうした略歴は、フェルメールと酷似しています。一度は歴史の影に隠れ、現代になって注目を浴びている点がまず一つ。次に、少ない人物を配した静的な作品のイメージも似ています。フェルメールはどちらかといえば「光」、ラ・トゥールは「闇」の方に焦点を当てているように感じますが、いずれも劇的な光の効果を表現した点に重なるものがあります。ラ・トゥールの真作は世界に約40点しか存在しませんが、ルーヴルはその内の5点を所蔵しています。この作品の他「大工聖ヨセフ」も有名です。<br /><br />この絵は風俗画の代表作です。「いかさま師」は若者に賭博の危険を教えもので、同じ構図で左の男がクラブのカードをすり替える絵もあります。ルーヴルの絵は3人のいかさま師の表情に心理的緊張感がみなぎった秀逸な作品です。<br />右端のあどけなさの残る若者が、他の3人に騙されている場面です。タイトルのインパクトも手伝って、一度見ると忘れられない作品です。登場人物の表情や手や目の動き、衣装など、細かい要素の一つ一つが怪しげで全体の雰囲気を盛り上げています。<br /><br /><br /><br /><br /><br />

    ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
    「ダイヤのエースを持ついかさま師」
    (1635年)古典主義
    17世紀前半、ラ・トゥールは画家として成功を収め人気を博しますが、その後の災害や戦乱により作品の多くが失われ、本人の軌跡も途絶えました。こうした略歴は、フェルメールと酷似しています。一度は歴史の影に隠れ、現代になって注目を浴びている点がまず一つ。次に、少ない人物を配した静的な作品のイメージも似ています。フェルメールはどちらかといえば「光」、ラ・トゥールは「闇」の方に焦点を当てているように感じますが、いずれも劇的な光の効果を表現した点に重なるものがあります。ラ・トゥールの真作は世界に約40点しか存在しませんが、ルーヴルはその内の5点を所蔵しています。この作品の他「大工聖ヨセフ」も有名です。

    この絵は風俗画の代表作です。「いかさま師」は若者に賭博の危険を教えもので、同じ構図で左の男がクラブのカードをすり替える絵もあります。ルーヴルの絵は3人のいかさま師の表情に心理的緊張感がみなぎった秀逸な作品です。
    右端のあどけなさの残る若者が、他の3人に騙されている場面です。タイトルのインパクトも手伝って、一度見ると忘れられない作品です。登場人物の表情や手や目の動き、衣装など、細かい要素の一つ一つが怪しげで全体の雰囲気を盛り上げています。





  • ジョルジュ・ド・ラ・トゥール 「灯火の前の聖マドレーヌ」<br />(1642〜1644年頃)古典主義<br />ラ・トゥールは同じ主題で繰り返し作品を描いており、マグダラのマリア(マドレーヌ)もその題材の一つです。類似の構図で細部が大幅に異なる作品が、少なくとも4枚存在します。マドレーヌは左手のひらに顎を乗せて瞑想に耽っています。<br />右手に添えられているのは頭蓋骨。ロウソクの灯りで照らされるマドレーヌの横顔、足下の暗闇。順に目を移していくと、まるでこの静かな暗い空間の中に紛れ込んでしまったかのように作品の中に同化してしまいます。<br />宗教画では、地味な服装で頭蓋骨や十字架を持つ絵画は「メメント・モリ」と呼ばれ死を思う図像です。往時、マドレーヌが元娼婦の罪深い女であり、キリストに許されかつ愛された美形の女使徒だという誤ったイメージが独り歩きしました。その影響で画家たちは、想像力を逞しくして「昔の贅沢と罪を改悛して瞑想に耽るマドレーヌ」を量産したそうです。<br /><br />メトロ マドレーヌ駅至近にあるマドレーヌ寺院には、守護聖人であるマグダラのマリアの遺骸の一部をサン・マキシマン聖堂から分骨して祀っています。興味のある方は訪れられてはどうでしょう。

    ジョルジュ・ド・ラ・トゥール 「灯火の前の聖マドレーヌ」
    (1642〜1644年頃)古典主義
    ラ・トゥールは同じ主題で繰り返し作品を描いており、マグダラのマリア(マドレーヌ)もその題材の一つです。類似の構図で細部が大幅に異なる作品が、少なくとも4枚存在します。マドレーヌは左手のひらに顎を乗せて瞑想に耽っています。
    右手に添えられているのは頭蓋骨。ロウソクの灯りで照らされるマドレーヌの横顔、足下の暗闇。順に目を移していくと、まるでこの静かな暗い空間の中に紛れ込んでしまったかのように作品の中に同化してしまいます。
    宗教画では、地味な服装で頭蓋骨や十字架を持つ絵画は「メメント・モリ」と呼ばれ死を思う図像です。往時、マドレーヌが元娼婦の罪深い女であり、キリストに許されかつ愛された美形の女使徒だという誤ったイメージが独り歩きしました。その影響で画家たちは、想像力を逞しくして「昔の贅沢と罪を改悛して瞑想に耽るマドレーヌ」を量産したそうです。

    メトロ マドレーヌ駅至近にあるマドレーヌ寺院には、守護聖人であるマグダラのマリアの遺骸の一部をサン・マキシマン聖堂から分骨して祀っています。興味のある方は訪れられてはどうでしょう。

  • ル・ナン兄弟 「農民の家族」<br />(1640−45年)古典主義<br />ル・ナン三兄弟の内の長男アントワーヌまたは次男ルイの作品。描写の意図や目的は不明ですが、その静謐な情景描写、深い陰影や安定的な構図により、農民を主題とした屈指の代表作と多くの評論家が認めています。<br /><br />8人の農民の家族が猫や犬と共に記念写真のように絵に収まっています。彼らの視線は、この家を不意に訪れた私たちに向けられています。奥に居る主人は大きなパンを大事そうに抱え込み、警戒の素振りを見せますが拒否はしていません。一方、左の老婆の瞳は慈愛に満ち溢れ、当時高価だったワイングラスを手にしているのはいかにも不自然です。子供が奏でる笛は人間の生への喜びを表現し、全体的に貧しいはずの農家にふさわしくない威厳、気品に満ちた描写がなされてるのも不思議です。<br /><br />近年、この絵は、聖体のパンと受難のワインを使って家庭でミサをあげる当時の農村部のキリスト信仰を描写したものとする説が提示されて物議を醸しています。<br /><br />

    ル・ナン兄弟 「農民の家族」
    (1640−45年)古典主義
    ル・ナン三兄弟の内の長男アントワーヌまたは次男ルイの作品。描写の意図や目的は不明ですが、その静謐な情景描写、深い陰影や安定的な構図により、農民を主題とした屈指の代表作と多くの評論家が認めています。

    8人の農民の家族が猫や犬と共に記念写真のように絵に収まっています。彼らの視線は、この家を不意に訪れた私たちに向けられています。奥に居る主人は大きなパンを大事そうに抱え込み、警戒の素振りを見せますが拒否はしていません。一方、左の老婆の瞳は慈愛に満ち溢れ、当時高価だったワイングラスを手にしているのはいかにも不自然です。子供が奏でる笛は人間の生への喜びを表現し、全体的に貧しいはずの農家にふさわしくない威厳、気品に満ちた描写がなされてるのも不思議です。

    近年、この絵は、聖体のパンと受難のワインを使って家庭でミサをあげる当時の農村部のキリスト信仰を描写したものとする説が提示されて物議を醸しています。

  • クロード・モネ 印象派<br />ルーヴルに印象派ましてやモネの絵画が展示されているとは夢にも思いませんでした。描写のタッチですぐモネだと分かりました。額縁には確かにClaude Monetとありました。ルーヴルでモネ作品に出合えたのと、今まで見たことのない雪景色作品だったので感激もひとしおです。感激のあまり、作品名と年代を確認するのを忘れてしまいました。帰国後ネットで調べましたが、この絵に関する情報を見つけることができないでいます。ご存知であればご教授願います。<br />尚、ネット情報では、グラン・パレで開催されたモネ展にはルーヴル所蔵で未公開の作品が数点出展されたとの情報がありました。生憎、その中には入っていませんでした。ルーヴル恐るべしです。<br />

    クロード・モネ 印象派
    ルーヴルに印象派ましてやモネの絵画が展示されているとは夢にも思いませんでした。描写のタッチですぐモネだと分かりました。額縁には確かにClaude Monetとありました。ルーヴルでモネ作品に出合えたのと、今まで見たことのない雪景色作品だったので感激もひとしおです。感激のあまり、作品名と年代を確認するのを忘れてしまいました。帰国後ネットで調べましたが、この絵に関する情報を見つけることができないでいます。ご存知であればご教授願います。
    尚、ネット情報では、グラン・パレで開催されたモネ展にはルーヴル所蔵で未公開の作品が数点出展されたとの情報がありました。生憎、その中には入っていませんでした。ルーヴル恐るべしです。

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール 印象派<br />こちらも同じ部屋に展示されていました。「ピアノに寄る少女たち」の読書版のような作品です。これも題名が分かりません。<br /><br />ルーヴル訪問時は、シュリー翼北側が工事中で展示ルームも一部イレギュラーになっていました。常時展示されているのかは不明ですが、ルーヴルで印象派の巨匠2人の絵画を見つけるなんて宝くじを当てたようなものだと思います。運を使い果たしていなければいいのですが・・・。

    ピエール=オーギュスト・ルノワール 印象派
    こちらも同じ部屋に展示されていました。「ピアノに寄る少女たち」の読書版のような作品です。これも題名が分かりません。

    ルーヴル訪問時は、シュリー翼北側が工事中で展示ルームも一部イレギュラーになっていました。常時展示されているのかは不明ですが、ルーヴルで印象派の巨匠2人の絵画を見つけるなんて宝くじを当てたようなものだと思います。運を使い果たしていなければいいのですが・・・。

