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第6日目:待望のパリ自由行動日です.<br />本日の予定は、①ノートルダム大聖堂 ②サント・シャペル ③Bonbon Watch ④オペラ・ガルニエ ⑤ギャラリー・ラファイエット ⑥プランタン(ランチ) ⑦オランジュリー美術館 ⑧ルーヴル美術館 ⑨エトワール凱旋門(外観鑑賞)⑩マドレーヌ寺院 ⑪レオン(ディナー)⑫オペラ・ガルニエ(夜景鑑賞)と超タイトなスケジュールです。<br /><br />旅行前の計画では、ルーブルの代わりにサクレ・クール寺院、ディナー後は凱旋門に登って夜景を鑑賞する予定でした。また、その後夜景鑑賞のためコンコルド広場からパリ市庁舎までセーヌ川沿いを歩く予定でしたが、この計画は健脚者ならともかく、当方には無謀でした。セーヌ川沿いの夜景は、前夜のセーヌ川クルーズでじっくり堪能したので未練はありません。<br /><br />今回は、前編として①ノートルダム大聖堂 ~ ⑦オランジュリー美術館までをレポートいたします。<br /><br />お問い合わせの多いメトロ8号線シャラントン・エコール駅近くのMONOPRIXモノプリ(スーパーマーケット)の情報はこちらを参照してください。<br />後半部分がシャラントン・エコール駅付近やモノプリの情報です。<br />http://4travel.jp/traveler/montsaintmichel/pict/23931026/<br />

ときめきの北フランス周遊⑤ ★★★パリ 自由行動(前編)★★★

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2011/10/19 - 2011/10/26

1位(同エリア16347件中)

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

第6日目:待望のパリ自由行動日です.
本日の予定は、①ノートルダム大聖堂 ②サント・シャペル ③Bonbon Watch ④オペラ・ガルニエ ⑤ギャラリー・ラファイエット ⑥プランタン(ランチ) ⑦オランジュリー美術館 ⑧ルーヴル美術館 ⑨エトワール凱旋門(外観鑑賞)⑩マドレーヌ寺院 ⑪レオン(ディナー)⑫オペラ・ガルニエ(夜景鑑賞)と超タイトなスケジュールです。

旅行前の計画では、ルーブルの代わりにサクレ・クール寺院、ディナー後は凱旋門に登って夜景を鑑賞する予定でした。また、その後夜景鑑賞のためコンコルド広場からパリ市庁舎までセーヌ川沿いを歩く予定でしたが、この計画は健脚者ならともかく、当方には無謀でした。セーヌ川沿いの夜景は、前夜のセーヌ川クルーズでじっくり堪能したので未練はありません。

今回は、前編として①ノートルダム大聖堂 ~ ⑦オランジュリー美術館までをレポートいたします。

お問い合わせの多いメトロ8号線シャラントン・エコール駅近くのMONOPRIXモノプリ(スーパーマーケット)の情報はこちらを参照してください。
後半部分がシャラントン・エコール駅付近やモノプリの情報です。
http://4travel.jp/traveler/montsaintmichel/pict/23931026/

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
4.0
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
20万円 - 25万円
交通手段
徒歩
航空会社
エールフランス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
JTB

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  • アルシュヴェシェ橋からのノートルダム大聖堂<br />(夜明け前)。<br />最寄のバス停 Pont de Charenton(ポン・ドゥ・シャラントン)へはホテル ベスト ウェスタン ル サン モーリスから徒歩で3分程。24番Saint-Lazare(セント・ラザール)行は、ノートルダム大聖堂近くに停車します。所要時間は約30分。切符は車内では割高、おつりももらえませんので事前準備をお奨めします。当方は前々日購入したMOBILIS を利用。メトロ、バス、フニクレール(モンマルトル)、RERなどに使えます。ZONE区分の確認はこちらです。パリ市内だけならZONE1−2です。<br />http://www.transilien.com/web/jsp/jahia/templates/transilien/transilien_templates/public/jahia/plan_reseau_flash.jsp<br />MOBILISはパリ在住者限定とのネット情報もありますが、割安のこれでOKです。検札に備え、裏面に利用日と氏(Nom)名(Prenom)を記入します。MOBILISを見せ、乗車口にある自動打刻機で刻印すればOK。2回目からは打刻不要。バスの時刻と所要時間は次のサイトでチェックできます。<br />http://www.ratp.fr/itineraires/fr/ratp/recherche-avancee<br />バス停名と出発あるいは到着時刻、利用日を入力。MODEをBUS,TRUMWAYに変えます。バス停名は、例えば、Pont de CharentonならCharentonと入力してMairie, Charenton-le-Pontを選択。同様にArchevecheと入力してPont de l&#39;Archeveche, 75005, Parisを選びます。バス停名と同じ名前がないこともあり選択に戸惑います。迷ったら、とりあえず結果を見てLe Plus rapide の人マークの間がBUS24など一路線になっていれば正しいと言えます。余分な表示があれば別の名前で再検索してください。バス路線とバス停名はこちらで確認します。<br />http://www.ratp.fr/plan-interactif/cartebus.php<br />右上のボリュームでマップを拡大。次に所望の路線をクリック。左から二つ目のアイコン(路線)をクリックすると停留所がすべて表示されます。降車時は、電光掲示板に停留所名が表示されたら降車ボタンを押します。日本のバスと同じです。アナウンスのある路線もありますが、景色と掲示板が確実だと思います。景色は、Googleマップのストリート・ビューでチェックしておかれると気疲れしません。また、降車する一つ手前の停留所名を覚えておくと慌てません。これはメトロ利用時でも同じです。<br /><br />さて、メトロ利用では最寄のCharenton Ecoles(シャラントン・エコール)駅まで徒歩10分、Bastille(バスチューユ)駅で8号線から1号線に乗り換えてChatelet (シャトレ)駅から歩くことになり、所要時間の差は歴然。行動予定を組む際、ホテルの場所や最寄の交通機関(メトロなら何号線か)を踏まえて臨機応変に対処できるよういくつかオプションを用意しておくと慌てません。ツアー会社からホテル情報が届くのは出発の一週間前なので短期決戦は必至です。通常、メトロ8号線か14号線沿線のホテルになると思います。それであれば、ノートルダム大聖堂に行くならバス24番Saint-Lazare(セント・ラザール)行が一番便利です。<br />

    アルシュヴェシェ橋からのノートルダム大聖堂
    (夜明け前)。
    最寄のバス停 Pont de Charenton(ポン・ドゥ・シャラントン)へはホテル ベスト ウェスタン ル サン モーリスから徒歩で3分程。24番Saint-Lazare(セント・ラザール)行は、ノートルダム大聖堂近くに停車します。所要時間は約30分。切符は車内では割高、おつりももらえませんので事前準備をお奨めします。当方は前々日購入したMOBILIS を利用。メトロ、バス、フニクレール(モンマルトル)、RERなどに使えます。ZONE区分の確認はこちらです。パリ市内だけならZONE1−2です。
    http://www.transilien.com/web/jsp/jahia/templates/transilien/transilien_templates/public/jahia/plan_reseau_flash.jsp
    MOBILISはパリ在住者限定とのネット情報もありますが、割安のこれでOKです。検札に備え、裏面に利用日と氏(Nom)名(Prenom)を記入します。MOBILISを見せ、乗車口にある自動打刻機で刻印すればOK。2回目からは打刻不要。バスの時刻と所要時間は次のサイトでチェックできます。
    http://www.ratp.fr/itineraires/fr/ratp/recherche-avancee
    バス停名と出発あるいは到着時刻、利用日を入力。MODEをBUS,TRUMWAYに変えます。バス停名は、例えば、Pont de CharentonならCharentonと入力してMairie, Charenton-le-Pontを選択。同様にArchevecheと入力してPont de l'Archeveche, 75005, Parisを選びます。バス停名と同じ名前がないこともあり選択に戸惑います。迷ったら、とりあえず結果を見てLe Plus rapide の人マークの間がBUS24など一路線になっていれば正しいと言えます。余分な表示があれば別の名前で再検索してください。バス路線とバス停名はこちらで確認します。
    http://www.ratp.fr/plan-interactif/cartebus.php
    右上のボリュームでマップを拡大。次に所望の路線をクリック。左から二つ目のアイコン(路線)をクリックすると停留所がすべて表示されます。降車時は、電光掲示板に停留所名が表示されたら降車ボタンを押します。日本のバスと同じです。アナウンスのある路線もありますが、景色と掲示板が確実だと思います。景色は、Googleマップのストリート・ビューでチェックしておかれると気疲れしません。また、降車する一つ手前の停留所名を覚えておくと慌てません。これはメトロ利用時でも同じです。

    さて、メトロ利用では最寄のCharenton Ecoles(シャラントン・エコール)駅まで徒歩10分、Bastille(バスチューユ)駅で8号線から1号線に乗り換えてChatelet (シャトレ)駅から歩くことになり、所要時間の差は歴然。行動予定を組む際、ホテルの場所や最寄の交通機関(メトロなら何号線か)を踏まえて臨機応変に対処できるよういくつかオプションを用意しておくと慌てません。ツアー会社からホテル情報が届くのは出発の一週間前なので短期決戦は必至です。通常、メトロ8号線か14号線沿線のホテルになると思います。それであれば、ノートルダム大聖堂に行くならバス24番Saint-Lazare(セント・ラザール)行が一番便利です。

  • ノートルダム大聖堂 ジャン23世広場よりの後陣。<br />8:00頃にPont de I&#39;Archeveche( ポン・ドゥ・アルシュヴェシェ)でバスを降り、ノートルダム大聖堂の後陣側からアプローチします。後陣側はフライング・バットレス構造により、正面からから仰ぎ見る立方体の見慣れた容姿とは趣きを異にします。おどろおどろしい未確認生物(UMA)風と言うか、人によっては「風の谷のナウシカ」に登場する王蟲と例えています。また、日の出が8:30頃なので朝焼けに染まる大聖堂を拝める千載一遇のチャンスです。通常、聖堂は、西を正面、東を後陣として建てられています。大聖堂の敷地は柵で囲まれていますが、入口の柵は手で開けられます。野犬などが侵入しないようにバネ式になっており、手を離すと閉じます。<br /><br />一番目の目的地を大聖堂に決めたのは、限られた時間を有効に使って行動範囲を広げるためです。と言うのは、大聖堂は8:00時に開門します。他にはサクレ・クール寺院も早い開門ですが、通常は9:00か9:30開門です。二番目をサント・シャペルとしたのも理由があります。ここはルーヴル同様に超人気スポットですので朝一を逃すと待ち時間が長くなります。両者は徒歩で5分程の至近距離にあるので9:30開門に合わせて大聖堂で時間調整できます。<br />

    ノートルダム大聖堂 ジャン23世広場よりの後陣。
    8:00頃にPont de I'Archeveche( ポン・ドゥ・アルシュヴェシェ)でバスを降り、ノートルダム大聖堂の後陣側からアプローチします。後陣側はフライング・バットレス構造により、正面からから仰ぎ見る立方体の見慣れた容姿とは趣きを異にします。おどろおどろしい未確認生物(UMA)風と言うか、人によっては「風の谷のナウシカ」に登場する王蟲と例えています。また、日の出が8:30頃なので朝焼けに染まる大聖堂を拝める千載一遇のチャンスです。通常、聖堂は、西を正面、東を後陣として建てられています。大聖堂の敷地は柵で囲まれていますが、入口の柵は手で開けられます。野犬などが侵入しないようにバネ式になっており、手を離すと閉じます。

    一番目の目的地を大聖堂に決めたのは、限られた時間を有効に使って行動範囲を広げるためです。と言うのは、大聖堂は8:00時に開門します。他にはサクレ・クール寺院も早い開門ですが、通常は9:00か9:30開門です。二番目をサント・シャペルとしたのも理由があります。ここはルーヴル同様に超人気スポットですので朝一を逃すと待ち時間が長くなります。両者は徒歩で5分程の至近距離にあるので9:30開門に合わせて大聖堂で時間調整できます。

  • ノートルダム大聖堂 南側面。<br />大聖堂の南側面が次第にピンク色に染まってきました。<br /><br />ノートルダム大聖堂はゴシック建築を代表する建物であり、シテ島にあるローマ・カトリック教会の大聖堂。「パリのセーヌ河岸」という名称で周辺の文化遺産とともに1991年にユネスコ世界遺産に登録されています。1163年ルイ7世の時代に着工されて1345年に完成し、現在もパリ大司教座聖堂として使用されています。ノートル・ダムとは、フランス語で「我らが・貴婦人」すなわち聖母マリアを指します。<br />

    イチオシ

    ノートルダム大聖堂 南側面。
    大聖堂の南側面が次第にピンク色に染まってきました。

    ノートルダム大聖堂はゴシック建築を代表する建物であり、シテ島にあるローマ・カトリック教会の大聖堂。「パリのセーヌ河岸」という名称で周辺の文化遺産とともに1991年にユネスコ世界遺産に登録されています。1163年ルイ7世の時代に着工されて1345年に完成し、現在もパリ大司教座聖堂として使用されています。ノートル・ダムとは、フランス語で「我らが・貴婦人」すなわち聖母マリアを指します。

  • ノートルダム大聖堂 身廊。<br />敬虔深い方々がすでにお祈りに来られていますが、人影はまばらです。まだ明け遣らぬ空にステンドグラスの光も戸惑いを隠せません。<br />堂内に入って感じるのは、建築史家の言葉を借りれば仰高性です。支柱の太い柱に装飾的に付加された細い添え柱が一直線に高く伸び、尖頭アーチのリブにつながり、アーチの頂点にある要石で合体します。建築史家はこうした構造を「いと高き所に在す神」を仰ぎ見ようとした中世の人々の心の現れだと解説しています。<br /><br />内陣は長さ130m、幅48m、高さ35mあり、9000人の信者を収容する事が出来るそうです。<br /><br />ノートルダム大聖堂に関心を寄せたのは、2011年3月13日に東日本大震災の犠牲者に対するバントロワ枢機卿の追悼ミサがここで行われ、パリ市民ら約3千人が参加して義援金を募ったとの記事を読んだからです。ちなみに堂内への入場は無料です。<br />

