2011/10/19 - 2011/10/26
1位(同エリア384件中)
montsaintmichelさん
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- 旅行記389冊
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- 3,370,414アクセス
- フォロワー169人
主人の勤続30年を労って会社から特別休暇と旅行補助金をいただき、J社 北フランス周遊ツアーに参加しました。天候、ツアーメンバー、添乗員さんに恵まれ、思い出に残るすばらしい旅行になりました。旅行前の情報収集では4トラベルさんにお世話になったので感謝の気持ちを込めて情報提供させていただきます。また、ツアーメンバーの方々と旅行の余韻を共有できればと思います。ご参考にしていただければ幸甚です。
<日程>
第1日目:関空(AF291便)~シャルル・ド・ゴール空港
MERCURE LA DEFFESE Ⅴ宿泊(ラ・ディファンス)
第2日目:シャルトル大聖堂~シャンボール城~シュノンソー城
GIRAUDEAU宿泊(トゥール)
第3日目:モンサンミッシェル
DIGUE宿泊(MSM対岸)
第4日目:オンフルール~ルーアン~ベルサイユ
PULLMAN CHATEAU宿泊(ベルサイユ宮殿前)
第5日目:ベルサイユ宮殿~パリ市内観光とルーヴル美術館見学~
セーヌ川ディナークルーズ
BEST WESTERN LE SAINT MAURICE宿泊(パリ市外)
ベスト ウェスタン ル サン モーリス <連泊>
第6日目:<自由行動日> ノートルダム大聖堂~サント・シャペル~
Bonbon Watch~オペラ・ガルニエ~
ギャラリー・ラファイエット~プランタン(ランチ)~
コンコルド広場~オランジュリー美術館~チュイルリー公園
~ルーヴル美術館~エトワール凱旋門~ルイヴィトン本店
~マドレーヌ寺院~レオン(オペラ店:ディナー)~
オペラ・ガルニエ(夜景観賞)
第7・8日目:シャルル・ド・ゴール空港(AF292便)~関空
旅行前にお世話になった天気予報サイト。
http://www.tourconductor.jp/weather/europe/w1.php
季節の変わり目は気温が周期的に変わるので事前にチェックされることをお奨めします。確認したい地域名をクリックすればまとめて表示できます。MSN天気予報ともリンクしていますので週間天気予報もチェックできます。このサイトの天候情報は当たっていました。(ただし、出発直近の情報に限ります。)フランスの天気はよく変わるので予報で一喜一憂しないようにしてください。気温は若干低めに表示されているように感じました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- エールフランス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
-
シベリア上空から眺める凍てついた大地。
飛行機に乗ってまずしておきたいのは、時計を現地時間に合わせること。時差ボケ防止のために一回目の食事が終わったら現地時間ベースに切り替えます。 -
フランス パリ近郊。
湧き上がる雲と農地として整備された広大な大地。こうして上空から眺めるとフランスが農業大国であることを改めて実感できます。地平線の彼方まで続く大麦、小麦等の畑のパッチワーク模様は圧巻です。食料自給率100%を誇る農業大国フランスの面目躍如です。フランスは発電容量の75%を原発に依存する原発大国として有名ですが、眼下には風車群が見えます。 -
メルキュール ラ・ディファンス・?。
パリ市外(ZONE 3)の副都心ラ・ディファンスにあるメルキュール ラ・ディファンス・?(サンク)に宿泊。円筒状のかわいらしいきれいなホテルでした。大阪で言えば丸ビル。パリ市内への移動にはリムジンとメトロ(1号線)を利用しなくてはならず少々不便です。メトロのラ・ディファンス駅へは徒歩で15分程度で行けるようですが、駅周辺は立体交差になっていて不案内です。自由行動日用に一日乗車券MOBILISを求めてホテルから7分位の所にあるSNCF(国鉄)のCourbevoie駅へ向かいましたが、すでに窓口終了、自販機では買えず。駅へ向かう途中にはマクドナルドやFRANPRIXという安いことで有名なスーパーがあります(21時まで営業)。軟水のVOLVICとお土産用のチョコレートなどを調達。ホテル裏手にもカルフールがあります。ホテル0階ロビーにも売店があり水を売っていますが、割高です。
