2011/10/19 - 2011/10/26
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montsaintmichelさん
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- フォロワー155人
第4日目:MSMを後にしてオンフルールとルーアンを訪ねます。宿泊はベルサイユ宮殿へ徒歩圏内にあるPULLMAN CHATEAUです。
オンフルールへはMSMから約190km、バス乗車時間2時間の旅です。旧パッサンの水面に映える色とりどりの建屋やフランス最大の木造教会であるセント・カトリーヌ教会など見所が満載です。
ルーアンへはオンフルールから約80km、バス乗車時間で1時間15分程です。モネがその美しさに魅了されたというノートルダム大聖堂、大時計、裁判所や軒を連ねる木骨組みの建物などを見学します。
ベルサイユへはルーアンから約120km、バス乗車時間で1時間半です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- エールフランス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
-
イチオシ
オンフルール 旧パッサン(サント・カトリーヌ河岸)。
オンフルールは11世紀の書物に地名が載っている古都で、パリの北西 ノルマンディー地方のセーヌ川河口の港町です。今回の周遊地では最北に位置します。街の中心は旧パッサン周辺で、港には漁船やヨットが係留され港町特有のひなびた雰囲気が漂っています。詩人ミュッセやボードレールがこよなく愛し、多くの印象派画家のモチーフとなっています。画家たちは河口に注がれる陽光を好んで集まったそうです。実際、パッサン周辺の建物と水面に映える建物の姿や色彩は、絵画の世界そのものです。絵画に造詣の深くない当方でもここでならイーゼルを立ててみたいという誘惑に駆られました。
また、木骨組みの家が建ち並ぶ古い街としても有名で、モネの師範であるヴジェーヌ・ブーダンや作曲家のエリック・サティの生家もあります。作曲だけでなく、作家や画家としても幅広く活躍したサティは、ピカソ、コクトー、ラヴェル、ドビュッシー、ストラヴィンスキーなど同時代の錚々たる芸術家たちと交流し、影響を与えそうです。「サティの家」には寄れませんでしたが、サティーの生涯とその創作活動が音と光をシンクロナイズさせて分かりやすく展示されているそうです。 -
オンフルール 旧パッサン(サント・カトリーヌ通り)。
古風な木造の家が軒を連ね、地上階はカフェやレストランとして賑わっています。外壁に張りつめられた艶々したウロコ状の天然スレートが光彩の加減で千変万化する様に画家たちは魅せられたのでしょう。 -
オンフルール 旧パッサン(サント・カトリーヌ河岸)。
17世紀、ルイ14世の下で権威をふるった財務長官コルベールの命により作られた旧パッサンには今日でも漁船やヨットが係留され、金や銀色に輝くマストが林立しています。 -
オンフルール 旧パッサン。
パノラマ写真で情景を堪能してください。 -
オンフルール 旧パッサン
海洋博物館界隈(サン・テティエンヌ河岸)。
西側はサント・カトリーヌ河岸、東側はサン・テティエンヌ河岸と呼ばれ、色とりどりの家々が建ち並ぶ趣きのある界隈いです。オンフルールで最も古く現在は海洋博物館になっているサン・テティエンヌ教会、17世紀以降に塩の貯蔵所や税務署として使われていた塩倉庫などがあります。 -
オンフルール 総督邸。
旧パッサン入口にあるいかめしい面構えの建屋は国王の代官所、つまり総督邸で「港町奉行所」と言ったところ。
1608年にカナダのセント・ローレンス川流域にケベックの町を建設した探検家サミュエル・ド・シャンプラン総督の家です。 -
オンフルール 跳ね橋。
旧パッサンから出航するヨットを通すために総督館前に架かる橋が跳ね上がりました。添乗員さん曰く、「滅多に見られない光景なので写真を撮っておいたほうがいいよ」。土・日曜日は、ヨット出航の機会がウィークデーよりも多いのかもしれません。 -
サント・カトリーヌ教会(正面入口)。