    イチオシ

    ノートルダム大聖堂 身廊。
    敬虔深い方々がすでにお祈りに来られていますが、人影はまばらです。まだ明け遣らぬ空にステンドグラスの光も戸惑いを隠せません。
    堂内に入って感じるのは、建築史家の言葉を借りれば仰高性です。支柱の太い柱に装飾的に付加された細い添え柱が一直線に高く伸び、尖頭アーチのリブにつながり、アーチの頂点にある要石で合体します。建築史家はこうした構造を「いと高き所に在す神」を仰ぎ見ようとした中世の人々の心の現れだと解説しています。

    内陣は長さ130m、幅48m、高さ35mあり、9000人の信者を収容する事が出来るそうです。

    ノートルダム大聖堂に関心を寄せたのは、2011年3月13日に東日本大震災の犠牲者に対するバントロワ枢機卿の追悼ミサがここで行われ、パリ市民ら約3千人が参加して義援金を募ったとの記事を読んだからです。ちなみに堂内への入場は無料です。

  • ノートルダム大聖堂 内陣(ピエタ像)。<br />薄暗い内陣でひときわ強い光が注がれるスポットがあります。中央奥の金色の十字架の前で両腕を大きく広げて嘆く女性とその膝の上に横たわる男性の像。これはピエタと呼ばれる宗教彫刻です。 磔刑にかけられ、人の罪を贖い現世での死を遂げたイエス・キリストの身体を聖母マリアが膝に抱いて嘆く場面です。光と影の効果が計算されていてドラマティックに見せてくれます。ピエタの両脇にはルイ14世と先代ルイ13世の像が佇んでいます。<br /><br />1715年彫刻家ニコラ・クストゥーの作。聖母マリアが天に向かって大きく両腕を広げ、派手に嘆き悲しむ動の表現が秀逸です。表情は苦痛に歪み、“キリスト”と“聖母マリア”というよりは子供の理不尽な死を純粋に悲しむ母親という印象が濃い。

    ノートルダム大聖堂 内陣(ピエタ像)。
    薄暗い内陣でひときわ強い光が注がれるスポットがあります。中央奥の金色の十字架の前で両腕を大きく広げて嘆く女性とその膝の上に横たわる男性の像。これはピエタと呼ばれる宗教彫刻です。 磔刑にかけられ、人の罪を贖い現世での死を遂げたイエス・キリストの身体を聖母マリアが膝に抱いて嘆く場面です。光と影の効果が計算されていてドラマティックに見せてくれます。ピエタの両脇にはルイ14世と先代ルイ13世の像が佇んでいます。

    1715年彫刻家ニコラ・クストゥーの作。聖母マリアが天に向かって大きく両腕を広げ、派手に嘆き悲しむ動の表現が秀逸です。表情は苦痛に歪み、“キリスト”と“聖母マリア”というよりは子供の理不尽な死を純粋に悲しむ母親という印象が濃い。

  • ノートルダム大聖堂 内陣(西正面バラ窓)。<br />時間の経過と共に西バラ窓からも光が注がれてきました。正面入口の真上です。外側正面のマリア像が立っていた丁度裏側に当たります。大きさは直径9.6mと少し小ぶりですが、パイプオルガンの円筒が装飾のように突き出して華やかな印象を与えてくれます。3つのバラ窓の中で最も完成年代が古い物ですのでぜひ入口側も振り返って見てみてください。西バラ窓にはシャルトル・ブルーと呼称されるペパーミント・ブルーが多用されています。<br /><br />堂内は非常に天井が高いため、リブ・ヴォールトと呼ばれる弓状の支柱で補強されています。さらに外部にもフライング・バットレスが施工され、石材の重みを分散させる仕組みになっています。<br /><br />

    ノートルダム大聖堂 内陣(西正面バラ窓)。
    時間の経過と共に西バラ窓からも光が注がれてきました。正面入口の真上です。外側正面のマリア像が立っていた丁度裏側に当たります。大きさは直径9.6mと少し小ぶりですが、パイプオルガンの円筒が装飾のように突き出して華やかな印象を与えてくれます。3つのバラ窓の中で最も完成年代が古い物ですのでぜひ入口側も振り返って見てみてください。西バラ窓にはシャルトル・ブルーと呼称されるペパーミント・ブルーが多用されています。

    堂内は非常に天井が高いため、リブ・ヴォールトと呼ばれる弓状の支柱で補強されています。さらに外部にもフライング・バットレスが施工され、石材の重みを分散させる仕組みになっています。

  • ノートルダム大聖堂 内陣(北バラ窓)。<br />北バラ窓は1255年頃に造られました。直径は13mあり、かなりの迫力で圧巻です。中央には聖母マリアと幼いキリストが描かれ、その周囲には旧約聖書に登場する聖人、預言者やユダヤの王たちが描かれています。南バラ窓とは異なり青色が強調されています。これは北側から射し込む光が弱いのを考慮し、白っぽい磨ガラスを多用したからです。内部に入る光彩を明るくするために工夫した結果、青色が顕著になったようです。撮影時は夜明け間際でしたので余計青さが強調されています.陽が高くなるに連れ、白っぽい青に変化していきます。<br /><br />13世紀のガラスが残っている北バラ窓は、採光の多い南バラ窓より美しいと言う人が多いです。その理由は、ステンドグラスの製法にあるかもしれません。13世紀までは色ガラスを鉛で接着してパーツ毎にデザインを構成すると言うシンプルな工法でしたが、後世の教会のステンドグラスは透明ガラスの表面にガラス粉で絵を描いて焼き付けるエナメル技法に変わっています。後者では、ガラスカットでは表現できない細かなラインが絵筆で描けるので絵画としては高い完成度が得られますが、赤や青の色彩の発色は及ばないからです。<br /><br />凛とした空気にゆらりと揺れるロウソクの炎がとても神秘的で敬虔な気持ちになりました。神秘的なステンドグラスの輝きを何とか写真に収めようと頑張りましたが、やはり本物の美しさには敵いません。<br /><br />

    ノートルダム大聖堂 内陣(北バラ窓)。
    北バラ窓は1255年頃に造られました。直径は13mあり、かなりの迫力で圧巻です。中央には聖母マリアと幼いキリストが描かれ、その周囲には旧約聖書に登場する聖人、預言者やユダヤの王たちが描かれています。南バラ窓とは異なり青色が強調されています。これは北側から射し込む光が弱いのを考慮し、白っぽい磨ガラスを多用したからです。内部に入る光彩を明るくするために工夫した結果、青色が顕著になったようです。撮影時は夜明け間際でしたので余計青さが強調されています.陽が高くなるに連れ、白っぽい青に変化していきます。

    13世紀のガラスが残っている北バラ窓は、採光の多い南バラ窓より美しいと言う人が多いです。その理由は、ステンドグラスの製法にあるかもしれません。13世紀までは色ガラスを鉛で接着してパーツ毎にデザインを構成すると言うシンプルな工法でしたが、後世の教会のステンドグラスは透明ガラスの表面にガラス粉で絵を描いて焼き付けるエナメル技法に変わっています。後者では、ガラスカットでは表現できない細かなラインが絵筆で描けるので絵画としては高い完成度が得られますが、赤や青の色彩の発色は及ばないからです。

    凛とした空気にゆらりと揺れるロウソクの炎がとても神秘的で敬虔な気持ちになりました。神秘的なステンドグラスの輝きを何とか写真に収めようと頑張りましたが、やはり本物の美しさには敵いません。

  • ノートルダム大聖堂 <br />内陣(神に祈りを捧げるジャンヌ・ダルク像)。<br />ジャンヌ・ダルクは、百年戦争の真っ只中に突如歴史の表舞台に登場します。皇太子シャルルに謁見して軍勢を与えられると、英軍を破ってランスの大聖堂でシャルル7世として戴冠させます。その後パリ奪回に失敗し、コンピエーニュの戦いで囚われの身となります。ジャンヌはイギリスに売り渡され、宗教裁判の末に魔女として火刑に処されます。<br />百年戦争終結後、シャルル7世はジャンヌ・ダルクの名誉回復のための復権裁判を命じます。その裁判が行われたのが、このノートルダム大聖堂でした。1456年、ジャンヌ・ダルクの無実が証明され、1920年になってようやく彼女はローマ教会によって聖人に列せられました。<br />

    ノートルダム大聖堂 
    内陣(神に祈りを捧げるジャンヌ・ダルク像)。
    ジャンヌ・ダルクは、百年戦争の真っ只中に突如歴史の表舞台に登場します。皇太子シャルルに謁見して軍勢を与えられると、英軍を破ってランスの大聖堂でシャルル7世として戴冠させます。その後パリ奪回に失敗し、コンピエーニュの戦いで囚われの身となります。ジャンヌはイギリスに売り渡され、宗教裁判の末に魔女として火刑に処されます。
    百年戦争終結後、シャルル7世はジャンヌ・ダルクの名誉回復のための復権裁判を命じます。その裁判が行われたのが、このノートルダム大聖堂でした。1456年、ジャンヌ・ダルクの無実が証明され、1920年になってようやく彼女はローマ教会によって聖人に列せられました。

  • ノートルダム大聖堂 内陣(ステンドグラス)。<br />ステンドグラス一つ一つの色と光と対話しながら、繊細な絵柄を楽しみます。ノートルダム大聖堂のステンドグラスの精緻さは、群を抜いているそうです

    ノートルダム大聖堂 内陣(ステンドグラス)。
    ステンドグラス一つ一つの色と光と対話しながら、繊細な絵柄を楽しみます。ノートルダム大聖堂のステンドグラスの精緻さは、群を抜いているそうです

  • ノートルダム大聖堂 内陣(ステンドグラス)。<br />

    ノートルダム大聖堂 内陣(ステンドグラス)。

  • ノートルダム大聖堂 <br />西正面ファサード 「最後の審判の門」。<br />大聖堂の正面には3つの門があります。中央が「最後の審判の門」です。このポルタイユのタンパンには最後の審判の様子が彫られています。上段には栄光のキリストが座し、天国に迎えられる者を右手で、地獄に落とされる者を左手で指示しています。中段には死者の魂を秤にかけている大天使ミカエル、下段には墓から甦る死者たちが彫られています。この門を挟んで、向かって右側は「聖アンナの門」、左側は「聖母マリアの門」と呼ばれています。<br />

    ノートルダム大聖堂 
    西正面ファサード 「最後の審判の門」。
    大聖堂の正面には3つの門があります。中央が「最後の審判の門」です。このポルタイユのタンパンには最後の審判の様子が彫られています。上段には栄光のキリストが座し、天国に迎えられる者を右手で、地獄に落とされる者を左手で指示しています。中段には死者の魂を秤にかけている大天使ミカエル、下段には墓から甦る死者たちが彫られています。この門を挟んで、向かって右側は「聖アンナの門」、左側は「聖母マリアの門」と呼ばれています。

  • ノートルダム大聖堂 <br />西正面ファサード 「最後の審判の門」。<br />「最後の審判」のタンパン中段 ズームアップ。<br />悪魔が天秤を下から引っ張る図が彫られています。ゴシック様式の大聖堂にはこうした化け物たちの彫刻が多く見られます。扉口のアーチや柱、外壁、頂のガルグイユなど不気味な姿態でこちらを威嚇しています。ガルグイユの化け物たちは、悪霊を外に吐き出す浄化の役割と悪霊の侵入を阻む守護神の役割を担っています。化け物たちの彫刻は、異教の信仰にルーツを持つと言われます。異教の神的存在の中で、キリスト教の道徳と一致するものはそのままの形、背馳するものは悪魔や悪徳の体現物に変えて表現されています。大聖堂は象徴の森であり、その象徴によってキリスト教は広められました。<br />

    ノートルダム大聖堂 
    西正面ファサード 「最後の審判の門」。
    「最後の審判」のタンパン中段 ズームアップ。
    悪魔が天秤を下から引っ張る図が彫られています。ゴシック様式の大聖堂にはこうした化け物たちの彫刻が多く見られます。扉口のアーチや柱、外壁、頂のガルグイユなど不気味な姿態でこちらを威嚇しています。ガルグイユの化け物たちは、悪霊を外に吐き出す浄化の役割と悪霊の侵入を阻む守護神の役割を担っています。化け物たちの彫刻は、異教の信仰にルーツを持つと言われます。異教の神的存在の中で、キリスト教の道徳と一致するものはそのままの形、背馳するものは悪魔や悪徳の体現物に変えて表現されています。大聖堂は象徴の森であり、その象徴によってキリスト教は広められました。

  • ノートルダム大聖堂 <br />聖母マリアのポルタイユ横の人物彫像<br />(ヴィオレ・ル・デュック作)。<br />自分の首を抱えているサン・ドニ司教と両側で司教を支える二人の天使。伝説によると3世紀パリの初代司教 聖ドニは、ローマ帝国のキリスト教徒迫害の時、モンマルトルの丘にある処刑場まで向かう途中で斬首されました。しかし、その首を自ら持ってモンマルトルの丘を越えて現在のサン・ドニ聖堂の辺りで倒れたとのことです。<br /><br />一番左で我関せず風のポーズを決めているのは誰なのでしょうか?

    ノートルダム大聖堂 
    聖母マリアのポルタイユ横の人物彫像
    (ヴィオレ・ル・デュック作)。
    自分の首を抱えているサン・ドニ司教と両側で司教を支える二人の天使。伝説によると3世紀パリの初代司教 聖ドニは、ローマ帝国のキリスト教徒迫害の時、モンマルトルの丘にある処刑場まで向かう途中で斬首されました。しかし、その首を自ら持ってモンマルトルの丘を越えて現在のサン・ドニ聖堂の辺りで倒れたとのことです。

    一番左で我関せず風のポーズを決めているのは誰なのでしょうか?

