2011/09/16 - 2011/09/19
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アルデバランさん
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清朝において珍しく暗君という評判の咸豊帝の皇后西太后、東太后の二人は次の同治帝の時代には皇太后として垂簾聴政で有名ですが、陵墓もここ清東陵に仲良く並んでいます。
並んでいるからといて二人が仲良かったわけではありませんが…
なんせ、東太后突然亡くなったんで西太后に毒殺されたなんて、物騒な噂まであるくらいだから。
そして並んでいるからといって全く同じわけでもありません。
西太后の方は長生きしたんで、生前造営したこの陵墓の建物が劣化したなどと屁理屈をつけて、
14年の歳月ととてつもない費用をかけてかけて超大規模改修しちゃいました…
最初の両方の陵墓造営の工期が6年だったことを考えてもその想像できます。
ここの売りの一つ陵恩殿なんて全て銘木の金絲楠木と花梨で建て替えたというから。
おかげで四川省の山奥でも金絲楠木はいま数本を残すのみ…
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 2.0
- 交通
- 3.0
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裕陵の次に向かったのは車でほんの10分の所にあるお隣の定東陵
9代皇帝、咸豊帝の皇后でご存じ西太后、東太后のお墓です。 -
西太后の碑亭の中の碑
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色はまだ100年経っていないためかこれまでの天井と比べ格段に綺麗です。
-
さすが、皇后陵
女性らしく花がきれいです。
左右の建物は土産物店になっていました。
帰りによろっと。 -
チケットチェックを受けて入ってみましょう。
さすがにここも正面の戸は開放してません。 -
この西太后の菩陀峪定東陵の売りは開放している地宮もさることながら
この隆恩殿です。
両皇后の墓は同時に建設されましたが、西太后は東太后より長生きしたので
途中で建物内部を大改修をさせました。 -
隆恩殿に上る御路にある御路石。
上の鳳凰を下から龍が見上げる図、いわゆる「鳳引龍追」です。
ちなみに他の皇帝后陵の場合、鳳と龍は左右に並ぶのが、一般的です。
しかも彫りが深くて立体的で精緻! -
龍の鼻が欠けてるのは愛嬌です。
画龍鼻睛を欠く
鼻があると天に昇ってしまうんですね… -
西太后が念入りにリニュアルした菩陀峪定東陵の隆恩殿に入ってみます。
両サイドの壁は有名な「寿」の周りに長寿、富貴、平安、人徳、天命をあらわす五匹の蝙蝠を配した「五福捧寿」の壁です。
そして、壁一面に盤長文様… -
いたる所に大小さまざまな龍が描かれています。
きっと、西太后は中日ファンだったんですね…
極めつけは柱には巻きついた巨大な龍! -
幸福がいつまでも続くことを意味する卍を組みあわせた「万字不到頭」の文様が綺麗です。
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彩色も細部まで凝っています。
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天井の赤と梁の金のコントラストが見事です。
豪華とか煌びやかというより、いかにも女性的なしっとりした落ち着いた味わいのある色彩で
別の意味で息を呑む美しさでした。 -
隆恩門の裏手に回って後寝に入ります。
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メンツァンもしっかり4本あって造りも格調高くできてます。
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方城、明楼です。
明楼は裕陵の明楼と比べても横幅が1/2程度で重檐歇山式の屋根はそこそこの高さがあるため非常にスリムになっています。 -
この定東陵も地宮が公開されています。
やはり孫殿英によって徹底的に盗掘されてしまいましたが。 -
さすがに皇后陵ですので地宮の規模は小さくなります。
門も2門です。 -
天井のアーチまで彫刻されていた裕陵と違ってシンプルです。
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これこれ、指でこするんでない…
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西太后の名は中国では慈禧太后の方が一般的のようですね。
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広い墓室は大きな棺がポツンとあるだけです。
見に纏っていたり棺の中に入れた数々の真珠や翡翠などの宝石は全て持ち去られました。
口の中に入れてた大きな宝石もこじ開けられて盗られ、遺体は無残にも水溜りに放置されたそうです。
