2011/09/16 - 2011/09/19
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アルデバランさん
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1644年に女真族の清は万里の長城を越えて入関し北京の明の紫禁城を接収、中国支配を開始しました。
第3代皇帝愛新覚羅福臨クンこと順治帝は7歳で即位し、名君の誉れ高い皇帝とのことでしたが24歳にして突如天然痘にかかってなくなってしまいました。
短い生涯でしたが、さすが名君、福臨クンはGoogle Mapの航空写真もない時代に自ら歩いて自分の墓所を探しました。
河北省遵化県の昌瑞山を中心とする山に囲まれた地が気に入ったようで『清史稿』第86巻にも“昌瑞山は王気葱郁、ここに決〜めた!”と書かれてます。
その後4代康熙帝も隣に景陵を造営、ここに南北125キロ、東西25キロ、2500平方キロという広大な清の皇帝陵域が形成されました。
さらに乾隆帝や咸豊帝、西太后もこの地に陵墓を造営し、とても賑やかになりました。
それでは早速行って見ましょう。
まずは神道を見ながら、康熙帝の景陵…
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
-
着いて最初からこれだもんね…
南を向くと正面に金星山(お相撲さんの名前みたいですね)
両側には石像がずらりと並んで我輩を出迎えてくれます。 -
反対に北側はというと…
龍鳳門
真ん中の柱間の遥か彼方に豆粒のように孝陵が見えます。 -
両サイドは車道になってます。
車を降りてテクテク歩いてゆくと。
神道はまっすぐでなく、何かをよけるようににカーブして迂回してます。 -
奥から逆行してますので、入口に近づくと横に勢ぞろいしている石像は文臣・武将から動物系に代わります。
-
2、3代表して登場してもらいます。
向こう傷がいさましい旗本退屈馬とか -
立派な持ち物の立像とか。
ちなみにお隣は座った像です… -
こんな感じでズラリと並んでます。
立っているのと座っているのがペアになって6種類、12対。
その規模も、各種登場数も孝陵の神道は飛びぬけており、
孝陵の神道というより清東陵全体の神道と見なすべきなのでしょう。 -
看板を見てもこんな感じなので。
-
そうこうしていると彼方から
「パカッ、パカッ…」と音がしてきました。
何か?と音のほうを見ると、馬が疾走してきました
下馬碑を無視して走ります… -
かっこいい!
後で判りましたが、馬に乗っての出勤姿です。
そうです、観光乗馬用の馬を走らせてこれから職場に向うのです。 -
運転手の張さんはこの祥獣も撮れと命じました。
「麒麟じゃ」といいますが、ちょいと待って
ヘアースタイルが違うし、だいち一番の特徴の鱗がないじゃん…
ということでこれはシエジー叙e豸でっせ。
それにしても鼻が強烈に自己主張してます。 -
真ん中の立派な石の外側のレンガは長い年月で相当やれています
-
石像群南端。
神道はなだらかな丘、といっても影壁山と名付けられているようですが。
それを大きく迂回します。 -
ぐるっと迂回してまた戻ったところに、とてつもなくでかい「神功経徳碑亭」
立派です。 -
その先、向こうの方に大紅門です。
-
大紅門と中軸線上にシンボリックに立つ金星山
-
大紅門から神功経徳碑亭を見ます。
-
大紅門は車が通れます。
天井を見上げる張さん… -
門の間から、石碑坊と金星山
大紅門の左右から壁がぐるっと陵域を取り囲みます。
その広さたるや背後に壁のように立つ山々から盆地状にとてつもない広がりです。 -
あーら、大紅門の戸の81個の銅鎏金門釘は木製だったのね。
だいぶ欠けてます。 -
大紅門を出ると堂々たる石碑坊。
明の十三陵は今の道路が神道とずれて、石碑坊は横から見ましたが、こちらはまっすぐ金星山に続いてます。 -