  • ノートルダム大聖堂 バラ窓。<br />バラ窓を背にして立つ像の中央は幼いキリストを抱く聖母マリアで、その隣にはアダム(左)とイヴ(右)。この写真には写っていませんが、その下の層にはキリストの祖先、旧約聖書に登場するユダヤとイスラエルの王(ギャラリー)を表した総勢28体の彫像が並んでいます。<br /><br />フランス革命時、民衆はギャラリー像を歴代の国王と思い込み、人民を搾取してきた憎き奴らと恨みを込めて叩き壊してしまったそうです。しかし、ギロチンにかけられるというリスクをものともせず、誰かが密かに王たちの首だけを回収して極秘裏に隠しておいたそうです。1977年にモロー館という古い大邸宅の地下から21体のギャラリー像の首が発見され話題になりました。今は、クリュニー博物館に収めれられています。現在の正面の像たちは、19世紀に復元されたものです。<br /><br />旧約聖書の『創世記』では、神はエデンの園で一人で暮らすアダムに向き合う人を授けます。それがイヴで、なんとアダムが寝ている隙に肋骨を一本抜き、それを用いてイヴを造りました。しかし、神は、禁じていた「善悪の知識の樹の実」をアダムとイヴが食したことを人類初の罪とし(原罪)、エデンの園から追放します(失楽園)。これにより、人は生まれながらにして神に服従する運命を背負い、寿命が与えられ、男には労働の苦役、女には出産の苦しみがもたらされました。その後、2人はカインとアベルを授かりますが、お供え物に対する神の処遇の差が発端でカインが人類初の殺人、それも兄弟殺人を起こしてノドの地へ追放されます。三男セトは、後の「ノアの箱舟」で有名なノアの祖先となり、物語は続きます。

    ノートルダム大聖堂 バラ窓。
    バラ窓を背にして立つ像の中央は幼いキリストを抱く聖母マリアで、その隣にはアダム(左)とイヴ(右)。この写真には写っていませんが、その下の層にはキリストの祖先、旧約聖書に登場するユダヤとイスラエルの王(ギャラリー)を表した総勢28体の彫像が並んでいます。

    フランス革命時、民衆はギャラリー像を歴代の国王と思い込み、人民を搾取してきた憎き奴らと恨みを込めて叩き壊してしまったそうです。しかし、ギロチンにかけられるというリスクをものともせず、誰かが密かに王たちの首だけを回収して極秘裏に隠しておいたそうです。1977年にモロー館という古い大邸宅の地下から21体のギャラリー像の首が発見され話題になりました。今は、クリュニー博物館に収めれられています。現在の正面の像たちは、19世紀に復元されたものです。

    旧約聖書の『創世記』では、神はエデンの園で一人で暮らすアダムに向き合う人を授けます。それがイヴで、なんとアダムが寝ている隙に肋骨を一本抜き、それを用いてイヴを造りました。しかし、神は、禁じていた「善悪の知識の樹の実」をアダムとイヴが食したことを人類初の罪とし(原罪)、エデンの園から追放します(失楽園)。これにより、人は生まれながらにして神に服従する運命を背負い、寿命が与えられ、男には労働の苦役、女には出産の苦しみがもたらされました。その後、2人はカインとアベルを授かりますが、お供え物に対する神の処遇の差が発端でカインが人類初の殺人、それも兄弟殺人を起こしてノドの地へ追放されます。三男セトは、後の「ノアの箱舟」で有名なノアの祖先となり、物語は続きます。

  • ノートルダム大聖堂 西正面ファサード。<br />大聖堂手前はパルヴィ・ド・ノートルダム広場。パルヴィとは天国を意味します。中世では大聖堂の正面を天国に見立て、広場で宗教劇が演じられていたそうです。正面に並ぶイエス・キリスト、聖母マリア、諸聖人などの群像は、落ち着いた色の鉱物性顔料で美しく彩られ、背景の壁面には金箔が押されて燦然と輝いていたそうです。<br /><br />塔の高さは69mで左(北塔)の方が太くなっています。右の塔(南塔)には「エマニュエル」と呼ばれる有名な鐘があり、ヴィクトル・ユーゴー著「ノートル・ダム・ド・パリ」でせむし男のカジモドが撞く鐘です。<br /><br />心洗われるような気持ちで大聖堂を後にし、サント・シャペルへ向かいます。<br />大聖堂の北塔は9:30から登ることができ、眺望絶佳だそうです。但し、チケット購入や入場制限があり、時間の経過と共に待ち時間が長くなるようです。(パリ・ミュージアム・パスが使えます)<br />

    ノートルダム大聖堂 西正面ファサード。
    大聖堂手前はパルヴィ・ド・ノートルダム広場。パルヴィとは天国を意味します。中世では大聖堂の正面を天国に見立て、広場で宗教劇が演じられていたそうです。正面に並ぶイエス・キリスト、聖母マリア、諸聖人などの群像は、落ち着いた色の鉱物性顔料で美しく彩られ、背景の壁面には金箔が押されて燦然と輝いていたそうです。

    塔の高さは69mで左(北塔)の方が太くなっています。右の塔(南塔)には「エマニュエル」と呼ばれる有名な鐘があり、ヴィクトル・ユーゴー著「ノートル・ダム・ド・パリ」でせむし男のカジモドが撞く鐘です。

    心洗われるような気持ちで大聖堂を後にし、サント・シャペルへ向かいます。
    大聖堂の北塔は9:30から登ることができ、眺望絶佳だそうです。但し、チケット購入や入場制限があり、時間の経過と共に待ち時間が長くなるようです。(パリ・ミュージアム・パスが使えます)

  • 裁判所(中央)とサント・シャペル尖塔(左)。<br />9:30開門に合わせ9:15にセキュリティチェックに並ぶと、すでに10名程並んでいました。(日本人が半数)敷地内への入口は2箇所隣り合わせにあり、建物に向かって右側の列がサント・シャペル見学者用、左側の列が裁判所関係者用です。チェック後に出る所は同じです。間違って並ぶと並び直すように指示されるようですのでご注意を。サント・シャペルは裁判所と敷地が同じなためにエアポート並みの厳重なセキュリティチェックがなされ、これに時間を費やします。セキュリティチェック(裁判所/サント・シャペル入口)は写真を左手をに少し進んだ所にあります。<br /><br />裁判所の正面の柵には3箇所の扉が見えます。中央が王宮の門のような贅沢な装飾のある門。その左側の開いている小さな門が、この敷地からの出口になります。警備の人が立っており、ここからは入ることはできません。<br /><br /><br />

    裁判所(中央)とサント・シャペル尖塔(左)。
    9:30開門に合わせ9:15にセキュリティチェックに並ぶと、すでに10名程並んでいました。(日本人が半数)敷地内への入口は2箇所隣り合わせにあり、建物に向かって右側の列がサント・シャペル見学者用、左側の列が裁判所関係者用です。チェック後に出る所は同じです。間違って並ぶと並び直すように指示されるようですのでご注意を。サント・シャペルは裁判所と敷地が同じなためにエアポート並みの厳重なセキュリティチェックがなされ、これに時間を費やします。セキュリティチェック(裁判所/サント・シャペル入口)は写真を左手をに少し進んだ所にあります。

    裁判所の正面の柵には3箇所の扉が見えます。中央が王宮の門のような贅沢な装飾のある門。その左側の開いている小さな門が、この敷地からの出口になります。警備の人が立っており、ここからは入ることはできません。


  • 裁判所(中央)とコンシェルジュリー(右)。<br />右手に見えるのがコンシェルジュリーの一角です。入口は写真を右へ行ってすぐの所です。小さく、目立たないので見落とす方が多いようです。<br /><br />コンシェルジュリーは元々フィリップ4世の宮殿でしたが、14世紀後半には牢獄となります。18世紀のフランス革命の際には多くの王族、貴族などの旧体制派が収容され、当時はその牢獄に入るとかならず死刑になるので「死の牢獄」「ギロチン控えの間」と呼ばれました。マリー・アントワネットは囚人280号(鉄人28号ではありません)として幽門され、最後の2ヵ月半をここで過ごしました。夫のルイ16世は既にギロチンにかけられ、愛する子供達とも引き離され、喪服姿に白い帽子をかぶって座っているマリー・アントワネットの様子が再現されています。(ミュージアム・パスが使えます。また、サント・シャペルとセットの割引チケットもあり。)<br />

    裁判所(中央)とコンシェルジュリー(右)。
    右手に見えるのがコンシェルジュリーの一角です。入口は写真を右へ行ってすぐの所です。小さく、目立たないので見落とす方が多いようです。

    コンシェルジュリーは元々フィリップ4世の宮殿でしたが、14世紀後半には牢獄となります。18世紀のフランス革命の際には多くの王族、貴族などの旧体制派が収容され、当時はその牢獄に入るとかならず死刑になるので「死の牢獄」「ギロチン控えの間」と呼ばれました。マリー・アントワネットは囚人280号(鉄人28号ではありません)として幽門され、最後の2ヵ月半をここで過ごしました。夫のルイ16世は既にギロチンにかけられ、愛する子供達とも引き離され、喪服姿に白い帽子をかぶって座っているマリー・アントワネットの様子が再現されています。(ミュージアム・パスが使えます。また、サント・シャペルとセットの割引チケットもあり。)

  • サント・シャペル外観(西正面入口)。<br />チェックを終え、右側の裁判所の方には行かずにシャペル建屋沿いに左側へ道形に進むと西正面入口があります。チケットは教会の入口左側で購入できます。当方は国内であらかじめ入手しておいたフリー・パスを提示して入ります。これはパリ・ミュージアム・パスと言い、ベルサイユ宮殿やルーヴル美術館など著名なミュージアムで利用できる優れものです。一日では元を取れないこともありますが、それが無理でも次の点で重宝します。一日乗車券のMOBILISも同様の考え方です。<br />①チケット窓口で財布を出す必要がなく、スリに狙われにくい。<br />②チケット窓口で並ぶ必要がないので時間の節約ができる。<br />後でレポートしますが、オランジュリー、オルセー、ルーヴル美術館、ベルサイユ宮殿ではMパス専用の入り口があります。国内でMパスを入手できるサイトは次を参照してください。他にも数件あります。<br />http://www.tourdesk.co.jp/decollage/museum.html<br />現地で購入するより若干割高ですが、出発2週間前発注なら確実に入手できます。ただし、有効期間が購入年の年末までと記されていますので、年をまたいで利用する際には購入サイトへ確認して下さい。2、3、5日間使える種類があります。2日用Mパスは¥3,900 (2011年11月現在)。<br />

    サント・シャペル外観(西正面入口)。
    チェックを終え、右側の裁判所の方には行かずにシャペル建屋沿いに左側へ道形に進むと西正面入口があります。チケットは教会の入口左側で購入できます。当方は国内であらかじめ入手しておいたフリー・パスを提示して入ります。これはパリ・ミュージアム・パスと言い、ベルサイユ宮殿やルーヴル美術館など著名なミュージアムで利用できる優れものです。一日では元を取れないこともありますが、それが無理でも次の点で重宝します。一日乗車券のMOBILISも同様の考え方です。
    ①チケット窓口で財布を出す必要がなく、スリに狙われにくい。
    ②チケット窓口で並ぶ必要がないので時間の節約ができる。
    後でレポートしますが、オランジュリー、オルセー、ルーヴル美術館、ベルサイユ宮殿ではMパス専用の入り口があります。国内でMパスを入手できるサイトは次を参照してください。他にも数件あります。
    http://www.tourdesk.co.jp/decollage/museum.html
    現地で購入するより若干割高ですが、出発2週間前発注なら確実に入手できます。ただし、有効期間が購入年の年末までと記されていますので、年をまたいで利用する際には購入サイトへ確認して下さい。2、3、5日間使える種類があります。2日用Mパスは¥3,900 (2011年11月現在)。

  • サント・シャペル 内陣(上階)。<br />入口を入ると前方の赤、青、金色の装飾が目に留まりますが、誘惑を振り切り、入ってすぐの向かって左側の狭い螺旋階段を登りましょう。地上階は王家の使用人のための礼拝堂、上階が王家のための礼拝堂です。なぜ地上階を先に見ないかと申しますと、荘厳な煌めきを独り占めとはいかないまでも、見学者が少なければ少ないほど感激の度合いが膨らむためです。折角朝一に並び、Mパスも準備してきたのですから、当然の権利を行使しない手はありません。<br /><br />上階に上がり360°全面を覆うステンドグラス群と対面した瞬間、誰もが絶句してその場に立ち尽くし、次の瞬間感嘆の声を漏らさずにはいられません。撮影したビデオには大勢の人の感嘆の声が録音されていました。ステンドグラスの霊妙な五彩の輝きに満ちた荘厳な空間で、誰しも夢幻の世界に迷い込んだ錯覚に陥ります。色彩の美しさといい、輝き具合といい、他に類を見ない出来栄えです。例えるなら、万華鏡の中に迷い込んでしまったような感覚です。<br /><br />

    サント・シャペル 内陣(上階)。
    入口を入ると前方の赤、青、金色の装飾が目に留まりますが、誘惑を振り切り、入ってすぐの向かって左側の狭い螺旋階段を登りましょう。地上階は王家の使用人のための礼拝堂、上階が王家のための礼拝堂です。なぜ地上階を先に見ないかと申しますと、荘厳な煌めきを独り占めとはいかないまでも、見学者が少なければ少ないほど感激の度合いが膨らむためです。折角朝一に並び、Mパスも準備してきたのですから、当然の権利を行使しない手はありません。

    上階に上がり360°全面を覆うステンドグラス群と対面した瞬間、誰もが絶句してその場に立ち尽くし、次の瞬間感嘆の声を漏らさずにはいられません。撮影したビデオには大勢の人の感嘆の声が録音されていました。ステンドグラスの霊妙な五彩の輝きに満ちた荘厳な空間で、誰しも夢幻の世界に迷い込んだ錯覚に陥ります。色彩の美しさといい、輝き具合といい、他に類を見ない出来栄えです。例えるなら、万華鏡の中に迷い込んでしまったような感覚です。

  • サント・シャペル 祭壇(上階)。 <br />時々刻々と煌きを増し、彩光を進化させるステンドグラスを見上げていると、あっという間に時間が過ぎて行きます。小1時間ほど滞在したでしょうか? 壁際には座って観賞できるように椅子が並べられており、とても居心地の良い空間でした。ノートルダム大聖堂のバラ窓もすばらしかったですが、見学順序が逆ならバラ窓の感動は幾分目減りしていたと思います。<br /><br />ステンドグラスには旧約聖書と新約聖書のシーンが順番に描かれているそうです。教会のステンドグラスのルーツは、元々聖書の各場面を絵で示すことで当時識字率の低かった庶民層に浸透させるのが目的だったそうです。言わば「見る聖書」。バラ窓の下には日本語のステンドグラス・ガイドも準備されていますので椅子に腰かけて描かれた物語を読み解いていくのも贅沢ではありませんか?