さて、寝る前にやっておくことがあります。フロントで両替を済ませておきます。
C'est l'e change, S.V.P. セ ラシャンジェ、シルヴプレ. と言ってメモを渡せばOKです。
例えば、20 Cent X 20 pcs. 50 Cent X 2 pcs. 1 Euro X 5 pcs. = Total 10 Euro といった具合です。20 Centは有料トイレの相場が40 Centなので多目にあれば安心です。ホテルの枕銭(ピロー・チップ)は一人当たり1 Euroが相場です。しかし、一泊だけの滞在の場合、不要と言うのが大方の見解です。連泊の場合は、翌日気持ちよく過ごせるように置いてあげてください。 -
シャルトル市 郵便局 (バス車窓より)。
ロマンチックなお城のような建物が郵便局です。歴史的な建造物でとても郵便局とは思えません。 -
シャルトル市 郵便局と人権宣言の記念碑。
パリからシャルトルへは約90km、バス乗車時間1時間強の旅です。
シャルトルは、穀倉地帯であるボーズ平野の核になる古都。観光バスはシャルトル郵便局の先にある専用駐車場に停留します。駐車場には無料トイレがあり、大聖堂の見学前後に利用できます。この写真はシャルトル大聖堂見学後のもので、陽が高くなっています。
フランス人権宣言の記念碑がノートルダム大聖堂へのアプローチとなるシャトレ広場の一角にあり、人権宣言の前文が刻り込まれています。1989年の年号も刻まれているので革命200周年の記念モニュメントのようです。 -
シャルトル ノートルダム大聖堂。
シャトレ広場から仰ぎ見る大聖堂です。ユネスコ世界文化遺産であるシャルトル大聖堂は、宗教建築最高傑作の一つ。2つの意匠の異なる尖塔が競うように誇らしげに聳え立っています。向かって右が12世紀ロマネスク様式の旧鐘塔、左が16世紀ゴシック様式の新鐘塔。
シャルトル大聖堂の歴史を紐解けば、2千年前にサンフォールの泉に捧げるため、その泉を中心に据えて建立されたものとされています。その後、3度の火災に見舞われましたが、その苦難を乗り越えて現在に至っています。現存する大部分は、1194年の火災後に建立されました。しかし、誰が再建の指示を行い、誰が設計図を描いたのか、資金調達はどうしたのか等は謎に包まれたままだそうです。
実は、ゴシック様式は千年以上も前に途絶えた古代神聖幾何学と酷似しているそうです。また、ロマネスク様式一辺倒からゴシック様式への変遷は移行過程が全くなく、突如完成度の高いゴシック様式へと変貌を遂げたのは「ヨーロッパ史上最大の謎」だそうです。これには、往時エルサレムへの巡礼者の警護を司った「テンプル騎士団」が関与したという説があります。秘密結社フリーメイソンの源流と噂される組織です。彼らは宿舎に「神殿の丘」を与えられます。そこはかって「ソロモンの神殿」があった場所。警護というのは表向きで、実は神殿の地下に眠る「黄金の聖櫃」調査団だったと言うのです。果たして「黄金の聖櫃」を探し当てたのか?それは彼らのその後の活躍が物語ります。当初9名の団員にも拘らず、37年後には騎士修道会と認められ、その11年後には教皇から国境通過の自由や非課税など数多の特権が付与されて富と権力を掌握し、ヨーロッパ最強の組織に成り上がります。自前の戦艦を保有し、キプロス島も私有地だったそうです。彼らは「黄金の聖櫃」以外にも古代の叡智を発掘し、ゴシック様式を発展させたと言うのです。勿論、真相は闇の中ですが・・・。 -
シャルトル ノートルダム大聖堂。