対面する鐘楼と共に町のシンボル的存在の教会で、百年戦争で壊された教会の跡地に建立されました。町の人々は経済的な理由から石材ではなく木材を素材にし、船大工たちが造船の知識や技術でもってフランス最大の木造教会を建立したものです。身廊が2列あるという珍しい構造の教会です。 -
サント・カトリーヌ教会(後陣)。
硬い石材で建立された教会とは異なり、やさしい面持ちの後陣。窓のようなところがステンドグラスの裏側になります。この尖塔が旧パッサンからもよく目立ちます。
最初、北側(右側)の建屋が造られたのですが、建築の途中で「小さ過ぎた」と気づき、慌てて平行に造り足した結果、身廊が2つある双子のような教会になったそうです。 -
サント・カトリーヌ教会 鐘楼。
教会のすぐ前の別棟には15世紀末に造られた木造の鐘楼があります。その下には露店が店を広げています。
時計は動いているようですが、時刻はあっていません。 -
サント・カトリーヌ教会(内陣)。
木造ですが日本建築とは構造原理そのものが異なり趣きがあります。また、石造りよりも温かみがあって癒される空間です。パイプオルガンや聖母マリア像も備わっています。天井は船底の竜骨を逆さにしたような造りになっており、MSMで感動した瞑想の回廊をフラッシュ・バックさせます。日中は陽射の加減で比較的明るく開放的な空間ですが、神聖・厳粛な雰囲気が漂っています。 -
サント・カトリーヌ教会(後陣)。
教会にあるステンドグラスです。陽射が強いのでオートモード撮影では白飛びして上の写真のようになります。マニュアルモード(キャンドルモード)に切り替え、露光補正を-2EVに設定します。周囲は光彩を失って黒い影になりますが、ステンドグラスの模様を浮き出します。光彩の加減やカメラの特性にもよりますが、-1〜-2EVの範囲で適正値になると思います。 -
サント・カトリーヌ教会(祭壇)。
ベネディクト・カトリック派なのでしょうか、ローマ法王 ベネディクト16世が描かれた幕のようなものが祭壇の脇に掲げられていました。
余談ですが、ベネディクト16世は、日本の少女から寄せられた東日本大震災に際しての質問「どうしてこんなに怖い思いをしなければいけないのでしょうか?」に「私も同じように『なぜ?』と自問していますが、答えが見つからない」と言いつつも「我々は皆さんと共にある」と応えています。 -
オンフルール 露店。
土曜日ということで、色鮮やかな野菜・果実、魚介類などの露店が所狭しと立ち並んでいます。茄子はむちゃくちゃでかいです。味の方はどうでしょうか?
野菜の色がとても鮮やかです。燦々と降り注ぐ太陽の光を潤沢に浴びているせいでしょうか?
天気が良いので地元の方も繰り出し、教会周辺は大変な賑わいを見せています。 -
オンフルール 旧パッサン(サント・カトリーヌ河岸)。
アート・ギャラリーの軒先にあったオブジェ。よく見ると左手と胴体がありません。もちろん、陰も空洞です。 -
オンフルール 露店。
港町ですので新鮮で大きなカニやロブスターと言った魚介類が並んでいます。 -
オンフルール 魚屋さん。
イカやヒラメの他は見たことのないような魚です。さて、お味の方は・・・。
大きなヒトデも売られています。唐揚げにして食べると美味だとか・・・。 -
オンフルール サン・レオナール教会。
遠目ですが、威風堂々と高台に聳え立つのがサン・レオナール教会。15世紀末から16世紀にかけて建造された教会で炎のような曲線を描くフランボワイヤン様式の正面扉のほか、17世紀に加えられた横手の扉、18世紀に造られた八角形の塔や大時計の文字盤などが歴史を感じさせてくれるそうです。
サティーが8歳の時、この教会の神父から音楽の手ほどきを受けてパイプオルガンに魅せられたそうです。 -
ルーアン 6 SENSE(レストラン)。
オンフルールに別れを告げ、バスで1時間強の距離にあるルーアンの街に到着しました。本日のランチはビストロ風のこのお店でいただきます。添乗員さんに伺うと、ランチの場所は毎回変わるようで、人数に合わせてセッティングされているのだそうです。ツアー会社の企画担当者に感謝! -
ルーアン 6 SENSE(ブフ・ブルギニオン)。
メインはブフ・ブルギニオンと言う牛肉のワイン煮込です。カミさんは肉系は好みではありませんが、薄味で美味しくいただけたようです。ジャガイモもほっこりして美味でした。 -