  • ジャン=バティスト・カミーユ・コロー <br />「モルトフォンテーヌの想い出」(1864年)写実主義<br />靄の画家として知られるコロー随一の代表作。コローが当時数多く描いた、回顧的作品の中の傑作です。中期から晩年までの約30年間に自己の内面を抒情詩的に映したかのような風景画を描き、その中でも特に抒情的な雰囲気が強調された作品です。<br /><br />絵の左側では若いお母さんと子供らが大地に咲く花や朽ちつつある痩せ衰えた木を摘んでいます。一方、右側には一本の巨木が悠々と枝を広げ辺りを覆っています。抑えた色調のグラデーションをモザイクのように散りばめ、柔和な幻想性と即興性が混在する大気の描写、銀灰色の靄がソフト・フォーカスの写真のような効果を発揮させ、観る者にある種の懐かしさあるいは望郷心を抱かせます。

    ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
    「モルトフォンテーヌの想い出」(1864年)写実主義
    靄の画家として知られるコロー随一の代表作。コローが当時数多く描いた、回顧的作品の中の傑作です。中期から晩年までの約30年間に自己の内面を抒情詩的に映したかのような風景画を描き、その中でも特に抒情的な雰囲気が強調された作品です。

    絵の左側では若いお母さんと子供らが大地に咲く花や朽ちつつある痩せ衰えた木を摘んでいます。一方、右側には一本の巨木が悠々と枝を広げ辺りを覆っています。抑えた色調のグラデーションをモザイクのように散りばめ、柔和な幻想性と即興性が混在する大気の描写、銀灰色の靄がソフト・フォーカスの写真のような効果を発揮させ、観る者にある種の懐かしさあるいは望郷心を抱かせます。

  • ジャン=バティスト・カミーユ・コロー 「真珠の女」<br />(1858-68年頃)写実主義<br />コローの近所に住んでいた古織物商の娘ベルト・ゴールドシュミット(16-17歳の頃)をモデルに描いた肖像画です。コローが逝去するまで手放さず客間に飾っていたことからも、非常に愛着のあった作品だと窺い知ることができます。<br /><br />「真珠の女」と呼称されますが、真珠はどこにも存在しません。彼女の額の飾りが真珠のような輝きを放っているため、あるいは彼女自身の美しさへの賛美でそう呼ばれたのかも知れません。また古くから「コローのモナ・リザ」とも呼称され、寸法をはじめ、やや斜めに構えるモデルの姿態や右手を上にして組まれる両腕など明らかにダ・ヴィンチの傑作「モナ・リザ」から着想しています。彼女の表情は、表立って感情を露にしていないものの、その瞳の奥には、秘められた強い志を感じさせます。凛とした姿態とそこから醸し出される雰囲気は非常に気品高く、女性的な柔らかさと優美さに溢れており、コロー独特の色数を抑えた褐色的な色調・色彩による対象表現と驚くほど調和しています。<br />

    ジャン=バティスト・カミーユ・コロー 「真珠の女」
    (1858-68年頃)写実主義
    コローの近所に住んでいた古織物商の娘ベルト・ゴールドシュミット(16-17歳の頃)をモデルに描いた肖像画です。コローが逝去するまで手放さず客間に飾っていたことからも、非常に愛着のあった作品だと窺い知ることができます。

    「真珠の女」と呼称されますが、真珠はどこにも存在しません。彼女の額の飾りが真珠のような輝きを放っているため、あるいは彼女自身の美しさへの賛美でそう呼ばれたのかも知れません。また古くから「コローのモナ・リザ」とも呼称され、寸法をはじめ、やや斜めに構えるモデルの姿態や右手を上にして組まれる両腕など明らかにダ・ヴィンチの傑作「モナ・リザ」から着想しています。彼女の表情は、表立って感情を露にしていないものの、その瞳の奥には、秘められた強い志を感じさせます。凛とした姿態とそこから醸し出される雰囲気は非常に気品高く、女性的な柔らかさと優美さに溢れており、コロー独特の色数を抑えた褐色的な色調・色彩による対象表現と驚くほど調和しています。

  • ジャン・シメオン・シャルダン 「食前の祈り」<br />(1740年頃)ロココ美術<br />18世紀ロココ様式時代の巨匠シャルダンの代表的な風俗画です。手がけた風俗画の中でも著名な作品で、柔和な光の加減や物静かで優しい空気感、落ち着いた清潔感を感じさせる色彩は特に秀逸です。<br /><br />食事の支度をする母親がその手を止め、幼い子に視線を向けて食前の祈りを促しています。姉も母親と一緒になって睨みつけています。何気ない日常風景の中に、当時のフランスの厳格な生活態度やその姿勢が描写されています。またこの絵が描かれた1740年は凶作であったことが知られており、研究者からは凶作の中でも食事を摂れることや生きることそのものに対する切実な感謝の念が込められた作品との指摘もされています。<br /><br />幼い子はスカートを身にまとい、一見女の子のようですが、実は男の子です。その証拠に、椅子には男の子の遊具である太鼓が掛けられています。フランスでは20世紀初めまで、男の子でも物心付くまでは女装をさせる風習がありました。ルノワールの絵にも息子を女の子として描いた作品があります。

    ジャン・シメオン・シャルダン 「食前の祈り」
    (1740年頃)ロココ美術
    18世紀ロココ様式時代の巨匠シャルダンの代表的な風俗画です。手がけた風俗画の中でも著名な作品で、柔和な光の加減や物静かで優しい空気感、落ち着いた清潔感を感じさせる色彩は特に秀逸です。

    食事の支度をする母親がその手を止め、幼い子に視線を向けて食前の祈りを促しています。姉も母親と一緒になって睨みつけています。何気ない日常風景の中に、当時のフランスの厳格な生活態度やその姿勢が描写されています。またこの絵が描かれた1740年は凶作であったことが知られており、研究者からは凶作の中でも食事を摂れることや生きることそのものに対する切実な感謝の念が込められた作品との指摘もされています。

    幼い子はスカートを身にまとい、一見女の子のようですが、実は男の子です。その証拠に、椅子には男の子の遊具である太鼓が掛けられています。フランスでは20世紀初めまで、男の子でも物心付くまでは女装をさせる風習がありました。ルノワールの絵にも息子を女の子として描いた作品があります。

  • フランソワ・ブーシェ 「ディアナの水浴」<br />(1742年)ロココ美術<br />ブーシェはヴァトーを受け継ぐ伝統の”雅なる宴”から脱皮し、官能的な裸体表現へと方向転換した張本人です。革命時代には顰蹙を買ってお蔵入りになっていた作品です。ルーヴルで最初に展示されたのがこの絵で、実に1852年のことです。<br /><br />主題は、多産や狩猟を象徴する地母神であり、純潔の象徴でもある女神ディアナが狩りを中断し、ニンフと共に水浴する姿です。<br /><br />眼を惹きつけるのは、ディアナとニンフの官能に満ち溢れた甘美な裸体表現と輝くような肌の美しさです。激しい気性を持つディアナですが、この絵ではその荒々しい部分は影を潜め、純潔の女神として神々しいまでの美しさで描かれています。また、軽快でありながら繊細で、多彩な色調を感じさせる輝くような光と色彩の描写も特筆に値します。更に、背景の樹木の新鮮さが風景画の要素、獲物のジビエが静物画、ディアナたちを警護する犬が動物画とあらゆる才能をこの一枚に織り込んでいる力作です。

    フランソワ・ブーシェ 「ディアナの水浴」
    (1742年)ロココ美術
    ブーシェはヴァトーを受け継ぐ伝統の”雅なる宴”から脱皮し、官能的な裸体表現へと方向転換した張本人です。革命時代には顰蹙を買ってお蔵入りになっていた作品です。ルーヴルで最初に展示されたのがこの絵で、実に1852年のことです。

    主題は、多産や狩猟を象徴する地母神であり、純潔の象徴でもある女神ディアナが狩りを中断し、ニンフと共に水浴する姿です。

    眼を惹きつけるのは、ディアナとニンフの官能に満ち溢れた甘美な裸体表現と輝くような肌の美しさです。激しい気性を持つディアナですが、この絵ではその荒々しい部分は影を潜め、純潔の女神として神々しいまでの美しさで描かれています。また、軽快でありながら繊細で、多彩な色調を感じさせる輝くような光と色彩の描写も特筆に値します。更に、背景の樹木の新鮮さが風景画の要素、獲物のジビエが静物画、ディアナたちを警護する犬が動物画とあらゆる才能をこの一枚に織り込んでいる力作です。

  • アントワーヌ・ヴァトー 「シテール島の巡礼」<br />(1717年)ロココ美術<br />ヴァトーはロココ様式の最初にして最大の画家と称されています。ロココとは、貝殻や小石を多用したインテリア装飾ロカイユが語源。繊細かつ優美な貴族趣味が高じ、やがてダヴィッドらの新古典派の台頭で全面否定されてしまいます。「ルーヴルで一作選ぶならこれ」と印象派のモネに言わしめたのがこの作品。それもそのはず、絵画のタッチは印象派と見紛うばかりです。印象派と異なるのはキューピッドを飛翔させたことと現実とは違う伝説の島シテールを創作描写したことです。海の泡から生まれた愛と美の女神ヴィーナスが流れ着いて住んだ恋の島という設定です。右端には、バラの花が巻き付いたヴィーナスの半身像が描かれています。<br /><br />この絵の大ファンの彫刻家ロダンの分析は次のようなものです。絵の主役はヴィーナス像の下の3組のカップルですが、それぞれ衣装が違っても同一人物と解釈します。右の男性は、まだ気のない女性に愛を告白し、口説いています。真中は、求愛を受け入れた女性が手を取られて起き上がる。左は、男性が女性の腰に手を回して早く愛の儀式を終えて立ち去ろうとするが、女性はこれまでの自分が名残惜しく、未練を引きずって何度も振り返っている。この時点で2人は夫婦というわけで、足元には忠実のシンボルの犬が描かれています。正に恋愛のフルコースがシテール島にあるということです。<br /><br />