    イチオシ

    サント・シャペル 祭壇(上階)。 
    時々刻々と煌きを増し、彩光を進化させるステンドグラスを見上げていると、あっという間に時間が過ぎて行きます。小1時間ほど滞在したでしょうか? 壁際には座って観賞できるように椅子が並べられており、とても居心地の良い空間でした。ノートルダム大聖堂のバラ窓もすばらしかったですが、見学順序が逆ならバラ窓の感動は幾分目減りしていたと思います。

    ステンドグラスには旧約聖書と新約聖書のシーンが順番に描かれているそうです。教会のステンドグラスのルーツは、元々聖書の各場面を絵で示すことで当時識字率の低かった庶民層に浸透させるのが目的だったそうです。言わば「見る聖書」。バラ窓の下には日本語のステンドグラス・ガイドも準備されていますので椅子に腰かけて描かれた物語を読み解いていくのも贅沢ではありませんか?

  • サント・シャペル 内陣(上階)。<br />サント・シャペルとは「聖なる礼拝堂」、パリ中心部のシテ島にあり、後期ゴシック建築の最高傑作と言われています。正に建築美の極致で視覚的に最も美しく、鳥かごを彷彿させる構造物に埋め込まれたステンドグラスには聖書の教えが描かれ、パリ最古かつ世界で最も美しいと言われています。ルイ9世がコンスタンティノーブルから買い求めたキリストの聖遺物、荊の冠や十字架の木片を納めるために造らせた礼拝堂で1248年に完成。鎌倉の大仏と同年代です。現在それらの宝物のほとんどはフランス革命で焼かれ、かろうじて焼け残った荊冠と十字架はノートダム大聖堂の贓品となっています。<br />完成後、革命などの歴史を経ているにも関わらず当時から残っているパリ最古のステンドグラスを見られる場所なので、優美と言うだけでなく歴史的な意味でも必見です。<br />

    サント・シャペル 内陣(上階)。
    サント・シャペルとは「聖なる礼拝堂」、パリ中心部のシテ島にあり、後期ゴシック建築の最高傑作と言われています。正に建築美の極致で視覚的に最も美しく、鳥かごを彷彿させる構造物に埋め込まれたステンドグラスには聖書の教えが描かれ、パリ最古かつ世界で最も美しいと言われています。ルイ9世がコンスタンティノーブルから買い求めたキリストの聖遺物、荊の冠や十字架の木片を納めるために造らせた礼拝堂で1248年に完成。鎌倉の大仏と同年代です。現在それらの宝物のほとんどはフランス革命で焼かれ、かろうじて焼け残った荊冠と十字架はノートダム大聖堂の贓品となっています。
    完成後、革命などの歴史を経ているにも関わらず当時から残っているパリ最古のステンドグラスを見られる場所なので、優美と言うだけでなく歴史的な意味でも必見です。

  • サント・シャペル バラ窓(上階)。<br />バラ窓も万華鏡のようで言葉を失います。どうしても視線は光彩の豊かな後陣へ奪われがちですが、一度振り返って見てください。祭壇と向かい合う形で素晴らしく繊細かつ優美なバラ窓が光り輝いています。<br /><br />内陣の撮影は夜景モード、ISO感度800に設定しています。このシーズンは日の出時刻が8:30くらいなのでまだ薄暗いです。陽が高くなるとステンドグラスは燦々と輝くそうですが、薄暗い灯りの中に浮き出るダーク・ブルーのステンドグラスも至高です。

    サント・シャペル バラ窓(上階)。
    バラ窓も万華鏡のようで言葉を失います。どうしても視線は光彩の豊かな後陣へ奪われがちですが、一度振り返って見てください。祭壇と向かい合う形で素晴らしく繊細かつ優美なバラ窓が光り輝いています。

    内陣の撮影は夜景モード、ISO感度800に設定しています。このシーズンは日の出時刻が8:30くらいなのでまだ薄暗いです。陽が高くなるとステンドグラスは燦々と輝くそうですが、薄暗い灯りの中に浮き出るダーク・ブルーのステンドグラスも至高です。

  • サント・シャペル 祭壇(地上階)。<br />地上階も負けず劣らず見事にキンキラキンです。金、青、赤の配色の巧妙さに目を奪われます。壁が厚く、窓も小さくなっていますが、とても使用人のための礼拝堂とは思えません。実は、派手な彩色は19世紀に施されたもので、教会が造られた13世紀当時はこんなに色使いが鮮やかではなかったそうです。

    サント・シャペル 祭壇(地上階)。
    地上階も負けず劣らず見事にキンキラキンです。金、青、赤の配色の巧妙さに目を奪われます。壁が厚く、窓も小さくなっていますが、とても使用人のための礼拝堂とは思えません。実は、派手な彩色は19世紀に施されたもので、教会が造られた13世紀当時はこんなに色使いが鮮やかではなかったそうです。

  • サント・シャペル 祭壇(地上階)。<br />後ろ髪を引かれる思いで次の目的地であるコンシェルジュリーへ向かいます。<br />

    サント・シャペル 祭壇(地上階)。
    後ろ髪を引かれる思いで次の目的地であるコンシェルジュリーへ向かいます。

  • 最高裁判所。<br />セキュリティチェックからの出口をやり過ごし、裁判所の敷地内へ足を踏み入れます。セキュリティチェック後、道に迷ったという話をネットで読みますが、本来左側に行くべき所、見学を終えた人の波に流されて右側へ出てしまったということではないかと憶測します。<br />裁判所の玄関のアーチの上には、よく見るとLiberte、Ecglite、Fraterniteの文字が確認できます。そうです、自由・平等・博愛です。重厚な雰囲気が漂うフランス法曹界の核心地です。ここも15世紀までは王宮の一部でした。<br /><br />裁判所の敷地内からの出口は、目立つ大きな金色の門ではなく、その手前の目立たない小さな門になります。その奥にも開放された門がありますが、車両の出入り口のようです。<br />

    最高裁判所。
    セキュリティチェックからの出口をやり過ごし、裁判所の敷地内へ足を踏み入れます。セキュリティチェック後、道に迷ったという話をネットで読みますが、本来左側に行くべき所、見学を終えた人の波に流されて右側へ出てしまったということではないかと憶測します。
    裁判所の玄関のアーチの上には、よく見るとLiberte、Ecglite、Fraterniteの文字が確認できます。そうです、自由・平等・博愛です。重厚な雰囲気が漂うフランス法曹界の核心地です。ここも15世紀までは王宮の一部でした。

    裁判所の敷地内からの出口は、目立つ大きな金色の門ではなく、その手前の目立たない小さな門になります。その奥にも開放された門がありますが、車両の出入り口のようです。

  • シャンジュ橋から振り返るコンシェルジュリー。<br />コンシェルジュリーは裁判所を挟んでサント・シャペルの対面にあります。裁判所敷地からの出口から30m程の所に目立たない入口があり、なにやらフランス語で張り紙がしてあります。声を掛けてみましたが、入れないという仕草。張紙の11月29日は読み取れましたが、それまで閉館ということなのか?そういえば時計台や塔の辺りが工事中のようです。仕方がないので潔くスキップし、Bonbon Watchオペラ店へ駒を進めます。セーヌ川の先に見えるのはポン・ヌフ橋です。日本語で新橋ですが、1607年に完成したパリで最古の橋です。<br /><br />

    シャンジュ橋から振り返るコンシェルジュリー。
    コンシェルジュリーは裁判所を挟んでサント・シャペルの対面にあります。裁判所敷地からの出口から30m程の所に目立たない入口があり、なにやらフランス語で張り紙がしてあります。声を掛けてみましたが、入れないという仕草。張紙の11月29日は読み取れましたが、それまで閉館ということなのか?そういえば時計台や塔の辺りが工事中のようです。仕方がないので潔くスキップし、Bonbon Watchオペラ店へ駒を進めます。セーヌ川の先に見えるのはポン・ヌフ橋です。日本語で新橋ですが、1607年に完成したパリで最古の橋です。

  • サン・ジャック塔。<br />セーヌ川に架かるシャンジュ橋を渡るとシャトレ公園からサン・ジャック塔を見上げることができます。メトロ Chatelet (シャトレ)駅への入口はGoogleマップのストリート・ビューで確認しておかれると迷いません。なんせ、メトロの看板は目立ち難いので・・・。<br />メトロは7号線に乗りますが、どこ行きに乗れば良いか終着駅名を確認しておきます。シャトレ駅からオペラ駅へ行くなら、La Courneuve 8 Mai 1945行きです。<br /><br />サン・ジャック塔の高さは62m(含、彫刻)。当時存在したサン・ジャック・ド・ラ・ブシュリ教会の鐘楼で、1509年〜1523年に造られました。ブシュリとは肉屋、食肉業の意味でこの辺は肉屋街だったそうです。 しかし教会はフランス革命時に取り壊され、塔だけが残りました。その後、狩猟用の銃弾の鋳造所として使われましたが、1836年にパリ市が買い上げ、1850年代に建築家テオドール・バリュにより改築再建されました。この塔はパスカルが大気圧の実験をしたことでも知られており、塔の真下にパスカルの全身像が飾られ、塔上部には気象観測装置が置かれています。

    サン・ジャック塔。
    セーヌ川に架かるシャンジュ橋を渡るとシャトレ公園からサン・ジャック塔を見上げることができます。メトロ Chatelet (シャトレ)駅への入口はGoogleマップのストリート・ビューで確認しておかれると迷いません。なんせ、メトロの看板は目立ち難いので・・・。
    メトロは7号線に乗りますが、どこ行きに乗れば良いか終着駅名を確認しておきます。シャトレ駅からオペラ駅へ行くなら、La Courneuve 8 Mai 1945行きです。

    サン・ジャック塔の高さは62m(含、彫刻)。当時存在したサン・ジャック・ド・ラ・ブシュリ教会の鐘楼で、1509年〜1523年に造られました。ブシュリとは肉屋、食肉業の意味でこの辺は肉屋街だったそうです。 しかし教会はフランス革命時に取り壊され、塔だけが残りました。その後、狩猟用の銃弾の鋳造所として使われましたが、1836年にパリ市が買い上げ、1850年代に建築家テオドール・バリュにより改築再建されました。この塔はパスカルが大気圧の実験をしたことでも知られており、塔の真下にパスカルの全身像が飾られ、塔上部には気象観測装置が置かれています。

  • オペラ・ガルニエ。<br />Opera(オペラ)駅から地上に出るとオペラ・ガルニエが間近に迫ります。<br />中段の丸窓にある彫刻は、向かって左から3つ目がベートベン、4つ目がモーツァルトです。<br /><br />オペラ座の礎石が置かれたのは1862年。この豪華な外観や内装からはとても想像できませんが、完成するまでの13年間には1870年の普仏戦争で工事は中断され、一時は食料貯蔵庫として使われていたそうです。そんな暗い歴史を微塵も見せない豪華絢爛なオペラ・ガルニエは、21億6000万フランかけて造られました。もし当時パリに生まれていたとしても、敷居が高過ぎて訪れる機会はなかったかも?そう考えると、わずか1000円程の入場料で豪華絢爛な建物を自由に見学できる現代に生まれて本当に良かったなとしみじみ思うのです。

    オペラ・ガルニエ。
    Opera(オペラ)駅から地上に出るとオペラ・ガルニエが間近に迫ります。
    中段の丸窓にある彫刻は、向かって左から3つ目がベートベン、4つ目がモーツァルトです。

    オペラ座の礎石が置かれたのは1862年。この豪華な外観や内装からはとても想像できませんが、完成するまでの13年間には1870年の普仏戦争で工事は中断され、一時は食料貯蔵庫として使われていたそうです。そんな暗い歴史を微塵も見せない豪華絢爛なオペラ・ガルニエは、21億6000万フランかけて造られました。もし当時パリに生まれていたとしても、敷居が高過ぎて訪れる機会はなかったかも?そう考えると、わずか1000円程の入場料で豪華絢爛な建物を自由に見学できる現代に生まれて本当に良かったなとしみじみ思うのです。

  • オペラ・ガルニエ。<br />間近からの写真も迫力があっていいのですが、緑青色のドームが象徴的な建物ですので少しルーヴル側へ戻った辺りでベスト・ショット・ポイントを探します。横断歩道の途中でカメラを構え、両側のビル群で遠近効果を強調したショットです。「オペラ・ガルニエの眺望を楽しむ邪魔にならないように」という皇帝の望みのままに街路には木が1本も植えられていません。夜景の写真は次を参照してください。<br />http://4travel.jp/traveler/montsaintmichel/pict/23931026/<br /><br />

    イチオシ

    オペラ・ガルニエ。
    間近からの写真も迫力があっていいのですが、緑青色のドームが象徴的な建物ですので少しルーヴル側へ戻った辺りでベスト・ショット・ポイントを探します。横断歩道の途中でカメラを構え、両側のビル群で遠近効果を強調したショットです。「オペラ・ガルニエの眺望を楽しむ邪魔にならないように」という皇帝の望みのままに街路には木が1本も植えられていません。夜景の写真は次を参照してください。
    http://4travel.jp/traveler/montsaintmichel/pict/23931026/

  • オペラ・ガルニエ。<br />ズームショットも味が出せます。<br />切妻屋根の頂上には、ミレー作の金色の竪琴を天空に掲げたアポロン神が聳え立っています。陽が高くなると竪琴は写り難いとの情報だったのでラッキーです。この位置からだと、まるでドームの頂点に君臨しているかのように錯覚してしまいます。アポロンはギリシャ神話では太陽の神ですが、秩序(律法)の保護者であると共に音楽を司り、竪琴の演奏をこよなく愛する神でもあります。<br /><br />ファサード両端の頂きで金色に燦然と輝く天使像は、ムーサの女神です。ムーサとは芸術を司る7人の女神のこと。対になったブロンズ像はギュメリーの作品で、向かって左はハーモニー(調和)、右がポエジー(詩)です。<br /><br />切妻屋根の両端には、両翼を羽ばたかせて今にも飛び立たんとする Eugene-Louis Lequesne作のペガサスのブロンズ像があります。ペガサスは、ヘルメスによってメドゥーサが倒された時に地に落ちた血から生まれたとされています。その後、ムーサの女神達の乗り物となりました。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