ルーアン 木骨組みの家。
ヴィユ・マルシェ広場の周辺にはノルマンディー地方特有の木骨組みの雅趣に富んだ建物が軒を連ねています。古風な家並みを愛する人には絵になる風景で、ドイツのメルヘン街道沿いの街並みを彷彿とさせます。木骨組みのクロス梁が形造る×文様は、イエスの使徒の1人アンデレが×字型の十字架で処刑されたことから『聖アンデレの十字』と呼ばれます。昔から×模様には『子孫繁栄』の意味があり、縁起物の模様だそうです。
左側に見える大きな旗がはためいている三角屋根の黒っぽい建物は、1345年から創業しているラ・クローヌ(La Couronne)というフランスで最も古くからある老舗食堂だそうです。
散策はガイドさんのさじ加減で大きく振れます。嗜好が合うかどうかがガイドさんに付いて行くか、行かないかの判断基準になります。ちなみにガイドさんはルーアン観光協会に勤めておられる日本人女性でした。添乗員さん曰く「ルーアンでガイドさんを頼むのは初めて。知らなかったことが多く、とても勉強になった」。 -
ルーアン ジャンヌ・ダルク教会。
ルーアンはジャンヌ・ダルク終焉の街です。1431年に火刑が執行されたヴィユ・マルシェ広場に建立され、ジャンヌを祀っています。1979年に建造されたスレート葺き屋根でモダンな外観で教会らしくない教会。屋根は、船底、海、ジャンヌが昇天する様をイメージしてデザインされたものです。サン・ヴァンサン教会(14世紀建造)にあったルネサンス期のステンドグラスが内部を飾っています。ジャンヌはこの十字架の塔の下で火刑に処せられたそうです。御年、なんと19歳の若さでした。
ヴィユ・マルシェ広場の奥まった所には、公衆トイレがあります。無料ですが、きれいです。 -
ルーアン ジャンヌ・ダルク教会。
ジャンヌ・ダルク教会は見る方向によって多彩なオブジェに変貌します。こちらは、スパイラル状の屋根がジャンヌが昇天する様を表現しているように思えます。 -
ルーアン ジャンヌ・ダルク像。
教会の外には、首をかしげて心なしか寂しそうな表情のジャンヌ像が佇んでいます。よく見かける甲冑に身を包んだ勇ましいジャンヌとは対照的に乙女チックな像です。
ジャンヌは百年戦争(1338〜1453年)で仏軍を勝利に導いた英雄です。彼女が軍を率いるまでは領土の1/3とボルドー地方は英国の手中でした。彼女が仏軍を率いると勢いが増し、連戦連勝でトロワ、シャロンと勝ち進み、ランスへ進軍します。皇太子はランスの大司教により待望の戴冠式を行い、国王シャルル7世となります。
農村の娘であった彼女が軍に従事する経緯には、逸話があります。英軍が北部駐留地とボルドーの連絡拠点にするため中部のオルレアンを奪取しました。この時、ドムレミ村に住む羊飼いの娘ジャンヌが「立って祖国を救え」という託宣を授かります。彼女は皇太子の元へ行き、祖国の為に戦いたいと懇願し、オルレアンから英軍を追放すべく軍隊の貸与を具申します。皇太子は半信半疑で数千人の兵を預けますが、英軍の砦を襲って撃退、以後各地で連戦連勝していきます。敵軍に捕まるまで彼女の活躍で領土の大半を取り戻しました。
彼女を捕らえたのはブルゴーニュ軍。1万フランで英軍に売却します。英軍にとっては憎き仇、魔女の汚名を着せられて宗教裁判で裁かれます。一旦は彼女が自分の誤りを認めて閉廷しますが、更に難癖をつけられて1431年5月30日に火刑に処せられ、わずか19年と言う短い波乱万丈の生涯を終えました。百年戦争自体は彼女の1年に亘る大活躍で仏軍の勝利が確定、その後1453年に和平が成立します。 彼女は魔女として処刑されたため、その後もずっと魔女として扱われましたが、ローマ・カトリック教会が再審し、1456年に無罪を宣告。このジャンヌを政治的に利用したのがナポレオン1世。彼は、ジャンヌを英雄に仕立て上げることで市民の間に英雄願望心を醸成し、自ら英雄の座を射止めたのでした。その後、ローマ教皇ベネディクト15世は1920年、聖人に列し、5月30日を祝日とすることを決定しました。 -
ルーアン メインストリート (グロ・ゾルロージュ通り)。