    アントワーヌ・ヴァトー 「シテール島の巡礼」
    (1717年)ロココ美術
    ヴァトーはロココ様式の最初にして最大の画家と称されています。ロココとは、貝殻や小石を多用したインテリア装飾ロカイユが語源。繊細かつ優美な貴族趣味が高じ、やがてダヴィッドらの新古典派の台頭で全面否定されてしまいます。「ルーヴルで一作選ぶならこれ」と印象派のモネに言わしめたのがこの作品。それもそのはず、絵画のタッチは印象派と見紛うばかりです。印象派と異なるのはキューピッドを飛翔させたことと現実とは違う伝説の島シテールを創作描写したことです。海の泡から生まれた愛と美の女神ヴィーナスが流れ着いて住んだ恋の島という設定です。右端には、バラの花が巻き付いたヴィーナスの半身像が描かれています。

    この絵の大ファンの彫刻家ロダンの分析は次のようなものです。絵の主役はヴィーナス像の下の3組のカップルですが、それぞれ衣装が違っても同一人物と解釈します。右の男性は、まだ気のない女性に愛を告白し、口説いています。真中は、求愛を受け入れた女性が手を取られて起き上がる。左は、男性が女性の腰に手を回して早く愛の儀式を終えて立ち去ろうとするが、女性はこれまでの自分が名残惜しく、未練を引きずって何度も振り返っている。この時点で2人は夫婦というわけで、足元には忠実のシンボルの犬が描かれています。正に恋愛のフルコースがシテール島にあるということです。

  • イアサント・リゴー 「フランス王ルイ14世の肖像」<br />(1701年)ロココ美術<br />ロココ美術初期に最も活躍した肖像画家イアサント・リゴー随一の代表作。注目される点は、豪奢で華々しい肖像表現です。フルール・ド・リスと呼ばれるユリの花を表す紋章が青地に金糸で刺繍された贅を尽くした豪華な戴冠式の衣装を身に纏い、黄金の杖を右手に、腰には黄金の剣が下げられています。その姿は世界の覇王のような威厳と絶対的な権力者としての品格、風采に満ち溢れ、堂々として品位を保っています。<br /><br />余談ですが、この絵が描かれた頃、ルイ14世は絵のような若々しさを維持できない63歳に達しており、下半身は別人をモデルにして描かれたものとすり替えたそうです。威厳を保つための小道具として、身長が200cmもあったロマノフ王朝第5代ピョートル大帝の存在感に負けじと8cmもあるハイヒールを着用していました。この絵では真っ赤なリボンが装飾され、ヒールまで赤い小洒落たハイヒールです。実はルイ14世の身長は160cmしかなく、他の国の国王に比べて貧相に映ることにコンプレックスを感じていたそうです。また、13歳の頃から嵩が20cmもあるカツラを愛用し、背丈の嵩上げを図っていたそうです。

    イアサント・リゴー 「フランス王ルイ14世の肖像」
    (1701年)ロココ美術
    ロココ美術初期に最も活躍した肖像画家イアサント・リゴー随一の代表作。注目される点は、豪奢で華々しい肖像表現です。フルール・ド・リスと呼ばれるユリの花を表す紋章が青地に金糸で刺繍された贅を尽くした豪華な戴冠式の衣装を身に纏い、黄金の杖を右手に、腰には黄金の剣が下げられています。その姿は世界の覇王のような威厳と絶対的な権力者としての品格、風采に満ち溢れ、堂々として品位を保っています。

    余談ですが、この絵が描かれた頃、ルイ14世は絵のような若々しさを維持できない63歳に達しており、下半身は別人をモデルにして描かれたものとすり替えたそうです。威厳を保つための小道具として、身長が200cmもあったロマノフ王朝第5代ピョートル大帝の存在感に負けじと8cmもあるハイヒールを着用していました。この絵では真っ赤なリボンが装飾され、ヒールまで赤い小洒落たハイヒールです。実はルイ14世の身長は160cmしかなく、他の国の国王に比べて貧相に映ることにコンプレックスを感じていたそうです。また、13歳の頃から嵩が20cmもあるカツラを愛用し、背丈の嵩上げを図っていたそうです。

  • エリザベート・ヴィジェ=ルブラン <br />「娘と一緒の自画像」(1786年)ロココ美術<br />18世紀のロココ美術後期に活躍し、マリー・アントワネットによりベルサイユ宮殿に召喚され、王妃や子供達、王族や家族の「ベルサイユのばら」風の肖像画を数多く描き、女流画家のパイオニアと称されています。彼女と王妃は、画家と王妃を超えた親友並みの関係を築いていました。故に、フランス革命で王族が逮捕された後、フランスから逃れて数年間、イタリア、オーストリア、ロシアで画家として生計を立てました。革命政府の転覆後、フランスへ戻りナポレオン・ボナパルトの妹の肖像画も手がけましたが、ナポレオンとの折り合いが悪化し、出国してスイスに赴きました。フランスが王政復古するとルイ18世に手厚く迎えられ、フランスを安住の地としました。<br /><br />この絵は、ルブラン31歳、娘ジュリー6歳の時の自画像です。ロココ様式による肖像画の典型であった軽い微笑みを浮かべており、絵を観る者と柔らかく対峙してくれます。彼女は画家として名声を博しましたが、画家であり画商であった夫は賭博好き、一人娘も長じてから素行が悪く、弱冠30歳で先立つなど家庭的には恵まれませんでした。墓碑銘には“Ici, enfin, je repose….” 「ここで、ついに、私は休みます…」と記されています。<br /><br />ルブランの作品に興味をお持ちの方は次のサイトを参照してください。<br />http://lohasstyle.jugem.jp/?eid=141<br />

    エリザベート・ヴィジェ=ルブラン 
    「娘と一緒の自画像」(1786年)ロココ美術
    18世紀のロココ美術後期に活躍し、マリー・アントワネットによりベルサイユ宮殿に召喚され、王妃や子供達、王族や家族の「ベルサイユのばら」風の肖像画を数多く描き、女流画家のパイオニアと称されています。彼女と王妃は、画家と王妃を超えた親友並みの関係を築いていました。故に、フランス革命で王族が逮捕された後、フランスから逃れて数年間、イタリア、オーストリア、ロシアで画家として生計を立てました。革命政府の転覆後、フランスへ戻りナポレオン・ボナパルトの妹の肖像画も手がけましたが、ナポレオンとの折り合いが悪化し、出国してスイスに赴きました。フランスが王政復古するとルイ18世に手厚く迎えられ、フランスを安住の地としました。

    この絵は、ルブラン31歳、娘ジュリー6歳の時の自画像です。ロココ様式による肖像画の典型であった軽い微笑みを浮かべており、絵を観る者と柔らかく対峙してくれます。彼女は画家として名声を博しましたが、画家であり画商であった夫は賭博好き、一人娘も長じてから素行が悪く、弱冠30歳で先立つなど家庭的には恵まれませんでした。墓碑銘には“Ici, enfin, je repose….” 「ここで、ついに、私は休みます…」と記されています。

    ルブランの作品に興味をお持ちの方は次のサイトを参照してください。
    http://lohasstyle.jugem.jp/?eid=141

  • エリザベート・ヴィジェ=ルブラン <br />「Edith Blumの肖像画」ロココ美術<br />微笑み返しと形容すべきか、生命力を感じさせる生き生きとした明瞭な色彩と、細部まで入念に描写された丁寧なタッチによってロココ独特の豊潤な香りと雰囲気を表現しています。<br /><br />

    エリザベート・ヴィジェ=ルブラン
    「Edith Blumの肖像画」ロココ美術
    微笑み返しと形容すべきか、生命力を感じさせる生き生きとした明瞭な色彩と、細部まで入念に描写された丁寧なタッチによってロココ独特の豊潤な香りと雰囲気を表現しています。

  • エリザベート・ヴィジェ=ルブラン <br />「マダム・ルソーとその娘」(1789年)ロココ美術<br />マダム・ルソー母子の肖像画です。絵を描きながら、理想の母親像を追及していたのかもしれません。<br /><br />ルブランの肖像画全般について言えることですが、ラファエロの聖母子をお手本にしているように思えます。衣服の描写に関しては、ルーベンスの伝統を引き継いでいるようにも思えます。<br />

    エリザベート・ヴィジェ=ルブラン
    「マダム・ルソーとその娘」(1789年)ロココ美術
    マダム・ルソー母子の肖像画です。絵を描きながら、理想の母親像を追及していたのかもしれません。

    ルブランの肖像画全般について言えることですが、ラファエロの聖母子をお手本にしているように思えます。衣服の描写に関しては、ルーベンスの伝統を引き継いでいるようにも思えます。

  • スフィンクス像。<br />見所満載なルーヴル美術館ですが、最後に観た作品はスフィンクス像です。「大ルーヴル計画」を実行し、ルーヴルを巨大美術館に変えた立役者のミッテラン大統領のあだ名は「スフィンクス」。古代エジプトの美術品に魅入られたことや老獪な政治手法を揶揄したものだそうです。<br /><br />向かって左手にトイレがあります。トイレはガラスのピラミッド下のナポレオンホールへの出口付近にもあります。清掃中の場合、門番がいて入れてもらえません。その場合は、エスカレータを一度降り、別翼へのエスカレータを上がって用を足すのが賢明です。逆さピラミッドの所まで進んでしまうと有料トイレしかありませんのでご注意を!ルーヴル地下街の有料トイレは高級ですので50セント必要です。ちなみにプランタンにあるトイレも同じです。<br /><br />

    スフィンクス像。
    見所満載なルーヴル美術館ですが、最後に観た作品はスフィンクス像です。「大ルーヴル計画」を実行し、ルーヴルを巨大美術館に変えた立役者のミッテラン大統領のあだ名は「スフィンクス」。古代エジプトの美術品に魅入られたことや老獪な政治手法を揶揄したものだそうです。

    向かって左手にトイレがあります。トイレはガラスのピラミッド下のナポレオンホールへの出口付近にもあります。清掃中の場合、門番がいて入れてもらえません。その場合は、エスカレータを一度降り、別翼へのエスカレータを上がって用を足すのが賢明です。逆さピラミッドの所まで進んでしまうと有料トイレしかありませんのでご注意を!ルーヴル地下街の有料トイレは高級ですので50セント必要です。ちなみにプランタンにあるトイレも同じです。