    オペラ・ガルニエ。
    ズームショットも味が出せます。
    切妻屋根の頂上には、ミレー作の金色の竪琴を天空に掲げたアポロン神が聳え立っています。陽が高くなると竪琴は写り難いとの情報だったのでラッキーです。この位置からだと、まるでドームの頂点に君臨しているかのように錯覚してしまいます。アポロンはギリシャ神話では太陽の神ですが、秩序(律法)の保護者であると共に音楽を司り、竪琴の演奏をこよなく愛する神でもあります。

    ファサード両端の頂きで金色に燦然と輝く天使像は、ムーサの女神です。ムーサとは芸術を司る7人の女神のこと。対になったブロンズ像はギュメリーの作品で、向かって左はハーモニー(調和)、右がポエジー(詩)です。

    切妻屋根の両端には、両翼を羽ばたかせて今にも飛び立たんとする Eugene-Louis Lequesne作のペガサスのブロンズ像があります。ペガサスは、ヘルメスによってメドゥーサが倒された時に地に落ちた血から生まれたとされています。その後、ムーサの女神達の乗り物となりました。








  • Bonbon Watch(ボンボン・ウォッチ オペラ店)。<br />オペラ・ガルニエ見学は後に回し、カミさんが年甲斐もなく虜になっているBonbon Watch(bonbon=リボン)に向かいます。大禍なく30年間勤続できたのも内助の功の賜物です。カミさん孝行もきっちり予定に組入れて労います。場所はオペラ・ガルニエ前のカプシーヌ通りを西へ70m程の右手です。小さなショップですが、オレンジ色のリボンが目印。営業時間は10:45開店 、19:00閉店。定休日は日曜日と祝日。土曜日の情報はありませんが、午前中に訪れるのがベターと思います。オペラ店では日本人マダムが対応してくれるとのネット情報がありましたが、念のためフランス語でリストを作っておいたことが奏功しました。Bonbon Watchが紹介されたマガジン『るるぶ』を持参したのでペンダント・トップをいただきました。パリにもう一軒あるシャンゼリゼ通り近くのショップは、こちらを参照してください.営業時間は、10:30〜19:30です。<br />http://paris.navi.com/shop/119/<br />日本のWEBショップはこちらです。<br />http://www.bonbonwatch.co.jp/<br />カミさん曰く「国内の半値くらいで買えた」との事。勿論、免税ペイバック(12%)を含めての話ですが・・・。ちなみに購入時の為替レートは、102円/ユーロでした。<br /><br />一軒のショップで一日に合計175ユーロ以上購入すると免税手続きができます。空港の税関での手続きは続編でレポートします。ちなみにデパートではどのショップで購入したものでも合算できます。例外として、ギャラリー・ラファイエットの地下階にあるMONOPRIXでの買い物は対象外となるようです。<br /><br />

    Bonbon Watch(ボンボン・ウォッチ オペラ店)。
    オペラ・ガルニエ見学は後に回し、カミさんが年甲斐もなく虜になっているBonbon Watch(bonbon=リボン)に向かいます。大禍なく30年間勤続できたのも内助の功の賜物です。カミさん孝行もきっちり予定に組入れて労います。場所はオペラ・ガルニエ前のカプシーヌ通りを西へ70m程の右手です。小さなショップですが、オレンジ色のリボンが目印。営業時間は10:45開店 、19:00閉店。定休日は日曜日と祝日。土曜日の情報はありませんが、午前中に訪れるのがベターと思います。オペラ店では日本人マダムが対応してくれるとのネット情報がありましたが、念のためフランス語でリストを作っておいたことが奏功しました。Bonbon Watchが紹介されたマガジン『るるぶ』を持参したのでペンダント・トップをいただきました。パリにもう一軒あるシャンゼリゼ通り近くのショップは、こちらを参照してください.営業時間は、10:30〜19:30です。
    http://paris.navi.com/shop/119/
    日本のWEBショップはこちらです。
    http://www.bonbonwatch.co.jp/
    カミさん曰く「国内の半値くらいで買えた」との事。勿論、免税ペイバック(12%)を含めての話ですが・・・。ちなみに購入時の為替レートは、102円/ユーロでした。

    一軒のショップで一日に合計175ユーロ以上購入すると免税手続きができます。空港の税関での手続きは続編でレポートします。ちなみにデパートではどのショップで購入したものでも合算できます。例外として、ギャラリー・ラファイエットの地下階にあるMONOPRIXでの買い物は対象外となるようです。

  • オペラ・ガルニエ見学者用入口(皇帝のロトンダ)。<br />見学者用入口は正面ではなく、向かって左側面の中央部の円筒状エントランスにあります。次のHPを参照してください。一番下のマップをクリックすると見学者用入口へ導いてくれます。<br />http://www.operadeparis.fr/cns11/live/onp/pratique/visites/Palais_Garnier/index.php?&amp;lang=en<br />ここはMパスは使えません。また、見学にはフリーとガイドコースがあり、前者は9ユーロです。ガイドコースは英語と仏語ですが、特別な観客席に案内してもらえるようです。当方は幸運にも間違えてそのボックス席からマルク・シャーガールの天井画を仰ぎ見ましたが・・・。<br /><br />オペラ・ガルニエはナポレオン3世統治下の第2帝政時代に進められたパリ大改造計画の一環として建立されました。デザイン・コンペにより171ものプランが集まり、その中からまだ無名だった35歳のシャルル・ガルニエの案が選ばれて古典様式とバロック様式を大胆に取り入れたネオ・ゴッシク建築の劇場が1875年に完成しました。<br /><br />ロトンダというのは“丸屋根の建物”の意で、当時の国家元首ナポレオン3世が馬車で安全にオペラ座内へ乗り入れできるように造られました。しかし、帝政崩壊で計画は中断。ガルニエは計画の変更に反対したものの、国の資金提供による建築事業では自己を貫き通すのが難しかったようです。華やかな雰囲気は極力残したまま、最終的には図書・博物館として完成。図書・博物館はオペラ座の昼の見学で同時入館可能です。奥まった所にあるので見つけ難いですが、柵の設けてある場所以外は見学可能なので探してみてください。

    オペラ・ガルニエ見学者用入口(皇帝のロトンダ)。
    見学者用入口は正面ではなく、向かって左側面の中央部の円筒状エントランスにあります。次のHPを参照してください。一番下のマップをクリックすると見学者用入口へ導いてくれます。
    http://www.operadeparis.fr/cns11/live/onp/pratique/visites/Palais_Garnier/index.php?&lang=en
    ここはMパスは使えません。また、見学にはフリーとガイドコースがあり、前者は9ユーロです。ガイドコースは英語と仏語ですが、特別な観客席に案内してもらえるようです。当方は幸運にも間違えてそのボックス席からマルク・シャーガールの天井画を仰ぎ見ましたが・・・。

    オペラ・ガルニエはナポレオン3世統治下の第2帝政時代に進められたパリ大改造計画の一環として建立されました。デザイン・コンペにより171ものプランが集まり、その中からまだ無名だった35歳のシャルル・ガルニエの案が選ばれて古典様式とバロック様式を大胆に取り入れたネオ・ゴッシク建築の劇場が1875年に完成しました。

    ロトンダというのは“丸屋根の建物”の意で、当時の国家元首ナポレオン3世が馬車で安全にオペラ座内へ乗り入れできるように造られました。しかし、帝政崩壊で計画は中断。ガルニエは計画の変更に反対したものの、国の資金提供による建築事業では自己を貫き通すのが難しかったようです。華やかな雰囲気は極力残したまま、最終的には図書・博物館として完成。図書・博物館はオペラ座の昼の見学で同時入館可能です。奥まった所にあるので見つけ難いですが、柵の設けてある場所以外は見学可能なので探してみてください。

  • オペラ・ガルニエ見学者用入口(街灯)。<br />芸術的な街灯です。海賊船のようなものが柱に放射状にめり込んでいるようにしか見えません。船尾から突き出している鋭いナイフのような3本の切っ先は、鳥おどしなのでしょうか?<br />

    オペラ・ガルニエ見学者用入口(街灯)。
    芸術的な街灯です。海賊船のようなものが柱に放射状にめり込んでいるようにしか見えません。船尾から突き出している鋭いナイフのような3本の切っ先は、鳥おどしなのでしょうか?

  • オペラ・ガルニエ(常連客のロトンダ)。<br />入口を入ると常連客のロトンダという休憩フロアが出迎えてくれます。ここもゴージャスです。

    オペラ・ガルニエ(常連客のロトンダ)。
    入口を入ると常連客のロトンダという休憩フロアが出迎えてくれます。ここもゴージャスです。

  • オペラ・ガルニエ。<br />薄暗いですが、その分シャンデリアの灯りが強調されて荘厳な雰囲気を醸し出しています。装飾も煌びやかです。色彩鮮やかな大理石の円柱30本と白い大理石のステップは、まさに大理石の祭典と言えるでしょう。天井のフレスコ画は、アポロンをテーマに描かれています。

    オペラ・ガルニエ。
    薄暗いですが、その分シャンデリアの灯りが強調されて荘厳な雰囲気を醸し出しています。装飾も煌びやかです。色彩鮮やかな大理石の円柱30本と白い大理石のステップは、まさに大理石の祭典と言えるでしょう。天井のフレスコ画は、アポロンをテーマに描かれています。

  • オペラ・ガルニエ(大階段グラン・エスカリエ)。<br />正面のオペラ鑑賞入口から入るとこんな感じで出迎えてくれます。ガルニエ建築の白眉として名高いこの場所は、微妙な曲線を描く白大理石で作られた滑らかな階段と高さ30mの吹き抜けの丸天井、美しい天井のフレスコ画で構成され、階段の一番下にはカリエ・ベルーズが手掛けたブロンズ製の飾り大燭台があります。光のブーケを手にした2体の厳かな女性像が、大ホールへと続く階段を照らしています。<br /><br />「もし私が一日だけオペラ座の総監督だったら、最高の衣装を身に纏った歌手達に中央ロビーと大階段で歌ってもらうだろう!(中略) 幾つもの声が壮大な歌となって響き、壁を震わせ、合唱隊の声が高く重なり、その全てが一体となって、扉・衣装・緞帳・・・そして優雅で力強い大理石に映り、はね返る!」とシャルル・ガルニエ自身、著作『パリの新オペラ座』で溢れんばかりの心情を吐露しています。<br /><br /><br /><br /><br />

    オペラ・ガルニエ(大階段グラン・エスカリエ)。
    正面のオペラ鑑賞入口から入るとこんな感じで出迎えてくれます。ガルニエ建築の白眉として名高いこの場所は、微妙な曲線を描く白大理石で作られた滑らかな階段と高さ30mの吹き抜けの丸天井、美しい天井のフレスコ画で構成され、階段の一番下にはカリエ・ベルーズが手掛けたブロンズ製の飾り大燭台があります。光のブーケを手にした2体の厳かな女性像が、大ホールへと続く階段を照らしています。

    「もし私が一日だけオペラ座の総監督だったら、最高の衣装を身に纏った歌手達に中央ロビーと大階段で歌ってもらうだろう!(中略) 幾つもの声が壮大な歌となって響き、壁を震わせ、合唱隊の声が高く重なり、その全てが一体となって、扉・衣装・緞帳・・・そして優雅で力強い大理石に映り、はね返る!」とシャルル・ガルニエ自身、著作『パリの新オペラ座』で溢れんばかりの心情を吐露しています。




  • オペラ・ガルニエ(大階段の広間)。<br />大階段の広間は、オペラ・ガルニエの中で最も名高い場所です。大きく膨らませたスカートが流行った時代、着飾った上流社会の観客たちが行き交った社交場でした。正面の踊り場をまっすぐ進むとオーケストラ席に通じています。この場所に立つだけで自分が舞台の主役になったような気分に浸れる場所です。<br />

    オペラ・ガルニエ(大階段の広間)。
    大階段の広間は、オペラ・ガルニエの中で最も名高い場所です。大きく膨らませたスカートが流行った時代、着飾った上流社会の観客たちが行き交った社交場でした。正面の踊り場をまっすぐ進むとオーケストラ席に通じています。この場所に立つだけで自分が舞台の主役になったような気分に浸れる場所です。

  • オペラ・ガルニエ(グラン・フォワイエ)。<br />グラン・フォワイエ(鏡の間)はべルサイユ宮殿よりスケールは小さいですが、その分、豪華絢爛さが濃縮され格段に優れていますので一見の価値があります。鏡と巨大なシャンデリアで飾られた金色をベースにした煌びやかなこのロビーは、天井画や装飾にいたるまでキラキラ輝いています。天井画は、ポール・ボードリーが手がけました。装飾のメイン・モチーフはアポロンの竪琴で、柱頭や暖房設備の格子、さらにはドアのノブなど至る所にあしらわれています。両端には暖炉がしつらえられ、その上の天井にはガルニエ夫妻の顔を象った金色の彫刻があります。比べるものではないでしょうが、ベルサイユ宮殿と建立に200年の違いがあるとこれだけ差が付くものでしょうか? <br /><br />当時の社交界では、身分の高い貴婦人達は自分のボックス席で訪問者と対面するのが暗黙の作法でした。しかし、建物のあまりの素晴らしさに感動したスペイン王妃が見学の為に大広間へ足を運んだことがきっかけでここは高貴な貴婦人達の集うサロンと化しました。幕間毎に大広間でそぞろ歩きを楽しむ上流階級のマダムたち。その華やかで優雅な姿から、いつしかこの大広間は「溜息の散歩道」と呼ばれるようになったのだとか。貴婦人になったつもりで大広間をゆっくり歩いてみてください。<br />

    イチオシ

    オペラ・ガルニエ(グラン・フォワイエ)。
    グラン・フォワイエ(鏡の間)はべルサイユ宮殿よりスケールは小さいですが、その分、豪華絢爛さが濃縮され格段に優れていますので一見の価値があります。鏡と巨大なシャンデリアで飾られた金色をベースにした煌びやかなこのロビーは、天井画や装飾にいたるまでキラキラ輝いています。天井画は、ポール・ボードリーが手がけました。装飾のメイン・モチーフはアポロンの竪琴で、柱頭や暖房設備の格子、さらにはドアのノブなど至る所にあしらわれています。両端には暖炉がしつらえられ、その上の天井にはガルニエ夫妻の顔を象った金色の彫刻があります。比べるものではないでしょうが、ベルサイユ宮殿と建立に200年の違いがあるとこれだけ差が付くものでしょうか?