生憎、西正面ファサードは修理中で(工事終盤)、足場越しにポルタイユにあるロマネスク彫刻の集大成であり初期ゴシック彫刻の代表作でもある聖書の中の王や預言者の人像円柱が仰げます。南バラ窓の先のシャルトル・ブルーで有名な12世紀のステンドグラス『美しき絵硝子の聖母』と同じく西正面口裏のバラ窓下の『エッサイの樹』はどちらも修理中で神々しい煌めきを拝むことができず残念でした。『美しき絵硝子の聖母』付近は今年の夏頃に修理が始まったばかりですので暫く時間がかかりそうです。西正面は予定では2010年に終わる予定だったようですが、長引いている模様です。歴史的建造物ですのでいつもどこかが修理されているようです。機会があればもう一度訪れたいと思います。 -
シャルトル ノートルダム大聖堂
身廊。
シャルトル大聖堂の内陣です。手前の身廊は薄暗く、神秘的で荘厳な雰囲気が漂っています。大聖堂内の薄暗く神秘的な様は昼なお暗い森の気配を伝えており、聖堂内に立ち並ぶ石の柱は森の中の樹々であり、柱頭や天井のアーチの交差点の異様な彫刻は森の不気味さに対する畏れを表現しているそうです。正にゴシック大聖堂は象徴の森です。昔、大聖堂というのは地上の小宇宙的存在だったそうです。大聖堂で礼拝することで一時の天国へのタイムスリップを楽しんでいたのかもしれません。写真は西入口から身廊をパノラマ写真に合成したものです。
カメラはマナーモードに設定し、操作音を消音しておきます。フラッシュも禁止です。教会、聖堂や美術館などでは礼拝者や他の鑑賞者へ配慮しましょう。音が出ないといつもと勝手が違うので、旅行前に使い慣れておくことを推奨いたします。また、ミサの最中は写真撮影が禁止されます。
聖堂内のカメラ撮影の設定はISO感度を800にしています。ISO感度を上げることでシャッター速度を相対的に速くし、手振れを防止しています。一眼レフならもう少し感度を上げてもノイズの影響が避けられます。 -
シャルトル ノートルダム大聖堂
内陣。(ラビリンス)
ラビリンスという同心円状の迷路模様が一筆書きで床に描かれています。1200年頃、黒石と石灰石の白い石で造られたもので、全長261メートル。西正面ファサードを身廊側に寝かせると丁度バラ窓の中心が迷路の中心に重なるそうです。中心部はアフロディーテを象徴する6弁のハスの模様になっています。マリア信仰の拠点だった時代、巡礼者は祈りながら膝まづいてこのラビリンスを辿ったそうです。ゴールは中心点。ちなみに、中心部には大理石が埋め込まれており、感受性の強い人は中心部に立った瞬間、体感の変化を感じるそうです。また、シャルトルのラビリンスにはLa Lieue (ラ・リュウ)と言う別名があり、意味は「大いなる距離」。大いなる距離=エルサレムへの困難な道のり。つまり、巡礼=人の一生ということのようです。中世ではラビリンスを辿ることは巡礼と同じ意味を持ち、エルサレムへの巡礼の代替になっていたそうです。
ラビリンスは古くはクノッソスから存在し、中世ではほとんどの大聖堂で見られたようです。しかし、現存しているのはランス、アミアン、そしてこのシャルトルの3箇所のみです。その他、英国にも2箇所あるそうですが、現存しているラビリンスを地図上でつなぐと五角形になるそうです。 -
シャルトル ノートルダム大聖堂
南バラ窓。
赤色を基調としているため赤っぽくと言うか紫っぽく見えるステンドグラスです。光が当たらないと暗くなりがちな赤色が際立って美しく見えるのは、南面から射し込む豊富な光彩のなせる業です。
1225年頃の作品だそうで、主題は新約聖書の黙示録に由来し、下の五連窓(ランセット)の中央には『キリストを抱く聖母』が描かれています。「巨人の肩」は中央の聖母子の両側にあり、肩車状態の4連のランセットになっています。 『シャルトル大聖堂』(マルコム・ミラー著)には次のように記してあります。『預言者たちに持ち上げられ、四人の福音書記者は巨人の肩に乗せられた小人のように小さく見えるが、それぞれに遥か彼方に目を向けている。旧約はその預言が新約で成就するためにあり、新約は旧約を通じて神との間に新しい契約が結ばれるためにある』。ウ〜ン、なかなか奥が深そうです。
ステンドグラスは割れなければ永久に・・・と言う事はありません。実はガラス自体の重さと接合部の鉛による想像以上の重さによって撓んでくるのだそうです。鉛接着工法で造られた13世紀までに造られたステンドグラスは、カット割りと接合部の緻密な計算がなされていたのかも知れません。それなら実に凄いことです。 -