  • ルーヴル美術館(ピラミッド前)。<br />名画観賞もこれでおしまいです。名残を惜しんでガラスのピラミッドから外へ出ます。ピラミッド前は、集合場所になっているのか沢山の人が座ってそれぞれの時間を楽しんでいます。<br /><br />ガラスのピラミッドは、1982年にミッテラン大統領が「大ルーヴル整備」という近代化を目的とした計画の一環で、大改革200年を記念して1989年に造られました。1993年には財務省だったリシュリュー翼が美術館として合体しました。<br />ガラスのピラミッドは、国際コンクールの入選作として計画が発表された当時は非難の嵐でした。しかし、いざピラミッドができると、今度は賛成論の方が多くなったそうです。鉄とガラスという素材、ピラミッド状という形態が、周辺にある歴史的建造物とは対局的に異質であるため景観を損なわずにすんだということです。大統領もやれやれと胸をなでおろしたことでしょう。ただ、唯一の設計ミスは、入場者数の推定を誤り、入口が小さいが故に入館待ちの長い行列ができてしまったこと。嬉しい誤算かもしれませんが・・・。

    ルーヴル美術館(ピラミッド前)。
    名画観賞もこれでおしまいです。名残を惜しんでガラスのピラミッドから外へ出ます。ピラミッド前は、集合場所になっているのか沢山の人が座ってそれぞれの時間を楽しんでいます。

    ガラスのピラミッドは、1982年にミッテラン大統領が「大ルーヴル整備」という近代化を目的とした計画の一環で、大改革200年を記念して1989年に造られました。1993年には財務省だったリシュリュー翼が美術館として合体しました。
    ガラスのピラミッドは、国際コンクールの入選作として計画が発表された当時は非難の嵐でした。しかし、いざピラミッドができると、今度は賛成論の方が多くなったそうです。鉄とガラスという素材、ピラミッド状という形態が、周辺にある歴史的建造物とは対局的に異質であるため景観を損なわずにすんだということです。大統領もやれやれと胸をなでおろしたことでしょう。ただ、唯一の設計ミスは、入場者数の推定を誤り、入口が小さいが故に入館待ちの長い行列ができてしまったこと。嬉しい誤算かもしれませんが・・・。

  • エトワール凱旋門。<br />ルーヴルを後にして一路凱旋門を目指します。初期計画ではディナー後、凱旋門に登って夜景を眺望する予定でしたが、272段もの螺旋階段を登る余力が尽きたので外観見学に予定変更。メトロ1号線Charles De Gaulle-Etoile駅で下車し、地上に出て凱旋門を半周して堪能。ちなみに凱旋門もMパスが使えます。グランダルメ大通り側にはアントワーヌ・エテックス作の「平和」(左)と「抵抗」(右)のレリーフがあります。<br /><br />メトロ1号線車内では、さかんにpickpocket(スリ)とアナウンスがありました。混雑していたので注意喚起とも取れますが、日常的に多発しているのでは?皆さんも気をつけて下さい。ちなみに、当方はリュックサックのファスナーにダイヤル錠を付けて全てのファスナーが開かないようにしていました。南京錠には目立つ色が効果的だと思います。添乗員さんによれば、ジプシー風の年少者によるアンケート調査中のスリ被害も多発しているようです。アンケート調査に気を取られている間に仲間がスリを働くようです。また、声を掛けられるのは決まって観光客のようです。声を掛けられても無視してください。もともとフランス語なんて分からないのですから・・・。ベルサイユ宮殿やサクレ・クール寺院など観光客が集まる場所には、ミサンガを勝手に指に括りつけて離れられないようにしてお金を無心する詐欺師まがいが出没するとも聞きました。ベルサイユでは見かけませんでしたが・・・。撮影に夢中で取り付く島がなかったのでしょうか?<br /><br />2011年11月末に「生活の質ランキング」が発表されました。世界で最も質の高い生活を送れる都市はウィーンで3年連続1位。パリは30位、国内トップの東京は46位、神戸は49位、大阪は57位となっています。政治や経済、治安状況や公共交通、自然災害の有無など39のチェック項目があるそうです。この評価では、パリは日本の都市よりも住み易いと言えます。<br />

    エトワール凱旋門。
    ルーヴルを後にして一路凱旋門を目指します。初期計画ではディナー後、凱旋門に登って夜景を眺望する予定でしたが、272段もの螺旋階段を登る余力が尽きたので外観見学に予定変更。メトロ1号線Charles De Gaulle-Etoile駅で下車し、地上に出て凱旋門を半周して堪能。ちなみに凱旋門もMパスが使えます。グランダルメ大通り側にはアントワーヌ・エテックス作の「平和」(左)と「抵抗」(右)のレリーフがあります。

    メトロ1号線車内では、さかんにpickpocket(スリ)とアナウンスがありました。混雑していたので注意喚起とも取れますが、日常的に多発しているのでは?皆さんも気をつけて下さい。ちなみに、当方はリュックサックのファスナーにダイヤル錠を付けて全てのファスナーが開かないようにしていました。南京錠には目立つ色が効果的だと思います。添乗員さんによれば、ジプシー風の年少者によるアンケート調査中のスリ被害も多発しているようです。アンケート調査に気を取られている間に仲間がスリを働くようです。また、声を掛けられるのは決まって観光客のようです。声を掛けられても無視してください。もともとフランス語なんて分からないのですから・・・。ベルサイユ宮殿やサクレ・クール寺院など観光客が集まる場所には、ミサンガを勝手に指に括りつけて離れられないようにしてお金を無心する詐欺師まがいが出没するとも聞きました。ベルサイユでは見かけませんでしたが・・・。撮影に夢中で取り付く島がなかったのでしょうか?

    2011年11月末に「生活の質ランキング」が発表されました。世界で最も質の高い生活を送れる都市はウィーンで3年連続1位。パリは30位、国内トップの東京は46位、神戸は49位、大阪は57位となっています。政治や経済、治安状況や公共交通、自然災害の有無など39のチェック項目があるそうです。この評価では、パリは日本の都市よりも住み易いと言えます。

  • シャンゼリゼ通り ルイ・ヴィトン本店。<br />凱旋門からルイ・ヴィトン本店辺りまで歩を進め、晩秋のセピア色の衣装を纏ったシャンゼリゼ通りを満喫しました。シャンゼリゼの名の由来は、古代ギリシア神話に出てくる『至福の野』から引用したそうです。<br />マロニエの枯葉がひらひらと螺旋模様を描きながら舞い降り、足元でふるえるように戯れて立ち去ります。シャンソン「枯葉」の世界そのものに浸れました。ショーウインドウはファッション雑誌の頁をめくるようで気持ちを高揚させてくれます。凱旋門→コンコルド広場へは2km程ありますが、緩やかな下り坂ですので快適に歩が進みます。逆コースだと少ししんどいかも。<br /><br />ルイ・ヴィトンのショーウィンドウは正に人を魅了するディスプレーで、流石、超一流だねというのが実感です。入口には入場待ちの長い列ができていました。最近は中国系富裕層が上得意様のようです。大阪駅前にあるルイ・ヴィトンでも観光バスで乗り付ける中国観光客の姿は珍しくありません。ツアーメンバーでは、唯一新婚カップさんがルイ・ヴィトンを購入していました。<br /><br />シャンゼリゼ通りでは毎年11月下旬からクリスマス・イルミネーションが始まります。今年からは樹木への影響を考えたやさしい飾り付けになるそうです。樹木も電飾を身にまとうのは迷惑千万でしょうから。余談ですが、大阪の御堂筋はシャンゼリゼ通りを模して造られたそうですが、歩道の広さ一つとってもとてもかないません。規模は真似できないまでも、水の都大阪をアピールできればと思います.御堂筋大改造計画に期待したいと思います。<br /><br />

    シャンゼリゼ通り ルイ・ヴィトン本店。
    凱旋門からルイ・ヴィトン本店辺りまで歩を進め、晩秋のセピア色の衣装を纏ったシャンゼリゼ通りを満喫しました。シャンゼリゼの名の由来は、古代ギリシア神話に出てくる『至福の野』から引用したそうです。
    マロニエの枯葉がひらひらと螺旋模様を描きながら舞い降り、足元でふるえるように戯れて立ち去ります。シャンソン「枯葉」の世界そのものに浸れました。ショーウインドウはファッション雑誌の頁をめくるようで気持ちを高揚させてくれます。凱旋門→コンコルド広場へは2km程ありますが、緩やかな下り坂ですので快適に歩が進みます。逆コースだと少ししんどいかも。

    ルイ・ヴィトンのショーウィンドウは正に人を魅了するディスプレーで、流石、超一流だねというのが実感です。入口には入場待ちの長い列ができていました。最近は中国系富裕層が上得意様のようです。大阪駅前にあるルイ・ヴィトンでも観光バスで乗り付ける中国観光客の姿は珍しくありません。ツアーメンバーでは、唯一新婚カップさんがルイ・ヴィトンを購入していました。

    シャンゼリゼ通りでは毎年11月下旬からクリスマス・イルミネーションが始まります。今年からは樹木への影響を考えたやさしい飾り付けになるそうです。樹木も電飾を身にまとうのは迷惑千万でしょうから。余談ですが、大阪の御堂筋はシャンゼリゼ通りを模して造られたそうですが、歩道の広さ一つとってもとてもかないません。規模は真似できないまでも、水の都大阪をアピールできればと思います.御堂筋大改造計画に期待したいと思います。

  • シャンゼリゼ通り Fouquet&#39;s フーケッツ。<br />シャンゼリゼ通りにある名物カフェ。1889年創業、歴史的建造物に指定されている老舗です。セレブが愛用するミーティングスポットで、フランスのオスカーであるセザール賞のアフターパーティーが毎年開かれます。サルコジ大統領が当選祝賀会を開催した場所としても有名です。入口前のフロアには訪れた映画スターたちのネームプレートがあります。日本橋にある老舗の喫茶店である風月堂は、フーケッツを模して命名したそうです。<br />オフィシャルサイトはこちら。<br />http://www.lucienbarriere.com/localized/fr/restaurants/nos_restaurants/fouquets.htm<br />陽気なカフェの風景を見ると「おぉ〜しゃんぜりぜ〜♪」 と条件反射的に脳内再生されてしまいます。この辺りが、花の都パリの最も華やかな場所です。<br /><br /><br />