    当時の社交界では、身分の高い貴婦人達は自分のボックス席で訪問者と対面するのが暗黙の作法でした。しかし、建物のあまりの素晴らしさに感動したスペイン王妃が見学の為に大広間へ足を運んだことがきっかけでここは高貴な貴婦人達の集うサロンと化しました。幕間毎に大広間でそぞろ歩きを楽しむ上流階級のマダムたち。その華やかで優雅な姿から、いつしかこの大広間は「溜息の散歩道」と呼ばれるようになったのだとか。貴婦人になったつもりで大広間をゆっくり歩いてみてください。

  • オペラ・ガルニエ(ロッジア<開廊>)。<br />ロッジアからはルーヴル宮まで続くオペラ通りの眺めが一望できます。

    オペラ・ガルニエ(ロッジア<開廊>)。
    ロッジアからはルーヴル宮まで続くオペラ通りの眺めが一望できます。

  • オペラ・ガルニエ(ロッジア<開廊>)。<br />この左側にグラン・フォワイエが並行して横たわっています。

    オペラ・ガルニエ(ロッジア<開廊>)。
    この左側にグラン・フォワイエが並行して横たわっています。

  • オペラ・ガルニエ(グラシエのサロン)。<br />東側のグラシエの廊下の端には、明るく開放的なロトンダ「グラシエのサロン」があります。ディオニュソスの巫女と牧師たちの輪舞を描いたクレラン作の天井画、様々な飲物や釣り、狩猟を描いたタピスリーの下絵で飾られています。オペラ・ガルニエのオープン後に完成したこのサロンは、1900年ごろの香りが漂っています。

    オペラ・ガルニエ(グラシエのサロン)。
    東側のグラシエの廊下の端には、明るく開放的なロトンダ「グラシエのサロン」があります。ディオニュソスの巫女と牧師たちの輪舞を描いたクレラン作の天井画、様々な飲物や釣り、狩猟を描いたタピスリーの下絵で飾られています。オペラ・ガルニエのオープン後に完成したこのサロンは、1900年ごろの香りが漂っています。

  • オペラ・ガルニエ(ホール)。<br />ガストン・ルルー作『オペラ座の怪人』の舞台としても有名で内装は豪華絢爛、びっくりです。小説ではこの巨大なクリスタル・シャンデリアが落下して観客の1人が亡くなります。重さは8tあります。馬蹄形にデザインされたイタリア式の赤と金のホールには、5階構造の赤いベルベット張りの1900に及ぶ座席があります。見事な布地の緞帳にはゴールドの縁飾りと玉房飾りをあしらい、ドレープを寄せたベルベットのカーテンのように見える騙し絵が描かれています。天井一面を覆うのはマルク・シャガール作『夢の花束』です。いかにも怪人が出没しそうな雰囲気を漂わせています。<br />生憎、この日は舞台装置のリハーサルが行われており、シャンデリアの照明が落とされていた関係で周りが暗くなっています。おかげで写真の写りはいまいちです。<br />左手にはオペラ座の怪人ファントムの指定席だった2階5番ボックス席も窺えます。大きな金の枠組みに囲まれた、国家元首用ボックスのすぐ隣です。<br />

    オペラ・ガルニエ(ホール)。
    ガストン・ルルー作『オペラ座の怪人』の舞台としても有名で内装は豪華絢爛、びっくりです。小説ではこの巨大なクリスタル・シャンデリアが落下して観客の1人が亡くなります。重さは8tあります。馬蹄形にデザインされたイタリア式の赤と金のホールには、5階構造の赤いベルベット張りの1900に及ぶ座席があります。見事な布地の緞帳にはゴールドの縁飾りと玉房飾りをあしらい、ドレープを寄せたベルベットのカーテンのように見える騙し絵が描かれています。天井一面を覆うのはマルク・シャガール作『夢の花束』です。いかにも怪人が出没しそうな雰囲気を漂わせています。
    生憎、この日は舞台装置のリハーサルが行われており、シャンデリアの照明が落とされていた関係で周りが暗くなっています。おかげで写真の写りはいまいちです。
    左手にはオペラ座の怪人ファントムの指定席だった2階5番ボックス席も窺えます。大きな金の枠組みに囲まれた、国家元首用ボックスのすぐ隣です。

  • オペラ・ガルニエ 天井画 <br />マルク・シャガール作『夢の花束』。<br />14人の音楽家のオペラ作品を題材に詩情溢れた作品に仕上げています。14人もの音楽家のオペラ作品をモチーフに描かれてたという事実が、この絵の大きさを物語っています。有名所では、モーツアルト/魔笛、チャイコフスキー/白鳥の湖、ストラビンスキー/火の鳥、ベルリオーズ/ロミオとジュリエットやビゼー/カルメンなどです。<br />そしてこの鮮やかな色の祭典の中には、シャガールその人をはじめ、たくさんの人物、そしてエッフェル塔や凱旋門、オペラ・ガルニエなどのパリのモニュメントが描かれているのが見てとれます。<br /><br />ド・ゴール政権下、文化大臣を務めたアンドレ・マルローの依頼によってシャガールは1964年、ガス灯の煤で薄汚れた天井画に代わるこの新しい作品を手掛けました。シャガールは巨匠といわれる画家の一人ですが、その画風はかなりの独自路線で伝統的とは言い難く、万人受けするような画風を持った画家ではありません。国立オペラ座とシャガール。とても意外性のある取り合わせのように思えました。<br /><br /><br />

    オペラ・ガルニエ 天井画
    マルク・シャガール作『夢の花束』。
    14人の音楽家のオペラ作品を題材に詩情溢れた作品に仕上げています。14人もの音楽家のオペラ作品をモチーフに描かれてたという事実が、この絵の大きさを物語っています。有名所では、モーツアルト/魔笛、チャイコフスキー/白鳥の湖、ストラビンスキー/火の鳥、ベルリオーズ/ロミオとジュリエットやビゼー/カルメンなどです。
    そしてこの鮮やかな色の祭典の中には、シャガールその人をはじめ、たくさんの人物、そしてエッフェル塔や凱旋門、オペラ・ガルニエなどのパリのモニュメントが描かれているのが見てとれます。

    ド・ゴール政権下、文化大臣を務めたアンドレ・マルローの依頼によってシャガールは1964年、ガス灯の煤で薄汚れた天井画に代わるこの新しい作品を手掛けました。シャガールは巨匠といわれる画家の一人ですが、その画風はかなりの独自路線で伝統的とは言い難く、万人受けするような画風を持った画家ではありません。国立オペラ座とシャガール。とても意外性のある取り合わせのように思えました。


  • オペラ・ガルニエ。<br />出口の売店の所に展示されていたバレリーナのオブジェ(灯り)です。柔らかい感じのする灯りがバレリーナの振り付けと調和し、見る者を癒してくれます。

    オペラ・ガルニエ。
    出口の売店の所に展示されていたバレリーナのオブジェ(灯り)です。柔らかい感じのする灯りがバレリーナの振り付けと調和し、見る者を癒してくれます。

  • ギャラリー・ラファイエット(ステンドグラス)。 <br />オペラ・ガルニエの出口は入口のちょうど反対側になり、そこから徒歩でオスマン通りにある1893年創業の老舗デパート ギャラリー・ラファイエットへ向かいます。距離はそれ程ありません。目的はステンドグラスの見学です。<br /><br />ツアーではギャラリー・ラファイエットのパンフレットが渡され、10%割引のチケットが入っています。また、地上階の奥まった所に日本人用の免税受付があるので重宝します。ここも今は中国人に席巻されていますが・・・。<br />

    ギャラリー・ラファイエット(ステンドグラス)。 
    オペラ・ガルニエの出口は入口のちょうど反対側になり、そこから徒歩でオスマン通りにある1893年創業の老舗デパート ギャラリー・ラファイエットへ向かいます。距離はそれ程ありません。目的はステンドグラスの見学です。

    ツアーではギャラリー・ラファイエットのパンフレットが渡され、10%割引のチケットが入っています。また、地上階の奥まった所に日本人用の免税受付があるので重宝します。ここも今は中国人に席巻されていますが・・・。

  • ギャラリー・ラファイエット(ステンドグラス)。 <br />丸天井はネオ・ビザンチン様式のドーム型のステンドグラスでできています。屋上には人工芝が敷き詰められており、展望を楽しむことができます。<br />

    ギャラリー・ラファイエット(ステンドグラス)。 
    丸天井はネオ・ビザンチン様式のドーム型のステンドグラスでできています。屋上には人工芝が敷き詰められており、展望を楽しむことができます。

  • プランタン(ブラッスリー)。<br />プランタン・モード館へ向かいます。6階ではブラッスリー・プランタンでステンドグラスのクーポール(丸天井)を瞬間技で激写。カメラを構えるとすぐにギャルソンが近づいてくるので下手をするとそこで高額な食事をとるはめになりますので近づき過ぎにご注意を。<br /><br />ブラッスリーはアール・ヌーボー様式の美しいステンドグラスが張りめぐらされた丸天井の下にあります。丸天井は1923年に建築されて以来プランタンのシンボル的存在で歴史的建造物に指定されています。<br />

    プランタン(ブラッスリー)。
    プランタン・モード館へ向かいます。6階ではブラッスリー・プランタンでステンドグラスのクーポール(丸天井)を瞬間技で激写。カメラを構えるとすぐにギャルソンが近づいてくるので下手をするとそこで高額な食事をとるはめになりますので近づき過ぎにご注意を。

    ブラッスリーはアール・ヌーボー様式の美しいステンドグラスが張りめぐらされた丸天井の下にあります。丸天井は1923年に建築されて以来プランタンのシンボル的存在で歴史的建造物に指定されています。

  • プランタン。<br />10月下旬でしたがすでにクリスマス・ツリーの飾り付けの準備が始まっていました。ギャラリー・ラファイエットは、天井への吹き抜けがない建築構造ですので背丈の高いクリスマス・ツリーを飾るのが難しいそうです。エスカレーターの隙間を利用していました。

    プランタン。
    10月下旬でしたがすでにクリスマス・ツリーの飾り付けの準備が始まっていました。ギャラリー・ラファイエットは、天井への吹き抜けがない建築構造ですので背丈の高いクリスマス・ツリーを飾るのが難しいそうです。エスカレーターの隙間を利用していました。

  • プランタン(屋上 ル・デリ・シューにてランチ)。<br />モード館3階の連絡通路からコスメ・メゾン館へ移動。9階展望テラスへはエレベーターを利用します。(エスカレータは通じていません)屋上テラスにはル・デリ・シューというセルフ・サービス式のブラッスリー(ビュッフェ)があり、屋外テーブルは眺望絶佳。ギャラリー・ラファイエットにも屋上テラスがありますが、エッフェル塔などとの距離が近いのでこちらがお奨めです。サーモンとベーコンのキッシュ各1個と缶ジュースを美味しくいただきました。日本語が話せるシェフもいました。一人当たり8ユーロ程で気軽にいただけるのがいいですね。<br /><br />

    プランタン(屋上 ル・デリ・シューにてランチ)。
    モード館3階の連絡通路からコスメ・メゾン館へ移動。9階展望テラスへはエレベーターを利用します。(エスカレータは通じていません)屋上テラスにはル・デリ・シューというセルフ・サービス式のブラッスリー(ビュッフェ)があり、屋外テーブルは眺望絶佳。ギャラリー・ラファイエットにも屋上テラスがありますが、エッフェル塔などとの距離が近いのでこちらがお奨めです。サーモンとベーコンのキッシュ各1個と缶ジュースを美味しくいただきました。日本語が話せるシェフもいました。一人当たり8ユーロ程で気軽にいただけるのがいいですね。

  • プランタン 屋上からの眺望。<br />中央の丘がモンマルトルの丘で、その上に聳え立つのがサクレ・クール寺院。右手前の塔がサント・トリニテ教会です。<br /><br />サクレ・クール寺院はロマネスク様式・ビザンチン様式のバジリカ大聖堂。ギベール・パリ大司教が計画を提唱し、アバディが設計を担当。1889年にいち早く完成していたエッフェル塔と共にパリ市内を見晴らせる観光名所で、両建造物とも19世紀後半に構想された比較的新しいものであるにも関わらず、今やパリになくてはならない存在になっています。<br />第三共和政の憲法が発布された1875年、フランスの新政体の門出を祝う意味合いで政府の支援を受けて建設が始まりました。当時は普仏戦争やパリ・コミューンによって命を失ったフランス市民を讃える公共建造物と考えていましたが、時の経過と共に位置付けが変わりました。着工は1877年。約4000万フランの費用と40年の歳月をかけて1914年に完成しましたが、礼拝者に開放されたのは第一次世界大戦の終盤、1919年でした。故に、皮肉にもこの寺院はフランス人にとって普仏戦争以来のドイツに対する復讐の象徴とされてきた歴史があります。<br />

    プランタン 屋上からの眺望。
    中央の丘がモンマルトルの丘で、その上に聳え立つのがサクレ・クール寺院。右手前の塔がサント・トリニテ教会です。

    サクレ・クール寺院はロマネスク様式・ビザンチン様式のバジリカ大聖堂。ギベール・パリ大司教が計画を提唱し、アバディが設計を担当。1889年にいち早く完成していたエッフェル塔と共にパリ市内を見晴らせる観光名所で、両建造物とも19世紀後半に構想された比較的新しいものであるにも関わらず、今やパリになくてはならない存在になっています。
    第三共和政の憲法が発布された1875年、フランスの新政体の門出を祝う意味合いで政府の支援を受けて建設が始まりました。当時は普仏戦争やパリ・コミューンによって命を失ったフランス市民を讃える公共建造物と考えていましたが、時の経過と共に位置付けが変わりました。着工は1877年。約4000万フランの費用と40年の歳月をかけて1914年に完成しましたが、礼拝者に開放されたのは第一次世界大戦の終盤、1919年でした。故に、皮肉にもこの寺院はフランス人にとって普仏戦争以来のドイツに対する復讐の象徴とされてきた歴史があります。