石牌坊をでて東に1キロ弱。
料金所で入場券を買います。
入場券は2種類あって130元の表演付きのヤツと120元の清東陵参観券。
ここでちょいと失敗。
表演付きの130元を買えばよかったと後で後悔。
イヤ別に表演を見たかった訳では有りませんが…
その辺りの事情は後述します。
とにかく、参観券で昭西陵、裕陵、裕妃園寝、慈禧陵、慈安陵、景陵、文展館等を見ることができます。 -
チケットもゲットしたしいよいよ、陵墓巡りです。
周りはクリ畑一色です。 -
まずは、石牌坊と料金所の間にある、昭西陵。
間という事は大紅門の壁の外側に位置し、厳密には陵域から外れてます。
それはこの昭西陵の主、順治帝の母ちゃんにして清朝第二代皇帝ホンタイジの妃
孝庄文皇后に由来します。 -
本来ならば皇后なんだからホンタイジと合葬されなければなりません。
ちなみにホンタイジは関外、遼寧省瀋陽にあります。
でも、孝庄文皇后は長生きして孫の康熙帝に
「父ちゃんの墓はいやじゃ。息子の福臨(順治帝)のそばがええ…」
ということで、ここに葬られたとか。
碑だけがかろうじて残る碑亭の遺跡がありました。 -
さすが中国十大皇后にエントリされる孝庄文皇后
堂々たる規模です。 -
作業中の横を通って入りましょう…
-
中に入ると、完璧な保存状態とはいえませんがそこそこ残ってます。
三座の陵寝門のうち両側の二座は跡形もありません。 -
どうやら、方城明楼に上がれるようです。
のしかかるような迫力こそありませんが、すらっとした姿がいいですねえ。
張さんに撮ってもらいました。 -
300年以上の風雪に耐えたのか最近補修したのかよく分かりませんが
清朝の礎を築いた孝庄文皇后の業績は順治、康熙両帝を後継指名したことをはじめ、燦然と輝きます。 -
明楼に上がる前に…
もこっとした宝頂を見てみよっと。
驚くことに宝頂のてっぺんに登れます。
いいのかなあ… -
高い所にあるから見晴らしのいいこと、いいこと。
西方面。クリ畑の向こうに大紅門と石牌坊が見えます。
彼方の山の低くなった所が薊県から山越えしてきた峠です。 -
南のほうには水庫いわゆるダム湖が見えます。
-
明楼から眺めます。
隆恩殿をはじめ、木造の建物は残ってません -
明楼には立派な碑がありました。
あれれ?
孝庄文皇后じゃなくて孝荘文皇后ですね… -
孝荘文皇后の昭西陵は皇帝陵墓ではありませんし、方城明楼を残して遺構だけでしたが、
その寂寞たる風景はなかなかのものでした。
朝より夕方の方がもっといいでしょうね… -
先程、来た神道を北に向かって戻ります。
こうして羊の散歩に時々出くわします。
犬の散歩と違って大勢ですから大変です。 -
七孔橋の横を通ります。
-
次に目指したのは康熙帝の景陵です。
-
これは景陵の神道ですが、ここも真っ直ではなくうねってます。
硬い岩とかがあったんでしょうかね、それとも地権者が売ってくれなかったとか… -
あっ。
さっき疾走していった馬だ…
ここで観光乗馬を営業してたのね。
誇り高き満洲八旗も時代には勝てません。
祖先は勇躍長城を越えて関内に攻め込んで来たのですが… -
さてさて、景陵に行って見ましょう。
テクテク歩きます。 -
先程の昭西陵の遺跡と違って立派な碑亭です。
-
「ここに触りな」と張さんがすすめます。
-
300百年も重い碑を背負ってグッとこらえる「贔屓」です。
-
名君の康熙帝にあやかって、皆ナデナデするんでピカピカにテカッてます。
-
さすが康熙帝です。
碑亭の天井まで凝ってます。
でも、点検口じゃああるまいし、イチ、ニ、サン…
格天井が6箇所欠けてます。 -
次、行ってみましょ。
-
「パカッ、パカッ…」
また馬が疾走してます。
お客さんがいないので客寄せのためか脇の道を行ったり来たり
道は馬場状態です。 -
満々と水がはられた上に三孔神路橋がかかります。
-
隆恩門のところに景陵の案内板がありました。
なになに…
ふむふむ…