ノートルダム大聖堂とヴィユ・マルシェ広場を結ぶグロ・ゾルロージュ通りは昔のルーアンの面影が色濃く残っており、カフェやブティックなどが並ぶ賑やかな歩行者天国となっています。フランスで初めての歩行者天国だそうです。グロ・ゾルロージュ(Gros-Horlge)とは大時計の意味。手前のドーム状の建物は大時計の鐘楼です。遙か彼方にノートルダム大聖堂の尖塔が聳え立っています。路面は石畳で往時の面影を色濃く残している通りです。 -
ルーアン Auzou Chocolatier。
ヴィユ・マルシェ広場側から大聖堂へ向かう道中にはAuzou Chocolatier
というチョコレートショップがあります。
人を避けてトリミングしたら画素数が小さくなってしまいました。すみません。 -
ルーアン Les larmes de Jeanne d'Arc
ジャンヌ・ダルクの涙。
Auzou Chocolatier の名物です。形が漫画チックな涙の粒に似ているのでこのネーミングはピッタリ。大粒のアーモンドをバタースコッチ・キャンディーで包み、それをさらにチョコレートとカカオ・パウダーでトリュフ・チョコレート風に仕上げています。甘さ加減が絶妙で、甘いものが苦手の主人も美味しいと言っていました。さすがにパティシィエを抱えるショップだけあります。 -
ルーアン Auzou Chocolatier横の路地。
Auzou Chocolatierを横から見ると全く別の建物に変身します。路地には木骨組の建造物が立ち並んでいます。木骨組の家の特徴は、上階ほど迫り出していることです。当時は窓からゴミや汚物を廃棄する習慣があったようで、外壁を汚さないための工夫だそうです。もっと合理的な方法があったと思うのですが・・・。
もう一つは、税金逃れのためでもあったようです。当時は、地上階の面積で税金が決められていたそうです。 -
ルーアン メインストリート (グロ・ゾルロージュ通り)。
広角撮影の妙と言うか、平衡感覚を失いそうな写真です。階上に行くほど迫り出す木骨組の家が強調され、今にもパタンと倒れてきそうです。木骨組の家は、各階が箱型に独立して造られたものを積み上げ、上下階をカスガイで固定したものでそうです。従って、日本の木造住宅のような通し柱はありません。家の強度を保持するのが木骨と漆喰の裏側に貼り合わせた煉瓦だそうです。通常、3〜4階建てなら煉瓦の厚みが40cm必要なところ、木骨組であればその半分で済むという経済性も備わった優れものです。フランス語では、メゾン・ア・パン・ド・ボワ、英語ではhalf-timbered houseと言い、本来は全部煉瓦で築くべきところを、「半分、木を使った家」と言う意味です。
あいにく、こちら側の大時計は修理中でした。でも両面あるので大丈夫ですよ! -
ルーアンについての薀蓄を傾けてみましょう。
ノルマンディー地方の首都ルーアンはパリの西100km程の所にあり、ローマ時代からセーヌ川を利用した水運の拠点として発展してきました。第二次世界大戦中の執拗な爆撃にも拘らず中世の町並みを残存し、多数の教会があることから「百の尖塔を持つ町」とも讃えられて観光地として人気が高く、現在もフランス有数の大都市として経済的にも重要な位置を占めます。
観光の中心は、画家クロード・モネが33点の作品を描いたノートルダム大聖堂。モネは時間や季節と共に移りゆく光と色彩の変化を生涯にわたり追求した画家で、大聖堂の光の微妙な変化を捕えた連作に意欲的に取り組みました。一枚の作品を一瞬とするなら、その連続は時間の持続と考えたのかもしれません。市内には大聖堂の他にもサン・マクルー教会やサン・トゥーアン教会などゴシック様式の秀作が残されており、見所も多彩です。 -
ルーアン 大時計台。
メインストリートを進んでいくと大きな時計が埋め込まれた建物が目に留まります。これは16世紀に造られたルネサンス様式の大時計で「今でも正確に時を刻んでいます」との説明ですが、よく見ると長針がなくどこまで正確なのか微妙〜。当時は分刻みで行動する必要がなかったためと機構が複雑になるのを避けた結果らしいです。尚、時計の下方の小窓には神学的絵柄で曜日を示す仕掛けがあります。上部の球体は月齢を表しているそうです。
ちなみに写真をズームしてみると、短針の先に羊がいて右足で時刻を指しています。この羊は「聖なる羊」と呼ばれているそうです。