  • プランタン 屋上からの眺望。<br />エッフェル塔の手前の建物は、1900年のパリ万博の会場となったグラン・パレです。手前の建物には無数の小さな煙突が見られます。

    プランタン 屋上からの眺望。
    エッフェル塔の手前の建物は、1900年のパリ万博の会場となったグラン・パレです。手前の建物には無数の小さな煙突が見られます。

  • プランタン 屋上からの眺望。<br />左に見えるのはアール・ヌーボー様式の美しいステンドグラスが張りめぐらされた丸天井です。遠くにオペラ・ガルニエも望めます。<br />

    プランタン 屋上からの眺望。
    左に見えるのはアール・ヌーボー様式の美しいステンドグラスが張りめぐらされた丸天井です。遠くにオペラ・ガルニエも望めます。

  • プランタン 屋上からの眺望。<br />サント・ギュスタン教会です。大きなドームが目印です。左奥には副都心のラ・ディファンスにある高層ビル群も望めます。

    プランタン 屋上からの眺望。
    サント・ギュスタン教会です。大きなドームが目印です。左奥には副都心のラ・ディファンスにある高層ビル群も望めます。

  • コンコルド広場(オベリスク)。<br />次に向かうはオランジュリー美術館。メトロ 8号線のSaint-Lazare(セント・ラザール)駅からConcord(コンコルド)駅まで移動。オベリスクで有名なコンコルド広場を横目にチュイルリー公園西端からアプローチします。凱旋門の奥にはラ・ディファンスも見えます。<br /><br />コンコルド広場は1757〜1779年にかけて造られ、当時はルイ15世の騎馬像が立ち「ルイ15世広場」と呼ばれたそうです。1789年にフランス革命が勃発すると像は破壊され、代わりにギロチン台が置かれました。広場の名前も「革命広場」に変わります。ここではルイ16世や王妃マリー・アントワネットが処刑されました。その他、貴族や庶民を含めて1300人以上の人々がここでギロチン台の露と消えました。 <br />広場の中央にはオベリスクが威風堂々と聳え立っています。古代エジプトで紀元前13世紀のラムセス2世(新王国第19王朝)によって造られ、1831年にエジプトの副王ムハメッド・アリから贈られました。オベリスクはルクソール神殿にある一対のうちの1本で、残りの1本は今も神殿に立っています。花崗岩の1枚岩から切り出され、高さは32m、重量227tあり、柱の頂点には1998年に付けられた金のキャップが輝いています。ピラミディオン(ピラミッド型のキャップ)と言い、元々オベリスクに被せられていたものが紀元前6世紀にアッシリア人の侵入者によって盗まれ、フランスのシラク大統領の時代になって再び被せられたものです。<br />側面のヒエログリフ(神聖文字)にはファラオと神々への賛美の碑文が刻まれ、下方にはオベリスクを立たせる方法が図で描かれています。水路・陸路では寝かせて運び、最後は起こす作業。エジプトから4年の歳月をかけて運ばれ、よく途中で折れなかったなとか、何人が運んだり起こす作業に係わったんだろうと考えると機械などの文明の利器が無かった時代の人達の偉大さに改めて敬服します。 <br /><br />

    コンコルド広場(オベリスク)。
    次に向かうはオランジュリー美術館。メトロ 8号線のSaint-Lazare(セント・ラザール)駅からConcord(コンコルド)駅まで移動。オベリスクで有名なコンコルド広場を横目にチュイルリー公園西端からアプローチします。凱旋門の奥にはラ・ディファンスも見えます。

    コンコルド広場は1757〜1779年にかけて造られ、当時はルイ15世の騎馬像が立ち「ルイ15世広場」と呼ばれたそうです。1789年にフランス革命が勃発すると像は破壊され、代わりにギロチン台が置かれました。広場の名前も「革命広場」に変わります。ここではルイ16世や王妃マリー・アントワネットが処刑されました。その他、貴族や庶民を含めて1300人以上の人々がここでギロチン台の露と消えました。 
    広場の中央にはオベリスクが威風堂々と聳え立っています。古代エジプトで紀元前13世紀のラムセス2世(新王国第19王朝)によって造られ、1831年にエジプトの副王ムハメッド・アリから贈られました。オベリスクはルクソール神殿にある一対のうちの1本で、残りの1本は今も神殿に立っています。花崗岩の1枚岩から切り出され、高さは32m、重量227tあり、柱の頂点には1998年に付けられた金のキャップが輝いています。ピラミディオン(ピラミッド型のキャップ)と言い、元々オベリスクに被せられていたものが紀元前6世紀にアッシリア人の侵入者によって盗まれ、フランスのシラク大統領の時代になって再び被せられたものです。
    側面のヒエログリフ(神聖文字)にはファラオと神々への賛美の碑文が刻まれ、下方にはオベリスクを立たせる方法が図で描かれています。水路・陸路では寝かせて運び、最後は起こす作業。エジプトから4年の歳月をかけて運ばれ、よく途中で折れなかったなとか、何人が運んだり起こす作業に係わったんだろうと考えると機械などの文明の利器が無かった時代の人達の偉大さに改めて敬服します。

  • オランジュリー美術館。<br />ミュージアム・パスが使えます。入場待ちのラインが平行して2列あり(写真左手にあります)、入口に向かって右側の列がMパス専用ライン。人数が一定数を超えると案内があり、優先的に入場できます。左側はチケット購入者の列です。待ち時間に1時間以上の差がつくこともあるそうです。月曜日はオルセー美術館が休館ですので特に混雑します。この日は特別展(ここだけ撮影禁止)をやっていましたが、Mパスで自由に鑑賞できました。<br /><br />ミュージアム・パスはオルセー美術館でも使え、ここも専用の入口があり便利です。<br />Cと表示された入口がMパス専用で建屋に向かって右側の入口になります。下記サイトの地図の上にあるAcces(人と矢印)というアイコンをクリックすると各入口が表示されます.<br />http://www.musee-orsay.fr/fr/visite/acces.html

    オランジュリー美術館。
    ミュージアム・パスが使えます。入場待ちのラインが平行して2列あり(写真左手にあります)、入口に向かって右側の列がMパス専用ライン。人数が一定数を超えると案内があり、優先的に入場できます。左側はチケット購入者の列です。待ち時間に1時間以上の差がつくこともあるそうです。月曜日はオルセー美術館が休館ですので特に混雑します。この日は特別展(ここだけ撮影禁止)をやっていましたが、Mパスで自由に鑑賞できました。

    ミュージアム・パスはオルセー美術館でも使え、ここも専用の入口があり便利です。
    Cと表示された入口がMパス専用で建屋に向かって右側の入口になります。下記サイトの地図の上にあるAcces(人と矢印)というアイコンをクリックすると各入口が表示されます.
    http://www.musee-orsay.fr/fr/visite/acces.html

  • オランジュリー美術館<br />(クロード・モネの睡蓮の連作 1922-26年 )。<br />オランジュリーとは「オレンジ温室」の意味。17世紀に柑橘類の温室を改造して美術館としたのが由来です。印象派からキュビズムまでの画家の作品が凝縮されています。ポール・ギヨームのコレクションは地下階に展示されています。トイレは地下階にあります。<br />

    オランジュリー美術館
    (クロード・モネの睡蓮の連作 1922-26年 )。
    オランジュリーとは「オレンジ温室」の意味。17世紀に柑橘類の温室を改造して美術館としたのが由来です。印象派からキュビズムまでの画家の作品が凝縮されています。ポール・ギヨームのコレクションは地下階に展示されています。トイレは地下階にあります。

  • オランジュリー美術館<br />(クロード・モネの睡蓮の連作 1922-26年 )。<br />地上階にはモネの睡蓮を自然光で満喫するための特別の部屋が2部屋あります。これらはモネの生前からの願望を実現したもので、全部で8作品展示され、長いキャンバスに描かれた大連作です。キャンバスは楕円形の壁に沿って彎曲しています。<br /><br />メインは印象派モネの睡蓮の連作ということで1時間しか枠取りしていなかったのですが、思いのほか秀逸な作品が多く、1時間半ほどかけてルノワール、セザンヌ、ピカソ、マティス、ルソー、ローランサン、モディリアーニ、ユトリロなど珠玉の名画をじっくり堪能しました。<br />

    オランジュリー美術館
    (クロード・モネの睡蓮の連作 1922-26年 )。
    地上階にはモネの睡蓮を自然光で満喫するための特別の部屋が2部屋あります。これらはモネの生前からの願望を実現したもので、全部で8作品展示され、長いキャンバスに描かれた大連作です。キャンバスは楕円形の壁に沿って彎曲しています。

    メインは印象派モネの睡蓮の連作ということで1時間しか枠取りしていなかったのですが、思いのほか秀逸な作品が多く、1時間半ほどかけてルノワール、セザンヌ、ピカソ、マティス、ルソー、ローランサン、モディリアーニ、ユトリロなど珠玉の名画をじっくり堪能しました。

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール<br />「ピアノに寄る少女たち」(1892年頃) <br />淡く優しいタッチと色調、姉妹らしい2人の少女の真剣な、それでいて楽しそうな眼差し、豊かな髪とバラ色の頬など、客観的に好感を持たれる要素を散りばめた珠玉の作品です。絵を描くのが大好きで、私生活でもドラマチックなことが訪れなかったルノワールが、生涯でたった一度陥ったスランプから立ち直り、印象派を脱却して彼独自の精神的な安定を得た頃のはつらつとした作品です。同じテーマで描かれ、少しだけ違う作品をオルセー美術館で観ることができます。<br />

    ピエール=オーギュスト・ルノワール
    「ピアノに寄る少女たち」(1892年頃)
    淡く優しいタッチと色調、姉妹らしい2人の少女の真剣な、それでいて楽しそうな眼差し、豊かな髪とバラ色の頬など、客観的に好感を持たれる要素を散りばめた珠玉の作品です。絵を描くのが大好きで、私生活でもドラマチックなことが訪れなかったルノワールが、生涯でたった一度陥ったスランプから立ち直り、印象派を脱却して彼独自の精神的な安定を得た頃のはつらつとした作品です。同じテーマで描かれ、少しだけ違う作品をオルセー美術館で観ることができます。

  • ポール・セザンヌ <br />「セザンヌ夫人の肖像」(1890年頃)<br />夫人オルタンスは明るい性格で、セザンヌの言葉を借りれば「スイスとレモネード以外に何ら興味を持たない女性」だったそうです。内向的で凝り性のセザンヌとは対照的な性格です。セザンヌは金持ちで暴君的な父親を心底恐れ、息子ポール(同名です)が誕生しても父親には言えませんでした。ポールは私生児として育てられ、セザンヌは息子を自分と同じ境遇に置いてしまいました。こうした経緯をオルタンスが快く思わないのは当然で、この作品が描かれた頃は正式に結婚していたものの、若い頃のような天真爛漫な明るさを失っていました。絵の表情からは日常生活に辟易する様子が読み取れます。セザンヌも夫人を好んで描いた訳ではなく、ドレスの寒色の縦縞を同系色の背景でコーディネートすることに関心を寄せていたように思え、どことなく物悲しさを誘う作品です。この後、オルタンスがいつも通りの思い切り陽気な笑顔を見せてくれるといいのにな・・・と思うのは当方だけの思いではないかもしれません。

    ポール・セザンヌ
    「セザンヌ夫人の肖像」(1890年頃)
    夫人オルタンスは明るい性格で、セザンヌの言葉を借りれば「スイスとレモネード以外に何ら興味を持たない女性」だったそうです。内向的で凝り性のセザンヌとは対照的な性格です。セザンヌは金持ちで暴君的な父親を心底恐れ、息子ポール(同名です)が誕生しても父親には言えませんでした。ポールは私生児として育てられ、セザンヌは息子を自分と同じ境遇に置いてしまいました。こうした経緯をオルタンスが快く思わないのは当然で、この作品が描かれた頃は正式に結婚していたものの、若い頃のような天真爛漫な明るさを失っていました。絵の表情からは日常生活に辟易する様子が読み取れます。セザンヌも夫人を好んで描いた訳ではなく、ドレスの寒色の縦縞を同系色の背景でコーディネートすることに関心を寄せていたように思え、どことなく物悲しさを誘う作品です。この後、オルタンスがいつも通りの思い切り陽気な笑顔を見せてくれるといいのにな・・・と思うのは当方だけの思いではないかもしれません。

  • モーリス・ユトリロ <br />「サンピエール教会」(1914年) <br />ユトリロの母は画家であり、絵のモデルでもありました。彼女がユトリロを身籠ったのは18歳。彼女曰く「シャヴァンヌの作品か、ルノワールの作品か分からない」と言うことです。ユトリロは、教会や裏道など何気ないパリの風景を好んで描きました。しかし、彼の描くパリは「華やかなパリ」ではなく、人気がなく、静かでひっそりとした哀愁漂う街角ばかりです。彼の生涯に思いを馳せながら改めて作品を観ると胸が熱くなる思いがします。どんな気持ちで、白が強調されたサクレ・クール寺院やサン・ピエール教会、くすんだ色調の外壁や道路、空を描いていたのでしょう。この教会はユトリロの葬儀が行われた教会として知られています。 <br />

    モーリス・ユトリロ
    「サンピエール教会」(1914年)
    ユトリロの母は画家であり、絵のモデルでもありました。彼女がユトリロを身籠ったのは18歳。彼女曰く「シャヴァンヌの作品か、ルノワールの作品か分からない」と言うことです。ユトリロは、教会や裏道など何気ないパリの風景を好んで描きました。しかし、彼の描くパリは「華やかなパリ」ではなく、人気がなく、静かでひっそりとした哀愁漂う街角ばかりです。彼の生涯に思いを馳せながら改めて作品を観ると胸が熱くなる思いがします。どんな気持ちで、白が強調されたサクレ・クール寺院やサン・ピエール教会、くすんだ色調の外壁や道路、空を描いていたのでしょう。この教会はユトリロの葬儀が行われた教会として知られています。

