2011/09/16 - 2011/09/19
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アルデバランさん
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北京入関後最初の皇帝、順治帝、次の康熙帝もここ清東陵に陵墓を造営しましたが、次の雍正帝は康熙帝の恵陵の隣は土質がよくないと言って、あちこち陵墓用地を探したあげく、よりもよって北京の西側河北省易県、清東陵からは250キロ以上も離れた易県という場所に陵墓を造りました。
おかげで我々は陵墓巡りをする際に、東に西にと2日がかりにになってしまいます。
もっとも、お堅い雍正帝。父の隣に寄り添うというしきたりがあったために恵陵の隣には形だけ造ったようですが…。
そして、乾隆帝。
彼は父ちゃんの雍正帝の隣に造営しようと思ったけど、それにより清東陵が荒れてしまうことを懸念しました。
そこで、思いつきました。「代わりばんこに東と西に分ければいいや!」
ということで、本人の陵墓は清東陵に子は清西陵に、孫は清東陵に、というルールが出来ました。
ということで、乾隆帝の陵墓、裕陵です。
長生きしたんですね、乾隆帝は。
したがって裕陵も念入りに施工され、ここに当時の建築技術と芸術の総結集が見られます…。
特に墓室がある地宮は全て石造りで彫り物の装飾で埋め尽くされて圧巻です。
埋葬品は孫殿英に皆、盗掘されてしまいましたが…
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- タクシー
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-
乾隆帝の裕陵にやってきました。
-
碑亭の碑です
かなたにある神功経徳碑は2基並んでますが、これは1基です。 -
そこそこ観光客もいて整備されてます。
-
5間の隆恩門で改札です。
門は見てのとおり3門
左門は君門で皇帝が出入りする門
右門は臣門で王公大臣が出入りする門です。
真ん中の門はがっちり閉じられてますが、「神門」で皇帝、皇后が入葬の時のみ出入りする門です。
出入りは変ですね… -
中に入って隆恩殿です。
「●▽×□…殿試科挙大典」なる横断幕が張られて
なにやら道具がセットされてます。 -
裕陵は埋葬墓の地下宮殿がメインですが敬意を表して隆恩殿にも行ってみましょう。
入り口近くの月台には鹿が飼われてました… -
裕陵の隆恩殿の中は唖然とするぐらいさっぱりしてます。
というか衝立でほとんどが隠れてしまってました。 -
仕方ないので上を見上げて出てきます。
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隆恩殿の裏手に回り
なかなか凝った造りの欄干の三路三孔橋を渡って陵寝門です。 -
階段の上から隆恩殿を振り返ります。
隆恩殿の重檐歇山式の後ろ姿… -
先ほどの隆恩門同様三門ですが、真ん中も開いてます。
でも出てこれなくなると困るんでここからは入らず、サイドの門から入ります…
なんせ真ん中は神門で亡くなった人が通る門だから -
陵恩門から内側の領域は「后寝」と言って埋葬されている皇帝や皇后が身を安ずるプライベートエリアです。
いわば紫禁城でいえば内廷のようなものです。
さすが乾隆帝のお墓
櫺星門も綺麗に残ってます。
というかメンドルも柱も新しそうだから再建したのでしょうか? -
石五供、方城、明楼です。
堂々たる姿に圧倒されます -
方城の階段を上がって、はやる気持ちを落ち着かせるため振り返って余裕を見せたり…
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方城のトンネルを進むと地下宮殿への入り口がぽっかり空いてます。
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つ、ついに乾隆帝の裕陵の地宮です。
奥行き50mにも及ぶ、地下宮殿の各部分(室、門等)は「券」と呼ばれ、清の皇帝陵墓の場合は9券4門構成がお約束です。 -
奥に向かって石門が続いて、石の世界に息をのみます…
その中でも重要なのが観音開きの石門で区切られた奥の3部屋、すなわち「明堂券」「穿堂券」そして墓室の「金券」です。
その手前の第一道石門 -
石門は木造建築と同じ屋根がかかり、お釈迦様の他、様々な吉祥物の彫刻が施されてます。
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石雕精美