4トラベル会員(無料)の方は、左の写真をクリックすると写真が拡大できるウィンドウに移ります。そこで写真をクリックすると写真が拡大されますので「聖なる羊」をご確認ください。戻る時は、画面左上の←ボタンを2回クリックすると元の所へ戻れ、続きを読むことができます。 -
ルーアン 大時計台のアーチ天井レリーフ。
大時計の下のアーチの周囲にも繊細かつ精巧な彫刻が施されています。中世のルーアンは商業都市として羊毛や羊肉の取引で繁栄し、紋章には羊が使われていました。羊は聖書では神なる動物の象徴であり、アーチの天井には羊飼いの格好をしたイエス・キリストのレリーフが彫られています。
アーチをくぐって歩を進めると大聖堂が間近に迫ってきます。
大時計台を大聖堂側に少し行った辺りには、MONOPRIX(スーパー)があります。 -
ルーアン ノートルダム大聖堂。
北仏の都市ルーアンにある大聖堂で世界遺産未登録ですがシャルトル、アミアンとともに北フランス三大大聖堂と言われています。大聖堂は1063年の創建から数世紀に渡って建築が進められ、1250年に建造されました。西正面ファサードや尖塔の繊細な装飾は後期ゴシックのフランボワイアン(石の刺繍)様式で、季節や時間帯によって印象が変わり、モネはこの大聖堂に魅せられて絵を33枚描きました。
19世紀に完成した尖塔は鋳物製で高さ151mもあり、フランスで最も高い尖塔です。ルーアン大聖堂の西正面ファサードはまだ一部修理中ですが、修理も終盤に差し掛かっておりほとんどの足場は外されて外観を改善しています。こうした重要文化財は長い年月を掛けて継続的に修理がなされています。 -
ルーアン クロード・モネのアトリエ。
ルーアン観光協会の2階にモネのアトリエがあります。事前情報では自由に見学できると聞いていましたが、現在は観光協会所属のガイドさんと一緒でないと入れないようです。寂しいことに、世知辛くなってきています。(土日限定かもしれませんので覗かれてみてはいかがでしょうか)
モネが魅了された風景を彼と同じ目線で堪能できるだけでなく、ルーアンの歴史についても掲示物により説明が聞けます。(嗜好によっては無駄時間となりますが・・・)モネ贔屓の当方は大歓迎。元々、予定に組み込んでいました。 -
イチオシ
ルーアン フランボワイヤン様式 西正面ファサード。
フランボワイヤン(火炎=石の刺繍)様式は、後期ゴシック様式の爛熟期に細部への偏重の中で生まれました。炎に似た細かい曲線が特徴の装飾様式で、窓枠や彫刻等に浮彫の形で刻まれます。精巧かつ繊細なものは「石の刺繍」と形容され、西正面ファサードには「石の刺繍」が散りばめられています。両端にフランボワイヤンの小尖塔と呼ばれる華奢な柱を配した中央扉口の上方には、レース織りと見紛うばかりの切妻式浮彫装飾を冠しています。その上部にはバラ窓を挟んで大理石という素材を忘れさせる程の細密な透かし彫りの装飾彫刻群を配し、まるでレース織りのサラセン絨毯のようです。秀逸なのはバラ窓を形造る浮彫装飾です。残念ながら現在ではこのバラ窓には磨ガラスが嵌め込まれており、昔日の美しいステンドグラスを見ることはかないません。 -
ルーアン 西正面ファサード。
手前にある樹木が邪魔ですが、超広角でない限り正面ファサード全体を撮り込むにはここが唯一のポイントです。とにかく巨大ですのデジコン焦点距離25mmでは引き切れません。 -
ルーアン ノートルダム大聖堂 サロメのタンパン(左門)。
13世紀に作られた西正面左側のポルタイユ(大扉)のタンパン(アーチ状装飾)です。新約聖書の「マルコの福音書」の記述に基づき、イエスに洗礼したヨハネの死を描いたもので、サロメの踊りとヨハネの斬首が彫られています。ガラリアの領主ヘロデ王(ユダヤのヘロデ王の子)に一目置かれていたヨハネは、王妃ヘロディアスが王の兄弟の妻であったという不倫を非難し、王妃の恨みを買って牢獄に囚われの身となります。王妃ヘロディアスの連れ娘であるサロメは、ヘロディアスに唆されて逆立ち舞踏を褒めた左端のヘロデ王からの褒美としてヨハネの首が欲しいと言わされてしまいます。右側の彫刻にはヨハネの首を刎ねるシーン、その隣には生首をお盆に載せて差し出すシーンが生々しく描かれています。