シャルトル ノートルダム大聖堂
北バラ窓。
こちらは対照的に青みがかったステンドグラスです。
1230年頃の作品で、聖王ルイの母親が寄進し、聖母マリアの栄光の生涯が描かれているそうです。円の中心の聖母子を彼等の祖先である旧約聖書の人物群が取り囲んでいます。下の5連ランセットでは幼児マリアを抱いた聖アンナを中心に左からメルキセデック、ダヴィデ、ソロモン、アーロンと旧約聖書の人物が続きます。中段にあるユリの花と赤字に黄色の城の紋章は、このバラ窓がフランス王家のブランシュード・カスティーユの寄進になることを示してるそうです。
刻一刻移り変わる万華鏡のような華やかな彩りは、ある意味偶然の産物と言えます。万華鏡も偶然の配置や透過した光に美しさが潜んでいます。神の光の世界を表現したステンドグラスは、太古から人々の魂を揺さぶった宇宙を象徴しているのかもしれません。 -
イチオシ
シャルトル ノートルダム大聖堂
北側周歩廊にある礼拝所の柱の聖母像
(16世紀に造られた木製像)。
左側にイエス・キリストを抱いた姿は神々しい限りです。上方から注ぐステンドグラスのブルーの光彩、シャンデリアの暖かな明りとロウソクのゆらぐ灯が調和して無宗教の当方でも思わず跪いて十字を切って祈りたくなる光景です。 -
シャルトル ノートルダム大聖堂
柱の聖母像。
正面から見るとこんな具合です。希望、救いと光を待ち侘びる人々の熱い眼差しを受けると優しい微笑を返してくれます。いったい何人の信者がこの微笑で救われたのでしょう。 -
シャルトル ノートルダム大聖堂
内陣 仕切り彫刻。
内陣と周歩廊を隔てる仕切りには、16〜17世紀に制作されたキリストと聖母の生涯をテーマにした彫刻が41シーンあります。識字率が低かった時代、人々はステンドグラスや彫刻を通して聖書を理解したのだそうです。 -
シャルトル ノートルダム大聖堂
後陣 聖ピア礼拝堂にある聖母マリアの衣(ベール)。
「サンクタ・カミシア(Sancta Camisia 聖衣)」というチュニックです。この聖遺物は、ビザンチン皇帝からシャルルマーニュ大帝に贈られ、876年に孫の禿頭王シャルルによりシャルトル大聖堂に献上されました。シャルトル大聖堂はキリスト教化される前は異教のドルイド教礼拝の中心地でした。聖母マリアの衣の聖遺物を持つ大聖堂となってからはマリア崇拝の中心地になり、多くの巡礼者を集めるようになりました。このベールを参拝しに来る巡礼者の数は年間150万人にのぼるそうです。シャルトル大聖堂は、1194年6月10日の大火によって西正面部を残してほとんどを焼失しましたが、聖母マリアの衣の聖遺物はクリプトに安置されていたため奇跡的に焼失をまぬがれました。聖母マリアの衣は、大聖堂再建への大きな力となったとのことです。
元々は立派なベールでしたが、権力者によって厄払いのお守りとして切り刻んで持ち出された結果、現在の大きさになったようです。このベールについては、真偽を解明すべく科学的な分析が行われ、約2千年前のシリア産の布であることまで判明しているそうです。信じる者にとって真偽の行方は取るに足らないことだと思うのですが…。 -
シャルトル ノートルダム大聖堂
聖母マリアの衣。ベールのズームです。
イエス・キリストにまつわる聖遺物としては、トリノの聖ヨハネ大聖堂に保管されている「トリノの聖骸布」と呼ばれるイエスの遺体を包んだとされる亜麻布が有名です。聖骸布とは、イエスと思しき人間像が写真で言うネガ状態でプリントされたものです。
1973年に布の一部を調査し、顔料や塗料の形跡が全くなく、偽造説が否定されました。1977年にはNASAも謎に挑戦し、2次元プリントから正確な3次元立体像を浮かび上がらせ、絵画ではないことを証明しました。また、布の一部の血痕のようなものが、人間の血液であることを確認しています。ヴァチカンはこの聖骸布を2011年4月10日に一般公開しました。次の公開は2025年ですが、それまでに謎は解明されるのでしょうか? -
シャルトル ノートルダム大聖堂
西正面ファサードの南側角部にある『天使の日時計』。
天気が良いせいもあり、天使がやさしく微笑んでくれて癒されます。ところで雨の日にはどんな表情で迎えてくれるのでしょうか?