  • パブロ・ピカソ <br />「タンバリンを持つ女」(1925年) <br />新古典主義の時代に描かれた作品です。ピカソの絵画が沢山展示されていますが、イメージしていたものに最も近い作品がこれです。この作品は、西洋絵画の伝統的なテーマ「オダリスク」に回帰しています。絵の中の要素をすべてデフォルメし、対角線(脚)と水平線(床の黒い線、腕など)を駆使して視覚に訴え、一見調和しない色彩を美しく組み合わせています。なんと言っても、この絵の女性の表情とゆるい感じがとても気に入りました。これも一見の価値があります。<br /><br />ルーヴル美術館の「モナ・リザ」に対抗して「オランジュリーのモナ・リザ」と称されるのがパブロ・ピカソの「水浴の女」だそうです。 これは見てのお楽しみにとっておきましょう。

    パブロ・ピカソ
    「タンバリンを持つ女」(1925年) 
    新古典主義の時代に描かれた作品です。ピカソの絵画が沢山展示されていますが、イメージしていたものに最も近い作品がこれです。この作品は、西洋絵画の伝統的なテーマ「オダリスク」に回帰しています。絵の中の要素をすべてデフォルメし、対角線(脚)と水平線(床の黒い線、腕など)を駆使して視覚に訴え、一見調和しない色彩を美しく組み合わせています。なんと言っても、この絵の女性の表情とゆるい感じがとても気に入りました。これも一見の価値があります。

    ルーヴル美術館の「モナ・リザ」に対抗して「オランジュリーのモナ・リザ」と称されるのがパブロ・ピカソの「水浴の女」だそうです。 これは見てのお楽しみにとっておきましょう。

  • アンリ・マティス <br />「女性の部屋 」(1921年) <br />マティスは「窓」をよく題材に用い、内側の世界と外側の世界の象徴的な存在として描いていたようです。人物も描かれていますが、作品の中の位置付けがそれほど高いようには見えません。この作品は、パステル調の色彩を基調とした秀作です。<br /><br />マティスは野獣派(フォーヴィスム)の代名詞として知られるフランスの画家です。観る者の視線を惹きつけて止まないまばゆい色彩、それが色彩の魔術師マティスの真骨頂です。彼自身は野獣派と呼ばれるのを好まず、その後の作品は静かで心地良いものを主体としています。オランジュリー美術館のコレクションはこれに相当します。一度は法律家への道を歩み始めたものの性に合わず、体調を崩していた時に母から与えられた油彩具が人生の転機になったそうです。マティスは「絵を描き始めた時、私は自分の人生がそこにあることを強く感じた。私にとって絵は天国の様であり、魅力的で、素晴らしく自由で平穏なものだった」と語っています。84年という長い人生の中で、時代と共に画法を大きく変化させた芸術家の一人ですが、その生涯の中で一つの自己表現を極めました。オランジュリー美術館には10点程の作品が展示されています。<br /><br /><br /><br /><br /><br />

    アンリ・マティス
    「女性の部屋 」(1921年) 
    マティスは「窓」をよく題材に用い、内側の世界と外側の世界の象徴的な存在として描いていたようです。人物も描かれていますが、作品の中の位置付けがそれほど高いようには見えません。この作品は、パステル調の色彩を基調とした秀作です。

    マティスは野獣派(フォーヴィスム)の代名詞として知られるフランスの画家です。観る者の視線を惹きつけて止まないまばゆい色彩、それが色彩の魔術師マティスの真骨頂です。彼自身は野獣派と呼ばれるのを好まず、その後の作品は静かで心地良いものを主体としています。オランジュリー美術館のコレクションはこれに相当します。一度は法律家への道を歩み始めたものの性に合わず、体調を崩していた時に母から与えられた油彩具が人生の転機になったそうです。マティスは「絵を描き始めた時、私は自分の人生がそこにあることを強く感じた。私にとって絵は天国の様であり、魅力的で、素晴らしく自由で平穏なものだった」と語っています。84年という長い人生の中で、時代と共に画法を大きく変化させた芸術家の一人ですが、その生涯の中で一つの自己表現を極めました。オランジュリー美術館には10点程の作品が展示されています。





  • マリー・ローランサン <br />「ポール・ギヨーム婦人の肖像」(1924年頃) <br />オランジュリー美術館の礎となった作品をコレクションしたポ―ル・ギヨームの夫人の肖像画です。ローランサンの絵にはめずらしく、きりっとした眉や通った鼻筋が描かれており、夫人に対する敬意が偲ばれます。全体的に可愛らしく、聡明さも表現された作品です。ローズ、グレーとブルーのパステルカラーと甘美な色彩が優雅かつ知性的で心惹かれます。フランス版 竹久夢二と言ったところでしょうか? <br /><br />「ココ・マドモワゼル・シャネルの肖像」の絵は、鼻が無いことで有名な作品ですが、心理や性格を暗示し過ぎてシャネルに受取を拒否されたという苦いエピソードがあります。恐らく、シャネルが想像していたものとかけ離れていたのでしょう。彼女はトップレディーであったシャネルの才能を認めてはいたものの、一歩も退かなかったということでしょう。ローランサンが「私がドレスを注文したときにはちゃんと代金を払うわ!」と言って憤慨したという逸話が残されています。胆もちゃんと据わっています。<br />

    マリー・ローランサン
    「ポール・ギヨーム婦人の肖像」(1924年頃)
    オランジュリー美術館の礎となった作品をコレクションしたポ―ル・ギヨームの夫人の肖像画です。ローランサンの絵にはめずらしく、きりっとした眉や通った鼻筋が描かれており、夫人に対する敬意が偲ばれます。全体的に可愛らしく、聡明さも表現された作品です。ローズ、グレーとブルーのパステルカラーと甘美な色彩が優雅かつ知性的で心惹かれます。フランス版 竹久夢二と言ったところでしょうか?

    「ココ・マドモワゼル・シャネルの肖像」の絵は、鼻が無いことで有名な作品ですが、心理や性格を暗示し過ぎてシャネルに受取を拒否されたという苦いエピソードがあります。恐らく、シャネルが想像していたものとかけ離れていたのでしょう。彼女はトップレディーであったシャネルの才能を認めてはいたものの、一歩も退かなかったということでしょう。ローランサンが「私がドレスを注文したときにはちゃんと代金を払うわ!」と言って憤慨したという逸話が残されています。胆もちゃんと据わっています。

  • アメディオ・モディリアーニ <br />「若い見習い職人」(1918−9年)<br />晩年の一時期を過ごしたニースの隣町のカーニュで出会った、名もなき少年を描いた傑作です。少年が持つ純真無垢な魂と仄かに漂うもの憂げで悲哀に満ちた表情を巧みに描写しています。どこか自分自身とオーバラップする部分があり、思い入れが深かったのかも知れません。<br /><br />モディリアーニはイタリア生まれのユダヤ人。トスカーナ地方から画家を志してモンマルトルへ赴き、多くの芸術家の肖像画を描くうちに自己の画風を確立しました。しかし酒と麻薬に溺れた生活が彼を蝕み、胸を病んで弱冠35才の若さで世を去ります。彼の描く肖像画は、首が長く、どこか哀愁を漂わせた独特の世界を醸し出しています。彼の死後、僅か2日後に子を宿した愛人が後追い自殺をしたこともセンセーショナルでした。 <br />ジャン・コクトーはモディリアーニを評して「彼は自分の持っている様式に私たち皆を従属させる」と讃えています。ふと、林扶美子がはかない人生を読んだ「花の命は短くて 苦しきことのみ多かりき」が浮かびました。 <br /><br />現在、大阪市近代美術館建設計画は暗礁に乗り上げていますが、そのコレクションの一つにモディリアーニの「髪をほどいた横たわる裸婦」が存在します。バブル期に14億円以上で落札した名画ですが、もしモディリアーニがお蔵入りになっている現状を知ったらどんな気持ちになるでしょうか?

    アメディオ・モディリアーニ
    「若い見習い職人」(1918−9年)
    晩年の一時期を過ごしたニースの隣町のカーニュで出会った、名もなき少年を描いた傑作です。少年が持つ純真無垢な魂と仄かに漂うもの憂げで悲哀に満ちた表情を巧みに描写しています。どこか自分自身とオーバラップする部分があり、思い入れが深かったのかも知れません。

    モディリアーニはイタリア生まれのユダヤ人。トスカーナ地方から画家を志してモンマルトルへ赴き、多くの芸術家の肖像画を描くうちに自己の画風を確立しました。しかし酒と麻薬に溺れた生活が彼を蝕み、胸を病んで弱冠35才の若さで世を去ります。彼の描く肖像画は、首が長く、どこか哀愁を漂わせた独特の世界を醸し出しています。彼の死後、僅か2日後に子を宿した愛人が後追い自殺をしたこともセンセーショナルでした。 
    ジャン・コクトーはモディリアーニを評して「彼は自分の持っている様式に私たち皆を従属させる」と讃えています。ふと、林扶美子がはかない人生を読んだ「花の命は短くて 苦しきことのみ多かりき」が浮かびました。

    現在、大阪市近代美術館建設計画は暗礁に乗り上げていますが、そのコレクションの一つにモディリアーニの「髪をほどいた横たわる裸婦」が存在します。バブル期に14億円以上で落札した名画ですが、もしモディリアーニがお蔵入りになっている現状を知ったらどんな気持ちになるでしょうか?

  • アンリ・ルソー <br />「ジェニエ爺さんの二輪馬車」(1908年) <br />ルソーは税吏員として働く傍ら、日曜画家として活躍しました。独学による画風は伝統的な規範を否定し、形態に変形と歪曲を加え丹念に平塗りした色面から素朴さを表現しています。どこか記念写真のようで、懐かしく味わい深いものがあります。<br /><br />この絵のモデルは、ルソーのご近所に住むクロード・ジュニエという食料雑貨店の主人一家です。写真も残っており、珍しくモデルが特定できる一枚だそうです。ルソー自身も登場しており、ジュニエ爺さんがルソーを横目で見ているのがご愛嬌です。「蛇使いの女」で1907年のサロン・ドートンヌという展覧会で入選し絶賛されたものの絵は売れず、その日の食事にも困るという苦しい生活の中でこの絵が描かれました。実は食料品店にかなりのつけがあり、そのお詫びの証としてこの絵を描いたのだそうです。<br />絵が上手いのか下手なのかよくわ分からないユーモラスな作品は、絵本の世界に迷い込んだような不思議な錯覚に陥ります。<br />

    アンリ・ルソー
    「ジェニエ爺さんの二輪馬車」(1908年)
    ルソーは税吏員として働く傍ら、日曜画家として活躍しました。独学による画風は伝統的な規範を否定し、形態に変形と歪曲を加え丹念に平塗りした色面から素朴さを表現しています。どこか記念写真のようで、懐かしく味わい深いものがあります。

    この絵のモデルは、ルソーのご近所に住むクロード・ジュニエという食料雑貨店の主人一家です。写真も残っており、珍しくモデルが特定できる一枚だそうです。ルソー自身も登場しており、ジュニエ爺さんがルソーを横目で見ているのがご愛嬌です。「蛇使いの女」で1907年のサロン・ドートンヌという展覧会で入選し絶賛されたものの絵は売れず、その日の食事にも困るという苦しい生活の中でこの絵が描かれました。実は食料品店にかなりのつけがあり、そのお詫びの証としてこの絵を描いたのだそうです。
    絵が上手いのか下手なのかよくわ分からないユーモラスな作品は、絵本の世界に迷い込んだような不思議な錯覚に陥ります。

  • クロード・モネ <br />「 赤いボート? アルジャントゥイユ」(1875年)<br />アルジャントゥイユは印象派が集ったパリ郊外のセーヌ川に面した町。モネは6年強をここで暮らして約170点もの作品を描いています。ジヴェルニー時代の光彩を巧みに描写した作品群もすばらしいですが、個人的にはそれ以前のモネ作品が好みです。1874年頃からモネの筆使いが一段と細かくなります。この絵はその頃のもので細部に亘って色合いの変化を捉えようとしているのが感じられます。モネ特注のアトリエ船から岸に向かって広がる風景を描いた秀作で、さわやかな陽光ときらめく水面の見事な表現を観ることができます。 <br /><br />

    クロード・モネ
    「 赤いボート? アルジャントゥイユ」(1875年)
    アルジャントゥイユは印象派が集ったパリ郊外のセーヌ川に面した町。モネは6年強をここで暮らして約170点もの作品を描いています。ジヴェルニー時代の光彩を巧みに描写した作品群もすばらしいですが、個人的にはそれ以前のモネ作品が好みです。1874年頃からモネの筆使いが一段と細かくなります。この絵はその頃のもので細部に亘って色合いの変化を捉えようとしているのが感じられます。モネ特注のアトリエ船から岸に向かって広がる風景を描いた秀作で、さわやかな陽光ときらめく水面の見事な表現を観ることができます。 

  • アンドレ・ドラン <br />「アルルカンとピエロ 」(1924年) <br />道化師の2人が歌い踊る様を描いた絵画ですが、なぜか気になる作品です。派手なアーガイル柄で陽気なのはアルルカン、ピエロは白い衣装でどこか悲し気。アルルカンは女の子にモテモテ、だけどいい人なのにピエロはいつも失恋。<br />実はモデルとなったのは一人の人物で、スペイン人画家ハシント・サルバードだそうです。絵では別人にしか見えませんが・・・。<br /><br />ポール・ギヨームがおそらく最も気に入っていた絵がこの「アルルカンとピエロ」だと思います。それは「大きな帽子を被るポール・ギヨーム夫人の肖像」の画中画として登場することからも窺えます。この作品は、無数の平行線を走らせるという幾何学的技法が用いられている画法的な点でも見逃せません。 <br />

    アンドレ・ドラン 
    「アルルカンとピエロ 」(1924年)
    道化師の2人が歌い踊る様を描いた絵画ですが、なぜか気になる作品です。派手なアーガイル柄で陽気なのはアルルカン、ピエロは白い衣装でどこか悲し気。アルルカンは女の子にモテモテ、だけどいい人なのにピエロはいつも失恋。
    実はモデルとなったのは一人の人物で、スペイン人画家ハシント・サルバードだそうです。絵では別人にしか見えませんが・・・。

    ポール・ギヨームがおそらく最も気に入っていた絵がこの「アルルカンとピエロ」だと思います。それは「大きな帽子を被るポール・ギヨーム夫人の肖像」の画中画として登場することからも窺えます。この作品は、無数の平行線を走らせるという幾何学的技法が用いられている画法的な点でも見逃せません。

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