    シャンゼリゼ通り Fouquet's フーケッツ。
    シャンゼリゼ通りにある名物カフェ。1889年創業、歴史的建造物に指定されている老舗です。セレブが愛用するミーティングスポットで、フランスのオスカーであるセザール賞のアフターパーティーが毎年開かれます。サルコジ大統領が当選祝賀会を開催した場所としても有名です。入口前のフロアには訪れた映画スターたちのネームプレートがあります。日本橋にある老舗の喫茶店である風月堂は、フーケッツを模して命名したそうです。
    オフィシャルサイトはこちら。
    http://www.lucienbarriere.com/localized/fr/restaurants/nos_restaurants/fouquets.htm
    陽気なカフェの風景を見ると「おぉ〜しゃんぜりぜ〜♪」 と条件反射的に脳内再生されてしまいます。この辺りが、花の都パリの最も華やかな場所です。


  • シャンゼリゼ通りからのエトワール凱旋門。<br />凱旋門との別れを惜しんで定番の横断歩道からのショットを一枚。シャンゼリゼ通りは道幅が広いので横断歩道の途中に立ち止まれる場所があります。ドライバーもいつもの見慣れた光景なのでしょう。<br /><br />パリで凱旋門と言えば、シャンゼリゼ通り終点のシャルル・ド・ゴール広場にあるエトワール凱旋門が有名ですが、実はパリには5つの凱旋門が存在します。年代順に紹介しますと<br />①ルイ14世の戦果を讃え、1672年に建てられたのがサン・ドニ門。(薄っぺらく、小ぶり)<br />②その2年後、サン・ドニ門から200m程東側にサン・マルタン門が建てられます。(同上)<br />③1808年にはナポレオン遠征の勝利を祝ってルーヴル宮殿西側にカルーゼル凱旋門が建てらます。<br />④そのスケールに激怒したナポレオンの命で最後に完成したのがエトワール凱旋門。(高さ:19m 幅:23m 奥行:7.3m) <br />アウステルリッツの戦いに勝利した記念に1806年ナポレオン・ボナパルトの命によって建設が始まり、ルイ・フィリップの復古王政時代の1836年に完成。ナポレオンは凱旋門が完成する前に既に死去しており、彼がこの門をくぐったのは皮肉にもパリに改葬された時でした。古代ローマの凱旋門に範を取ったもので、高さ50m、幅45m、奥行22mの巨大な新古典主義建築の代表作です。ちなみにナポレオンは、オテル・デ・ザンヴァリッド 通称アンヴァリッドの地下墓所で永遠の眠りについています。 <br />⑤最後がラ・ディファンスにある超高層ビル群で「新凱旋門」の通称をもつ「グランダルシュ」です。高さは110mで、エトワール凱旋門の2倍以上です。1985年着工、人権宣言200周年となる1989年7月に落成記念式典が執り行われました。門のような形で、側面と内部は全面ガラス張りの近代的建造物です。<br /><br /><br />

    イチオシ

    シャンゼリゼ通りからのエトワール凱旋門。
    凱旋門との別れを惜しんで定番の横断歩道からのショットを一枚。シャンゼリゼ通りは道幅が広いので横断歩道の途中に立ち止まれる場所があります。ドライバーもいつもの見慣れた光景なのでしょう。

    パリで凱旋門と言えば、シャンゼリゼ通り終点のシャルル・ド・ゴール広場にあるエトワール凱旋門が有名ですが、実はパリには5つの凱旋門が存在します。年代順に紹介しますと
    ①ルイ14世の戦果を讃え、1672年に建てられたのがサン・ドニ門。(薄っぺらく、小ぶり)
    ②その2年後、サン・ドニ門から200m程東側にサン・マルタン門が建てられます。(同上)
    ③1808年にはナポレオン遠征の勝利を祝ってルーヴル宮殿西側にカルーゼル凱旋門が建てらます。
    ④そのスケールに激怒したナポレオンの命で最後に完成したのがエトワール凱旋門。(高さ:19m 幅:23m 奥行:7.3m) 
    アウステルリッツの戦いに勝利した記念に1806年ナポレオン・ボナパルトの命によって建設が始まり、ルイ・フィリップの復古王政時代の1836年に完成。ナポレオンは凱旋門が完成する前に既に死去しており、彼がこの門をくぐったのは皮肉にもパリに改葬された時でした。古代ローマの凱旋門に範を取ったもので、高さ50m、幅45m、奥行22mの巨大な新古典主義建築の代表作です。ちなみにナポレオンは、オテル・デ・ザンヴァリッド 通称アンヴァリッドの地下墓所で永遠の眠りについています。
    ⑤最後がラ・ディファンスにある超高層ビル群で「新凱旋門」の通称をもつ「グランダルシュ」です。高さは110mで、エトワール凱旋門の2倍以上です。1985年着工、人権宣言200周年となる1989年7月に落成記念式典が執り行われました。門のような形で、側面と内部は全面ガラス張りの近代的建造物です。


  • マドレーヌ寺院。<br />今回の北フランス周遊のフィナーレを飾るのはマドレーヌ寺院です。時間の都合で予定から外していたのですが、ツアー参加者からの情報でカミさんが甚く関心を寄せて急遽再浮上。ステンドグラスのない寺院も趣きがあるかなという軽い気持ちで訪れました。<br /><br />マドレーヌ寺院はブルボン王朝末期に建設が開始され、フランス革命により中断。後に建設が再開されるとナポレオン1世の命でフランス軍戦没将兵顕彰に造営目的が変更され、1842年に完成。当時ナポレオンは失脚していたため、ルイ18世がカトリック教会に用途を変更。このため外観がキリスト教会としてはユニークな容姿でパルテノン神殿を彷彿させます。<br />外観はコリント式の高さ30mの柱が52本並ぶ、古代ギリシャ・ローマの神殿を模したネオ・クラシック様式です。正面ファサードを飾る切妻壁にはミシュラン・ルメール作「最後の審判」の彫刻、ブロンズ製の扉にはトリケッティ作の十戒をテーマにしたレリーフが施されています。マドレーヌ寺院は、コンコルド広場を挟み、意味ありげに同じくコリント式の柱が並ぶ国民議会(ブルボン宮)と対面して建てられています。 <br /><br />

    マドレーヌ寺院。
    今回の北フランス周遊のフィナーレを飾るのはマドレーヌ寺院です。時間の都合で予定から外していたのですが、ツアー参加者からの情報でカミさんが甚く関心を寄せて急遽再浮上。ステンドグラスのない寺院も趣きがあるかなという軽い気持ちで訪れました。

    マドレーヌ寺院はブルボン王朝末期に建設が開始され、フランス革命により中断。後に建設が再開されるとナポレオン1世の命でフランス軍戦没将兵顕彰に造営目的が変更され、1842年に完成。当時ナポレオンは失脚していたため、ルイ18世がカトリック教会に用途を変更。このため外観がキリスト教会としてはユニークな容姿でパルテノン神殿を彷彿させます。
    外観はコリント式の高さ30mの柱が52本並ぶ、古代ギリシャ・ローマの神殿を模したネオ・クラシック様式です。正面ファサードを飾る切妻壁にはミシュラン・ルメール作「最後の審判」の彫刻、ブロンズ製の扉にはトリケッティ作の十戒をテーマにしたレリーフが施されています。マドレーヌ寺院は、コンコルド広場を挟み、意味ありげに同じくコリント式の柱が並ぶ国民議会(ブルボン宮)と対面して建てられています。

  • マドレーヌ寺院。<br />エリゼ宮(=大統領官邸)がある地区の教会なのでサルコジ統領もここの教区民だそうです。また、ショパンやココ・シャネルの葬儀が執り行われた教会としても有名ですが、ノートルダム大聖堂のように観光客でごった返す教会とは趣きを異にしています。「自身の葬送では、モーツァルトのレクイエムを演奏して欲しい」それがショパンの遺志でした。レクイエムが降ってくる夢想に浸り、ゆっくりした時の流れを満喫できる静寂感溢れる珠玉の教会です。<br /><br />余談ですが、ガストン・ルルー著「オペラ座の怪人」ではオペラ座の怪人であるファントムがクリスティーヌと結婚する教会として指定した場所です。ちなみに、正面外壁にはクリスティーヌという名の像があります。クリスティーヌは怪人にとって美の象徴、憧れであり光の世界に住む天使でした。左目が涙ぐんでいるようにも見えるクリスティーヌの像は、怪人の孤独を思って今でもマドレーヌ寺院に佇んでいるのでしょうか?<br /><br />

    マドレーヌ寺院。
    エリゼ宮(=大統領官邸)がある地区の教会なのでサルコジ統領もここの教区民だそうです。また、ショパンやココ・シャネルの葬儀が執り行われた教会としても有名ですが、ノートルダム大聖堂のように観光客でごった返す教会とは趣きを異にしています。「自身の葬送では、モーツァルトのレクイエムを演奏して欲しい」それがショパンの遺志でした。レクイエムが降ってくる夢想に浸り、ゆっくりした時の流れを満喫できる静寂感溢れる珠玉の教会です。

    余談ですが、ガストン・ルルー著「オペラ座の怪人」ではオペラ座の怪人であるファントムがクリスティーヌと結婚する教会として指定した場所です。ちなみに、正面外壁にはクリスティーヌという名の像があります。クリスティーヌは怪人にとって美の象徴、憧れであり光の世界に住む天使でした。左目が涙ぐんでいるようにも見えるクリスティーヌの像は、怪人の孤独を思って今でもマドレーヌ寺院に佇んでいるのでしょうか?