『天使の日時計』はまさしく天使が日時計を抱えている彫刻で、1528年の表記があるのでゴシック全盛期に造られたようです。恐らく、左側のゴシック様式尖塔が建造された時に一緒に造られたものと思われます。リルケの詩『L’ange du meridien Chartres』にも登場します。シャルトル大聖堂の尖塔そのものがリルケの日時計を意味するとの学説もあります。
オリジナルのものは1145年に造られたそうで、次のサイトに風雨に晒されて『翼の折れたエンジェル』といった様の写真があります。
http://images.library.pitt.edu/cgi-bin/i/image/image-idx?sid=05a4296bb57638c7ae6b8c307510ae30;c=chartres;q1=FCSP19600900;rgn1=chartres_all;size=20;lasttype=boolean;view=entry;lastview=thumbnail;subview=detail;cc=chartres;entryid=x-fcsp19600900;viewid=FCSP19600900.TIF;start=1;resnum=1
リンクしない時は、アドレスをコピー&ペーストしてください。当方のPCではこのページからはリンクしませんが、コピー&ペーストするとHPに入れます。アクセス・ブロックのようなものがかけられているのだと思います。 -
シャルトル ノートルダム大聖堂
『竪琴を弾くロバ』のガルグイユ。
『天使の日時計』の近くで見つけました。一見羊のようにも見えますが、ロバだそうです。おちゃめな表情がゴツゴツした威厳の高い大聖堂の雰囲気から解放してくれます。シャルトル大聖堂の外壁は「隠れキャラ」が満載です。ユニークなガルグイユを探してみてください。
マケドニアに生まれたフェアドルス(BC15〜AD50)の『寓話集』はイソップの作品と共に中世でもよく読まれていました。その中に「竪琴を弾くロバ」が登場します。ロバが牧場に竪琴が捨てられているのを見つけ、それを弾いて音を出そうと試みます。「私は音楽に無知だ。もし誰か別の者がこの竪琴を見つけたのなら、素晴らしい調べで人々の耳を魅了するであろうに」と嘆きます。フェアドルスの引き出した教訓「めぐり合わせが悪くて、生まれながらの天分が花開しないことがある」を表現しているそうです。ロバは昔から愚かなものとされていたようですが、この寓話のロバは少なくとも自分の限界を心得ていました。つまり、人々に自己の限界を学ばせる小道具だったそうです。中世の時代、意味を持たない装飾は不要だったのでしょう。 -
イチオシ
シャルトル ノートルダム大聖堂
大聖堂 南ファサード。
左側ポルタイユは、左右の人型の柱が人像円柱、その上に伸びる円弧状の帯がアーキヴォルト。中央ポルタイユのタンパンには『最後の審判』が描かれており、中央にはキリスト、その下で天秤で罪の重さを測っているのが大天使ミカエル。中央柱(トリュモー)には『美しき神』が鎮座しています。 -
シャルトル
ノートルダム大聖堂 後陣裏にある庭園。
大聖堂裏手の高台からはシャルトル市街地を一望できます。直下には枢機卿の館とフランス式庭園(一見ミステリーサークルのような幾何学的模様)が見下ろせます。何となく堂内にあったラビリンスを彷彿させます。 -
シャルトル ノートルダム大聖堂
北ファサード。
中央タンパンには、聖母マリアがキリストから冠を受ける場面「聖母戴冠」。右側の扉には「ソロモンの審判」、左側の扉には「東方の三博士礼拝」「キリストの降誕」「羊飼いたちへのお告げ」が彫り込まれているそうです。 -
シャルトル ノートルダム大聖堂
北側面。
ステンドグラスの間を補強しているバットレスです。上部はフライング・バットレスとなっていてアーチ状の梁が見受けられます。右下に目立たぬように佇むのが24時間時計です。
北塔の彫刻はゴシック様式を象徴するかのように繊細かつ精巧で、所狭しと散りばめられています。 -
シャルトル ノートルダム大聖堂
24時間時計。
北ファサードから西正面への途中にある16世紀に造られた24時間時計。今でも時を刻んでいるようです。 -
ロワール地方 ブロワ城。