ただし、「マルコの福音書」には王妃ヘロディアスの娘と記されているだけでサロメと言う名前はなく、サロメとして独立した人格になるのは中世末期のことです。サロメがお盆に載ったヨハネの首を捧げ持つ図像は16世紀に多く見られます。アムステルダム国立美術館にある、オーストザネンの作品はマニエリスム様式のエロスと残虐性が際立っています。また、19世紀末から20世紀初頭にはサロメ・ブームが再興します。オスカー・ワイルドの戯曲、ギュスターヴ・モローの絵画やR・シュトラウスのオペラでは「ファム・ファタル(宿命の女)」の原型として表現され、アール・ヌーヴォーや世紀末芸術の重要ファクターとなったそうです。 -
イチオシ
ルーアン ノートルダム大聖堂 内陣。
昼下がりゆえ光彩は豊かであるものの、畏怖や戦慄のような得体の知れない感覚に囚われました。神秘、あるいは聖なるものに触れたとしか形容し難いですが、その中でも「青白い」という印象が強烈で正に象徴の森という表現がぴったりです。また、比べるものではないでしょうが、内陣はシャルトル大聖堂より7m長いのに(全長137m)高さが29mと低い分、巨大で重圧かつ荘厳です。当方は迷子にならないようにイヤホンでガイドさんとの距離を推測しつつ、カメラ片手に一人で自由行動を決め込みます。この時点では集合時間がまだ決まっておらず、はぐれるわけにはいきませんでした。
ギュスターヴ・フローベールという作家をご存知でしょうか?弟子であり『女の一生』を書いたギ・ド・モーパッサンの方が知名度が高いかもしれませんが、サロメを初めて言語化した『ヘロディアス』や『ボヴァリー夫人』などの作品で日本でも親しまれている写実主義の代表作家です。客観的で精密な文体を通じて作中の人物に自己を同化させることを信条としています。
ボヴァリー夫人と若い愛人レオンが逢引する場面では、馬車に乗ってルーアンの街中を駆け巡ります。その描写は実にスリリングで小説の中に同化されてしまいます。そして逢引の待ち合わせ場所が、この大聖堂。フローベールは内陣を次のように描写します。
「本堂は、アーチ形の迫持の先端やステンドグラスの一部を水のみなぎっている聖水盤に映していた。しかしステンドグラスの絵の影は、大理石の柱のふちに当たって屈折し、そのむこうの石畳のうえに色とりどりの毛氈のようにのびていた。外の明るい陽光は、ひらいた三つの正面扉から、三筋のふとい線となって教会の中へ射している」(新潮社 生島遼一訳)
簡潔で美しい情景描写です。まだ見たことがない幻想的、神秘的な内陣が脳裏に浮かび上がってくるようでした。そして現実の大聖堂は、その幻想・憧憬に期待通り応えてくれたのでした。正しくデジャ・ヴュそのものを体験できました。 -
ルーアン ノートルダム大聖堂 南側周歩廊。
天井がモザイク状になってるのがよく分かります。 -
ルーアン ノートルダム大聖堂
南側遊歩廊のステンドグラス。
ルーアン大聖堂ではほとんどのステンドグラスが失われていますが、周歩廊部分にはいくつか13世紀の輝きを今に残すステンドグラスが見られます。 -
ルーアン ノートルダム大聖堂 主祭壇。
手前にはイエス・キリストの磔刑像があり、その両脇には天使が儚げに跪いています。 -
ルーアン ノートルダム大聖堂 西バラ窓。
主祭壇の反対側です。磨ガラス製の西バラ窓とパイプオルガンの銀白色が美しく調和しています。 -
ルーアン ノートルダム大聖堂 北バラ窓。
北側にはブルーを基調としたステンドグラスが多く、カラフルな絵柄の南側とは対照的です。 -
ルーアン ノートルダム大聖堂 北ファサード。
写真愛好家の間では、西正面ファサードと同じくらい人気が高いスポットだそうです。ポルタイユのタンパンには『最後の審判』が彫られています。
流石に写真愛好家の人気スポットと言われるだけにフランボワイヤン様式の粋が至れり尽くせりと言った感じで迫ってきます。どこをメインに撮ればよいか迷う所です。昼間は逆光になるので、朝夕だとベスト・ショットが撮れるのではないでしょうか?なるほど、写真の腕前を競うにはもってこいの場所なんですね! -
ルーアン ノートルダム大聖堂 尖塔。
尖塔は高すぎて大聖堂周辺からはなかなか全体を捉えられるスポットが見つかりません。北西にある中庭のような所から鉄柵越しのショットです。
オリジナルの尖塔は木製だったそうですが、19世紀に鋳物製に建て直されました。 -
ルーアン 裁判所。
