2011/09/16 - 2011/09/19
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アルデバランさん
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中国歴代皇帝の中で独裁君主中の独裁君主は誰かと言えば清朝第5代皇帝、世宗の雍正帝でしょう。
父ちゃんの康煕帝とセガレの乾隆帝に挟まれ在位期間も短く存在感が今一つですが、即位の時の言葉が凄かったねェ
「世の酸いも甘いも知り尽くした部屋住み生活45年間、その辺の甘ちゃん天子とはものが違うぜ!
甘く見てかかるととんだ目にあうで!」
朝は4時に起きて夜中まで仕事、仕事。なんせ各地の部下(身分をとわず)からのE-MAILにいちいち返信していたから。
睡眠時間4時間の働き過ぎで58歳で過労死…。
死因説はいろいろあって、①病死の他に②呂四娘に刺された(呂さんに恨みかってたから)、③丹薬服用による中毒
史学会では③説が多数を占めてるようです。
で、生前、清東陵は康熙帝の恵陵の隣に場所を選んだけど、土質がよくなかった…
そこで家来にあちこち捜させた結果、河北省易県の泰寧山の麓、太平峪の地に最良の万年吉地を見つけました。
では規模広大な清西陵の首陵である泰陵、そして嘉慶帝の昌陵にも行ってみましょう。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- タクシー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
回音壁の昌西陵から1キロほどで昌陵に到着です。
-
ひ、広い!
-
反対側
そうです、横から龍鳳門と碑亭の間のだだっ広いところに着いたのです。
左の座り込んで休んでいるのは運転手の郭さん(仮名)です。 -
入り口の龍鳳門方面は後にして、先に碑亭のほうに向かいます。
間に三路三孔拱橋です。 -
とにかくだだ広くて…
右の橋の方になにやら建物があります。 -
右側の塀に囲まれた建物は神厨庫です。
行ってみましょう。 -
右側の塀に囲まれた建物は神厨庫です。
行ってみましょう。 -
文物管理処 昌陵保管所とありますが、一体何を保管しているのでしょう…
「参観謝絶」の4文字が冷たく拒みます -
参観しないで入り口から見るだけならいいだろうなどと屁理屈つけて…
何がなんだかわからなから行こっと… -
隆恩門には昌陵の案内がありました。
漢字ばかりでよく分かりませんが推測するに
ここ、嘉慶帝の昌陵は
最初父ちゃんの乾隆帝が陵墓とする予定だったのを
清東陵に造ったので息子に譲ったようです。 -
残念ながら隆恩門より奥の陵恩殿や方城は非公開です
高宋の嘉慶帝は陵墓建築にあたって
「内式照裕陵、外式照泰陵」と指示したそうでうすが、これでは分かりません。
戻ります。 -
「郭さん(仮名)もうちょっと、待ってて」と言って
入り口側の龍鳳門方面にも行ってみます。 -
三孔拱橋の上から入り口方面、龍鳳門を見ます。
広くてかなわないけど、入り口方面にも行ってみましょう… -
龍鳳門のをすぎると石像があります。
-
神道の途中で首を傾げてしまいました。
経徳神功碑亭(大碑亭)、五孔拱橋、龍鳳門とその間の神道が一直線でなく、なぜか折れ曲がっているのです -
竣工検査で「曲がってる!やり直し!」とか言われなかったんですかね…
-
早くも13,000歩近く歩きました…
昨日は長城も歩いて30,000歩以上でしたが、それに近いペースです… -
大碑亭です。
ここも閉まっており中が見えません。 -
大碑亭の四方にある華表の基壇
さすが嘉慶帝の陵墓です
手を抜いてません(あたりまえか…) -
どうしても曲がりが気になります。
-
昌陵は非公開だったけど、結構歩いて疲れました。
次、泰陵、行ってみましょう。 -
昌陵と雍正帝の泰陵とはせいぜい1キロぐらいですが、
間は全て松林です。 -
泰陵に着きました。
さすが清西陵の主陵、でかいです。広いです -
泰陵は清西陵の主陵なので、ちゃんと駐車場も備わってます。
もっとも、朝一番で行った本当の入口からは2キロぐらい入った所ですが。
観光客も来るのか露天の土産物店もあります。 -
入口方面…
朝、最初に着いたところがこのずっと先の大紅門のところでした。
清西陵の主陵ですので神道は2.5キロにも及びます。 -
泰陵の正面
右側には土産物屋さんがずらりと並びます。
並んでいるだけでお客さんはあまりいません。 -
あらら、横に…
先程の昌陵と同じですね。
この結構規模の大きい建物は現在は泰陵保管所という看板をだしてますが、
元々は供物を作ったり、保管したりする場所の「神厨庫」です。
三路三孔拱橋を渡って行ってみましょう。 -
神厨庫院は4棟もある建物ですが
ここも「游人止歩」の看板が出てます… -
隆恩門手前の、東朝房です。
ビジターセンターになってましたが閉まってます。
ちなみに対面の西朝房はチケット売り場になっていました。 -
隆恩門にあった航空写真。
一帯に広大な樹齢数百年の松林(自称古松2万本、幼松20万本)が拡がっている絵です。
神道は真ん中に蜘蛛山を迂回しているのがよくわかります。
朝、歩いたのはその手前大碑楼(経徳神功碑亭)、七孔孔拱橋、石像あたりです。
先程の昌陵から松林を通って赤線の道を泰陵停車場まで来ました。 -
もう一つ…
この後行く崇陵まではかなりあります。 -
さあ、隆恩殿です。
重檐歇山式の堂々たる建物です。 -
「螭首」ちしゅが重さに耐えかねて… -
表面はかなり荒れていました。
でも、これはちゃんとメンテすれば綺麗になります。 -
そうとうな厚化粧なんですね…
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どうです、この盛り上がり具合!
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隆恩殿の中に入ってみました。
奥に暖閣という部屋が3間ならびます。 -
金柱もエライことになってます。
こりゃ修復に結構かかりますねェ
300年経ってるからしょうがないですね。 -
造りはしっかりしてるから修復すれば良くなると思うけど…
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ただゴテゴテすればいいってもんではないんでしょうが、
龍だらけの宝座 -
天井も貼りですね。
慕陵に完敗です。 -
なぜか紫禁城養心殿西暖閣の様子を再現してました。
雍正帝はここに軍機大臣を召見しました。
雍正帝が書いたんでしょうね「勤政親賢」 -
例によって隆恩殿を回り込みます。
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陵寝門から後寝に入ります。
瑠璃瓦の中心花、岔角花が完璧です -
まさに天を仰ぐ望天吼が天辺に座る二柱門
牌楼です。 -
石五供とその向こうに方城、明楼
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ドーンとトンネルが貫通している方城
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登って振り返ります。
さすが、清西陵の盟主
観光客も団体客がやって来ます。 -
石五供、二柱門、陵寝門、隆恩殿の揃い踏み…
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トンネルの正面には影壁
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方城は東西南の3面は壁面で方形を形作ってますが、北側はこのように階段と墻で北側の宝城につながっています。
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上に上がってみました。
宝頂の周りの宝城は後回しにして明楼の中に行ってみます。 -
明楼から下を覗いて見ます。
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廟号と謚号が朱砂碑に満、蒙、漢の三種の字で書かれてます。
誰の筆でしょうか。 -
では宝頂の周りを一周して帰りましょう。
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さすがに宝頂も大きく直径100mはあろうかという巨大さです。
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帰りにちょいと記念撮影
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ずらりと並んだ土産物屋さんをながめながら…
これで商売成り立つのでしょうか? -
後ろはさらに…
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よほどヒマなんですね。
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