  • マドレーヌ寺院(聖母マリアの婚礼)。<br />ジェームス・プラディエ作 「聖母マリアの婚礼」像。右側入口の売店の後方に佇んでいます。プラディエ作で著名な作品は、エトワール凱旋門のアーチの上部左右に彫られたラッパを持つ天使のレリーフです。<br /><br />ミサの最中でなければ写真撮影はOKです。(数年前までは全面禁止だったそうです)ただし、フラッシュは禁止。また、礼拝者への配慮としてカメラは消音モードに設定しましょう。尚、側廊がない教会ですのでミサの最中なら出直した方が賢明かと思います。 

    マドレーヌ寺院(聖母マリアの婚礼)。
    ジェームス・プラディエ作 「聖母マリアの婚礼」像。右側入口の売店の後方に佇んでいます。プラディエ作で著名な作品は、エトワール凱旋門のアーチの上部左右に彫られたラッパを持つ天使のレリーフです。

    ミサの最中でなければ写真撮影はOKです。(数年前までは全面禁止だったそうです)ただし、フラッシュは禁止。また、礼拝者への配慮としてカメラは消音モードに設定しましょう。尚、側廊がない教会ですのでミサの最中なら出直した方が賢明かと思います。 

  • マドレーヌ寺院(キリストの洗礼)。<br />フランソワ・リュード作 「キリストの洗礼」像。<br />キリストの右側で洗礼しているのが聖ヨハネです。聖ヨハネは、ヘロデ王の王妃ヘロデヤの策略により、サロメにその生首を差し出されてしまいます。<br />詳しくは、ルーアン ノートルダム大聖堂の写真とコメントを参照ください。<br />http://4travel.jp/traveler/montsaintmichel/pict/23868238/<br />リュード作で著名な作品は、エトワール凱旋門のシャンゼリゼ大通り側にあるレリーフの「1792年の義勇軍の出陣」(通称「ラ・マルセイエーズ」)です。<br />

    マドレーヌ寺院(キリストの洗礼)。
    フランソワ・リュード作 「キリストの洗礼」像。
    キリストの右側で洗礼しているのが聖ヨハネです。聖ヨハネは、ヘロデ王の王妃ヘロデヤの策略により、サロメにその生首を差し出されてしまいます。
    詳しくは、ルーアン ノートルダム大聖堂の写真とコメントを参照ください。
    http://4travel.jp/traveler/montsaintmichel/pict/23868238/
    リュード作で著名な作品は、エトワール凱旋門のシャンゼリゼ大通り側にあるレリーフの「1792年の義勇軍の出陣」(通称「ラ・マルセイエーズ」)です。

  • マドレーヌ寺院(堂内)。<br />マドレーヌ寺院は珍しく側廊を持たない単身廊形式です。神聖なひんやりした空気が身を引き締めてくれます。3つのクーポールにある天窓からしか光が射さない構造なので堂内は非常に暗く、重圧で荘厳な雰囲気が漂よっています。交通量の多いロワイヤル通りの先端にある寺院ですが、堂内に入ると都会の喧騒を忘れさせてくれます。<br /><br />マドレーヌ寺院には、1793年に処刑されたルイ16世とマリー・アントワネットが約22年間葬られていました。その後、ナポレオン1世の勅命でサン=ドニ大聖堂へと改葬されています。<br /><br /><br /> 

    マドレーヌ寺院(堂内)。
    マドレーヌ寺院は珍しく側廊を持たない単身廊形式です。神聖なひんやりした空気が身を引き締めてくれます。3つのクーポールにある天窓からしか光が射さない構造なので堂内は非常に暗く、重圧で荘厳な雰囲気が漂よっています。交通量の多いロワイヤル通りの先端にある寺院ですが、堂内に入ると都会の喧騒を忘れさせてくれます。

    マドレーヌ寺院には、1793年に処刑されたルイ16世とマリー・アントワネットが約22年間葬られていました。その後、ナポレオン1世の勅命でサン=ドニ大聖堂へと改葬されています。


     

  • マドレーヌ寺院(聖マグダラのマリアの歓喜)。<br />主祭壇にはカルロ・マロチェッティらによる「聖マグダラのマリアの歓喜」像があります。マグダラのマリアの昇天を表現するというその姿は、レクイエム(鎮魂歌)を歌っているように映りました。ショパンが彼の遺志でモーツァルトのレクイエムを望んだことにも頷けます。<br />レクイエムはモーツァルトが亡くなる直前に着手し、未完に終わった作品です。 最後のパートは弟子のジェスマイヤーによって補筆されましたが、未だに傑作の誉れ高く、モーツァルトの遺作に恥じない作品です。モーツァルト、フォーレ、ヴェルデイのレクイエムを三大レクイエムと称しますが、モーツァルトの作品は荘厳さと重厚さの中に力強さと儚さを表現しており、最高峰とされています。荒々しい音階のアップダウンがあり、かなりエキサイティングな曲ですが美しい作品です。<br />ベートーヴェンでさえ「あまりに荒々しく身の毛のよだつ作品」と評したくらいです。 <br />レクイエムに興味がある方は、次を参照してください。<br />http://homepage2.nifty.com/pietro/storia/cg_requiem.html<br /><br />この像の上方には、キリストの十二使徒のフレスコ画が円筒の曲面に並んで描かれています。丸天井にも宗教画のようなフレスコ画が描かれていますが、暗くてよく見えないのが残念です。<br /><br />【2012.9.20追記】<br />Newyork Timesは2012年9月18日、イエス・キリストが自身の「妻」について言及したと記された文献を発見したと報じました。4世紀のもので、イエスに妻がいた可能性を示す初の文献。カトリック教会は、イエスは独身だったとの立場を堅持しており、論争を呼びそうです。解読した歴史学者のハーバード大カレン・キング教授は、妻がいたことの証明にはならないと強調する一方、発見には「わくわくする」と話したそうです。縦4cm、横8cmのパピルスに、黒インクで「イエスは彼らに言った。『私の妻は…』」「彼女は私の弟子になることができるだろう」と古代エジプト語(コプト語)で書かれていたそうです。匿名の所有者が教授に解読を依頼。パピルスの専門家らの意見も聞き、本物と判断されました。発見は、ローマで開かれた国際学会で発表されています。<br />世界的ベストセラー「ダ・ヴィンチ・コード」で「マグダラのマリア」との間にイエスが子どもを設けたとするストーリーが展開され、ローマ法王庁が猛反発したが、同紙は「マグダラのマリアがイエスの妻だったか、イエスに女性の弟子がいたか、をめぐる論争が再燃する可能性がある」と述べています。<br /><br />

    イチオシ

    マドレーヌ寺院(聖マグダラのマリアの歓喜)。
    主祭壇にはカルロ・マロチェッティらによる「聖マグダラのマリアの歓喜」像があります。マグダラのマリアの昇天を表現するというその姿は、レクイエム(鎮魂歌)を歌っているように映りました。ショパンが彼の遺志でモーツァルトのレクイエムを望んだことにも頷けます。
    レクイエムはモーツァルトが亡くなる直前に着手し、未完に終わった作品です。 最後のパートは弟子のジェスマイヤーによって補筆されましたが、未だに傑作の誉れ高く、モーツァルトの遺作に恥じない作品です。モーツァルト、フォーレ、ヴェルデイのレクイエムを三大レクイエムと称しますが、モーツァルトの作品は荘厳さと重厚さの中に力強さと儚さを表現しており、最高峰とされています。荒々しい音階のアップダウンがあり、かなりエキサイティングな曲ですが美しい作品です。
    ベートーヴェンでさえ「あまりに荒々しく身の毛のよだつ作品」と評したくらいです。
    レクイエムに興味がある方は、次を参照してください。
    http://homepage2.nifty.com/pietro/storia/cg_requiem.html

    この像の上方には、キリストの十二使徒のフレスコ画が円筒の曲面に並んで描かれています。丸天井にも宗教画のようなフレスコ画が描かれていますが、暗くてよく見えないのが残念です。

    【2012.9.20追記】
    Newyork Timesは2012年9月18日、イエス・キリストが自身の「妻」について言及したと記された文献を発見したと報じました。4世紀のもので、イエスに妻がいた可能性を示す初の文献。カトリック教会は、イエスは独身だったとの立場を堅持しており、論争を呼びそうです。解読した歴史学者のハーバード大カレン・キング教授は、妻がいたことの証明にはならないと強調する一方、発見には「わくわくする」と話したそうです。縦4cm、横8cmのパピルスに、黒インクで「イエスは彼らに言った。『私の妻は…』」「彼女は私の弟子になることができるだろう」と古代エジプト語(コプト語)で書かれていたそうです。匿名の所有者が教授に解読を依頼。パピルスの専門家らの意見も聞き、本物と判断されました。発見は、ローマで開かれた国際学会で発表されています。
    世界的ベストセラー「ダ・ヴィンチ・コード」で「マグダラのマリア」との間にイエスが子どもを設けたとするストーリーが展開され、ローマ法王庁が猛反発したが、同紙は「マグダラのマリアがイエスの妻だったか、イエスに女性の弟子がいたか、をめぐる論争が再燃する可能性がある」と述べています。

  • マドレーヌ寺院(聖マグダラのマリアの歓喜)。<br />カトリック教会であり、守護聖人としてマグダラのマリアの遺骸が奉納されているサン・マキシマン聖堂から遺骸の一部をマドレーヌ寺院にも分骨して祀っているそうです。ノンフィクション『レンヌ=ル=シャトーの謎』では、イエスとマグダラのマリアが結婚し、子をもうけたという仮説が示されています。マーガレット・スターバードもこれに同調し、『マグダラのマリアと聖杯』でイエスとの間の娘を「サラ」としています。ダン・ブラウンも小説『ダ・ヴィンチ・コード』で巧みにこうした仮説をストーリーに取り入れています。<br /><br />13世紀に書かれた『黄金伝説』には、マグダラのマリアのその後が記されています。イエスの死後、ユダヤ人の迫害を受け、舵の効かない船でたどり着いたのがマルセイユにあるサント・マリー・ラ・メールと呼ばれる海岸です。死んだ領主の妻と子を復活させる奇跡を起こすなど聖人的行為を行ったようです。やがてサント・ポームという洞窟に身を隠して修道生活を送ったそうです。その町の教会には「黒い肌の聖女サラ」が祀られているそうです。そうです、「サラ」とはイエスとマグダラのマリアの娘だと言われる人物です。数々の符合が彼女の真実を伝えているように思えます。<br /><br />ジョルジュ・ド・ラ・トゥール作 「灯火の前の聖マドレーヌ(マグダラのマリア)」は次を参照ください。<br />http://4travel.jp/traveler/montsaintmichel/pict/23930817/<br />