15〜16世紀にかけて建立された建造物で、特に1508年から18年かけて造られたファサードの大理石の繊細で精巧な装飾が見事です。上部には小さな尖塔や小鐘楼、切妻壁の入り組んだゴシック様式の彫刻が所狭しと施されています。第2次世界大戦で大きな損傷を被りましたが、戦後修復されたそうです。
この場所は、かつて裕福なユダヤ人の居住区だったそうです。しかし、大規模なユダヤ人迫害が起こり、先住民である彼等を追い出してルーアンの大商人のための集会所及び財務や裁判を担う場所としてこのゴシック様式の建築物が造られたそうです。中庭の地下には、La Maison Sublimeという古代ローマ時代のユダヤ人遺跡があるようです。 -
ホテル
PULLMAN Versailles Chateau。(ベルサイユ)
土曜日ということもありツアーで予定していた土産物屋がすでに閉店していたため、早目のホテル到着です。ホテルはベルサイユ宮殿を起点とするパリ通りに面し、宮殿とは至近距離にあります。ホテルの内部も豪華です。ツアー中、唯一冷蔵庫完備。ミネラル・ウォーターと炭酸水が各1本サービス。本ツアーの魅力の一つが、ベルサイユ宮殿からの徒歩圏内のホテルに宿泊できることです。つまり、宮殿の夕景、夜景鑑賞ができることと朝一に宮殿が見学できるので混雑を回避できることです。
早速、フロントで周辺マップをもらって散策に出かけます。まずやることは、明後日の自由行動で使用する一日乗車券MOBILIS(ZONE1−2)を購入することです。ホテルから徒歩5分程の所にRER Versailles-Rive-Gauche駅があります。自販機は不案内なので窓口に並びます。窓口ではZONE1−2のMOBILISが購入でき、6.3ユーロです。 -
ベルサイユ パリッシュ ノートルダム教会。
(Eglise Notre-Dame)
二つ下の写真のパティスリーGaulupeau(ゴリュポー)へ向かう途中にあり、どことなく惹かれるものがありショットに収めました。
旅行後、ネットで調べたところ、ルイ14世により1684年に建立され『シンデレラ』の物語のモデルになったと言われる由緒ある教会でした。王族の洗礼、結婚、死亡の登録等はこちらの教会で行われたそうです。この教会は毎時45分に鐘が鳴るのだそうです。シンデレラはこの教会の鐘の音を聞いて、慌てて帰ろうとしたのでしょうか?
教会内陣も自由に見学できるようです。小ぶりですが秀逸なステンドグラスが見られるようですので、時間があれば訪れられては如何でしょう。
公式サイトはこちらです。
http://www.notredame-versailles.org/
マップはこちらを参照してください。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?brcurrent=3,0x0:0x0,0&ie=UTF8&oe=UTF8&msa=0&msid=200296667700774977196.0004a888f12878e39ded5 -
ベルサイユ パリッシュ ノートルダム教会。
(Eglise Notre-Dame)
シャルル・ペローが『シンデレラ』、『長靴をはいた猫』、『赤ずきん』や『眠れる森の美女』を含む2冊の童話集を初出版したのが1697年です。ペローはルイ14世に仕え、王族諸館監査役まで務めた上級宮廷人です。童話集は公職を辞した後の言わば晩年の手すさびに近いものだったようですが、この童話集は王の姪に献呈されています。実は彼が一番力を入れていたのは『古代人と近代人の比較』という大著なのですが、後世に名を遺したのは童話作家としてだったと言うのはなんとも皮肉なことです。 -
ベルサイユ Gaulupeau(ゴリュポー)。
カミさんの希望でベルサイユに現存する最古のパティスリーへ行ってきました。街一番の目抜き通り「パロワス通り」にあります。紅茶の種類が豊富なサロン・ドゥ・テも併設されており、イートインもできます。「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と宣ったマリー・アントワネットではないけれど、休憩を兼ねて本場の甘いスイーツと往時の王妃気分を味わってみるのも一興です。月〜土曜日は19時閉店。日曜日は18時閉店です。