蒋介石夫人の宋美齢もおこぼれをあずかったようで、そこから盗まれた真珠を持っていたとか。おそろしや… -
さすがにここは観光客がひっきりなしにやってきます。
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地宮は石造りですが壁や門の戸で唯一彫られているのが、お約束の装飾「舗首」、いわゆるドアノブです。
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壁もさっぱりしたもんです。
やはり皇太后の墓なので、そこまではできなかったんでしょうね。 -
地宮の次は明楼と宝頂です。
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宝頂も地宮の規模が小さい為、大きいことは大きいけど、どデカイほどではありません…
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お隣の東太后の方城、明楼が仲良く並びます。
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明楼から見下ろす。
レンガの配置からくる目の錯覚ですね。
御路が低い所に見えるのは… -
左隣の東側には裕陵も少し見えます。
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明楼の斗きょう
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宝頂の周りを一周して帰ります。
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西太后の菩陀峪定東陵を出て右隣にある東太后の普陀祥峪定東陵に向かいます。
間に「馬漕溝」の堀を隔てて同じ造りになっています。 -
西太后の菩陀峪定東陵の方面。三路橋は両側が石平橋になっています。
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この辺りの配置図も菩陀峪定東陵と全く同じですが、お隣は
真ん中に花壇なんかがあって華やかだったのにこちらは寂しい感じです。
花一つで随分違ってくるのですね。 -
隆恩殿です。
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左配殿のよこに平面図がありました。西側が東太后で東側が西太后とは紛らわしいですね…
順路も記載されてましたが、陵寝門が閉まっており内側の后寝部分は立ち入り出来ませんでした… -
その左配殿です。
地形が前下がりに傾斜している為でしょうかでしょうか基壇の高さが違います。
建具の文様は「卍字不到頭」 -
ただし、近づいてみると表面は相当老朽化しており凄まじいくらいです。
メンテナンスをほとんどしていないのでしょう。むりないか…
でも、屋根や躯体さえしっかりしていれば、柱の塗装や彩色なんて消耗品のようなものでいつでも補修できるから。 -
敷地内の建物はほぼ完全に残っているし躯体部分はなんともないでしょうから、メンテナンスさえすれば西太后の菩陀峪定東陵とセットにして、強烈にアピールできるのに…
これからなんでしょうね。 -
漆喰が雨水や湿気、シロアリからがっちり保護してます。
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隆恩殿の前の地面のレンガはまるで地震にあったようにガタガタになってました。
歩きにくくて気をつけないと捻挫します。 -
表面は劣化してしまってますが、隆恩殿はいまでも威厳を保ってます。
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西太后、東大后が監修したとあってさすがに細部まで凝ってます。
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何故か陵寝門は閉まっており、これ以上中には入れませんが、とりあえず行ってみましょう。
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閉まり具合がぴっちり閉まっていて中はほとんど覗けませんでした。
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元々建設時のプランは同陵同穴論、同陵異穴論あったようですが、当時既に皇太后になってた両人は拒否したようで結局各1陵づつという形に落ち着いたということです。
予算担当部署は大慌て…
なんせ、その当時といったら太平天国の乱で疲弊した上に毎年続く各種自然災害。
日清戦争下関条約での屈辱はもうちょっと後だけど世の中、しっちゃかめっちゃか -
並列する2陵の同じところ、違いをつぶさに見ることが出来ました。
それにしても、竣工時は全く同じだったのに… -
定東陵を出たところに栗の集荷場がありました。
残念なことに時間的にまだ早いのか稼動はしていませんでした。
