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 ニコライさんが、馬に乗ってみないか、と言いだしました。えっ私、馬に乗るの初めてなんですけど、どうしよう、…乗ってみたいです。というわけで1秒ほど迷いましたが、乗りました。数メートル移動しただけですけどね。たったそれだけでも、楽しい!もう、勝手にニコニコと顔がほころんできます。生き物の背中に揺られるって、イイ。理屈抜きにいいですね!いつか、サハの大地を、馬を駆って自由に旅できたら素敵だな。<br /><br /> この寒極でも、自力で餌を見つけて生きていられるヤクート馬たち。立っているだけで、もわーんと湯気が立ち上っています。すごい生命力。そんなヤクート馬の背にまたがって、吹きさらしの環境で馬追いの仕事をする人間もまた、凄まじい適応力です。みんな、どうしてそんなに強いんですか。<br /><br /> ニコライさんによると、この辺りの人は、気温マイナス50℃以下でないと、寒いとは言わないんだそうです。今日みたいな30℃程度の日は、暖かいんですって。はっとしました。ニコライさんの言葉に驚いたのじゃありません。私もごく自然に、マイナス30℃を暖かいと思ったことに気づいたのです。

エクメネの最果てへ ―サハ共和国 冬の旅― (23)

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2009/01/12 - 2009/01/14

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JIC旅行センター

JIC旅行センターさん

 ニコライさんが、馬に乗ってみないか、と言いだしました。えっ私、馬に乗るの初めてなんですけど、どうしよう、…乗ってみたいです。というわけで1秒ほど迷いましたが、乗りました。数メートル移動しただけですけどね。たったそれだけでも、楽しい!もう、勝手にニコニコと顔がほころんできます。生き物の背中に揺られるって、イイ。理屈抜きにいいですね!いつか、サハの大地を、馬を駆って自由に旅できたら素敵だな。

 この寒極でも、自力で餌を見つけて生きていられるヤクート馬たち。立っているだけで、もわーんと湯気が立ち上っています。すごい生命力。そんなヤクート馬の背にまたがって、吹きさらしの環境で馬追いの仕事をする人間もまた、凄まじい適応力です。みんな、どうしてそんなに強いんですか。

 ニコライさんによると、この辺りの人は、気温マイナス50℃以下でないと、寒いとは言わないんだそうです。今日みたいな30℃程度の日は、暖かいんですって。はっとしました。ニコライさんの言葉に驚いたのじゃありません。私もごく自然に、マイナス30℃を暖かいと思ったことに気づいたのです。

  •  以前からなんとなく感じてはいましたが、これで確信しました。「体感温度のインフレ」ってやつは存在するし、それは普遍的現象なんだと。どういうことか説明しましょう。私は特に寒さに強い人間ではありません。むしろ、気温プラス5℃程度で震えているような軟弱者です。<br /><br />でも、冬の北海道を野宿しながら旅したときは、その間だけ、マイナス10℃までは暖かく感じるようになりました(初めは信じられなくて、温度計が壊れていると思ったものです)。この現象を、私は勝手に体感温度のインフレと名づけています。もっとずっと寒いところへ行ってみても、そのたびに、インフレを体験しました。<br /><br />名だたる寒冷地の住人はよく、ここでは○度までは寒いとは言わない、なんて言いますが、その通りですね。その場で同じ気温を共有しているうちに、不思議なくらいあっさりとそう思えてしまう。それでもずっと、半信半疑だったんですが、今回はとうとう、世界の寒極までやってきて、やっぱり同じ現象を経験してしまいました。これはもう、地球上で人の定住しているところ、全てがそういうものなのかもしれません。<br /><br />ちょっと立ち寄っただけの旅行者でさえも、1日、2日もあれば、寒さの感覚が現地仕様にスライドしてしまう。もしそうだったら、最果ての町を探し求める旅は、温度感覚に関する限り、無駄ってことなのでしょうか。ちょっとさびしいな。<br /><br />「50℃以下になると、吐く息が凍るよ。」とニコライさんは言います。「冬はそれくらいが普通なんだ。けど、最近は暖かい日があるね。以前は1月に30℃台なんて考えられなかった。これは3月の気温だよ。」<br /><br />あああ、なんて残念。息が凍るところ、見たかったなあ。天を恨んでも仕方ないですが、どうして自分の滞在日程に限って例外的に暖かい日とぶつかってしまうのでしょう。でもニコライさんは全然残念そうじゃありません。「そりゃ、寒いよりも暖かい方がいいよ。」ごもっとも。<br /><br /> 牧場の片隅に、ニコライさんの所有するヤクート式ユルタ(ЮРТА)が建っています。博物館(連載第7回参照)で見学したのと同じ、チロルチョコの形状をした、厚い土壁の、「動かせない移動式住居(ユルタ)」です。中を見せてもらいました。コップや食器がテーブルに載っていて、はっきりと生活感があります。たまに、このユルタに泊まり込みで仕事をすることもあるのだとか。冬でも暖炉に火を焚くと十分暖かいそうです。寒極の人々の暮らしには、ヴェルホヤンスクという「町」の部分のほかに、こういうプリミティブな単位もあるのです。<br /><br />そしてそれらを全部まとめて支えているのが、馬。まぎれもなく、馬です。極限の地であるこのヤーナ川のほとりで、命を繋ぐ栄養源として、主食として、ほかにどんな生き物が代わりを務められるでしょう。馬がいなくては、人類の最果ては、もっとずっと後退していたに違いないのです。<br /><br /> お土産だ、と言って、ニコライさんが何か白い毛むくじゃらの棒を差し出しました。受け取ってよく見ると、爪がついています。ウサギの後ろ脚でした。テーブル掃除に使うとちょうどいいよとニコライさんは言いますが、さて…。<br /><br />そんなわけで、世界で一番寒い大地を元気に蹴っていたウサギさんの脚が今、我が家にあります。ウサギ氏も、まさか自分の脚が遠く日本へ渡ることになるなんて、生前は思ってもみなかったことでしょうね。なんだかもったいないので、まだテーブル掃除には使っていません。