(漢字ばかりでひらがなも使って欲しい)
ここでチケットの改札をうけて門をくぐります。 -
すると現れるのはお約束の隆恩殿。
康熙帝という名前の割には建物は「こんなものなの」というくらいです。
デカいことはデカいのですが… -
傍らには立派な瑠璃瓦の燎炉
-
隆恩殿前の龍鳳丹陛石
-
隆恩殿の中に入ってみました。
空気が澱んでおりまるで300年前にタイムスイッチしたかのようです。
空いてるし… -
真ん中には座ると痛くなりそうな背もたれや肘掛に彫刻を施した椅子が3脚。
そして位牌が3柱置いてありました。
なんで、3柱なのかは聞かないでください。
ここ景陵は康熙帝と雍正帝の母ちゃんの孝恭仁皇后ほか3人の皇后と1人の皇貴妃が合葬されているというから。 -
隆恩殿を出てぐるっと廻りこんでみます。
隆恩殿の凛々しい雄姿 -
ふと見ると、あちゃー
この先、「后寝」は非公開です… -
わずかに開いた隙間から覗いてみると…
立派な明楼が見えます。
なんで公開しないんだろう -
仕方ないんで引き返します。
-
ふと見ると左配殿の入口に係りの人が座ってます。
行って見よっと。 -
さすが康熙帝の寝陵です。
建具も素晴らしい -
で、中はというと
陵墓の俯瞰図とか、康熙帝関連の資料が展示してあるだけですが
建物の構造と内装が確認できます。
棟木に渡したぶっとい梁だけが目立ちます。 -
三孔神路橋にもどってきました。
碑亭の横から入ったのでその先にもいってみましょう。 -
五孔神路橋の辺りまでぐるっと迂回してます。
そしてそこには石像が… -
武官が直立不動で起立してます。
-
五孔神路橋の袂の象の像です。
大きくカーブしてるので石像群がずらっと起立している直線路というわけにはいきません。 -
五孔神路橋の100mほど手前(と言っても逆行してるので先ですが)には無残に廃墟となった神功経徳碑亭です。
誰の仕業かとおもって調べたら、1952年に雷雨で失火し燃えてしまったようです。
中の碑は双碑で贔屓が2頭いたようです。
康熙帝の功績は中国史上最高の皇帝といわれるだけあって数多有りすぎるんできっと書ききれなかったんでしょうね。
長生きもしたし。でこの碑も被害にあって最近再建されたとか。
でもこれじゃあネエ…
かなり荒れ果ててお約束の四方に立つ華表もありません。 -
景陵の隣(隣と言っても相当離れてますが)の恵陵に行こうと景陵を出るとすぐ、なにやらまたあります。
ちょっと寄ってみてと言うと運転手の張さんは「なんでこんな所…」と言いますが、なにせ、お金を出すのは我輩だから。 -
車をとめて、歩いてゆくと残念ながら非公開…
景陵の隣にある景妃園寝です。
康熙帝の皇后は景陵に合葬してもらえますが、妃以下の人たちは亡くなるとこうしたお隣の陪葬墓に埋葬されます。
こうした陪葬墓は「陵」とは言わず「園寝」といいます。
道の数も橋の規模もグレードが落ちます。 -
閉まっている門の所まで行ってみると…
「内院には犬がいるけんね…、咬まれても知らないよ…」とチョークで脅し文句が。 -
隙間から除くと、います、います。
でも、睡眠に一生懸命で我輩の気配に気づく様子はありません。
しかたないので車に引き返します。 -
次に向ったのは二郎廟
道教の廟です。 -
相変わらずでっかい線香で大仰にお参りします…
-
こちらは忠平宝殿とありましたが、何のことやら。
でも、皆さん真剣です。 -
財喜殿
こちらはなんとなく分かります… -
裏事情を知りたくて裏に回ってみました。
皆さんお食事中でした。 -
見知らぬ輩がウロウロした為でしょうか、
こいつに猛烈に吠えられタジタジとなりました。
周りの人も同情して犬を叱り飛ばしました…
犬に吠えられ気が動転したのか、このあと横にある同治帝の恵陵に向うべき所を抜かして裕陵に向ってしまいました。
恵陵は何もないからいいけど…
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