きっと、もう少し後にはあちこちの栗林から集められた栗が沢山持ち込まれるのでしょう。 -
仕方ないので横に広げられた胡桃でも撮って引き上げます。
胡桃の皮は手でむくと手が真ッ茶色になっちゃうんですよねー。 -
この時点でまだ1時。張さんはまだ時間があるから長城に行こうと勧めるが、
まだ肝心の順治帝の孝陵は朝、最初に神道を通っただけだし、直ぐ横の咸豊帝の定陵もある。
張さんに長城もいいが、その前に孝陵に行ってくれと頼むと購入したチケットが表演つきのチケットではないからダメだという。
何でもいいからとにかく前まで行ってくれと頼むと渋々行ってくれました。
だいぶ戻る形になったけど… -
清東陵の最初にして中心的陵墓で6キロにもおよぶ長大な神道をもつ偉大な孝陵としてはちょいと寂しい前の部分ですが…
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それでも、門前には表演があると多少はお客さんが来るのでしょうか、土産物屋さんがヒマそうにしてました。
その横を通ってとりあえず行って見ます。 -
昌瑞山主峰南麓にて規模の大なること体系の完なること清陵の冠にして、唯一盗掘を免れている孝陵
凡数百年、被套上了神秘的光環 -
隆恩門にしっかり改札があります。係員は一人で十分なところ3人もいます。
念のために聞いてみると、隆恩殿の前で当時の衣装を着て表演が演じられるそうで、
我輩のチケットでは「ダメダメ」とにべもない返事。
「表演はいいから中をちょいと覗かせてよ、ダメ?」とありったけの笑顔を振りまいてみると…
「見るだけなら見な…」とOKの返事 -
と言うことで中に入って見せてもらいました…
ちょいとだけということだったので、
サーッと見て帰ります… -
一直線の神道ではなく、景陵でもそうでしたが微妙に曲がっています。
て、孝陵は形だけでも訪れたのでまた戻って咸豊帝の定陵へGO!
といきたいのですが、今度は張さんの頑強な抵抗にあいました。
理由は①シュールー。道路工事で行けない②行ってもたいした事ない。
の2点。 -
その証拠にホレと通行止めの箇所まで連れててくれましたが、あきらめきれずに、
「農道のような脇道がいくらでもあると思う。何ならここで待っててくれ、徒歩で行ってくるから」と言うと
とにかくダメなものはダメの一点張り。
そのうち向こうの方で軽四輪が走っているのが見えたので、あれを見てくれとなだめて別の道からチャレンジしてみることに… -
農道をうろうろしてやっと着くことができました。
諦めなくてよかった…
「ちょいと行って来るから、我輩のポテトチップスでも食べて待てってね」と言って定陵を訪問 -
そうとう荒れておりフェンスで囲って5孔路橋は通れません。
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迂回して横の平石橋から草だらけの道を進みます。
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咸豊帝ですのでそんなに古くはありませんのでレンガもしっかり残ってます。
草はしょうがないけどね -
石像が無言で迎えてくれた神道を行くと立派な門もあります。
もちろん人はだれもいません… -
二段上がったところに碑亭が。
あれれ…
バイクが横切ってます。 -
その碑亭のところまで来ました。
またまた、バイクが… -
どうやら、ここ定陵の場合、外壁が取り払われて碑亭の前が近道になっているようです。
陵墓は南北に長大に細長いもんね… -
清東陵でも一番西外れで、立地条件もあまりよくなかったようで
かなりの斜面に造ったようですね。
牌楼門からは何段も上がることになります。 -
隆恩門は閉まってました。
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高台にあるから見晴らしは明楼の上に登らなくても結構いいです。
ここはのんびりするには絶好の場所です… -
ここはのんびりするには絶好の場所です…
展望も開けているし、時間が止まったように静寂に包まれてとても気持ちいいです。
気に入りました! -
牌楼門から石像群を見ます。
粘って定陵に寄れてよかった… -
さてさて、同治帝の恵陵はとうとう行けなかったけど諦めて長城に向かいましょう。
周りはサンザシの木が植わったサンザシ畑の狭い農道を行きます。
なんせ、道路工事で通行止めだから… -
そんなに甘くはありませんでした。
幹線が通れないものだから車は狭い農道に集中してすれ違いが出来ません。
後続車もどんどんやってきてにっちもさっちも行かなくなります… -
我輩はこれ幸いと、他人事のように周りのクリ畑とかサンザシ畑を見学…
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張さんの車は前の車に習って強引に通ろうとしますが、腹をこすってガリガリ…
張さんは舌打ちしながら、悔しがります。 -
何とか脱出して事なきを得ました。
朝も通った、西大河(ちっとも大きくないけど)を渡って… -
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