     以前からなんとなく感じてはいましたが、これで確信しました。「体感温度のインフレ」ってやつは存在するし、それは普遍的現象なんだと。どういうことか説明しましょう。私は特に寒さに強い人間ではありません。むしろ、気温プラス5℃程度で震えているような軟弱者です。

    でも、冬の北海道を野宿しながら旅したときは、その間だけ、マイナス10℃までは暖かく感じるようになりました(初めは信じられなくて、温度計が壊れていると思ったものです)。この現象を、私は勝手に体感温度のインフレと名づけています。もっとずっと寒いところへ行ってみても、そのたびに、インフレを体験しました。

    名だたる寒冷地の住人はよく、ここでは○度までは寒いとは言わない、なんて言いますが、その通りですね。その場で同じ気温を共有しているうちに、不思議なくらいあっさりとそう思えてしまう。それでもずっと、半信半疑だったんですが、今回はとうとう、世界の寒極までやってきて、やっぱり同じ現象を経験してしまいました。これはもう、地球上で人の定住しているところ、全てがそういうものなのかもしれません。

    ちょっと立ち寄っただけの旅行者でさえも、1日、2日もあれば、寒さの感覚が現地仕様にスライドしてしまう。もしそうだったら、最果ての町を探し求める旅は、温度感覚に関する限り、無駄ってことなのでしょうか。ちょっとさびしいな。

    「50℃以下になると、吐く息が凍るよ。」とニコライさんは言います。「冬はそれくらいが普通なんだ。けど、最近は暖かい日があるね。以前は1月に30℃台なんて考えられなかった。これは3月の気温だよ。」

    あああ、なんて残念。息が凍るところ、見たかったなあ。天を恨んでも仕方ないですが、どうして自分の滞在日程に限って例外的に暖かい日とぶつかってしまうのでしょう。でもニコライさんは全然残念そうじゃありません。「そりゃ、寒いよりも暖かい方がいいよ。」ごもっとも。

     牧場の片隅に、ニコライさんの所有するヤクート式ユルタ(ЮРТА)が建っています。博物館(連載第7回参照)で見学したのと同じ、チロルチョコの形状をした、厚い土壁の、「動かせない移動式住居(ユルタ)」です。中を見せてもらいました。コップや食器がテーブルに載っていて、はっきりと生活感があります。たまに、このユルタに泊まり込みで仕事をすることもあるのだとか。冬でも暖炉に火を焚くと十分暖かいそうです。寒極の人々の暮らしには、ヴェルホヤンスクという「町」の部分のほかに、こういうプリミティブな単位もあるのです。

    そしてそれらを全部まとめて支えているのが、馬。まぎれもなく、馬です。極限の地であるこのヤーナ川のほとりで、命を繋ぐ栄養源として、主食として、ほかにどんな生き物が代わりを務められるでしょう。馬がいなくては、人類の最果ては、もっとずっと後退していたに違いないのです。

     お土産だ、と言って、ニコライさんが何か白い毛むくじゃらの棒を差し出しました。受け取ってよく見ると、爪がついています。ウサギの後ろ脚でした。テーブル掃除に使うとちょうどいいよとニコライさんは言いますが、さて…。

    そんなわけで、世界で一番寒い大地を元気に蹴っていたウサギさんの脚が今、我が家にあります。ウサギ氏も、まさか自分の脚が遠く日本へ渡ることになるなんて、生前は思ってもみなかったことでしょうね。なんだかもったいないので、まだテーブル掃除には使っていません。

  •  もう、外は暗くなり始めてきました。さすがは北極圏、朝と昼と夕方がいっぺんに終わりかけています。そろそろ、ヴェルホヤンスクへ戻りましょうか。そういえば、いまいちはっきりしない道を通ってきたせいで、現在いる牧場の位置がどのあたりなのか、正確にイメージできません。<br /><br /> アナトリーさんのウアズは、元来た経路と少し違うところを走り始めました。冬の道は海のように自由です。どこをどう進んでも目的地へたどり着けるくらい、アナトリーさんはこのあたりの地理を庭のように熟知しているのでしょう。でも、これで部外者には道が全然わからなくなってしまいました。<br /><br /> そんな道中、疎林の中で急にウアズが止まりました。エンジンがかかりません。故障みたいです。<br /><br />(つづく)

     もう、外は暗くなり始めてきました。さすがは北極圏、朝と昼と夕方がいっぺんに終わりかけています。そろそろ、ヴェルホヤンスクへ戻りましょうか。そういえば、いまいちはっきりしない道を通ってきたせいで、現在いる牧場の位置がどのあたりなのか、正確にイメージできません。

     アナトリーさんのウアズは、元来た経路と少し違うところを走り始めました。冬の道は海のように自由です。どこをどう進んでも目的地へたどり着けるくらい、アナトリーさんはこのあたりの地理を庭のように熟知しているのでしょう。でも、これで部外者には道が全然わからなくなってしまいました。

     そんな道中、疎林の中で急にウアズが止まりました。エンジンがかかりません。故障みたいです。

    (つづく)

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