    マドレーヌ寺院(聖マグダラのマリアの歓喜)。
    カトリック教会であり、守護聖人としてマグダラのマリアの遺骸が奉納されているサン・マキシマン聖堂から遺骸の一部をマドレーヌ寺院にも分骨して祀っているそうです。ノンフィクション『レンヌ=ル=シャトーの謎』では、イエスとマグダラのマリアが結婚し、子をもうけたという仮説が示されています。マーガレット・スターバードもこれに同調し、『マグダラのマリアと聖杯』でイエスとの間の娘を「サラ」としています。ダン・ブラウンも小説『ダ・ヴィンチ・コード』で巧みにこうした仮説をストーリーに取り入れています。

    13世紀に書かれた『黄金伝説』には、マグダラのマリアのその後が記されています。イエスの死後、ユダヤ人の迫害を受け、舵の効かない船でたどり着いたのがマルセイユにあるサント・マリー・ラ・メールと呼ばれる海岸です。死んだ領主の妻と子を復活させる奇跡を起こすなど聖人的行為を行ったようです。やがてサント・ポームという洞窟に身を隠して修道生活を送ったそうです。その町の教会には「黒い肌の聖女サラ」が祀られているそうです。そうです、「サラ」とはイエスとマグダラのマリアの娘だと言われる人物です。数々の符合が彼女の真実を伝えているように思えます。

    ジョルジュ・ド・ラ・トゥール作 「灯火の前の聖マドレーヌ(マグダラのマリア)」は次を参照ください。
    http://4travel.jp/traveler/montsaintmichel/pict/23930817/

  • マドレーヌ寺院(ルルドの母子像)。<br />意外でしたが、ルルドの聖母像という「無原罪の御宿りの聖母=処女懐胎」も奉られています。ルルドというのはフランスにある究極の聖地です。ある時、ベルナデットという貧しい娘の所に聖母が出現し、泉を掘るように命じました。湧き出た泉には病気を癒す力があり、現在でも世界中からルルドの泉に巡礼者がやってきて祈りを捧げています。これで マドレーヌ寺院とそこで販売されている「不思議のメダイ」の関係の謎が解けました。来てみてよかったです。<br /><br />「不思議のメダイ」とは、1830年にフランスの修道女の前に聖母マリアが出現し、啓示を受けて作られたもの。メダイに刻まれている言葉は、”原罪なくして宿り給いし聖マリア、御身により頼みたてまつる、我等のために祈り給え”。<br />

    マドレーヌ寺院(ルルドの母子像)。
    意外でしたが、ルルドの聖母像という「無原罪の御宿りの聖母=処女懐胎」も奉られています。ルルドというのはフランスにある究極の聖地です。ある時、ベルナデットという貧しい娘の所に聖母が出現し、泉を掘るように命じました。湧き出た泉には病気を癒す力があり、現在でも世界中からルルドの泉に巡礼者がやってきて祈りを捧げています。これで マドレーヌ寺院とそこで販売されている「不思議のメダイ」の関係の謎が解けました。来てみてよかったです。

    「不思議のメダイ」とは、1830年にフランスの修道女の前に聖母マリアが出現し、啓示を受けて作られたもの。メダイに刻まれている言葉は、”原罪なくして宿り給いし聖マリア、御身により頼みたてまつる、我等のために祈り給え”。

  • マドレーヌ寺院(大きな翼の天使像)。<br />大きな翼が印象的な天使像です。胸に聖杯のようなものを抱いて佇んでいます。この天使の向かい側にも別の天使像があります。<br />

    マドレーヌ寺院(大きな翼の天使像)。
    大きな翼が印象的な天使像です。胸に聖杯のようなものを抱いて佇んでいます。この天使の向かい側にも別の天使像があります。

  • マドレーヌ寺院からのロワイヤル通り。<br />マドレーヌ寺院の門から出ると都会の喧騒が蘇り、絶景が出迎えてくれます。ロワイヤル通りの遙か彼方にはコンコルド広場の噴水、オベリクス、セーヌ川左岸にあるブルボン宮(コリント式)、アンヴァリッドの金色のドーム教会まで一直線に見渡せます。 <br /><br />

    マドレーヌ寺院からのロワイヤル通り。
    マドレーヌ寺院の門から出ると都会の喧騒が蘇り、絶景が出迎えてくれます。ロワイヤル通りの遙か彼方にはコンコルド広場の噴水、オベリクス、セーヌ川左岸にあるブルボン宮(コリント式)、アンヴァリッドの金色のドーム教会まで一直線に見渡せます。

  • レオン オペラ店(ディナー=ムール貝料理)。<br />ディナーはネット情報で定評のあったベルギー ムール貝料理『Leon(レオン)』オペラ店。オペラ・ガルニア前のカプシーヌ通りを東へ5分位の左手にあります。グリーンを基調とした店構えですのですぐ分かります。チェーン店(日本で言うファミレス風)ですのでシャンゼリセ通りにもありますが、同じメニューでも若干割高との情報があります。下記サイトで事前にメニューをチェックしておかれると迷いません。ランチで利用される方も多いようです。(割安ランチ・セットがあります)もちろんお一人様でも全く問題なし。<br />http://www.leon-de-bruxelles.fr/<br /><br />18:00過ぎに入ったのですぐに禁煙席に案内してくれました。まずは、食前酒。カミさんはjue de pamplemousse(グレープフルーツ・ジュース)、当方はloen biere (レオンのビール)<ビエールと発音>をオーダー。食前酒と共に定番のプリッツが運ばれてきます。二人でセットメニューの海鮮ムール貝(Plancha)<前菜、メインとデザートがセットなので割安>とレオンのオムレツ(ムール貝、チョリソー<粗挽なしの豚肉の腸詰>)を注文。セットの前菜はフレッシュ・サーモン、デザートは三色アイスクリームをオーダー。フランスのマナーでは料理をシェアしないようですが、ギャルソンは日本人慣れしているせいか特に気にしていません。付出しのポテトフライとバゲット以外は完食。なんとポテトはおかわり自由です。海鮮ムール貝プランチャは、トマト、エビとイカをベースにしたブイヨン風で日本人の嗜好に合うと思います。欧米特有の炭酸が抜けたようなビールを飲み干すと昼間の疲れや安堵感・満足感が相俟ってすっかり出来上がってしまいました。税・サービス料込で42.85ユーロ。20ユーロ以上ならクレジット・カードで支払えます。ギャルソンのサービスにも満足したのでテーブルチップを勢みます。<br />お勘定お願いは、 L’addition, s’il vous plait.(ラディシィオン シルヴプレ)。<br />主人はフランスは今回で3回目ですが、内2回は仕事でした。生牡蠣を過去2回いずれも高級と思しきレストランで食し、体調にも拠ると思いますがどちらも下痢に悩まされたそうです。実体験を踏まえて、フライトの前日に生ものを食するのはお奨めしませんが、レオンの生サーモンは別です。安心して味わってください。<br />

    レオン オペラ店(ディナー=ムール貝料理)。
    ディナーはネット情報で定評のあったベルギー ムール貝料理『Leon(レオン)』オペラ店。オペラ・ガルニア前のカプシーヌ通りを東へ5分位の左手にあります。グリーンを基調とした店構えですのですぐ分かります。チェーン店(日本で言うファミレス風)ですのでシャンゼリセ通りにもありますが、同じメニューでも若干割高との情報があります。下記サイトで事前にメニューをチェックしておかれると迷いません。ランチで利用される方も多いようです。(割安ランチ・セットがあります)もちろんお一人様でも全く問題なし。
    http://www.leon-de-bruxelles.fr/

    18:00過ぎに入ったのですぐに禁煙席に案内してくれました。まずは、食前酒。カミさんはjue de pamplemousse(グレープフルーツ・ジュース)、当方はloen biere (レオンのビール)<ビエールと発音>をオーダー。食前酒と共に定番のプリッツが運ばれてきます。二人でセットメニューの海鮮ムール貝(Plancha)<前菜、メインとデザートがセットなので割安>とレオンのオムレツ(ムール貝、チョリソー<粗挽なしの豚肉の腸詰>)を注文。セットの前菜はフレッシュ・サーモン、デザートは三色アイスクリームをオーダー。フランスのマナーでは料理をシェアしないようですが、ギャルソンは日本人慣れしているせいか特に気にしていません。付出しのポテトフライとバゲット以外は完食。なんとポテトはおかわり自由です。海鮮ムール貝プランチャは、トマト、エビとイカをベースにしたブイヨン風で日本人の嗜好に合うと思います。欧米特有の炭酸が抜けたようなビールを飲み干すと昼間の疲れや安堵感・満足感が相俟ってすっかり出来上がってしまいました。税・サービス料込で42.85ユーロ。20ユーロ以上ならクレジット・カードで支払えます。ギャルソンのサービスにも満足したのでテーブルチップを勢みます。
    お勘定お願いは、 L’addition, s’il vous plait.(ラディシィオン シルヴプレ)。
    主人はフランスは今回で3回目ですが、内2回は仕事でした。生牡蠣を過去2回いずれも高級と思しきレストランで食し、体調にも拠ると思いますがどちらも下痢に悩まされたそうです。実体験を踏まえて、フライトの前日に生ものを食するのはお奨めしませんが、レオンの生サーモンは別です。安心して味わってください。