SNCF(国鉄)のブロワ駅横手にあるレストランBuffet de la Gareで昼食を済ませ、バスでロワール地方へ向かいます。距離にして120km、バス乗車時間は1時間45分程です。途中、丘の上にあるブロワ城が車窓から見えましたが、あまりにも巨大過ぎてカメラに収まりません。歴代フランス王の幾人かが住居とし、またジャンヌ・ダルクがオルレアンから軍を出発させる前にランスの大司教から祝福を受けた場所としても有名です。カトリーヌ・ド・メディシスが亡くなった場所でもあり、他にも多くの人が毒殺や暗殺された曰く付のお城だそうです。シュノンソー城に負けず劣らずドロドロした歴史がありそうな古城です。
ロワール地方はフランス中西部に位置し、ロワール河に沿って数々の街が栄え、『フランスの庭』と称される風光明媚な古城や風景が広がる地域で、今でも人々の心を魅了し続けています。 -
ロワール地方 シャンボール城。
右手には古い小屋が立ち並んでいますが、実は映画のセットとして造られた使用人の小屋だそうです。 -
ロワール地方 シャンボール城。
1519年にフランソワ1世が、ソローニュの森で狩猟をする為に道楽で造らせた城で、完成したのは半世紀後のアンリ2世の時代。イタリア・ルネサンス様式の左右対称の構造になっていますが、時代と共に拡張し整備されてきました。部屋数は440、調理場や暖房用暖炉の煙突の数は全部で356本あり、外から見ると煙突だらけのお城です。一見、ボトルを並べたお城のようにも見えませんか?この城とその領地は1981年に世界遺産に登録されました。
庭の広さは55平方kmあり、山手線の内側とほほ同じです。大部分は狩猟林で、多数の野鳥、鹿、イノシシ、ウサギが生息しており、今でも大統領が賓客を接待する時に狩猟が企画されることがあります。 -
ロワール地方 シャンボール城。
内部見学はせず外観見学のみでしたが、河と城が織りなす美しい景観と広大な敷地を堪能できました。
上の写真の裏側(南側)の間近から仰いだシャンボール城です。遠景とはまた違った趣きがあります。遠景は女性的で優美な印象がありますが、近景は男性的で威圧感に溢れ、がっしり・ゴツゴツした感じです。 -
ロワール地方 シャンボール城。
中央部に乱立する塔をズームしてみました。積み木遊びのように屋上に様々な意匠を凝らした塔をびっしり並べ立て、造形美を競わせています。左右対称のようでそうでない所は本場イタリアのルネサンス様式の厳粛さを踏襲していませんが、かえって人間味が感じられ好感が持てます。 -
ロワール地方 シャンボール城。
写真中央がランタン塔です。細部の装飾にはロマネスクやゴシック建築の要素が取り入れられています。この下にレオナルド・ダ・ヴィンチが知恵を貸したという有名なルネサンス様式の二重構造螺旋階段があります。また、フランスの城館で屋上テラスが設けられるのは極めて稀のようです。庭園で馬上槍試合が催される時には、国王はじめ全宮廷の貴族や女性がこのテラスに居並んで見物したそうです。
この城館の最大の欠点は、冬季の寒さでした。建築家たちはフランソワ1世の誇大妄想的な要求に振り回されて造形美だけを競っていました。そのため、居住性の良し悪し、特に冬場の暖房効果については全く無頓着のようでした。暖かい食べ物も厨房から運ぶまでに冷め切っていたそうです。 -
ロワール地方
シャンボール城周辺。
駐車場へ帰る途中で見つけた蔦のからまる建造物。一部紅葉が始まっており、見事なグラデーションが目を惹きつけます。 -
ロワール地方
シュノンソー城への導入口であるプラタナスの並木路。
映画のワンシーンに出てきそうです。10月下旬でしたがまだ落葉には至っておらず、爽やかで緑が濃いのには驚きを覚えました。しかし、10月に入ると最低気温が5℃を下回る日もあるようです。防寒対策があれば心強いかと思います。当方は各所で夜景観賞をスケジュールに加えたので旅行中はダウンコートで過ごしました。着衣を加減することで快適に過ごせました。 -
ロワール地方
シュノンソー城。
緑に覆われたアプローチを抜けると、手前にマルク塔、奥にシュノンソー城が出迎えてくれます。 -
ロワール地方
シェール川に映るシュノンソー城。