余談ですが、。「パンがなければお菓子を・・・」と宣ったというのはどうも俗説らしく、王妃を中傷するために別の貴婦人が発した言葉をさも王妃が言ったように報じたというのが真相のようです。これで少しはアントワネットの汚名が返上されたでしょうか・・・。 -
ベルサイユ Gaulupeau(ゴリュポー)ショーウィンドウ。
食べてしまうのが惜しいような、彩鮮やかにデコレーションされたスィーツが並んでいます。何を選ぼうか迷った挙句、直径70mm程もある、どら焼きと見紛うようなマカロン(ピスタチオ味)を3.5ユーロ/個で購入。激安ですが、激甘でした。もともと甘いものらしいですが・・・。 -
ベルサイユ オッシュ広場。
ルイ=ラザール・オッシュはフランス革命期の軍人です。30歳で戦地ヴェツラーで病死(毒殺説もある)したそうです。ナポレオンの同僚にして最強のライバルでもあり、ナポレオンから「戦争の達人」と評された偉人です。 -
ベルサイユ 夕日に染まるルイ王の大厩舎。
狩りや戦争、儀式に使う馬を管理していた厩舎で、今は馬車博物館として活躍しています。 -
イチオシ
ベルサイユ アルム広場のルイ14世像。(夕景)
夕日を背にした凛々しいルイ14世騎馬像。
以前訪れた時にはロイヤルゲートの内側にあったルイ14世の騎馬像が、門の外に出されていました。近代アーティスト展の開催中限定なのかどうかは不明ですが、騎馬像が移動できるということにびっくりです。
ルイ14世は4歳の時にブルボン王朝第3代フランス国王に即位し、その後壊疽の悪化により76歳で逝去するまで王位の座に君臨しました。そのため、世継ぎのルイ15世は、曾孫のアンジュー公がこれまた幼年の5歳で受け継いだそうです。
ルイ14世が「太陽王」と称されるようになったのは、バレエで太陽神に扮したことが発端です。彼はバレエに魅せられ、バレエを奨励しました。バレエが今日のように体系付けられたのは、彼の功績でもあります。
リゴー作 「フランス王ルイ14世の肖像」については次の写真とコメントを参照してください。
http://4travel.jp/traveler/montsaintmichel/pict/23930846/ -
ベルサイユ アルム広場のルイ14世像。(夜景)
後方に見える角のような鉄のオブジェは、現代アーティストのベルナール・ヴネ(Bernar Venet)によるもので、周囲からは撤去の申請もあったようです。どんなに反対意見があっても決めたことを実行するところは、フランス気質と言わざるを得ません。翌朝のベルサイユ見学では、オブジェが写真の邪魔という声も多数聞かれましたが・・・。ガイドさんの責任ではないでしょうが、弁明に必死でした。
さて、何故そこまでして現代アーティストの作品を展示するかと言いますと、修理・修繕費を稼ぐためです。入場料や寄付・補助金だけではとても賄いきれないそうです。世知辛いですが、これが現実のようです。しかし、景観や中世備品鑑賞の妨げにならないような、気配りのある展示をお願いしたいと願うのは当方だけではないと思います。 -
ベルサイユ宮殿 全景。(ライトアップ)
ベルサイユ宮殿へ徒歩圏内のホテルに宿泊する醍醐味は夕景、夜景と朝焼けに染まるベルサイユ宮殿が見られることです。ディナー後、軽量三脚にコンデジを仕込んで颯爽と出かけます。ここでも寒さ対策が功を奏しました。付添いのカミさんは、相当寒かったようですが…。
ライトアップされた幻想的なベルサイユ宮殿は、中世の時代に魑魅魍魎の世界が繰り広げられた特別の場所だったことをより一層醸し出してくれます。 -
ベルサイユ宮殿。(ライトアップ)
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ベルサイユ宮殿(ライトアップ)。
ルイ16世とマリー・アントワネットが結婚式を挙げた教会です。ライトアップで神秘さが際立ちます。 -
ベルサイユ宮殿(ライトアップ)。
王の寝室や鏡の間がある宮殿正面。 -
ベルサイユ アルム広場からパリ通り方面を望む。
車のライトや街灯がこんなに明るいのに左上方に星が写り込んでいます。時刻と方位から察してヴィーナスでしょうか? -
ベルサイユ ホテル近くの遊園地。
土曜日ということもあり、子供たちの歓声が遊園地に響いていました。
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