  • オペラ・ガルニエ(夜景)。<br />オペラ駅へ向かう途中でオペラ・ガルニエの夜景を撮影。背景の空は群青色を呈しており、正しくブルーモーメントに相応しい絵図です。少々酩酊気味で手振れが気がかりでしたが、何とか見られるショットになっていました。<br /><br />ホテル最寄り駅まではメトロ8号線で40分程、オペラ駅から直通なので至便です。車内は意外にも混雑しており、パリも遠距離通勤者が多いように感じられました。座席をキープしたカミさんが荷物を預かってくれましたが、責任感のあまり睡魔と闘うためにずっと手の甲を抓っていたそうな。ウソのような本当の話です。疲れもピークに達し、時刻も21:00前だったので下車駅を添乗員さんから教わったシャラントン・エコール駅の次駅に英断しました。なぜならこちらの方がホテルまでの歩行距離が格段に短いからです。こちらを推奨していない理由は伺っていませんが、恐らく治安の問題ではないかと察します。帰り道、人影は全くなく、沿道ショップの多くは早々に閉店していました。地上に上がった所にTAXI乗場があるのですが、TAXIの姿はありませんでした。至近距離なので乗車拒否もあり得るかもしれません。ただし、時間帯が遅い場合は、メトロではなくTAXIを利用するほうが安全です。メトロ リヨン駅で下車し、TAXIに乗車すれば料金も節約できます。初期の夜景鑑賞計画では、パリ市庁舎先のメトロ Hotel de ville駅(オテル・ドゥ・ビル)からリヨン駅へ出る予定でした。リヨン駅正面の歴史ある時計台の夜景も趣きがあります。<br />リヨン駅構内の案内図はこちらです.<br />http://www.gares-en-mouvement.com/resources/plans/frply/frontoffice/1317824664167.pdf<br />シャラントン・エコール駅からの道程は未経験です。案外同じようなものかも知れませんが・・・。どれを選択するかは、自己責任でお願いします。<br /><br />余談ですが、シャラントン・エコール駅の近くにMONOPRIXというスーパーマーケットがあります。ミネラルウォーターやちょっとしたお土産が入手できます。営業時間は、月〜土曜日 8:30〜21:30、日曜日 9:00〜12:00です。お店の情報は、下記HPを参照してください。地図も見られます。<br />http://www.monoprix.fr/trouver-mon-magasin/monoprix-charenton-charenton-le-pont-109.html

    イチオシ

    オペラ・ガルニエ(夜景)。
    オペラ駅へ向かう途中でオペラ・ガルニエの夜景を撮影。背景の空は群青色を呈しており、正しくブルーモーメントに相応しい絵図です。少々酩酊気味で手振れが気がかりでしたが、何とか見られるショットになっていました。

    ホテル最寄り駅まではメトロ8号線で40分程、オペラ駅から直通なので至便です。車内は意外にも混雑しており、パリも遠距離通勤者が多いように感じられました。座席をキープしたカミさんが荷物を預かってくれましたが、責任感のあまり睡魔と闘うためにずっと手の甲を抓っていたそうな。ウソのような本当の話です。疲れもピークに達し、時刻も21:00前だったので下車駅を添乗員さんから教わったシャラントン・エコール駅の次駅に英断しました。なぜならこちらの方がホテルまでの歩行距離が格段に短いからです。こちらを推奨していない理由は伺っていませんが、恐らく治安の問題ではないかと察します。帰り道、人影は全くなく、沿道ショップの多くは早々に閉店していました。地上に上がった所にTAXI乗場があるのですが、TAXIの姿はありませんでした。至近距離なので乗車拒否もあり得るかもしれません。ただし、時間帯が遅い場合は、メトロではなくTAXIを利用するほうが安全です。メトロ リヨン駅で下車し、TAXIに乗車すれば料金も節約できます。初期の夜景鑑賞計画では、パリ市庁舎先のメトロ Hotel de ville駅(オテル・ドゥ・ビル)からリヨン駅へ出る予定でした。リヨン駅正面の歴史ある時計台の夜景も趣きがあります。
    リヨン駅構内の案内図はこちらです.
    http://www.gares-en-mouvement.com/resources/plans/frply/frontoffice/1317824664167.pdf
    シャラントン・エコール駅からの道程は未経験です。案外同じようなものかも知れませんが・・・。どれを選択するかは、自己責任でお願いします。

    余談ですが、シャラントン・エコール駅の近くにMONOPRIXというスーパーマーケットがあります。ミネラルウォーターやちょっとしたお土産が入手できます。営業時間は、月〜土曜日 8:30〜21:30、日曜日 9:00〜12:00です。お店の情報は、下記HPを参照してください。地図も見られます。
    http://www.monoprix.fr/trouver-mon-magasin/monoprix-charenton-charenton-le-pont-109.html

  • シャルル・ド・ゴール空港 (復路 AF292便)。<br />空港に到着し、まず座席の指定をします。これはカウンターでのチェックイン前に済ませます。パスポートを機械に差し込むとデータを読み込むので手間はかかりません。機械の調子が悪いとデータが読み取られず、Eチケットに記された番号を入力することになります。往路とは異なり、復路はペア席でなかったので座席は前後しますが通路側座席に空きがあったので変更します。通路側席は自由にトイレに行けるので重宝しますが、反面、奥の人の出入りを甘受する器も必要になります。この後、カウンターでチェックインし、スーツケースを預けます。エールフランスは23kgまでOK。乗り継ぎ便では20kg以下だったと思います。添乗員さんが秤を準備されていたので事前チェックします。重過ぎると超過料(非常に高い)を取られるか、中身を取り出して機内持ち込みにすることを要求され時間がかかります。<br /><br />その後、免税書類のある人は別行動で税関カウンターへ向かいます。免税商品をスーツケースに入れて機内預けにすると処理してもらえないこともあるので必ず手荷物として持参します。原則、税関で商品を見せることになっています。ショップで作成してもらった免税書類3枚にスタンプを押してもらい、控えの書類以外をショップでいただいた封筒に入れ、税関カウンター近くの黄色いポストに投函します。切手は不要です。直行便でない場合、乗り継ぎの空港(最終出国地)でこの手続きを行います。添乗員さんが丁寧に教えてくれますので心配は無用ですが、常識の範囲は知っておいて損はないと思います。<br /><br />出国審査を終え、搭乗口へのセキュリティ・チェックを受けます。直近にカダフィー氏の件があったのでチェックは厳重でした。当方もブラジャーのワイヤーが反応して入念なボディチェックを受けました。次は、免税店で余った小銭を使って最後のショッピングです。主人の職場の同僚へは数量が必要なのでCote d&#39;Or(ゾウのマークが目印)のチョコレートを購入。10ユーロ/箱ですが50枚程入っています。<br />これはスーパーでは見かけませんでした。味も上々だったようです。搭乗口にはマカロンで有名なラジュレがあると聞いていましたが、ありませんでした。マカロンは液体と見なされて手荷物として持ち込むことが適いませんので搭乗口は最後の砦になります。エール・フランスの搭乗口は2つあるのでもう一方のほうだったのでしょう。<br /><br />搭乗したら時計を日本時間に合わせます。12時間程のフライトを楽しみ、無事関空へ到着です。手荷物受け取り場所でツアーメンバーや添乗員さんと別れを惜しみます。入国時の税関書類(黄色の書類)は家族で一通作成し、税関に渡します。<br /><br />恥も外聞もなく、備忘録も兼ねて徒然にフランス旅行記を認めてしまいました。当方の経験や情報が皆さんの旅行の参考になれば幸甚です。最後までお読みいただきありがとうございます。どこか異国の地で、見知らぬ貴方とすれ違えることに心ときめかせております。<br />

    シャルル・ド・ゴール空港 (復路 AF292便)。
    空港に到着し、まず座席の指定をします。これはカウンターでのチェックイン前に済ませます。パスポートを機械に差し込むとデータを読み込むので手間はかかりません。機械の調子が悪いとデータが読み取られず、Eチケットに記された番号を入力することになります。往路とは異なり、復路はペア席でなかったので座席は前後しますが通路側座席に空きがあったので変更します。通路側席は自由にトイレに行けるので重宝しますが、反面、奥の人の出入りを甘受する器も必要になります。この後、カウンターでチェックインし、スーツケースを預けます。エールフランスは23kgまでOK。乗り継ぎ便では20kg以下だったと思います。添乗員さんが秤を準備されていたので事前チェックします。重過ぎると超過料(非常に高い)を取られるか、中身を取り出して機内持ち込みにすることを要求され時間がかかります。

    その後、免税書類のある人は別行動で税関カウンターへ向かいます。免税商品をスーツケースに入れて機内預けにすると処理してもらえないこともあるので必ず手荷物として持参します。原則、税関で商品を見せることになっています。ショップで作成してもらった免税書類3枚にスタンプを押してもらい、控えの書類以外をショップでいただいた封筒に入れ、税関カウンター近くの黄色いポストに投函します。切手は不要です。直行便でない場合、乗り継ぎの空港(最終出国地)でこの手続きを行います。添乗員さんが丁寧に教えてくれますので心配は無用ですが、常識の範囲は知っておいて損はないと思います。

    出国審査を終え、搭乗口へのセキュリティ・チェックを受けます。直近にカダフィー氏の件があったのでチェックは厳重でした。当方もブラジャーのワイヤーが反応して入念なボディチェックを受けました。次は、免税店で余った小銭を使って最後のショッピングです。主人の職場の同僚へは数量が必要なのでCote d'Or(ゾウのマークが目印)のチョコレートを購入。10ユーロ/箱ですが50枚程入っています。
    これはスーパーでは見かけませんでした。味も上々だったようです。搭乗口にはマカロンで有名なラジュレがあると聞いていましたが、ありませんでした。マカロンは液体と見なされて手荷物として持ち込むことが適いませんので搭乗口は最後の砦になります。エール・フランスの搭乗口は2つあるのでもう一方のほうだったのでしょう。

    搭乗したら時計を日本時間に合わせます。12時間程のフライトを楽しみ、無事関空へ到着です。手荷物受け取り場所でツアーメンバーや添乗員さんと別れを惜しみます。入国時の税関書類(黄色の書類)は家族で一通作成し、税関に渡します。

    恥も外聞もなく、備忘録も兼ねて徒然にフランス旅行記を認めてしまいました。当方の経験や情報が皆さんの旅行の参考になれば幸甚です。最後までお読みいただきありがとうございます。どこか異国の地で、見知らぬ貴方とすれ違えることに心ときめかせております。

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