初めは水車小屋でしたが、次第に拡張されて優雅な城になりました。女城主が続いたことから「6人の奥方の城」とも呼ばれます。1代目:カトリーヌ・ブリソネ、2代目:ディアーヌ・ド・ポワティエ、3代目:カトリーヌ・ド・メディシス、4代目:ルイーズ・ド・ロレーヌ、5代目:デュパン夫人、6代目:ペルーズ夫人。有名なのは2代目の「ディアーヌ・ド・ポワティエ」です。彼女は、夫アンリ2世より20歳も年上でしたが、王妃よりも王に寵愛された愛妾でアンリ2世が王太子だった頃の家庭教師でした。その後、アンリ2世がフランス王となった時、どうしても彼女のことを忘れられず、探し出して自分の妾としてこの城を彼女に与えました。しかし、アンリ2世の死後、正妻のカトリーヌ・ド・メディシスにより、シュノンソーから追い出されました。彼女の美貌は60歳になっても少しも衰えず高貴な美しさを漂わせていたと言われています。当時の城は中心に太い柱が設置され、それを右回りに登る螺旋階段が主流でした。こうすれば侵入した敵兵が階段を登るときに柱が影になり、武器を持つ右手も柱に邪魔されて守備側が有利に戦うことができました。初代カトリーヌ夫人は螺旋階段ではなく、真っ直ぐな階段を設置しました。また、各部屋へは廊下から入れるよう設計しました。これは、当時例のない斬新なアイデアでした。城の周囲にはきれいに手入れされた庭園が広がっており、国王アンリ2世の正妻カトリーヌ・ド・メディシスと寵妃ディアーヌ・ド・ポワティエによってそれぞれ造園されたものです。 -
ロワール地方
シュノンソー城 礼拝堂。
城内は礼拝堂、各城主の居室、厨房やギャラリーなど見所が満載です。シュノンソー城は別名「橋の上の城」と言われ、上の写真の一番右側、こちらを向いているお部屋がこの礼拝堂です。
護衛兵の間から聖母マリアの像が据えられた扉をくぐると礼拝堂に行き着きます。女城主の感性が行き届き、白を基調とした色使いをステンドグラスから射し込んだ光彩が引き立てています。この礼拝堂は、フランス革命時城主であったデュパン夫人の機転で礼拝堂を薪の貯蔵庫として使っていたため、略奪や破壊を免れたそうです。
この写真のカメラ設定はオートモード、ISO感度320で露光補正はゼロです。ちなみにISO感度を800に設定し、露光補正を−2にするとステンドグラスだけが浮き上がります。 -
ロワール地方
シュノンソー城礼拝堂。
新約聖書の『ルカ伝』に倣ったのでしょうか、祭壇の手前にはベツヘレムの馬小屋でのイエス・キリスト生誕をモチーフにしたフィギュアが置かれています。イエスは飼い葉桶に寝かされ、その傍らで牛とロバが優しそうな目で見守っています。左側には、ベツヘレムの星に導かれて辿り着き、黄金・乳香・没薬の3つを贈り物として奉げた東方三博士の姿も見えます。
後にヘロデ王は、自分の王座を脅かす者を排除しようと、ベツレヘムとその周辺の2才以下の男児を皆殺しにしましたが、イエスは神のお告げでこの災厄を事前に知り、聖母マリアとその夫のヨセフに連れられてエジプトへ脱出して助かりました。 -
ロワール地方
シュノンソー城の内部
(ディアーヌ・ド・ポワティエの居室)。
写真は2代目:ディアーヌ・ド・ポワティエの居室。ベッド奥のタピスリーは16世紀にフランドル地方で織られ、『力の勝利』と『愛徳の勝利』が描かれた力作です。タピスリーには保温効果があり、寒い石造りの城でよく利用されました。壁には17世紀スペインで活躍したムリーリョ作「幼子を抱く聖母マリア」の絵画が飾られています。
フランソワ1世は、北イタリア遠征でパヴィアの戦に敗れてローマ皇帝カール5世の捕虜の身となりスペインへ移送されました。当時9歳の長男フランソワと7歳のアンリを身代りにする条件で釈放されます。スぺイン国境で身柄が引き渡されようとする時、アンリ王太子がいかにも心細く寂しそうに見えたので随行者の中から思わず駆け寄ったのがディアーヌ。彼をひしと抱き締めました。時に彼女は27歳、2児の母親でしたので純粋な母性本能のなせる業に疑いはありません。しかし、この母性愛がアンリの胸に深く刻み込まれ、長ずるに及んで男女の関係に発展を遂げたのです。 -
ロワール地方
シュノンソー城の内部
(ディアーヌ・ド・ポワティエの居室)。
意外にも暖炉の上には3代目:カトリーヌ・ド・メディシスの肖像画が掛けられており、鋭い目付きでいつも見張られているといった感じが伝わってきます。
絵画の下を見てください。有名なココ・シャネルのロゴマーク(ダブル・C)があります。なるほどココはこれを模倣したのかと思い、旅行後ネットで調べると実はそうではありませんでした。ココが若かりし頃、Cのロゴを記した2枚の薄紙を手にしていた時、片方の薄紙が偶然裏返り、反転したロゴを何気なく重ねてみた所、シャネルのロゴマークが誕生したと記されています。希代のデザイナー、ココ・シャネルのインスピレーションのなせる業と言うことのようですが、過去にシュノンソー城を訪れていたのでは? そうであれば、デジャ・ヴュということになるのでしょうか? これは新たな発見かも??? -
ロワール地方
シュノンソー城 緑の書斎奥の図書室。