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これはチベット文字でしょうか…
青白い石に怪しく文字が浮かび上がります -
天井まで文様や文字がびっしり施されてます。
奥から2番目、3番目の明堂券、穿堂券となると壁一面に彫刻です。
そして天井は荷重を支える為なのかアーチ状です。 -
明堂券の天井。
東西南北そして真ん中の五方仏 -
穿堂券の壁に五官能に通ずる五欲供が灯りに照らされてました。
代表して「天衣」「水果」 -
屋根の上にも、そして天井にも仏様がずらりと…
二十四尊佛勢揃いです。 -
4箇所の石門の計8つの観音開きドアには観音菩薩だけでなく8大菩薩がおります。
手で触る人が多いんでしょうね、ガラスケースで保護されてました。 -
これは奥から2番目の穿堂券から第二道石門を通して明堂券の方向です。
両サイドがガラスケースに保護された観音開きの菩薩ドアです。 -
そして真上を見上げると…
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で、第三道石門の奥に最も重要な「金券」です
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墓室の金券の両サイドのアーチ部分にはお釈迦様とその周りに八宝。
八宝と言ったって「菜」のほうじゃないよ…
法螺、傘、蓋、金魚、紐とかの吉祥物です。 -
そして、乾隆帝の棺です。
墓につきものの盗掘という世の常とはいいながら、残念なことに孫殿英によって棺もこじ開けられ、帝が身にまとっていたお宝まで皆盗まれてしまったことが頭から離れません。
十全老人とはいっても墓に入ってしまえば同じですねエ。
世のはかなさの象徴を感じました… -
誰ですか?空手チョップで割ってしまったのは…
こんな文化財を。
大山倍達もたじたじ -
傍らには皇后や皇貴妃の棺もあります。
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壁一面のチベット文字できっと仏教典が書かれているんでしょうね。
成仏するように、それとも魔よけ? -
まるで地下宮殿全体が一種の仏堂となっているようです。
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壁に四天王像を彫って四方を守っていますが、ちょいと不安だったんでしょうか。
獅子にも守らせています… -
その四方を守る四天王。
右手に傘、左手に宝を吐く鼠を抱え、北方を守る「多聞天」
いわゆる毘沙門様ですが日本とずいぶん持ち物が違います。 -
琵琶を奏でる「持国天」は施工がちょいと拙かったのか、石と石のつなぎ目に白華現象が生じてます。
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方城に上ってみました。
団体客がひっきりなしとはいかないまでも次々にやってきて
落ち着く暇がありません。 -
地宮の真上にあたる宝頂の周りを一周してみましょう。
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ちょうど真後ろ(北)に来ました
壁がなければただのマウンドです… -
宝頂を一周してみました。
次にあの建物(明楼)に入ってみましょう。 -
明楼からの眺め。
1年半前の明の十三陵の長陵では眺めに見とれ足を挫いて、全治1か月かかった苦い思い出が蘇ります… -
陵墓の坂道は煉瓦敷きです。
上から見るとこのように斜めに敷かれて角が出ているので、下りは降りにくいこと降りにくいこと… -
下から見上げると、平らになっており、その斜めに敷かれているのがわかりません。
まさか、こんなところを荷車が登った訳じゃあないし… -
しつこいようですがもう一度。
方城への坂道を上から見下ろす。 -
下から見上げると…
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精緻な石の世界を後に娑婆に出てくると後ろから珍しく日本語が聞こえてきました。
仕事で北京に駐在していており、清東陵を案内してもらっているという東京の方でした。
北京から車で来たようで、我輩は昨夜薊県に泊まって、朝来たと言ったらびっくりしてました。
朝、北京を出てくるのが一般的なようです… -
地宮をでて今度は西隣、数百メートルの所にある西太后の「菩陀峪定東陵」に向かいます。
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