落ち着いた雰囲気があり、中央にカトリーヌ・ド・メディシスが使っていた仕事机が置かれています。ここからシェール川、中洲、ディアーヌの庭園の素晴らしい眺めが望めます。 -
ロワール地方 シュノンソー城
シェール川を跨ぐギャラリー。
ディアーヌ・ド・ポワティエは橋の上にギャラリーを増設させ、壮麗な舞踏会場としました。第一次世界大戦中には負傷者の病室として使われ、沢山のベッドが置かれたそうです。 -
ロワール地方 シュノンソー城
ギヤラリーからシェール川を望む。 -
ロワール地方 シュノンソー城
厨房。
銅製の調理具が所狭しと並べられています。迷路のような厨房の地下には、ディアーヌがシェール川で水泳をするために降りていける秘密の階段が設けられています。 -
ロワール地方 シュノンソー城
フランソワ1世の居室。
壁にはフォンテーヌブロー派のル・プリマティスの「狩りの女神ディアナ姿のディアーヌ・ド・ポワティエ」の絵が掛けられています。 -
ロワール地方 シュノンソー城
ルイ14世のサロン。
ルネッサンス様式の暖炉にはフランソワ1世の紋章である火を吐くサラマンダーが刻まれています。
ルーベンスのファンの方は、小テーブルの上にある「幼いキリストとバプテスマのヨハネ」をお見逃しなく。これは、1889年にスペイン王ジョゼフ・ボナパルト(ナポレオン1世の兄)から購入したものだそうです。このサロンには、これ以外にも18世紀のフランス絵画の素晴らしいコレクションがあります。 -
ロワール地方 シュノンソー城
最上階のルイーズ・ド・ロレーヌの居室。
夫アンリ三世をジャック・クレモンに暗殺された後、瞑想と祈りを捧げるため王家の喪の色である白い服を身に着けてこの居室に引きこもりました。彼女の人生の慰めは、祈りと読書と刺繍でした。死の悲しみを象徴する銀の泪、未亡人の編み紐、茨の冠とルイーズの頭文字のΛとアンリ三世のHを組み合わせた模様が部屋一面を覆っています。宗教画や祈祷台が敬虔で陰鬱な雰囲気をさらに醸し出しています。
写真はISO感度を800にしています。それでもこの程度にしか写りません。如何にこの居室が暗いかが実感していただけるのでは? -
ロワール地方 シュノンソー城
5代目:デュパン夫人の肖像画。
フランス革命後、多くの城では民衆による略奪や破壊が横行しましたが、デュパン夫人が日頃から地域の人々との交流を絶やず、敬愛されていたおかげでシュノンソー城の家具・調度類や古美術品は奇跡的に現存されています。王朝時代からの絵画や家具調度類を観るだけでも価値があるお城です。
ジャン・ジャック・ルソーはデュパン夫人とその息子の秘書役でした。『告白録』(井上究一郎 訳)で「ここで私はいくつもの三部合唱を作曲した。(中略)ほかにもちょっとしたものを作曲したが、そのなかで『シルヴィの小道』という韻文劇の一篇は、シェール川にそった公園の小道の名から題をとった」と満ち足りた人生を送った様が偲ばれます。 -
ロワール地方 シュノンソー城
テラスより望むディアーヌ・ド・ポワティエの庭園。
幾何学的模様をあしらった花壇がきれいです。カトリーヌ・ド・メディシスの庭園に比べて広く、景観が勝れます。 -
ロワール地方 シュノンソー城
テラスより望むカトリーヌ・ド・メディシスの庭園。
こちらもシンメトリックな幾何学模様をあしらった庭園ですが、ディアーヌの庭園に比べてスケールが小さいので貧相に見えてしまうのが残念です。時代が経っても、往時同様に庭園の美しさを競い合っているように思えます。 -
ロワール地方 シュノンソー城
テラスよりマルク塔を望む。
13世紀に築かれたマルク家の城塞のドンジョンです。16世紀に中世以来の城塞が取り壊わされ、ドンジョンだけが残されています。 -
ロワール地方 シュノンソー城。
出口周辺にソフトクリームを模した剪定がなされた植木がありました。ここ以外でも時折見かけたので、何かを象徴する形なのかもしれません。 -
トゥール ホテル・ジロドーからの夕景。
こじんまりしたホテルです。夕食はホテル内のレストランでいただきます。ただ、トゥール市の中心部から距離があるので名所のサン・ガシアン聖堂(徒歩20分)やサン・マルタン聖堂の見学を予定されている方には少々不便かもしれません。スーパーマーケットが徒歩5分程の所にあります。トゥール市内観光はスキップし、明日のモンサンミッシェルに備えてエネルギー充電のため早々に就寝。
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